788 :
祭り大好き!!:02/12/12 02:43
>>771-772続き
従って親鸞聖人は、善導大師や法然上人の真意(他力弘願念仏)をあきらかにする為に、釈意の隠密
の意をとられたのですから、顕説では、散善の一つである念仏が、実は付属持名の念仏であり、それは選択
本願の弘願念仏であること。顕説では、自力念仏であるが、実は、他力本願の念仏であること
をあきらかにされたのですから、親鸞聖人は、法然上人が諸善に対して廃立された念仏の真意が、弘願念仏
であるとされているのですから『観経』の念仏(付属持名)は、実義でいえば他力の念仏です。『大経』は、
法実・機権。『観経』は、法権・機実ですから顕義の権仮の法相を廃捨されているのであって、実義の念仏
を廃されているのでは勿論ないし、『観経』における念仏は、諸行に相対したものですから、その真義は、他力
念仏ですが、念仏自体の自・他力は、ここ要門での権・実廃立では判りにくいですが。親鸞聖人は、当面の十九
願のところで「これによりて方便の願(十九願)を案ずるに、仮あり真あり」と方便願と真実願の差別上ではなく、
方便願の当位で真・仮廃立され、「またこの『経』(観経)に真実あり。これすなはち金剛の真心を開きて、摂取
不捨を顕さんと欲す。しかれば濁世能化の釈迦善逝、至心信楽の願を宣説したまふ。報土の真因は信楽を正とするが
ゆゑなり。」(『化身土文類』)と十九願『観経』の方便の真意は、十八願弘願念仏であることをあきらかにされて
います。親鸞聖人の教化は、機実(五逆の悪人)に法実(十八願の南無阿弥陀仏)を勧められたものであることもあ
きらかです。機実は釈尊の言明です。私が知る知らぬとに関わりません。機実を知らぬものの為に要門を勧められた
のではありません。仮門の方便としての摂機・調機の用はお認めですが、われわれに勧められたのは、選択本願のお
六字(南無阿弥陀仏)ただ一つです。
789 :
祭り大好き!!:02/12/12 03:11
>>770 「大聖おのおのもろともに、凡愚底下のつみびとを」とも言われてますね。凡愚底下のつみびとである
自分にしか関心ないですね。
>>773 『改邪抄』の凡夫の三心は、仏智と相対したものですから、底下の凡夫の意というより、仏に対する自力
総体の意だと思われます。仏に対しては一切衆生が凡夫です。地前の菩薩も凡夫というのも何度か言いましたね。
>はいはい、そういうこと・・・
どういうことでしょうか?
790 :
祭り大好き!!:02/12/12 04:10
>>774 先ず、あなたの大行論と報恩説についての見解が不明ですね。「能所不二」などといわれている
ところみると豊前説に近いのな? それに五念非相発説だし。私は、報恩行は、法体大行の法体
に契当する相を持し、法体を顕現する故に法体大行に摂せれれるが、衆生の能行を以って「往生
行」たる大行とするのではないという説に一番妥当性を感じると述べました。この説も能所即所
行ですから「能所不二」説は同じですね。能所不二なら行体は一つですね。称名と前三後一は違う
というのでしょうか? 他力であれば、行者の能行は、往生行ではないが、所行は、法体であるか
行体は「仏智証得の行体」=往生の行体となりますね。ですから能行も所行に摂せられて法体の徳相
を顕すことになります。まあ、これは称名の話ですが、五正門を報恩行とする説でも他力に催される
行である限り原理は同じでしょう。他力でありながら行体が、法体大行(御名号)でない行とは何で
しょうか?
791 :
祭り大好き!!:02/12/12 04:49
>>790訂正
誤り 五正門 誤り 法体であるか 誤り 能所即所行
正解 五正行 正解 法体であるから 正解 能行即所行
>>775 >方便がなければ真実をあらわすことができない・・・・
だからこそ、仏様が方便をもってあらわしてくださった真実にいま入らせていただけるのじゃないですか?
