あまり卑近な例はかけないが
統一に対しての信仰心があるものでも
私の年代の者たちははっきり2分化されていると思う
第1種
み旨とやら目前の義務に終始して100%それに
身をおいているもの
頭の中はそれのみ
第二種
環帰郷その他で現場から一歩退いたものもしくは
退かされたもの、
客観的に統一を観察するようになるものもいる
このほかに1でいながら2のような考えで自らの
経済的、保身的作業をちゃっかりしてしまう
前会長のようなものもいる
ところがここのサイトで述べられているもの
あらしをしているものはもっと次元が違っていて
原理の入り口でのことをのみ追求しようとしている
人生上の経験と信仰生活がなせる業だが
統一で言うように幼い、基準が、とかいってしまうのもおかしいが
私の立場で言わせてもらうと
とうぜん第2種
日本の組織はいまや
禁欲主義=金のなる木
という法則の下、韓国の食い詰め物たちの草刈場になっている。
この主張はこの第2種者たちの隠れた大問題となっている
そこで聞かれることは教会の表舞台ではけっしてきかれない
不満だらけである
前述のサタンの侘びなどその典型であり
「センセーももうろくしてきたね〜」
経済も自分の利権は自分で守らなくっちゃ
実直な○島さんなど自分で稼いで自分で貯金
ある政治利権を持っていた大○さんも金は献金すべきではない
とか公言すらしている。
さきゆき、センセー亡き後あのぼんくら次男とおばかのつる子
ではもうだめぽーとの判断も影ではしている。
一般信者、やそれになろうとしている方は
こういう現実が裏にあるということを
しっていてほしい
それでも原理はある意味真理性は部分的にあると思う50代です