1 :
名無しさん@3周年:
親鸞聖人の仏説観って一体なんでしょうか?
いろいろ調べてみましたが全くわかりません。
教えてくださいm(_ _)m
2 :
Gocc (Get Mocc) ◆HswindowsI :03/01/22 22:53
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なに?
4 :
名無しさん@3周年:03/01/23 21:10
5 :
名無しさん@3周年:03/01/23 23:19
親鸞会ってそんなに悪いのか?
6 :
モnハCチ@モ?チ@ ◆wd0AE5SZ4. :03/01/26 17:39
>親鸞聖人の仏説観って一体なんでしょうか?
親鸞には、先に結論があったようだ。結論の前に、大きな発見と、感動があった。
発見と感動から結論が生じ、その結論を伝達する道具に、親鸞は様々なものを用いた。
彼の仏説も、実は多彩な伝達具類の一つに過ぎない。
親鸞の仏説観とは何かというルートをたどると、藪の中で本質を見失う。むしろ、
彼が目撃した発見と感動と結論にダイレクトに直参すると全体が見えてくる。僕はそ
う思う
7 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/26 17:41
8 :
名無しさん@3周年:03/01/27 23:22
レスありがとうございました。
大変勉強になりました!!
1
9 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/28 20:18
親鸞の結論は念仏の素晴らしさをより多くの人と共感的に享有、享受しようという
ことだったと思います。親鸞の仏説観は、その説明道具の一種だと思います。念仏の
素晴らしさをより多くの人と享有できれば、実は何が仏説で、何が非仏説でも、そん
な話は二の次だったでしょう。
ある考えを、「仏説」という形で押し出すと説得力が出る。平安鎌倉時代とはそう
いう時代だったんでしょう。それは、親鸞自身にとっても自分の信条と調和した。だ
からこそ、彼はある種の考えを「仏説」という形で表明した。ぼくはそう考えていま
す。
当時、学問と言うと、仏教が大きな力を持っていた。親鸞が念仏の素晴らしさと出
会ったのも、仏教の中での話だった。お釈迦様の教えの中核は、「念仏しなさい」と
いうことだ。こう結論付けると、話に非常に説得力が出る。何が仏説で何が非仏説か
は、本筋じゃない。要は、形式的説得力の話に過ぎない。
お釈迦様の教えの中核は、「念仏しなさい」ということだ。こう結論付けるにはど
うすればいいか。お釈迦様の教えの中核を、大無量寿経というお経に結びつけ、そこ
から説明を引き出してくる。親鸞はそういう説明手法を採った。お釈迦様の教えの中
核を大無量寿経というお経に結びつけるにはどうすればいいか。親鸞は、非常に注目
すべき論証方法を採った。この手法は親鸞のオリジナルではない。先人がいる。天台
宗を開いた天台大師が編み出した手法だと思う。お釈迦様の教えの中核は法華経であ
るという論証を導く手法を、親鸞は借用した。
10 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/29 23:43
五説というは、万ずの経を説かれ候うに、五種には過ぎず候うなり。一には仏説、
二には聖弟子の説、三には天仙の説、四には鬼神の説、五には変化の説といえり。
このいつつのなかに、仏説をもちいてかみの四種をたのむべからず候う(末灯抄)。
古代仏教では、自分の考えあるいは研究結果を発表する場合、情報源を第三者に
仮託して発表するという考えがあったようです。仮託と言っても、むやみやたらの
勝手放題ということじゃない。仏教は情報源を五つ用意してあったようです。膨大
な文献の整理検索の便宜の為でしょう。五つのどこから出た議論かで議論の内容を
レッテル分けし、読者に議論検索の便を図ったのだと思います。現代の図書館は図
書十進分類法という方法で分類しています。昔はそんな便利な分類方法を知らな
かった。結局、著者自らが、五つの分類にわけたのでしょう。
11 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/29 23:44
僕は一切経に触れる機会がありません。僕が言っていることに間違いがあるかも
知れません。もし違っていれば専門家の方に修正してもらいたい。恐らく、大乗教
育思想に直結するような仏教の中核的な思想は「仏説」という標題で発表したんで