>区別されています。
だから、どこにいまから、「観経の方便」に入ることをお勧めでしょうか?因みに先哲のお一人は、「観経方便
の願功に始終の二転があり、始転に約していえば、聖道の機類を引いて浄土の要門に入らしむることで、終転に約し
ていえば、すでに要門に入った機を弘願真実に通入せしめる。」とお示しですね。
>>774 >では「教えすすめ・・・
親鸞聖人はどう言われてますか?
ふわ〜! テツマン終了! 今日休みでよかった。昼まで寝ます。おやすみなさい。
792 :
祭り大好き!!:02/12/12 08:13
>>769に補足
寝付けなくなったのでw補足します。ここで言われてる「能遍計第八識説」(法執・所知障が、
八識まで残る)は、スティラマティの説(『大乗中観釈論』『中辺分別論復註』他)ですから、
「五性各別説」は、「能遍計第六・七識説」のダルマパーラの説(『成唯識論』)ですから、一緒
にするのはおかしいという指摘がありそうですが、この説でも我執・煩悩障は、第六・七識で退治
されうる能遍計なので不動地の菩薩は、煩悩障は、伏(現行)・断(種子)・捨(習気)しており、
無漏種子の現行なしには考えられないでしょう。その無漏種子につきましては、唯新薫、唯本有の両説
に折衷説があり、ダルマパーラの折衷説が通説とされています。無始来の聞薫習の種子の増上縁によ
り阿頼耶識に基ずく世界は転依され、聞薫習の種子の漸増が、阿頼耶識の漸現を導くという漸教の世
界ですから、無始来の聞薫習を認めるには、無始来の本有の無漏種子をある程度認めなければ、無始来
の菩提道が、無因で生起したことになりますからね。ここに「行仏性」の根拠を置かざるを得ません。念仏
者としては、法界遠流の正法の当体に弥陀法を置きたいところですが、精々「理仏性」ということになりますね。
天台でいうところの「正因仏性」ですね。了縁二性は(唯識でいう理仏性は)、阿弥陀様の場合、真実の仏智と
因位の万行に当たりますから、漸教とはなりませんね。ですからやはり菩薩乗においては、無始来の本有の無漏
種子を認めないと矛盾するわけです。
、
793 :
祭り大好き!!:02/12/12 08:16
>>792訂正
誤り (唯識でいう理仏性は)
正解 (唯識でいう行仏性は)
794 :
祭り大好き!!:02/12/12 08:22
>>793訂正
誤り 了縁二性
正解 (了・縁)因二仏性
795 :
ひさしぶり:02/12/12 12:56
質問は短いのに長ったらしい文章ばっかり続くのは
言い訳していると思うひとがいても仕方ないですね。
>>731 > 他の方のことは全くわかりません。
すべてはこの一言で終わっているのではないですか?
あなたがどう信じていようと勝手かもしれないが
「他の方」にも説かれている聖人の御教えは「全くわかりません」では
何を書いても無責任な論説であると判断されても仕方ないでしょうね。
>>765 ゴジラさん
はあー、あなたに聞いたのがそもその間違いでした
人の書き込みをまったく読まれていないようですね
あなたは自分では何も答えることができないくせにえらそうにいうだけの仔牛の一人なのか
それとも、それらの仔牛を裏で操っている患部上司なのか
まあ、渋長に絶大な信頼を寄せている人なのかもしれませんがね
どちらにせよ、私の質問の回答はしていただけないということだけ分かりました
だから、渋長からの報告の中に私の名前が出てくることはないですよ
待っていても無駄です
まあ、できれば、あなたにはこんなところでしか質問できないような会になってしまったことと
その下位にいる末端誨淫の気持ちを汲み取るぐらいのふところの広さを願いたいものです
まあ、戯言として聞き流してくれても構いませんが
797 :
祭り大好き!!:02/12/12 22:46
>>792訂正
誤り 阿頼耶識の漸現
正解 阿頼耶識の漸減
誤り 法界遠流
正解 法界等流
>>795 >質問は短いのに・・・
読まれる方の見方はいろいろでしょうね。
>すべては・・・
他の方がどうして仏縁をいただいたか(いただいてないか)は全くわからないのは事実ですからね。
798 :
祭り大好き!!:02/12/12 22:58
元s改印さん及び他の方(どなたでも)お願い。
元s改印さん、いつも勉強させていただいております。今後もよろしくお願い致します。
