このとき、生長の家の政治結社たる生政連は、「倉石発言支持」「自主憲法制定のキャ
ンペーン」を決定し、素早い反応をみせた。街頭運動から、ハガキ、電報作戦までくりひ
ろげた。また、会員千数百名が、国会に請願デモをかけた。しかし、この倉石問題は、佐
藤首相の“トカゲのしっぽ切り”第一号で、倉石が辞任ということで、幕を閉じた。
このあと、倉石は親分の福田赳夫――当時幹事長とともに、生長の家の本部をおとずれ
て、感謝の意を表明している。とくに福田は、このとき、「現憲法は、改正を考えるべき
だ。生長の家のような団体が、もう二つ三つあれば、日本は絶対に心配はないのだが……」
と、生長の家を礼賛したというのである。
谷口たるもの、大いに感奮興起せざるをえない。この年の参院選では、生政連は現役の
重宗雄三(のち参院議長・故人)と、新人の玉置猛夫の二人(ともに党籍は自民党)を、
公認候補として擁立した。重宗は八八万二〇三六票で第五位、玉置は六二万七八九七票で
第二十一位――ともに当選した。
生長の家は、やがて自民党の衆議院候補にも力を貸し、大きな発言力をもつに至ったの
である。ことに、オールド・ライト勢力に対する作用力は急速に膨張を遂げた。
ところで、現在、生長の家はどれほどの実勢力をもっているのか?文部省の「宗教年鑑」
によると、会員数は二百四十万人――ということになっている。生長の家の本部総裁室・
企画情報部長・情報宣伝部長の大峡儷三は、この数字をまっこうから否定する。
「本当のところは、百三十五万票でしょう」という。“人”といわないで、“票”という
ところが、政治づいていて面白い。しかも、文部省調査より、ぐんと少ない数字をいうと
ころが、“谷口雅春”的でもある。
「なにしろ立正佼成会など、ずいぶんと多いようなことをいってますが、百十万票ほどで
したからな」
つまり、四十九年(一九七三)の参院選全国区の票のことをいっているのだ。
「得票数をみるのが、一番正確で、信憑性ある信者数の把握の仕方です」と、コメントを
加えた。
しかし、会員数はとにかくとして、本部には三百五十人、練成道場には二百五十人の職
員が働いている。付属、外部事業団としては、世界聖典普及協会、生長の家社会事業団、
新教育者連盟、日本教文社、生長の家政治連合と、財団法人やら株式会社、政治結社を擁
しているのである。
このうち普及協会、教文社は、事業法人として独立採算制をとっているが、あとは寄付
によって運営されている。聖使命栄える会(会員八十万人)というのが存在していて、月
額二百円、四百円、一千円のランクで、それに応じた会費を納入、これが主な財源である。
それと、他宗団と異なっているところは、谷口総裁と、その女婿清超副総裁の講演収入
がある。全国五十九ヵ所に区分された教区に、年一回以上講演に出かけるのだが、これは
入場者から最低千円の聴講料をとるのである。聴講者は、一回で一万人前後というのだか
らそれだけでも、莫大な収入になる。
この資金力もまた、票の力とあわせて、たいへんなパワーになっているわけだ。
先見者、谷口氏が狙うもの
おそらく、すでに十分に気づかれていると思うのだが、生長の家はどこか他の宗教団体
とは異なっている。
「その教義からして変わっている」と見て、大宅壮一は、「宗教の百貨店」と評したこと
がある。さきの昭和十年発行の「話」が指摘しているように、キリストあり釈迦あり、孔
子、老子あるの感がある。谷口の所説をもってすれば「それが万教帰一」という論理にな
るのだろうが――あるとき谷口は、側近にこういったという。
「デパートなら、デパートでもいい。デパートというところは、よい商品が集まっている。
その伝でいうなら、生長の家には、各宗教の真髄だけが結集されていることになる。私は
神のラッパ吹きでいい」
生長の家の幹部連も、そのあたりは割り切っている。
「いかなる宗教も、帰するところは一つ。ああでもない、こうでもないといっていたので
は、宗教戦争も同然で、人類の救いなどとてもできませんよ」
そのせいか、生長の家本部は、抹香くさい印象は全然ない。岸田日出刀の設計にかかる
その本部(渋谷)に入ると、むしろ政党本部にきたような雰囲気さえある。これは、谷口
が、「神は無限である。人間の悟性に内在するもの」といって、神殿らしいものをつくら
なかったからであろう。
それにしても、宗教法人である以上、その規定の“ご神体”がなくてはならない。強い
ていうならば、信仰の対象らしきご本尊は、昭和二十四年(一九四九)に、谷口が書いた
“実相”という二字の掛軸――本部礼拝堂の正面に掛かっているそれである。
谷口みずからは、自分がシャーマン視されることを嫌っている。神であることを否定し
ている。いきおい、その行事も、氏自身の著書「甘露の法雨」なるものを、参集した人た
ちが、声をあわせて読むだけのことである。それも、二十分程度で読みおわるもので、聖
書や経文とは違っている。
このような他の既成、新興宗教のいずれとも異なっていることの根源は――実は谷口雅
春その人の人間性によっているというべきであろう。
谷口は戦前のある時期、“生長の家経済連盟”を提唱したことがある。執務時間を平等
に分配すれば、失業者がなくなると同時に、就業時間の短縮ができる――ということが狙
いで、この経済連盟を企画したのだ。このあたりは、よくいえば戦後今日の週五日、一日
七時間制などを、先駆的に予見したといえそうだが、反面、谷口その人のなかに、経済の
算盤を弾く才があることの証拠であるかもしれない。
事実、生長の家を、教化団体、誌友制度という形で、隆盛にみちびいたなどは、経済的
才覚がなければ、でき得べきことではなかったといえそうである。
戦後に至って、谷口は、無痛分娩の産院設置を計画したことがある。二十二年(一九四
七)十一月号「生長の家」のなかで、「二月怱々、建物(多摩療養所)の一部に、まず無
痛分娩産院を開設することになり、高知の徳久克巳博士が来任することに決定しています。
闇から闇へ葬らるべき嬰児の生命の救済も行うことになっています」と書いている。
ところが、当時の占領軍司令部は、「宗教で無痛分娩するなど聞いたことがない。アメ
リカでは、麻酔剤の注射、子宮口の開口する注射で行なっている。医学は医学、宗教は宗
教、それをゴッチャにやることは許されない」と、許可を与えなかった。
考えてみれば、今日、常識になっている無痛分娩の知識を、谷口がどこから仕入れたか
わからないが、多分に先見性があったことはたしかである。
さらに、宗教団体としての政治進出においても、谷口が先駆的であったことに、間違い
はない。
そうした谷口が、二十六、七年ごろから、急速かつ鮮烈に、生長の家を日本主義、愛国
主義のカラーに染めはじめ、日の丸擁護、君が代斉唱、天皇元首を核とした憲法改正の行
動を起こしはじめたのは、どういうわけなのか。
これは、世間的には逆コースに映るが、谷口の内部では先駆的、先見的なものとして組
み立てられているのだろうか。
あるいは、これらのことはすべて、大宅壮一がいうように、よいと思えるものは、なんで
も並べるというデパート的発想にもとづいてのこと――といえるかもしれない。しかし、
私は、子供のころ新聞広告をみて、その眼と心理に映った印象――ある種の異様さを、谷
口正春という人物に感ずるよりほかないのである。
あの・・・荒らされてるんですかココ?
大宅壮一全集 第四巻
「生長の家」を解剖する
T
近頃金持ちの文学青年で、雑誌を出したり自費出版をしたりするものがよくあるが、い
つかわたしたちの間で、果たして金力でもって文壇に出られるかどうか、それにはどれく
らいの金をどういうふうに使えばいいか、ということが問題になった。するとこういう方
面にかけては天才的な奇知を示す某君がいった。
「それには、まず朝日とか日日とかいったような大新聞のある面を指定して、それに広告
料を払って自分の作品を連載するのである。予告も新聞社式に記事広告として出し、当代
一流の画家に頼んでさし絵を書かせる。もちろんどこかすみっこに小さく広告と書いてあ
るから、いやそれがなくとも一部の読者はそのからくりを見抜くだろうが、大部分の読者
は新しい連載小説だと思ってそれを読み出す。どんなおもしろくない小説でも、何十万何
百万という読者の何パーセントかはそれに興味をもつにちがいない。後にそれが広告だと
いうことがわかっても、それまでに読者の心を完全につかんでしまえばなんでもない。万
一その作品が少しでも当たったとなると、新聞にとっては広告収入という点を離れても、
必要なものになってくる。そうすれば、きっと他の新聞が、うんと広告料を割り引きして、
受け方いかんによっては、無料でも出すといってくるにちがいない。そうでなくても、
A新聞に連載していたものが、『明日からこの続きはB新聞に出ます』という予告を出され
たりすると、A新聞にとっては打撃だからあるいはB新聞以上の好条件を提出するかもしれ
ない。そしてこの間のタクチックを巧妙にやってのければ、ついには一人前の作家として
遇せられ、最初に投資した広告料くらいはすぐ回収できるにちがいない」
果たしてそう注文通りにいくかどうかは疑問だが、これは現在の新聞というものの文化
的並びに反文化的機能をうまく風刺した一つの寓話とみるべきであろう。読者すなわち学
問を意味する今日の社会では、活字というものに対して拝物教的な超批判的な態度を無意
識のうちに示しているものが多い。ジャーナリズムは二十世紀の宗教であり、活字はその
神であるとさえいえないこともないくらいである。
この心理を巧みに利用しているのが、現在の広告術である。今日の新聞の広告面を冷静
に批判すれば、そのなかになんらかの詐欺的要素を含んでいないものが果して何パーセン
トあるかといいたくなる。その詐欺性の進歩がすなわち広告術の進歩であり、詐欺性の含
有量の大なるものほどすぐれた広告なのである。いつか某一流出版社の犯罪科学全集の広
告に「文雄、居所知らせ」といったような形式の欺瞞的な広告が出ていたが、あれなどは
それ自体一つの近代的犯罪の見本と見られないことはない。
この方法を宗教的宣伝に応用して、最高のすばらしい成功を収めつつあるのが、問題の
「生長の家」である。近ごろは宗教もせちがらくなり教義や営業方針を合理化し、広告宣
伝法を近代化する必要に迫られて、各宗各派ともそれを実行しているが、各一流新聞に毎
週全三段、五段の大広告を出している「生長の家」は、この点でたしかにトップをきって
いる。これは一流新聞のもっている“権威”を巧妙に利用したものであって、宗教による
ジャーナリズム利用の域を脱し、ジャーナリズムの利用そのものを母胎として、もっとも
アップ・ツー・デートの一つの宗教をつくり出したものといえるであろう。
U
「生長の家」の教義すなわち営業項目は、各新聞に絶えず広告されているから、ここに
改めて説明するまでもないが、一口にいうと、そこから発行されている「生命の実相」と
