●●◎南無阿弥陀仏 第三部◎●●

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546名無しさん@3周年
自然といふは 自はおのづからといふ 行者のはからひにあらず しからしむといふことばなり

然といふは しからしむといふことは 行者のはからひにあらず 如来のちかひにてあるがゆへに

法爾といふは 如来の御ちかひなるがゆへに しからしむるを法爾といふ
 
この法爾は 御ちかひなりけるゆへに すべて行者のはからひなきをもちて このゆへに他力には

義なきを義とすとしるべきなり 自然といふは もとよりしからしむるといふことばなり 

弥陀仏の御ちかひの もとより行者のはからひにあらずして 南無阿弥陀仏とたのませたまひて 

むかへんとはからはせたまひたるによりて 行者のよからんとも あしからんともおもはむを 

自然とはまふすぞとききてさほらふ ちかひのやうは 無上仏にならしめんとちかひたまへるなり

無上仏とまふすはかたちもなくまします かたちもましまさむゆへに 自然とはまふすなり

かたちましますとしめすときは 無上涅槃とはまふさず かたちもましまさぬやうをしらせんとて

はじめに弥陀仏とぞききならひてさふらふ 弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり 

この道理をこころえつるのちには この自然のことは つねにさたすべきにはあらざるなり 

つねに自然をさたせば 義なきを義とすといふことは なを義のあるべし これは仏智の不思議にてあるなり

よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを

善悪のじしりがほは おほそらごとのかたちなり 是非しらず邪正もわかぬこの身なり

小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり