>843,主人公の千尋が千と呼ばれていた点に、
本来の姿を隠されている禁忌をみる思いがしましたよ。
とりわけ千尋の友となった龍のハクが、本当の名前を「ニギハヤミ 琥珀主」を
思い出すシーンも印象的でした。
千尋が昔、マンションが立つ前に水遊びをした場所として
説明されていましたので、賑速水の水神(龍)と充てたり、
ハクを伯(東伯父)とか白(色霊)などで、楽しんでもみました。
しかし、こちらで「ニギハヤヒ」が取り上げられている事と重ねてみますと、
大和朝廷が成立する過程で、逆賊扱いを受けた記述があった事を思い出し、
物部と縁深き事、熊野の奥の院に鎮座まします玉置神社の御祭神であった事などに
思いを馳せた時に、ふとした考えが湧いたのです。
879 :
他板の暫定153:03/03/19 17:24
聖徳太子は隋に国家としての統治体がある事を
初めて認めさせた。
それ以前までは、中国大陸を主に、直接にまた朝鮮半島や沖縄経由で、
多くの部族が日本列島に入り込んでモザイクを形成しており、
唐帝国に対抗して大和朝廷として纏め上げた都合上、
その多くの部族を纏め上げる意味で、一つの歴史物語が必要となり、
記紀の編纂という果に至った。
しかし、統治者があたかも土着していたという歴史的大改竄がなされ、
自然崇拝に仙道が呪術的儀礼や意義を付加して神道へ流れるのと
並行する様に、海(アマ)から着た者を天から来たと摩り替え、
空から降臨した絶対者の扱いをする事により、太陽信仰と結び付けて、
王権神授説に仕立て、棲み分けや融合から統合に転換し、
応神天皇の時代に現在の皇室の祭祀儀礼に直結する完成をみた。
という考えです。
明治以来の近代化の課程で一段と封じられた、
広く伸びやかな魂の復権を祈り千尋という名をあらためて見ていました。