さて、私は明日から、数日間旅行に出ます。その間は、ROMることも難しいと思います。
その間に倉庫落ちしていたらログされたりされておりましたら、お構いなければ、ご協力
お願いしたいです。誠に勝手で我儘なお願いで恐縮至極です。今のペースなら大丈夫っぽいで
すけど何しろここに限らずs会関連スレは、終了が迫るとQマークでも出るのかw、途端に
ハイスパ(プロレス用語しかも元隠語スマソ)になる傾向ありますからね。重ねて宜しく
お願い致します。
799 :
名無しさん@1周年:02/12/12 23:20
>>795 漏れにして見れば
・ダミーサークル勧誘
・M貼事件
・無理矢理な製本同GHS
上のどれか一つでもs会は終わってると思うけどな。
カルトと判断されても仕方がない。
800 :
名無しさん@1周年:02/12/12 23:42
800
801 :
一懐疑現役:02/12/12 23:49
私思うんですが・・・。
s会のバリバリ現役さんは、法論の際s会の書籍に根拠を求めよなど
s会の中に根拠を求めようとしてるんですね。
これって、相撲で勝負しようとしている武蔵丸にプロレスの技をかけるボブサップみたいなものです。
教学聖典に法論の根拠になるものはという問いにしっかり「一切経」と解答があるじゃないですか。
なぜ、一切経に根拠を求めよとならないのですか?なぜs会書籍を根拠にとなるのですか?
これって、繰り返しいいますがリングで相撲をせよというのと同じですよ。
相撲をするなら正々堂々と土俵でしましょうよ。
>>798 祭り大好き!! さん、こんばんは。
こちらこそ宜しくお願い申し上げます。
ご丁寧にご挨拶いただきましたが恐縮しております。
「いつも勉強させていただいております」のは寧ろ私の方でありますので。
今後とも祭り大好き!! さんの足をひっぱりそうな気配がありましたら
容赦なくご教示いただければ幸甚です。
ご旅行中におけるスレの「ハイスパ」進行に備え、
まめにロムるように心がけますのでご安心ください。
それではお気をつけてご旅行ください。
ひさしぶりさん、もしこのレスをお読みでしたら、
現在レス作成中でありますのでいましばらくお待ちください。
いやあ、ひさしぶり氏いいですね。
親鸞会を必死に守ろうという気迫が伝わってきますよね。
彼は根が素朴で何事にも一生懸命な男なのです。
精神年齢の低さは大目に見てやってくださいね。
>>778 >「聞法は善ではない」ということでよろしいか?
然るに、「経」に聞と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無
し。是を聞と曰うなり。(信巻)
「横超」とは、即ち願成就一実円満之真教・真宗是れなり。(中略)一念須臾の
頃、速やかに疾く無上正真道を超証す、故に「横超」と曰ふなり。(信巻)
浄土真宗の至極は願成就文ですね。それゆえ親鸞聖人は「聞其名号」を勧められ
ています。聖人の見解は聞即信でこれは他力の信心です。「聞」は他力であるゆ
えに自力の諸善万行ではありません。自力が廃らなければ名号=仏心を受け取る
ことはできません。
>>778 >「六度万行」と言う言葉について誤解があるようなので一言。
>現代語の表現としては「なさけぶかさ」等の表現例を中村元先生も採用
あなたの教学体系では中村元先生はよろしいようですね。ところで中村先生は
初期(原始)仏教がご専門と思ってましたが、私の記憶違いでしたっけ?
「慈悲に聖道、浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、
かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、き
わめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈
大悲をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。」(歎異抄)
聖人は龍樹菩薩や曇鸞大師の三種の慈悲(衆生縁、法縁、無縁)を熟知されて
いたにもかかわらず、慈悲を二種に分けられたご真意が本当にわかっておられ
るのですか?
1)あなたが採用される中村先生説「なさけぶかさ」は聖道の慈悲ですか?
