創価スレ@心と宗教板 Part03

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203学会員です。
>202
叩かれるの覚悟でマジレスします。

普通の人から見れば、紙に書かれた「南無妙法蓮華経」と言う言葉を拝んでいるのは
仏像のように目に見える物体がないので(本尊としては)よくわからないですよね。
では何故拝むのか。
私達はこの地球に生まれ、こうして生きているわけですが、もっと大きい枠組みには
『宇宙』があります。宇宙は不可思議で、とても神秘的な物。私達はそれと同じく
不思議で理解し難い『人間』と言うモノを、『小宇宙』と例えます。
世の中の物事にはすべて何らかの法則があり、地球は規則的に自転や公転を繰り返す。
それは秩序で、私達人間が生まれる何万年も昔から淡々と行われて来た事です。
ならば『小宇宙』である私達も、ある一定の法則が必ずあると考えられました。それが
『妙法』と呼ばれる物で、私達はそれを信仰しているわけです。

南無妙法蓮華経と言うのは、例えばそうですね、恐らく犬には犬の世界の言葉がある
でしょう。私達の目に見えない電波だって、そこら中を飛び交っている。だから実際に
電話が通じたり、ラジオが聞こえたりするわけです。
それと同じで、唱題をすると(『南無妙法蓮華経』と唱える事)仏や菩薩の世界に通じ
ていると考えられています。いわば仏や菩薩の世界の言葉なのです。そこで何をしたい、
これをしたいと仏や菩薩に祈り、お願いするわけです。

 なので私達は決して池田先生を拝んではいません。例えるならば、私達が妙法を実践する
為のインストラクターとも言うべきでしょうか。
 難しい事なので一言で言い表せなくてすみません。