死後の世界は存在しない!? part 5

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952くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/02 02:05
最後にこのような人々を動かした予定説に付いて見て終わろう。
予定説とは
1 神は人間から無限に離れたところにいる。(コンタクトできない)
2 神はその地点から永遠の命をもたらす人々と、永遠の死滅の人々
  を分けている。
3 誰が永遠の命を持っているかは人間にはわからないし、
  その予定を善行によって覆すことは不可能である。

だから人間にできるのは救われたふりだけである。
953:02/11/02 02:15
愛しあってるから、幸せだとも限らないしな
954死後の世界信じないよ:02/11/02 07:14
>くろしろさん、シリウスさんへ、
宗教の話を否定しているのではないのです。。
宗教であれ、臨死体験であれ、死後の世界がある。という事の導入部でしかないのです。
あるならあるで、その世界に自分が舞い降りたとき、どんな世界を実感できるのかを
このスレでは考えったいのです。。だから、死後の世界を信じるきっかけでしかない、宗教の
世界観をいくら教えられても、意味がないのです。

たとえば「死」について、確かなことは 肉体がなくなる。ってことでしょ。
そしたら、それをたたき台に、死後の世界に立った自分の状況を考えることできますね。

宗教では、その文の説明はありません。美しく 静かな 淡い光りにっつまれた世界で、
何の迷いも苦痛もなく、永遠に瞑想する世界であったり、 
極端に言えば、セックスや、食欲もある、丹波おじさんの話などもありますね。
そこでの 意思疎通の方法や、時空の成り立ち、音や、光、電磁波などの
エネルギーの感じ方、など、死後の世界の住人について、考えることはいっぱい在ります。

釈迦が言おうとキリストが言おうと、死後の世界があるなら、、
いくばくか、想像可能な部分もあるはずです。そこにこだわりたいのです。

逆に、いろんな霊現象を 人間の科学で、説明しようとするスタンスも大事にしてます。。今後ともよろしく。。。
955ヘノ〜マン:02/11/02 10:54
天地創造についての自説を言わせて頂ければ、最初から無であり闇があったとゆうよりも無とゆう観念も有とゆう観念も存在せず。
陰とゆう概念も陽とゆう概念も存在せず、光と闇も存在してもいなかったと私は解釈しています。

つまり、光が存在した時に同時に闇も存在していた、これが陰陽の現われであり、二律背反するものの表裏一体の始まりです。
つまり、光が存在して始めて有が存在し、闇が存在して初めて無が存在し得る訳です。

そして、この光が神、御自身であり、闇が空間であり、個(神)と多(空間)の始まりでもあり、同時に一即多、多即一の始まりでもありました。
また、光も闇も神御自身であり、個としての光的存在の神も多としての闇的存在の空間、時空間とも言えますがそれも全て天主の現われであります。

この時、光を構成する無次元の粒子が神、闇を構成するダークマタ―的、無次元の粒子が時空間であり、
この時、同時にグラビディ粒子や電磁波的粒子も存在して、有(様々な粒子)と無(粒子の間の空間)が混沌としていた事になります。
956ヘノ〜マン:02/11/02 10:54
しかし、それら全てが神の現われでもありました、そしてその有的粒子が一点に集まって、
核融合、核分裂をしながら、ビックバーンが起こり初期の宇宙は構築されていきます。