浄土の慈悲ですか?お答え下さい。
>>805(つづき)
大乗仏教がご専門の三枝先生は中村先生との共著でこう言われてます。
「六ハラミツとその全体を統括する般若ハラミツという完結された形に整備されて
ここにはじめて大乗を宣言する般若経が登場した、という粗筋が素描される。」
どなたか親切なおかたが既にご指摘されていましたが、六ハラミツのなかでは般若
ハラミツが最も重要であるのは大乗仏教のイロハですよね。
2)s会においてはなぜ勧誘と財施に代表される布施のみを異常に突出させて勧め
ているのかその理由がありましたらご説明ください?。そして、
「更に、各ハラミツの説明に、般若ハラミツによる裏づけが明確に論述されている。
夫れならば、般若ハラミツとは何か。それは、般若すなわち智慧のハラミツ(完成)
であり、また般若により、般若を内容とし、般若に基づくハラミツ(到彼岸)であっ
て、その般若とは次に述べる空の思想であり、それの徹底が般若ハラミツにほかなら
ない。そしてこの般若ハラミツが、布施ハラミツ以下のそれぞれにあまねく浸透し、
たとえば単なる布施を大乗の布施ハラミツたらしめる。」
失礼ながらあなたの日本語読解力については少々疑問をもたざるをえませんので、こ
の部分を要約いたします。あなたのおっしゃる「なさけぶかさ」で象徴される単
なる布施は般若の智慧=空の徹底がなければ布施行たりえない、布施行として成立し
ないということが書かれてあります。(つづく)
>>806(つづき)
さらに、
「ここにあげた空の思想は(中略)『こころにとどめつつも、とらわれるということがない』
『とらわれない』『無執着』と解される」
「したがって、たとえば布施は、(中略)『空』の思想の徹底した般若ハラミツに裏づけられ
ると、右の三つ(施者と受者と施物)はいづれも『空』であり、執着は消えて、施者においては、
布施した相手の受者に対しても、布施した施物にも、いっさいとらわれない、というあり方の布施
ハラミツが実現される。」
3)ひさしぶりさん、『空』の思想によって裏づけられて徹底した三輪清浄でなければ布施ハラミ
ツは実現しない、という文意ではないのですか?あなたの解釈はちがうのですか?
>浄土門では念仏以外のすべての善行を意味しており
4)あなたがこのように主張されるのならば、どの学者の説なのか根拠を具体的に
示すべきではないのですか?私は世間で認められている学者の根拠を示しましたが、
あなたは示せないということでしょうか?あなたは「オレの見解は本願寺でも認め
られている」などと何度も言われますが、「本願寺で認められている」という意味
が理解できません。以前誰か(たしか祭り大好き!!さん)が皮肉っておられまし
たが本願寺では金太郎飴のように切り口がみな同じ主張なのですか?到底理解でき
ない主張ですが。「あなたはどちらの方でしょうか?」「本願寺のほうから来まし
た」(笑)という問答同様あまりに根拠が曖昧過ぎです。
>>776 >>「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調する見解は厭離穢土を
もって本となす聖道門自力ではないか
>どこまで強調したら「本となす」ことになると判断されるのか基準
s会では「一切衆生必堕無間=後生の一大事」をきわめて強調する見解
であることは明々白々であることは、あなた以外会員は大半が認められ
ると思っております。あなたの見解はs会の見解とは異なっているもの
と理解させていただきます。
>「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調すると聖道門になるという根拠はどこに
竪出とは難行道の教なり、厭離を以って本と為す、自力之心なるが故也。(愚禿抄下巻)
まあ、「強調とはどこまでをいうのだ、その境界線を言え」、などとまた返されるので
しょうが念のためお尋ねします。
「一切衆生必堕無間=後生の一大事」を強調する見解こそが「厭離」ではないのでしょうか?
