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名無しさん@3周年:
自然といふは 自はおのづからといふ 行者のはからひにあらず しからしむといふことばなり
然といふは しからしむといふことは 行者のはからひにあらず 如来のちかひにてあるがゆへに
法爾といふは 如来の御ちかひなるがゆへに しからしむるを法爾といふ
この法爾は 御ちかひなりけるゆへに すべて行者のはからひなきをもちて このゆへに他力には
義なきを義とすとしるべきなり 自然といふは もとよりしからしむるといふことばなり
弥陀仏の御ちかひの もとより行者のはからひにあらずして 南無阿弥陀仏とたのませたまひて
むかへんとはからはせたまひたるによりて 行者のよからんとも あしからんともおもはむを
自然とはまふすぞとききてさほらふ ちかひのやうは 無上仏にならしめんとちかひたまへるなり
無上仏とまふすはかたちもなくまします かたちもましまさむゆへに 自然とはまふすなり
かたちましますとしめすときは 無上涅槃とはまふさず かたちもましまさぬやうをしらせんとて
はじめに弥陀仏とぞききならひてさふらふ 弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり
この道理をこころえつるのちには この自然のことは つねにさたすべきにはあらざるなり
つねに自然をさたせば 義なきを義とすといふことは なを義のあるべし これは仏智の不思議にてあるなり
よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
善悪のじしりがほは おほそらごとのかたちなり 是非しらず邪正もわかぬこの身なり
小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり