1 :
名無しさん@1周年:
仏教は殺人者でも念仏を唱えれば極楽に行けるそうですけど、
それって仏教徒であるのが前提ってことですか?
くだらない質問ですみません
2 :
名無しさん@1周年:02/08/16 20:52
金魚すくいは網がやぶれないかぎり
すくいつづけます。
3 :
名無しさん@1周年:02/08/16 20:55
>>1 それは仏教ではなくて、浄土系の一派のみの話だね
殺人者が極楽に行けるはずはない。
4 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:04
>1
誰でも救われるでしょうね。
5 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:06
往生ケテーイ!とかいうのは違うのか?
6 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/16 21:15
お念仏の救いは、いかなる意味においても仏教徒であることを前提とはしません。
マジで。
7 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:24
殺人者が極楽に逝けるはずなく、
念仏唱えただけで極楽に逝けるわけもない。
逝ける人もなかにはいるかも?くらいのもんだろう。
仏教徒しか救いません
9 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:30
>8
いや、別に大日如来に救ってもらわなくても。
10 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:32
11 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:33
>>10 必要ないですよ。ただ知っていればいいのです。
12 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/16 21:35
>>10 お念仏の中に三帰依が含まれちゃうのですよ。ふふふ。まあ、たぶん。
おまえらは救わん
14 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:39
極楽浄土に往生するには念仏や如何なる修行の類も必要ありません。
では何故念仏するのでしょうか?
続きはお楽しみに。
15 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:40
「仏教徒」とは「他人によって救われる事を願う」のではなく、
煩悩を厭い、修行して安楽を実現する人のことです。
「他力本願」とはいいますが、
仏教徒としての菩薩行が困惑の人に救いの手を差し伸べる心を伴っているので、
仏教徒と縁があれば、仏教徒は「救いたい」という心を抱き、
助けてくれるでしょう。
しかし、「結果として」救われるかどうかはわかりません。
やはり、仏教は「本人の修行」が当人の救いの可否を決めるようです。
オマエ、悪魔だろ!! >不動明王
おまえらを焼き尽くす
19 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:44
おまえら本当に嘘吐きばっかだな(w
なんでそんなこと知ってんだよ。
20 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:48
お不動さまはお経ではそんなに重要な存在じゃないですね。
日本で撰述された偽経には不動明王を主役にしたものもありますが、
インドや中国では崇拝の痕跡は殆ど残されていません。
チベット仏教圏でもタンカの片隅などで、
慎ましやかに描かれているのをやっと見つけるぐらいの尊格です。
>>16
21 :
名無しさん@1周年:02/08/16 21:50
>>17 「救い」なんて誰かに決めて貰う物なのかな?
「あぁ、救われたなぁ」って本人が安心すれば救いを実感するって物なんじゃないの?
わたしが世界一位です
23 :
「マタイによる福音書」第18章第1節〜第5節:02/08/16 22:01
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。
「それでは天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
言われた。「まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならないかぎり、決して天の御国には、入れません。
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、
わたしを受け入れるのです。
24 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:07
>22
ふむ。
役行者はそう申しておる。
また、大聖不動明王は大日如来の忿怒形である。
25 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:11
26 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:13
>>24 一般的なお不動さんのことですか >大聖不動明王
>>13 笑わさせていただきました。
あ、みなさん、こんばんは。順番が逆ですね。
私が一番じゃ
29 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/16 22:22
龍神はマニ宝珠でも守っとけ。ってなもんだ。
へへ。バチあたるね。知ったこっちゃないよ(w
30 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:23
理論的にいうとそうなるな、
31 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:34
じゃあ別に仏教徒になる必要ないじゃん。どんな意味でも。
32 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:35
既出かも・・・
>仏教は殺人者でも念仏を唱えれば極楽に行けるそうですけど、
親鸞の言った「悪人正機」説の話でしょうね。
「殺人者でも極楽にいける」のでなく「例えどんな罪を犯していたとしても、その過ちを認め本当に悔いているならば救われる」
という意味です。
「悪人」とは「悪いことした人」でなく「自分が悪いことしていて悔いて救いを必要としている人」の事を指します。
逆に「善人」とは「罪を犯しておらず、救いを必要としてない人」を指します。
「救いを必要としない善人でさえ浄土にいけるのだ。罪を悔いて救いを必要としている人が救われないはずがない」
これが悪人正機説の意味です。
見ている限り、誰でも救うといっているような気がします。
仏教徒というのは「仏になろうと言う教えに集う人」という意味です。
それになるのと救いは別問題であると思いますよ。
33 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/16 22:37
34 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:37
浄土って天国とは違うときく
どんなとこ?
35 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:40
>>34 天国は神様の足元に集う人々の「楽園」。
浄土というのは悟りを開いた「仏」たちが集まる「苦しみのない世界」。
36 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/16 22:41
善悪を裁くためのところじゃないね。すくなくとも。
37 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:44
38 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:48
39 :
名無しさん@1周年:02/08/16 23:15
>>35 厳密には違う、
浄土とは阿弥陀仏のお弟子となって、涅槃をめざす世界です。
おれが法律だ
うーーーーん 天国がいい!
涅槃で待つ
>>10,
>>12 >お念仏の救いは、いかなる意味においても仏教徒であることを前提とはしません。
>お念仏の中に三帰依が含まれちゃうのですよ。ふふふ。まあ、たぶん。
三帰依が含まれる「お念仏」を称えた瞬間には、その人はやっぱり仏教徒になって
いることになるのでは?
だから「お念仏の救い」は、仏教徒であることを前提としているんじゃないで
しょか。
前提?ですかあ。まあ、上の二つの引用は矛盾してないことを確認できれば、
それでいいんじゃないかと。
「お念仏の救い」と「仏教徒であること」は同時とも言えますぜ。だんな。
って、本文三行目の「だから」の接続詞が要検討と思われ。
皆さんありがとうございました。仏教は深いですね。
46 :
名無しさん@1周年:02/08/17 03:14
釈迦って「念仏・題目唱えれば極楽行けるぞ」なんて言った?
>>46 でも法然、親鸞がそう説いたってことは
そうゆう解釈ができたってことなんじゃないですか?
それともこれは法然のオリジナル?
48 :
名無しさん@1周年:02/08/17 03:52
念仏唱えても極楽には往けないと思いますよ。
冷静になって考えたらおかしな話ですよね。
49 :
名無しさん@1周年:02/08/17 04:01
日本の仏教、すなわち大乗仏教の経典は
すべて西暦紀元前後のインドの坊さんたちがでっち上げたもの。
お釈迦様が語ったこととされていますが全くのウソです。
法華経も浄土三部経も般若心経もみなにせもののお経です。
本物(に近い)のは日本仏教でもっとも軽視されてきた「阿含経」だけです。
これは近代仏教学の常識です。
50 :
名無しさん@1周年:02/08/17 04:14
>>49 宗教は個人個人の考え、気持ちの問題。それに間違いも、正解も無い。
〜だけが本物、〜が正しいなどと言っているから宗教戦争が起こるのだ。
51 :
名無しさん@1周年:02/08/17 04:17
>49
そういう宣伝じゃなくて
「仏教は仏教徒じゃない人もすくってくれるの?」
と>1は問うているの。
結局阿含だって信者にならないと救われないんだろ?
>>50 私が言いたいのは大乗仏教の経典とお釈迦様とは関係がないということだけです。信じたい人は信じればよいし、それで救われるならば文句を言う筋合いではない。
>>51 誤解があるようなので断っておきますが私は「阿含宗」の回し者ではありません。阿含宗の実態は密教、すなわち大乗仏教そのものです。阿含経典に説かれている原始仏教は宗教と言うよりは非常に哲学的なものです。信じるとか信じないと言うような次元のものではありません。
54 :
名無しさん@1周年:02/08/17 04:31
念仏は自分を慰めるための方便ですよ。
>>51 「仏教は仏教徒じゃない人もすくってくれるの?」ということですが、
一言で「仏教」と言ってもものすごいバリエーションがあるんですね。
原始仏教と大乗仏教が同一に論じられないのはもちろんのこと、
大乗仏教の中にもものすごいバリエーションがあるんです。
念仏も法華も禅も密教もみな大乗仏教です。
これらはみな全然違うことを説いています。
だから一言で「仏教は・・・」といっても意味がないのです。
56 :
名無しさん@1周年:02/08/17 04:36
原始仏教なんて概念が非常に曖昧。現存の漢訳阿含やパーリニカーヤ
がブッダの教説をどれだけ忠実に伝えてるかなんてそれこそ藪の中で
す。
>>56 それもその通りです。パーリ語の原始仏典が編まれたのは仏滅後200年ぐらい経ってからのものです。しかし大乗仏典に出てくるような途方もないフィクションはあまりないと言われています。(私も研究者ではないので・・)
>>55 >だから一言で「仏教は・・・」といっても意味がないのです。
そうですね、仏教ひとくくりみたいなスレタイで語弊がありました。
では、改めて。
「仏教徒じゃない人もすくってくれる宗派はあるの? 」
と訂正させていただきます。ペコリ
59 :
名無しさん@1周年:02/08/17 04:49
パーリニカーヤがほぼ現行の形になったのは、中期大乗経典群が成立した頃の
ようです。漢訳の阿含や大乗経典のほうが古い形を残しているともいわれます
よ。大乗経典の神話的記述もそれなりの意味があって行われたわけで、単なる
フィクションで片付けてしまうと仏教のなんたるかを見落としてしまいます。
どちらも偏見なく読まれるほうが良いと思われます。
>>58 「浄土真宗は信者でなくても救ってくれるの?」だったらある程度成立するかも知れない。
でも真宗も主なものだけで10派、「親鸞会」もあるからね〜。
>>59 おっしゃることももっともだと思うが、大乗経典がお釈迦様が語ったことではないことだけは明らかにしておかないとね。それを承知の上で大乗仏教の意味を認めていくことはいいと思う。(あまりにも日本的だな。)
そもそもなんでこのような疑問をもったかとゆうと、
お釈迦様の慈悲とゆうのは異教徒のひとにまであるのかな?と思ったからです。
とりあえずほかの宗教は信者しか救済しませんよね、(←見解求む)
そこで慈悲が信仰の無い人や、異教徒の人までだったら深いなとおもったのです。
63 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:16
大乗の教理をブッダが語らなかったというのは、アーガマがブッダの
教理を忠実に伝えていると主張するのと同じくらい不適切です。ブッ
ダ在世時代から、仏教教団は一枚岩の組織ではなく、教えを伝承した
弟子の性質や、伝播した地方によって多様な展開を遂げていきます。
大乗経典の記述方法より、その説かんとする内容を読み取り、アーガ
マやニカーヤと会通していく努力をするほうが建設的な行為だと考え
ます。
さて…
ニカーヤやアーガマでは目立たないブッダの高弟とは誰でしょう?
慈悲が信仰の無い人にあるのはあたりまえですね。(訂正)
65 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:20
「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったよう
に、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るであ
ろう。ピンギヤよ。」(『スッタニパータ』1146)
>>63 >大乗の教理をブッダが語らなかったというのは、アーガマがブッダの
>教理を忠実に伝えていると主張するのと同じくらい不適切です。
説得力のある根拠を求む。
>>65 なるほど、つまり仏教徒である必要はないわけですね。
とゆうことは、異教徒の人は救われないわけですか、、
68 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:33
ここで言う信仰とは当時主流のバラモンのことだろ。
スッタニパータの時代、仏教はその「信仰」という単語の当てはまらない宗教だった。
「信仰」を持った異教徒はそれを捨て真理を見つめなければ救われはしない。
ってことは、阿弥陀仏に帰依する浄土宗信者も救われない?!
69 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:35
>説得力のある根拠を求む。
理由は下に書いたはずだが。弟子の名前わかりましたか?
70 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:37
>ここで言う信仰とは当時主流のバラモンのことだろ。
「信仰」という執着の対象を捨てよということ。
お釈迦様が説いたことは、偏見にとらわれず正しくものを見、正しくものを考えることによって救われると言うことだと思います。
したがって、物事をありのままに見ることのできない人は苦しみから解放されないと言うことだと私は解釈しています。
仏教教団に所属してようといまいとそういうことではないでしょうか。
>>69 全く説得力ある説明になっていない。弟子の名前は分からない。
>>68 >スッタニパータの時代、仏教はその「信仰」という単語の当てはまらない宗教だった。
なるほど、誤解するところでした。
>「信仰」を持った異教徒はそれを捨て真理を見つめなければ救われはしない。
>ってことは、阿弥陀仏に帰依する浄土宗信者も救われない?!
「信仰」を持った異教徒=救われない。のなら、
浄土宗信者は異教徒ではないので救われるのでは?
74 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:43
>72
どこがどう説得力がない?
経典読んだことありますか?
>>74 法華経なんて大法螺の羅列だよ。(藁)
一言で言ってオカルトショー。浄土三部経もそう。
ただその中に真実が含まれていないとは思わない。
77 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:49
>>71 とりあえずこの部分は同意。
>>73 浄土宗は執着を捨て去ることを諦めた教え。
阿弥陀信仰は「信仰」そのものです。
78 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:50
大乗仏典が仏説ではないことは歴史的事実。アーガマの信用性はまた別の問題。ただ相対的に大乗仏典よりはゴータマ・ブッダの考えをそのまま伝えていると言うことではないでしょうか。
80 :
名無しさん@1周年:02/08/17 05:53
>75
『法華経』や『浄土三部経』の説いている内容を説明してから
非難しなされ。ほんとに読んだのなら上の仏弟子の名前くらい
一発で出てきそうなものだが…(笑)
>>77 なるほど、、(←こればっか)
わかりやすいです、ありがとうございます。
とゆうことは 法然上人の教えとゆうのは経典からの見解ではなく
まったくのオリジナルなものなのでしょうか?
