84 :
仏の教えについて:
>75さんへ
法に対する執著について
〔筏の譬喩〕
「修行僧らよ、実にかくのごとくにここに或る善男子らは法を完全に体得する。
すなわち、経・応頌・授記・諷踊・感興語・如是語・本生・未曽有法・方広を完全に体得する。
かれらはその法を完全に体得して、それらの法の意義を智慧もて究明する。それらの法はそれらの意義も智慧もて
究明しつつある人々を歓喜せしめる。
かれらは論結の快を貪るために、饒舌にふける快を貪るために法を学ぶのではない。
かれらが法を学ぶ真の目的を体験しようとするのである。
それらの法がよく解せられたならば、かれらに永く利益・安楽をもたらすこととなる。
そのゆえはいかん。もろもろの法が良く理解されたからである。
それ故に、ここにわたくしの説いたことの意義を理解しそのままに受持せよ。
85 :
仏の教えについて:03/02/04 22:19
またもしもわたくしの説いたことの意義を理解しないならば、それについてわたくしに問い返すべきである。
あるいはまた賢明なる修行僧らがあれば、かれらに問うべきである。
修行僧らよ、汝らが救い渡されんがために、執着せざらんがために、筏の譬喩の法をわたくしは説くであろう。
それを聞き、よく思念せよ。今からわたくしは説こう」と。
「かしこまりました」と修行僧らは尊師に答えた。
そこで尊師は次のことを説きたもうた。
「修行僧らよ、譬えば街道を歩み行く人があって、途中に大水流を見たとしよう。そうしてこちらの岸は
危険で恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに
渡し舟もなく、また橋もないとしよう。
そのときかれが思うに、<これは実に大水流である。そうしてこちらの岸は危険で恐ろしく、かなたの岸は
安穏で恐ろしくない。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡し舟もなく、また橋もない。さあ、
われは草・木・枝・葉をあつめて筏を組み、その筏に依って手足もて努力して安全にかなたの岸に渡ろう>と。
そこでその人は草・木・枝・葉をあつめて筏を組み、その筏によって手足で努めて安全にかなたの岸に
達したときに、次の思いが起ったとしよう、すなわち<この筏は実にわれに益することが多かった。
われはこの筏によって手足で努めて安全にかなたの岸に渡り終えた。さあ、われはこの筏を頭に載せ、
あるいは肩い担いで、欲するがままに進もう>と。
86 :
金正日MkU改 ◆/0GEPxZNjA :03/02/04 22:21
2CHは饒舌にふける快がなければ存在できないわけだが。
87 :
仏の教えについて:03/02/04 22:22
あるいは肩い担いで、欲するがままに進もう>と。
修行僧らよ、汝らはそれをどう思うか。かの人はこのようにしたならば、その筏に対してなすべき
ことをなしたものであろうか。」
〔修行僧らいわく〕「そうではありません、尊師よ。」
〔尊師いわく〕「しからば、修行僧らよ、その人はどうしたらなば、その筏に対してなすべきことをなした
ものとなるであろうか。ここにかの人が渡り終わってかなたの岸に達したとき、次のように思ったとしよう、
すなわち<この筏は実にわたしに益することが多かった。わたくしはこの筏によって手足で努めて安全に
かなたの岸に渡った。さあ、わたくしはこの筏を岸に引き上げ、あるいは水上に浮べて、
しかるのちに欲するがままに進もう>と。
修行僧らよ、かの人がこのようにしたならば、その筏に対してなすべきことをなしたものであろう。
修行僧らよ、このように、救い渡されんがために、執着せざらんがために、
この筏の譬喩の法をわたくしは説いたのである。
修行僧らよ、実に筏の譬喩を知っている汝らによって法もまた捨てらるべきである、いわんや非法をや。」