1 :
名無しさん@1周年:
あるいは原始仏教について語り合いましょう。
ゴータマ・ブッダ(仏陀釈尊)の真の教えは何だったのか。
2 :
名無しさん@1周年:02/11/25 15:22
正しく生きよう(八正道)ってことでは?
3 :
名無しさん@1周年:02/11/25 15:25
ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、すべて
歓喜せよ。そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。
(真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・
道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福
に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくるこ
とがない。
6 :
名無しさん@1周年:02/11/25 19:38
「〜 遠ざかり離れることと平安の境地をお尋ねします」
「修行者は 〜 どのようにして、〜 安らいに入るのですか?
7 :
名無しさん@1周年:02/11/25 20:09
「われは考えて、有る」←これは「迷わせる不当な思惟」
「この根本をすべて制止せよ」
>>8 上記読ませていただきましたが、考えが方が違うようなので、別スレで
お願い致します。このスレッドでは、
1)議論はしない。
2)他を非難するために経典を引用しない。
そういう方針で、静かに仏教の勉強をしたいと思うのですがいかがでしょうか。
内的にでも外的にでも、しかなることがらをも知りぬけ。そかしそれによって
慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説か
ないからである。
しかなる ○いかなる
修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に
平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てら
れるものがあろうか。
この世また来世におけるかなる富であろうとも、天界における勝れた宝で
あろうとも、われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝
れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。
14 :
名無しさん@1周年:02/11/27 11:05
心を統一したサキヤムニは、(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに
到達された。 ― その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた
宝は理法のうちに存する。この真理によって幸せであれ。
15 :
名無しさん@1周年:02/11/27 11:10
スッタニパータ236
われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、
神々と人間とのつかえるこのように完成した(目ざめた人)(ぶっだ)を礼拝
しよう。幸せであれ。
16 :
名無しさん@1周年:02/11/27 11:11
スッタニパータ237
われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、
神々と人間とのつかえるこのように完成した(教え)(ぶっだ)を礼拝しよう。
幸せであれ。
17 :
名無しさん@1周年:02/11/27 11:13
↑訂正
スッタニパータ237
われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、
神々と人間とのつかえるこのように完成した(教え)を礼拝しよう。幸せであれ。
18 :
名無しさん@1周年:02/11/27 11:13
スッタニパータ238
われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、
神々と人間とのつかえるこのように完成した(つどい)を礼拝しよう。幸せであれ。
こよなき幸せ
スッタニパータ258
「多くの神々と人間は、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を
説いてください」
スッタニパータ 259〜269
― これがこよなき幸せである。
10種(11種)の、こよなき幸せとは何であるか?
259
諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき
人々を尊敬すること、― これがこよなき幸せである。
260
適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい
誓願を起こしていること、― これがこよなき幸せである。
>>1 あらゆる仏教系宗教の根本「釈迦」について語る
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036764832/ ですか?真の教えは何だったのか。方便以外は真実だと思いますが。
肝要の教えは何だったのか?「人それぞれに必要な教えは違うから、
智慧をもって選択しろ」っていうのは、弟子の作り話?
そもそも、どうして、存命中にお経を作らずに、滅後、予見通りの大混乱を引き起こさせたか。
釈迦は、正法、像法、末法に、必要な教えの根を植えたと(役目)。
(そして、教えは、時代を経るにつれて、創作や改変が加えられることもお見通しのはず。)
仮に、完全に心身をゆだねるべき真の教えがあったとする。
信じられなかったり、実践できなかったりすると、どうなるか!!
地獄行きも修行のうちで真の法則にのっとっている。
つまり、真の教えとか肝要の教えは何かとか問うことは、無意味である。
(八正道、縁生・因果応報、仏と仏国土、空、経典、方便、他なにか・・・すべて必要、真の教え)
では、極楽往生できる教えは、あるのか?どれか?