しょう。通俗的社会道徳論などは聖弟子説として語られているんだろう。天仙説・
鬼神説・変化説は、仏教人としても知っておくといい仏教以外の様々な考え方なん
じゃないか。そう想像します。
天文学的な知識、医学的な知識、数学的な知識などは、天仙説・鬼神説・変化(
へんげ)説などとして記載されているんでしょう。呪術的な技術などは、変化(へ
んげ)説として記載されているんでしょう。自分が知りたい知識はどこに書いてあ
るか。仏説・聖弟子説・天仙説・鬼神説・変化説という主題を選別することで、学
生達は寺院学校の図書館に保管されている膨大な資料を一次検索をしたのでしょう。
親鸞は、仏教を学ぶに当たり、仏説を学べという。通俗的社会道徳論や天文学的
や医学の知識を学んでも、恐らく悪くはないんでしょう。しかし、大局にたって、
一番重要な学問は、仏説という標題によって書かれている議論である。親鸞はそう
教えてくれている。天文学や医学や数学も大事なんでしょうが、我々が先ず学ぶべ
き事は、仏説という分野からである。親鸞はそう教えてくれている。
12 :
名無しさん@3周年:03/01/30 00:24
namuamidabutu
13 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/30 21:02
仏説と言われる経典は数多い。それでは、その中でどれが一番大事な経典なんだろう。
親鸞はそんな問題提起をする。仏教の根元は教育哲学にある。仏教は、教育学を思想の中
核としながら、天文学、医学、建築学、美術など、様々な学問に影響を与えつつ、発展さ
せてきた。教育哲学に関する議論は仏説というレッテルを付けてきた。
一口に教育学と言っても様々な考えがある。だから、仏説というレッテルが張られてき
た論文の中でも様々な考えがある。学習者は一体どこから取りかかり、どういう方向に進
めばいいのか。問題提起の段階で、親鸞にはは念仏こそ最高だという確信があるのだが、
その確信はまだ出さない。
親鸞の問題提起は、決して親鸞が最初ではない。天台宗の開祖の天台大師が行っている。
彼は、仏説経典の独創的な体系化を発表する。日本の図書十進分類法は、書籍分野を大き
く十に分け、その個々を更に分けていく。天台の時代にはそんな便利な方法が見つかるは
ずがない。彼は十進分類法主義を採らなかった。彼は仏説全体を五分類に分ける。これを、
華厳・鹿苑・方等・般若・法華涅槃と名づける。説明によると、彼は、釈迦の発展段階に
なぞらえたという。彼は、いわば古代中国の図書学の創始者と言っていいだろう。要する
に彼は、自分が一番推奨したい書物を、釈迦の晩期になぞらえたかったのだろう。彼にと
って大事なのは、図書学の提示でなく、自分が推奨したい書物を効果的に推奨したいだけ
なのだ。彼は、法華涅槃部の経典から、何が一番大事な書物かを選定する。
14 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/30 21:11
仏説という名で伝えられてきた書物は、意見の対立はあるがいずれも嘘は書いてない。
彼はそう仮説を立てる。社会に古くから流通してきた古典書は、多くの支持者もあり、概
ね嘘は書いてない。幼少者は古典に触れよと教えられる。決して間違った考えとは思えな
い。
嘘は書いてないと思えば、書物の中で「この経典こそ真実である」という記載のある経
典こそが最高の経典である。天台はそんな仮説を立てる。なぜなら、非最高の経典にその
ようなことが書いてあれば、その経典は嘘をついていることになる。経典に嘘が書いてあ
るということは、経典にとって背理である。それなら、「この経典こそ真実である」とい
う記載のある経典こそが最高の経典である。
詭弁臭いが一見して旨い論理である。天台はそんな論法から、法華経こそ最高の経典で
あるという結論を導く。まあ、そんなことなら五分類法など立てずに、最初からストレー
トに法華経が一番だと素直に言えばいいと思うが、そうはいかなかったのだろう。
親鸞に天台流の五分類法はない。しかし、後半の論証を借用し、独自の理屈を構築する。
15 :
名無しさん@3周年:03/01/30 22:14
このスレは渡海難によって汚染されたので強制終了です。
===============終了===============
というか、自作スレっぽい。
===============終了===============
18 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/31 20:35
