【カルト】聖シャーベル会/リトル・ペブル【コピペ魔】

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『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (3)

マリア様が日本のミッションの分裂と混乱の主な原因として指摘なさった派閥心に関してですが、これから私が
何度も使う「囲う」という言葉は「何かをグループ内の人にだけ利用できるようにし、グループ以外の人、他の
グループの人々に利用させないようにする」という意味を現わすことを頭に置いて読んで下さい。

過去、日本のこのミッションでは、司祭を囲おうとしました。幻視者を囲おうとしました。天からのメッセージ
を囲おうとしました。聖シャーベル修道会の会則会憲を囲おうとしました。英語などの才能を持つ人を囲おうと
しました。組織に組み込むことで人を囲おうとしました。他にも重要な情報を囲おうとしました。そして今でも
やり続けています。これらはそもそも神がすべての人々のために、このミッションに与えたり、送って下さった
ものです。聖福音でイエズスは、天から受けたものを無償で人々に与えなさいと命じておられます。皆さんは
読みながら「なんてケチな根性なのだろう」とあきれていると思います。しかし「ケチ」という判断は当たって
います。そして派閥心を分析するための重要な鍵がそこにあります。人間のこざかしい知恵で、自分と仲間だけ
の利益を計る行動の根底にあるのは「ケチンボ」の精神なのです。
『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (4)

日本のミッションの中で20年間、天が与えて下さる度にその幻視者を囲い、他のグループが囲う幻視者と交流
させないようにして来ました。幻視者本人も「お世話になっているのだから」と、人間的なしがらみに捕われて
囲われることを受け入れました。これらのことが悪いことだとは日本人は誰も思っていません。これらが世界の
常識のように思い込んでいるのです。外国の幻視者は、互いに自分から他の幻視者に連絡をつけ友情を結ぼう
と努めますし、周りの人たちは幻視者を囲ったりしません。その逆に連絡を手伝い「一致の輪」が広がり、強化
されるように助けています。日本人だけが「私たちの幻視者」にしようとするのです。

幻視者に言います。他の幻視者と決して上下なく一致するのです。人の上に立とうとしたり、人を指導しようと
したりしてはいけません。同様に幻視者以外の人々の間でも、彼らの上に立とうとしたり、彼らを指導しようと
したりしてはいけません。過去に人の上に立ち、人を指導しようと考えた幻視者は皆落ちました。外国の幻視者
の模範にならって、どんなにお世話をしてくれる人、またはグループがあったとしても、その囲いものになって
はいけません。神が日本に与えられた幻視者全員と率先して交流し、一つの「一致の輪」を作りなさい。

幻視者の周りの人、プロモーターやグループの中心的な人に言います。幻視者を囲ってはいけません。それは
幻視者に落ちる道を歩かせることです。あなたたちも派閥心を捨て去りなさい。一体どこに「幻視者を知り合わ
せるな、交流させるな」と書いてあるのですか?幻視者が誰一人堅忍できず、幻視者の「一致の輪」という最高
の証しを示すこともできず、20年間が過ぎ去ったのは派閥心のせいなのです。
『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (5)

プロモーターの許可なくメッセージを人に渡してはいけないとか、メッセージを広めるのに対してプロモーター
が何らかの制限をする国、それをおかしいと思わずに皆が従う国が、日本以外の世界のどこにあるでしょうか?
天がすべての人のために与え、すべての人に届けて欲しいと願っているものである天からのメッセージでさえ、
日本では派閥の囲いものにされているのです。

あなたたち日本人は、まず組織の利益が大切なのです。隣人の永遠の運命など二の次なのです。「メッセージを
広めれば、敵に情報が伝わり、組織に迫害が及ぶから、日本のリトル・ペブルさんを支持している人々の不利益
になるから、賢く、慎重にやらなければならない」というのは嘘です。皆さんが思い、やっているのは神の利益
ではなく自分と身内の利益です。どうかグループのリーダー、プロモーターは天からのメッセージを囲わないで
下さい。グループのメンバーは、メッセージを広めることについて何ら制限されてはいけません。だからあなた
の安全のためだと言われようが、組織の安全のためだと言われようが、日本のミッション全体の安全のためだと
言われようが、メッセージを囲う支持には従ってはなりません。
『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (6)

日本のミッションでは、ある期間など、リトル・ペブルさんが天から受けたメッセージを4ヶ所で、少なくとも
4人が4通りの翻訳をしていました。大して差異のない翻訳です。「何で同じことを4人がやるのですか?誰か
一人がやれば済むことでしょう。そうすれば他の3人は別の仕事ができるのに…」と当然考えるでしょう。誰が
考えてもおかしい非能率的で無駄なやり方は今も同様に、すべての天からのメッセージが2ヶ所以上でだぶって
翻訳されるという事態となって続けられています。