25 :
名無しさん@1周年:02/11/28 13:48
261
深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、
ことばがみごとであること、― これがこよなき幸せである。
262
父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、
― これがこよなき幸せである。
263
施与と、理法にかなった行ないと、親族を愛し護ることと、
非難を受けない行為、― これがこよなき幸せである。
264
悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、
― これがこよなき幸せである。
265
尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、
― これがこよなき幸せである。
266
耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、
適当な時に理法についての教えを聞くこと、― これがこよなき幸せである。
267
修養と、清らかな行ないと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルバーナ)を
体得すること、― これがこよなき幸せである。
268
世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れ(けがれ)
を離れ、安穏であること、― これがこよなき幸せである。
269
これらのことを行なうならば、いかなることに関しても敗れることがない。
あらゆることについて幸福に達する。― これがかれらにとってこよなき幸せである。
スッタニパータ
第二 小なる章
四、こよなき幸せ
わたしが聞いたところ似よると、― あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー
市のジェータ林、(孤独な人々に食を給する長者)の園におられた。そのとき一人の
容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。
そうして師に礼して傍らに立った。そうしてその神は、師に詩を以って呼びかけた。
続いて、258〜269 でした。
「これを守れば人は幸せになれる」という貴重な教えです。
36 :
名無しさん@1周年:02/11/28 15:58
きつくいいます。
根本とか、真の教えとか、
自分の信心が、釈迦に近くて、正しくて、本流で
他は、支流とか方便とか創作とかいうような、雰囲気のタイトル、高慢です。
その教えが真実であるかは、各自の判断するところ。
真の教え=釈迦の本当の教えを語ろう、というのは、高慢です。
スレッドのタイトルや、1番目の文章、考えてください。
根本とか原始は、当時を見渡せる方以外は、推測の域をでません。
>>1-5 もし、八正道の話がしたいなら、賛成ですので快く参加させていただきます。
ただ、根本とか真の教えとかいう言葉は、高慢さが鼻につきます。不愉快です。
スッタニパータ経、たしかに、安らかに清らかになりますね。
真実の教えが礼讃の体をとって凝縮されていると思います。
>>23 あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、― これがこよなき幸せである
これ、気に入りました。あぁ、我、凡夫哉。
自分が前世で功徳を積んでいて、正しい誓願を起こしていると、勘違いするとは。
37 :
名無しさん@1周年:02/11/28 23:43
★サークル除名されメールで嫌がらせ、容疑の早大生逮捕
・警視庁ハイテク犯罪対策総合センターと小平署は28日までに、川崎市
多摩区菅馬場3、早稲田大学3年、青木秀輔容疑者(23)を不正アクセス
禁止法違反の疑いで逮捕した。
調べによると、青木容疑者は8月9日から9月29日ごろにかけて、同じ
大学に通う女子学生(20)のID番号、パスワードを無断で使い、メールを
管理するサーバーに不正に侵入した疑い。
女子学生が送信したことのある友人、知人に、わいせつな画像を添付したり
女子学生を中傷するメールを78回にわたって送るなど嫌がらせをしていた。
青木容疑者と女子学生は同じサークルに所属していたが、青木容疑者は
素行が悪いとして7月に除名処分になっており、「部長を務めていたこの
女子学生に腹を立ててやった」と容疑を認めているという。
38 :
名無しさん@1周年:02/11/29 00:19
こんぽんがダメだと思う人は、
「根本=ねもと」と読めば良いのでは?
仏教の根っ子は何だったんだろう?
39 :
名無しさん@1周年:02/11/29 00:22
しかし、今日一日は教えに反した事に走ってしまったような気がする。
煩悩無尽、誓願断。
根本仏教なんていうからには、
今後このスレで姉崎正治の名前がでたりするんだろうか?
ってのは野暮?
