74 :
名無しさん@1周年:
うろ覚えであるが。。。
自分を愛するように隣人を愛せよ。(レビ記の前文は、自分の国の人を恨んではならない。)
自分のして欲しい事を、相手にせよ。これが律法であり預言者である。
私は平和をもたらしに来たのではない、否、
・・・国は国に、娘は母に、子は父に逆らうであろう。また戦争の噂を聞くであろう。
と、
イエス様が言っていらしたのは、ドウいう意味合いだったのだろう。
拉致関係を否定し誤魔化してきたクリスチャンは、
イエス様の言葉に逆らったわけなのか?
自分の国に反対するのは、国を恨む事にならないのか?
自分が拉致され絶望の内に死ぬのを、自分を愛することになるのか?
自分がして欲しい事の一つに、絶望の内に死ぬことを望んでいるのか?
イラクのような危険な国が核兵器で世界を脅そうと戦争を企んでいるのに、
防御も、核兵器保有阻止の攻撃もしないで、
平和だ。安全だ。などと嘘を言うのか?
敗戦ボケ・平和ボケが60年あまり3世代になる。
日帝35年(1910年8月〜1945年8月)や、
抗日戦争15年(1931年〜1945年)の1世代に満たない騒ぎと、
比較になるのか?
大戦末期や終戦直後に仕返しの日本人の犠牲や日本人建設物・所有物の略奪や、
朝鮮戦争までの韓国人の親日派への虐殺、
蒋介石など外省人による台湾人への白色テロの犠牲は、無意味だったというのか。
まだ仕返し足りない。というのか?