親鸞は、仏説経を大きく二つに分ける。真実の経と方便(非真実 <仮>)の経だ。我々
が学習の中枢として認識しなければならない経典を、親鸞は真実の経という。方便の経とは、
それ以外の経と考えればいい。真実の経として親鸞は二つ挙げてくる。一つは大無量寿経、
もう一つは阿弥陀経だ。
経典の中に、これこそ真実の経であるという意味の言葉の記載があれば、それが真実の経
である。親鸞はそう考える。非真実の経に、これこそ真実の経であるという意味の言葉が記
載されてあれば、経は嘘を付いていることになる。経に嘘があると考えるのは、経の原則に
照らして背理である。従って、これこそ真実の経であるという意味の言葉が記載されてあれ
ば、それが真実の経である。親鸞は、大無量寿経中の五徳瑞現の記述の存在こそ、大無量寿
経の真実性を根拠付ける記述であるという。現代の我々から見て、詭弁の論理と言ってしま
えばそれまでだが、要するに親鸞は、念仏の素晴らしさについて、大無量寿経をベースに明
らかにしたいと考えているということなのだ。
念仏行は浄土教の中で支持されてきた。大無量寿経を尊重するというのは、浄土教の古く
からの伝統だ。親鸞は、大無量寿経をベースにしながら念仏行に、伝統を破る独創的仮説理
論をうち立てようとしている。
19 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/31 20:36
親鸞は、阿弥陀経も真実経として挙げている。阿弥陀経は無問自説経と言われている。釈
迦は、相手の質問を待たずに一方的に語るという形式を採っている。相手の意向に関わらず
一方的に話しているのだから、阿弥陀経は釈迦がその真意をダイレクトに語っている経であ
る。親鸞はそう説明する。これも理屈としては詭弁臭いが、阿弥陀経も真実経の一つに挙げ
たいというその気持ちは汲みたいと思う。
真実経を除いた方便の経典はどんな種類があるのか。親鸞は、大きく二つに分かれるとい
う。一つは、如来浄土の因果を説明する経典である。もう一つは、衆生往生の因果を説明す
る経典である。如来浄土の因果を説明する経典は、所行、所成を説く。つまり、人々は何を
なすべきか(方法論)を語る。如来浄土の因果を説明する経典は、所摂、所益を説く。つま
り、人々は何を得るのか(効果論)を語る。大無量寿経はその両方を語ることで真実の経で
ある。他の経典はそのどちらか一方だけしか語ってないので、方便(仮)の経である。
親鸞は、教行信証の化身土巻で阿弥陀経に方便無しと言いながら、行の巻きでは非真実
(仮)の経を例示列挙する中に阿弥陀経を加えている。ここは意味慎重である。阿弥陀経は、
真実世界への真の入り口(真門)を明らかにする。真実世界への入り口は非真実(仮)の世
界との境界にある。阿弥陀経は、難信の法を明らかにするもので、受け取り方を間違えれば
非真実(仮)の経典ともなる。親鸞はそう考えているようだ。
20 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/31 20:44
>>1 1さんよ。だいたい分かったかな?。
あなたを、真宗学か、仏教学の学生さんじゃないかと想像しているが、どうだろ
う。何かの参考になりそうか?。
僕の理論はいつも僕一人説だ。大学の先生などからは喜ばれないと思うが、貴方
が自分一人になったとき、じっくり考える参考にしてみて貰えると僕は嬉しい。
21 :
名無しさん@3周年:03/01/31 20:53
詐欺師は一つの嘘を隠すために九十九の真実を語るそうだ。
ご注意あれかしと祈る。
22 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/01/31 21:04
さっぱりわからねぇ。
24 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/02 00:11
>>23 宮殿の内に五百歳虚しく過ぐとぞ説き給う。
千年かけても分からん人には分からんだろう。極難信だからね(笑)
25 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/02/02 04:57
古代・中世の中国や日本の祖師方は、歴史上の釈尊の説法として経典を仏説と受け入れ
それゆえにどれが釈尊の真実の教えかを明らかにする事に尽力されました。しかし
現代の仏教文献学では、大乗経典はもちろん、小乗経典も実際には歴史上の釈尊が
お説きになったものではないと明らかになってきていますが、渡海さんはそのあたり
どのようにお考えでしょうか?
