メジュゴリエの奇跡:血涙のメジュゴリエ聖母像
http://mrosa.szm.sk/341998/angl/civita.htm 「聖燭節に教会に行くところでした。息子を車に乗せようとしていると、いつも聖母にお別れの挨拶をするジェシカが、『パパ、聖母が血を流して泣いている!』叫んだのです」とファビオ・グレゴリは語る。
「初めは冗談かと思いましたが、娘は叫び続けて、車に乗ろうとしないので、私も碧眼に近づきました。聖母の頬に本当に色の濃い液体が見えました。一方の涙は流れていましたが、もう一方は乾いていました。
不安を感じながらも、液体に触れようと手を延ばすと、液が温かく感じられました。その瞬間、震えが走り、ジェシカの手を掴んで、強く抱き締め、ドン・パブロ神父に合うために、教会へ急ぎました。
メジュゴリエからこの聖母像を持ってきたのは神父様だったからです」
事件が起きたは、1995年2月2日、ローマから50キロの港町、チヴィタヴェッチアでのこと。御像は32才の労働者、ファビオ・グレゴリの庭のバラの碧眼の下に置かれていた。子供たちはここで祈るのが好きだった。
それはメジュゴリエから持ってきた小さな聖母像だった。
最初の4日間、多くの目撃者の前で、御像は13回ないた。それから、地元司教のジロラモ・グリロ司教がそれを自分の部屋に移した。御像が、司教の事務所の中で、3月15日に泣き出したときに、4人の目撃者が居合せた。
目撃者の一人―修道女―の手の中に血の滴が落ちた。サルベ・レジナの祈りが始まるや、涙を流し始めた。
グリロ司教は言った。「手に握っている間にも、御像は泣いてました。何が起きているにせよ、この手の上で、この御像が血の涙を流したことは決して否定できません。単純な事実です」
4月6日、公安事務所がこの47センチの御像を押収して封印、4月18日まで隔離した。公安局職員は、御像の所有者、ファビオ・グレゴリも取り調べ、地元の医師に、DNA鑑定をさせた。
チヴィタヴェッチアの聖母の血涙はアメリカ情報局、FBIによっても調べられた。FBI医学研究所による鑑定の結果、男性の血液であることが判明した。
4月18日、御像は司教の手に返還された。メジュゴリエ出身のスラブコ・バルバリッチ神父は言う。
「多くの人が罪深い生き方(アルコール、麻薬、中絶等々)のために永遠の滅びに入っています。私たちは、むしろ、聖母がお泣きになっている理由を調べるべきでしょう」
現在、聖母像は地元のアウグスチノ教会聖堂に安置されて、多くの巡礼者の目的地になっている。毎日、5台のバスが巡礼者を乗せて到着し、日曜日には、バスは20台に膨れ上がる。
巡礼者は祈りと告解を求めて訪問し、肉体と精神の病の治癒さえ報告されている。例えば、指導者とともに訪問した108人のエホバの証人は、その異端的信仰を捨てた。
メジュゴリエの御像の形でローマを訪れた聖母マリアの流す涙は、言葉以上の証拠を提供している。
グリロ司教はいう。「マリア様、もう涙は十分です!今度は私たちが泣く番です」
公安当局は、地元の名医アンジェロ・フィオーリ教授とG・ロンチ教授、警察庁生物研究所所長のアルド・スピネッラ博士に鑑定を依頼した。
グリロ司教は、ラッツィンガー枢機卿と合い、11人の神学者と専門家、医師、生理学者、超常現象の専門家、中国医療の専門家、からなる調査委員会を結成した。委員会は400ページを超す報告書をまとめた。
50人の目撃者の宣誓供述書を調べ、いずれも同一の御像についての証言であり、何らかの物質が誤って流れ出す穴も存在しないことを証明した。男性の涙であることは、キリストの犠牲に一致すると説明している。
調査委員会は、この出来事が超自然性をもつと声明した。
ヨゾ・ゾブコ神父は言う。
「神の母が泣く時には、私たちは聖母を慰めるべきであり、それが事実ではないこと、つまり、泣いていないことを証明しようと、無数の理由を見つけ出そうとすべきではありません」
http://mrosa.szm.sk/341998/angl/civita.htm
メジュゴリエの子供たち2003年6月15日