41 :
名無しさん@1周年:02/11/29 11:03
270
貪欲(とんよく)と嫌悪はいかなる原因から生ずるのであるか。
42 :
名無しさん@1周年:02/11/29 11:14
271
貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好き嫌いと身の毛のよだつことは、自身から
生じる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、― あたかもこどもらが
烏を投げすてるように。
270
貪欲(とんよく)と嫌悪はいかなる原因から生ずるのであるか。
好き嫌いと身の毛のよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。
諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?― あたかも
こどもらが烏を投げすてるように。
44 :
名無しさん@1周年:02/11/29 15:34
>>36さん
きつくは言いませんが・・・
>スッタニパータ経、たしかに、安らかに清らかになりますね。
>真実の教えが礼讃の体をとって凝縮されていると思います。
真実の教え・・・。 自分が言っている端から・・・・。
45 :
名無しさん@1周年:02/11/29 19:05
誰か「アシタ」(たぶん、サンスクリットかパーリ語)について教えて下さい!!大至急
46 :
名無しさん@1周年:02/11/29 21:03
アシタ仙人?
47 :
名無しさん@1周年:02/11/29 21:19
仏陀の瞑想の師匠だった人
今でいえば仙人というより、ヨーガの達人といったとこか。
48 :
名無しさん@1周年:02/11/29 21:26
仏陀の将来を予言した人じゃないの?
(同名の人が多いみたいだけど)
49 :
名無しさん@1周年:02/11/29 21:37
ブッダは、生きながら死人の霊魂の境地を知り、この上なき最上の喜びの
境地ニルヴァーナを得とくして、人の存在は苦しみであると知った人。
しかし、無有愛は地獄への道であると言っているように、自殺者は地獄へ陥る
とも言っている。
わが身の存続を続けながら、この世で安楽な生き方をしようとするなら、煩悩を
全て断つこと、これより他はないと言っている。
アシタ仙人の事では無く、「アシタ」という言葉(単語)の意味、誰かご存知無いでしょうか?
51 :
名無しさん@1周年:02/11/29 23:19
ああそうか!ねもとさんが信仰している仏教だね!
53 :
スッタニパータ要約:02/11/30 17:08
1.怒りをコントロールせよ
2.愛欲を断ってしまうのだ
3.妄執を断て
4.驕慢を滅し尽くせよ
5.生存状態に堅固なるものは無い
6.怒りを捨て、栄枯盛衰を超越せよ
7.想念を焼き尽くせよ
8.すべての妄想を乗り越えよ
9.貪りを離れよ。世間における一切のものは虚妄であるから
10.貪りを離れよ。一切のものは虚妄であるから
54 :
スッタニパータ要約:02/11/30 17:11
(10.貪りを離れよ。一切のものは虚妄であるから)
11.愛欲を離れよ。一切のものは虚妄であるから
12.憎悪を離れよ。一切のものは虚妄であるから
13.迷妄を離れよ。一切のものは虚妄であるから
仏陀も「むさぼりと嫌悪は自分自身から生じる」と言っている。
それなのに仏教スレで「お前の書き込みは不愉快だ」とかなどと言う輩がいる。
そうじゃないのだ。
不愉快は相手のせいではなく、自分から生じているのだ。
いかなる書き込みを見ようが、怒ったり不愉快になったりしたら、それは相手じゃなくて自分自身のせいだ。
自分自身が反応してしまうから、怒りや不愉快が生じる。
「不愉快な思いをさせてしまったらすいません」などと言う輩がいる。
そうじゃないのだ。
たとえ自分の書き込みで他人が不愉快になったとしても、なぜ謝る必要がある?
書き込みを見て反応してしまうその人自身が、その不愉快の原因なのだから。
56 :
名無しさん@1周年:02/11/30 22:42
大変な間違いをしている方がいるな
貪欲(とんよく)と嫌悪はいかなる原因から生ずるのであるか。 諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ
貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好き嫌いと身の毛のよだつことは、自身から生じる。諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか
58 :
名無しさん@1周年:02/11/30 23:16
瀬戸内尼の「仏陀」読んだ?
