934 :
名無しさん@1周年:03/01/11 16:35
本当にそのとおりで、結論として人類即神ではないのです。神の生命を内に含んだ因縁生が人類です。ただし未来は人類全て神の姿を現せるようになるという事です。そのための世界平和の祈りなんです。
935 :
名無しさん@1周年:03/01/11 20:23
昔の白光会員の中には霊能力を持った人がまあまあいたようだけれど今現在はどうなのだろう?誰か教えて下さい・
>>932 色即是空と同じ考え方で、「人類=神」ではないと言うだけの事です。
人類即神で間違いないと思いますし、五井先生の教えとも問題なく
繋がる内容だと思いますよ。
937 :
大業想念男:03/01/11 21:33
may peace prevail on earth
>>936 >色即是空と同じ考え方
なるほど…。48さんの捉え方は面白いし一面真理であると思う。
一面、と書いたのは「人類即神也」が一見分かりやすい表現だけに
誤解もされやすい、という事。
白光会員の中で48さんのように深く考えている人が少ないのは事実だと思う
オレとしては人類即神也などと言わず五井先生の空即是色の教えで
事足りている、という考えだな…
我即人也・我即凡人也・我即修行中也・我即一般人也・
940 :
名無しさん@1周年:03/01/11 22:59
五井先生は誤解しやすい表現を祈り言葉にはされませんでしたね。
>>938 確か5年くらい前の白光誌にそういう(即の解釈の)話が載っていました。
黄さんとかいうおそらく日本人でない方の寄稿だったと思います。
それを読んで納得したし、もう一回くらい日本語の特色について
触れたものが載ったと思いますが、そう言えばそれきり聞きませんね。
どなたかご存知ですか?
>>941 そうだったんだ…
その人の本、白光誌を読んでから、一度本屋で立ち読みした事あったっけ。
寄稿の内容については、あんまり覚えてない。スマソ…
ちょっぴり毛色の違う雰囲気だったので印象的だったのは頭に残ってるけど。
943 :
名無しさん@1周年:03/01/12 23:45
二年ほど前の「あいのり」に、上智大出身のゴウとかいう二枚目の好青年が出ていたが
五井先生の少年時代のような顔をしていた記憶がある。
脱線お許しを。
944 :
名無しさん@1周年:03/01/13 00:51
最近、お祈りすると気持が良い。ありがたい。世界人類が平和でありますように
945 :
故郷は宇宙:03/01/13 10:22
may peace prevail on earth 私はこの言葉だけで十分超越できると信じています・他の言葉は一切必要ありません・
946 :
名無しさん@1周年:03/01/13 11:28
五井先生も平和の祈りだけでいいんだ、五井先生がいい人は五井先生一点張り、神様がいい人は神様一点張りでいいんだ、とおっしゃっていますね。
947 :
名無しさん@1周年:03/01/13 11:29
――――――――――――――――――
アーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
__ __ .r――――――――――――――――――
∨ | あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
日 凸 U | ______
≡≡≡≡≡| /〃∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
U ∩ [] ∨%(. ゚∀゚ .) < ズピョズピョズピョズピョズピョズピョ
__ ∧ ∧__∧_∧___)_ \______________
( ゚∀゚,)日( ゚∀゚ ..)∇
― / | ― ( )―――
\(__.ノ ━┳━)
━┳━ └ ┃―・゛
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄
948 :
名無しさん@1周年:03/01/13 11:36
私は「自分も人々もみんな神様だ。悪い姿は無い。誤った想いが消えてゆく姿なんだ。未来はみんな神様の姿を現すんだ。」と思う方が元気が出るし、希望が沸いてきます。人それぞれ微妙に違うんですね。
949 :
名無しさん@1周年:03/01/13 13:49
そうです。何が唯一最高であるとか優劣を論じたりとか、それも良いでしょうが、一番大切なのは私たち一人一人が祈りや印によって幸福であるか、救いを感じれているかどうかだと思います。どんな議論をしても、結局個人の生活態度が最後に来るわけですから。
950 :
名無しさん@1周年:03/01/13 15:33
自分は神である
>一番大切なのは私たち一人一人が祈りや印によって幸福であるか、
>救いを感じれているかどうかだと思います。
同意です。
ただし、救いというのは、私の場合、現実の生活面に現れるものである
ことが必須条件だな。
本心開発という名目の元に、現実の生活が過酷なものになっていくのでは
宗教として本末転倒だと、経験上考えているので。
952 :
名無しさん@1周年:03/01/13 16:18
いくら自分は神だ、みんな神だと言ったところで普段の生活が業想念にまみれていたら、私はむなしいと思います。でも、それで勇気づけられる人もいるんですよね。
953 :
名無しさん@1周年:03/01/13 16:23
人それぞれ安心出来る方法は違うわけだから、自分に合わなければやらなければ良いだけの話だ。
954 :
名無しさん@1周年:03/01/13 16:32
>>952 我即神也の印は、念力行ではなく、本心からの光をいただく科学であり、
けっしてむなしいものではない。勇気づけられるというレベルは、はるか
に超えている。やらない人には分からない。
>>954 >やらない人には分からない
これは、その通り。
>念力行ではなく、本心からの光をいただく科学であり
については、
「本心からの光をいただく”科学”であると信じ…」
なんじゃねえか?現時点では印はまだ信仰の域を抜けてない。
印を組み始めて3ヶ月近く、
ラジオ体操に毛の生えた程度の印しか組めなかったんだけど、
この間、白光の人たちと一緒に数人で印を組む機会があって
以降、印の効果が変わった気がします。
今まで組んでいたのは何だったのだろうというくらい。
でも、まだちょっと懐疑的な自分がいるんですけどね。
957 :
名無しさん@1周年:03/01/13 16:53
世界平和の祈りだって本心そのもの、直霊そのもの、大神様の御心そのものです。科学的な方法が世界平和の祈りだ、と五井先生はおっしゃっています。
958 :
名無しさん@1周年:03/01/13 16:55
祈りも祈らないとその効果は実感出来ないさ。
959 :
名無しさん@1周年:03/01/13 17:00
神は神、人間は人間でしょ。
960 :
名無しさん@1周年:03/01/13 17:17
大切な事は一人一人が祈り、印を通して光の柱となる事です。それは祈りの生活、印の生活の喜びを現せるようになる事でしょう。そして人格の向上が伴ってくればなお良いと思います。
961 :
名無しさん@1周年:03/01/13 22:14
白光では先祖供養の方法とかあるんでしょうか?
