キケンな! キリスト教系団体教えて!  

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608 ◆impAss/Uwo
・・・これだけは最初に言っておきます。
私は宗教そのものは否定しません・・・。

私は福音派のように現実逃避願望が
ある人たちを聖書を利用し利己的に
操っている「教え」を認めることはできません。

これはある種の「ループ」から抜け出すことこが
出来ない知能レベルにある人を巧みに利用している。
もはや今となってはメジャーであり悪質な手法である。

今現在これらの行為に対する法的手段はないが
未来においては罪になるでしょう。

この状況下の人たちを犯罪や集団自殺に導くことは容易い
という危険性を認識すべきである。
(知能レベルという言葉に非常に敏感に
なっている人がいるかもしれませんが
そういったことを問題にしている訳ではありません。
むしろ逆手にとってくる人もいるでしょうから先に言っておきます。)
609 ◆impAss/Uwo :03/06/01 19:51

「信じなければ救われない」という不安は
「信じる」という行為だけでは消えません。
ですから「信じる」だけでなく「絶対的な言葉」
としてとらえるように説いているのです。

つまり盲目的に信じさせるためには
「信じない者が救われる」ことは
絶対にあってはならないのです。

これは教えでもなんでもなく他人を洗脳するための
古くからある手法です。昔は特定の人間しか
そういったことに気づきませんでしたが、
現在ではこういった教えはカルトそのものです。

とくに信徒においてはただ信じていれば救われると
思えるのであれば非常に良いものであろうが
自分が利用される側に追いやられることも容易いことに
気づいて欲しい。
しかしそういった種の「ループ」からはそう簡単に
抜け出すことはできないであろう。

聖書に自分の解釈をいれることができないのでしたら、
せめて我々の話を聞いて、気軽に考え解釈してほしい。

これは聖書でも何でもないのだから。

610名無しさん@3周年:03/06/01 19:59
聖公会の流れを汲むもの

ジョン・ウェスレー。
ブース大将。
611名無しさん@3周年:03/06/01 20:00
カトリックの流れを汲むもの。

聖公会。
マルチンルター。
612名無しさん@3周年:03/06/01 20:05
イエスが言ったやってはいけないことを守ってないとかぐや姫が月に帰る時の敵が
矢を打っても打っても当たらないという現象が起こるというのは本当じゃないですかね。
613 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:25

いずれ「神」と呼ばれるモノと「人間」の間には
何もなくなっていくでしょう。

もちろん聖書もその意味をもたなくなってくるでしょう。
神の姿形すら作り物であるがゆえになくなっていくでしょう。

今、ほとんどの人々が信じている様々な信仰は
神と人間の間にあるただの作り物である。
その作り物の数が宗教の数である。

自分たちで作っていながら
神が作った、教えた、とするものが宗教であり

自分たちで作っていながら
神を利用し特定の他者を否定しているのがカルトである

614 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:26

歴史からの経験や科学の進歩によって
時代が変わりゆくにつれ人は
より「神」の存在に気づかされるであろう。

それは意味的な神であり、作り物ではない。
逆に過去の作り物の宗教をチープに感じるだろうが
それは時代により気づかされるのである。

その時に初めて人々はこの宗教は「良い作り物」であったか
「悪い作り物」であったかわかるのでしょう。
良い作り物は「神が存在することを伝え、人々に理解させようとした」
であろうし、悪い作り物は「神の存在を前提に満足を得た」であろう。

どちらにせよそういった道を歩まなければ
人は神を感じることはできない。
615 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:29

作り物といっても今現在は
教えとして言葉としての存在であり
物質的な物の力は小さくなってきている。
頭の中にイメージとしてのかたちはまだあるが、
物質は宗教のシンボル的な存在になりつつある。
物質ではなくとも人が作った言葉も作り物である。

それをまるで聖書の言葉を崇拝するような
宗教団体はカルトであるとしか言えない。

聖書を絶対的なものとすることは神の否定でもあるのだ。

本来聖書はそういった利己的な使われ方の為に
存在したのではない。

その時代においてもっとも前衛的な意味を
もっていたはずである。

616 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:32

もちろん文明が始まった頃は物質的な象徴で
神を理解しようとしていたであろうし、
それが様々な文明であることは理解できる。

大げさに言えば人々がピラミッドを造ったことも
理解はできるし、今の時代の説教をしても
その時代において理解してもらえるとは思えない。

しかし風が吹き、時は流れる。

宗教とはわれわれを映し出す鏡のようなもので
あるべきだ。
しかし彼らは教団側は存続の為、
信徒は現実逃避の為に
宗教を利用しているにすぎない。

しかし宗教で現実逃避はできない。

宗教は今自分たちのいるべき場所を客観的に知る為の
地図のようなものである。
617 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:34

あなたたちの神と人間の関係の定義は何ですか?