ローマ・カトリックの専門用語に強い翻訳者は、日本のマリア様のミッション全体でもわずかな人数です。翻訳
するべきものは山ほどあるのです。翻訳者たちが一致協力して、手分けしてやらなければ、大切な仕事にも手が
回りません。「なぜこんなバカげたことを何年も続けているのですか?」と皆さんは聞きます。「私たちが翻訳
した天からのメッセージは他のグループには使わせない。自分たちのグループのためのものは自分たちで翻訳
しなさい」という主張がまかり通っているからです。

天からのメッセージの翻訳を囲う行為は、日本のマリア様のミッションを分裂させ、グループ同士を敵対させて
います。もし一致協力して仕事をしていれば、何倍もの翻訳の仕事ができていたはずです。その上に、見苦しい
派閥間のいがみ合いは、愛徳を損なわせ、個人個人からも、日本のミッション全体からも多くの恵みを失わせ、
多くの弱い人をつまずかせて、ミッションから離れさせました。グループ自体も行き詰まり、自分の首を自分で
絞める結果になっています。
『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (7)

「第七、汝、盗むなかれ」これは神がモーゼを通して、人に守るようにと命じた十戒の掟です。マリア様のこの
ミッションの日本人は派閥心から、グループの利益のために戒めを破っています。それは有能な人を囲うことに
よってです。有能な人はミッション全体のために、その才能をもって奉仕するために、神から与えられているの
です。それを自分のグループのためだけに奉仕を限定させることは、グループ以外の他のすべての人から奪い、
盗むことです。たとえ有能な人自身がそう望み、同意してそうしていても、すべての人のための才能を独り占め
することは、それをお計らいになった神への反逆なのです。

「第十、汝、人の物をみだりに望むなかれ」これもモーゼの十戒です。神はまたモーゼを通して、「自分自身を
愛するように、隣人を愛しなさい」という掟を与えて下さいました。ところで有能な人があるグループにいて、
別のグループがその人を引き抜いたなら、引き抜かれてしまった方のプロモーターは、グループのリーダーは、
活動できなくなるほどの打撃を被ります。このような行為が、日本のミッションでは20年間変わらず行われて
来ています。派閥心は何よりも自分のグループの利益を追及させ、人を愛と善徳に対して盲目にさせ、その良心
を鈍らせ、善悪の判断すらできなくさせます。

今ミッションに参加している日本人は、神に反逆し、マリア様の命令に逆行する自分たちの行為を、なぜ正しい
ものと思うのでしょうか?「自分たちのグループは神のため」だから「自分たちのグループの利益は神の利益」
という考え方をしているだけに過ぎません。そして「神のためにしているのだから、正しい行為なのだ」と自分
自身で納得できる日本人のこの理論の誤りを明らかにしないと、日本人の良心は目覚めないようですね。
『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (8)

マリア様を嘆き悲しませている日本人の派閥心の罪は、身内という自分たちのグループの周りに壁を築く行為
と、自分たちの利益のみを求め、あらゆるものを囲う行為とを行わせています。派閥心により日本のミッション
では、グループ間の敵対感情は激しく、しかも固まっており、ミッション全体の害となる問題がたくさん生じ、
そのままずっと存在しています。何とか和解の糸口を探り、放っておけないたくさんの問題を解決していくため
に、話し合いが絶対不可欠なのですが、グループのリーダーたちとプロモーターたちは話し合おうとしません。
この話し合わないという行為も、派閥心の罪に特有な行為です。彼らは心を閉ざし、絶交しています。

今、リトル・ペブルさんに一致したこのミッションに参加している人、特にグループのリーダー、プロモーター
は、すでにこじれきった状況にあるのですから、この個人的努力に加え、更に自分たちの周りに築いた壁を打ち
壊し、心と手を開いて、囲っている何もかも、自分自身をも相手に加え、話し合いをして下さい。本当に与える
ことが大切です。何も囲わずに与えなさい。与え尽くしなさい。徹底的に与えなさい。相手に心を閉ざし、絶交
していては、一致に向けてのただの一歩も歩むこととはできません。それを続けてはいけません。
『153本の聖ヨゼフの百合』 Jean−Marie著 [要約] (9)

日本人には、どんな善意の行為もすべて「裏があるのでは?」と疑うほど猜疑心の強い人がいます。もう死語に
なりましたが、色眼鏡で人を見るという言葉があります。「誰かのやることはすべて悪意に決まっている」と、
特定の人の行いを何から何まで悪意に曲解するのです。もうこうなったら猜疑心という罪は、相手を自殺に追い
込むこともあります。日本のマリア様のミッションでは、この猜疑心の罪の最も酷い程度のものまでのあらゆる
形態が存在しています。対立するグループのある相手のやることは、何から何まで悪意でやっていると、互いに
考えるところにまで行っています。この状態を続けてよいわけがありません。マリア様が望んでおられるのは、
皆が固く信じ合い、真の友情で結ばれ、一致し合い、愛し合うことなのですから。