聖母マリアについて語りましょう。

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420ヴァッスーラに警戒
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tlighome.html(部分訳)
私は1994年に「神の中のまことの命」TLIGを知り、読み、神に目を開かれて、それが神からのものでないことを理解するまで、約1年間それを信じました(証言をお読みください)。
TLIG の真実を知るのはとてもつらいことでした。私はだまされたと感じ、一時は、神も教会も自分も信じられなくなりました。
1年後に、ローマカトリック教会が、最初のTLIG に対する警告文を通達しました。以来、ギリシャ正教会の代表者が、幻視者の著作と姿勢について、否定的な声明を出しています。
TLIG のメッセージはクリスチャンの一致を支持するプラスの呼びかけが基本です。
その第1巻は私たちに対する神の愛の話がすべてです。
メッセージには祈り方や秘蹟の大切さのようなよい助言もありますが、メッセージを広めるよう絶えず呼びかけたり、信じない者を無条件に責め、悪魔とののしるような問題ある要素が次にきます。
これは信仰を危険にさらさないために、(地元司教であれヴァチカンであれ)教会から否定決議を受けた私的啓示を読んでも広めてもならないと信徒に呼びかける、ローマカトリック教会の教えに背くものです。
諸教会の一致を主眼にしていると称するメッセージが、諸教会が認めている福音よりも、疑わしい著作への信仰を基礎にしているのは皮肉なことです。
それどころか、メッセージを信じないものは悪魔の犠牲者であると称することによって、家族、共同体、教区の中に分裂をつくりだしています。親、司祭、司教が「不信者」である場合には特にそうです。
421ヴァッスーラに警戒:04/01/09 18:02
このサイトでは、このようなマイナスの面(悪しき実)を取り上げています。
TLIG の信者は、それが本物である証拠として、よい助言やメッセージの「善い実」を引用することが少なくありません。しかし、ピーター・ジョセフ神父様(1)はおっしゃいます。
「ヴァッスーラのお告げの99パーセントがカトリック信仰に一致しているとしても、それこそが、敬虔なカトリック信徒を欺くために悪魔が使うやり方です。
害を及ぼすのは1パーセントです。腐ったリンゴは大部分よくても有害です。悪魔は表立った異端説では敬虔なカトリック信徒を惑わせないけれども、敬虔さに訴えれば、内にひそかに誤謬を植えつけられることを知っているのです」(2)
(1)ピーター・ジョセフ神父様はオーストラリア・ワガワガのヴィアンニ神学校の副学長で、シーハン大司教様の「護教論とカトリックの教理」の編集者です。
(2)「私的啓示:教会に公認されているものを守る」ピーター・ジョセフ神父様著。20ページ。
ここで見れます。www.ad2000.com.au/articles/2000/feb2000p20_38.html

マリア
422名無しさん@3周年:04/01/10 00:25
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tligmytestimony.htm(全訳)

証言(大部分は1999年に書いたものです)