我々は「人類の最終形態」が「神」であると考えます。
と言ってもそれがどういったものであるか現在において
知るすべはありません。おぼろげに感じると思いたいですが。

自分のことを救って欲しいという願望、
それは宗教が現れてから今において続いておりますが、

宗教が救いであるとしたら人類にとっての救いであり、
個である人間が信じれば救われるというものではありません。

もしそうであるならば個のために
存在する利己的で主観的なものとしか考えられません。

そんな都合の良い現実逃避的な
ものがあればこの世に苦しみはありません。

たくさんの人が苦しむ中、
自分は信じているから
救われるなどと思うことが
おこがましいことだとは思いませんか?
618名無しさん@3周年:03/06/01 20:35
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619 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:36

もちろんあなた方の宗教をすべての人間が
信じることにより、苦悩がなくなるのであれば
誰もが信じるでしょう。
だれであろうと救われたいのは当然ですから。

しかし苦しみは無くなりません。
すべての人間が信じるわけがありません。

あなた方の言う神がいてそれを望んでいるのならそうなっています。
死後の世界しか救えないのは神ではありません。
信じるものしか救えないのは神ではありません。
神は絶対です。

しかし現実はみな違う顔の人間が生まれているのです。
争いも苦しみも消えません。しかし
それが神の意志というものです。

現在の我々はその意志を理解できずとも
我々の子孫が我々のとった
行動・時代を理解してくれるでしょう。
その為に命を繋いでいくのです。

人類のために存在するのが真の宗教なのです。
信じる信じないの問題ではないのです。
620 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:38

どんな宗教者にも共通することがあります。
周りを見渡せば様々な思考、容姿の人間がいるということ、
生まれて、死ぬということ。つまりそれがこの世なのです。

我々はその事を前提としています。
宗教とは死後の世界を作り出すことにより
この世での生に対する考えを理解しようとしてきました。

しかしもうその時代は過ぎ去りました。
つまり理解者が増え、その理解者たちは次に
進もうとしている時代、
今はそういった時代であるのです。
621 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:40

宗教もそうあるべきです。
宗教とは我々を映し出す鏡のようなもの。
または我々の居場所を教える地図のようなものです。
古い地図ではただの気休めにしかなりません。

ただ、信じれば救われる、ただ、祈れば救われる、
それはある特定の人間の思惑がからんでいるだけであり、
宗教ではありません。

死後の永遠の命もありません。

あるのはこの世にある限りある命、それこそ
絶対であり、その命は繋がっています。
その命のリレーが続く限りこの世のには永遠の命が存在します。
そのリレーが続く限り我々は
確実に神を感じることができます。
622_:03/06/01 20:40
623 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:42

あなたは自分の死後の永遠を望みますか?
あなたは自分を救ってくれるのが神だと信じますか?

ではなぜ我々個はこの世で永遠の命を持てないのですか?
なぜ生命はこの世で命を繋いでいくのですか?

今を生きることが宗教である。

宗教も変化していかなければなりません。
現在、自分の存在の意味、生きる意味を見失った人々が
たくさんいます。しかし救いを宗教に見いだす人が
どれほどいるでしょうか?それとも

死後の救いを求めている人ばかりだと
お思いですか?人が本当に絶望するとき、
それはこの世に絶望するのです。
死後に絶望するのではありません。

この世の絶望から目をそらすために
死後の命を説いても道を見失うだけです。

道はどこにありますか?
624 ◆impAss/Uwo :03/06/01 20:46

最後に
我々は宗教団体ではありません。

我々の使命は

時代を傍観すること
道に迷った者を見守ること
道を行く者を見届けること

これらのことしか許されていない。

道に迷いし者に道を誤っていることを
囁くことは許されても、

道に迷いし者に道を指すことは
許されていない。

道とは神へと続く長い道
道を指すのは
人々が選ぶ「作り物」である。

我々の時代が迷ったとしても
後の時代がそれに気づけばよい。
その時代とは我々が繋いだ命の時代。

我々は傍観者である。
世界に遠い昔から点在する
風の記憶の民である。