☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆Part2

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263名無しさん@M:03/03/09 18:20
・・・・・ トマスの告白 ・・・・・
【ヨハネ20:28】 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

ギ) ホ  キュリオス  ムー   カイ   ホ  セオス   ムー
英) The Lord  of me  and  the  God  of me   My Lord and My God.
日)     主   私の  そして     神    私の    「 私の主。 私の神。 」
264名無しさん@M:03/03/09 21:23
>259の修正版です

ギ) エン    【アルケー】   エーン  ホ  ロゴス,
英) In the beginning  was  the Word      In the beginning was the Word,
日)       初めに  あった  ことばが      初めに、ことばがあった。 

カイ   ホ  ロゴス  エーン  プロス  【トン セオン】,
and  the Word  was   with   the God     and the Word was with God,
そして ことばは  あった とともに    神      ことばは神とともにあった。   

カイ   【セオス】  エーン   ホ  ロゴス.
and   God   was   the  Word          and the Word was God.
そして  神   であった  ことばは          ことばは神であった。   
265231-235:03/03/10 13:08
>256-264のレスを読みました。254さん、>>258の指摘の通りかと思います。

>256 キリストがミカエルであるというのが聖書の真理であると信じているのか?とのご質問に答えます。

信じていません。

「妥当な推測だと判断する」のみです。証拠を組み立てて推理する人のような気持ち。
ドラマでも、「信じたくはないが…」てな感じの台詞がありますね。
だから、ヘブライ・アラム・ギリシャ語聖書の記述と不整合なら、たとえ不愉快でも不当だと判断するでしょう。
つまり、「妥当な判断」と「信じる、信じない」とは少し違うと思っています。

そういう意味で、「信じていません」
266名無しさん@3周年:03/03/10 13:30
そういう意味で
267名無しさん@M
>257(=254)さん。>265さん。
>231-235、>238で挙げられた聖句について、検討を始めました。
難解(てゆーかわかりにくい)なので、しばらく時間をください。
遅くとも、一ヶ月以内には回答できると思います。

>259-262の ヨハネ1:1については、私が、今から14年ほど前にいろいろ
調べてまとめたことどえす。 
思い起こせば14年前、>260のように頭の中で整理されるまでには、
かなりの時間がかかったのだ。
それが、こうして他の人に読んで頂けるとは、思ってもいなかった。
・・・でも、少し訂正しておきたい。
>260
× A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 【言葉は神性を備えた者であった】。
○ A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 【ロゴスは神性を備えていた】。