私は、1996年まで、当時ヴァッスーラ・ライデンがいたローザンヌから、50キロ離れたジュネーブに住んでいました。ボーンカトリックです。
福音書に従って生きようと努め、ジュネーブの教区で活動して、大学に行きながらカテキスタとして奉仕しました。
1993年から94年に指導司祭からヴァッスーラの熱心な支持者G夫人を紹介されました。
ヴァッスーラの著書(TLIG)の第1巻をくれ、世界教会協議会(WCC)で行われていた、ヴァッスーラの会合に招待してくれた人です。
TLIGのお告げは奇妙に思えましたが、当時は私的啓示というものを知らなかったので、心を開こうとしました。
ヴァッスーラの講演を聴いて熱中し始め、本をさらに数冊買い込みました。読み進むうちに、自分が神に愛されていると実感し始めました(第1巻のテーマは神の愛)。
そのとき、母と一緒だったので、神にしるしを願うことにしたのです。ヴァッスーラが本物なら母が確証してくれますようにと願いました。母はそうしました。
でも、講演直後に感動していた母は、本を読んでからヴァッスーラに懐疑的になりました。
それでも、私は、神が答えてくださったと信じたので意見を変えませんでした。
すぐにメッセージ中毒になりました。毎日読まずにいられなくなったのです。G夫人はプレゼント用にもう20冊をくれました。
私はお告げを広め始めました。初めての経験でした。TLIGを広めるのが神の唯一の願いであり、それで世界が救われるとメッセージは繰り返していたからです。
当時、私はポルノと戦う会で活動していて、それがキリスト者の務めと考えていました。
しかし、TLIGを読んでからそれが取るに足りないことのように見えてきて、TLIGを読み宣伝する時間をとるために、集会を休むようになりました。
福音書も読まなくなりました。今イエスが語っているのだからお告げのほうが福音書よりも優れていると考えたからです。
他の人たちも私と同じように感じていました。G夫人はメッセージを毎日読んでいて、暇さえあれば第1巻を読み直しているといっていました。
423名無しさん@3周年:04/01/10 00:26
3,4ヶ月してから、両親にもわかるほど私の行動が変化し始めました。ヴァッスーラへのわずかな批判さえ受け付けなくなり、たびたび母と大喧嘩するようになったのです。何事にも過敏になり泣くことが多くなりました。
メッセージを読まずにいると強い罪悪感にとらわれました。テレビを見なくなり小説も読まなくなりました。休暇があればTLIGをもって僧院に行こうとしました。メッセージを伝える機会になると思ったときにしか友人と付き合わなくなりました。
メッセージを読み出して8,9ヵ月後に、一日読まないでいてごらんと母から挑戦を受けました。私は「ひと月ぐらい平気よ」と答えて実行しました。
罪責感にとらわれました。神に背くことだと語りかける内なる声を聞いたようです。でも、メッセージが偽りだからではなく、愛する母を導く方法と思うからしているのだと自分に言い聞かせました。
罪悪感を感じつつも神に助けを願い続けました。アヴィラのテレジアと十字架のヨハネを読み始めて、深い神秘主義が驚くほど新鮮に心に浸透しました。認めたくありませんでしたが、TLIGを読まずにいられるのでほっとしました。
TLIGなしの3週目に入り、神は過去1年間を見つめられる、澄んだ強い心を与えてくださいました。私は初めてメッセージの信頼性を疑い始め、メッセージの真実を教えてくださるように神に願いました。
その月の末に、TLIGを読み返しました。しかし、今回はTLIGと福音書との矛盾が目に付きました。ある箇所でTLIGを読めなくなりました。教理省の最初の「通告」が発令されたのはその一年後です。
メッセージを信じた結果、私は約二年間罪悪感に苦しみました。TILGは本物ではないと考えてみても、それを信じるように自分を洗脳してきたからです。
神も教会も自分も信じられなくなりました。警告するどころか読みもせずにTILGを薦めた司祭たちに騙されたと感じました。指導司祭もその一人だったのです。
私は「ひたすらあなたを求めてきたのになぜこうまで迷わせたのですか」と神に訴えました。イエスにも祈れなくなりました。TILGは他のどの偽啓示にも共通するように、イエスのイメージを巧妙に変えてしまうのです。
イエスを思うと、メッセージの真実を疑う者を責める、TILGのイエスが心に入ってくるのです。教会は非公認の私的啓示は真実と考えてもいけないし、読んでも広めてもいけないと教えているのに。
424名無しさん@3周年:04/01/10 00:26
でも、祈りを通して、父なる神は私に御子のイメージを回復してくださいました。
TLIGのような許可されていない私的啓示を無条件に信じる経験をしてきたので、私はそれがどれほど大きな被害を与えるかを証言できるのです。
TLIGはまったく誤謬がないように見えます。そう信じている司祭さえいます。福音書と教会の教えと教皇に何もかもが従順であるかのようにも見えます。私は自分が他より豊かな信仰と祈りの御霊を育てているのだと考えていました。
しかし、すべて砂上の楼閣だったのです。偽りの私的啓示を信じることを選べば霊的に滅ぼされます。
この経験は教会の警告と薦めに注意することがどれほど大切であるかを教えてくれました。
超自然現象や奇跡の追求がどれほど霊魂を危険にさらし、信仰の破壊に導くかを教えてくれました。また、「見ずに信じるものは幸いである」とトマスにかけた主のみ声を新しい方法で理解させてくれました。
メッセージを読んだのはたった8ヶ月だったのに、トラウマの連続だったので、立ち直るのに6年以上もかかりました。でも、ある意味で、後悔していません。
この恐ろしい幻滅と苦しみは、本当の(無条件の)神の愛を教えるために、神がお用いになったものであり、福音書の素朴な教えと神とその教会への信頼に基づく、より豊かな、真実の信仰へと霊的に導いてくれたからです。
この苦しみの時期に私に助けの手を差し伸べてくれた、友人、家族、司祭の全員に心から感謝します。
神があなた方をいつも祝福し守ってくださいますように。
聖母マリア様が私たちの霊魂の救いを仲介してくださいますように。その素朴で、謙遜で、心のこもった奉仕の生き方が私たちの倣うべき模範となりますように。
マリア