82 :
名無しさん@1周年:02/08/17 06:00
釈迦仏教は「法(ダルマ)」を理解し信仰すること
浄土教ははたして法=真理に対する理解があるのか?
人はすでに阿弥陀仏によって救われているというが?
>>82 なかなか興味深い問題ですね。
「法(ダルマ)」を理解し信仰すること=異教徒×
人はすでに阿弥陀仏によって救われている=異教徒○
とゆう見解でよろしいでしょうか?
(そもそもなんでこんなことにこだわっているのだろうか?俺)
>>81 親鸞は浄土信仰は龍樹、天親(世親)(以上インド)、曇鸞、道綽、善導(以上中国)、源信、法然と伝わったとしています。根拠となる経典は浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)で、当時はお釈迦様の説いたものであると信じられていたお経なのですね。
とゆう見解でよろしいでしょうか?
(訂正↓)
と見解してもよろしいでしょうか?
>>84 つまり、正しく伝承しているのか、オリジナルなのか、と考えるのは
あまり意味のないことなのですね。
親鸞は正しく伝承していると信じていた。
歎異抄にはこうあります。
「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。
仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。
法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。」
つまり阿弥陀仏が言っていることが本当ならお釈迦様が言っていることは本当だ。
お釈迦様の言っていることが本当なら中国の善導の言っていることも本当だ。
善導の言っていることが本当なら法然のいっていることも本当だ。
法然の言っていることが本当なら私の言っていることがウソであろうか?
とざっとこういうふうに言っていたと弟子の唯円が記録しているわけですね。
88 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 06:43
四苦八苦を持つものが全て仏教の救いの対象。
以上。
ところがその「お釈迦様の言っていること」が近代仏教学で崩れてしまったわけだ。
90 :
名無しさん@1周年:02/08/17 06:52
NBさん、浄土真宗で法に対する解釈はあるんですか?
91 :
名無しさん@1周年:02/08/17 06:56
東本願寺と大谷家の紛争を見てると、救われんなーと思う常日頃。
92 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 06:57
>>1 >仏教は殺人者でも念仏を唱えれば極楽に行けるそうですけど、
念仏を称える者は仏道を歩む者です。念仏を称える者は仏道修行者の一人になります。仏道修行者の仲間のになります。
仏道修行者の仲間には、伝教大師がいます。弘法大師がいます。鑑真和上がいます。道元禅師がいます。みな仏道修行者の仲間です。念仏を称えるというのは、こういう人々の仲間に加わると言うことです。
伝教大師はどこが尊かったのか。弘法大師はどこが尊かったのか。それを考えて欲しい。確かに人格、知識ともに優れていたとは思います。しかし彼らはそれを仏道から学びました。仏道を歩むことが彼らの素晴らしさの根本にあったと思う。
我々が仏道を歩むというのは、そんな仲間の一人に加わって同じ道を歩むということです。
仏道の基本の一つに、戒律があります。釈迦が定めたルールをきちんと守るということも仏道の一つでした。ルールは価値観です。価値観は変わります。赤道近くの国の二千数百年も昔の価値観が、二千数百年後の雪降る北方の国で妥当するとは思えません。
価値観には自ずから寿命があります。
しかし、自分に何かを教えてきてくれる相手を「先生、ああ先生」と仰ぎ、念じる心は学習の根本でしょう。学習の原点でしょう。これは、社会でどんなに価値観が変わっても変わらないでしょう。
植物学者は花を先生と仰いで生命の起源を学び、画家は花を先生と仰いで美の神髄を学びます。地球物理学者は石を先生に宇宙の起源を学び、地質学者は地球の変遷を学びます。
包丁を持ってバスに乗り込み、乗客を殺して運転手を脅迫した少年の叫び一つ一つを先生と思い、歪んだ少年の心を真剣に学ぼうとする心理学者もいます。同じ叫びに、犯罪の動機を学ぼうとする検察官もいます。実に様々なものが様々なことを教えてくれています。
93 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 06:59
どんなものでもいい。自分の家族でも、仕事でも、上司でも、部下でも、自分勝手に先生とあだ名を付け、「阿弥陀仏」とあだ名を付け、嘘っこで「ああ先生」と念じてみよう。
「ああ阿弥陀仏」と念じてみよう。阿弥陀仏とは先生と言う意味だ。南無とは感嘆詞だ。かつて釈迦の弟子達が釈尊先生を「ああ先生」と念じたように、嘘っこで「南無阿弥陀仏」と念じてみよう。
かつて、釈迦の弟子達は、釈尊先生を「ああ先生」と念じた。釈迦が定めたルールがその寿命を終えた現代でも、かつての釈迦の弟子達のように、「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と念じる人がいれば、それは釈尊先生もきっと喜んでくださる。
時代も違う。国も違う。祇園精舎はもうない。それでも現代において、「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と念じる人がいれば、それは祇園精舎の人々と同じだと言ってくださるだろう。
尊い。素晴らしいことだときっと言ってくださるだろう。阿難尊者と同じだ。舎利弗尊者と同じだと言ってくださる。あの釈尊先生のことだから、勢至菩薩とほとんど同じだ。観音菩薩と同じだと、そんなふうに喜んでくださるだろう。
以前は泥棒でも、強盗でも、放火魔でも、念仏を称える者は仏道修行者の仲間に加わる。釈迦が定めたルールがその寿命を終えてしまった現代でも、なお真剣に仏道を歩もうとする人のその尊さは、筆舌に尽くせない。
人の死は、人の全生涯の価値を表す鏡となる。全生涯は、死という鏡に照らすと見えてくる。生涯を終えたとき、その生涯を振り返り、文字通り仏の生涯に等しかった。お釈迦様であれば、きっとそんな風に尊んで喜んでくださるだろう。
>>91 >東本願寺と大谷家の紛争を見てると、救われんなーと思う常日頃。
悪人正機だからそれでも救われるんだよ。
95 :
名無しさん@1周年:02/08/17 07:12
安心しれ
誰でも仏になれるから
>>95 「無明」を除かないで仏になれるのですか?
97 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 07:31
>>94-95 >悪人正機だからそれでも救われるんだよ。
>誰でも仏になれるから
悪人正機で救われて仏にはなれても、争いを続け、いがみ合い、憎しみ合っていたら、仏とはいえども恥ずかしい限りだ。地獄に堕ちる仏様など、誰も見たくはないだろう。
名号をもってなにの心得もなくして、ただ称えては助からざるなり。されば、経には、聞其名号 信心歓喜と説けり。 <教条主義にはなりたくないものだ。>
仏になっても「争いを続け、いがみ合い、憎しみ合い」続けるのですか?浄土真宗ではそう教えるのですか?
99 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 07:44
>>98 そう教えたりはしません。
四苦八苦を持つものが全て仏教の主体。
以上。
極楽往生すると同時に煩悩から解放されると教えるわけですか?
101 :
名無しさん@1周年:02/08/17 08:10
>>98 そういう状態であるならば、『仏』とは言わないのでは?
争わず、いがみ合わず、憎しみを持たず、あらゆる執着から開放されることが、
仏の要件と理解しておりますが、、、。
だから「臨終即往生」って、当たり前のことでは、と思う今日このごろ。
余談ですが、49さんって、89番でも発言しておられますね。
ナイスなキリバンゲットでうらやましい。
49とか89ってキリ番なんですか?四苦八苦というべきではないでしょうか?(苦笑)
103 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 09:03
>>100 まあ、そうですね。「解放」ってのがひっかかりますが。一応。
104 :
名無しさん@1周年:02/08/17 09:05
昔に聞いたことなので忘れてしまったが、浄土の条件として環境が良い事と住民が良いことの二つあるそうな。厭憎会苦をとく以上浄土はそれがないものでなければ釈迦仏教の滅諦と別物になって大乗でなく外道になるのでは。
どうも偏見っぽくなってしまうのですが
三部経に出てくるようなきんきらきんの極楽浄土というのは「解脱」の匂いがしない。
人間の煩悩そのもののような世界に感じてしまう。
むしろ無神論者なんかが言う「死んだらそれでおしまい。無。」という方がすっきりと
執着から離れていて仏教的な感じがするのですがどうでしょうか?
これはシロウトの乱暴な考え方だけど、
仏教の中に「悟の宗教」と「信の宗教」という大きな二つの流れがあると思う。
原始仏教や中観、唯識、華厳、禅などというのは「悟」の要素が強いと思うし、
密教や浄土、法華(日蓮)は「信」の宗教のような気がする。
時代が下るにつれて「悟」の要素から「信」の要素が強くなってきたような気がする。
107 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:16
どちらかに偏るのはよくないし、両方必要だと思う。確か原始の仏典には信の必要性が説かれてましたよ。
108 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:21
恐らく後代の仏僧の仏典の拾い読みが原因。一ヶ所しか取り上げないで教えている。特に日本は。
どの仏教にも両方の要素はあると思う。ただ重点の置き方が違う。
110 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:34
どの仏教にも・・・
→真理は一つであって第二のものは存在しない(スッタニパータ)
>>110 真理は一つであっても複数の側面を持つということはあるよ。富士山の登山路がたくさんあるように。
112 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:39
113 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:43
その複数のものを備えたものが真理なのでは?
114 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:45
この真理を悟ったとき、もはや争うことはなくなる。
弁証法だね。
116 :
名無しさん@1周年:02/08/17 11:49
浄土宗、真宗が殺人が往生の妨げにならないとしたのは、乱世に開かれた事が理由の一つだと思うのですが熊谷直実は浄土宗でどう扱われてるのか誰か教えて。
「蓮生坊」として法然の高弟という位置づけだと思います。宗門の方おられたら教えて下さい。
118 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 12:21
>>105 まあ、『浄土論』は極楽浄土の情景が仏の功徳によって成就されたことを
顕しますし、
『浄土論註』だとこんなのありますね。
上の国土の荘厳十七句と、如来の荘厳八句と、菩薩の荘厳四句とを広となす。
一法句に入るを略となす。なんがゆゑぞ広略相入を示現するとなれば、諸仏・
菩薩に二種の法身まします。一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身
によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は
異にして分つべからず。一にして同ずべからず。このゆゑに広略相入して、
統ぶるに法の名をもつてす。菩薩もし広略相入を知らざれば、すなはち自利
利他することあたはざればなり。
一法句といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実
智慧無為法身なるがゆゑなり。
親鸞聖人の上だと、これとか。
ちかひのやうは、無上仏にならしめんと誓ひたまへるなり。無上仏と申す
は、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。
かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬ
やうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すとぞ、ききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり。この道理をこころえつるのちには、
この自然のことはつねに沙汰すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せ
ば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不
思議にてあるなるべし
まあ、とりあえず。ご承知かとも思いますが。
なるほど、方便ですか。方便って言うのは、うっかりするとそれにとらわれてしまうんですね。
120 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 12:46
「方便」ですか?ちょっと、ただちに同意はしかねます。
121 :
名無しさん@1周年:02/08/17 12:56
仏教は仏教徒でない人も救ってくれるの?
救ってくれません。
NBさんこれでいいですよね。
122 :
名無しさん@1周年:02/08/17 12:56
当たり前だろ
123 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 13:00
マジレスすると、実体的定義と機能的定義の乱れ咲きぃー。
つうことで、それでもやっぱ、救ってくれます。マジマジ。
124 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:02
あくまで理論だわな 実践がともなわん
キリスト教はキリスト教徒以外救ってくれないのは明らかだな。
126 :
反キリスト:02/08/17 13:19
面白くなってきたぞ
127 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:20
こんなのを読んだことがあります。
阿弥陀如来はすべての人(衆生)が救われる法を成就したので
あって、成就した後は何もしないんだと。つまり救ってくれる
わけではないと。
これでいうと仏教徒ですら救ってくれないですね。
これは私の実感ととてもよく合っています。
一生救われそうにはありません。
>>92-93 しかし、念仏で、全人生、全人格が、救われるって
いうのも変な気がしませんか?
念仏を唱えた時期の一部の人格だけ極楽に行くのでは?
130 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:25
>一部の人格だけ
わかりやく
キリスト教がキリスト教徒以外は
救わないのは、ある意味合理的でしょう。
キリスト教徒でない者からすると、
大きなお世話ですから。
132 :
マザー・テレサ:02/08/17 13:29
>>131 仏教徒が救われるように祈っていますが、何か
133 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:31
>>131 >キリスト教がキリスト教徒以外は 救わない
それ日本語として、ちょっと変じゃない?