26 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/03 20:26
>>25 経典は歴史上の釈尊が説いたものじゃない。こういう結論が仏教文献学から出てくる。不
思議じゃないと思いますよ。経典は、歴史上の釈尊が説いたものではないんでしょう。
大乗経典は釈迦の直説です。僕はそう主張します。経典は釈迦の直説という主張は、文献
学的主張として言っている訳ではないんです。経典は歴史上の釈尊が説いたものじゃないと
いう主張と、釈迦の直説であるという主張とは、次元の違う話です。だから、並立するんで
す。経典は釈迦の直説という主張は、釈迦の魂に触れた主張です。文献学で先人の魂に触れ
ることはできないと考えます。僕はそう思います。僕は、解剖学を否定するつもりはありま
せん。解剖学は大事な学問でしょう。でも、解剖学と臨床医学とは、違った結論を出す。臨
床医学は人の痛みと向き合います。解剖学だけでは、生きた人間の心に触れることができな
いでしょう。仏教も、先人の心に触れる体験がないと実体を見失うと考えます。
経典は歴史上の釈尊が説いたものかどうかと言うことは、実はどうでもいいことなんです
よ。どうでもいいことなんだけど、大乗経典は釈迦の直説ですと僕らは主張する。先人の心
に触れているからです。大事なことは、先人の心に触れることだ。僕はそう思います。
27 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/05 19:27
>>25-26 26の内容で通じたのかな?。通じてないのかな?。不安がある。「先人の心に
触れる」と書いたけど、ベロさん。「先人の心」って何だか分かりますか?。「先
人の心」の内実が分からない可能性がある。
他人がどう思っても勝手だけど、仏説非仏説説なんて、枝葉の事実を仰々しく
言い並べる小賢しい若造のトンチンカン議論のような感じがしていますよ。
>>1 >親鸞聖人の仏説観
いのちあるもの全てと共に歩んでいくための原理(共生原理)だと思いますが・・・
>渡海難氏
難しいです。簡単にお願いします。
書けよ!ぼけ
30 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/02/06 04:36
古来、大乗仏教の本義は「文に依らず義に依るべし」って言われていますから、
釈尊の魂に触れると言うのは、いかにもいかにもホントに大切な事ですね。
まあ僕の思う「釈尊の魂」、「先人の心」に触れるというのは「智慧」と「慈悲」
に触れると言う事だと思っています。「智慧」によって、どのように生きて行く
のが正しい生き方なのかを教わり、「慈悲」によってあらゆるいのちと共に幸せに
生きたいと教わった事です。そういう魂に触れる事ができたのなら、それが歴史上
の釈尊が説いた事か否かなどは、確かに些細な事ではありますね。
なのか、
31 :
名無しさん@3周年:03/02/06 19:05
>>25 >古代・中世の中国や日本の祖師方は、歴史上の釈尊の説法として経典を仏説と受け入れ
観無量寿経には、「是心作仏 是心是仏」とあり、華厳経には、「心造諸如来」とあるようですが、どう思われますか?