むさぼりや、怒り、嫌悪だけではない。
自分に関わる一切が、自分自身を原因とする。
自分自身に責任がある。
自分自身から発して、自分自身に帰ってくる。
それが「自分の行為(カルマ)は自分が受ける」すなわち「自業自得」ということだ。
そして釈迦によればそのカルマ、すなわち貪欲、怒り、嫌悪といったすべてが、実は妄想だというのだ。
その諸々の妄想を妄想と気づくことによって、カルマから離れ、輪廻(サンサーラ)の輪から離れて解脱するというのだ。
例1 みんなで仲良く正義を守ってやっていこうとするときに、その和を乱す人がおって、
それを不愉快と思うことは、人間として自然なこと。
例2 天人が、地獄の臭さに絶えきれずに、嫌悪するのは、体(心か?)の摂理。
かわいそうな人と思って、何もせずに見守りますか?
この時に「間違いじゃないか?」と問いかけるのも、いい手段。
「不愉快だぞ」って自分の気持ちを表すのも、いい手段。
みんなと仲良く気持ちよくやっていきたいから、
「不愉快だったらスマン」でいいんじゃない?
それと、幸せや安らぎも妄想だろう?
死後の世界=心の世界=妄想の世界ですか?つまり、実在しないということ?
しかし、天国・地獄でも安らぎや苦しみという実体がある。
実体があれば妄想という言葉はふさわしくない。
安らぎや苦しみも心しだいというべきでは。
なんか、話きいてると、
小如来ばかり住む世界ができそう。
如来ばっかり出来てしまっては、人間つくった意味がないのでは?
だから、小如来めざす人は、小乗とけなされるのでは???
63 :
名無しさん@1周年:02/12/01 15:22
>>61 さん
仏陀の教えには,出家のためのものと在家のためのものがあります。
それを分けて考えましょう。あなたがコメントされているのは出家
に対する教えだと思います。
>>56 さん
>大変な間違いをしている方がいるな
いや、
>>55さんは、楽しませようとわざと書いているんでしょう。
65 :
名無しさん@1周年:02/12/01 21:30
66 :
名無しさん@1周年:02/12/01 21:47
>>60 まず第一に、
「みんなで仲良く正義を守ってやっていこうとするときに、その和を乱す人がおって、
それを不愉快と思うこと」と
「他人の書き込みを見て怒り狂ったり不愉快になったりする」こととは、ぜんぜん違いますね。
具体的現実的な状況と、単なる画面にうつった文字とでは違います。
具体的な苦痛を拒否することと、文字を目で見ただけで反応してしまって不愉快になることでは、違います。
さらに言えば、和を乱す人がいようが、我を失い怒り狂い不愉快になる必要はないはずです。
仏陀が、「もし和を乱す人がいたら、不愉快になって怒り狂って、彼を追い出せ」と教えましたか?
そんな教えはないはずです。
私ががっかりすることは、仏陀の教えを現実問題に適用することを考える人、できる人が極めて少ない事です。
2ちゃんの書き込みにも仏陀の教えは当てはまります。
それは書き込みと、感情を切り離すことです。単なる画面上の文字に反応しないことです。
68 :
名無しさん@1周年:02/12/03 11:52
自然にそうなればいちばん良いんだよね。
69 :
名無しさん@1周年:02/12/16 12:54
ねもと仏教
70 :
名無しさん@1周年:02/12/23 02:48
age
根本仏教は宗教ってより哲学に近いと思うんだが・・・
時と場所によって姿が変わって、解釈を変える為に歴史も捻じ曲げられた
だけではないか?
ねじ曲げられたというよりは、その時代や文化、環境により自然に変わって来たんじゃないかな。
まぁー諸行無常を説く仏教なんだからいいんじゃない。二千五百年前の教えそのままで今救われるとは限んないし
73 :
名無しさん@1周年:02/12/24 23:24
仏教だけの仏教ならではの素晴らしさって何処だろう。
大乗も含めて主張希望!
>>71 哲学よりは宗教に近いと思うけど。
まあ、思想、かな。
でも、やっぱり仏陀の時代の仏教は、それなりに宗教的だったと思われ。
そもそもの初めから、上座部だけで仏教は成り立っていなかったと思うしね。
75 :
名無しさん@1周年:03/01/07 22:00
釈尊は真理に気付いた。
76 :
Dr.愛パッチ:03/01/14 18:43
純粋上座ヴィパッサナ 情報スレを作ると
悪いカルマをつむことになるか?
