http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tlighome.html(部分訳)
私は1994年に「神の中のまことの命」TLIGを知り、読み、神に目を開かれて、それが神からのものでないことを理解するまで、約1年間それを信じました(証言をお読みください)。
TLIG の真実を知るのはとてもつらいことでした。私はだまされたと感じ、一時は、神も教会も自分も信じられなくなりました。
1年後に、ローマカトリック教会が、最初のTLIG に対する警告文を通達しました。以来、ギリシャ正教会の代表者が、幻視者の著作と姿勢について、否定的な声明を出しています。
TLIG のメッセージはクリスチャンの一致を支持するプラスの呼びかけが基本です。
その第1巻は私たちに対する神の愛の話がすべてです。
メッセージには祈り方や秘蹟の大切さのようなよい助言もありますが、メッセージを広めるよう絶えず呼びかけたり、信じない者を無条件に責め、悪魔とののしるような問題ある要素が次にきます。
これは信仰を危険にさらさないために、(地元司教であれヴァチカンであれ)教会から否定決議を受けた私的啓示を読んでも広めてもならないと信徒に呼びかける、ローマカトリック教会の教えに背くものです。
諸教会の一致を主眼にしていると称するメッセージが、諸教会が認めている福音よりも、疑わしい著作への信仰を基礎にしているのは皮肉なことです。
それどころか、メッセージを信じないものは悪魔の犠牲者であると称することによって、家族、共同体、教区の中に分裂をつくりだしています。親、司祭、司教が「不信者」である場合には特にそうです。
このサイトでは、このようなマイナスの面(悪しき実)を取り上げています。
TLIG の信者は、それが本物である証拠として、よい助言やメッセージの「善い実」を引用することが少なくありません。しかし、ピーター・ジョセフ神父様(1)はおっしゃいます。
「ヴァッスーラのお告げの99パーセントがカトリック信仰に一致しているとしても、それこそが、敬虔なカトリック信徒を欺くために悪魔が使うやり方です。
害を及ぼすのは1パーセントです。腐ったリンゴは大部分よくても有害です。悪魔は表立った異端説では敬虔なカトリック信徒を惑わせないけれども、敬虔さに訴えれば、内にひそかに誤謬を植えつけられることを知っているのです」(2)
(1)ピーター・ジョセフ神父様はオーストラリア・ワガワガのヴィアンニ神学校の副学長で、シーハン大司教様の「護教論とカトリックの教理」の編集者です。
(2)「私的啓示:教会に公認されているものを守る」ピーター・ジョセフ神父様著。20ページ。
ここで見れます。www.ad2000.com.au/articles/2000/feb2000p20_38.html
マリア
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tligmytestimony.htm(全訳)
証言(大部分は1999年に書いたものです)
私は、1996年まで、当時ヴァッスーラ・ライデンがいたローザンヌから、50キロ離れたジュネーブに住んでいました。ボーンカトリックです。
福音書に従って生きようと努め、ジュネーブの教区で活動して、大学に行きながらカテキスタとして奉仕しました。
1993年から94年に指導司祭からヴァッスーラの熱心な支持者G夫人を紹介されました。
ヴァッスーラの著書(TLIG)の第1巻をくれ、世界教会協議会(WCC)で行われていた、ヴァッスーラの会合に招待してくれた人です。
TLIGのお告げは奇妙に思えましたが、当時は私的啓示というものを知らなかったので、心を開こうとしました。
ヴァッスーラの講演を聴いて熱中し始め、本をさらに数冊買い込みました。読み進むうちに、自分が神に愛されていると実感し始めました(第1巻のテーマは神の愛)。
そのとき、母と一緒だったので、神にしるしを願うことにしたのです。ヴァッスーラが本物なら母が確証してくれますようにと願いました。母はそうしました。
でも、講演直後に感動していた母は、本を読んでからヴァッスーラに懐疑的になりました。
それでも、私は、神が答えてくださったと信じたので意見を変えませんでした。
