北朝鮮拉致事件とキリスト教会

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695すねイヌ
>623 :仔猫 :02/11/09 17:20
> 石原莞爾ってヤツが良く言われるのは福田和也のせいだろうが、
>アイツが泥沼の日中戦争の口火を切ったんだろ? 挙句に国際社会
いや、ソウばかりはいえない。
 1931年の満州事変は、事前調査で日本側から仕掛け、長春で思わぬ市街戦になった他は、
作戦通り日本軍側に馬賊や地方軍閥が寝返って、
張学良の直属軍だけ逃げ出し作戦成功だったが、
 1937年の支那事変は、支那側共産軍の朱徳将軍による日本から手を出させて、
支那側国民党軍への勘違い攻撃で、相互攻撃を始めさせる誘導作戦に、
北京だか天津の日本軍側が引っかかったものなんだ。
 牟田口将軍が作戦もなく、満州で上手くいったから、俺に遣れない事はないとウヌぼれていたのさ。
これは帝国軍人の勘違いな日本は強くて偉いという思い上がり根性によるね。
 東京の政府は不拡大・不拡大って、停止を呼びかけたのに、
日本軍内部のライバル意識ばかりの牟田口将軍が泥沼にしたのさ。
 こーゆー作戦や工作もしない奴が、満州みたいに1週間で終わります。
日本軍に恐れをなして媚びるハズです。なんて、
東京に根拠のない報告挙げ、中国と全面戦争にしたんだ。
 日本人の悪いところだね。アイツが出来るのに俺に出来ないことはない。
同期ぐらいで同じ部隊員数だし、とか、作戦範囲の中国人との協力も考えないし、
連絡も入れないで戦争をヤル奴等だったんだから。
696すねイヌ:02/11/09 20:58
>623 :仔猫 :02/11/09 17:20
>つづき。
 満州事変の作戦の状況判断で、アメリカ軍が海軍をフィリピンに派遣して威嚇するだの、
モンゴルのソ連軍は動くかとか、モンゴル族は中国側に寝返る危険があるかとか、
石原将軍が考えるほどに、牟田口将軍は国際情勢判断の見通しなんてなかったさ。
 北支那方面軍はアメリカ軍が動かず、中国内部の毛沢東や蒋介石が嫌いな雑軍が、
日本軍に協力してくれる共同軍になってくれる。って見通しなく始めた。
 それが上海戦が起きて中支那方面に飛び火し、
満州と違って戦争不慣れな徴兵だから切れて南京戦で例の事件を起こすことになる。
 石原将軍は帝国陸軍は、戦車など優勢な火力あるソ連を警戒すべき相手で、
帝国海軍はアメリカの太平洋を渡って妨害してくるのを防げる力を持つこと。が目標だった。
それで当面は関内(万里の長城より南の山海関の内側)に手を出さない考えだった。
 それが、中国と全面戦争で、長期になっちゃったから、ベトナムの補給を断とう、
いやタイ・ビルマまでも断とう、じゃあアメリカの方まで仕掛けるという自滅をした。
 戦争と言うのは、終結のメドと取引条件を相手が飲んでくれる事が前提で戦うべきなのに、
牟田口将軍と来たら交渉も減ったくれもないのだ。責任も感じず南方で勝手に戦死した。
石原将軍は戦後まで生き残り東京裁判で不起訴になった。
697すねイヌ:02/11/09 21:01
>623 :仔猫 :02/11/09 17:20
>から孤立して日米戦争にまで進んだ。とんでもないヤツだ。
違います。
 歴史の後知恵かもしれないが、うまく1941年春ごろから、
アメリカのハルノートや独ソ戦の情勢判断で三国同盟の破棄を見切らないから、
中国との停戦で暫時に撤退して、
 内陸の租界の日本人を防護しながら帰国させ、進出した日本軍の大兵力を、
沿岸部や朝鮮や遼東半島に結集させて、遼東半島以外の満州の返還だけで、
交渉を進めて時間稼ぎしたら、無条件降伏でボロボロにならずに済んだ物を、
朝鮮や台湾や樺太・千島や南洋諸島の信託統治領まで失ってしまったんだね。
 江戸の千島・樺太や明治の台湾と大正の南洋諸島は、
朝鮮や遼東半島や満州と違って、基本的に戦場として勝ち取ったのではなく、
台湾出兵はあったものの駆け引きで獲得した物だったのに、
昭和になってから力任せばかりで、取引や掛け合いが下手になったからさ。