蛇足ですが、あなたのあげられたご根拠は愚禿抄上巻には見つかりませんでしたが。
>>782 「もし胎生辺地に生まれても五百歳を経、あるいは億千万衆のなかに時にまれに
一人まことの報土にすすむとは見えたり。」(唯信抄文意)
「一切衆生必堕無間=後生の一大事」説の反証をもうひとつあげておきました。
今までもお聖教から根拠を種々あげてきましたがこれだけ反証をあげればもう充分
だと思うのですが。あなたのお好きな山辺・赤沼師も「阿弥陀仏の浄土に生まれん
とする人々の中に、此国(懈慢界)に貪着して進むことのできないものが甚だ多い
というてある。」とあるのですが。
>>777 >質問の意味がわかりかねます。
真実に二種あり。(中略)二つには利他真実なり。易行道、浄土門、横超、如来の
誓願・他力なり。横出、他力のなかの自力なり・定散諸行なり。(愚禿抄)
「横出」は、正雑・定散・他力のなかの之自力の菩提心なり。(信巻)
要弘相対において横出の当益はありえないということでしょうか?
>>777 善導大師は、「仏教多門にして八万四なり。正しく衆生の機不同なるが為なり。
安身常住の處をもとめんとおもわば、先ず要行を求めて真門に入れ、と」
(化土巻、般舟讚引用)と仰せです。」
先ず、「安身常住の處をもとめんとおもわば」から、この御文は信前のもののた
めにご教示なされた御教えであることを確認しておきます。まさかひさしぶりさん
は「要行」の義を要門の意味である、などとは解釈されませんよね。
もちろん「要行」とは「念仏の一道」という義でしょう。無常迅速の機は、要門な
どに迷っておらずに弘願という大目的を達するために速やかに方便の真門にはいり
なさい、と懇ろにお諭しですね。真門にはいれば果遂の誓いゆえに弘願に転入させる、
とのお誓いなのですから。20願の意に添えるものは存在しないとか、
「20願は助正間雑してはならない」といって「まず要門から入りましょう」と要門
を勧めるのは真宗とは言えない、と申しているのです。
>>782 >化土を問題にされたのはあなたですよ。
相変わらずひとの書いたものをきちんと読まれておらず残念です。もう一度お尋ねし
ます。「一切衆生必堕無間」というご教示がもしあるのならばその仏語と、
>>758に
引用した大経下巻の仏語は矛盾するのではないか、と問うています。
それゆえ「化土に往生できる衆生は存在しない」または「一切衆生必堕無間」または
それらを意味する仏語を示して下さい。
>>781 >「弥陀の本願を説くことを出世の本懐とされた諸仏方が何故、廃悪修善を説かれた
その問いに対してはすでに法然上人が明瞭にお答えです。
念のため親鸞聖人のご文もあげておきます。
「何が故ぞ直に本願念仏の行を説かずして、煩わしく非本願の定散諸善を説くや。
答えて曰く、本願念仏の行は『巻経』中に委くすでにこれを説く。故に重ねて説
かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の予善に超過することを顕さんが為なり。
もし定散無くば、何ぞ念仏特り秀でたることを顕さん(中略)故に今定散は廃の為に
しかも説き、念仏三昧は立せんが為にしかも説く。)(選択集)
すでにお答えしたように、弘願の念仏が廃悪修善の散善に「超過することを顕さんが
為」に説かれたのです。そして、釈尊も廃悪修善の散善は讚歎しておられません。
「上の三輩の中に菩提心等の余行を挙ぐといえども、釈迦すなわち余行を讃歎せず、ただ
念仏において、讃歎して無上功徳と云う。(中略)また上に余行諸善を挙ぐといえども、
釈迦選択して、ただ念仏の一法を留む)(選択集)
「初めの義は、すなわちこれ廃立の為に説く。謂く諸行は廃の為に説き、念仏は立の為に説く。
次の義は、(中略)。後の義は、(中略)。今もし善導に依らば、初めを以て正と為すのみ。」(選択集)
「諸行は廃の為に説かれた」と仰せの法然上人のご真意をご相承なされた聖人は次のように諸仏方が
少善根少福徳の諸善万行を貶斥なされたとご教示ですね。
恒河塵数の如来は万行の諸善きらひつつ
名号不思議の信心をひとしくひとにすすめしむ(浄土和讃)
■◇■y-~~~皆の衆!歪覇王様にひれ伏せ!