もしみなさんでおやりになっている方がいたら教えていただけたら幸いです。
印とか祈りの方法とか。
ただし、世界平和を祈っていれば必要ない!!
みたいな意見はご勘弁を
962 :
名無しさん@1周年:03/01/13 22:53
961さんへ。 五井先生は、その人が安心出来るやり方でやれば良い、とおっしゃっていますよ。それに平和の祈りを祈る事が一番供養になる、ともおっしゃっています。白光には祈りは欠かせないものなんです。
963 :
名無しさん@1周年:03/01/13 22:57
特に決まった方法なんて無いんじゃないの?俺は聞いた事が無い。
>962
わかりました。
ありがとうございます。
それだけ教えていただければ十分です。
>>961 >先祖供養の方法
白光では、という事になると、家の宗派のやり方をむやみに否定することなく
その上で、世界平和の祈りをしましょう、って所かな。ありきたりだけど。
オレは、お墓参りする時には
「世界人類が…。ばあちゃん、どうぞお守りくださいね。」って言ってる。
オレたち子孫が祈り心で一生懸命生きてる事自体が、先祖が一番喜ぶ供養に
なるんじゃないかな。
>965
これまた参考になりました。
実は私もそれに近い感じでしたが.....
>家の宗派のやり方をむやみに否定することなく
という表現が素晴らしい。
ありがとうございます。
967 :
名無しさん@1周年:03/01/14 19:33
祈りすぎには注意するようにはしています。しょっちゅう祈っていても、神様(本心さん)のお許しが無ければ神我一体にはなれませんからね。それまでは肉体人間としての経験を積まされるんだと、思うんですよね。悟る事も、神様にお任せなんだなと、こういう訳です。
968 :
名無しさん@1周年:03/01/14 19:49
祈りは、嫌にならない程度で祈り続ければ良い、と思っています。
969 :
名無しさん@1周年:03/01/14 23:16
私たちは無限の愛と光明を持っている。大宇宙と一つであり、創造主と同質の物をもっているんだ。神様は常に伴にある。
970 :
名無しさん@1周年:03/01/14 23:31
祈りが、印があなた達を癒すのではないのですよ。祈り、印の奥にある、いのちの響き、神様の光の響きがあなた達を癒し、あなた達を目覚めさせてゆくんです。
971 :
名無しさん@1周年:03/01/14 23:41
>>970 もちろんそうだが、ロウソクの芯がなければ火はつかないよ。
972 :
名無しさん@1周年:03/01/15 00:01
たとえどんなに自己が神であることを否定する事が出てきても、自己が神であることを信じ続ける事を「信」と言う。自己を神と成すために祈るのは初心である。神である自己の立場から祈るのが世界平和の祈りである。
973 :
名無しさん@1周年:03/01/15 00:05
神しかないのだよ。
974 :
名無しさん@1周年:03/01/15 00:10
最初は「消えてゆく姿で世界平和の祈り」。しかし、時期がたてば『我即神也で世界平和の祈り』とならねばならないし、自然とそのようになるのである。
975 :
名無しさん@1周年:03/01/15 00:20
真実とは、この世は神の光で渦巻いているということだ。
976 :
名無しさん@1周年:03/01/15 00:42
あくまでもわれわれはPRAYERである。
これは人間の立場で祈りの姿をあらわすことに意味がある。
神であると言うのは簡単だが、実際の行動に結びつかないものはカスだ。
977 :
名無しさん@1周年:03/01/15 05:32
>>972 >神である自己の立場から祈るのが世界平和の祈りである。
業想念を持ったままの自己の立場から祈るのが世界平和の祈りである。
978 :
名無しさん@1周年:03/01/15 09:19
神になるために、祈り・印を組むのではない。
自分が本来神であることを思い出すために祈り・印を組むのである。
長い長い長〜い記憶喪失(人間が神であることを忘れ果ててしまった)から目覚め、真の記憶・真の自己を思い出すために祈り・印を組むのだ。
神と言っても人間と言っても同じことのようですな。
神であり人間である私による祈り。
ことさら我は神だと言う必要もないように思うけど。
(否定するつもりはないけど)
980 :
名無しさん@1周年:03/01/15 18:30
どんな想いで祈ろうとも、救世の大光明を汚すものではない。それが悪想念であれば清められるし、善想念であればより良きものにしてくれる。何をどう思おうとも、世界平和の祈りを祈り続ける事だ。祈りイコール悟りなのだから。
981 :
名無しさん@1周年:03/01/15 19:26
誰が何と言おうと、五井先生と「世界平和の祈り」だけを見続ければいいんだ。五井先生と平和の祈りに嘘は無い。世界人類が平和でありますように
983 :
名無しさん@1周年:
業があったっていいじゃん!