77 :
名無しさん@1周年:03/01/15 12:12
スッタニパータage
78 :
名無しさん@1周年:03/01/19 17:21
結局、釈尊は輪廻転生を否定したんですか?
肯定したんですか?
79 :
名無しさん@1周年:03/01/19 17:44
大乗仏教は釈迦の教えではなく、後代の創作。
80 :
名無しさん@1周年:03/01/19 17:49
↑
そんな事いったら
上座部も大半は、後世の作。
81 :
名無しさん@1周年:03/01/19 19:41
過去七仏こそ人類のスピリチュアリティといえるでしょう
82 :
名無しさん@1周年:03/01/19 20:01
上座部ってなに?
過去七仏ってなに?
83 :
名無しさん@1周年:03/01/19 21:19
サーチエンジンをグルとしませう
85 :
名無しさん@3周年:03/03/09 07:10
四法印と三帰依と二帰依が、根本だと思う。
86 :
名無しさん@3周年:03/03/10 12:23
(^^;)
88 :
名無しさん@3周年:03/03/27 01:58
大いにage
秋にはダライラマも来日されます。
89 :
名無しさん@3周年:03/03/27 16:05
ナンミョーホーレンゲキョー
91 :
名無しさん@3周年:03/04/13 01:25
四諦が真理でしょ
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
93 :
名無しさん@3周年:03/05/07 01:02
age
>>1 >ゴータマ・ブッダ(仏陀釈尊)の真の教えは何だったのか。
こんなんがあったので、、、参考まで、、、
>>2 >>4 > 略)統合された生命についての哲学が見失われると、生命が提供するものは
> すべて実存の表面レベルにある、という考え方が優勢になりました。そして、
> 内側深くに潜んでいるものについては、求めることすら無駄であると思われ
> るようになってしまったのです。このような表面的な見方が社会を支配する
> ようになった結果、「実在」への洞察は見失われ、正しい価値観も忘れ去ら
> れて、生命の安定性が破壊されてしまいました。そして、緊張、混乱、迷信、
> 不幸、恐怖などがはびこるようになったのです。
> 仏陀(釈尊)はこのような状況を正すために現われました。行動の領域が
> ゆがめられているのを見て、仏陀は正しい行動に関する教えを説きました。
> 「存在」すなわち永遠の自由(ニルヴァーナ)に立脚した意識レベルから、
> 仏陀は、自由の境地に確立された行動の哲学を教えました。「存在」に直接
> 接触することによって想念の領域を浄化し、社会における正しい行動のあり
> 方をもたらすために、仏陀は人々に瞑想を勧めました。仏陀の教えは完全な
> ものでした。なぜなら、仏陀が復活した教えの中には、「存在」、思考、
> そして行動の領域がすべて含まれていたからです。
> しかし、仏陀の後継者
> たちが、 瞑想の実践によって生命におけるこれらの異なる領域を体系的に
> 関連づける、ということを怠ったために、「存在」の実現が正しい生命の基盤
> である、ということが次第に不明瞭になってきました。仏陀の教えは、その
> 構造全体がゆがめられたばかりでなく、原因と結果が取り違えられ逆さに
> されてしまいました。正しい行動とは自由の境地に確立された意識状態の
> 結果である、というのが真理なのですが、正しい行動がニルヴァーナを得る
> ための手段である、と見なされるようになってしまったのです。
> 偉大な教師達はみな、こういった不幸を経験してきました。教師は高い
> 意識レベルから教えを説くのですが、弟子たちはそれを自分たちの意識レベル
> でしか受けとめることができません。こうして、説きを経るにつれ、教えと
> 理解との間の溝が大きくなっていくのです。
> 「存在」の実現がまず第一に必要であるのに、そうせずにいくら正しい行動を
> せよと説いたとしても、それは土台のない壁を築くようなものです。そのような