すぐにメッセージ中毒になりました。毎日読まずにいられなくなったのです。G夫人はプレゼント用にもう20冊をくれました。
私はお告げを広め始めました。初めての経験でした。TLIGを広めるのが神の唯一の願いであり、それで世界が救われるとメッセージは繰り返していたからです。
当時、私はポルノと戦う会で活動していて、それがキリスト者の務めと考えていました。
しかし、TLIGを読んでからそれが取るに足りないことのように見えてきて、TLIGを読み宣伝する時間をとるために、集会を休むようになりました。
福音書も読まなくなりました。今イエスが語っているのだからお告げのほうが福音書よりも優れていると考えたからです。
他の人たちも私と同じように感じていました。G夫人はメッセージを毎日読んでいて、暇さえあれば第1巻を読み直しているといっていました。
3,4ヶ月してから、両親にもわかるほど私の行動が変化し始めました。ヴァッスーラへのわずかな批判さえ受け付けなくなり、たびたび母と大喧嘩するようになったのです。何事にも過敏になり泣くことが多くなりました。
メッセージを読まずにいると強い罪悪感にとらわれました。テレビを見なくなり小説も読まなくなりました。休暇があればTLIGをもって僧院に行こうとしました。メッセージを伝える機会になると思ったときにしか友人と付き合わなくなりました。
メッセージを読み出して8,9ヵ月後に、一日読まないでいてごらんと母から挑戦を受けました。私は「ひと月ぐらい平気よ」と答えて実行しました。
罪責感にとらわれました。神に背くことだと語りかける内なる声を聞いたようです。でも、メッセージが偽りだからではなく、愛する母を導く方法と思うからしているのだと自分に言い聞かせました。
罪悪感を感じつつも神に助けを願い続けました。アヴィラのテレジアと十字架のヨハネを読み始めて、深い神秘主義が驚くほど新鮮に心に浸透しました。認めたくありませんでしたが、TLIGを読まずにいられるのでほっとしました。
TLIGなしの3週目に入り、神は過去1年間を見つめられる、澄んだ強い心を与えてくださいました。私は初めてメッセージの信頼性を疑い始め、メッセージの真実を教えてくださるように神に願いました。
その月の末に、TLIGを読み返しました。しかし、今回はTLIGと福音書との矛盾が目に付きました。ある箇所でTLIGを読めなくなりました。教理省の最初の「通告」が発令されたのはその一年後です。
メッセージを信じた結果、私は約二年間罪悪感に苦しみました。TILGは本物ではないと考えてみても、それを信じるように自分を洗脳してきたからです。
神も教会も自分も信じられなくなりました。警告するどころか読みもせずにTILGを薦めた司祭たちに騙されたと感じました。指導司祭もその一人だったのです。
私は「ひたすらあなたを求めてきたのになぜこうまで迷わせたのですか」と神に訴えました。イエスにも祈れなくなりました。TILGは他のどの偽啓示にも共通するように、イエスのイメージを巧妙に変えてしまうのです。
イエスを思うと、メッセージの真実を疑う者を責める、TILGのイエスが心に入ってくるのです。教会は非公認の私的啓示は真実と考えてもいけないし、読んでも広めてもいけないと教えているのに。
でも、祈りを通して、父なる神は私に御子のイメージを回復してくださいました。
TLIGのような許可されていない私的啓示を無条件に信じる経験をしてきたので、私はそれがどれほど大きな被害を与えるかを証言できるのです。
TLIGはまったく誤謬がないように見えます。そう信じている司祭さえいます。福音書と教会の教えと教皇に何もかもが従順であるかのようにも見えます。私は自分が他より豊かな信仰と祈りの御霊を育てているのだと考えていました。
しかし、すべて砂上の楼閣だったのです。偽りの私的啓示を信じることを選べば霊的に滅ぼされます。
この経験は教会の警告と薦めに注意することがどれほど大切であるかを教えてくれました。
超自然現象や奇跡の追求がどれほど霊魂を危険にさらし、信仰の破壊に導くかを教えてくれました。また、「見ずに信じるものは幸いである」とトマスにかけた主のみ声を新しい方法で理解させてくれました。
