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渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :
親鸞が北陸に向かい、そこで見たものは何だったのか。妖怪でもない。魔物で
もない。化け物でもない。日々を必死に生きようとしている老若男女、善男善女
の姿ではなかったか。
よそ者の親鸞には、在地の人に教わることが多い。親鸞は、教わり上手、聞き
上手だったのかも知れない。裃を脱ぎ、腹を割り、礼を尽くし、素直に耳を傾け
れば、相手が流刑人といえども邪慳にする村人ばかりではなかったろう。晴れれ
ば荒れ地を開墾し、種をまき、水を巻き、肥やしを撒く。流刑者という汚名を受
けながら、村人の中に必死に溶け込もうとしつつ、降ればあばら屋でひたすら念
仏三昧ですごす。親鸞はそんな毎日を送っていたのだろう。この時は既に在俗
の身である。僧に戻れる望みはない。そんな厳しい生活の中で、親鸞が村の娘
と恋仲になる。この恋には相当反対も強かったろう。相手が流刑者となれば、恋
は御法度という不文律もあったはずだ。それでも、恋が結ばれていったのは、土
地の人から相当信頼を受ける存在に親鸞はなっていたということを想像させる。長
くつき合えば、境遇に同情する人も出てきただろう。当時は男性の方が女性の家
を訪れ、契りを結ぶ。女が声を掛ければ、流刑者として許されぬ恋とは思いつつ、
一人の男として、女の元に出かけることは自然なことだったのかも知れない。そ
れは、村人に助けられながら、親鸞は村に必死に溶け込んで生きていこうとしてい
たことを如実に物語るエピソードだったかも知れない。
流刑地の親鸞の心を支えたものは何だったか。善人なおもて往生を遂ぐ、まし
て悪人をやなどという悪人正機の教えだったか。おそらくそんな軽薄な思想では
あるまい。
「鬚髪を剃除し袈裟を片に着ん者において、師長の想を作さん。護持養育して
もろもろの所須を与えて乏少なからしめん。」
書物一つ携えず流刑地に向かった親鸞を支えたものは、月蔵経のこの言葉では
なかったか。親鸞が流刑地で目撃した事実も、それが絵に描いたように現れた世
界ではなかったか。