題する全十巻の『生長の家聖典全集』を読みさえすれば万病はたちどころに治り、すべて
の危険は避けられ、就職は、絶対確実、貧乏は向こうから逃げていくし、求めるものはす
べて与えられるというのである。これほどすばらしい“誇大広告”がかつて新聞紙上に現
われたことがあるだろうか。いやこれはそのいおうとするところを率直にのべたのであっ
て、実際はそうはっきりとはいっていない。
「『生長の家』へ来られたり、『生長の家』の聖典をお読みになったりしますと、あま
り病気がよく治りますので、『生長の家』は病気を治すところだと思っておられる方があ
ります。ところが『生長の家』は決して病気を治さないのであります。病気を心から放さ
しめるところなのであります。病気というものを心に握っていて『この病気を治してくれ』
というんでしたら、そういう方はお医者へおいでになるのがよいのであります。『生長の
家』は病気を治すところではなく、病気を放すところでよく、似ているようですが『治す』
と『放す』とでは無限の相異があります」
この文章を読むと、夜店の詰め将棋を思い出す。かりにうまくひかかって損をしても、
どこからも突っこんでくる余地がないようにできている。従来のあらゆる宗教、あらゆる神
霊術、あらゆる健康法のなかで、これくらい霊験あらたかなものはない。しかもその修得法
は実に簡単で、谷口雅春という男の書いた「聖典」を読みさえすればいいのだから、どんな
にあつかましい香具師だって、これには顔負けするにちがいない。そしてその宣伝口上が、
大道でなくて、天下の大新聞の紙上や公会堂その他においてなされているのである。
やはりそこから出ている『生命の教育』という雑誌の最近号を見ると、彼が日比谷公会堂
でした講演筆記が出ている。そのなかからおもしろそうなのを拾って紹介しよう。
A 前橋のある養蚕家が『生長の家』に入って、「神のお送りになったこの世界は無限供給
であって必ずよき成績が上がるものだと信じていると、去年の倍ほどの成績を上げることが
できたし、先日ヒョウが降って桑の葉がいためられたときにも、自分の畑だけは別に損害も
こうむらなかった」
B 太田某は、「顔をそると必ずカミソリで一か所は顔に傷をつけてしまうのが、『生長
の家』に入ってから、ちっとも顔を切らなくなった」
C 五十嵐某は、隣の工場から出火し、おりあしく風下だったが、「自分は生長の家だから
火事に焼けるなどということはない」といってゆうゆうとしていると、とたんに風向きが変
わって風上になった。
これがもし事実だとすれば、農林省の「農村更正」もくそもあったものでないし消防署
なども全然要らなくなる。まるでキリシタンバテレンの法みたいである。しかもこのとき
の講演にさいしては、“文部省秘書課の阿部義謙氏”が前座を勤めているんだから、いわ
ば文部省公認の説である。阿部氏はどういう資格で前座を勤められたのか知らないが、い
ずれにしても谷口氏の講演の内容に対しては責任の一半を負うべきではあるまいか。
これに似た愉快な例は、生命の家社から出版されているパンフレットのなかに無数にあ
げられている。
D 某の家に「家ダニ」がいて困るので、さっそく「神想観」をして立ち去るように命じた
が、去らない。そこで「家ダニだって住む所が必要なのだ」と反省して、家じゅうの畳をは
いで六畳一室に積み重ね、「この室をあなた方のすみ家に提供しますから、これからどうぞ
この部屋から出ないでください」といって、また「神想観」をすると、それ以来家ダニは絶
対に人間を刺さなくなり、六畳の室には列をつくって生活しているという。
E 某の孫がエキリにかかったとき、「天地いっさいのものと和解せよ」という教えにしたが
って、「バイキンよ、おまえといえども生命である。生命は神から来たものであり、われわれ
もまた生命であって神から来たものである。すればなんじとわれわれとは神において兄弟では
ないか、なんじ兄弟なるバイキンよ、わたしらは決して殺菌剤を使ったり、注射を使ったりし
ておまえを殺そうとはしないから、おまえもこの子供を殺さないでくれ」と和議を申し込むと、
たちまち熱は下がって快癒したという。
F 誌友の集まりの席で、ある青年が「先生、近眼というのはいったいどういう心の現れなんで
しょうか」と質問すると、谷口が「近眼はチカメだ!」と大声で答えた。その一語で青年は悟っ
たとみえ、翌日からたちまち眼鏡が不用になった。彼が「近眼はチカメだ」といったのは、人間
の実相を知らないことだという意味だったのである。
こういうナンセンスで紙面を埋めるのはもったいないからもう一つだけでよそう。ある男が、
南京虫のように人を刺す虫を神はなぜつくったのかと聞くと、谷口の答がふるっている。
「南京虫に刺されるのは、われわれが他を刺す心をいくぶんでも持っているから、それ
が反映して南京虫がわれわれを刺すのです。われわれの霊魂がもっと進歩して、他を刺す
心がなくなったら、南京虫もわれわれを刺すことがなくなるでしょう」
その男は、せめて赤ん坊だけは南京虫に食わせたくないと思って、「神想観」をして、
「わたしは食われても良いから赤ん坊だけは食われないようにしてください」と祈ると、
両親は盛んに食われるが、赤ん坊はほほに二か所食われただけである。
これを谷口が批評して、「祈りがきかれたのでしょう。しかし自分だけは刺されても
よいなどと念じないで、『この家は人間の住み家であって、南京虫のすみかではない』
というふうに念ずれば、子供はもちろん両親も刺されなくなる」といっている。なんと
便利重宝な教えではないか。この教え、わずか二円や三円で手に入るんだから、安いど
ころの話ではない、買わないやつは底ぬけのあほうだ。さあ買いたまえ、買いたまえ。
V
「生長の家」の根本思想は、明らかに極めて素朴な、原始的な唯心論である。いや、
唯心論などといえるほど哲学的でもない。昔からよく「病は気から」という考え方をめ
くらめっぽうに普遍し、それを神秘化して、一つの宗教めいたものにデッチあげるとと
もに、こんどは逆にそれを徹底的に商品化しようとしているのである。
しかし自分では決して宗教ではないといっている。宗教の名乗りをあげると、取り締
まりが厳重なうえに他の宗教の信者を引き寄せることが困難である。自分のほうで得意
を限定するようなバカな商人はいないはずだ。
「何物にもかたよらぬ中心に座す生活でありますから、他の宗教に対しても、かたよっ
た見解をもたないのであります。何宗派の人でも毛ぎらいするということがない。キリス
ト教の人はキリスト教そのままでよい、しかしもっと深く入れ、そこにほんとうのキリス
ト教『生長の家』がある。仏教そのままでよい、しかしもっと深く入り込め、そこにほん
とうの仏教『生長の家』がある。神道の人も神道そのままでよい、しかしもっと深く真理
に入れ、そこにほんとうの神ながらの道『生長の家』があるというのであります。すべて
の教え、宗門は皆正しい。宗門は宗門でそのままでよいから、いつまでも門にとどまって
いないでもっと奥まで入れ、そこに『生長の家』があって、すべての宗教を一堂に和解せ
しめているというのが、われわれの主張なのであります」
これは新しい宗教運動に共通した特色で、既成宗教が何千年、何百年もかかって固めて
いる地盤へ割り込んでゆくには、いちおう超宗派を標榜しないと損である。「ひとのみち」
でも、クリスチャンだって仏教信者だってかまわないといっているし、友松円諦の「真理
運動」も、仏教範囲内においてではあるが、超宗派を標榜している。この点においても、
「生長の家」はいちばん徹底しているわけだ。
従って仏教ないしキリスト教の専門家的な立場からみれば、谷口の書くことがでたらめで、
例えば越智道順氏がそれを批評して、「業の輪廻無明論、仏性の本体論といったものがいた
るところに飛び出し、怪しくも採用されている。特にそれが、近代科学によって証明されて
いるのだが、仏教者は失礼ながらそれに徹するもの少なしと気炎をあげているあたり、やや
児戯の観がある。氏の博引傍証は、ときに博学を示すつもりであっても、かえって反対の結
果を招くことがある。
氏の仏教に対した偏したる引用のかぎりではこの反対の結果を招くことがある。氏の仏教
に対した偏したる引用のかぎりではこの反対の結果を招くものが多い」とのべている。キ
リスト教の専門家からも、やはり同様の非難を浴びているが、そんなことはどうだってい
いのである。彼のお得意先はそういう専門家ではなくて、宗教のアマチュアである。その
アマチュアにわからせ、感心させる程度の知識を示せばじゅうぶんだ。ちょうど夜店で法
律相談の本を売る香具師が、紋つきの羽織を着て、生かじりの法律を振り回すようなもの
で、それ以上の正確な知識は、正確であればあるほどかえって商売のじゃまになる。
つぎに谷口は、自分の書いたものを自ら“聖典”と呼びながら、“教祖”として名乗り
をあげることをいちおう辞退している。この点は「大本教」や「ひとのみち」の教祖たち
よりは“謙譲”で、またいくぶんインテリ向きであるわけだ。
「自分は教祖ではない。ただ皆といっしょに『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら
その教えのごとく生き行かんと努力せる一人の求道者にすぎない。『生長の家』とは人間
がつけた名前ではなく神がつけたものであり、タカマガハラであり、日本精神の源泉であり、
『生命の実相』も自分が書くのではなく、神が書かせるものである」
かくまで、大きく出てしかもそれは宗教ではなく、自分は教祖でないというところなど
相当なものであることがわかるだろう。
W
「生長の家」の開祖谷口雅春は、神戸在鳥原村の産、当年四十三歳で、早稲田大学英文科を
半途退学した。死んだ直木三十五は彼と同級だというが、そういえばこの二人にはどこか相通
ずる点がないでもない。
早大退学後、神戸の外国商館につとめて、機械書類の翻訳係をしていた。もともとクリ
スチャンだったが、宗教的偏執者だったとみえて、西田天香の一燈園に入ったり、大本教
に入ったり、浅野和三郎の日本心霊協会に出入りしたりして、類似宗教の手ほどきを受け
た。例の「神想観」というのもそこから仕入れたもので、かえってもとのほうでは、「あ
れはわたしのもとの弟子だが、逆用したわけだね。民衆を迷わすということです。やって
いるのは、般若経だろうがなんだろうがけっこうなものだという一つの暗示によって左右
されれば、それで統一ができてきますから治りますよ。なんでもいいのだ。気合いをかけ
るのも同じだ。私には通知せず、こそこそやっている」とこぼしている。
さて谷口は、商館に勤める傍ら、『生命の家』という個人雑誌を出し、倉田百三の『生
活者』という雑誌に寄稿したりしていた。彼の文章や、用語の癖や、彼のつくったという
「実相を観ずる歌」などをみれば、一昔前の武者小路や倉田と同じ系統であることが一目
