【カルト】聖シャーベル会/リトル・ペブル【コピペ魔】

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705名無しさん@3周年
リトル・ペブルに対する批判が執拗にこのスレにおいてなされているので、やむをえずこれについての簡単な回答と関連ページをここでまとめておきます。

(1)リトル・ペブルは、教区司教および教皇庁から批判されている。
神学的・法的に正当な根拠のない上長の判断・命令に対しては教会法上、上告が可能であり、
カトリック信徒はそのようなものに従う義務はありません。詳細はこちら。

2002年7月1日のリトル・ペブルの手紙
ttp://homepage1.nifty.com/charbeljapan/lpl020701.htm
2002年6月のインガム司教の「教令」に対するリトル・ペブルの回答および上告
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1050547672/928-935/

リトル・ペブルに対するカトリック教会の調査
ttp://homepage1.nifty.com/charbeljapan/chousa_index.htm
ttp://www.shoal.net.au/~mwoa/important_events/index.html

ROMAN APPEALS By Neri Capponi
ttp://www.st-joseph-foundation.org/ci-romanappeals.htm

(2)リトル・ペブルを支持するバルトロメオ・シュナイダー司教は、偽司教である。
この批判をしている現地司教は同名の別人ととりちがえているだけです。詳細はこちら。

2002年6月のインガム司教の命令へのブロウサード神父の回答
ttp://www.shoal.net.au/~mwoa/documents/my_replyto_bishopingham_25june2002.html

司教叙階の有効性・合法性についてはThuc Lineについての説明をナウラのHPで参照のこと。
706名無しさん@3周年:03/09/30 21:23
(3)リトル・ペブルは、多くの人から金をまきあげた。
ミッションへの寄付は自発的に行われるものです。リトル・ペブルによる強要・恐喝の事実は法廷的にも証明されたことはありません。また、聖シャーベル修道会に入会した場合でも、退会時には財産の返還が会則で規定されています。

(4)リトル・ペブルにかかわった人々の中に、自殺者がいる。
リトル・ペブルが自殺をすすめた事実が法廷的に証明されたことはありません。

ウガンダの事件に関するリトル・ペブル自身の言明
ttp://www.shoal.net.au/~mwoa/press_releases/press_release_26th_april_2000.html

(5)リトル・ペブルの予言は、多くが実現していない。
旧約聖書の例に明らかなように、災いの予言はもとより条件付きのもので、人間側が解釈したように実現するとはかぎりません。

啓示による予言は、人間側が解釈したように実現するとはかぎらないことについて、
聖トマス・アクィナスは「対異教徒大全」第百五十四章12節で、イザヤ38:1におけるヒゼキヤ王についての予言を例に取りつつ説明しています。
英訳は
Summa Contra Gentiles(University of Notre Dame Press)Book III,Part II,p.244参照

リトル・ペブルの予言一覧
ttp://www.shoal.net.au/~mwoa/book_extracts/list_prophecy.html
707名無しさん@3周年:03/09/30 21:25
リトル・ペブルを支持するシュナイダー司教は、司祭であったときはスペインのトレド教区のCardinal Marcel Gonzales Martinのもとで働いていました。
1998年に、彼はThuc Lineの司教であるアタナシウス司教から司教叙階を受けています。
Thuc LineというのはベトナムのArchbishop Pierre Martin Ngo-dinh-Thuc(†1984)から司教叙階を受けた個々の司教たちの系列のことで、ピオ十世会と同様の保守主義的路線をとり、ヴァチカンに不従順でした。
しかしアタナシウス司教は一致に立ち戻り、2001年に教皇ヨハネ・パウロ二世とミサを共同司式しています。

その他、リトル・ペブルを支持したカトリック教会の高位聖職者たちは以下のとおりです。
1989年12月に、ザイールのモケ・モツリ司教は、彼の教区のためにリトル・ペブルの仕事を認可。
1992年6月にトゥク大司教の後継者の司教たちの一人、パリのミゲ司教は、聖シャーベルの祈りのグループとこのミッションを認可。 
1992年11月に、インドのエルナクラム大司教区のアントニー・パディヤラ枢機卿は、リトル・ペブルを支援。
1994年4月に、マロン典礼のレバノンのナッセル・スフェイル枢機卿は、聖シャーベルの祈りのグループに彼の公けの認可を与える。
1994年1月に、レバノンのベイルートのギリシャ・メルキート典礼のハビブ・バッカ司教は、同様に聖シャーベルの祈りのグループに認可を与える。
同じく1994年に、マロン典礼のレバノンのアラドのフランシス・ネメ・バイッサリ司教は彼の認可を与える。
1998年7月に、ベネズエラのメリダのバルタザル・エンリケ・ポルラス大司教は、シスター・マリア・ロドリゲスを通してリトル・ペブルを支援。
1999年に、ナイジェリアのフレデリック・エツォウ−ンザビ−バムングワビ枢機卿とムランドゥ・マイイ司教は聖シャーベル修道会の仕事を認可。
2001年5月に、アンティポロのグンゴン司教は彼の教区内で、この修道会が設立されるのを認可。

しかし、ウィリアム・ムレイ司教と、彼の後任者、フィリップ・ウィルソン司教の介入によって、これらの多くの方々は支持から手を引きました。
問題は、適切な教義的根拠もまったく明示しないまま不当な批判を繰り返すこれらの現地司教の言動にあります。