メッセージを読んだのはたった8ヶ月だったのに、トラウマの連続だったので、立ち直るのに6年以上もかかりました。でも、ある意味で、後悔していません。
この恐ろしい幻滅と苦しみは、本当の(無条件の)神の愛を教えるために、神がお用いになったものであり、福音書の素朴な教えと神とその教会への信頼に基づく、より豊かな、真実の信仰へと霊的に導いてくれたからです。
この苦しみの時期に私に助けの手を差し伸べてくれた、友人、家族、司祭の全員に心から感謝します。
神があなた方をいつも祝福し守ってくださいますように。
聖母マリア様が私たちの霊魂の救いを仲介してくださいますように。その素朴で、謙遜で、心のこもった奉仕の生き方が私たちの倣うべき模範となりますように。
マリア
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tlignotificationsreTLIG.htm ローマカトリック教会のTLIG に対する通告
1995年10月6日に信仰教理聖省は「霊を試した結果」(1ヨハネ4:1)ヴァッスーラ・ライデンの著作についての第一回「通告」を発表しました。肯定的な面も認めながら、教理上の誤謬とメッセージを受け取る方法(一種の自動書記)を含む、否定面も指摘しています。
その結果、信仰教理聖省は、ヴァッスーラの著作と話を超自然的なものと見てはならないと結論し、信徒に適切な情報を通知して、TLIG を広めないよう司教団に要請しました。
第一回通告への反応
通告は予想しないものだったので、すぐに反応がありました。TLIG の推進者はその真実性を疑問視してこんな議論をしました。
−ヴァッスーラ・ライデンは信仰教理聖省に査問されていない。
−通告はただの意見で、間違っていると思う信徒は無視してよい。信仰教理聖省がスイスの司教団へ宛てたただの私的書簡という人もいる。
−通告文にはラッツィンガー枢機卿の署名がないので偽者である。
さて、「通告」は教会に関する重要情報を通知するRCCが使う中心的機関のひとつ、オッセルバトーレ・ロマーノによって公表されました。
通告にラッツィンガー枢機卿の名前が見えない(ベルトーネ師を含む聖省の二人の名前はありました)点がヴァチカン内に「反TLIG 集団」が存在する証拠と言われました。
しかし、信仰教理聖省は「通告」のような毎日の通信を発行しているというのが事実です。このような通信文の重要性は、それらが教会の公的機関、信仰教理聖省によって出されることにあり、それで、署名者を明示せずにメディアが使うことも少なくありません。
それでも、私はTLIG 推進者の反撃に会いましたので、ローザンヌ、ジュネーブ、フリボールの司教区の高官に手紙を出して、「通告」の「正統的解釈」を求めました。1996年8月13日に回答が来ました。フランス語原文
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tliglamas.htm
私が英訳した書簡の抜粋を掲載します。
「ローマ聖省の発行した通告は特定の問題についての聖座の発言を求めた個人や集団に宛てられた説明です。書簡の場合は特定個人(たとえば司教)に宛てられますが、その場合でも、この特別な通信は公教会が判断の基準です。
ライデン夫人に関する通告の場合は、説明を求めて信仰教理聖省長官に直接手紙を書いた、多くの司教、司教区の集団、信徒や私人の集まりに答えたものであり、カトリック教会全体にとって価値があります。
信仰教理聖省の通告はヴァッスーラ・ライデン夫人に直接宛てられたものではなく、ライデン夫人の活動に関して権威者の判断を仰いだ、多くの司教、司祭、修道士、信徒に宛てられたものです。
それで、これはヴァッスーラ・ライデン夫人に対する聖省の公的非難とは言えず、むしろ、夫人の活動や言葉によって混乱をきたした人々に宛てられた聖座の警告です。
カトリック教会は他教会の信徒の霊的生活に干渉しないのが原則ですが、個人や組織の態度によって発生したどんな混乱についても、教会の教義の視点から、信徒に警告し説明する義務があります。
ライデン夫人の著作は多くカトリック信徒の間にかなり広まっていますから、聖省はその内容について意見できます。若干の肯定できる要素は発見できますが、カトリックの教義に照らして考えなければならない基本的に否定的な要素が多く見受けられます。
