仏  典  捏  造

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881名無しさん@3周年
あえて2重投稿させていただく。この内容はむしろこちらに書くべきであった。きづかなかっただけなんだが。

もとは「仏教修行入門」に書き込んだもの。。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1061727260/
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大乗非仏説、ってやつだよな。大乗経典はブッダ本人が言ったことなど何もなく、すべて後世の創作であると言う説。
上座部からすれば、経典の王と言われる法華経だって後世のまがい物。あんなことブッダは一言も言ってないと言う。

確かに上座部が依拠するパーリ語経典のなんともいえないシンプルさと、大乗経典の「多宝塔が空に出現した」とか「祈ってりゃ極楽浄土にいける」という派手さは、同一人物が語ったものとはとても思えない。
いくら方便にしたってやりすぎというのが、素直に考えれば当然の結論だろう。
それでも「法華経はブッダ本人が語ったことで間違いない、他はすべて方便だ」というのは、それこそ法華経原理主義。

それを踏まえたうえで、では大乗経典に価値はないか? と言ったら、ある。逆にブッダの言説に一番近いと言うパーリ語経典のみを信奉し、戒律に固辞し、他を認めないのでは、それこそ諸行無常の法に反するだろう。
時代に応じて変われないのでは、イスラム原理主義と同じだ。

大切なのは、その経典やその教えが、何を言いたいのか。これに尽きると思う。
ブッダ本人が言おうが、信憑性を高めたいためにブッダが語ったことにした大乗経典作者Aさんが言おうが、そこに現れる主張そのものに価値があるのかどうかが大切なんだ。

ブッダの禅がどこに引き継がれたのか。学問としては大事な観点だが、「修行法」として考えた場合、どうでもいい。どの宗派のどの修行法だろうが、あなたに縁があるものに近づくことになるだろう。
自分に合うものをやればいいのだ。