キリスト教徒というのは、「救われた人」を指すことば。
「キリスト教徒を救う」ったって、すでに救われた人を
もういちど救ったってしょうがない。
キリストの教えは救われていない人(=キリスト教徒でない人)
を救うものではないかと。
134 :
テキトー仏教徒:02/08/17 13:37
仏教って、「極楽は、すでにあらゆる瞬間にある」という思想で、
念仏とかはそれに気づくためのツールなんだと思う。
だからそのツールは他の何でもいいのかもしれないし、キリスト教のおいのりでも
いいのかもしれない。
キリスト教も、イエス自身は仏教的な人だったのかも、、、と考えられなくもないけど。
もともとのユダヤ教が、「私たちだけがいつか勝つのだ」って感じだからなー。
135 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 13:43
>>99 :NB
>そう教えたりはしません。四苦八苦を持つものが全て仏教の主体。
仏教の主体である四苦八苦を持つものは、争いを続けるのか、続けないか?。いがみ続け合うのか、いがみ続け合わないのか?。憎しみ合い続けるのか憎しみ合い続けないのか?。仏になるのか、ならないのか?。いったいどっちなの?。
>>101 >争わず、いがみ合わず、憎しみを持たず、あらゆる執着から開放されることが、仏の要件と理解しておりますが、、、。
「念仏すれば仏になる。極楽に行く」。坊さん達がそういくら言っても、その坊さん達が、念仏称えながら相変わらずいがみ合い、罵り合う。
2茶にご登場のどこぞの御宗派のアホタレ坊主を見れば、こいつらが地獄に行かずに極楽に行くと誰が信じるか。はらわたの底の底まで腐りきっておる坊主は山ほどおる。
浄土真宗の御宗旨は知らん。お釈迦様はなんというか知らん。信心の無いアホタレ坊主の往生は、臨終往生・堕地獄往生だろう。僕はそう思うぞ。誰でもそう思うぞだろ。
死んで行く前から無間地獄に堕ちておる坊主は腐るほどおる。そう言われて反論できる奴がいるんかい?。
>>103 :NB
>ひっかかりますが。一応。
一応って?。
一応そういうことが建前になっていますから、私どもは建前を信じましょうということですか?。
>>133 義認は魂のみの救済で、体の救済は
終りの日になされるのでは?
137 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 13:44
>>104 >釈迦仏教の滅諦と別物になって大乗でなく外道になるのでは。
そう思えればそう思えばいいでしょう。滅諦と別物になっている。大乗でなく外道の教えだ。そう思いたければそう思えばいい。いやなら捨てればいい。それだけの話だな。考え方が違うんだろう。
賢き思いを具せずしてただほれぼれと念仏もうすべきなり。
>>105 >無神論者なんかが言う「死んだらそれでおしまい。無。」という方がすっきりと執着から離れていて仏教的な感じがするのですがどうでしょうか?
「死んだらそれでおしまい。無。」という方がすっきりと執着から離れていて仏教的な感じがするという人は、その道を行けばいい。それだけの話だな。
>>107 >どちらかに偏るのはよくないし、両方必要だと思う。確か原始の仏典には信の必要性が説かれてましたよ。
経典が違えば、いろいろなことが書いてある。矛盾することも書いてある。だからこそ、何が本物だろうという議論が出てくる。
138 :
テキトー仏教徒:02/08/17 13:45
>>133 そうかも。なんにせよ本気で信仰してる状態って、
すでに救われてるんだよな。
結局これが答えかも。
でも、キリスト教って、他の宗教を尊敬しないという特質はありますね。
139 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 13:46
>>108 仏教にはたくさんの教えがある。それぞれに寿命がある。現代でも有効な教えはどれかと、必死に探してたどり着いたところはどこか。一ヶ所しか取り上げなくても、その一箇所でも教えてくれていれば感謝すべきだろう。
とっくに寿命の尽きた教えを教わっても、糞の役にたたんだろう。
>>109 >どの仏教にも両方の要素はあると思う。ただ重点の置き方が違う。
<重点の置き方が違う中で、自分にとってはどれが一番ふさわしいかという問題だ。>
>>110 >どの仏教にも・・・→真理は一つであって第二のものは存在しない(スッタニパータ)
昔の人はいろいろ勝手なことを言っている。人が違えば言うことも違う。
>>111 >真理は一つであっても複数の側面を持つということはあるよ。富士山の登山路がたくさんあるように。
自分が登る道は幾つもない。右足は尾根を進み、左足は谷を歩み、右手は麓に残して、左手は間道を抜けるなどという芸当は誰にもできない。
あなたはどの道を選びますか。先人はいつも我々にそう聞いてきている。
>>113 >その複数のものを備えたものが真理なのでは?
<山頂に登る道は幾筋あっても、自分の道はいくつもない。>
>>116 >浄土宗、真宗が殺人が往生の妨げにならないとしたのは、乱世に開かれた事が理由の一つだと思うのです
<念仏すれば誰でも仏道を修行する者。老少善悪を選ばず。こんなことは当たり前のことだ。>
140 :
マザー・テレサ:02/08/17 13:48
>>133 どの宗教に属しているか、ではなく
主は、キリスト者を救うのです
141 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 13:48
>>118 >まあ、『浄土論』は極楽浄土の情景が仏の功徳によって成就されたことを顕しますし、
曇鸞は、象徴的な思考を極めた人だ。抽象思考に慣れた我々には、彼の象徴思考を抽象思考に翻訳しないと分かりにくいかもしれない。ただ、象徴思考にはそれでしか表せられないニュアンスもあり、むずかしいところだ。
>>119 >なるほど、方便ですか。方便って言うのは、うっかりするとそれにとらわれてしまうんですね。
どこまで分かったのかな?。
>>120 >「方便」ですか?ちょっと、ただちに同意はしかねます。 <ウンウン。>
>>121 >仏教は仏教徒でない人も救ってくれるの?
あなたは仏教にどいういう救いを期待していますか?。あなたが期待する救いの内容によるでしょう。宝くじを当ててほしい?。交通安全を守って欲しい?。入学試験をパスさせて欲しい?。先祖のたたりを解いて欲しい?。貴方の期待する救いはなんですか?。
そういう期待なら、みんな簡単に叶えてくれますよ。木っ端に「交通安全」と書いて、たき火にくべなさい。パーと燃え上がって煙になる。一切は空。空。空。空。願いなどは全て、空。これ以上に最高の救いはないだろう。
142 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 13:49
>>123 :NB ◆Zut9KezY
>つうことで、それでもやっぱ、救ってくれます。マジマジ。 <うんうん。>
>>124 >あくまで理論だわな 実践がともなわん <賢き思いを具せずしてただほれぼれと南無阿弥陀仏>
>>127 >成就した後は何もしないんだと。つまり救ってくれるわけではないと。
<あなたはどんな救いを期待しますか?。>
143 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:50
>>141 >あなたが期待する救いの内容によるでしょう。宝くじを当ててほしい?。交通安全を守って欲しい?。入学試験をパスさせて欲しい?。先祖のたたりを解いて欲しい?。貴方の期待する救いはなんですか?。
これは、「欲」というものです。
144 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:53
>主は、キリスト者を救うのです
長崎に投下された原爆で浦和天主堂に集っていた信徒など
多くのクリスチャンが亡くなったらしいが、なんで主は
彼らの死を防ごうとしなかったのでせう?
145 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 13:54
>これは、「欲」というものです。
これは人間の健全な願望です
146 :
イエズス・キリスト:02/08/17 13:57
147 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:58
>>140 ちがうよ、キリスト者ではないものが、救われてキリスト者になる。
>>144 救いというのは、この世のいのちという意味ではないからね。
148 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:59
149 :
名無しさん@1周年:02/08/17 13:59
>>144 なんで主はこの世から悲しみをなくさないの?
なんで主はガンを直してくださらないの?
なんで主は戦争を防ごうとしないの?
なんで主は.......
>仏教にはたくさんの教えがある。
最高の教えを説くための方便である
151 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:02
>私の王国は、この世のものではない。
へいへい、あなたもこの世の者ではありません。
王国なんていう執着を捨てて、とっとと成仏してください。
152 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:02
>>149 天国には悲しみも、ガンも、戦争もありません
これらは、人間がつくったものでしょう?
153 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:04
>>149 地上の営みの中で、キリストに出会うのがキリスト教だから。
じゃない?
悲しみをなくしたり、ガンを治したり、争いを防ぐ奇跡で
キリストと出会うものもあれば、ヨブのように
「たくさんの恵みをいただいたから、不幸も戴きましょう」として
キリストと出会うものもある。1000人1000通りの救いがあっても、
ひとつの真理に立ち返る。
154 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:04
>これらは、人間がつくったものでしょう?
人格神もその一つでしょう。
155 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:05
>>152 この世にあるものは全部神が作られたよ。人間が作ったものは
何ひとつないです。
156 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:08
「仏教は仏教徒じゃない人もすくってくれるの?」
仏教談義のはずがいつの間にやらキリスト教談義に・・・・・
真宗の方にうかがいたいんですけど、信仰のない念仏では極楽往生はできると考えるのでしょうか?
お前ら甘いな。
誰も救ってくれる奴なんていないよ。いると思うこと自体が間違っている。
だから騙されるんだよ。
159 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:14
まーそういうなgod
いつも頼られててうんざりしてんのは分かるけどさ。
160 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:15
>>121 訂正します。
仏教は仏教徒でない人も救ってくれるの?
わかりません。
良く考えたら救ってくれるかくれないか心配する
必要はなかった。
161 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:17
仏教が助けてくれるのではなく、仏教を理解して実践して初めて救われるんだよ。
他力本願ではなく自力救済が根本にあることを忘れているね。
仏教は道しるべ、歩くのは自分自身。
162 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:23
釈迦は偉大な先達。
彼は解脱して「世界」のどこにも居なくなったが「法」
後進たちに歩むべき道を切り開いてくれた。
あとは我々が道を歩むのみである。
騒々主に頼ってはイカンよ。
俺の言うとおりに生きていけば救われるのさ。
だが勘違いするなよ。決して俺が救うわけではない。お前らが自ら生きていくんだ。
>>163 :god
>俺の言うとおりに生きていけば救われるのさ
<お前さんここにいたのかね。貧乏神よ。探したぞ。>
くそっ!
見つかったか。お前すごい奴だな。弟子にしてくれるか?
166 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 14:37
>>157 :49
>信仰のない念仏では極楽往生はできると考えるのでしょうか?
信仰のない念仏を称えれば、信仰のない念仏を称える人の一人になる。信仰のない念仏を称える人は、信仰のない念仏を称える人の認識を持ち、信仰のない念仏を称える人の行動を取る。つまり、信仰のない念仏を称える人の認識行動世界に往(いく)。そこで生(せい)を営む。
信仰のない念仏を称える人の認識と、信仰のない念仏を称える人の認識とは中身が違う。当然行動がちがう。念仏を称えると言う点では重なるから、同じ世界だろうと言ってもいい。しかし、同床異夢という言葉もある。
信仰のない念仏を称える人と、信仰のある念仏を称える人は、認識が違うということは大事だ。それでも同じ極楽世界といってもいい。違う極楽世界といってもいい。共通部分はある。念仏を称えるということでは共通する世界だ。
極楽世界はすそ野が広い。
167 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:40
>>162 >あとは我々が道を歩むのみである。
それで袋小路に迷い込むんだろ。
168 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:41
>>156 >仏教談義のはずがいつの間にやらキリスト教談義に・・・・・
文句は 49へ
169 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:45
170 :
反キリスト:02/08/17 14:50
171 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:53
172 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:54
>>155 神は人間に自由意志を与えてるの、オマエはサタンの操り人形か?
173 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:56
>>172 自由意志で作ったつもりでも、神の手の中にある。
それらを「自由意志」として認識しているだけ。
175 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:58
この世では自由だ!
176 :
名無しさん@1周年:02/08/17 14:59
ああああ、またキリスト教の方に戻っちゃった。(泣)
>信仰のない念仏では極楽往生はできると考えるのでしょうか?
NBさんおられたらご見解伺いたいです。
178 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:01
>>174 「神の手の中」での自由を与えましたが、何か
180 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:03
浄土真宗の言うところはキリスト教の悔い改めに似たところがある。
悪人正機説は自分が悪人であるということに気付くことに意味があるのでは?
181 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/08/17 15:04
加護ちゃんが来そうなすれ・・・♪
>>141 :渡海 難氏
この疑問は、「実際、救われるとはどうゆうことか?」、とゆうのは
ふくまれておらず、仏教の体質を学術的に見解した意見を求めています。
(私の個人的な悩みは多々ありますが、とりあえずは無視しちゃってください)
>>133 >>キリストの教えは救われていない人(=キリスト教徒でない人)
>>を救うものではないかと。
とゆうことは異教徒の人も救おうとしてるわけですね。
でもキリスト教徒になった人が救われた人だったら、やっぱり
異教徒はノアの箱舟には乗れないのですね。
>>144 >彼らの死を防ごうとしなかったのでせう?
キリスト教も物理的な救いだけではないのでは?
>>141 >山頂に登る道は幾筋あっても、自分の道はいくつもない。
たしかに自分の上る道は一つしかありませんが、「他の道も真理に通じてる」と考えるのと、
「自分の道だけが真理に通じている」と考えるのでは大きく違うのでは?
俺も神様だが、世の中にはいったい何人の神様や仏様がいるのじゃ?
悪人正機は悔い改めに似ているけど微妙に違うと思う。「歎異抄」では消極的ながら「本願ぼこり」(極楽往生できるのだからと悪いことをすること)を認めているように思う。
>160
たしかに仏教徒であればそうゆう意見になりますよね。
186 :
死んだ174:02/08/17 15:10
閻魔さま
私が犯した悪行の責任は神様にあるんです
盗んだのも、肉欲に溺れたのも、2chにくそカキコしたのも
私の意志でなく、神に動かされただけ
どうか地獄行きにしないでね
神に操られたの
>>183 日本だけで八百万の神を生みましたが、何か
>>133 異教徒も救おうとしているが、それはあくまでも悔い改めてキリストの教えを受け入れることが条件なのではないでしょうか。
>186は地獄へ行くのじゃ〜 操られるほうが悪いのじゃ〜
190 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:16
>>182 >>キリストの教えは救われていない人(=キリスト教徒でない人)
>>を救うものではないかと。
>とゆうことは異教徒の人も救おうとしてるわけですね。
>でもキリスト教徒になった人が救われた人だったら、やっぱり
>異教徒はノアの箱舟には乗れないのですね。
ノアの方舟はもうこれからないけど、
「We can't go on without you」だって。福音が全地に行き渡るまでは、
すくなくとも終わりは来ないそうだよ。
191 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:16
ふぁんだ君はけーん!!