>>810 訂正
誤・・・それらを意味する仏語を示して下さい。
正・・・それらを意味する仏語の典拠を示して下さい。
814 :
ある通行人:02/12/14 08:14
>>810 横スレ失礼します
>「一切衆生必堕無間」または それらを意味する仏語を示して下さい
ある仔牛が言っていたことですが、T森師も、『一切衆生必堕無間』なる根拠はないと言っているそうです
ですが、一切経の結論から言えば『一切衆生必堕無間』と言っても過言ではないとの事らしい
だからどれだけ探しても、「このお経のここにある」なんて返事は期待できないかと思いますよ
ですが、観経に『一切衆生応堕無間』という文があるのは確かですけどね
あと、異訳本の19願のところに、大経19願の『菩提心』を『アノクタラサンミャク三菩提心』とあったんですが、
その心を起こして諸善をできる人だけが化土にいけると言うことなのではないかと思いますが
今は時間がないので異訳本については後で書きますね
しかし、まあ、観経のみ教え=19願と言うことは、上記の二つをふまえると
19願の教えとは『まことの菩提心を起こし、諸善を修めて化土に生まれることのできない一切の衆生は
必ず地獄におちる』という事でしょうか?
なんか聖道門みたいな教えですね
ですが、観経には『廃観立称』と締めくくられていますね
ここが分かれ目ではないのでしょうか
私見では、ここが、親鸞聖人をして「論主の解義を仰ぎ・・・」と言われた三願転入のご文につながると思うのですが
如何なものでしょうか?
815 :
名無しさん@1周年:02/12/14 09:04
>ですが、観経に『一切衆生応堕無間』という文があるのは確かですけどね
探してみたけど見つかりません。どこにありますか?
816 :
ある通行人:02/12/14 10:03
>>815 ごめん勘違いだった
『応堕地獄』だった
下品中生のところに
『かくの如くの罪人、悪業を持ってのゆえに応に地獄に堕すべし』とあります
失礼しました
間違いを正していただいてありがとうございました
でも『一切衆生』ではないですね
確かなんて書いて本当にすみませんでした
でも、仔牛の中でこれを知っている人はこれを『必堕無間』と同義に捉えている人が多いのは確かですがね
そのように言われたことがありますので
誰かとは言いませんけどね
となると、一切衆生必堕無間に相当する根拠はいったいどこにあるのやら
次回から根拠に当たる事を書き込む際には細心の注意を払うようにします
では
817 :
ある通行人:02/12/14 10:28
>>816 もしかしたら、下品下生に
『悪道に堕し、多劫に経歴して、苦をうくることきわまりなし』
とあるのがそうなるかもね
どちらにせよ善(仏になるための因)を修する事ができない我々は悪道に堕す事は間違いないでしょう
そこで、仏果を証するために自力の修行をすれば助かるというのが聖道門ですよね
しかし自力を捨てさせる(善のできないものだと言うことを知らしめる)ために善をせよと言うのがs会の言う親鸞聖人のみ教えということですか
しかし、善ができないものだと言うことが知らされた時が救われた時というのであれば20願は必要ないのでは?
20願に入ると自動的に一念に至るのか?
そうなると18願と20願はつながっていることになるし
果遂の誓いといってもそういうものではないでしょう
うーん、どう考えても20願を通る必要がないような気がしますが
一切の善が間に合わなかったと知らされた時=称えた念仏がひとつも間に合わなかったと知らされた時なんですよね
どういうことなのか教えてください???
>>814 >ある仔牛が言っていたことですが、T森師も、『一切衆生必堕無間』なる根拠はないと言っているそうです
>ですが、一切経の結論から言えば『一切衆生必堕無間』と言っても過言ではないとの事らしい
もしそうなら、自分の解釈をさもお釈迦さまが言ってたかのごとく教えるという
大反則を会長自ら犯していると言うことになるが・・・
しかもそこは、s会の教えの中核部分の1つでもある訳だし。
>>818 言葉よりも意味が大事なことを知らないのですか。
蓮如上人が
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして
無間地獄に堕在すべきものなり」
と『御文章』に言われているのも、大反則ですか?
