*体を鍛えて* 裸人教 *裸になろう*

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1絶 倫太郎
脱げ

着るな

体を鍛えろ

浪漫せよ

偉大なる宗教裸人教万歳!!

http://www3.airnet.ne.jp/ashen/rjn/rjn_mnu.htm
2絶 倫太郎:03/03/06 01:49
「服を着ている者は幸いである。
 彼らは服を脱ぐ感動を味わえるであろう。」

「裸体の者は幸いである。
 彼らは風邪をひかないであろう。」

「裸体の者は幸いである。
 彼らは田虫に冒されないだろう。」

「裸体の者は幸いである。
 彼らには隠しだてするものがない。」

「裸体の者は幸いである。
 いつでも簡単に風呂に入れる。」

「裸体の者は幸いである。
 彼らはもはや少々のことでは動じない。」

「裸体の者は幸いである。
 彼らは愛の戦士である。」

「裸体の者は幸いである。
 彼らの肉体は素直であるだろうから」

「裸体の男女は幸いである。
 なぜそうなのかはいうまでもない。」
3絶 倫太郎:03/03/06 01:58
体を鍛えて裸になろう!
そうすれば全てが解決する!
4名無しさん@3周年:03/03/06 02:53
肉体美こそわが命
5名無しさん@3周年:03/03/06 15:08
入信する奴いるのかよ
6「ジャイナ教」の知識が欲しいのか?:03/03/06 17:00
仏典に「裸形外道(らぎょうげどう)」という言葉が出て来る。
ジャイナ教を指している。
インドで伝統的な反ヒンズー教のニ大教派といえば仏教とジャイナ教。
教祖のマハーヴィーラは釈迦牟尼とほぼ同時代の人で、
苦行と、徹底的な不殺生を特徴とする厳しい戒律で著名。
一切の所有を放棄し、修行者は全裸を理想とした。
ジャイナ教は大きく「空衣派」と「白衣派」にわかれ、
保守派の空衣派は現代でも全裸で生活している。

「中道」を重要な教理とする仏教からは、
しばしば極端さを批評される。
7名無しさん@3周年:03/03/06 17:45
>>6
ジャイナ教はその極端さからインドの外には広まらなかった。
カースト制を否定する教義を持っているが、実際は、ジャイナ教徒は、
インド社会の中で一種のカースト内の一階級として位置している。
インドでは勢力を衰退させた仏教とはある意味興味深く対照される。
不殺生の戒律はとても厳しく守られていて、
直接的にも間接的にも殺生を伴う職業につく事は避けられる。
その結果、在家のジャイナ教徒は商業に従事する者が多く、
インドでは富裕な階層として見られている。言うまでもなく、
在家はちゃんと衣服を着ていて常識的な生活をしている。

ちなみに「白衣派」の出家者は純白の衣だけは着用してもいいという姿勢。
「空衣派」の出家者は全裸だが、女性の出家は認めない。
8名無しさん@3周年:03/03/06 18:24
ジャイナ教は、紀元前500年頃、ちょうど仏教がその起源をゴウタマ・ブッダに発したように、
マハヴィールによって始められた。
古代インドに「悟り」を開いた、マハヴィールの思想は、連綿と2500年を生き延びてきており、
現在、インド国内には500万人以上のジャイナ教徒がいる。ジャイナ教徒は、苗字にJainを持つので、
すぐにそれと知られる(デリー市内にも、店名にJainを名乗る商店が、実に多い)。
ジャイナ教徒は、ムンバイ、
ニューデリーなどの大都市や西部インド州の重要な町や市などにコミュニティを作って住むことが多い。
中でもグジャラット州には最も密集して住んでいるという。
彼らはコミュニティを非常に重視ておりし、結束が固い。
彼らは、コミュニティ外の者とは結婚しない。そして非常に禁欲的な生活を送っている。
例えば、酒、肉類を嗜まず、香辛料や生姜、玉葱などの野菜すら避ける。
彼らが食するのは、
怒りや憎しみ、色情や貪欲といった感情を起こさせない、と彼らが考える、純粋な食物だけである。
コミュニティとしてのジャイナ教徒達は、平和を愛し、受動的で落ち着いた人々なのである。
9名無しさん@3周年:03/03/06 18:25
ジャイナ教徒にはビジネスマンが多い。
彼らは、貿易や両替商、金融や金貸しなどに優れ、何世紀にも亘り、巨大な貿易を“陰で”操ってきた。
そして、私生活では敬虔で簡素な生活を送っているジャイナ教徒は、ビジネスの世界では反転して、
無慈悲・不道徳で、容赦ない。
彼らはビジネスにおいては、社会的規範や税法に囚われることなく、「自分達の好きなように」ビジネスをし、殆ど良心の呵責がない。
(金融の世界では誰でもそうなのか、ボンベイの日系F銀行も、ハイエナのような酷い銀行だ。
“病人の布団を剥ぎとる”弱い者苛めどころか、ペテンと詐欺で金を騙し取り、
挙句の果ては、焦付き先が第三者に払うべき金を塞き止め、それを人質にとって、
その第三者に、自分の焦付債権取立ての片棒を担がせよう、などという阿漕なことも平気でやる。
“裏の印刷屋”の、タコ社長の気持ちが実感できる)。
10名無しさん@3周年:03/03/06 18:26
政治的には、ジャイナ教徒は右翼政党を支持するが、
近年は、ヒンドゥー教を“国家の理想”と公言したBJPを支持している。
ジャイナ教徒は選挙費用を気前よく支援する代わりに、
その政党に、自分達のビジネス活動を援助・促進してもらっているのである。
ジャイナ教徒は、経験豊かな裏工作者であり、公の事務所を持つことは滅多にない。
彼らは「物静かに」そして「目に付かぬように」、政治やビジネスをコントロールするのを好むのである。
11名無しさん@3周年:03/03/06 18:27
彼らは自分達のコミュニティのためには、学校や大学、病院、看護施設、孤児院、寺院などを設立し、
奉仕活動にも進んで貢献する。
殆どのジャイナ教寺院は、彼等の気前よい寄進によって、高度な装飾が施され、豪華絢爛である。
ジャイナ教は偶像崇拝を認めていないが、コミュニティごとに「グル」がいて、
こうしたグルが、コミュニティの崇拝の対象となっており、「グル」の名の付いた施設を建てたりすることも多い。
12名無しさん@3周年:03/03/06 23:46
絶 倫太郎(ぜつ・りんたろう)

1967年9月17日・京都生まれ

三年癸巳組(90年当時)

学籍番号32991778

非公認団体「裸人倶楽部」の会長にして宗教団体「裸人教」の教祖。
「浪漫裸人主義」の信奉者にして実践者。
「聖マッスル」の洗礼名を持つ。

会長が学園に転校してきたのは90年初頭。
2月に聖地・はちろう神社にて「早朝乾布摩擦大会」を開催し、
寄り集った面々で「裸人倶楽部」を結成・自らは「聖マッスル」を名乗る。
以後、学園各地で布教を重ね裸人倶楽部の知名度と人気は赤丸急上昇。
遂には90年度ミスター蓬莱に選ばれる。
91年には臨時講師試験に合格。一時期教師として教鞭をふるう。
また、司会、DJ、タレントとしても活躍しており、各メディアでの活動方面は多彩に回る。
90年中盤以降、教団においては分派騒動など数々の災難が起るが、
それでも教祖は超然と「ぜつり〜ん」の掛け声とともに修行に励んでいる。
(単に何も考えていないんじゃないかというフシもある)。
13偽切子
入信スマシタ