ヴァッスーラ・ライデン夫人が見解を述べるよう査問されなかったのは、他教会の信徒の精神生活に干渉するのを避けるためというのが第1。第二に、彼女はローマカトリックの組織や神学校で教えているわけではないからです。」
ラッツィンガー枢機卿は噂を反証しています
1996年5月に、TLIG のメキシコのグループが、ガダラハラでラッツィンガー枢機卿と短時間会う機会を持ちました。この私的会合の後で、グループは信仰教理聖省長官が「彼女の著作を出し続けてよい」と話したと宣伝し始めました。
しかし、信仰教理聖省は1996年11月29日に二度目の通告を今度はラッツィンガー枢機卿の署名入りで発表し、信仰教理聖省長官がガダラハラで話した意味を明確にし、第一回通告の正しさを確認しました。
このように枢機卿自身が署名入りで第2回目の通告で反証しているにもかかわらず、TLIG の推進者は「彼女の著作を出し続けてよい」の文句を引用し続けているのです。
マリア
ヴァッスーラ・ライデンへの第1回通告
1995年10月6日信仰教理聖省
http://www.ewtn.com/library/CURIA/CDFRYDN1.HTM 多くの司教、司祭、修道者、信徒が、スイス居住のギリシア正教会信徒ヴァッスーラ・ライデン夫人に関する権威ある判断を当省に求めてきた。彼女は文書や講演で、世界中のカトリック信徒に「天のメッセージ」と称するものを広めている。
教理省が「それらが本当に神からのものであるかを見るために、霊を試すために」(一ヨハネ四・一参照)行った、冷静かつ慎重な検討により、肯定要因の外に、カトリックの教義に照らして、否定すべき種々の基本要因が露見した。
啓示と称するものを受け取る奇妙な方法に加え、散見される教義上の誤謬を強調する必要がある。とりわけ、三位一体のペルソナについては、神的ペルソナの特定の名前と働きが混乱するほど曖昧である。
これらの「啓示」と称するものは、教会内に反キリストがまもなく君臨すると予言する。至福千年王国のスタイルで、神が最終的に栄光に満ちた介入をなさり、キリストの決定的地上再臨の前に平和と普遍的繁栄の時代が来ると告げる。
そればかりか、カトリックの教義に反して、一種の汎キリスト教的教会の到来が近いことを予言する。
以上の誤謬が彼女の後期の文書に見られなくなったというのは、彼女の言う「天からのメッセージ」が、個人的黙想の結果に過ぎない印である。
さらに、ライデン夫人は、ギリシア正教の信者でありながら、カトリック教会の秘蹟に恒常的に与ることによって、カトリック教会の各所で驚きの的になっている。まるで教会内のすべての裁治権と教会法の規範を超越しているかのようである。
実際、彼女が正教会の教会的規律を受け入れないので、ギリシャ正教を牧する司祭や信徒を含め、彼女は複数の権威筋をいらだたせている。
いくつかの肯定的側面もあるが、ヴァッスーラ・ライデンの活動によって否定的結果がもたらされているので、当省は、信徒が適切な情報を持ち、彼女の思想が各自の教区内で普及しないように司教たちが介入するよう要請する。
最後に、当省は、ヴァッスーラ・ライデン夫人の文書や講演が超自然のものであると考えないよう、主が教会に託している信仰の純粋さを保つよう、すべての信徒に勧告する。
ヴァッスーラ・ライデンへの第2回通告
1996年12月信仰教理聖省&ラッツィンガー枢機卿長官署名捺印
http://www.ewtn.com/library/curia/cdfrydn2.htm T、信仰教理聖省は、世界中のカトリック内で流布されているヴァッスーラ・ライデン夫人の啓示と称する著作とお告げに対して1995年10月6日に発令した通告の価値と権威について各種質問を受けてきた。これに関して信仰教理聖省は次のように述べる。
1)カトリック教会の司祭と信徒に声明された通告文はすべて有効である。権威者はそう認め、信仰教理聖省長官が署名した上で、聖座の公的機関Acta Apostolicae Sedisから発行される。
2)1996年5月10日にメキシコ、ガダラハラで謁見を許された人々との私的対話の中で、枢機卿長官が話したとされる、通告の解釈の制限に関して報道機関が流布した情報について、長官は次のように述べる。