http://childrenofmedjugorje.com/medj/reports/Japanese/jp06_15_03.html 3)ヴェロニカとアレックスも今週メジュゴリエの私たちを訪れました。1998年から毎年、彼らは神に感謝し、賛美するために南アフリカから来ています。
私と妻のキャシーはヴェロニカの物語を聞いたことがないので、コーヒーを飲みながらシスター・エマヌエルは彼らに身の上を話すようすすめました。
22年間ヴェロニカは目が見えませんでした。彼女は網膜がだめになり、見ることができなくなりました。ヴェロニカは絶えずイエスと御母に祈りました。彼女は強い信仰を持っています。
1998年8月のある晩、苦痛の中で彼女は祈り始めました。突然彼女はイエスが前に立ち、腕を伸ばして彼女を招いているのがみえました。
イエスは彼女にパノラマを見せました。それはある村で、山の頂上に大きな十字架が立ち、通りには小さな商店や家が並び、二つの尖塔がある大きな教会、その中には3番目のステンドグラスの窓には聖母が見えました。
「私はイエス様に言いました、この場所はどこか分かりません、と。イエス様は笑って、“メジュゴリエ”とおっしゃいました。」
翌朝彼女は夫のアレックスに、見たものを全部話し、イエスがその場所をメジュゴリエと言われたと話しました。彼らはそれまでいくつもの聖母マリアの聖地へ旅した時に相談していた旅行代理店に電話して、そのような場所があるかとたずねました。
代理店は聞いたことがないと言いました。夫婦は困りました。数日後驚いたことに、一人の友人がメジュゴリエから帰って来て、行き方を教えてくれたのです!
その村に着くと、アレックスはどこに何があるか全部正確に分かると言いました。ヴェロニカが幻視した村の状況をあまりにもうまく語っていたからです−郵便局、橋、教会…道を車で走ると、すべての建物はヴェロニカが見たその通りだったのです!
彼らはヴィッカが青い家の階段で話すのを聞きに行きました。人が多くてアレックスとヴェロニカはグループの後ろの方に押し込められていました。ヴィッカが話しているとき、アレックスはヴィッカがヴェロニカを見つめているのに気が付きました。
アレックスはヴェロニカに、“あの人は君を見ているよ!”と言いました。そして“君に手を振っている!君を見て笑っている!”と。それからヴィッカが話し終えた時、アレックスは言いました。
“ヴィッカが降りてきて君のほうへ歩いて来る!今、前に来た!”ヴィッカはヴェロニカの目に手を当てて祈りました。ヴィッカが手を離したとき、片方の目が完全に治り、ヴェロニカは目が見えました!
ヴェロニカは喜びに飛び跳ねながら通りで踊り、感謝を大声で叫びました。目の見えなかった彼女が、見えるようになったのです!今に至るまで彼女は神の愛に対する喜びに満ちており、まわりの人たちすべてに手を伸ばして愛さないではいられません。
癒しを受けた翌日、ヴェロニカとアレックスは教会の後ろの黄色の建物にスヴェット神父の講話を聞きに行きました。神父の話の間、ヴェロニカが驚いたことに、正面の壁の聖母の絵が生き返ったのです。
部屋中に静けさが広がりました(何かが起こっていると、皆が分かったようでした)。その時ヴェロニカは聖母が何か青いものを手に持っているのが見えました。それはアフリカ大陸でした!
これは一体どういう意味なのか?人々は祈りました。次の日シスター・エマヌエルの話を聞いたとき、それがはっきりしました。彼らは聖母のメッセージをアフリカで広める召し出しを受けていたのでした!
Children of Medjugorjeの小さな支部として、以来彼らは南アフリカで何千本ものオーディオテープを普及させ、シスター・エマヌエルの著書、“メジュゴリエの90年代”をズールー語版で出版しようと頑張っています!
「メジュゴリエの子供たち」毎月2回発行。日本語アーカイブ
http://childrenofmedjugorje.com/medj/reports/Japanese/jp_archives.htm