加護チャンは真言宗だからねぇ・・・。
高野山大って言ってるし。
192 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:18
>>188 自分の救い主として、イエズスを認めることです。
193 :
生きてる174:02/08/17 15:18
>>186 行いに基づいて裁かれるから、そーゆうイイワケは
なりたたんと思われ。
194 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:20
仏教では輪廻転生を説いてますけど
それって、日々の行いが来世に影響するって考えだよね
>ALL
195 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 15:21
>>177 さあてねえ。どうなんでしょうか。マジわかりません。
安楽仏国に至るには、無上宝珠の名号と、
真実信心ひとつにて、無別道故とのべたまう。
お念仏と信心は別のもんじゃないですからねえ。
ちなみにまあ、「救い」ってのもお念仏と
別のものじゃあないですね。
浄土往生はそういうところに立ち現れてくるんじゃないかと。
まあ、とりあえず。こんなところでどうでしょう?
#キリスト教の人もいっぱいで、うれしいね。
俺さま、貧乏神は加護ちゃんのファンだぞ。ケメコは嫌いじゃ。
俺は八百万のうちの神様の一人だそうじゃ。こんなに仲間がいたとは知らんかった。
197 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:26
>>196 今晩、高天原のスナック「天の岩戸」で飲み会だよ
>>190 >福音が全地に行き渡るまでは、
「全ての人が、キリスト教徒になった時」と解釈してよろしいでしょうか?
NBさん、有り難うございます。
>お念仏と信心は別のもんじゃないですからねえ。
ご信心の内側からすればそういうことになるんでしょうねえ。
これ最初の問いを浄土真宗限定に組み替えてみたわけなんですけど。
200 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:30
174は自由意志で逃げたんですか?(藁
201 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:31
来世には何も影響しないよ。
釈尊が、死後別のところに生まれるといったのは、死んだあと間もなくの話で、来世のことではないよ。
202 :
逃げた174:02/08/17 15:31
>>200 自由意志と認識しているだけ、神様が逃がしたのです。
203 :
コギャルとHな出会い:02/08/17 15:33
204 :
いるよ174:02/08/17 15:33
>死んだあと間もなくの話で、来世のことではないよ。
死んだ後間もなくというのは来世ではないのですか?
206 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:34
>>198 「世界にキリストのメッセージが行き渡った時」とも解釈できない?
207 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:36
>>198 福音=救いというのは、それを「受け取るか」「受け取らないか」
です。「キリスト教徒」という定義をどうとらえていらっしゃるかわかりま
せんが、受け取れば救われる、そいだけです。
>>199 :49
今までの所をまとめてみますと、
「宗教とゆうのは信者しか救いの対象としないが、浄土真宗にかぎっては
そうではない(念仏は必要)」
でよろしいでしょうか?
>>208 ははは、浄土真宗については微妙なところでしょうね。
>49
OK?
自分はこの世に、自分の力で生まれてきたのではない。
=いのちは与えられたもの
であるのと同様に、福音=永遠のいのち、救い
も、神様から与えられるギフトだからっす。
213 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:40
仏教は仏教徒でなくても救われます。
なぜなら、仏教の救済とは苦しみの根源を見つけ、
それを取り除くことだからです。
現世で苦しんでいるのは、その苦しみの原因があったからです。
どんな殺戮者でも悟り救われることができます。
生まれながらにして悟っていることもあります。
どんなに修行しても救われない人がいます。
その点で、日本の仏教は仏教の教義と異なります。
>>206 >>207 なるほど、ではキリストの救いを受けるのはキリスト教徒だけではなく、
(キリスト教徒=キリスト教を信心する人)異教徒の人も救われるわけですね。
(福音を受け取ることが条件)
216 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:42
>>213 苦しみというのは、取り除き、逃れるためにあるのだろうか?
>1
YES!
218 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:44
来世とは、死後現世に戻ることも含むが、それには過程があるということ。
219 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 15:44
>>199 いえいえ、おそれ入ります。
>これ最初の問いを浄土真宗限定に組み替えてみたわけなんですけど。
ははあ、なるほど、だからこれだけ乱れまくるのかもしれませんね(w
定散自力の称名は、果遂のちかひに帰してこそ、をしへざれども自然に、真如の門に転入する
安楽浄土をねがひつつ、他力の信をえぬひとは、仏智不思議をうたがひて、辺地・懈慢にとまるなり
宗祖『浄土和讃』より
まあ、だんだんマニアックになっちゃいますけど。このへんで。
福音を受け取ると言うことは異教徒でなくなることだよ。
>>206 ここで、一回整理しませんか? 215へ回答して欲しいです
223 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:49
>>216 苦しみは、取り除くべきものです。
それと同時に、苦しみは人間の存在理由そのものでもあります。
生物が輪廻するのは苦しみとその根源があるからです。
それが完全に無くなった時、人間は輪廻する理由が無くなり、
無となります。
と、いう解釈ですがどうでしょう。
224 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 15:49
「仏教徒」とかの定義の捉え方にずれがあるだけで、
それでこれだけ盛り上がってると。そういうことっすね。
ま、楽しいですけど。
225 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:50
>>213 仏教徒以外の苦しみの根源を見つて取り除くことが可能なの
226 :
名無しさん@1周年:02/08/17 15:50
>>217 こらこら、207はオイラだよ。
>>215 >(キリスト教徒=キリスト教を信心する人)異教徒の人も救われるわけですね。
もちろんす。
聖書にも、福音を受け入れた異教徒の記録がたくさん出てきます。
というより、はなから「異教徒」というのは聖書の記述当時においては
「ユダヤ人でない」という意味で語られていて、そもそも福音というのは
異邦人、異教徒に向けられたものであるわけです。
>>219 :NB
ご講義ありがとうございました。(しかしムズヒ)
>>226 現在、異教徒の人が福音を受り、異教徒のままでいることは
ありえますか?
しかし、福音は念仏とちがって抽象的ですね。
230 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:00
次、逝きましょう
231 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:02
>現在、異教徒の人が福音を受り、異教徒のままでいることは
ありえますか?
私自身の意見として、洗礼を受けるまではそうでないかい
232 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:02
>>225 仏教徒かどうかは関係ありません。
苦しみの原因 -> 苦しみという結果
という因果律を認め、
「苦しみを除くには、その原因を見つけ排除する」
というシステムが仏教の最大の教義であり救済なのです。
神すらも、この因果律に縛られています。
仏教など知らない人間でも、
苦しみの原因を見つければ苦しみから解放されます。
救われるかどうかは、このシステムを認めるかどうかが決定的に重要です。
例えば、キリスト教の救済ですと、こんな因果律は関係ありません。
救済される人は神が独断で決めます。
神は自然のルールどころか因果律すら超越しています。
233 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 16:05
>>227 すいません。また夜にでもゆっくり来ます。
しっかし、「異教徒」に対応する仏教用語ってあったっけ?
とか、考えますね。なんか、そのへんでずれが生じてません?
234 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:09
はぁ?
キリスト教の神は独断で裁くわけではないよ。
各々自分の行いにしたがって裁かれるんだよ。因果律の外にあるわけではないな。
>「異教徒」に対応する仏教用語ってあったっけ?
「外道」という言葉があります。
>>232 >「苦しみを除くには、その原因を見つけ排除する」
具体的に手法を聞かせてくれませんか
237 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:11
>1
仏教徒であるかどうかは別として、
自分が心から救われたい、と思わなければ救われないでしょう。
釈迦さん達は、「でも、人間は救われたいという心すら持っていない」
と嘆いている。(浄土真宗は、この点について一生懸命方便を使って
説いていますよね)
「念仏を唱えれば救われる」、とは「救われたい」という必死な思いと、
「救われた。ありがとうございます」という心からのお礼が言えるのなら
救われるという意味だと思われ。
238 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:12
>>229 ありえますね。福音とは、具体的な事実を事実として受け取ることですから。
○○を捨てなければ救われないとか、○○をしなければ、とか、
行いによって救われるというものではない。
信じるものの種類にもよるのでしょうが、
あとは本人の心の中に葛藤があるかどうかという話になるのでは
ないでしょうか。
宗教に限りません。
例えは悪いですが、ヤクザが福音を受け入れた。ヤクザであっても、
その時点で「救われて」いるのです。しかし、その人は、
ヤクザであるという事実に葛藤するかもしれません。
その人が弱く、ヤクザから足を洗えない日が続いたとしても、
「救われ」ていうことには変わりありません。イエスは一度
つないだ手は絶対に離さない。
しかし日々の歩みの中で、少しずつ、本人の努力ではなく、
出会いや心の変化によって少しずつ、神との調和の中を
歩むようになります。これが、神を信頼できる根拠です。
福音ほど具体的なものはありません。
「あなたの自分中心な心、古いいのちは十字架につき、滅び去った。
あなたはキリストとともに、永遠のいのちを得て、新しく生まれた」
それを事実として受け入れるということです。
239 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:12
>>233 お疲れ様です ずれを修正し完成させるチャンスでは?(w
240 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 16:16
>>235 ゆうと思ったーー(w
でも、外道徒ってないでしょ。
世界の切り取り方の問題と思われ。
ううん。ちょっと違うのかも、でもそうなのかも。まあ。
まあ、しばらく落ちます。
といいつつ、
>>238 それってちょっと、ズルしてません?
>>239 完成?ってよくアレですけど。。まああ、面白いですね。
やめられまへんわ。
落ちます。とりあえず。
241 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:18
>236
多分、苦しみの原因とは、先の見えない闇、すなわち死後が
どうなるかわからないことだと思います。
で、それを取り除く方法とは、その先がどうなるかが解るこ
とだと思います。
ああ、つまり、外道って、政治的なレベルを含む用語じゃない。
ってことで。
243 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:22
>>240 >>238 >それってちょっと、ズルしてません?
ん?なんで?
>>238は聖書にある福音そのまんまだと思う。
たぶん、日本人の「キリスト教はこうあって欲しい=排他的な
外国の宗教であって欲しい」という願いと、
キリスト教の現実がずれてるんだと思う。
・・・という気がしてきた。このすれ読んでると。
244 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:24
福音を受け入れるというのは、具体的にどういうことをいうんでしょうか。
福音を受け入れる瞬間というのは、あるんでしょうか。
245 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:26
>>241 今、其れよりもどうしたら生活が出来るのか、そして半
分は投げやりの感情がある。この苦しみを乗り越えるには
どうしたら良いのかを考えているだけの話である。
道の順序が見えない苦しみがある。これも修業の一つだと云われ
ればそれでお終いだけど。
これは、悪い方向かもしれないが、今の自分の発散は
コンピューターのゲームの方向に考えてしまっている。
でも人生の問題を逃げている態度には変わらないけれど。
どうしたら人生の道の上の軌道を乗る事が出来るのか
其れは分からない。
やくざと異教徒を同列に並べられちゃあねえ。
それだけで、異教をバカにしてるともとれちゃうね。
いや、そんなつもりじゃないとはわかるんだけど。
ちがう?
あります
わたしに縋りなさい
250 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:30
>>234 >各々自分の行いにしたがって裁かれるんだよ。
聖書にそんな記述はありません。
善人を救うとも書いてないですし、悪人を救うとも書いていない。
さらに、聖書を読むと、次のような文にでくわす。
「私(神)は、おまえが生まれる前から決定していた。」
これこそ、キリスト教の神が因果律を超越しているという根拠。
きっと、救済されている人間もすでに決まっているはずだ。
251 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:32
>>236 >>「苦しみを除くには、その原因を見つけ排除する」
>具体的に手法を聞かせてくれませんか
具体的なその手法を手に入れることを悟ると言います。
悟った人にしか、その手法は分かりません。
修行すれば悟れるかどうかも分かりません。
253 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:35
>>246 「今までの生活」「福音を受け入れたあとの生活」
とで比較できるならなんでもいいんじゃないか?