瞭然である。甘ったるい言葉で人をひきつける妙な魅力をそなえている点も、彼らである。
ところが、ある日のこと、突然彼は大本教の神がかりのような体験をしたという。
「わたしが会社で翻訳などに熱中しているときに、突然その機械に関係のない一つの言
葉がわたしの頭に浮かぶ、それをどうしても書かずにいられないで、走り書きで書きとめ
ておく。まったく実際問題とのなんの関係もなく、真理の言葉が天から降るようにわたし
の頭にポッカリ湧いてくるのだから、これを天界からくる霊感的言葉だと信ぜずにはいら
れないのである。これはわたしという思想のラジオ的受信機に天界から放送された思想の
宝玉的結晶である。その放送は、わたしが道を歩いているときにも、突然私の頭にひらめ
くように降ってくることもある」
機械の翻訳をしている最中に神がかりになったというのは、天理教のおみき婆さんや大
本教のおなを婆さんの場合とちがって、非常にモダンである。それに彼はなんといっても
天下の早稲田大学に籍をおいたインテリである。いまから考えてみると、直木がやはり同
級の鷲尾浩などとともにドストエフスキーか何かの全集計画に夢中になっていたのもちょ
うどそのころだ。後に谷口が出版屋の名目で新宗教をつくった、いや事実は逆で、新宗教
の名目で出版屋を始めたのも、決して偶然ではない。
とにかく彼のファンがその後ぼつぼつ増えて、出版屋で食ってゆける見込みがついてきた
らしい。そこでついに翻訳係の職を棒に振って昭和九年九月上京、同志二百六十三名に謀
り、資本金二十五万円の株式組織で光明思想普及会というものをつくって、彼の著書『生
命の実相』の出版を始めたのである。この不景気に一サラリーマンの腕で二十五万円の金
を集めることができたのだから、この一事をもってしても彼はありふれたセンチな宗教青
年でないことがわかる。
その後まもなくこの株式会社は七十五万円に増資し、続いて百万円になった。その新株
一万二千がたちまち満株になったというから、まったく軍需そこのけのすごい景気である。
しかし出版業者としては、いまのところまだ二流以下である。『生命の実相』全集十巻
のほかに『生長の家』『生命の芸術』『生命の教育』などの月刊雑誌を出しているが、こ
れだけの仕事でそんな莫大な資本が要るとは考えられない。別に原宿駅付近に「見真道場」
を建てるというが、その規模は「ひとのみち」本部などとは比べものにならないから、
十万とはかかるまい。
株式への配当は、「三割は確実に、運よくば四割、五割もすると、神様はおっしゃる」
そうだが、いまのところではあれだけの大宣伝をしたのでは、いくら売れたところで収支つ
ぐなうところまではゆくまいというのが、玄人筋の定評である。従ってあの誇大広告は、読者
をつるよりはむしろ出資者を刺激することが目的であるかのような気がする。とにかく単純な
出版企業としてみても、健全なやり方ではない。
X
ところが、いっさいの科学を無視して、このモダン・キリシタンバテレンを当局がいっ
こう取り締まらないばかりか、文部省の役人が講演の前座を勤めたりして、むしろ奨励
している感があるのはなにゆえであるか。
その答は、いたって簡単明瞭で、大いに“思想善導”に役立つからである。ことに左
翼青年の転換には六〇六号的効果があると、その機関誌のいたるところで宣伝これ勤め
ている。第一、その荒唐無稽な唯心論そのものが、マルキシズムのまったく俗悪な反対
物である点において、従来の不徹底な修正論の断然上位にくらいしている。
「就職難が突破できないとか、冗員淘汰で首になるとかいいますけれども、それは皆、
心の問題であります。人間は現実に富む前に、まず心が富まねばなりません。近代の経
済組織は、節約しなければ万一のために困ることが起こるという人間の恐怖心が原動力
となって築かれたと見るのであります。この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され
有無相通ずる流通が完全に行なわれないために貧富の懸隔がますますはげしくなり資本
家が無資本家を脅かすようになったのであります。だから不完全な経済組織を改造する
には、何も制度そのものに斧鉞を加えるには及ばない。人間の心からこの恐怖心を取り
去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活になくてはならぬものは必ず神
が与えたもうという大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある
一か所にかたよってあるという奇形はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するよ
うになるというのであります」
前記の越智道順氏がこれを批評して、「富の私有を指摘せずにそれを恐怖心におきかえ、
富の所有関係を無視して財の循環のみを説かんとしている」といっているのは正しい。だが、
氏などの「真理運動」も、これと同質の役割を演じていないといえるであろうか。
つぎに「生長の家」の医療法であるが、そしてそれがいかに非科学的なナンセンスであ
るかは明瞭であるが、現在の営利本位のブルジョア医業(あえて医学とはいわない)のす
べてが、果たしてこれと厳密に対立しうるほどじゅうぶんに科学的であるかどうかは疑問
である。医者にかかったがために、かえって病気が長びいたなどという実例はざらにある。
それを意識的にやっている医師も少なくないという。現に無免許医がよく検挙されるが、
彼らは“博士”の看板をかかげ、ほんものの医者を多く助手に使い、りっぱに開業してゆ
けるのだから、決して「生長の家」だけを笑えないわけだ。
したがって現代のインチキとナンセンスのエキスみたいな「生長の家」が、毎週一流新
聞紙上で堂々と広告され、そのファンが特にインテリ層の間に相当多いということは、
今日の社会や文化に対する一つの皮肉なアンチテーゼとしてはなはだ興味がある。現在の
支配階級は、かかる珍説邪教まで援用して、それ自身を防護しなければならないのであろうか。
(昭和十年十月)
『真相』昭和三十一年 真相版「谷口雅春の実相」
「生命の実相」七〇〇万部をはじめ、出版にラジオに、マスコミ宗教ナンバー・ワンをほ
こる生長の家が、政治と宗教を直結する新体制をとなえて、憲法改悪、ファッショ推進に
一役を買って出ている。そのカラクリと実力のほどは?
宗教的政治結社へ進出
「昭和三十一年度は、生長の家の提唱せる日本宗教界を打って一丸とする宗教的政治結社
が、いよいよ政界方面に進出するときであります。」七万の「聖使命ボサツ」に呼びかけ
る年頭のアイサツで、生長の家の谷口雅春教祖は、こんなこわいみたいな御託宣をたまわ
った。(「聖使命」一月一日号)
政治結社の目的は、平和推進とか選挙粛正とか政界浄化とかいうのではない。まぎれも
ない憲法改正。信者のなかには、憲法擁護の人たちもすくなくない。教団が一方的に政治
に深入りするのはどんなものかとの批判もだいぶある。それを谷口は強引に押し切って断
言している。
「私はここに、信徒諸賢が、宗教の政治進出に危惧をいだくことなく、衆智を集め、衆
力を結集して、憲法を正しき姿に返すことに協力せられたいのであります。」
生長の家の信者は一五〇万と自称している。その二割が生きているとしても三〇万。聖
使命ボサツというのは信者の中の活動的分子で、月に一〇〇円か二〇〇円の会費を納める
という新しい制度。七万人ほど登録されたうちの五万人ほどが、きちんと会費を納めてい
る。
三〇万人の信者として、そのうちの何万人が教祖の政治的号令に従うかはわからないが、
憲法が守りおうせるか、天皇制軍国主義憲法に改悪されるかの激しいツバぜりあいには貴
重な力であることはまちがいない。
そのうえ、教団新体制で固められた青年会などの活ぱつな宣伝活動も考えられる。その
新体制の実権はあとで御紹介に及ぶが、あれやこれやをつきまぜてみると、ことはなかな
か重大なのではあるまいか。
だが、気になるのは、宗教界を打って一丸とする政治結社などという大見得だ。まさか
生長の家あたりの音頭で打って一丸とされるほど人のいい宗教界でもあるまい。谷口は既
成教団はもとより、新興宗教のあいだでも、ごう慢で人づきあいが悪いというのでハナつ
まみになっている。しかし、その時々の御主人サマの顔色をいち早く読みとって御先棒を
担ぎ出すことでは、谷口は名人の部に属する。その敏感さと巧妙な立ち廻りのおかげで、
戦争中に弾圧も受けずにのしてきた。そういう彼が、黒幕筋からの宗教的政治結社進出の
第一ヒントをす早く解いて御先棒をかつぎ出したのだとすると、油断がならないというわ
けだ。
アメリカ筋からさんざ尻を叩かれながらやっと難航の保守合同が実を結び、吉田時代か
ら御題目にあがっていた「二大政党対立」の形が一応できてきたときに、西本願寺では藤
島総長一派が竜谷懇話会という政治結社を作ってノロシをあげた。これはたちまち世論の
猛烈な批判を招き、宗門内でも大阪や東京で続々反対の火の手があがる始末に、注に浮い
たままもたついている。しかし、問題の創価学会は、すでに二七万世帯を獲得したといわ
れて、今や関西方面で大いに進出している。
合同保守党から民主政党へと支持が大きく動いていく勢はとても防ぎきれない。そこで
両者の中間に宗教的政治結社を設けて、右に流れる票を途中でくいとめるプールにしよう
という構想は、いかにもどこかで作られそうなことだ。
実相の教えの実相
では、谷口の実相の教えとは、いったいどんなものだろうか。
本を読んでその通りの療法を実行する、などという面倒なことではない。「生長の家」
の誌友になって、毎号出ている谷口雅春の判りやすい肩のこらない文章を、スラスラ読ん
でいきさえすればいい。それでひとりでに病気が消えていく、というのである。モノを読
むのが好きなサラリーマン、学生、商店主、家庭婦人たちにとっては、そんな便利な安上
りなことはない。
そういうアラタカな雑誌だから、生長の家ではそれを「神誌」と呼んでいる。「神誌を
大切にいたしましょう」というので、一冊分四〇円なりの特製カバーも売り出している。
雑誌の値段も四〇円。八〇ページほど。昭和五年に同人雑誌のようにして創刊されてから
今年で第三六輻。誌友すなわち固定読者の数は現在十三万ほどある。これがつまり生長の
家教団の信徒というわけである。
神誌が何号かたまると、谷口先生が毎号ビッシリ書きまくった原稿も相当の量になる。
それをまとめて単行本にしたのが「生命の実相」。読めばこれまた自然にスラスラと病気
がなおることはいうまでもない。だから、これを「聖典」と呼ぶ。聖典「生命の実相」も
次第に巻を重ねて二〇巻に達したので、それで一応完結ということにして、その後の分は
聖典「真理」に納めることにした。これがすでに第六巻まで出ている。