この時、ビックバーンを起こしたのは天主ですが、天主御自身の爆発でもあり、天主御自身の核分裂、核融合でもありました。
天主御自身が原子核的存在でもあったと言って良いでしょう。
そして、数回、ビックバーンが繰り返されますが天主御自身が分霊して数体の神霊になり、あらゆる宇宙を創造していきました。
この時、我々の3次元の宇宙も同時に創造されました、この時、磁力や引力で均衡を保ちながら星々が引力によって集約された粒子の集まりで出来ていきました。
これが、惑星や宇宙の法則の始まりです、そして我々の3次元の銀河系や太陽系が創られていきました。
この時、分霊した神霊が分担作業で、惑星を創造していきました、また、宇宙空間はダークマタ―で覆われていました。
しかし、この天主の分霊的神霊達も天主御自身でもありました。
957ヘノ〜マン:02/11/02 10:55
そして、あらゆる惑星が出来ていき生物も存在していきました。
そして我々の太陽系の星、地球にも生物としての微生物が存在していきました。
この時、宇宙放射線の影響でこの微生物が分裂と融合を繰り返し変化して進化して様々な植物や動物などに進化していきました。
これらの生物や鉱物、空気すらも元子レベルで神の分霊でありました。
そして、宇宙放射線も神の現われであり、生物も様々に影響を受けて進化していき人類の祖である霊長類が存在していきました。
この時、霊長類に神の分け御霊である魂が授かりました、そして人間が存在する様になりました、この時が人間が創造された瞬間とも言えるでしょう。
そして、魂がある故に、我々人類は神の子と言われる所以があるのであり、性善説であり良心があるのであります。
958ヘノ〜マン:02/11/02 10:55
あらゆる神霊の中には天使的存在もいて、7大天使達も宇宙意識レベルの神霊達と同じレベルの格を持っていました。
どちらかとゆうと日本的な神道の神や東洋の仏族的な仏達は元々人間であり死後、霊界で修行を積み天界レベルまで上り詰めた神仏が大半の様です。
それとは、宇宙意識レベルの神霊や7大天使達は発生の仕方が異なっているようです。
しかし、全ては神の分霊でもあり、神霊・天使・神仏・霊・人間も霊的な意味では等しいと言えます、しかし、同レベルではないのは明らかです。
3次元から、10次元レベルの世界はすでにこの時、出来あがっていました。
しかし、全てが向上していく存在ばかりではない事も神は予見しておられました。
そこで、7大天使のルシフェルが身をもって苦しみを分かち合い、堕落したモノ達の住処を用意し一緒に落ちていく覚悟を自分で求めていきました。
これが、ルシフェルが堕落した本当の真実と言えるでしょう、神はそのルシフェルに慈悲を観たのです。
勿論、他の7大天使達は少しの穢れも許さないほどの厳しい、天界の法則を曲げたルシフェルを許しませんでしたが天使長ミカエルだけは彼らしいなと見守っていました。
天主も同じでした、しかし、皮肉にも光と闇の対立もこの時、生まれてしまいました。
ルシフェルは人間界よりも下の次元の彼方に魔界を創り君臨しましたが、それは人間を苦しめる為ではありませんでした。
しかし、闇は闇であり、堕落したモノの長であり、堕落したモノの拠所を用意した慈悲深い堕天使ではありますが堕落しない人間や神仏達の敵ではあります。
しかし、闇の勢力やルシフェル、そして魔界すらも天主の分霊でありました。
この時から闇の存在意義が変わり始めました、そして魔界の勢力が膨れ上がっていき、ルシフェルにすら反抗的な邪(よこしま)な存在も現われ始めました。
そして、天主すらにも牙を剥き、天使達はルシフェルの差し金と誤解をしていきました。
しかし、天主は愛の存在なので全て見抜きながら見守っていました。
959ヘノ〜マン:02/11/02 10:56
天使レベルの存在を人間界に送りこむ事は稀でほとんどありませんが、イエスや仏陀、老子、孔子、ソクラテス、ゾロアスター、マハビーラー、マニ、モーゼ、マホメットなどの使者を派遣する事も度々、あるようです。
名が知られていないシャーマンやグルや宮司などもその使いの場合もあるようです。
しかし、中には邪なものの手に落ちた偽者も沢山存在しています。