ヤクザというのは、人の目にも罪が見つけやすいので、
極端な、分かりやすい例として出した。
それを「いい」とか「悪い」とかゆうんではなくて
本人に葛藤が生じるかどうかの問題だす。
『幸せな家庭』でもいいし、『大きな会社』でもいいし、
『優しい友人たちとの生活』でも、もちろん、『僧侶としての生活』
でもありえるし。
その中で、自分の罪を認めるならば、それらを一つ一つ脱ぎ捨て、
神との調和のある生活に少しずつ入っていくという事。
葛藤のないもの、確信のあるものだったら、誰も脱ぎ捨てはしないでしょう。
これらはあくまでも、「福音を受け入れた」後、自分の心の中で起こる
こと、の話。
254 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:38
255 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:40
>>250 「きっと」で神の業を決めてかかるなかれ。
256 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:40
聖書ないぞ
257 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:44
258 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:46
>>250 >>各々自分の行いにしたがって裁かれるんだよ。
>聖書にそんな記述はありません。
マタイ 16章読んでみそ。
259 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:48
「法華経」しか持っておらんに
260 :
名無しさん@1周年:02/08/17 16:56
>>257 エレミア記
>>255 「きっと」がない場合。
最後の審判でみんな完全に死ぬ。
↓
救済:
例外的に生き返り、完璧な肉体で神の楽園に住む人間がいる。
↓
救済の条件は聖書には書いていない。
↓
誰が救済されるかはまったくもって謎。
神のみぞ知る。
↓
キリスト教は役立たず。
「きっと」がある場合。
神の因果律さえ超越した全能性とその性格から、
神は、救済する人間を、キリスト教と出合わせ、キリスト教徒にしているはずだ。
自分が今、キリスト教徒なのは、生まれる前から救済が決まっていたからかも知れない。
↓
キリスト教、素晴らしい。
261 :
名無しさん@1周年:02/08/17 17:05
>>244 福音を受け入れた瞬間というのは、祈りの瞬間だと思う。
「イエス・キリスト、あなたは神の子であり人となってこの世に
こられ、私の罪のために十字架の苦しみを受けられ、そして復活されたことを
信じます。私の中においでください。私はあなたに新しいいのちを
与えられたことを信じます。」
とか。決まった形式はないけど。それが救いを受ける瞬間だと思う。
伝統的には、洗礼によって、公にそれを表す。
>>260 >救済の条件は聖書には書いていない。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
とか、聖書に書いてあるよ。
「私が道です、真理です、いのちです。私を通らなければ誰一人
父の御許にいくことができません」とか。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
・・・なんていうか、固定概念だけでキリスト教語るのも、限界があると思うよ・・。
古代仏教だと、真理を知る事により、
様々な、苦しみから逃れられると言う考え方なので、
異教徒(と言う概念が仏教にあるかどうかは別として)でも
どんな人間でも、真理を知っていれば、救われているのでは?
ただ、原始仏教は拘りからの開放が大きなテーマなので、ある特定
の神に拘っていると、それ自体により、拘りが生まれ、真理への到達
が困難となる。
263 :
名無しさん@1周年:02/08/17 17:11
>>262 >ある特定
>の神に拘っていると、それ自体により、拘りが生まれ、真理への到達
>が困難となる。
それによる「真理への到達が困難」という縛りの方が
でかいんじゃないか?
264 :
名無しさん@1周年:02/08/17 17:12
この世で悟ったヤツいる?
265 :
名無しさん@1周年:02/08/17 17:14
悟ったヤツは、そこにはおらん。
266 :
名無しさん@1周年:02/08/17 17:18
なら、仏教は詐欺じゃん
>245 >248
うーん、僕は他人の人生相談にのれるほど立派な人ではないんだけど。
> どうしたら人生の道の上の軌道を乗る事が出来るのか
あなたは人生の道の上に載っていないの?なんで?やましいことしてるの?
逆に、あなたの「人生の道の上の軌道」について教えてほしいな。
269 :
名無しさん@1周年:02/08/17 17:59
>>261 >「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
この救いは、キリスト教の救済の救いのことではなくて、
パウロとシラスの釈放のことではないのか?
>「私が道です、真理です、いのちです。私を通らなければ誰一人
>父の御許にいくことができません」
「父の御許に到達した人間は私を通った人間」は真だが、
「私を通った者は必ず父の御許にいく」は 偽。
>「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
>独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
ここには、独り子を信じる者が救われるための条件はない。
270 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:01
>>266 悟った人間はこの六道での存在理由がなくなり無となります。
271 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:02
仏教は「来るものはこまばず、去るものは追わず」です。
キリスト教でも「求めよ。されば与えられん」っていうでしょ?
無になりたくない
> 268
僕も真剣に質問しているんだよ。
親面するなら、あんた答えてあげてよ。
274 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:07
>>269 >>「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
>この救いは、キリスト教の救済の救いのことではなくて、
>パウロとシラスの釈放のことではないのか?
看守たちの質問にパウロとシラスがそう答えた。
その後看守と家族たちは、信じて洗礼を受けた。
パウロとシラスの釈放のためではないよ。
なぜ、看守たちが、「救われるためにはどうしたらよいですか?」と
きいたのかというと、彼ら自身の「していること」に対する
神の怒りを臨場感もって感じていたからだよね。
これは現代にあっても、我々は「良心」において同じように感ずることがある。
それ以下の質問は、受け取り方によって、救いの条件を厳しくできるのでは
ないか、というあなたの疑問だと思うんだけど、聖書にある随所の記述から、
救い=信じること というのが明確に分かる。
「信じる」というのが救いの唯一の条件。詳しく知りたかったら、
ルターの「キリスト者の自由」とか読むといいかもね。
275 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:16
>>268 >>「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
>この救いは、キリスト教の救済の救いのことではなくて、
>パウロとシラスの釈放のことではないのか?
看守が神に殺されないで済んだということでは?
276 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:19
>>274 「救われる者は信じていた」は真だが、
「信じる者が必ず救われる」は偽。
277 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:19
>>275 それなら、家族がなぜ出てくるの?一緒に洗礼を受ける必要も
ないでしょうに。
278 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:19
羊頭狗肉の耶蘇教スレだな、こりゃ(藁
僕は彼が困っているのはわからるけど、原因を取り除く手段をしらない。
だから、頼んでいるんだ
280 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:22
>>276 「必ず救われる」と信じることが信仰であり、
それがあるから、神に信頼を置き、信仰の中を歩むことができるんだよ。
「そうではない、必ず救われるとは限らない」と否定したら、
「信じる」ことにはならんでしょう。
281 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:23
>>277 旧約聖書を読んで下さい。
一族皆殺しはキリスト教の神の得意技です。
王が契約を破っただけで、その民族は滅ぼされました。
282 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:26
要は、
信じる=救われる=裁きから逃れる
っつうことで、おかしかないんじゃないか?
>>281
283 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:30
>>1 仏教には元来救済思想はありません。強いて言えば自己責任思想ですな。
自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。
自分がつくり、自分から生じ、自分から起った悪が知慧悪しき人を
打ちくだく。──金剛石が宝石を打ちくだくように
みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないな
らば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらで
ある。人は他人を浄めることができない。
『ダンマパダ』
この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよ
りどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他の
ものをよりどころとせずにあれ。
『大パリニッバーナ経』
284 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:32
>>280 >「必ず救われる」と信じることが信仰であり、
>それがあるから、神に信頼を置き、信仰の中を歩むことができるんだよ。
予定説では、救われるか分からないからこそ信仰が加速する。
どれだけ信じれば救われるのか分からない。
↓
救われる人間は必ずキリスト教の神を信仰しているはずだ。
↓
救われるか分からないが、自分がキリスト教と出会ったのは、
神が生まれる前からそう決めていたからだ。(予定説)
↓
ということは、ひょっとしたら、自分は救われる人間かもしれない。
↓
もっと信じる。
↓
前よりも信仰が厚くなった。これもきっと神のおぼしめしだ。
↓
もっと信じる。
285 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:35
>>281 >一族皆殺しはキリスト教の神の得意技です。
キリシタン弾圧って知ってる?
286 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:39
>>285 島原の乱はキリスト教国イギリスも幕府方に味方したが…(藁
>279
それでは、何が困っているのか教えてくださいよ。
288 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:48
どうして耶蘇教徒は非論理的な信仰告白以外のことをいえんのだ…(藁
289 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:49
>>285 日本は、史上まれにみる宗教に寛大な国でした。
ヒンズー教、陰陽道、仏教、儒教、神道など、様々な宗教を包含してきました。
これらは、現代人の生活にも染み着いています。
こんなことは、他の国では考えられません。
しかし、そんな日本でも弾圧しなければならなかった宗教、それがキリスト教です。
キリスト教の教義、異教徒抹殺。
これがあったためです。
事実、江戸時代までに、
アメリカ大陸、南アジアで次々と異教徒が絶滅させられました。
これらはすべてキリスト教の教義にのっとった行ないです。
今で言えば、破防法適用確定です。
290 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:49
291 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:51
>>289 そんな教義どこにもないよ。
お前危険だなー。
そういう奴が、キリシタン弾圧を(以下略
>>287 本人へ聞いて下さい。 オレがわかってたら、とっくに教えてますがな(藁
293 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:52
朝鮮人が井戸に毒入れた〜。
とか、そーゆうレベルのデマから始まったそうだよ。
キリシタン弾圧。
ミサで肉を喰って血を飲むから危険、とかさ。
294 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:53
>>289 の続き。
そのキリスト教の教義を知らしめようとしたのが踏み絵です。
キリスト教の教義
・偶像崇拝禁止。
・異教徒抹殺。
踏み絵を拒む -> 偶像崇拝者 -> 異教徒 -> ゆえに死刑
この踏み絵と言う制度はまさしくキリスト教の教義にのっとった行ないです。
>292
ええ、だから質問していたんだけどね。
でも、あなた、さっき困っていることが解るって言ってませんでした?
>>287 「苦しみの根源を見つて取り除く」ことでお願いします。
297 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:56
>>289 キリスト教弾圧
というか当時のヨーロッパにおける新旧教徒両派の騒擾の余波
だろう。豊臣政権や徳川幕府から交易の利権を独占的に得るた
めに、商敵だった旧教国スペイン・ポルトガルの新大陸での蛮
行を吹聴した新教国イギリス・オランダの宣伝が功を奏したん
だろうな。
298 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:56
>>291 申命記、ヨシュア記。
十字軍遠征時の聖書引用。
キリスト教の神の性格。
300 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:58
>>294 >この踏み絵と言う制度はまさしくキリスト教の教義にのっとった行ないです。
踏絵というのは、「拒んだら異教徒だから死刑」って制度じゃないだろ?
マリアの顔を書いた絵を踏めなかったらキリシタン
↓
だから殺す
って奴じゃないの?やってたのは江戸幕府では?
301 :
名無しさん@1周年:02/08/17 18:59
>>297 江戸後期には、イギリスのインド・中国での蛮行も問題になっていました。
そんなキリスト教徒が黒船でやってきたときの恐怖がわかりますか。
302 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:01
>>300 キリスト教としてはどちらの行ないが正しいか?
皮肉にも、それは、幕府の方です。
303 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:02
>>301 黒船で来たのはペリー提督(メーソン)ですが(爆
304 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:02
305 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:04
306 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:12
307 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:12
>>303 エホバを否定する人はメーソンには入れません。
309 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:15
>>307 メーソンの集合 ⊂ (キリスト教徒の集合 ∪ ユダヤ教徒の集合)
>299
了解。「彼の困っていること」というのは、簡単なことでは
ないのかもしれないですね。
ここは仏教板なので、話を戻して。人生には、苦しみ楽しみが
山ほどありますが、仏教ではどちらも一瞬の出来事だとして
重要視していないようですね。
目標にたどり着くのが苦しい、というのは当然であり、
その苦しみから逃れるために、趣味や娯楽を取り入れる
のは全然悪いことではないので、自分を責めないでください。
でも目標を忘れちゃだめ。
というわけで、でしゃばった僕は逝くことにします。
311 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:35
312 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:36
>>302 踏絵で相手の信仰をためし、キリシタンと
わかり次第片端から殺す、そーゆうのを本当に正しいと思ってる?
マジな話。
313 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:45
江戸幕府も、キリシタンが改宗すれば助命したんでないかい?
中世ヨーロッパの魔女裁判なんかで、目をつけられた人々でどれだけの
人が助かったのやら?