仏とはこのようなもの(歴史的存在を超えたもの)として受け入れられていたと思われますが。
祖師方が経典の文句を無視しておられたとは考えられません。
32 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/06 19:47
>>28 :平顕くん
>いのちあるもの全てと共に歩んでいくための原理(共生原理)
我が家の庭にある木は土の中に根を張っています。木は歩けないんですが、貴方は
どのような原理で共に歩むんでしょうか。植木鉢に移し替えてロボットの足でも付け
ましょうか?。
近所の家に居候している猫は、こちらが共に歩もうとすると、逃げます。どのよう
な原理なら共に歩んでいけるのでしょうか。どこぞのカルト宗教は、教祖が座ったま
ま宙に浮かんだという。おかしなことを言う坊主は世の中に腐るほどいる。
>難しいです。簡単にお願いします。
電波なカルトにチノーが汚染されてる人に分かりやすく話をすることは不可能だ。
小菅刑務所には貴方の考えに賛成する人が住んでいる。教えを請いに行くといい。
>>29 :平顕くん
>書けよ!ぼけ
<書いたぞ。ま、カルトの頭に分かるように書くことは不可能だよ。>
33 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/06 19:52
>>30 やはり僕の考えは通じてないようです。
先人の心は何か。「この経典は素晴らしい本なんだ。ぜひこれを読んでくれ給え。自分
の講義の中身は、この本をベースにします」。これが先人の心だと僕は思っています。
「駅前のラーメン屋のラーメンは、日本一だよ」。友人がこういう。貴方はどうします
か?。北は北海道から南は鹿児島、沖縄まで日本中のラーメンを取り寄せ、分析・検討し
ますか?。醤油の量はどれほどか、塩の量はどうか。麺の堅さはどの程度か。科学的に分
析しますか?。分析してどうなりますか?。結局、友人の言う駅前のラーメンは日本一で
はなかった。鹿児島にもっと旨いラーメンがあった。鹿児島ラーメンが日本一だった。駅
前ラーメンは第二位だった。そう分かったら、友人は間違っていたことになりますか?。
「駅前のラーメン屋のラーメンは日本一だ」という話は、どういう意味なんですか。日
本一かどうかなんてどうでもいい話なんです。「あそこのラーメンは、なかなかお目にか
かれない旨い味だから、一度食いに行ってみろや」。そういう文脈の友情表現の一つなん
です。
経典が書かれた時代は、現代とは大きく様子が違います。現代でこそ、経典が大量に印
刷製本され、経典は単独で商品流通機構の中を流れます。昔は、ほとんど大寺院で保管さ
れ、必要に応じて書写されました。
昔は経典はお師匠さんから渡されました。お師匠さんは何というか。「これはつまらん
本だから読みなさい」と言ったと思いますか。そんなことは決して言わない。「素晴らし
い本だから是非読みなさい。自分も貴方に対する話は、この本を教科書にする」。多分、
そう言ったんでしょう。
34 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/06 19:53
お釈迦様の仰った言葉だというのも、文脈の上での話でしょう。お釈迦様の肉声を記述
したものかどうかということは、本当は大きな問題ではない。話の次元は、「日本一のラ
ーメン」の類です。日本一のラーメンかどうかは食べれば分かる。食べて旨ければ、それ
が日本一のラーメンだ。日本中のラーメンを取り寄せ、分析・検討するような文献学者は、
友情が分からんやつだ。
「貴方にとって素晴らしい本だから読みなさい」。先人はそう言って僕らに薦めてくれ
ている。仏説かどうかなどは問題じゃない。いい本だから読みなさいと言っているだけだ。
我々を教え育てようとしてくれている先人達の、智恵と慈悲を含んだ友情の分からんやつ
は、結局、日本中のラーメンを食い歩くしかないでしょう。
仏説でもないものを、なぜ仏説というのか。日本一でないラーメンを「日本一」という
友人の心に通じる。「日本一」とでも言わないと、相手は食いに行かないだろう。「日本
一」と言えば、他には行かないで一度は食いに行くだろう。行けば良さが分かる。「仏説」
とでも言わないと読まないだろう。お釈迦様の直説と言えば、嘘でも目を向けてくれるだ
ろう。そう思って、親切心で言ってくれている。「日本一のラーメン」と言えば、日本中
のラーメンを取り寄せて分析し、科学的に研究するだろうなどと、そんな余計なお世話の
文献学者の出しゃばりなどは、誰も想定してないでしょう。
35 :
名無しさん@3周年:03/02/07 21:40
>>25 歎異抄には、
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。
とあります。
これは、
>歴史上の釈尊の説法として経典を仏説と受け入れ
というのとは違うように思います。
どうでしょうか?
