創価学会は無敵です。
創価学会は正義です
創価学会は最強です
悪を断固ゆるしません
創価学会をさらに声だ大にして叫んでいきます
創価学会を批判しようとも相手ではありません
創価学会こそ人類の未来のために必要です
悪と断固戦います
悪と断固戦います
創価学会の縁とは逃げることはできません
南無妙法蓮華経を唱えるべきです
さあ、今日も創価学会を中傷してこい!!
自分自身の弱さとたたかおう
日蓮大聖人も牧口先生も戸田先生も彼らは言うことをきかすことはできなかったついに最後まで信服させることはできなかった
その彼らはいったいどうなったか またそれをうけつぐ私たち創価はいまどうなったか みればわかることだ
私たちが主張してきたことが正しかったならば現実は隠しもしない げんたる事実があるだけだ
いくらそれを認めないと言ったところで事実は事実だ
中傷、批判しているものたちはただそれだけのこと、だからなんだというのか、
それで満足ならいくらでもいってな、君たちはそれ以上のことはなにもできない
批判だけは一人前、おかしいと思うならそれを変えてみなよ
まちがっているならきえてなくなるだけのこと だね
私が怒るべきことはあなたたちのようなことではない、戦争を引き起こす思想、悪そのものである
いのりのかなわぬはそうらわず というようにかなわないものはない
それを実生活で自分で体験していくことだ
創価の人のやっていることがおかしいというのはまず一人の人間に眼をむけたらどうだろうか
組織でいえばおかしいことやってない団体なんでないんじゃないだろうか
人間と人間がかかわる場合100人いれば100とおりだとおもう
人間が問題ばかりかかえてるから信心のすごさが証明できるように
非常識なことされた と人間をいくら責めても結局それは自分も人間だから自分否定になってしまう
創価を否定するのに人間を否定してもらちはあかないでしょう
むしろより人間らしいっておもうけどね 人をきずつけてしまったりするとこなんてね
わたしは創価と主張するにおいてやはり一人の人間にどこまで真剣になれるかだと思う
むこうがかってにはなから怒ったりする場合は別としてもちろん怒らせらり誤解させたり非常識なことしたりはいけないとおもう
ただ数や結果をおいもとめるのではなくほんとに幸せになってもらいたいと祈ることだ
人間的な問題として誤ったことをしていると明らかに認識できる場合
例せば子供がそういう状態のとき親ならば叱り付け、なにがなんでも
それば間違いだと わからそうと懸命に努力すると思う
しかしながら世間というものはそれを実行に移したとき、世間の目というもの
は厳しいもので、その出た杭をたたこうとする反応が出るのが人間社会と
いうものだ、むしろ間違っていることが分かっていてもそうするしかないんだ
という間違った諦観思想が世間の人間関係を潤滑にするものだなどと
勘違いしてしまうというのが普通だと思う
しかしそれをよく考えてみるとその場面ではその人たちの人間関係はうまく
いったとしてもうわべだけのこと、長い目でみていけば必ずあとでつけが回ってくる
互いに切磋琢磨し成長しようという気概がそこにはもはやない、人間の可能性に
限界を与えてしまうのではないか
もちろんその主張に正当性が普遍的になければ、それがただの個人のわがまま
な世界の押し付けでしかない、いま世界は創価をどうみているか冷静になってみてみて
ほしい事実というものを
創価学会こそ正義、創価学会こそ平和、創価学会こそ正統
他に日蓮大聖人をなのっても説得力がありません
くやしかったら創価学会に勝ってみてください。無理ですから
君たちのおかげでなお創価学会の勝利が確定していきます
今日はなかなか中傷クンたちがこないですな
いいたいことがあるならでてきなさいよ
こわくてでてこれませんか?
悪はやはり沈黙ですね
うそをいっている人がいつまでも無事でいられるわけがない
どうやら創価学会に屈服のようだね
悪よしりぞけ!!
デマよたちされ!!
創価学会の勝利です
創価の時代の到来だ!!
虚言をはく者どもよついに正義とは創価だと思いしったか!!