314 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:45
>>312 302ではないけど、現場ではかなり理詰めで粘り強く「説得」にあたり、情のこもった話し合いが行われていたらしいね。
幕府の指示はともかく、現場では情状酌量も多かったみたいよ。
説得も長期戦というか、首謀者で過激派・アジテーターでもない限り、そんなに非人道的な扱いではなかったですね。
ヨーロッパの魔女狩りとは全く違いますよ。
誰の陰謀か知りませんが、江戸幕府の禁教政策もかなり誇張されてますね。
大々的な弾圧は、時期も限定されるし、そんなに頻繁にあったわけではないっすよね。
315 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 19:49
キリスト教にはキリスト教の救済原理がある。これを正確に把握しないと話が混乱する。
もともとキリスト教の神とは、紀元前二十世紀頃メソポタミア地方に在住していたアダムという男の両親だ。
父の名を主、母の名を聖霊という。二人合わせてエホバという。彼らは近所の人を悪魔とよんでいたようだ。悪魔とは決して悪徳者という意味ではない。単に「ご近所の方」という意味に過ぎない。以後、アダムの家では近所の人を、異邦人とか、悪魔とか呼ぶ習慣がある。
アダムには5歳違いの妹がいた。エバという。二人はお医者さんごっこをしたとき、両親から咎められ、独立を迫られた。
エバの子孫は途絶え、アダムは子孫に恵まれた。子孫からはアブラハムが生まれた。アブラハムはアダムの両親を氏神として祭り始める。主は、アダムが生まれた日から日にちをカウントし始め、その伝統はユダヤ民独に継承されている。
主は時間という概念に気付いた最も古い部類に入る人物だ。このときから、アダムの子孫には歴史がはじまる。宇宙が始まったんだ。
アダムの子孫にモーゼという人物が出現する。紀元前十四,五世紀頃の話だ。モーゼは母方がアダムの系図に連なっている。彼はエジプトから奴隷をシナイ半島に解放する。奴隷解放に成功したモーゼにとって最大の責任は、解放民をいかに統制するかという問題だった。
モーゼはエジプトで王侯貴族並の教養を与えられていた。モーゼは神権政治的手法を導入する。エジプトの神は太陽神である。太陽神を越える神をモーゼは創作しなければならない。モーゼにとってこれは大きな課題だった。
316 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 19:50
モーゼは、母方の氏神に万物の創造主という概念を付属する。
「解放民は全てアダムの子孫とみなす。アダムの子孫とみなされることが嫌な奴はここから出ていってくれ」。モーゼは砂漠を指さして人々を恫喝する。ここにいる人間はみな同族なんだ。同族とは、アダムの子孫ということだ」。
アダムにとって、アダムの両親は、アダムに森羅万象を与えてくださった方だ。
「アダムにとって両親は万物の創造主だ。太陽も、月も川も海も、すべてアダムはアダムの両親から命を貰い、それによって万物を与えられた。そうであれば、その子孫にとっても、アダムの両親は我等の万物の創造主だ。
万物の創造主は我々に命を与えてくださたった方だ。創造主は、我々に生きよと教えてくださっておる。団結せよと言ってくださっておる」。
モーゼはそう言って、解放に成功した事実を背にし、万物の創造主の戒律を公布する。十戒という。「これは創造主が我々に与えてくださって戒律である。この戒律を守ることこそ、アダムの子孫である我々にとってもっとも重大な義務である」。
モーゼはこのようにして万物の創造主を創造し、戒律を守ることを通じた救いの概念を公布する。
キリスト教による救いは、モーゼのこの概念の延長の中にある。
キリスト教による救いの概念は複雑だ。イエスを神の子として受け入れる。神の子はアダムだから(ルカ3-36)、イエスを神の子として受け入れるとは、イエスをアダムとみなすということになる。イエスがヨルダン川で神の前で洗礼したように身を清め、神を信じることを誓う。
ミサではパンと葡萄酒を拝領する。パンはイエスの肉、葡萄酒はイエスの血を象徴する。パンと葡萄酒を拝領するとは、イエスと血肉関係を結ぶと言うことだ。
このときアダムの両親が自分にとって万物の創造主となる。モーゼの律法に代わるイエスの教えを守ることで、神との契約関係に入り、神に守られる。
イエスというのは、無鉄砲でややオッチョコチョイの男だったようだ。エルサレムの神官を怒らせ、懲らしめのために十字架に縛り付けられ、思いも懸けずショック死した。本人は三日位叩きのめされて帰ってくると思っていたらしいが、帰らぬ人となる。
キリスト教はその後、ガリラヤ地方の住民の勘違いから広まっていく。
僕には、キリスト教の救済原理は受けいれられないんだ。
317 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:51
>>315 カルトはお呼びでない。
みなさん、こいつは放置でお願いしますね。
318 :
カルト警報発令中!!!!!!!:02/08/17 19:53
【 渡 海 難 】 は 放 置 で す
319 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:58
>>316 >僕には、キリスト教の救済原理は受けいれられないんだ
君の説くキリスト教では誰も・・・(笑)
320 :
名無しさん@1周年:02/08/17 19:59
>>316 ガリラヤ地方の住民の勘違いとは何ですか?
322 :
名無しさん@1周年:02/08/17 20:08
>>321 放置だっつってんだろ!
おまえもカルトか!?
史ねや、ヴォケ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
323 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 20:12
>>182 >私の個人的な悩みは多々ありますが、とりあえずは無視しちゃってください
卑近な個々具体的な悩み・苦しみを無視したところで救いを論じても、抽象論議には何ら学術性も何もないだろう。
>>208 >宗教とゆうのは信者しか救いの対象としないが、浄土真宗にかぎってはそうではない(念仏は必要)
真宗にあっては、念仏者は念仏者。念仏者以外のところに、信者はいない。
仏教徒とは因果の道理を信じる者。因果の道理を信じる者は釈迦の弟子。念仏者は、因果の道理を信じる者。因果の道理を否定する者を外道という。
>>213 >生まれながらにして悟っていることもあります。
こういう考えを因果撥無という。因果の原理を否定する考えと言う意味だ。
>どんなに修行しても救われない人がいます。
これは213のような因果の道理を否定する人のことだ。
>その点で、日本の仏教は仏教の教義と異なります。 こういう考えを外道という。
>>321 了解。後ほど書きましょう。
324 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 20:17
>>318,
>>322のようなアホタレは、本人が仏教徒を名乗っても、他人が仏教徒と認めても絶対に救われない。これが僕の見解なんだ(笑)。
325 :
名無しさん@1周年:02/08/17 20:18
悪人正機。
326 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:05
ところで、、、、
キリスト教の人は「異教徒」と聞くとどんなイメージありますか?
まあ、人口の大部分が仏教に属することになってる日本で、とりたてて
「仏教徒」という時には常に日本社会の「外部」が前提となってるだろうし
そこに主体的な意味付けがなされることが期待されてることが前提されてたり
するんだろうけど。
よく考えたらビミョーだね。「仏教徒」って。
327 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:10
>>326 漏れはカトリック
「異教徒」と聞くと歴史のなかの言葉としか認識しないなあ。
悪名高い十字軍の時代の話とか、ドキュソな宣教師どもの時代とかな。
日本ではキリスト教徒でいる方が異教徒かもな。と良く思う。
やっぱり三宝への帰依が基本なんですね。
例えば水溜りに落ちた蟻さん。仏陀が樹の葉を差し伸べたところで
自分でその葉にすがり付かないと、助けようがないんですね。
阿弥陀様や浄土が架空の存在である事は渡海灘さんのご説明で良く
わかりました。題目も無意味であると言う事が名無しさんの説明で
良くわかりました。薬袋食べたって病気は治りませんものね。
329 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:15
>>326 「異教徒」というと、ほとんど旧約の言葉で、ユダヤ人以外の人。
つまり自分も「異教徒」だと思って聖書読んでるよ。
新約聖書には、異教徒という言葉はわずか2箇所しか出てこないし。
1 1コリント 12:2
あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない
偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。
2 1ペテロ 2:12
また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがた
を悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、
訪れの日に神をあがめるようになります。
キリストを信じていない人=異教徒
という意味での「異教徒」という言葉を好んで使いたがるのは
仏教や神道の人の特徴かな?と思ってしまうんだけど、どう?
330 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:18
クリスチャンにとっては、
クリ・ノンクリの立場というのは、そう変わりがあるもんではない。
みんなおんなじ、神様に愛されてる人なんだけど。
それをわざわざ「異教徒」という言葉を使って、区別つけたがる人がいる。
それに戸惑いを感じる。
たとえば、キリスト教批判スレとかで、
「君たちには分からないよ」とか、「私たちは」とか言われる。
これはなんでだろうかね。
331 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:20
>>1のレスにくじけちゃいそうになりつつ。
おお、そうなのか。キリスト教の人は基本的にあんまり「外部」の人を
異教徒とは呼ばないのか。
まあ、ぼくもぼくの周りも異教徒なんて使わないけど。
>>329のようなイメージあるのかなあ。
上のほうのレスでもそういう感じのレスあったしね。
なんか、異教徒。ってのが分からんくなったね。こんどは。
332 :
◆aYd6O/WE :02/08/17 21:21
>>330 批判スレじゃ、ドキュソな批判をよく食らうからな。
そうなると、根本的な理解が出来てるかどうか?というこって
分けて考えるしかないときあるよ。
333 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:23
>>1よ。
>それって仏教徒であるのが前提ってことですか?
ってのは三宝に帰依してるのが前提ってことですか?って意味なん?
334 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:23
>>331 NBさん、
今日ある教団に行ったんですけどね「馬を水辺まで連れてくる事はできるが
、水を飲ませる事はできない」って言われました。「飲むのは自分」だって。
法の水は自分で飲むしかないのかな?
335 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:23
>>331 そだね。
特に、日頃宗教を意識してない日本人が使うには
あまりに奇妙な言葉かもしんない。
大陸では、宗教によって民族が別れていたりするけど、
日本はそーゆんとも違うし。
だいたいさ、クリスチャンも日本人だぞ。
外人みたいに扱われんのが、嫌。
336 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:25
>>331 仏教の救いはやっぱり「仏界に行く事」なんですって。
我見や仏陀に対する疑惑やたの教えに対するこだわりを捨てないと、
仏界には行けないらしいです。
337 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:28
>>334 うーん。考えてしまいますけど、、そうなんでしょうね。
月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞ住む。
なんて、法然聖人のお歌ありますね。
338 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:28
>>335 私なんて仏教徒だけど日本では異教徒だよ。
「阿弥陀念仏まあまあ主義、車座酒飲み無礼講」以外はみんな異教徒。
339 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:30
>>338 >「阿弥陀念仏まあまあ主義、車座酒飲み無礼講」
それってどんな派なん?
340 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:32
まあ、
一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、
五つには名号。この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。
@蓮如上人
というのもありますね。
341 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:34
342 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:34
>>289 これ以外は賛成ですが、
>日本は、史上まれにみる宗教に寛大な国でした。
>ヒンズー教、陰陽道、仏教、儒教、神道など、様々な宗教を包含してきました。
>これらは、現代人の生活にも染み着いています。
>こんなことは、他の国では考えられません。
セム系の三宗教以外は寛容じゃないですか? インドもシナも。
西洋人の歴史が世界史だと思われてるから、上のようになるけど。
西洋の歴史って結局セム系宗教の世界征服史ってかんじですから。
343 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:35
>>340 >>337 阿弥陀様はお釈迦様の事で、念仏はお釈迦様への感謝の
気持ちですって教えてもらいました。
「私達に法を授けてくださって
ありがとうございます=ナムアミダブツ=オンアミリタテイゼイカラウン」
ってお唱えすれば良いらしいです。オン、、のほうが梵語だからお釈迦様には
通じやすいらしいです。
344 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:35
>>341 うーん、わからん。。。どんなんやろ。
テキトー仏教ってこと?
それとも国枠主義つーこと?
345 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:38
>>343 ははあ、そうっすか。。まあ、…。いや、…。
>>340 キリスト教の救霊予定説に少し似ていますね。結局「宿善」がなければどうにもならない。
347 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:40
>>346 まあ、でも、宿善は最初に見極めるもんじゃなくって、信心を得た後に
振り返ってご縁を喜ぶ立場でしょうね。
348 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:41
キリスト教の救霊予定説って、知らないんですけど、そのへんはどうなん?
349 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:41
>>340 仏への帰依
法への帰依
僧への帰依
身見(我見)を断ずる事
疑惑(狐疑)を断ずる事
戒取(仏陀の教え以外を)捨てる事。
これ無ければ流れに預かる事無し。
@仏陀
一つには宿善、
二つには善知識、
三つには光明、
四つには信心、
五つには名号。
この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。
@蓮如上人
この上と下とをどう関連付けるかですね。
私も専門家ではないので・・・。(笑)
351 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:45
>>349 >流れに預かる事無し。
って、あんた(w
まあ、マジレスは宿題にさせてください。(w
352 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:46
>>350 まあ、まずはまたお目にかかれまして、ご縁よろこぶなんまんだ。
ってことで(笑
353 :
◆aYd6O/WE :02/08/17 21:48
アウグスチヌスだろ?予定説。
んで、カルウ゛ァンが引き継いでなかったっけ?
354 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:48
まあ、無余涅槃と無住処涅槃っすか…。即座にゃわからん(w
>ご縁よろこぶなんまんだ。
原始仏教の透明な知性も好きだけど、真宗の暖かみも捨てがたいですね。
356 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 21:52
たはは。なんまんだ。
357 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:55
>>351 たしか、根本仏教に預流果ってあったよね。
>>349 >仏への帰依
>法への帰依
>僧への帰依
>身見(我見)を断ずる事
>疑惑(狐疑)を断ずる事
>戒取(仏陀の教え以外を)捨てる事。
>これ無ければ流れに預かる事無し。
これは何に出てくるのですか?不勉強なもので・・・。
359 :
名無しさん@1周年:02/08/17 21:57
>>353 カルバンが始まりなんだけど、カルバン本人はあまり熱心に
主張したわけではなく、その後を引き継いだ人たちにより
盛り上がった、ときいた。
予定説といっても、「神様の計画なのでそれは誰にもわからない」
という話なので、この地上では結局のところ、影響なし、なんだよね。
ただ、クリスチャンにとっては、「私は選ばれた人なんだわ」という
キモチを持たせる要素ではある。
結局、「神様の計画」と「人間の自由意志」との不思議な関係を
概念に表そうとしたものに過ぎない、と思う。
360 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 22:02
>>359 はあはあ、プロテスタントの職業倫理が云々ってとこらへんのやつでいいんですか。
361 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:05
クリスチャンと念仏って妙に気が合うんだよね。
やっぱ、念仏宗というのは仏教じゃないんだね。
阿弥陀様、一神教だわ。
362 :
◆aYd6O/WE :02/08/17 22:06
>>359 神の能力ということがそもそも問題になる説なんだよ。
自由意志による「行い」に着目すると、人間の都合でどうとでもなる
と言い換えることもできるからね。
誰にも分からないことを語ろうとする過程で色々出てくるよなあ。
363 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 22:07
ははは。まあ、西洋中心で見ちゃうと
そういうカテゴライズされちゃいがちですね。
364 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:09
>>360 あと、蓄財の是非とか、その辺。
解釈の一つなので、信仰と直接関係なし。
365 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:09
似ているように見える所もあるけど、全然違うよ。
阿弥陀仏も、修行をして仏になったわけで、神のように最初からいた
わけでもない。また、阿弥陀仏のほうからお願い(48願)を
立てたのであって、神のように人間に対して信仰を要求するもの
でもない。
366 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:09
だけど、クリスチャンよりはずっと性質が悪いよ。
悪人なおもて往生するだから。
クリスチャンは行いを正して天国へと言う規範はあるけど、
念仏は無規範だもんね。それが今の自民党的日本を
作ったんだろうね。
真宗の暖かみっていうけど、利害が絡んでも真宗は暖かいかな?
