>>191 『大論』(大智度論)に四依を釈していはく、「涅槃に入りなんとせしと
き、もろもろの比丘に語りたまはく、〈今日より法に依りて人に依らざるべし、
義に依りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし、了義経に依りて
不了義に依らざるべし。法に依るとは、法に十二部あり、この法に随ふべし、
人に随ふべからず。義に依るとは、義のなかに好悪・罪福・虚実を諍ふことな
し、ゆゑに語はすでに義を得たり、義は語にあらざるなり。人指をもつて月を
指ふ、もつてわれを示教す、指を看視して月を視ざるがごとし。人語りていは
ん、《われ指をもつて月を指ふ、なんぢをしてこれを知らしむ、なんぢなんぞ
指を看て、しかうして月を視ざるや》と。これまたかくのごとし。語は義の指
とす、語は義にあらざるなり。これをもつてのゆゑに、語に依るべからず。智
に依るとは、智はよく善悪を籌量し分別す。識はつねに楽を求む、正要に入
らず。このゆゑに識に依るべからずといへり。了義経に依るとは、一切智人い
ます、仏第一なり。一切諸経書のなかに仏法第一なり。一切衆のなかに比丘僧
第一なり〉と。無仏世の衆生を、仏これを重罪としたまへり、見仏の善根を種
ゑざる人なり」と。
しかれば末代の道俗、よく四依を知りて法を修すべきなりと。
しかるに正真の教意によつて古徳の伝説を披く。聖道・浄土の真仮
を顕開して、邪偽・異執の外教を教誡す。如来涅槃の時代を勘決して正・
像・末法の旨際を開示す。 @教行信証
なんまんだぶつ。なんまんだつ。