実はさらに、左のほほを差し出す行為は、別の重要な意味を持つのではないか。
ほほを差し出すだけの力があった、その自己効力感は、
奪われたはずだった、最初の右のほほに対する主観的な評価を、
時間をさかのぼって、愛に変更してしまう効果を生むのです。
自分にはそれだけの用意があった。
盗んでいった者にたいして「ああ、それはあげた物ですよ」というのと一緒です。
奪われていたはずが、与える行為になる。
しかも過去のものであっても、その評価をいま変えることで、愛になるのです。
その愛に慰められ、励まされて、自尊心を高めるために。
これは
>>503 のヒント鴨