また、悪霊でも地獄のヴィジョンを観せるモノよりも、天国のヴィジョンを観せて甘い言葉を投げかける狡猾な悪霊の方が、
より見極めがたく知らない間に落とされていくようです。
960ヘノ〜マン:02/11/02 10:58
無は、ただ無いとか何も無くなる、精神が無くなるとゆう事を目指すのが悟りではないと想っています。
何も無くなる事を目指すのが、仏教と想われてる方もおられますが、そうゆうモノではありません。
精神が無くなる事を目指すのが仏陀の教えではありません、普段の普通の生活の中から、学ぶ事を軽視してもいません。
無とは、執着しない、執着しないとゆう事にも執着しないとゆう事です。
捕われの心を持たないとゆう事です、しかし、人間はそうゆう心が出るのが普通です、しかし、それでも良いのです。
捕われなければ良いのです、無とはあるものを否定するのではなく、拘り執着して迷う事をコントロールするとゆう事です。
迷いの中にいても、捕われない心を持つとゆう事でもあります、有を否定する教えでもありません。
自分を否定する教えでもありませんし、開き直る教えでもありません。
無とは、無明に気付き無明に捕われないとゆう事です、でも無明を否定している訳でもありません。
無明から光明になるとは般若の知恵を得るとゆう事です、それは知識ではなく知恵です。
仏性に気付く事も知恵、つまり悟りです、仏教の悟りは気付きです人それぞれの悟りがあります。
それを比べるのではなく、その人にとってどうなのかが大事なのです。
無とは、空を悟るとゆう意味でもあります、本来、有も無も無いのであり、色形あるものは移り変わろうものであり、
それに執着しても始まらないのであり、有はすなわち無であり、無もすなわち有でもあり、色即是空、空即是色でもあるのです。
無や空、悟り、涅槃などの詳しい説明は般若心経に書かれています。
禅とはこうゆう事の悟りの道の一つの方法論に過ぎません、精神修養とはこうゆう事でもあります。
961ヘノ〜マン:02/11/02 11:01
全ての宗教には、神とゆう概念があります。
そして、キリスト教の父と子と精霊ととゆうような概念もあります。
これは、神智学では、ロゴスとハイアーセルフとモナドと表現されます。

ヒンズー教では、ブラフマン、アートマンなどと表現されます。

キリスト教においては、父なる神と、その御子イエスと精霊の三位一体ですが、
本当は、イエスだけではなく我々にもこの観念は当てはまります。

つまり、絶対なるロゴス(神)と神の分霊であるハイアーセルフ(高次元の自分の魂)とモナド(精霊)となります。
これは神智学においてですが、この例が似ていながら違う部分ではあります。

この食い違いが宗教論争の種に繋がります、本当ならば同じ概念とするべきなのですがね。

また、ブラフマン=ロゴス=神であり、アートマン=ハイアーセルフ=神の一人子となる訳です。
この、ブラフマンとアートマンとゆう言葉はヒンズー教の概念ですが、仏教や密教にも影響を与えています。
962ヘノ〜マン:02/11/02 11:03
神道においては、鏡とゆう理念があり、仏教にはカルマの法則の教えがあります。
また、輪廻転生の教えも仏教的ではありますが、広い概念で言えば全ての宗教にもある思想です。

また、モーセの十戒や八正道のような戒律、つまり神との誓いも全ての宗教にあります。
法律のようなものと言えば良いでしょうか?
しかし、宗教によってその戒律の強弱は異なります、ジャイナ教においては虫を殺す事も大きな罪になります。
しかし、キリスト教においては神から与えられた様々な生き物とゆう概念があるので、東洋の宗教に比べて正反対の思想体系でなっています。
一方、仏教ではノミにも5分(ごぶ)の魂と言って、どのような生き物に対しても尊びの心があります。
しかし、これも行き過ぎては極端な教条主義になります、ジャイナ教が良い例ではないでしょうか?