a)前に述べたように、信徒は、ヴァッスーラ・ライデンのお告げを神からの啓示ではなく、単なる個人の黙想とみなすべきである。
b)この黙想は、通告で説明されているように、肯定できる面と、カトリックの教理に照らして否定すべき要素も含んでいる。
c)したがって、聖職者と信徒はこの問題には慎重な霊的見極めを行い、啓示と称するものによってではなく、神が啓示されたみことばと教会権威の指導に従って、信仰と倫理と霊的生活の純潔さを保持すべきである。
U、私的啓示と称するものの本文を流布することに関して、信仰教理聖省は次のように述べる。
1)1966年10月14日に教皇パウロ6世が認可し、同年11月15日に通達された決議を、啓示と称するものから出てくる著作とお告げを教会内で自由に頒布できると解釈している人々がいるが、これはまったく根拠がない。
これは実際には「禁書目録の廃止」に関する決議であり、妥当な禁令が解かれても、信仰と倫理を危険にさらす著作を流布させても読んでもならないという、倫理的義務は保持されると決議されている。
2)啓示と称する文書の流布については、教会法823条1「司牧者は信徒が出版する信仰と倫理にかかわる文書を司牧者の判断に委ねるよう要請する権利がある」を想起すべきである。
3)超自然の啓示と著作と称するものについてはまず地元司教の判断にゆだね、特殊な事例においては、司教団と信仰教理聖省の判断を仰ぐべきである。
TLIGに関するある神学者の見解
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tliginterviewdermine.htm ここに、TLIG の批判的研究の著者、フランソワ・デルミネ神父様の対談を抜粋します。対談の中で、神父様はヴァッスーラのお告げについてくる教理上の誤謬と否定的要素を明らかにしています。この記事は1996年6月2日のイタリアの雑誌"Settimana"に掲載されました。
ヴァッスーラ・ライデンの怪しいお告げ シルヴァナ・ラドーニ
ボローニャの神学部教授フランソワ・デルミネ神父は信仰教理聖省が反対声明を出す以前から、ヴァッスーラ・ライデンの啓示の現象を広く研究してきたドミニコ会士。
ヴァッスーラ・ライデンとイエスから口述されたと称するお告げは、彼女が所属する正教会ばかりか、カトリック教会内部にもかなりの混乱を起こしている。彼女に賛同する者も拒否する者も識別に欠けている。
デルミネ神父は忍耐強くヴァッスーラ・ライデンのお告げと生涯を再構成して"Vassula Ryden: Indagine Critica", Ed. Elle Di Ci)というイタリア語の本を著した。
問:多くの虚偽の啓示、虚偽の出現、霊現象によって、教会内部にも大きな混乱がおきています。この現象はキリスト教社会にどんな意味を持つのでしょうか?
答:真の現象もそうでない現象もありますから事例は個別に調べなければなりません。一般に、カトリックの、特に超常現象に心を開いている人は、どんな異常現象にも敏感です。
不安定な世界、それに終止符を打てないこと、合理主義の中で生きなければならないことを加えれば、このような安心を覚える私的啓示が提供する教導職(教会以外のです)に転向したくなるのは明らかです。カトリック教会の教えよりも重要に思えるのでしょう。
ヴァッスーラ・ライデンに関して信仰教理聖省が出した通達を全否定する司祭も少なくありません。ヴァッスーラは正真正銘のカリスマで、カリスマ運動に入ろうとしたが、それを部分的にしか得られなかったと信じる人もいます。
問:著書"Vassula Ryden - Indagine Critica" (Ed. Elle Di Ci)のなかで、あなたは、ヴァッスーラがニューエイジの女預言者だといわれてますが、なぜでしょう?
答:彼女は二つの基本的な面でニューエイジの流れに加わっています。
(1)平和と喜びと新生をもたらすニューエイジが世界に確立されようとしているという宣言、(2)彼女自身がイエスと通信するのに使っているニューエイジに典型的な方法です。これは自動書記以外の何ものでもありません。
問:お告げはどのようにして彼女に伝えられるのですか?
