☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆

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343 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 09:03
★テルトゥリアヌス(155年ごろ生まれ、190〜195年に改宗し、220年以降に没している)
  百卒長の息子でカルタゴ生まれ。
法律と修辞学を学び、生活語のラテン語のみならずギリシア語に精通していた。
司祭になったが、三位一体を言い出した初めの提唱者であり、
204年ごろからモンタノス派になり、213年に完全に正統教会から離れている。
  彼の慣用句に、
「キリスト教徒は生まれながらにしてキリスト教徒であるのではなく、キリスト教徒になったのである。」
「アテネとエルサレムとに何の関わりがあろうか」
「哲学者はギリシアの弟子だが、キリスト教徒は天国の弟子だ」(以上 護教論) 
  父・子・聖霊
実体[substantia]の統一性[unitas]は三一性[trnitas]へと 
秩序づけている経綸[オイコノミア]の秘義は守られている。・・・
・・・本質[status]についてではなく、相対的な位置[gradus]についてであり、
実体についてではなく、形相[forma]についてであり、
力[potestas]ではなく、〔それをになう〕具体的存在[species]についてであって、
この三つは一つの実体、一つの本質、一つの力に属している。
なぜなら、神は一つであるが、この神から、父と子と聖霊という名で、
このような相対的な位置、あるいは形相、あるいは具体的な存在が生じると考えられるからである。
(『プラクセアス反論』ニ・4〔土岐正策 訳〕)
339 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 08:58
>>327
8 バシレイオス=聖ワシリー(330年頃)
【 父と子と聖霊 】
御霊は、真理を観ようとする人に、霊自身の中で、観る力を与える。
外から示すのではなくご自身の中で、知に導いて。
「父を知る者は子のほかにはない」(マタ一一・27)ように、
「聖霊の中でなければ、だれもイエスは主であると言うことができない」
(Tコリ一二・3)からである。
聖霊"によって"でなく、聖霊"の中で"と言われている。
「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまことの中で礼拝すべきである」
(ヨハ四・24)と、またこう書かれている、
「われらはあなたの光の中で光を見る」(詩三六・9)、すなわち
「世にきて、すべての人を照らすまことの光」(ヨハ一・9)
であるところの御霊の照明の中でと。
このように、ご自身の中で独り子の栄光をお示しになり、
またご自身の中で、まことの礼拝者に神の知をお与えになる。
そこで、神認識の道は、
一なる御霊から、一なる子を通して、一なる父へである。
また逆に、本性的善性と本性としての成聖および王たるの価は、
父から、独り子を通して、御霊に至る。
こうして〔三つの〕位格(実在[ヒュポスタシス])を告白し、
しかも一つのはじめ[モナルキア=神理解]
の敬虔の説教を歪めることはないのである。・・・・・・
(『聖霊論』一八・44−47〔山村敬訳〕)
→原典古代キリスト教思想史2ギリシア教父 (小高毅編:教文館)p132
341 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 09:01
キリスト教教理史入門 諸信条の成立 
アラン・リチャードソン著 シリル・H・パウルス訳 
日本聖公会出版部 1968年7月5日250円

p79 アポリナリオスは人間を
身体(ソーマ)、霊魂(プスケー)、霊(プネウマ)に分ける
聖パウロの周知の分割法を採用した(Tテサロニケ五・二三)。
彼の心理学〔霊魂論〕によると、
霊は(動物にない)人間の理性的、道徳的、霊的〔宗教的〕機能、
すなわち人間の持つ特に人間的な要素(人格)であり、
霊魂は肉体的生命、人間と動物とが共有している機能である。
そこからアポリナリオスは更に一歩進めて、
キリストの人格には人間の霊はない、なぜならキリストにおいて
霊の占めるべき場所にロゴスがはいっているからである。
・・・人間の霊または精神(mind)がない。
従ってキリストには完全に罪がない。
p80・・・人間を動物から区別するはずのものが
キリストの人格に全然存在しない・・・神性と人性が一つでない・・・
p84・・・キリストの人格における二つの本性(natureすなわち、
神性と人性)・・・
p89・・・四五一年のカルケドン総会議の信仰定式・・・
p89−90・・・主は神性において全く、人性においても全く、
まことの神にしてまことの人、理性的な霊魂と(アポリナリオスに反対)
身体を持ち、・・・二つの性において混じることなく、
変わることなく(エウテゥケスに反対)、分けられることもできず、
離すこともできぬおかたとして(ネストリオスに反対)・・・
合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく・・・
一つの人格、一つの本質にともに入り、
二つの人格に分かたれ裂かれることなく(ネストリオスに反対)
・・・ロゴス、イエス・キリストである。
340 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/23 09:00
20 エフェソス公会議からカルケドン公会議(433−435)
【 合同信条 】
(神の母=テオトコス)なる(処女=童貞)に関して、
また独り子なる神の御子の(受肉=籍身)の方法に関して、
我々は次のように考え、かつ主張する。・・・・・・
この方は、その神性によって、
代々に先立ちって御父から生まれたが、・・・・・・
その人間性によって、処女マリアから〔生まれた〕のである。
この方は、神性によって御父と(同一本体の者=ホモウシオス)であり、
人間性によって我々と(同一本体の者=ホモウシオス)である。
実に、二つの(本性=フユシス)の
(合一=ヘノーシス)が実現されたのである。
それ故、唯一の(キリスト=メシア)、唯一の御子、唯一の主を
我々は宣言〔信仰告白〕する。
この混合なしの合一という理解に即して、
我々は聖なる処女を「神の母:テオトコス」と宣言〔信仰告白〕する。
神の(言=ロゴス)が肉となり、人間となったのであり、
受胎の瞬間から、彼女〔処女〕から取った神殿を
ご自分と合一されたからである。・・・・・・
神にふさわしい〔諸発言〕をキリストの神性に帰し、
低次元の〔諸発言〕をその人間性に帰しているのを我々は知っている。
→原典古代キリスト教思想史2ギリシア教父 (小高毅編:教文館)p403−404
もとぴサン?以下のレスの三位一体の解釈をドウ思いますか?

●ろんぎぬすの専用スレッド7■
36 :ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/11/04 20:42
>カトリックの方へ? 
>1のDの否定で、キリストの受肉の解釈は コレでヨイでがしょうか?

ドケティズム__霊は神で肉体は悪魔。天使が人となって仮に現れ、十字架後に人を捨てて天に戻った。
サベリウス___神は、父なる神から子のイエスに変身し地上に現れ、復活・昇天後は聖霊に変化した。
アポリナリオス_霊は神で、魂と肉体は動物と同じ人間となって現れた神。
正統教理____霊も人性と神性(神のロゴス)を持って、原罪の贖罪や神の啓示の役割を果たす。
____受肉は、神のロゴスが霊(理性)・魂(心・精神作用)・肉体の3つの人格にともに宿り、
____3つの人格に人性・神性が、分かたれず混ざらずに存在する。
____主なる神の父・子・聖霊の3つの側面を神格と呼んだ。
動物には、人間特有の「道徳を知覚し理性」が存在する霊はなく、魂と肉体だけの生き物である。
マリヤは、霊(神)魂(人)肉体(人)を生んだ(アポリナリオス異端説)のではなく、
マリヤは、霊(神のロゴス・人)魂(神のロゴス・人)肉体(神のロゴス・人)を生んだ。
肉体には復活ゆえに人にはない神性があり、霊には神にはない原罪の贖罪ゆえに人性が存在した。
マリヤは、子の側面の神格を生んだので、神を生みし者(テオトコス)と称した。