聖書は聖典と尊ばれています、イスラム教の聖典コーランも同様に尊ばれています、しかし、アラーの教えは攻撃的です、
イスラム教徒はコーランを破られると逆上します、邪な敵とみなします。

仏教にも修行はあります、神道にも修行はあります、しかし、ヒンズー教の修行は常軌を逸した修行が多々あります。
土の中に潜ったり、水の中に潜ったり、確かに火の修行、水の修行、土の修行があるのでしょう。
神道にも、火の禊、水の禊、土の禊など様々ありますが、すこしニュアンスが違います。
963ヘノ〜マン:02/11/02 11:05
これらの宗教が同じ道を辿り、同じ到達点に行きつくとは到底想えません。

私はどれが良いとか悪いとか言うつまりは毛頭ありません、しかし、全てが同じであるとは想えないのです。
同じであり違うと言えるのではないでしょうか?

私は全ての宗教には可笑しな教条や修法が含まれていて、聖典、経典も完璧なものではないと想っております。
密教の即身成仏と、道教の不老不死は似て非なる教えです。
同じものを目指してはいません、宗教から離れるべきであると言われる方もおられるでしょう。
しかし、学ぶべき部分もあります、しかし、新興宗教には弊害しかないと私は想っています、勿論、団体にもです。

宗教とは入っても抜けるべきで、いつまでも落第して大学生として学んでいる必要はないのです。
行をしても行に落ちないのが先決で落ちる事を超人思考=魔境と言います。

宗教はある意味、とくに団体は心理病棟や監獄に近いものがあります、それはカルトに多く観受けられます。
都合の良い御利益信仰による依存と言えるでしょう、カルト団体は脅迫と強制で信者を縛りますからどっちもどっちでしょう。

何が言いたいのかと言うと、全て同じであるとは間違っても言えないと結う事と到達点は同じであるとは言えないとゆう事を私は強調して言っておきたいと想います。
勿論、全てのものに良いところも悪いところも観とめた上でです。
964ヘノ〜マン:02/11/02 11:06
また、論理よりも感性であると想われる方も多いと想いますが、これは一つの考え方に過ぎません。
ロゴスは神でありますがギリシャ語で論理と言います、神は言葉でもあるのです。
始めに言葉ありきです、これは神道の言霊信仰と大きく結びつく部分があります。

勿論、脳の理論と魂の理論は違います、ですから魂からの内的意識を以下に翻訳化し言語化できるかが問われる訳です。

論理も感性も同じ者であり、科学も宗教も同じ根から来ているのです、スウェーデンボルグの木の理論、つまりツリーの理論と繋がるのです。
あらゆる分野は枝葉に分かれていますが根は同じ、神から来ているのです、であるならば説明できないのは言語化できていない証拠なのです。
965ヘノ〜マン:02/11/02 11:10
しかし、分別が無い訳ではありません、単なる分別ではなく分別できえてからの無分別が望ましいのです。
色即是空、空即是色も単に無分別であると理解するのであるならば、理解しているとは言えないのです。

陰と陽の区別が出来ず、善も悪もないなどとは到底言えるものではありません、勿論、闇があるからこそ闇を照らす光明もあります。
しかし、それが解からずに無分別であると説くのは無明の世界に生きていると言わねばなりません。

五行の教えは、平等の横の世界ですが、五輪の教えは段階的な教えです、しかし、どちらも正しいのです。
これらを踏まえてこそ、すべては同じと言える訳です。
素人が適当に動けば太極拳らしきものにはなりますが、修行者の行なう一つ一つの太極拳の動きには意味があるのです。
また、段階とゆうものがあるのです、最初から無意識で行なう事は出来ません。

物事を学ぶ段階「守」があり、それを壊して型に捕われず模索する「破」の段階があり、
自分ありに色付け、味付けすし、纏めていく「離」の段階があるのです。
物事には段階があるのですから、少しくらい感性で読んで解かったつもりになってロケットが飛ぶ様にスーパーマンになる訳にはいかないのです。
それは悪まで、超人思考であり大きな落とし穴がいくつも容易されています、容易な事には必ず邪な用意が待っているのです。
966ヘノ〜マン:02/11/02 11:11
五行(火・金・土・木・水)相克関係

五輪(土・水・火・風・空)