答:自動書記です。彼女は予告なしに、意に反して与えられたと主張しています(少なくとも最初の段階ではそうだったかもしれない)。しかし、彼女は後にそれに固執し、天の秘書の役割を受け入れて、進んで自動書記を受け入れました。
最初は自動書記だけでしたが、しばらくして、内なる声が加わりました。指令を伴う内的語らいです。とはいえ、内なる語らいの言うままを書いたわけではなく、二つの現象がともにおきるのです。
また、多くの人格(イエス・キリスト、おん父、聖母、パードレ・ピオのような聖人)の出現を受けているとも言っています。自動書記は論外ですが、彼女はカリスマ現象を十分に表しています。
特に、いくつかのお告げは完全に作為的なものであるか削除されています。彼女は、表に出すのが適当でないと感じるメッセージは変更してよい、とおん父が通信したと称しています。私の視点からすれば、これだけでもすべての現象を捨てるに十分です。
自動書記は私の考えでは悪魔が使うものです。明らかに悪魔が入り込んでいるページがあります。
悪魔が神のお告げと同じものを利用しているのです。それで、神によるものか悪魔によるものか分からない著作になっています。
問:ライデン夫人に伝えられたメッセージの内容を要約してもらえますか?
答:彼女はグローバルな刷新をしきりに主張し、教会、特にカトリックと正教会と国教会を、ひとつにする刷新を刺激したがっていますが、それは教理とも教会とも相容れない一致です。
また、諸教会を超えていると宣言していますが、はなはだしい思い込みです。
それは教導職を無視して天から直接指令を受け、イエス・キリストと聖霊に直接導かれる教会の到来を予告しているからです。非常に霊化され個人が聖霊に導かれるという教会です。
彼女は自分に反対する司教や司祭を特に攻撃し、教会内にフリーメイソンに所属する司教が何十人、何百人もいるというお告げを振りかざします。こうすることによって、カトリックの教導職への強い不信感を生んでいます。
キリストは世の終わりまで常に教会とともにいるとお約束になりました。この約束を疑うことによってどんなに多くの信徒・司祭が惑わされたか分かりません。地上に建設され、よい実しか結ばない千年王国の支配が間近に迫っているという教えもあります。
支援者が指摘するようなプラスのメッセージもあります。それについては反対すべきものはありません。多くのカトリック組織に見られる合理主義を非難し、信仰が神との私的関係に入れる現存としてよりドグマの集合として提示されることに反対するなど。
問:ヴァッスーラの事例で聖なる啓示よりも心霊主義のことが多く言われている理由は何ですか。
答:自動書記が神秘主義に入ってきたことは一度もありません。ヴァッスーラの支援者らはしばしばシエナの聖カテリナの事例を引用します。彼女は文盲で、ある日突然書き始めたというのです。
しかし、彼女は書き方を知っていたかのように書く賜物を受けたのであり、自動書記をしたのではありません。神秘家は常に人間性と自由を大切にされました。意に反して神に支配され、無理強いされることはけっしてないのです。
神は私たちの人間性を除外せず、それに対立しないようにされます。ライデン夫人の最初はそうではありません。ヴァッスーラは自由を保持しているが、責任を取らずに済むようにメッセージを手で書く能力を与えられたという人もいます。
しかし、これでは、人間性に対する神の尊重がありません。それは神のみわざを常に特徴付けてきたものです。
霊感現象の場合には、天主は、常に個人の素養と自由と人間性を尊重なさいます。神のお告げになるものを書くときには、聖人は書いていることをよく自覚しています。腕は電子タイプライターのように動きません。それなら、猿を使ったほうがずっとよいでしょう。
私たちは、今、教会の神秘家が基本的に霊媒師であり、心霊主義と真のカリスマの間に違いがないことを肯定するニューエイジのつくりだす大きな混乱に直面しているのです。
問:ヴァッスーラの生き方は福音書と教会の教えに一致していますか?
答:少なくともカトリック教会にとっては正しくない結婚暦を持っています。ルネ・ローランタン神父は4人の違う名を挙げていますが、離婚と再婚をしているようです。
これは正教会では認められてもカトリックでは受け入れられていないことです。
彼女は、教理面でカトリック以上にカトリックであると称していますが、正教会とカトリックとの間で演じている統一の役を失わないように、カトリック教会に頓着しません。
教理の面からはカトリックであると称しながら、どんな教導職にも従おうとせず、中立で咎められないところに身を置いています。
法的には正教会信徒で、離婚再婚者であるという、かなり乱れた事情にもかかわらず、すべてのカトリック教会の秘蹟を受けるのが義務だと感じています。