367 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:09
>>360 あと、蓄財の是非とか、その辺。
信仰生活を社会的に解釈する方法のひとつなので、
救いとは関係なし。
368 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 22:10
>>364 うーん。プロテスタントの信仰はそういうのを確認するための過程でもある。
みたいに理解してたんですけど。
370 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:11
>>365 阿弥陀仏も、修行をして仏になった存在は、仏教では涅槃を得た(成仏した)
仏じゃないの? どうして仏様が一神教の神様になるの?
371 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:12
>>366 そんなことあるかなー(^^;
単に、真宗での罪悪の見きわめ方が厳しいんだとおもうよ。
食べ物たべりゃ、殺生でそれが極悪人と考える。
正しいとか誤りとかを言うわけじゃないけど、見方が
厳しい、それだけのことだと思う。
372 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 22:14
>>365 帰命は本願召喚の勅命なり。なんてね。
>>366 子の罪を、親こそ憎め、憎めども、捨てぬは親の、情けなりけり。
で、親の心が届くとき、悪を造りつづける心にも反省が生ずる。と。
373 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:17
>>358 三宝帰依(仏法僧)は仏教入門です。
身見、疑惑、戒取は、十結煩悩のうち最も下位の三つです。
仏教入門と最初歩の修行の目標と言う意味です。
(お釈迦様がこれを並べて論じたわけではない)。
三結断てば仏界への流れに預かり、十結煩悩を断てば、涅槃を得て
仏になるのであって、阿弥陀様を唱えても仏界には近づけません。
お題目は言うに及ばずです。
374 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/17 22:20
さて、風呂落ちして、あしたからの準備して寝ますわ。
また、こんど、よろしくおながいします。
375 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:20
親鸞上人が言われたとおり、念仏は仏陀への報恩感謝以外の何物でも
ありえません。
↑この説は小説で読んだだけ。真宗の研究は全くしたことが無いので、
悪しからず。
376 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:21
377 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:22
>>373 真宗ではなんの修行も善行もできない人が
救われる道を説いています。
煩悩を断たずして、涅槃を得
ということです。念仏は御恩報謝の念仏です。
381 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:28
>> 379
どのような意味で何を言いたいのでしょうか。
私をあんなに短い書き込みで馬鹿よばわりしたのですから、
逃げないで語って下さい。
382 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 22:31
1さんよ。
殺人者でも念仏を唱えれば極楽に行ける。仏教徒でも、坊主でも、アホはおる。バカタレはおる。地獄に堕ちる奴もおる。
仏教徒でなくても紳士はおる。賢人も哲人もおる。仏教徒のアホタレほど手に負えものはおらん。
そういうことでいいかな?。
>>359 >「神様の計画」
神様って、貴方はどこの何物だと思ってるの?。
>>361 >クリスチャンと念仏って妙に気が合うんだよね。 <偽キリスト教と偽念仏は気が合うんだ(笑)。>
>>365 キリスト教の神は、アダムの両親。
アブラハムにより氏神となり、モーゼによって万物の創造主となり、アロンによって軍神となり、ソロモンによって知性の神とされ、イエスによって大衆化され、パウロによって異教徒を含む超越者となり、19世紀の近代思想家によって博愛の神になった。本質は偶像だ。
阿弥陀は、釈迦をモデルに創作された象徴的創作上の教師だ。全然違うだろう。
384 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:34
1へ。あんたの質問はあんたが落ちて、落ちて、どうしようもなくて、何か救いを
求めるときそれが何かわからんが、それが仏教だったときしか本当に理解できんな。
そんな質問してるうちは、幸せじゃ。
>> 383
だから、私の何がバカかと聞いているのですよ?
>>383 一つの宗教の教義を書く事で私をバカよばわりしたわけです。
わたしの何がバカですか?
南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...
南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...
南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...
388 :
ヨハン君 ◆uB/wIgFk :02/08/17 22:37
罵り合うのはやめるんだもん★
390 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/17 22:42
>>385 他人を馬鹿という馬鹿よりも、馬鹿と言われる馬鹿が上等。
>> 389
本当に面白い方ですね。時間の無駄でした。(ってそんなことは
わかっていた)
>>390 極楽は、釈迦の涅槃界をモデルに創作された象徴的創作上の場所じゃないの?
古代の庶民に分かりやすいようにニルバーナを極楽にしちゃったんでしょう?
394 :
名無しさん@1周年:02/08/17 22:55
ノリアキ=海苔巻
396 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:09
往生ケテーイ!
>> 395
まぁ、書きたけれはどんどん書いて下さい。
このように煩悩(怒り)にうちまかされる我が身が
しらされるのは貴重なことです。
なにか 勘違いされてるかもしれないので書いておきますが、
修行も善行もできないというのは、やってもやっても
心が不遜の念を持ち、結局は修行にも善行にもならないという
ことです。
また、そうではなく信仰者全般に対して先のカキコのように
思われているのでしたら、それは大変残念なことです。
398 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:13
解脱ということは死後「空」になるのだから極楽も地獄も関係ないのでは?
399 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:18
>>398 解脱ということは生きているときに「空」を覚る事です。
が、(場所としての)極楽も地獄も仏教には関係有りません。心のあり方として、
六道があります。(地獄界もある。)それは、生きているこころにも、死んだこ
ころ=魂にも当てはめられます。極楽として、六道の天界やそれから離れた涅槃
界を示すのかもしれませんが、そこへは阿弥陀様を念じても行く事はできません。
自分の行為(まいた種は)自分で刈り取らねばならないからです。
悪い種をまいて、いくら念仏を唱えたところで救われはしません。
仏教の教えは「自業自得」です。
400 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:27
食い物今まで沢山食ってきたけど、じゃ地獄におちるんだ。
401 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:35
あと、仏教では意業を考えるよね。思っただけでそれが業になる。
若い女性みただけでねー、大変な意業が積まれるし、
欲しいものみるとねー、これまた大変。
地球の裏側で戦争があっても、すぐ忘れるし、すぐ心が
痛まなくなる。つまり無慈悲。
これで自業自得のみだときびしーな。
>>397 >なにか 勘違いされてるかもしれないので書いておきますが、
修行も善行もできないというのは、やってもやっても
心が不遜の念を持ち、結局は修行にも善行にもならないという
ことです。
全てを自分個人で出来ると思ってる貴方は勘違い野郎です。
>>402 おっしゃることの意味が全く分かりません。
「全てを」というのは具体的にどのようなことか、
例をあげてくれませんか?
404 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:45
405 :
名無しさん@1周年:02/08/17 23:48
>>404 ええっと、殺生っていうからね。何か食べる時は必ず何か
生きているものを殺しているからね。
南無阿弥陀仏・・・ 南無阿弥陀仏・・・ 南無阿弥陀仏・・・
/ヽ、 ,, -ー――- 、
( ー'' ` 、
< i
| ゝ / ヽ , 、 i
.| |,ヽ_( ) ノ―ヽ i
|| 、 、 \ i
| ⌒ ノ ⌒ | ヽ
| ヽ |/ヽ ゝ、
.| ● -―- ● ノ ノ-ー ┐_
_ _ ヽ ヽ- ノ ヽノ' | 397ってバカじゃない?
/ ヽ、 , ' ノiiiiiiil |
| liii` ー '' 'iiiiiiiiil |
>>401 >あと、仏教では意業を考えるよね。思っただけでそれが業になる。
若い女性みただけでねー、大変な意業が積まれるし、
これは仏教以外の宗教でも同じだよ
>> 406
あなた、大丈夫ですか?心配です。
| アホの381は、念仏でも唱えて死んで下さい
\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧☆∧
( ・∀・)
( ¥ つ
| | |
(__)_)
>> 409
つきあう俺もどうかしてるけどf(^^;、
少しぐらい議論できる能力を付けた方がいいと思うよ。
自己主張に附随した批判なら聞く方も理解できると言うもの。
俺の問いかけすべて無視してくれて、そしてアホだのなんだのと、
それで ノリアキ氏はいいのだろうけれど、俺からみるとね、
そのような存在って悲しすぎると思うわけだ。
そもそもの最初の発端について、なんで俺にカラんできたのか、
それすら俺はわからないんだよ。
俺は真宗に昔関わった事があって、それで教義を多少知っている。
ただそれだけの話しだ。真宗というのはノリアキ氏にとって、なにか
過去にあったのかな?わからないよ全く。
411 :
名無しさん@1周年:02/08/18 00:07
仏教は「自業自得」ではなく、「因果応報」でしょ。
412 :
名無しさん@1周年:02/08/18 00:13
>>411 「因」が381の投稿、「果」がノリアキ?
413 :
引用だけど:02/08/18 00:14
>>411 しんらんねっと。井小慈郎による、仏教用語コラム
自業自得とは自因自果ともいい、自分の行為が自分に現れることをいう。これは
必ずしも悪い行いに限らない。よきにつけ悪しきにつけ、「蒔かぬタネは生えぬ
、刈りとらねばならぬ一切のものは自分のまいたものばかり」と教えるのが仏教
である。
>>410 まあ、念仏唱えただけでとか言ってる人だから。少なくとも真宗の立場で
反論する必要ないと思うよ。
三心即一心!とか言ってみる。信楽だ。信楽。なんまんだ。疑蓋無雑!!とか。
まあ…。つまり。いいんじゃない。ほっとけば。
415 :
名無しさん@1周年:02/08/18 00:20
>>412 因果応報っていうのは局所的な現象だろ?
>> 414
念仏唱えただけで救われると言うのは真宗じゃないですね。
417 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/18 00:28
418 :
名無しさん@1周年:02/08/18 06:28
419 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/18 07:50
420 :
名無しさん@1周年:02/08/18 09:37
421 :
名無しさん@1周年:02/08/18 10:26
仏教:
無・空が最終目標であり救済。
日本仏教:
極楽に行くのが最終目標であり救済。
>>1 はどっちの救済が欲しいのか?
仏教の救済が欲しい場合は、苦しみの心的な因果律をたどり、
その根源を取り除きなさい。
(必ず取り除けるとは限らないが。)
日本仏教の救済が欲しい場合は、念仏でも唱えていなさい。
みなさんどうも。
>>328 ニセ物です。でもかわりにカキコありがとうございます。
僕が仏教徒だったらそのようなカキコをしたでしょう。
>という心からのお礼が言えるのなら救われるという意味だと思われ。
ん〜、たしかに個人の人間から見たらその結論になりますけど、仏教とゆう宗教から見たら
救いを求めてる人と、求めてない人と、仏教と違ったものを信仰している人がいるわけですよね。
救いを求めていない人を救うとゆうのは、はっきりいって押し売りですが、
そういった体質の救いもあると思います。
このスレではそういった仏教の体質を皆さんにご講義してもらっています。
>>333 >ってのは三宝に帰依してるのが前提ってことですか?って意味なん?
とりあえず仏教を信心している、と、捉えてください。
>>323 >抽象論議には何ら学術性も何もないだろう
仏教を学問として取り扱っている人(宗教学者)とゆうのは、「けして信心している人
いる」とゆうわけではないのでは?
(そもそも信心ていたら、疑問など持たないはずです)
>>384 >そんな質問してるうちは、幸せじゃ。
そうですね。
>>382 >そういうことでいいかな?。
だめです。
>>421 >はどっちの救済が欲しいのか?
ごめんなさい、、ぶっちゃけ、無神論者です。いまのとこ。
真宗では、煩悩を断つことはできないと考えます。
問題にするのは「後生暗い心」のみで、
煩悩は許されていると考えます
(とはいえ地獄行きの種であることには
違いありません)。
この「後生暗い心」が解決された境地を
不断煩悩得涅槃
と言っております。また、念仏はこの境地に
出して頂いた事の御恩報謝です。
(自力でこの境地に出れるわけではありません)
425 :
名無しさん@1周年:02/08/18 14:06
>424
低いぞお
是非とも時宗に改宗なされよ。
426 :
名無しさん@1周年:02/08/18 15:05
仏教の歴史は仏教が仏教でなくなる歴史だと公言する仏教学者もいますが、
その一つの理由はお釈迦様が否定したはずの過度な神秘主義や、
積極的に言及されなかった形而上のことなど非仏教的なことが
教義に編入されたことです。このことをあやふやにしたからこそ、
インドの仏教は滅んだのかも知れません。
427 :
名無しさん@1周年:02/08/18 15:12
日本仏教のだったら、まだジャイナ教の方が仏教に近いぞ。
この板の人たちは偉そうなこというわりには、言動に重みも謙虚さもないね。
自分のきにいらないことを言う人には、悪辣な罵倒を食らわせるだけだし、
そんなこっちゃ自分達の信仰対象を卑下するだけだということがわからないのかしらん?
私は株板住人だがここの板の人たちをみてごらん罵倒されても罵倒している方が
恥ずかしくなってしまうような高い精神性をもってるよ↓
http://money.2ch.net/test/read.cgi/stock/1029484092/ 内容の1部をコピペ
172 : :02/08/16 23:51
こんにちは、(^−^) (25歳、無職独身)です。。。
この年まで定職もなく、たまに見るテレビだけを楽しみに細々と生きてきました。。。
でもそんな私にも、やっと生きがいができたのです。 それが、たまたまテレビで見かけたゆっこです。
その日から私の人生はバラ色に変わりました。。。
彼女と結婚する日を夢見て、現場でアルバイトも始めました。しかしなんですかこのスレは!