左から徐々に空の世界に至る、物質である土から、臨機応変な液体の水、そして捉えどころのない気体の火、
そして、自由な風、最終的に捕われない風に至る。
967天邪鬼:02/11/02 11:12
>>954さんの趣旨に従って、進んでいるはずのこのスレが、どうしても、某かの宗教論に終始
してしまうのは、ある意味、仕方の無いことだと思います。
理想的なのは、人が、古人がどういったか、ではなく、あくまでも、自己の経験と洞察に照らして
語り合われることなのでしょうが(私はそうしたつもりでしたが)多分、そのような(宗教的体験者)と言うのは、
意外と少ないのかも知れませんね。
あっても、体験に対する個々の受け止め方が千差万別である…という、現実が、この話をさらにややこしくしてしまうことも、「自明の理」なのです。

宗教は、道徳と同じく、論じるものではなく、本来、生活に生かすべきもの…学習→実践→反省の繰り返しの中で、悟りを深めるしか、方法が無いというのも、真実ではないでしょうか?
宗教も、道徳も本来、神仏云々のゆえに「かくあるべし」となるものではなく、
神仏の有無に関係なく、ヒトの生命活動の「必然」であることすら、気が付いていない「学者先生」が多すぎるように思われます。

私も、ここで落ちますが、死後の世界を信じないよさんに一言…
信じられないものは、たとへ、現実にそれを見たとしても、やはり、信じられないのですよ。
私がそうなのですが…私は、その理由を自らの生き方(心のあり方、状態)にあると思うに至りました。

人生は苦なり…四苦八苦が基本のこの世界にあって、美しいもの、尊いもの、高貴なるものを知り、善しとするが故の求道…
それが、本来の、宗教、道徳の原点だと思うのです。(為にする宗教理解は幼稚)
物事を複雑難解にしすぎず、簡明にすることも大切…そうでなければ、この板の試みは、成功を見ることは出来ないと思われます。

思想や、物事に執着することは楽しい…しかし、執着が、そのまま「地獄」ともなる我々の世界であることを肝に銘じ…あ、いや、
いつのまにかぐだぐだと(爆)
それではみなさん、ごきげんよう!!
968ヘノ〜マン:02/11/02 11:14
ハイアーセルフの概念は、内なるアートマンの概念とよく似ています。
しかし、そのブラフマンの分け御霊であるとゆう意味でのアートマン、アートマン=ブラフマン。
とゆうのは解かるのですが、今の段階ですでに完全であるとするのは怠慢であり努力の放棄にも繋がりかねません。
そこが、ハイアーセルフとアートマンの似て非なる部分ではあります。

しかし、ハイアーセルフが完全なる自分の未来像であり、ブラフマンと同一で等しいとゆう概念も解かります。
しかし、内なるアートマンに気付く段階がある種の悟りであり、霊能開発も悟りのまた違う段階であり、また別の正誤の悟りなどの様々な段階を得ずに、
すべて完全で平等で自由であると最初から自己完結しその矛盾をしてきされた事に対する過剰な反応が反動形成を呼び、様々な至らなさの置き換え行為を無意識で行なう事に気づかぬまま、
自己正当化して、責任転化、つまり相手に伝える努力不足を棚上げして相手の認識不足と決め付け、切り離します。

そこには彼らの説く、愛の教えの小さな愛すら存在しません、また、自戒の念を欠いた自尊心を尊び都合の良いアートマンの尊重となっています。
自戒の念と自尊の念のバランスを欠いた偏った、アートマンはもはやハイアーセルフの概念とはかけ離れたものになります。
それらをも受け入れ努力する糧にする、神道、仏教の教えが欠け、来るべき世界と自己の未来像を結び付けます。

そこに都合の良い解釈が矛盾点として介在する原因となります。
単なる自己完結は小乗的で大乗的愛を説いていながら、矛盾が生じている事に気付かないのです。
その指摘に対して、攻撃と否定ととり自己防衛と捉えハイアーセルフの教義を攻撃する為だけの道具として使いきります。
そこには、イエスの愛も仏陀の慈悲も老子の無為自然も存在しません。