谷口雅春という人は実に筆まめで、そのほかにもさかんに書く。神誌のほかに月刊雑誌
が婦人向の「白鳩」、青年向の「理想世界」(昨年までの「生長」の改題)、普及用の
「光の泉」、精神分析などに関するやや専門がかったものを載せる「精神科学」、英文の
「生長の家」と五種類ある。さらに、月三回刊の新聞「聖使命」をはじめ、地方的な新聞
などもいろいろある。それらの刊行物を倦むことを知らないように執筆、そのほかに書き
おろしの著書、共著、翻訳がある。三〇年間に出した単行本が一三〇冊以上、全部を四〇
〇字詰原稿用紙に換算するとじつに九万枚をこえるという。
さすがに古い信者たちはモタレ気味で、谷口先生のものは何を見ても同じことが書いて
あると批判的だが、それにしても、よくタネが尽きないものだ。
内容は仏教やキリスト教、とくにクリスチャン・サイエンス式の諸書を引用したり、や
さしく谷口流に解釈したもの、精神分析関係のもの、心霊術関係のもので、人生、社会、
教育を論じ、体験を語り、もちろん霊験談もたくさんとりいれている。
全部が借りものと引用のゴタまぜではないかと非難されるが、自分のほうから先手を打
って、生長の家こそ生粋よりぬきの優良真理を陳列した宗教百貨店だ、すべての宗教は根
本は一つなのだから、それらの万教を寄せ集めて現代の衆生に最もアピールするように調
合して万教帰一の超宗教をつくりあげてあるのだ、どこが悪い、と開きなおっている。な
るほど宗教思想はその宗派の専売ではないのだから、広くあさればそれだけでもタネ切れ
る心配はない。
心を変えれば世界も
では、読めばそのまま病気もなおるという谷口の思想とはどんなものなのか。
人間はまず心に思って、それによって行動し創造するではないか。それでも判るように
心こそ主人、精神こそ肉体の支配者である。いや、本当に存在するのは心だけで、物はそ
の影にすぎない。スクリーンに映じる万象が、実は存在せずフイルム面のしみの影にすぎ
ないのと同じこと。この真理をさとって精神が肉体の束縛を離れれば、フイルム面のしみ
は消えて、スクリーン一杯に精神の光明が輝やく。肉体すでに無し、ゆえに病気も無い。
病気は本来ないとさっとたとき、すなわち病気はなおっている……
要するに、ゴテゴテの観念論をまんが化したような教えにすぎないのだが、物質に対す
る観念の優位を説くためには、どんな観念論哲学でも、観念論を説いているどんな宗教の
教義でも、自由に借りてこられるわけで、唯物論をしっかりつかまず、哲学的な考えにな
れてもいない一般の読書層としては、谷口の巧みな話術に抵抗することはむづかしい。
どんな観念論者でも、めくらが気をとりなおして悲しみを超越することと、実際に目が
再生することとは別だ、ということを知っている。ところが谷口の「大真理」によると、
目をはやすもなくすも心のまま、ということになる。さすがに、アラジンのフシギなラン
プとはちがう、などと言うときもあるが、その一方では、信者が艦長や機関長をしている
艦には爆弾があたらなかったとか、経文の「甘露の法雨」という生長の家の経文を身につ
けていた二世は弾丸をまぬがれたとか、信者の家だけ焼け残ったとか、原爆の被害を受け
た平田みさ子という婦人が入信したら指が動くようになったとか、顔の傷あとが消えたと
か言い出す。
いくら神話を読んでもなおらないとか、谷口自身が事業に失敗して大穴をあけたとか、
自分の一人娘が結婚に失敗して二度目のムコをもらったとか、「心のまま」説一本やりで
は始末にこまることがたくさんある。そこでこじつけたり、ごまかしたり、まだ信心がた
りないと高飛車にでたりするのだが、それでも説明にこまると、はかり知れない複雑な霊
界の構造を持ち出さなければならなくなる。生長の家では肉体を離れた先祖の霊の存在を
認めてその供養に「甘露の法雨」を上げさせるし、自己や家庭の業(ごう)とか因縁とか
も説く。だから、谷口が出版事業のほかは、みな失敗するのは彼の業のせいだなどと、信
者に評判される。
一昨年、和歌山県で生長の家の地方講師が差別待遇を受けるのは本人の業のせいだと解
説して大問題を起こしたが、業とか因縁とか霊たちのはたらきとかいうことを言い出した
ら、どんな横車でも押せる一方では、何が何やらおさまりがつかなくなってしまう。
信者のほうでは、なおりたい安心したいの一心から、とかく善意に解釈してくれるのだ
が、読書層であるからには、科学的な説明に対する要求もそれだけ強い。そこでかつぎ出
されるのが精神分析学、心霊学、精神身体医学(サイコソマチックス)のたぐい。
こういう武器で科学的らしい感じを与えることにつとめているが、疑い深いインテリ分
子には、霊媒を使った「心霊現象」を見せて降参させる。むかし谷口が放蕩のはてに失業
して大本教にころげこんだとき、鎮魂帰神の神がかりの様子を見てなるほどと感心したと
いうが、今の青年には心霊術でいくわけだ。こういうお膳立ての上に、さらに、神想観と
いって静座のようなヨーガ式の座禅のような行とか、音楽とか、集団行事とか、さまざま
な小道具もととのえて、何となくもっともらしい空気にまきこんでしまうわけである。
家ダニさん、家ダニさん
生長の家の本部講師といえば数もすくなく、教団の幹部級だが、その一人に、元キリス
ト教牧師の杉浦慶一という人がいた。彼は家ダニ事件で名高く、谷口もよく自慢話にして
いた。
家ダニ事件というのはこうだ。杉浦が浜松の自宅で日曜学校をやっていたとき、家ダニ
が無数にふえて閉口した。薬を使うのは可愛想でできなかったというから、用事を預かる
のに消毒やハエの始末をどうしていたのか気になる。それはともかく、閉口しているとき
に「生命の実相」を読んで感心した。生長の家の思想の根本には、「天地一切のものと和
解せよ。……和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。……」(大調和の
神示)というのがある。そこで、神想観をして家ダニを拝し、「家ダニさん、家ダニさん」
と呼びかけた。つまり、家ダニには六畳の間を専用にあげるから、他の室には入らないで
くれ、と協定を申し入れた。するとフシギ!家ダニは、「ゾロゾロとその六畳間に納まっ
た……」
家ダニがそこで何を吸って生きていたのか知らないが、この童話風の体験談のおかげで、
杉浦は本部講師にバッテキされた。
この「和解」の教えは、キリスト教の「なんじの敵を愛せよ」の教えとよくにている。
労働者よ、資本家と和解してストをやるな、警官を拝め、ただしアカとは手を握るな。
戦時中に彼は中国軍を撃滅するために「念波」を送ることを呼びかけ、米英との和解を
断乎しりぞけ、「国体の本義」がまだ手ぬるいといって神誌の誌上で文部大臣を叱った。
戦後、彼は追放されたが、アメリカには大いに和解精神をさしむける。ところがソ、中
に対してはどうか。口先では鳩山の公約に合わせて「ソ連、中共も拝め」などというが、
実際には毛ぎらいの態度を固め、ことごとに侵略国とか警察国とか悪口をふりまいて敵
対感情をあおっている。
杉浦講師は、その後、結核菌との和解をこころみて失敗し、ついに病死した。生長の
家としては大きな痛手だが、谷口はそれを弁解して、杉浦は「本当に和解するとは互い
に処を得るということだ」という点を忘れて、結核菌の不当な侵入を許したからだ、と
いっている。だが、結核菌としては人間の肺にこそ最良の処を得るのだろう。もしも杉
浦がまちがった考えでいたのなら、谷口はなぜ教えてやらなかったか。気が付いて注意
を与えようと思ったがかけちがって会えずにいるうちに、杉浦は死んだ。谷口は「私は
後で後悔したんですけれどね、そういう機会に恵まれなかったのであります」と平然と
言ってすましている。(「聖使命」九五号)心が変われば世界が変わるなどと大きなこ
とを言いながら、人命にかかわる忠告の機会さえ「恵まれ」なければ作れないらしい。
ともかく、「和解」と「処を得る」との二つの原則を使いわけ、都合によって和解もさ
せればケンカもさせる。人のいい誌友たちは、あらゆる圧力と和解した気になってあき
らめ的な満足を見出し、「処を得ない」中国やアメリカの青年と闘って死んでいった。
新体制の実相
谷口はもともとアメリカのホームズの「心の創造活動の法則」という本を読んで、それ
を骨子に、大本教で学んだものや仏教用語などをまぜあわせて自分の教理をととのえた。
おなじみのクリスチャン・サイエンスなどによくにているので、アメリカにも二世の信者
がいた。戦後にはそのアメリカとのつながりが大いにのびるかと思ったがそれほどでもな
かった。しかし長い地盤にモノを言わせ、新興宗教ブームに乗り、メシヤ教やPL教団と肩
を並べてきた。その勢いで三億円の費用と三年の年月を費して建てたのが、東京原宿の本
部会館。人類光明化運動の中心として国際的宗教交流の場所にも使うというだけあって、
新興宗教の建築の中では一番設備が整っている。
しかし、生長の家は「誰にも損はかけない、会費や献金はとらない株式会社式な経営」
を看板にしてきただけに、大本部会館建設は荷が勝ちすぎた。信者のサラリーマン、商
店主などは、メシヤ教やPL教団にくらべて献金の実力は少々落ちる。デフレの波は押し
寄せる。設備費はかかるし維持費も相当。谷口が青くなって、廊下はじゅうたん無しで
もいいではないか、などとやり出す始末。
幹部の中では谷田国太郎が事業的手腕家のピカ一といわれた。彼が考え出したのが、
マスコミ宗教を現在の段階に合わせた放送への進出。その一方、宝蔵農産という会社を
作って宇治でバクタモンという肥料促進剤のようなものを製作し、保全経済ばりの竜宮
宝蔵会という組織も作った。もちろん出版が中心で、これは日本教文社というのを作っ
て今ではかなりの収益をあげている。
本部会館で宗教放送をもくろんだが、これは失敗。それでも、国際放送、日本短波、
宗教放送と、谷田を中心に大いに力を入れ、光学社というメーカーを作って、短波用受
信機はこちらでと用意のいいところを見せた。
ところが国際放送は流れ、宗教放送も不振で、代表で出ていた田口が事務局の争議団に
つるしあげられる始末。
本部会館建設の借金は残り、昭和二十八年には宇治に七万五千坪の別格本山敷地を買い
こんでしまった。そこへ、福岡の「いのちのゆにわ会館」の工事(一億八千万円)が金も
ないのに進み出した。これは百貨店、映画館、食堂、商店などの総合ビルで、完成したら
九州の布教費はその利潤で十分だと、谷口が大自慢だったもの。それが、工事費が払えず
中途で休止となり、その苦境の最中に谷田は昨年の一月に急逝した。結局、谷口は莫大な
負債をかかえて大いにあわて、信者の信望を失なう、というハメになった。
このままで行けば生長どころかジリ貧になって、激動する時勢に落伍してしまうは見え
ている。そこで大いに奮起して退勢をもりかえそうというのが、いわゆる新体制。
聖使命ボサツというのは、この新体制の一翼で、月に一〇〇円または二〇〇円の会費を