>>801 親鸞会の書籍に根拠を求めよ、とは、
「親鸞会では、こう教えているではないか」
と非難をしたいならば、ちゃんと書いてあることを根拠に
言いなさいという意味でしょう。
親鸞会の主張をろくに知らずに、非難する人があるので、
批判したいならば、相手の主張をよく読んでからにすべきだと
言われているのですよ。
>>796 三燈兵さんへ
私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
当然でしょう。
目的がほかにあるのなら別ですが、
出世の本懐を果たしたいあなたなら、そうすべきでしょう。
>>821 ゴジラさん、御忠告ありがとうございます
しかし、それをするには一つ重大な問題があるんですよ
それは、私の渋長やその他、仔牛と言う人たちを信用できないと言うことです
別に、最近の不倫がどうとか、浄財の使い込みがどうとか言うことで、というわけではなくて
なんと言うか、本能的というか、入会当時から求道による質問は、自分で解決してきましたし
(中には座談会の質問に書いたこともありましたが)
教学的な質問は以前にうやむやにされたことにより、自分で親鸞聖人の書かれたものを読んで解決してきました
さらに言えば仔牛の方の難しいことは避けようとする保守的な姿勢に聞こうと言う気がまったくしません
でも、どうしても私の中だけでは結論が出ないこともありますのでここで聞きたいと思って書かせていただいたんです
>私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
>当然でしょう
その当然のことをしたくなくなるような窮屈な環境にあるんですよね
実は・・・
それだけでなく本気で求道をしている人なら聞きたいと思いますがそのように見える人がいないんですよね
自惚れといわれるかもしれませんが、私の目にはそのように映ります
だから誰がなんと言おうと聞こうと聞く気がしないんですよ
だからお願いしますよ
おい、おまえら
■永遠の命■を欲しくないか?
詳しくはこのサイトに載っているぜ。
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm 石原の隠し子 関連スレ
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1032166274/l50 おれのにも書けよ!
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1038739531/l50 おれのダチもヨロシクな。
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1037874647/l50 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■,,,,,,,,,,,,,
824 :
名無しさん@1周年:02/12/14 19:49
お釈迦さまは、マーヤ婦人の脇の下から生まれてきた。
しかも生まれてすぐに七歩歩いて、天上天下唯我独尊といった。
と教典に書いてあるという。
これが現実の話だったら、お釈迦さまって何者なんだろう。
教典の解釈って色々あるけれど、何が正しいんでしょうか?
825 :
名無しさん@1周年:02/12/14 22:22
さあってと
真摯な求道者さんの疑問に対して
ゴジラはどう答えるのか楽しみじゃわい。
826 :
名無しさん@1周年:02/12/14 22:26
>>824 あのう、どうでもいい横レスなんですが。
実際に新生児が七歩歩くことはありえないことじゃないそうですよ。
そして反射として片手を上げることは、しばしば見られるらしいです。
827 :
名無しさん@1周年:02/12/14 23:24
門外漢なのでよく判らんが、キリスト教と称する教団でも聖書解釈に色々あって、
ヨハネの黙示録という新約聖書の一節を、文字導理に解釈して神(善)と悪魔(悪)との
最終戦争(ハルマゲドン)だという怪尺をしている震工宗教があるという。
既成教団などの伝統的な解釈からは、異端とされているそうだけれどね。
その教団の信者は、「聖書に書いてあることであるから絶対の真理」だということでハルマゲドンに
生き残るために、懸命に崩死活動をしているそうだよ。
オットロシイ〜。
828 :
名無しさん@1周年:02/12/14 23:36
>>821 >私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
>当然でしょう。
これって私は善知識だのみの異安心をやってますよという宣言に聞こえるのは俺だけか?