969ヘノ〜マン:02/11/02 11:14
天地を書籍とし 日月を証明とし森羅万象一切皆師とするとは、
日々是精進、そして宮本武蔵のゆう天地万物、森羅万象すなわち師なりとゆう意味あいであるとは御理解頂ける事と想います。

また、武蔵のゆう「神仏を尊び、神仏を頼まず」とゆう言葉も忘れてはならないのではないか?と私は想います。
この言葉の真の意味は何か、考えていかねばならないと想います。
970名無しさん@1周年:02/11/02 11:21
971321:02/11/02 12:18
ヘノ〜マンさんの文章を読ませていただくと。
ブッダの言葉「我見を捨てよ」が正しいとつくづく思う。
「我見」が蔓草のように絡まって、巨大な構築物となっているね。
誰しも、あるていどはそうなんだろうけど。
972死後の世界信じないよ:02/11/02 12:22
>へノーマンさん。全部読ませていただきました。

>>955-957 同意できます。
>>958-959 人格を持つ神の存在には疑問があります。 ??です。
>>960-969 勉強になります。

現時点での、へノーマンさんの世界観の集大成を見せて頂いた気がします。

僕はあんまり深く考える知恵がないので、納得するばっかりです。今後とも心の視点からのカキコ
よろしくお願いしますね。サンキュ

>>967 天邪鬼さん。
スレ読んでくださったのですね。ありがとうございます。

>信じられないものは、たとへ、現実にそれを見たとしても、やはり、信じられないのですよ。

そうなんですか。。けれど、そうゆう態度や、視点であれば、真実が見えてくる気がします。
僕は 天邪鬼さんのレス読むと 逆に、未知の世界を信じたくなります。
経験者の言葉が一番伝わってきます。今後とも このスレ、ご教授ください。お願いします。
973名無しさん@1周年:02/11/02 14:21
>>961
>全ての宗教には、神とゆう概念があります。
仏教にはない。ウソを言ってはいけない。
974名無しさん@1周年:02/11/02 15:06
神は仏教にもあるだろ
975名無しさん@1周年:02/11/02 15:16
神の定義って何だ?
976名無しさん@1周年:02/11/02 15:18
キリスト教と仏教では違う
>神の定義
977名無しさん@1周年:02/11/02 15:23
どう違うんだろ?
978くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/02 15:30
>>977
仏は神に命令できるんだよ。
キリスト教では不可。
979321:02/11/02 15:39
仏教には、唯一神、創造神といったものはない。
まず第一に、空間、時間の無限性や有限性が「無記」すなわち、種としてのヒト
にはわからないものとされている。

諸天善神、地祇は存在する。それは身体を持たない心(御魂)の存在であって、
全能の神や統一神ではない。
980名無しさん@1周年:02/11/02 16:00
>>979
諸天善神がいるなら,それを生み出した創造神もいたって不思議じゃないと思うけど。
981くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/02 16:03
>>954
しかし死後の世界と言うのはいろいろある、その言葉は一様ではなく、
その言葉を考えるときには個々人のさまざまな言語地図を統一することは
できない。
ならば分類してコンパクトな見取り図を作ることだ。たとえばあなたは
死とは肉体がなくなることは確かだといったが、イスラム教では違う、
若々しい肉体を得て緑園と呼ばれる楽園でセックス三昧、美食三昧
の生活がおくれると言う。
またキリスト教で真に天国がどんなことかは教義では語られないなぞの世界で
、ダンテなどが芸術作品にしていたり、布教のために邪説敵に付け加えているに
過ぎない。
かつて私は哲学板で無についてのスレをたて、このようにさまざまな無
を分類し、概観するに至った。その苦難は並大抵でなく。本当に自分の知力
的限界が問われる。飽きる。しかしそれを乗り越えてこそ、真の無の世界
が目の前に現れると思ってやった。
その結果は結局自分の知的限界を思い知ることだったが,後悔はない。
今は仏教無に耽溺しているがその後も道教などいろいろ探っていくつもりだ。
このようなスレを立ててしまったあなたは其処までやるべきではなかろうか?
自分の中のマイ死後の世界で生きていけるのならばそれはそれで幸せだが、
それで果たしていいのだろうか?
982くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/02 16:14
上記のことが可能になれば統一した言語地図上の議論が可能になり
その上でこそどの死後の世界を目前にしてそれを信じないと
言っているのか、議論が可能になる。
その上でこそそれはどういった道徳、倫理、快楽を操るのかわかる。
そこで行われる議論でこそ真に価値ある議論となり、2ちゃんねる冥利
を思い知るだろう。
983321:02/11/02 16:57
>>980 (仏教理論では)