納める。本代のほかは取らぬといばっていた生長の家としてはまさに画期的な制度。谷口
はこの聖使命ボサツたちの自筆の名札を本部神前にそなえ、聖使命ボサツ讃偈という御経
のようなものを上げる。その文句にも、「挺身、致心、献資の徳功は最上、最尊、甚深徴
妙」と念が押してある。
生長するもの、しぼむもの
新体制は一昨年の秋から出発した。その要領は、教祖の谷口雅春はできるだけ引込んで、
ムコ養子の清超教主を売り出す。教団の運営面(特に財政面)は聖使命ボサツを中心に信
徒にわたす。谷口自身はもっぱら半切と原稿を書く。半切は「いのちのゆにわ献金」すな
わち福岡の大穴埋めに三千円以上の献金をした人に進呈するためで、一万五千枚を書く予
定。すでに六千枚書いた。谷口雅春が地方講習で得る献金が教団の大きな財源だったが、
それがなくなる対策である。
生長の家の信者とは神誌の誌友で、末端では誌友相愛会という班を作っている。これと
白鳩会(婦人会)および青年会の三者をがっしりと組ませて、隣保班の結成、班長や世話
の決定、早朝神想観の励行、新誌友獲得の具体計画、講習会などの行事の計画参会者のは
あく、グループ活動等をやっている。
新体制を推進するものはけっきょくは教団青年で、いまのところ、青年たちは新体制の
夢に張りきっている。神童会という子どもグループで人形しばいや紙芝居の奉仕をしたり、
選使行動隊を作って農村に入りこんだり、なかでも、創価学会が町工場などに多く入りこ
んでいるのに対して、大経営の中に職場グループを築く運動と、新教連(新教育連盟)を
拡大する運動とが、特に注目される。前者はすでに川崎重工、藤永田造船、近江絹糸、飯
野舞鶴造船、三洋電機、帝国製麻、正織興業、三菱商事などに数十名から百名以上のグル
ープを作っている。会社の部長とか課長とかが先頭に立って、御用的色彩の強いのが多い。
なお大阪の労音協(うたごえ運動に対抗する組織)も生長の家関係の東端山文仁(関西電
力重役)が指導してきた。後者は「生命の教育」などというニールとファッショをつきま
ぜたような谷口式教育論を押し立て、東京学芸大の木下学長を会長に会員四千名を目指し
ている。
だが、この青年たちが、憲法改悪、海外派兵の反動的な反民族的な政治方向を押しつけ
られても、谷口先生のさしずのままに挺身、致心できるかどうか。昨年ごろから雅春と清
超の親子はそろってマルクス主義批判に大わらわとなり、反共宣伝にこれつとめてきた。
東京青年会の機関紙「光雲」の昨年一月号では鳩山と安藤をしきりに持ちあげ、鳩山と雅
春と共著の社会党批判のパンフレット「危機に立つ日本」を青年たちを動員して学園や職
場に違反スレスレの線までバラマカせるなどした。しかし、そのマルキシズム批判は低調
そのもので、知的な青年の読むにたえるものではない。特に厄介なのは、希望の星である
はずの清超「皇太子」が、雅春以上に単純な事大主義者、権力主義者で、心ある教団青年
たちのまゆをしかめさせていることだ。
元左社の落選参議院候補松田順三が、昨年あたりからしきりに本部に出入りしている。
これが憲法改正論や参院選挙とどう結びつくのか。まことに奇々怪々といわねばならない。
青年たちはそんな上層でのやりとりには関係なく、結局は正しい方向に生長していくにち
がいない。前回の選挙で北海道から立候補した生長の家北海道連合会長、前旭川市長前田
与三吉はみごとに落選した。谷口雅春も、生長の家に集る信者も、この教訓をもう一度十
分にかみしめてみる必要があるだろう。
大宅壮一全集 第十三巻
谷口はこの若いほうの女と結婚したが、それが現在の谷口夫人輝子である。二人は亀岡
で結婚式をあげたが、これには王仁三郎教主も参列している。だが、待望の“建替”の行
われる直前に、出口教主以下幹部が不敬罪で検挙され、谷口の家も家宅捜索をうけた。教
主らは起訴されたが、“建替”は結局行われずじまいだった。谷口の心が大本教から離れ
出したのもそのころである。『懺悔の生活』の著者というよりも、倉田百三の『出家とそ
の弟子』に出てくる親鸞上人のモデルとして有名になった西田天香の主宰する『一燈園』
に出入りし、まもなく大本教から完全に足を洗ってしまった。
「手紙布教」で出発
しかし一燈園にいてもどうにもならぬので、谷口夫婦は東京に出た。一時『東亜公論』
というインチキ雑誌の手伝いをして生活したが『聖道へ』と題する宗教随筆の書きおろし
ものを出版してその印税で一息ついた。これが好評だったので自身ができて、やはり大本
教を去った浅野和三郎の「心霊科学研究会」の手伝いをするかたわら『神を審判く』とい
う小説を書き上げた。これも本になったが、印税をうけとる直前に関東大震災が起こり、
焼け出されて夫人の郷里高岡へ避難した。
それから大阪へ移り、これまた同地に移ってきた浅野の仕事を手伝ったが、浅野は彼に
報酬を全然出さなかった。谷口夫婦は生まれたばかりの赤ん坊とともに養家の厄介になっ
ていたが、無知な養母がかれらの留守に、赤ん坊を抱いたり、不消化物を与えたりするの
で、家庭不和で困ったけれど、別居するだけの収入がなかった。
そのころ浅野の見つけた霊媒に、後藤道明というのがいた。第四次元の世界に出入りし
て何でもとってくるというので評判だった。一日その実験を行ったところ、霊媒はふらり
と町へ出て、まもなく「四次元の世界で神さまからカリフォルニアの梨をもらった」とい
ってきた。だが、後で調べたところによると、この梨は元アメリカ産だったが、当時岡山
でもできて、南京町で売っていたのである。
しかし、このインチキな霊媒は座談が巧みで(霊媒というのはたいていそうだが)、こ
んなことをいった。
「今のいわゆる善人というものは皆貧乏ばかりしていて、自分が貧乏しているから人を
助ける力もなし、自分も苦しい、人も苦しい、これを善中の悪といいます」
みずから“善人”だと思っている谷口は、この言葉に痛く打たれた。谷口の言葉を借り
ていえば「清貧の無力状態をひしひしと感じ」「豚には人糞を与え、貴婦人には真珠を与
える」ようにならなければウソだということに気がついた。言葉を換えれば、これから奮
起一番、大いに金をもうけようと決意したのである。そのころの著述『信仰革命』の中で、
彼はこの“転機”について大いに論じている。彼の“信仰革命”というのは、実は信仰の
名による金もうけ開業の宣言にほかならない。大正十三年四月のことである。
幸い新聞の職業紹介欄で“高級翻訳係”の口を見つけ、百七十円の月収にありついた。
なるほど金というのものは、もうけようと思えばもうかるものだ、という彼の根本原理が
実証されたことにもなる。それに金は少しでももうかりだすと、いくらでももうけたくな
るものである。
金をもうけるといっても、彼としては文筆によるほかはない。それもこれまでの経験か
らいって、たまに単行本を出すくらいでは生活が安定しない。個人雑誌という形で好きな
ことを書いて、一定のファンを獲得し、これを少しずつでもふやしていくことを考えるの
が、いちばん確実で永続性のある方法だと考えた。
問題はその資金である。毎月の給料の一部を積み立ててある額に達したときに、勤めを
やめて始めるか、それとも五十五歳になって停年でやめたときに退職手当てで出すか、大
いに迷ったという。ところが、ある日、一家そろって買物に出た留守に空巣に入られて、
衣類をゴッソリ盗まれたとき「今起て!」という声が彼の頭にどこからともなくきこえて
きたというからおもしろい。
彼が個人雑誌を思いついたのは、初めから手持ちのファンが若干あったからである。大
本教にいたころ彼は“手紙布教”という役を担当していた。これは各種の名簿によって、
これはと思う人物に目星をつけ、あなたのこれまでの生涯の中で興味のある話があったら、
世間に発表したいと思うから知らせてほしいという手紙を出す。少しでも地位のできた人
間は、だれでも自分の過去を語りたい欲望をもっているものだから、感激してすぐ返事を
よこす。するとまた折り返し、彼の書いてきたものに対する感想を書いて送る――といっ
たような方法で、文通を行っているうちに、相手をうまくおびきよせて信者にしてしまう
のである。男では軍人、女では未亡人がいちばんこの手にかかりやすい。
谷口は大本教でこれを長くやっていて、そのコツをよくつかんでいるし、大本教の信者
を横取りして、谷口個人のファンにしてしまったものも少なくない。これは従来属してい
た宗教から独立して一派を開くものがいつも使う手である。
大本教全盛時代の信者には、退役軍人が多かった。谷口の“生長の家”も、初期の幹部
には軍人が多い。新興宗教ばかりでなく、伊藤斗福の保全経済会も、地方の支店長級に多
く旧軍人を採用した。職業軍人は社会人としては盲点が多く、その社会的地位に比して経
済的に恵まれていないが、うまく使えば利用価値が大いにあるからだ。この点で新興宗教
も保全経済会も、目のつけ所に変わりがない。
発展する宗教株式会社
こうして一サラリーマンのヘソクリで細々と始めた個人雑誌『生長の家』は、しだいに、
“生長”して行って、昭和九年九月には、資本金二十五万円の株式会社光明思想普及会と
して新しく発足するところまで行ったのである。株式化するとともに、たちまち驚異的な
発展を遂げ、翌年には別に百万円の新会社をつくり、旧社と合併した。当時の百二十五万
円は、今の金にすれば四百倍として五億円である。このときの社長は元陸軍主計総監辻村
楠造である。谷口夫婦は七千株をもち、最大の株主として実権をにぎっているが、顧問格
で、社長に古手の軍人をもってきたところは、当時の社会情勢と照らし合わせて、彼の深
謀遠慮がうかがわれる。
この会社は、最低三割、うまく行けば五割の配当を保証するという“神示”があったと
いうので、全国の株主兼信者が欲と信仰の二道かけて、血眼になって新しい信者を獲得し
たものだ。一般企業家も、谷口のこの方面の手腕に学ぶべきであろう。
ところで、これほど人気を博したこの宗教企業株式会社が売り出している商品、すなわ
ち、“光明思想”とは何か。ニュートンが物体落下の諸現象を統一し、そこにある法則を
発見して“地球の引力”と名づけたように、彼は「よき宗教のすべてに貫いて存在すると
ころの“人間救済の原理”を発見」して、これに“生命の実相”なる名称を与えたのだと
いう。
だが、実際問題としてそれはいったい、どういうご利益があるのか。同じころにできて
驚異的な発展をとげた「ひとのみち」(今日の「PL教団」)は、教祖が郵便配達夫あがり
なので、振替口座から“お振替”なるものを思いつき、これを根本教義としたが、もっと
教養のある谷口は、“神想観”なるものを説いている。
A 五十嵐某は、隣の工場から出火し、おりあしく風下だったが、「自分は“生長の家”
だから火事に焼けるなどということはない」といってゆうゆうとしていると、とたんに
風向きが変わって風上になった。