36 :
名無しさん@3周年:03/02/08 19:34
>>25 密教経典は大日如来が説かれたとされているそうですが、大日如来は歴史上の仏ではありません。それでも仏説として認められていました。
果たして、
>古代・中世の中国や日本の祖師方は、歴史上の釈尊の説法として経典を仏説と受け入れ
というようなことだったでしょうか。
歴史上の釈尊の説法ではない仏説として受け止められていた可能性の方が高いと思われます。
>渡海 難
まともに議論したかったのに真っ向からの討論はあまり好きではないですか?
スレ違いを承知ですが少しお付き合いください。
仏教の考え方に身土不二という言葉がありますが、「身と土を切り離さない」
身(主体)と土(環境)との関係の中で、人間を具体的に捉えて行こうとするもの。
『浄土論』に「浄土」の世界が、器世間(環境)と衆生世間(主体)によって明らか
にされている。
環境において主体を考え、主体において環境を考えていく、具体的な人間確認で一貫
している。
このような身土不二の考え方で「自己とは何?」ということを考えてみると決して他と
切り離して問うものではなく、現実社会の様々な問題と自己を問うべきじゃなかろうか?
「仏教とはわが身を明らかにする」と考えますが、あなたは他者と世界から切り離し
て自己を想定しているのでは?
自己とは他者と共に生き、世界と共にあるということ。
その点を見落としているのでは?自分の周りの世界で戦争が起ころうが差別事件が
続こうが経済的な利潤追求のために豊かな自然環境が破壊されようがそれらの現実問題と
全く無関係に仏教が学ばれているならば仏教は人間を本当に解放(救済)する教えに
なるでしょうか?。
現実に立ち上がって生きる、そういう自己を見いだしていく、そこに「現生正定聚」を
明らかにする親鸞聖人の浄土真宗が存在するのでは?
現実を捨てず見据える自己確認が浄土真宗、これが普遍宗教といわれる所以だと思います。
決して現実の様々な問題と無関係に仏教が存在しているのではなく仏教は現実のただ中に
人間として生きることの課題を明らかにするもの。それは自己の世界をまるごと問いきる問いとしての
意味で共生原理と言う言葉を使わせてもらったのです。
渡海さん、あなたの家にある植木は一緒に散歩する事はできないけどあなたに諸行無常を
教えてくれる事は出来ますよ。
追伸
29のレスは私ではありません。
39 :
名無しさん@3周年:03/02/09 01:45
渡海 難 必死だな(藁
論文書いてるんじゃないからさぁ。
40 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/02/09 21:15
>>38 :平顕くん
>29のレスは私ではありません。
これは大変失礼申し上げた。28と29の書き込み者が非同一人であれば、32の
カキコは筋違いとして無視してくださることをお願いしたい。
>>40 こちらこそスミマセン・・・(ややこしくて)
で、本当に29のは私ではありません。