無明から人の魂は生じる。
無明→行→識(五蘊の識とは別)→名色→六処→受→愛→取→有→生→老死
ニルバーナを得るまでこれは続く。「有→生→老死」の部分は壊れまた作られる。

「無明→行→識→名色→六処→受→愛→取」。
↑輪廻するのはこの部分。「無明から渇愛、執着」までが「魂」として輪廻する。

死んだ後は、さまざまなランクの魂となる。「天人、地祇」などなど。悪霊や
餓鬼などになる事もあるみたい。

その善き天人を神々と仏教ではお呼びする。
神仏混交は日本で始まったことではなく、諸天善神、地祇を敬うのは仏教の
教理通り。(施餓鬼供養もこの流れ)。
(善神・地祇関係の文献としては、仏陀最後の旅の初め、バッジ族の話を読んでください)

仏教の神々の元は、無明から始まりヒトの世を経て天に生まれた人々、
すなわち天人。人は三界(欲界、色界、無色界)に住む生き物だが、天人も
欲界の天人もおられる(欲天)。種別があると言う事。
984321:02/11/02 17:03
神々や悪霊については、岩波文庫 中村元訳で
「神々との対話」「悪魔との対話」というのがあると思います。
その方面の、パーリニカーヤ(パーリ仏典)を集めたもの。

増谷文雄先生などは、悪魔との対話は、「自己の心のうちの葛藤」と
解釈されています。本気でそう思われていたのか、それとも時代背景なのか
は不明です。
(今でこそ、神や仏や魂といっても聞いてもらえる時代ですが、当時はね。)
985321:02/11/02 17:03
じゃあ、仏教はこれでおわり。

またよかったら聞いてね。
986死後の世界信じないよ:02/11/02 17:11
今回のスレ早かったですね。びっくり。。
思ったより濃厚な議論ができた気がします。

新メンバーさんも着て下さり、次回スレ楽しくなると思います。

とりあえず、 以下に新スレ立てました。よろしくお願いします。。

マターリといきましょうね。。

死後の世界は存在しない!? part 6

http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1036224439/l50
987321:02/11/02 17:20
仏教について話を分けたい場合は、「原始佛教U」で聞いてください。
ここは、仏教学者の電波男さんが、阿含宗の一信徒に完膚なきまでに
やられちゃったところです。私もロムしてましたので、おかげで、仏教
についてはよく分かるようになりました。検索の「佛教」は旧字みたいです。

阿含宗に関しては電波男さんがコピーをしていましたが。ちょっと
一方的なコピーなので、他のスレッドからも引用しておきます。

1 :名無しさん@1周年 :02/09/27 02:03
世界の仏教の中心、世界の仏教の本流、世界と日本を救う宗派である
「阿含宗」と、真言密教の会派である「密門会」の懇親スレッドです。
まずお互いを自己紹介し、良く理解し合うところからはじめましょう。
両教団の方々よろしくお願いいたします。なるべくハンドルネームを
お使い下さい。他宗の方が書きこまれる場合は、立場を明らかにして
ください。
2 :1 ◆cXv9A.F. :02/09/27 02:06
阿含宗はゴータマブッダ、ブッダ釈尊に帰依し、
ブッダ釈尊の説かれた阿含経典中のゴータマの真の教えに帰依し、
ゴータマの修行法を実行する真の聖衆に帰依する、本物の仏教教団です。


