α〓〓〓教皇にマリヤ崇敬廃止を勧告する〓〓〓ω

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400名無しさん@1周年
>>392私たちは、ただ1つ、マリヤ崇敬の誤謬を知らしめているのです。これからも知らしめます。それは兄弟愛からです。

キリスト教が「大地母神」を飲みこんで行った過程を見ていこう。
パウロがクリスト教を布教しようとエフィソスにやって来た。エフィソス
人は家々にアルテミス神殿の模型を作って拝み、模型作りの銀細工師がそれ
で儲けていたので、「大女神アルテミスの宮も蔑せられ、全アジア全世界の
拝む大女神の稜威も滅ぶるに至らん」と言って偶像崇拝を批判した。すると
人々は「大いなるかなエペソ人のアルテミス」と叫んで暴動になって、群衆
は2時間もパウロを取り巻いた。結局、書記役の仲裁で騒ぎは治まり、パウロ
はギリシャへと逃げ出したのである。その約400年後、布教の3大拠点の
一つなったエフィソスで第3回の公会議が開かれることになる。
401名無しさん@1周年:02/09/27 01:38
 その前にコンスタンチノポリスで第2回の公会議が開らかれた(381年)。
そこでは、ミラノ会議でのアリウス派優勢の決定を覆し、エウノミオス論争
(神とキリストは同じではない)に決着をつけ、ニケア・クレド(信条)を
確認した。すなわち「神とキリストと聖霊は、同一のウーシア(本質)を有
すると共に、異なる3つのヒュポシタンス(実存、格位)を有する」という
三位一体論である。雑駁に言えば、イエス・キリストも神様の仲間入りをし
たのだ。しかし新たな教義の矛盾が生じた。

 イエスは神と同じ性質だから、イエスを生んだマリアもただの人ではない、
格上げすべきだという論議が起こった。マリアは「神の母(聖母)」であり、
人が持つ原罪から免れているという考え方である。エフィソス公会議(431年)
で、エフィソス人にたきつけられてアレクサンドリア総司教キリウスの一派
はマリア礼拝を議決してしまう。一方、マリア崇拝に反対しイエス・キリス
トの神性を小さく評価したコンスタンチノープル総司教のネストリウスは破
れ、やがてエデッサに構えて東方への布教を行うことになるのである。
402名無しさん@1周年:02/09/27 01:38
では、この400年間に何が起きたのであろうか? 
実は、後で書かれた新約聖書ほどマリアについての記載が増えて行く。
パウロの「ガラテヤ人への手紙」ではマリアの名前はなく「御子を女から
生まれさせ」とあるだけ。マルコ伝では、マリアはわが子イエスが何者かを知らなかったし、イ
エスも「私の母とはだれのことか」と重要視していない。マタイ伝になっ
て処女受胎のことが書かれ、エジプトへの逃避行のエピソードが出てくる。
ルカ伝では多く語られている。主イエスの僕であり貧しき者の代弁者である。
パウロ布教のしばらく後、ヨハネはエフィソスで宣教し、ここで福音書を書
いた(ヨハネ伝)。それには、イエスが水をワインに変えた時マリアが奇跡を
指図しているし、イエスの受難に立会い、使徒の一人のような立場になってい
るのだ。つまり、パウロのエフィソス布教での失敗以来、マリアは段々と「格
が上がって」いったのである。

 マリアを格上げさせるにいたった背景を見る必要がある。先に書いたよう
に、エフィソスではアルテミス女神が篤く信仰されていた。ギリシャでは、
大地と農業の神デメテルへの信仰をもととするエレウシス密儀が行われてい
た。ローマには、小アジアで生まれたキュベレー女神信仰に由来するアッテ
ィスの祭儀が盛んであった。またエジプトでは、行政主導のセラピス密儀の
ほかに連綿とイシス密儀が続いていた。何れも、遠く紀元前2500年前のメソ
ポタミアの神イナンナ(後のバビロン時代はイシュタル)に起源を発する女
神たちである。
403名無しさん@1周年:02/09/27 01:39
 農耕・牧畜に依存する社会であるから、大地の豊穣を願う気持ちはことさ
らに強かったに違いない。生命を誕生させる女性の不思議とあいまって、女神
として大地の神(大地母神)は、キリスト教の行く先々に広まっていたのであ
る。世の中が争いに満ちている時は戦の神が崇められ、圧制と腐敗が支配する
社会では愛と正義の神に願いを託す。ミトラ教やキリスト教が拡大したのは、
そんな時代だったかもしれない。しかし、いったん天候が不順となり不作が
続けば、太陽神や大地母神が求められる。いや平和で豊かな日々でも大地母
神への感謝の念は起こったであろう。こうしてイナンナの末裔達は、各地で
しぶとく生きていたのだ。

 イシュタルはバビロン捕囚時代のユダヤ教にも入っており、女神エステル
と呼ばれた。ただバール神ほど重要視されず、やがて唯一の神ヤハヴェに吸
収されて行った。したがってキリスト教にも女神は存在しない。キリスト教
の布教のためには、大地母神を信仰するエネルギーを吸収する必要がある。
パウロらは例の事件で学んだに違いない。父と子と聖霊の系列に足りない女
性原理をどうやって取りこむか、それをマタイやルカが見出したようである。
自然発生的か、政策的方便か、教義考察の結果か、は分らない。いずれにせよ、
使徒はだんだんとマリアを重要視し始めたのだ