B 前橋のある養蚕家が“生長の家”に入って、「神のお送りになったこの世界は無限
供給であって必ずよき成績が上がるものだ」と信じていると、去年の倍ほどの成績を
上げることができたし、先日ひょうが降って桑の葉がいためつけられたときにも、自分
の畑だけは別に損害はなかった
C 某の孫がエキリにかかったとき、「天地一切のものと和解せよ」という教えにした
がって、バイキンよ、お前といえども生命である。生命は神からきたものであり、わ
れわれもまた生命であって神からきたものである。されば汝とわれと神において兄弟
ではないか、汝兄弟なるバイキンよ、私たちは決して殺菌剤を使ったり、注射したり
してお前を殺そうとはしないから、お前もこの子供を殺さないでくれ」と和議を申し
込むと、たちまち熱が下がって子供は快癒した。
こういう“実例”は、初期に出た『生命の実相』その他の宣伝物からいくらでも拾
いだすことができる。この本を読んだだけで、万事この調子で行くとすれば、こんな
便利重宝なものはない。保全経済会に入って月二割の配当をうけるよりもはるかに有
利である。日本じゅうが“生長の家”に入れば、病院も薬も、消防も警察も、すっか
り要らなくなる。
この時代に有田音松という男(汚職代議士有田二郎の父)の有田ドラッグ商会で、
これに似たような新聞広告をデカデカと出したものだ。谷口にしても有田にしても、
かれらの売り出している書物や薬で、果してだれの病気でも確実に治るかと問いつ
めると、決して保証するとはいわない。ただ“治ったという実例”がこのとおりあ
るだけで、実際治ったとしても何で治ったのかわからない。縁日のガマの油売りが、
店頭に治ったという人の“礼状”をたくさんならべているのと同じ手口である。
特に谷口の場合などは、明らかに医療の妨害である。“生長の家”をあてにして医者に
かかるのをおくれたために生命を失ったものがどれだけあるかわからぬが、そんなのは決
して“礼状”をよこさない。といって直接患者にふれるわけでないから、医師法違反で検
挙することもできないし、宗教法で取り締まろうとすれば、“生長の家は単なる出版会社
で、宗教法人ではない(戦後はもはや大丈夫と見たか、宗教法人に加わった)”といって
逃げた。結局、当局としては、“誇大広告”として罰金刑を課するほかはなかった。戦前
は“生長の家”も“有田ドラッグ”同様に、何度も罰金刑の対象になったはずである。
大コンツェルンの全貌
しかし、事業は膨張する一方で、各種の外郭組織ができて、宗教思想一手販売ならびに
その付帯事業を包含した一大コンツェルンと化し、その資本総額はどれくらいになるか、
ちょっと見当がつかないくらいだ。その中の主なものを洗ってみると、左のとおりである。
“生長の家”が宗教法人となるとともに、出版は株式会社日本教文社、販売は財団法人世
界聖典普及協会、印刷製本は合資会社光明社というふうに、性根を異にした三組織の分業
になっている。これは主として税金操作の必要からきたものと見られている。
宇治市にある宇治科学研究所では、バクタモンと称する“微生物農剤”をつくっている。
これはメシア教の「無肥料増産」の向こうをはったもので、某元海軍中将の手になったも
のを買いとったのだという。石原莞爾元中将を教祖のごとくいただいている農民の下で、
酵素(皇祖に通ず)肥料というのが、一時全国的に流行したが、これと同系統に属するも
のらしい。そのほかシクロX・Yと称する健康美容剤も研究中とある。これらを一手で販売
しているのが宝蔵農産株式会社で、全国に三十余の子会社をもち、信者間の購買組合のよ
うな役割を果たしている。
また財団法人生長の家社会事業団は、保育園、助産所などを経営するとともに、谷口の
著書を英訳したり、文化科学部において、電波による教育資料の研究などを行っている。
これはパチンコみたいな機械を使って、ボタンを押すと、電気が流れて針が動く。これで
信仰の度がわかるそうだから、いわば“信仰メーター”である。
この文化科学研究所では、普通のラジオ、テープ・レコーダー、スライドなども研究し
ているが、その製品を売っているのが「株式会社光音社」である。
福岡市には、“いのちの力には”の神示に基づき、「株式会社力には」なるものをつく
った。これは五階建てのビルで、その中に各種の商店をはじめ劇場その他の大衆娯楽場が
設けられている。
月刊雑誌は『生長の家』をはじめ、婦人向けの『白鳩』、青年向けの『生長』、少年お
よび低い大衆向けの『光の泉』、心霊学や精神分析研究の『精神科学』、在外二世および
外人向けの『英文生長の家』の六種類が出ている。
単行本は、谷口の『生命の実相』二十巻が通算七百万部を売って“日本のバイブル”と
称している。そのほか教義、教育、生活に関する単行本やパンフレット類が何百種といっ
て発行されている。
“一個の労働者”谷口
これまで新聞社や雑誌社で何度も私と彼との対談を計画したが、彼のほうで応じてこな
かった。しかし最近私は、“生長の家”の本部に足を運んで、彼の説教をきいた。
信者は老若男女合わせて約千人ばかり集まったが、どっちかというと女のほうが多い。
演壇の中央には“実相”と書いた大きな額がかかっている。これがいわばご神体であろう。
その下に大きなツヅラがおいてあって、その前の机の上に巻物箱がのっている。その中に
入っているお経みたいなものを谷口が教育勅語のように押し頂いてから読むのである。
彼は当年六十二歳だが、頭髪は黒々として、顔にツヤがあり、気味が悪いほど若々しい。
話すことは書いているものとほとんど変わりがないが、話の中に時事問題を取り入れるこ
とがうまい。ユーモアがあってよく笑わせるが、セックスの問題を大胆に取り上げる。そ
れがまた非常にうけているようだ。古谷綱武の離婚事件などもさっそくもち出して、古谷
は月収三十万円で彼より多いが、決して幸福ではないといったようなことをいうのである。
谷口にいわせると、彼は“一個の労働者”である。たくさんな雑誌に毎月書かねばなら
ぬし、月のうち半分は講習会のために地方巡業をしなければならぬ。彼の書いたものの著
作権は社会事業団の所有になっていて、印税は彼のふところに入ってこない。全国に八十
いくつの別荘もあるが、彼の名前にはなっていない。かように「資本主義の中にありなが
ら共生主義でもあり、無所有主義でもあり、自由自在の境地」だといっている。
だが、これらの別荘は、だれでも使えるわけではない。彼が行くと「いちばんよいフト
ン、いちばんよい食器を出して、いちばんよいごちそうをしてくださる」のである。送り
迎えにも最新型のビューイックが彼専用に使われている。おそらく彼もしくはその家族の
名義になっている財産は莫大なものだと思うが、仮にそんなものが全然なかったとしても、
日本人としての最上の生活がいつも待ちうけている点で、一流会社の社長も及ぶところで
はない。
そればかりではない。彼にサービスする男女はすべて信者で、彼を心のよりどころとし
て、神としてあがめているのである。これはいくら金を出しても買えないものだ。“神さ
ま業”は一度味をしめたらやめられない点はここにある。別に積極的に悪いことをしなく
ても、人間の無知と盲点の存するかぎり、その上にアグラをかいておればいいのである。
一方で出て行くものがある代わりに、新しいカモもぞくぞくやってくる。
最近の最上のカモは何といっても鳩山一郎である。谷口の説によれば、鳩山が脳溢血で
倒れたのは、吉田茂に対する悪感情から、「心の内圧が昂進して高血圧となった」からで、
一時自由党に復帰したのは、「天地一切のものと和解せよ」という“生長の家”の教えを
うけ、さらに「吉田をあがめよ。その敵に対して目にて目をつぐなうは旧約の教えであっ
て、その敵を愛し拝むようにするとき、貴下の病気は速やかに快復に向かう」という谷口
の手紙に従ったからだということになっている。さらに鳩山内閣を成立せしめたものは、
“生長の家”信者の「熱心なる神想観」の結果だという。そこで谷口と鳩山の共著で、
『危機に立つ日本』と題するパンフレットまで出ていて、鳩山は“生長の家”の宣伝に
百パーセント利用されている。
谷口のことを“生長の家”の信者の間では、“昭和の弘法大師”と呼び、彼もそれを
ねらっているそうだが、実は弘法大師自身もこの種の“怪物”であったかもしれぬ。
『新興宗教のウラがわかる本 カネと権力と醜聞にうごめく教祖たち』
著者 段勲 政界往来社 1986
出版教団といわれるだけあって、定期刊行物も数多く、あわせて谷口著なる単行本もま
た膨大な量である。教団・婦人部組織の「白鳩会」会員が筆者に声を秘めてこう訴えたこ
とがあった。「機関誌は現在、月刊誌で六冊出ているでしょうか。それに新聞ですよね。
月刊誌は全部は読みませんけど、ほとんどは定期講読しております。このほか、毎月のよ
うに単行本を買わされるんです。創価学会さんの場合も本の押し付けがすごいと聞いてま
すけど、生長の家だって同じです。もともと生長の家は、本を売った代金によって教団を
維持してきたのですから、しょうがありませんけどね。あんまり読みたくない本でも、先
輩から勧められますと、教団内には拒否できないような雰囲気があるんです」
生長の家の財源は、この出版物の販売で得る年間数十億円の収入と、ほか財源の柱とし
ては、「聖使命会」会員による会費がある。
聖使命会とは、昭和二十九年四月に発足した教団の布教機関である。会員数は約七十四
万人といわれているが、聖使命会であるそれら会員が月々の会費を本部に納めるわけであ
る。会費のランクも次ぎのような五段階に分けられているのだ。
@家族会員(月額一口百円)、A護持会員(同四百円以上)、B什一会員(同千円以上)
C特志会員(同一万円以上)、D名誉会員(同十万円以上)――。また、十万円
以上の名誉会員には、名誉記章を贈ったり、一万円以上の特志会員には、やはり記章と色
紙などが贈られる。こういう差別待遇を施すことによって、会員の心情をくすぐり、名誉
記章が貰えるように早く一番上のランクにあがりなさい、ということであろう。
では、聖使命会員が月々に本部に納める会費の総額はいかほどになるのか。五段階の真
ん中をとって、会員一人当たり千円にすると、会員数が七十四万人であるから、七億四千
万円である。一年で八十八億八千万円だ。むろんこれは非課税だから、本部が丸ごと使え
ることになる。
出版物の販売及び聖使命会会費のほかに、生長の家の収入源として、練成会場で行われ
る練成会がある。この参加者は“奉納金”を本部に出さなければいけない。
現在、練成道場は全国に北から「本部練成道場」、「富士河口練成道場」、「宇治別格
本山」、「松蔭練成道場」、「ゆには練成道場」それに「総本山・龍宮住吉本宮練成会」
の六ヵ所である。
筆者の手元に、生長の家総本山内にある「龍宮住吉本宮練成会」の案内パンフレットが
ある。
“住吉大神との荘厳なる出会いの練成会であなたの運命は浄化され永遠の神性が甦る!!”