「世界の仏教の中心、世界の仏教の本流、世界と日本を救う宗派である阿含宗」

9月27日の、この宣言に対して、今の所どこからも異論は出ていないようです。
どの宗派も、この宣言に対しては異論を出せないみたいですよ。


988321:02/11/02 17:27
>>987
仏教関係の方は、早めに「ちょっと待った〜!」をやってほしいのですけどね。
ここをお読みの仏教関係者は、ぜひ、原始佛教スレッドで異論、法論、放論を
やってほしいのです。本当にこう認めてしまって良いのですか?

週刊誌でも有名な?2ch仏教板の雄、電波男さんがやられちゃったら、もう誰も
「もう一度法論を」と思う方はいないのかな?
989321:02/11/02 17:33
電波さんは、このスレッドでも4発でリングに沈んじゃったしね。
ちょっとしょぼかったですね。

おわり。
990死後の世界信じないよ:02/11/02 18:39
> 321さんは、電波男さんに なにか感情的な想いがあるようですね。

怒りの原因はわかりませんが、、、、

電波男さんの話はしっかりしてるし、筋も とうってますよ。そう ここで挑発しないでください。

良い人じゃないですか。人間も出来てるし。 仲良く出来ませんか??

仏教論だけではなく、いろんな経験もされてるようですし、死後の世界について教えてもらえそうです。

321さんが、深い知識があると 電波男さんを招待してくれたんじゃなかったんですか?

まー このスレでの 仏教論議だけはお許しくださいね。
991死後の世界信じないよ:02/11/02 18:53
>>981
今レス読みました。なんと 「無」についてのスレ立てた方ですか。。
僕には難しかったけど、面白かったです。うれしいなー。

ぜひこのスレでの戦力になってください。 あのスレ立てた方でしたか。。。

今後ともよろしく。。
992ヘノ〜マン:02/11/02 19:18
言っておきますが、セックス三昧などの世界は地獄ですよ。
また、仏陀はブラフマンとも逢っていますが教義には出てきませんが神の概念とは絶対神の概念の事です。
あまり頭でっかちの教条主義だけで理解せず信じないさんが仰る様に心の理解が必要なのでは?
宗教学者ならまあ仕方ありませんが、しかし、それも資料に過ぎません。
仏教用語も良いですが簡略化して説明できなければ意味は無いし、自分自身の翻訳化や言語化が大事なのではないでしょうか?
また御互い、揚げ足取りのしあいをしてもしょうがないですし、議論にもならないでしょう。
993栗花 馨:02/11/02 20:01
実際の自分の生活上の体験から実感している事を話してる人は言いたい事がよく伝わるよね。
死後の世界についても自分は亡くなった大切な人に会いたいだけですね。
情報交換とか体験談とかには興味をもって読めました。
煽るとむきになってしまうの読むとやっぱりねで終わってしまいます。
クールに赤裸々に生の自分について死とは?死後って?と向き合うのは価値のあることでした。
宗教話もそれ絶対だな?と問い詰めても意味無いですよ。ほんと、個人で完結してますからね。
ともあれ、いろいろとありがとうございました。
994死後の世界信じないよ:02/11/02 21:05
>>993
>栗花 馨さん。 
なんかもう カキコやめるようなこと言わないでくださいよー。。
ニヒルなようで あったかいコメントを ぜひ これからもお願いします。
995くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/02 21:12
>>992
しかし、絶世の美女で何度やっても処女ですよ。
コーランに書いてあるそうです。ぼくには天国ですね。
イスラムいいよなあ。
996名無しさん@1周年:02/11/02 21:20
僕が1番。ただいまー。ヘノーマンさんおみやげあるよ。(笑
997997:02/11/02 21:26
998998:02/11/02 21:26
jfuyd;ljl
999999:02/11/02 21:27
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10001000:02/11/02 21:27
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。