> 壁は風が吹けば揺れ動いて、ほどなく倒れてしまうでしょう。仏陀の真の教えと
> 弟子たちの日常生活との間にあったつながりは、三、四百年もたたないうちに、
> まったく消えうせてしまいました。統合された生命に関する原理が、またしても
> 見失われてしまったのです。「存在」の実現という最も大切なことを忘れて
> しまったために、社会は再び生命の表面的な価値に埋もれてしまうように
> なりました。(略
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
100 :
名無しさん@3周年:03/06/15 08:11
ブッダは、生死にする者。
死んだ者は何も苦がない。
そのように生存者もあれと言ってるんだ。
今日のNHKスペシャル(21:00〜22:00)は、
文明の道(03)ガンダーラ仏教大変革の地
▽謎の騎馬民族の祈り
▽発見最古の仏典
102 :
名無しさん@3周年:03/06/15 12:54
死んだ者のように、自身にこだわらず、世間の利得を追うこともなく
世間一切にそむくこともなく、あの世もこの世も望むことなく
何もも望まず、慈しみの心のうちに目覚めていて、人のいない林の中で
愛著なき快楽なき楽しみを得て、生死のない究極の安らぎに近づく。
103 :
名無しさん@3周年:03/06/26 20:59
104 :
名無しさん@3周年:03/06/26 21:40
飯は食わなくっちゃね。
105 :
名無しさん@3周年:03/06/27 21:44
生存の貪欲に押し流され、自分自身のことに常にこだわり、世間の利得を追い、
自分のこだわりのもと、集団のこだわりのもと、世間にそむくことを正しいと思い、
あの世のために生きること、この世のために生きることを常々心にとどめ、なにも
満足することなく、ないものに望みをかけ、吝嗇で哀れみの心もなく、快楽と享楽
を好み静けさを好むことなく、母体から母体へと生まれかわる。
本能・欲望のおもむくままに生きて、果たしてシアワセになれるか?との問い
107 :
名無しさん@3周年:03/06/28 00:53
たとえ、修行者にならなくとも、ブッダと真理の教えとに対して信仰心があり、
慈しみとあわれみと人を思いやる心を喜びの第一とし、修行僧のように林の中で
楽しみ、自然に接することを楽しみにし、静けさを好めば、心の安らぎが得られる
でしょう。ブッダは心の安らぎこそ幸せと説いており、その教えに少しでも従おう
とすることで、人の苦悩は少なくなる。
私にとっては、不満こそ大敵。欲望は不満を生む。今現在、不幸なことがない
ことに幸せを感じさせるブッダの教えです。
「かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、死時
には苦しみにおそわれて悲嘆する、― ここで死んでから、われはどうなるのだろうか
と。」―ブッダのことば
108 :
名無しさん@3周年:03/06/28 06:26
欲望を貪り、多く悪い行為や想念を起こした者が死ねば、必ず地獄に生まれ、
欲望少なく、慈悲心を起こす者が死ねば必ず天界に生まれる。
これが、釈迦の説。
109 :
名無しさん@3周年:03/06/28 07:31
釈尊の教えは"四諦八正道"、"生老病死"、それと八苦、後は初転法輪、仏説阿弥陀教。これらを見たら大抵いいんじゃないか?まあ観経と大経も押さえときや。
地獄の様子です。
『火はその中に満ちているが焔無く、煙無し。その上をくるくる巡り
歩いている。彼の皮、肉、血は熔けて短くなる。しかし、足を上げれ
ば元に戻る。このように無量の苦しみを受ける。
しかし、死ぬことはできない。必ず彼の不善行を尽きさせる。』
(阿含経より)
>>108 無常・無我も言わなきゃダメだよーーー。
112 :
名無しさん@3周年:
>>108
「無常」とは何か。「変化」「生」「滅」の三つです。
一切の苦しみはこの三つで造られます。生老病死憂悲悩苦
それはこの人間の世界の寿命が約80年と短いからです。
天界の一つ梵天界の寿命は一劫桁違いに寿命が長く、したがって
時間という概念はありません。