親鸞学徒という人たちは犬鉄は勿論、どんなDQN仔牛でも盲目的に尊敬するからな。
その仔牛の人間性や行動は度外視して。(たとえ浄財使い込んで部下と御万個していてもな)
結局、善知識だのみの異安心の集団ってわけだな。s会は。
>>820 >親鸞会の書籍に根拠を求めよ、とは、
>「親鸞会では、こう教えているではないか」
>と非難をしたいならば、ちゃんと書いてあることを根拠に
>言いなさいという意味でしょう。
それはあとから取ってつけた屁理屈です。
そういう部分もありますが、親鸞聖人のみ教えの根拠をs会の書籍に求めよと言ってました。
そのとき
「なんで聖人の御著書に求めよじゃないの?」
って不思議に思ったのをはっきり覚えてますもん。
>>822 なにやらおかしな日本語がありましたので一部書き直します
>私なら疑問があれば、担当の講師の方にお尋ねしますよ。
>当然でしょう
その当然のことをしたくなくなるような窮屈な環境にあるんですよね
実は・・・
それだけでなく、本気で求道をしている人からなら仔牛、誨淫問わず素直に聞きたいと思いますが
そのように見える人がいないんですよね
渋長はもちろんのことですが、もしかしたら知らないだけかもしれませんが私の周りにもです
こんなことを言うと自惚れといわれるかもしれません
しかし、私の目にはそのように映ります
だから誰がなんと言おうと聞く気がしないんですよ
ですからお願いします
そうそう、一生懸命仏法を説けば生活の不安はなくなるんですよね
先日の弁論に出られた仔牛の方はそれを実践されたようでしたね
しかしほとんどはその逆をしているように感じるんですが・・・
それも信用できない理由の一つであります
なにやら愚痴を並べているようで、書いている私自身が嫌になってきました
とりあえずは今回はここまでということで
832 :
名無しさん@1周年:02/12/16 00:05
>>831 >そうそう、一生懸命仏法を説けば生活の不安はなくなるんですよね
先日の弁論に出られた仔牛の方はそれを実践されたようでしたね
よかったら、その弁論の簡単な内容、教えてもらえないでしょうか?
よろしくです。
マターリスレの方が適切なら、そちらに、書いていただくと、
ありがたいです。
s会は、相手のいうことをハナから聞いておらず、
(聞いた振りはしているが)
ただ、自分の主張を押しつけているだけ。
自分の頭で正誤を考えようとしないで、自分が正しいと
思いこんで議論を推し進めるからやっかいなんだよ。
もっとも、まともに議論する気はないが。
>>831 三燈兵さんへ
以下は、私の経験です。
参考になれば幸いです。
私もよく疑問に思ったことを先輩、講師の方に質問してきました。
高森先生の座談会に質問を提出し、お答え頂いたこともありました。
いずれも、丁寧に答えて頂きましたが、
中にはスッキリしないものもありました。
ところが、それらの疑問は、重ねて聞法していくと、ある時、
「ああ、それで、あの時このように答えられたのか」
と知らされることがよくありました。
また、「我ながら、つまらぬことを疑問に思ったものだ」とか、
「これは自分の信仰がお粗末だからスッキリしないのだ」
と知らされ反省させられることも、しばしばでした。
疑問を持って求道することは、漫然と聞き流すより、よほど
よいことでありましょう。
だからといって、「自分の疑問に答えてくれない」という
不満によって、罪を造ったり、尊い仏縁を粗末にすることは、
あってはならぬことでしょう。
「私の思いこそ絶対正しいのだ」
と思っている、「私」をよくよく教えて頂き、
進ませて頂くのが大切だと思います。
堅実にご縁を求めていかれることを念じます。
>>833 そんな弱音を吐かずに、自ら、親鸞聖人の正しい教えは
こうだ、と叫んだらいかがですか。親鸞会に負けずに。
>>828 「これって私は善知識だのみの異安心をやってますよという宣言に
聞こえるのは俺だけか?」
と言われますが、あなただけでしょう。
または、よほど日本語に暗いお方ならそうかもしれません。
デマを盲目的に信じ、デマに絶対服従しているヒマな時間は、
そろそろ終わりにされたらいかがでしょうか。
837 :
名無しさん@1周年:
>>836 漏れは828ではないが
「これって私は善知識だのみの異安心をやってますよという宣言に聞こえ」ますね。
漏れは浄財使い込んで知らん顔で口笛吹いているm春には相談したくないね。
ゴジラくんよ、あんたm春事件をデマとかいってにぎりつぶそうと
するやつらの手先だろう?
林ますみ被告じゃないがw)、状況証拠は完璧にそろっているんだよ。
ねむたいこといってるんじゃないよ。
デマなんかじゃないことは冷静になって考えれば明白。