●●◎南無阿弥陀仏 第三部◎●●

このエントリーをはてなブックマークに追加
191名無しさん@3周年
法に依りて人に依らざるべし。
192名無しさん@3周年:03/06/04 13:31
ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥じず・・・
                        合掌
193NB ◆0buMLZ/Vxc :03/06/04 14:20
>>191
『大論』(大智度論)に四依を釈していはく、「涅槃に入りなんとせしと
き、もろもろの比丘に語りたまはく、〈今日より法に依りて人に依らざるべし、
義に依りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし、了義経に依りて
不了義に依らざるべし。法に依るとは、法に十二部あり、この法に随ふべし、
人に随ふべからず。義に依るとは、義のなかに好悪・罪福・虚実を諍ふことな
し、ゆゑに語はすでに義を得たり、義は語にあらざるなり。人指をもつて月を
指ふ、もつてわれを示教す、指を看視して月を視ざるがごとし。人語りていは
ん、《われ指をもつて月を指ふ、なんぢをしてこれを知らしむ、なんぢなんぞ
指を看て、しかうして月を視ざるや》と。これまたかくのごとし。語は義の指
とす、語は義にあらざるなり。これをもつてのゆゑに、語に依るべからず。智
に依るとは、智はよく善悪を籌量し分別す。識はつねに楽を求む、正要に入
らず。このゆゑに識に依るべからずといへり。了義経に依るとは、一切智人い
ます、仏第一なり。一切諸経書のなかに仏法第一なり。一切衆のなかに比丘僧
第一なり〉と。無仏世の衆生を、仏これを重罪としたまへり、見仏の善根を種
ゑざる人なり」と。
 しかれば末代の道俗、よく四依を知りて法を修すべきなりと。
 しかるに正真の教意によつて古徳の伝説を披く。聖道・浄土の真仮
 を顕開して、邪偽・異執の外教を教誡す。如来涅槃の時代を勘決して正・
 像・末法の旨際を開示す。        @教行信証

なんまんだぶつ。なんまんだつ。
194名無しさん@3周年:03/06/04 16:38
如仏欲入涅槃時。語諸比丘従今日応依法不依人。応依義不依語。応依智不依識。
応依了義経不依未了義経。依法者法有十二部応随此法。不応随人。依義者。
義中無諍好悪罪k侮タ故。語以得義義非語也。如入以指指月以示惑者。惑者
視指而不視月。人語之言。我以指指月令汝知之。汝何看指而不視月。此亦
如是。語為義指。語非義也。是以故不応依語。依智者。智能籌量分別善悪。
識常求楽不入正要。是故言不応依識。依了義経者。有一切智人仏第一。一切
諸経書中仏法第一。一切衆生中此比丘僧第一。
『大智度論』卷第九

如人以指示月。愚者但看指不看月。智者軽笑言。汝何不得示者意。指為知月
因縁。而更看指不知月。諸仏賢聖為凡夫人説法。而凡夫著音声語言。不取
聖人意不得実義。不得実義故還於実中生著・・・・・
『大智度論』卷四十四
195名無しさん@3周年:03/06/05 22:31
諸仏賢聖為凡夫人説法。而凡夫著音声語言。
どうせしがない凡夫の空念仏さ。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
196名無しさん@3周年:03/06/06 00:28
皆、阿弥陀と号して回向したまえるに、何ぞ空念仏やある。
空念仏もまた南無阿弥陀仏これなり、帰命の義なりけるが
故に、空念仏と称するもまた本願招喚の勅命なり。一切なり。
自然なるが故に。
                       合掌(笑)
197名無しさん@3周年:03/06/06 02:49
仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫を仰せられたれば、
我もまた愚鈍の衆生なり。すなわち善導大師ののたまはく、
敬ひて一切往生の知識等にまうさく、大きにすべからく
慚愧すべしと云々。またのたまはく無慚愧は名づけて
人とせず。名づけて畜生とす。『本典』に見へたり。
しかれば弥陀如来の正機は、これ煩悩具足の凡夫なり。
すなわち具縛の凡愚、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議
の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しな
がら無上大涅槃にいたるなりと説きたまふ。

是非知らず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども
名利に人師をこのむなり。
とのべたまふ。何ぞ邪見・僑慢の心に著すことを為さんや。
皆是、阿弥陀仏の大悲の相なれば、一切衆生を摂取した捨て
たまず。かるが故に阿弥陀と号すなり。
われら凡夫は、彼の如来の正客なりと知んぬ。
たのもしくおぼゆるなり。
                    合掌