と、アピールされ、練成会の月別行事、日程、奉納金額が紹介されている。練成会の行事
名と奉納金額は、「龍宮住吉本宮練成会」(奉納金、全期二万五千円以上、一日二千五百
円以上)、団体参拝練成会(奉納金一万円以上)、長寿ホーム練成会(奉納金一万二千五
百円以上)、境内地献労練成会(奉納金、随意)、栄える練成会(奉納金七千円以上)、母
親練成会(奉納金六千円以上)の六種類に分かれている。
ところで、会員が練成道場に宿泊(期間は三日から十日間程度)してどんなことをする
のか。
案内パンフレットによると、教義の勉強が中心で、本部があらかじめ用意したテキスト
で学習を進めるのである。
そのテキストの中には“私の日本憲法論”なんていうのもあり、生長の家らしい特色が
現われている。
奉納金提示価格に“以上”がある意味
さて問題である。
奉納金とは神仏に献上する金のこと。つまり神仏は、いくら出せとは請求しないから、
出す本人たちの気持ち、真心のお金でいいわけである。ところが、このパンフには奉納
金と明記され、しかも、その下にハッキリと価格が提示されている。
なぜこれが問題かというと、税務当局の判断いかんによっては、課税対象になりかね
ないからだ。奉納金であれば、宗教法人の“本来の事業”ということで非課税になる。
しかし、価格を明記して会員から徴収し、食事付きで寝泊りさせていれば、会員が支払う
“奉納金”は、“宿泊及び食事代”との要素が多分に強くなるからだ。つまり、旅館の対
象にされかねないのだ。さて、税務当局はどのような判断をみせているのだろうか。
教団側は、あくまで「奉納金」であると主張したいようだ。だが、それは百歩譲ったと
しても、この価格の提示のあり方に関して、ひとつしこりが残る。いったい、奉納金の提
示価格が、○○円以上という“以上”の意味はどういうことなのだろうか。
宗教法人は、周知の通り、公益法人であって、営利を目的にした団体ではない。そのた
めに非課税という恩恵もあるのだ。奉納金額が明示されるだけでも鼻持ちならないのに、
“以上”まで付けてある。わざわざ“以上”を付けた意味を自己流に解釈すれば、教団側が、
“会員の皆さん、提示価格以上のお金を出してください。この提示価格は原価で、これ以
上貰わないと教団は儲からないんです”と、泣き事を言っているようにも思えるのだ。
税金といえば、生長の家が二百億円も投入して総本山を建設し、職員ともども西彼町に引
っ越してきたとき、町はほくそえんだ。押し寄せるおおぜいの会員が町に金を落としてくれ
る、と。ところが、期待はみごとにはずれた。会員は、町中を素通りして山中の総本山に入
ると、もう外には出て来ないからだ。
しかも、前述した通り、生長の家は西彼町総面積の約二十一分の一もの土地を占めてい
るが、なにぶん宗教法人のために固定資産税はゼロ、したがって、生長の家から町が広大
な土地を持っていかれただけで、そこにはなんの見返りも生じないのだ。会員は町に金を
落とさないし、町にとっては踏んだり蹴ったりである。
ただ、谷口雅春が住まいとしていた宅地、約六千四百平方メートル部分から、わずかな
固定資産税(年約九十万円)がとれるだけであるという。
税問題はこれくらいにして、ここらで生長の家の組織形成について見てみよう。
生長の家は、総裁を頭に副総裁、理事長、そして、その下に十五人ばかりの理事がいる。
下部組織には、まず、生長の家は婦人の力で持っているといわれる婦人組織の「生長の家
白鳩会」。ほか「生長の家青年会」、「生長の家栄える会」。さらに、関連団体として
「宗教法人・生長の家宇治別格本山」、「(財)生長の家社会事業団」、「(財)新教育
者連盟」、「(株)日本教文社」、「(財)世界聖典普及協会」、「合資会社・光明社」
などがある。
そして、谷内雅春亡き後、生長の家の頂点に立ったのが、谷口清超二代目総裁である。
谷口清超新総裁は旧姓を荒地といい、山口県萩市生まれの六十五歳。昭和十六年、東
大文学部心理学科を卒業した学究肌の人物で、生長の家には卒業した年に入信している。
昭和二十一年十一月、当時、谷口雅春の秘書室長(文化企画部長兼任)を務めていた
清超が谷口の娘・恵美子と結婚。二人の出会いは、清超が生長の家関係の出版社でエマ
ーソンの翻訳などの仕事を手伝っていたとき、といわれる。が、もう一方の説である、
谷口雅春が清超の才能を認め、娘・恵美子の養嗣子に迎えた、の方に信ぴょう性があるようだ。
清超は、谷口の娘・恵美子と結婚後は、総裁の片腕的な活動を展開する。昭和三十一
一月、沖縄訪問をはじめ、同年六月にハワイ、アメリカ、ブラジルを訪問。四十五年七
月、ブラジル。四十九年七月、ガーナ。五十二年七月、メキシコ、再びブラジル、アメ
リカ、ハワイ、など海外を飛び回り、海外生長の家会員の布教指導に熱を入れている。
著書もこれまで『谷口清超宗教論集』『谷口清超人生論集』など多数で、家庭におい
ては二男二女の父親だ。また、清超の長女・佳世子は、三島事件で自衛隊に突入した
「楯の会」の古賀浩靖と結婚している。
ところで、東大卒のエリートという申し分のない学究肌の清超だが、公称三百三万人
の宗教組織の長として適任なのかどうか。
多難が予想される谷口清超の船出
谷口清超は文学青年ということだが、新しもの好きで、パソコンやワープロなども使
いこなすという。性格も良いということだが、三百三万人の大組織を動かすには、性格
が良いだけでは務まらない。ある程度のカリスマ性が要求されるのだ。
まして、先代・谷口雅春はカリスマの塊みたいな人間で、その性格が組織をぐいぐい
と引っぱってきた会員にもまた、それが総裁の魅力にもなっていた。だが清超には、そ
れが欠けているというのだ。
六十年六月、先代・谷口総裁が他界したとき、多くの会員たちは、
“虚脱状態”
になったという。創始者が亡くなり、沈みかけている組織を、清超はどこまで盛り上げ
ることができるのか。また、その力量はあるのか。
「それと、もうひとつ心配ごとがあります」
というのは、出版物を押し付けられて苦労しますと言っていた前出「白鳩会」の会員で
ある。心配ごとの中味はこうである。
生長の家は、出版宗教と呼称されるほか、他の教団からは“生長の家は白鳩会で支えら
れている”と評価されるほど、教団内における白鳩会の存在が幅をきかしている。
その白鳩会の総裁を長年、先代の谷口雅春夫人の輝子が務め、同会の実権を握ってきた。
また、輝子同様、清超夫人の恵美子もしろ鳩かいには相応の影響力を持っている。恵美子
は『飛べ!!平和の白鳩』(共著)の著書も持っているほどだ。教団内には一時期、二代目
総裁に恵美子を、との話しが出たこともあったらしい。
先の「白鳩会」会員が口を開く。
「雅春先生がお亡くなりになったでしょう。いくら白鳩会が強いといっても、雅春先生の
前では子供みたいなものです。その先生が亡くなって、白鳩会を押さえる人がいなくなっ
たんです。清超先生には、まだそのお力はないでしょうしね。そうしますと、白鳩会がど
んどん頭角を現わして、その頂点に輝子夫人、恵美子夫人がいるとなりますと、清超先生
の存在価値はますます薄くなってまいります。
総裁という教団の看板が消えているようでは、組織は必ず乱れてくると思うんですよね」
生長の家二代目総裁・谷口清超の船出はどうやら多難の雲行きである――。
「神霊界」復刻版1986年発行 出版者大日本修斎会
「神霊界」1919年(大正八年)二月一五日号
入信の経路参綾の動機 谷口正治
私はメエテルリンクの静穏閑雅な愛に充ちたような思索が好きであったと同時に
オスカーワイルドのような華爛な美装に充ちた生活も厭わしいものとは思いません
でした。唯厭わしいのは善でも美でもない平板単調劣悪な生活でした。『俺は美し
ゅう生きている』という感じか、あるいは『俺は聖者のように生きている』という
高い満足かどちらかがなければ生きたとは思われないのでもがいていましたしかし
ながら、どうかすると貴族的な芸術的な美的生活というものは善なる生活と背反す
るものであります。『色彩の感覚すら善悪を超越する』とワイルドはいっています
通りです。他人は筆で物語を紙に描くであろうが、私は私の肉と血とで人生に戯曲
を描こうと思った時、私はある前科ある女と物語を作っていました。初犯は朋輩と
協力して姉芸者の情夫を殺そうとした未遂で、第二犯は『お七吉三』が見たいため
の窃盗犯でした。全く理性のないような、情熱ばかりのような、その点がひどく私
を魅惑しました。私は心に既に脚色をもっていて人生の上に戯曲を描く快感を貪り
ながら、ある暑中休暇の数日を故郷で暮したまま、急いでその女と再び東京へ旅立
ちました。私の人生の戯曲は第五幕が脚色通りに来て愁嘆な別離の場は悲しげに幕
がとじました。しかし戯曲は終っても人生は続いていました。彼女は私に別れとも
ながっていたし、私はすべての善の感情の源泉である憐憫の感情の纒縛の中にいて
いましたもが真とに美しい生活とは想像的同情に充ちた生活ではないか。憐れな者を
虐げてその者の苦しさを『よう酌みとらぬような』似而非芸術的生活が何になる?
愚劣な実に醜い生活である!オスカーワイルドのような美のために美を求めた快楽
主義者も獄中にあって始めて『他のために苦しむのがどんなに楽しいか』を知った
のである。彼は基督の『敵を愛せよ』という聖訓を『愛は憎みよりも美しいから』
と注釈している。然り善であると同時に美しい生活は愛の生活より他にはない。
私は彼女の愛護者となろうではないか。愛がどんなに美しいかということを人生に
示そうではないか。愛は他を聖化するに相違ない。たとえ相手が前科者であろうと
も。誰も相手にしない憐れな罪人を愛するのは甚麼に楽しいか。改心したい罪人
でありながら、社会が偏強で許しのないために罪を重ねる人々がこの世に甚麼に多
いだろう。私が彼女を愛し続けるのは彼女一人の救済のためではなくその様な不合理
な社会に対する第一戦を挑むのである。『万人を許し得る事によってのみ人は神に
近付き得る』私はそう考えていました。
私は早稲田の文科でその頃特待生でしたから、授業料免除なのを幸い一人の学資で
二人で暮していました。その中に故郷にその事が知れたので、一人分の学資さえも
来なくなりました。私は故郷へ書を送りました。
『私は人を愛すな許すなという事には断じて従う事は出来ません彼女は罪人である
から私は彼女を憐まずにはいられません。私だけが彼女を愛し得る唯一人です。
もし私が彼女を愛し許さなかったら彼女は再び堕落するでしょう』
舞妓上りの前科者に関係した堕落した一個の青年=が私でしたしかし私は考えて
自ら慰めていました。小間使に関係した華族の若様から一口にいってしまえば何の
価値もないけれどもトルストイの『復活』の主人公を誰れが敬意を払わずにいられ
ようと。大本の霊統の問題が正しく理解されていたなら他に正しい善美な生活が見
出せていたでしょうに、ともかくもその時は真面目にそう考えて社会の偏強な道徳
観に戦を挑んでいました。
生活は日に日に窮迫して来ます。社会から非常な迫害を受けて、飲まず食わずで
震えながら路宿した事も数日ありました。カタストロフィーはいよいよ来ました。
彼女は彼女の親の財産を持出して私に貢いだしたために、その親は彼女を私に秘密
で台湾へ売ってしまいました。
私はその後ある紡績工場の工場管理者の一員となった側ら、小さい文芸雑誌を大阪
で発行してこう書いていました。『天上の火は終に地上に移すべからざるものである
か。真の憐愍は遂に現実し能わざる空想的の産物か。自分は官能と技巧との生活より
憐愍の生活に移り行った。しかしてその生活は遂に破れた。そうだ霊魂の享楽に疲れ
たものには官能の享楽の他はない。肉は霊を癒す…………』と。如何に私がその頃
霊肉の間に、美と善との間に迷っていたか。そして現代の地上の生活を白眼視してい
たかはこの抜粋を見ても解るでしょう。
憐愍の現実化に失敗して現代社会に呪詛の第一声を上げた私は、人生を戯曲化する
事ばかり考える耽美主義者になろうとしていました。この新らしい人生の戯曲に恋愛
の三角システムをなしたのは、私と、私の仮宿する上役の妹とそうして殊更に私がそ
う考えることを望んでいた所のあたかも鳩を救うと同時に秀鷹をも禿せんがために全
身を犠牲の秤にかけた仏陀にも等しく、他の幸福のために自分の幸福を売った娼婦と
でした。
初心な少女が恋人に捨てられて自殺する戯曲がホフマンスタールだかシユニツツラー
だかのものにあってその頃読みましたが、少女を象徴として表わされたる人間に内在
する美が悲劇のプロツトを通して濃厚に蒸留されているように感じました。美酒のよ
うな人間内在の美は平俗な場合においてよりも悲劇の場面において高調して表われま
す。人は美的鑑賞の生活が過度に増長して来る場合には、実人生に悲劇を作為して
残虐から滲み出る人間の内部的美味をさえ貪ろうと致します。しかし翻って自己の内
なるものの教にひざまずく時、私は私の恋愛の欺瞞的脚色が贖罪の道も絶れたる陋劣
な事だと思われる日がありました。
娼婦は私に病気を感染していたし、私はその病気が上役の妹に感染しなかった僥倖を
望んでいました。私は彼女の様子や言葉の端々まで観察しました。私は彼女が病気を
はずかしがって隠しているんだろうと想像しました。私は彼女に尋ねて見ました。
彼女は答えませんでした。生ながら腐れ行く肉体の潰爛の恐ろしさ。それは実に言葉
で頒つことも慰められることも出来ない、純粋な孤独をもって忍ばねばならぬ恐怖だ
と考えました。相手が治療されている事を知らずに治る神術もがなと考えていました。
催眠術を研究したり医学書を漁ったりしました。
よい明案もないので私は黴菌の伝染という思想を否定し出しました。伝染病といえ
ども各自に特発するのであって決して伝染するのではない。その病気の発生するに適
する状態即ち適度の温度と湿気と場所とそしてその人の道徳的状態に従って発生した
り発生しなかったりするのである。医学も最初の病原菌発生は何に依るかを答えられ
ない。こう私は一種の哲学の蔭に隠れて自己の内なる霊の呵責を出来るだけ軽減しよ
うとしていました。
到底私は道徳家でした。耽美生活で少し行くと直ぐに行き詰って内なる霊の呵責に
後もどりばかりさせられるのです。しかしいわばそうさせられていたので、耽美生活
も人生の戯曲化もなかったら病気もなかったし、従って神変不可思議な神術を求める
必要もなかったし大本に近付くことが出来なかったかもしれません。
その後その上役の妹は家事の都合でその家にいなくなりましたが、私の病気が重く
なって困っていると、以前の娼婦が自花を付けて見舞に来てくれたりなどしましたの
で仮構的な愛が真実の情愛に変化して、私はその女を本当に恋いるようになりました。
前科ある女を愛していた時の、貧しきもの憫れなものに対する熱愛が私の心に再び
戻って来ました。私はこの社会的地位からいえば気の毒な軽蔑されている者の上に、
敬虔な愛情を心から捧げる事を喜びとしていました。が私は病気の快復すると同時に
明石へ転任を命ぜられました。
私は明石から時々彼女に会いに行ったし、給料の大部分は彼女のために使って彼女
が一日も早く苦界から釈放されることを望んでいました。
彼女は約束の年期よりも早く借金を払ってしまいました。しかし彼女はもう私に叛
いていました。私は苦しかった。しかし私はこう彼女に書いていました。
『愛が叛いた心で受けられたという事は、それが一層敬虔な愛情で報いられたに
較べれば悲しい事に違いありません。しかし私が冷たく愛したために当然貴女に冷た
く報いられたと考えるよりは幸福です。何故なら私は自責せられないからです』
何者かを常に愛せずにはいられないような私は、女の愛から労働者に対する愛に遷
って往きました。定められた忍従の時間を、それがあたかも替え難い運命であるべき
かのように、懶惰な監督者や資本主の頤使の下に、謙遜に立働いている彼等を見ると
暴君に対する反抗と弱者に対する哀憐の感情に驅られずにはいられませんでした。
彼等は彼等の労働が貧しき人を裕にすることのない代りに、益々富の分配を不公平に
するのを知らないもののように働いていました。理は最低賃金を以って最良品を最も
多く生産する事のために職工を管督する役目なのです。私は彼等を監督するよりも労働
の負担を軽減したい欲望にかられて、時々油と垢に混れながら労働します。しかし
それは彼等の労働の負担を減じなかった代りに彼等に煙たい思いをさせました。私は
自分の役目から幾度も逃出したくなりました。富豪の手先となって労働者を虐め、
富の分配を一層不公平ならしめつつ給料を貰う生活―、ああ何という醜い生活でしょう。
私はある織物新聞に資本家と監督者に対する辛辣な風刺に充ちた創作を載せました。
工場の実際が暴露されると会社の人達は周章てたり私を罵ったり憎んだりしました。
私は私が会社にいる事が誰の幸福でもないのに、その役目に噛り付いているのは、
唯私がその日その日の食事を得るためであるのは卑怯な虚偽であると考えて会社を止め
ました。もうどんな資本家に使われる事も嫌でした。私は汚れた社会組織から全然自由
になりました。しかし如何に汚れた社会組織であるにせよ、生きている以上は何か職
を求めて食べねばなりませんでした。
私は前に研究した催眠術を思出しました。何か霊的に人と社会とを救済するような
職業―、太霊道、健全哲学や、渡辺式心霊療法やそして木原氏の耳根円通法や、いろ
いろの精神霊法を研究していると、ある日松江から『彗星』という雑誌を送ってくれ
ました。それによって永い間不満足に思っていた社会組織が根底から立替えられる皇道
大本なるものを初めて知ったのです。私はその雑誌の御礼に彗星社へ『心霊療法の
骨子』と題する原稿を送りました。それは私がほとんどすべての心霊療法を研究して
見た粽結でした。神という観念も宇宙の大霊という所まで進んでいたし、従来神界が
未完成であったという大本の思想にも少く接近して『人間は不幸があるのは神に不幸
があるのである』とそれには書いていました。所が彗星社の岡田射雁氏からの返事に
『時節到来の節には早速掲載致すべく候えどもその時節なるものの何日到来するかは
明言致し難く』と大本式の面白い文句でした。ところがその原稿は直ぐ翌月即ち九月
号の『彗星』誌に皇道大本の記事と相対する頁に載せられていました。それが動機で
参綾の時節が来たのでした。そして私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥
じない生活を見出しましたそれは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でし
た。過去を振返って見ますとすべてが大本へ入る前の予備試練のように考えられます。
日本評論(昭和十二年一月)
「生長の家」盛衰記 笠木耕二
一、
無数にちかい新興類似宗教の中で、もっとも頭角をあらわして世の注目を惹いた
「皇道大本教」が不逞不遜のかどで哀れ壊滅の悲運に遭い、つづいて「教育勅語」や
人倫道徳を売り物にした「ひとのみち」教祖が皮肉にも自らの桃色事件で検挙されて
も、今様穏田の生神様谷口雅春だけは未だに無難でいるばかりか、このごろは鳥なき
里の蝙蝠のようにいよいよ図に乗ってノホホンをきめ込んでいるかに見える。加うる
に家付の大番頭を以って自任する前陸軍主計総監辻村楠造は「生長の家の出現は釈迦
キリストの再来だ、否寧ろそれ以上の出現であると思う。釈迦キリスト老子乃至孔子
は世界の大聖人と称せられてその発見されたところも真理であるけれども、爾来二千
余年乃至二千五百年余を経て実続のみるべきものなく、却って堕降に堕降を続けて今
日のごとき大勢を馴致している。その際谷口先生の現われたるは真に救済の主たるを
思う。」
と熱狂的賛辞を並べ、無我愛運動の伊藤証信(後に谷口とケンカ別れした)また、
「爾来私は『生命の実相』及び『生長の家』を読みつづけて居りますが、読めば読む
ほど共鳴共感を強くし、且教えられ、啓発されるところ頗る多く(中略)筆者谷口氏
の魂は現に神仏の霊を以って満たされているかのごとく感ぜざるを得ない」
と生神様谷口のために大変な提灯の持ちようである。だが果して「生長の家」及び
谷口雅春は彼等のいう如き内容を具えたものであろうか。