みんなでゆっこをオカズに薄汚い性欲を垂れ流して! 私だけのゆっこになんてことをするんですか!
許しません! 決して、許せません!! こんなスレは即刻打ち切るべきです。
終了です!!!!!
173 : :02/08/16 23:51
>>172 大昔にもこれと同文のカキコがあったな・・・W
174 : :02/08/16 23:52
>>172 ここのスレの住民は荒らし人間にもハァハァするから
気をつけたほうがいいよ。
175 : :02/08/16 23:52
>>172 君も一緒にハァハァしよう。
みんなで広げよう変態の輪。
176 : :02/08/16 23:53
>>172 25歳、無職独身・・・、ハァハァ
私は時々神経性の発作で心臓がドキドキして寝込むことがあります。
そういう時、心の中で我知らずお念仏を唱えていることがあります。
別に弥陀の本願を信じているわけではなく、極楽往生を願っているわけでもないのですが、
こういう念仏はどう考えたらいいのでしょう。
私は「頭」では大乗非仏説に近く原始仏教に心を寄せています。
浄土真宗の立場では私のようなものは死語どうなると考えるのでしょうか。
また、この念仏は「阿弥陀仏」の働きによって行われていると考えるのでしょうか。
渡海さん、NBさん、あるいは他の方でも、同じような質問で恐縮ですがお願いします。
真宗では、煩悩を断ち切る力も無い凡夫は生前の
酬いによって、因果応報によって地獄におちるしか
ないと考えます。それを阿弥陀仏の本眼力で
浄土に往生させていただくというのが浄土真宗の
骨格になります。この浄土往生は自分の力でできるものでは
ありません。「阿弥陀仏まかせ」と思う心も
結局は自力です。
たまたま行信を得ば、遠く宿縁を喜べ
と聖人がおっしゃるように、全ては阿弥陀仏の
おはからいです。そして行信を得た人と言うのは
2種深信の境地にでます。すなわち、自分は
地獄しか行き場がなかったと深く信じると同時に、
阿弥陀仏の本願が自分のために立てられ、後生は
浄土行きであると深く信じることになります。
この境地を真宗では平成業成と呼んでいます。
行(念仏)と信は我々外部の人間から見ると別のもののように思うのですが?
>>429 貴方が、思ってる通り、なんとなく唱えただけで
気にするほどのことではないです。
しいて言えば、羊を数えるのと同じです。
落ち着くため、恐怖に打ち勝つために
念仏を唱えると言った、イメージを持つ人が多いだけです。
信心正因 念仏報恩
というのが真宗です。信心を阿弥陀仏からいただくので
御恩報謝の念仏がでると考えます。
信心に喜び心も阿弥陀仏に守られている実感もくっついてきます。
全てがもらいもので、何か感謝をしたいと思うでしょう。
その感謝の仕方も用意されているわけです。すなわちそれが
念仏です。南無阿弥陀仏。
>>433 信を背景にした念仏しか意味はないということですか?
435 :
名無しさん@1周年:02/08/18 17:09
>433
黙らっしゃい!
血統法統に縛られた真宗が何をほざくかっ!
他力を極めれば感謝の言葉を口にするのは誰であるかっ!
愚かしいにも程がある。
436 :
名無しさん@1周年:02/08/18 17:26
>> 434
無意味とは言いません。しかし、真宗でのお救いというのを
考えた場合は、「信」をいただかなければならないということです。
浄土宗では念仏だけの1行で救われようとするわけですから、
もちろん無意味ではありません。
>> 435
他力を「極める」と言った時点でそれはただの自力でしょ?
わたしは阿弥陀様もきちんと信じることのできない、どこか
疑ってしまう凡夫ですが、こんなわたしでもOKですか?
感謝なんて信じれないので感じることできません。
信心がなければ駄目なんですか?センダイ扱いですか?
大体心の底から信じることなんて出来ません。
そういう中途半端なものも信心と呼ぶのですか?
>>437 ナイスな質問かもしれません。僕も同じ疑問を持ちます。
>>437の意思を尊重してsage
無量寿経にも書いてありますように、この信心をいただくのは
難中の難、とんでもなく難しい事です。極難信の法です。
ところが阿弥陀仏の光明は、すべての人に注がれていると考えます。
蓮如上人が
まことに宿善まかせ
と仰るように、自分の力で信じようとか、いただこうとしても
得られる信ではありませんが、それでも力一杯求めれば
必ず開ける境地であると思って求道するわけです。
中途半端なものは真宗では他力の信心とは申しませんが、
求めれば必ず聞き開ける、そのような仕組みが出来上がった
法であるわけです。
行は易しくとも信は難しいというわけか。難中之難無過斯。
441 :
名無しさん@一周年:02/08/18 18:38
>>439 どうも381さんは、レス内容見ると真宗といってもオーソドックスじゃなくて
この板でもカルトとして結構有名なところと縁あったようですが、
>>410読むと
昔の事とありますね。それにしては、特殊な用語をかなり覚えていたり粘着に論議
するとこみると今も関わってるのかな? まさかかのカルトがよくやる一般人や
脱会者へのなりすましじゃないじゃないでしょうね? ちとウザ過ぎ。本物の脱会者とは思えん。
>> 441
縁があったのは、そう、そのカルトです。
ただ、今はあらゆる宗教団体とは無縁で、単に真宗について
学んでいるだけです。
で、お聞きしたいのですが、オーソドックスってどういった
教えなのでしょうか?
443 :
名無しさん@一周年:02/08/18 18:54
>>442 441です。失礼お詫びします。
自分で勉強すべきですよ。本だって仏書専門店にネットで注文できるし。
歴史や色々な説や真宗以外の仏教や宗教も広く勉強すれば自ずと
カルトに単一的な刷り込みされてる偏狭な世界でないひろがりが
見えてきますよ。私もそのカルトにいました。
ははは、心乱壊だらけだ。
445 :
名無しさん@1周年:02/08/18 19:01
んんん〜?なかなかジャンヌしとるやなかと(和良
>> 443
そうでしたか、過去には互いに縁があったのですね。
ええ、別に真宗だけを学んでいるわけでもないです。
他の宗教、キリスト教やまた非宗教的な生き方を提示する
哲学啓蒙書もよくよみます。
そこで、真宗をあらためてみなおすと、結構スルドイこと
を言っているなって、最近思い直したんですよ。
S会辞めてからはバカにしてましたからね、真宗を。
S会は、教団と活動がカスでしたが、教義はまぁ
8割ていどは合っているんじゃないかな、そんな感じです。
447 :
名無しさん@一周年:02/08/18 19:08
>>446 >8割ていどは合っているんじゃないかな、そんな感じです。
T森の話や著述は他師のパクリが多いからね。
ん?喪家学会だったのか?
主に売春婦を優遇します
>>447 そう、それをひた隠しに隠すってのはね、本当に宗教人なんだか。。
>>448 あっ、ではなくってね、真宗のカルトでっす。
まじモードに戻って・・、その間違っている2割というのは決定的なところはどんなところですか?
>> 451
ずばり!善の勧め、というか、あの宿善を積むための活動ってのは
真宗じゃない。そんなことは教行信証よんでも出てこないよ。
わ、明快。本物の脱会者みたい。
ソープ嬢を優先的に救います
>> 453
「みたい」だけ余計よー
>>381 在会されていたときにその点について疑問は持たれませんでした?「歎異抄」と矛盾することは一目瞭然だと思うのですが?
>> 456
あの会では、自分で教義を勉強することを禁止してるんだね。
間違って理解したら大変だからという理屈だ。
で、善についてはね、善をすることで善をしきれない自分を
知らされるんだという説明で納得させられたね。
まぁ、入会したのも自業自得、自分の責任だ。
ずいぶん、悩まれたでしょうね。信心決定はできましたか?
459 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 19:42
>>414 >三心即一心!とか言ってみる。信楽だ。信楽。なんまんだ。疑蓋無雑!!とか。
どこまで分かって言ってるのか。意味も分からずに言ってるんだろう、多分。
布教使ともなると、分かって言ってるんだろうと他人に誤解されるのが関の山(笑)。
>> 414
>念仏唱えただけで救われると言うのは真宗じゃないですね。
本願を信じ念仏申さば仏になる。その外何の学問かは往生の要なるべきや(歎異抄)。
>>417 :NB
>別物ですね。まったくの。 ??
>>419 :NB ◆Zut9KezY
>他力のお念仏。 <知ってるならもう少し親切に教えてあげたらどう?。>
>>420 <三心のひとつがお念仏だとおもてたよ。>
ほらほら。こう誤解しているひとがいる。NBさん。あんたは布教使だろ。
>>421 >無・空が最終目標であり救済。
「無・空」ってどういう風に最終目標になるの?。どういうふうに救済になるの?。
>日本仏教の救済が欲しい場合は、念仏でも唱えていなさい。
日本仏教の講釈は、あんたには50年早すぎるようだな。
460 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 19:43
>>422 >そもそも信心ていたら、疑問など持たないはずです
信心してなければ、疑問だって出ない。疑問が出るというのは、信じてる証拠だ。信心のない疑問は一時の気の迷いだ。妄想だ。
>>424 :381
>真宗では、煩悩を断つことはできないと考えます。
煩悩を断つことなんかは簡単さ。煩悩を断つことは不可能だ。両方正しそうだけど、煩悩とは何かが381さんに分かってるとは思えない。
>問題にするのは「後生暗い心」のみで、 <誰が問題にするのかな?>
>煩悩は許されていると考えます
<煩悩が許されるとか許されないってどういうこと?。>
>地獄行きの種であることには違いありません <どうして?。>
>この「後生暗い心」が解決された境地を不断煩悩得涅槃と言っております。 <信じられん(笑)>
>念仏はこの境地に出して頂いた事の御恩報謝です。
<何か自分が尊い御境地でも得たようなお気持ちですか?。気の迷いだろうに(笑)。>
>自力でこの境地に出れるわけではありません
<ご立派な御境地にお入りになったのか、気の迷いか(笑)。>
>> 458
お察しのとおり、獲信には至っていません。
が、聖典などを読みますと、信をとれ、信をとれの
大合唱、そのような境地はあるものと思っています。
462 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 19:45
>>429 >こういう念仏はどう考えたらいいのでしょう。
心臓ドキドキ念仏。まあ、惰性念仏の一種でしょう。どなたか貴方の回りに仏法の御縁の深い方がいらっしゃるのでしょう。その方から受け継いだ惰性念仏の一種でしょう。
>「頭」では大乗非仏説に近く原始仏教に心を寄せています。
頭では寄せてるんなら、心を寄せてるんではないでしょう。頭で寄せてるんであって、心はよそに寄っているんでしょう。
>浄土真宗の立場では私のようなものは死語どうなると考えるのでしょうか。
息が止まって、心臓も動かなくなります。多分火葬場で焼くことになるんでしょう。
>この念仏は「阿弥陀仏」の働きによって行われていると考えるのでしょうか。
あなたの自分の働きで行っているんでしょう。マリオネットじゃないんでしょ。
463 :
モnハCチ@モ?チ@ ◆0AE5SZ4. :02/08/18 19:46
>>430 >因果応報によって地獄におちるしかないと考えます。
そんなこたぁーないだろうよ。因が違えば果は変わる。生前の因は百人百様で、結果は一様に地獄行きというのは、因果の否定だ。
>それを阿弥陀仏の本眼力で浄土に往生させていただくというのが浄土真宗の骨格になります。
<ペテン師坊主の二枚舌だな。>
>全ては阿弥陀仏のおはからいです。 <呪文を発して催眠術でもかけてるつもりか?。>
>そして行信を得た人と言うのは2種深信の境地にでます。 <能書きばかりじゃ人は動かないよ。>
>自分は地獄しか行き場がなかったと深く信じると同時に、阿弥陀仏の本願が自分のために立てられ、後生は
浄土行きであると深く信じることになります。
<あんた一人が信じていれば十分でしょう。>
>>432 >羊を数えるのと同じです。 <面白い譬えだな。睡眠薬の一種だな(笑)。>
464 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 19:48
>>433 >信心を阿弥陀仏からいただくので御恩報謝の念仏がでると考えます。
<あんたひとりがそう考えてればいいんじゃないの?。>
>信心に喜び心も阿弥陀仏に守られている実感もくっついてきます。
<能書きじゃなく、自分が体験してから言いなさい。>
>全てがもらいもので、何か感謝をしたいと思うでしょう。 <そう思うのはあんた一人だけでしょう。>
>その感謝の仕方も用意されているわけです。 <幻想だな(笑)>
>すなわちそれが念仏です。 <妄想だな(笑)>
>>434 >信を背景にした念仏しか意味はないということですか? そんなこたぁ無いだろう。
>>435 <また変人が登場したな(笑)。>
465 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 19:52
>>436 >浄土宗では念仏だけの1行で救われようとするわけですから、もちろん無意味ではありません。
こっちの水は甘いぞ。そっちの水は辛いぞ。ほーほー、ほたるこい(笑)
>>437 :名無しさん@1周年 :02/08/18 17:43
>阿弥陀様もきちんと信じることのできない、どこか疑ってしまう凡夫ですが、こんなわたしでもOKですか?
それならそういう自分を引きずるしかない道はないだろう。疑わないでも済む道がどっかにあるのか?無いんだろう。じゃ疑えばいいじゃないか。
>そういう中途半端なものも信心と呼ぶのですか?
<そんな馬鹿な。もっとも、ま、そうかも知れないな(笑)。>
>>439 >中途半端なものは真宗では他力の信心とは申しませんが、求めれば必ず聞き開ける、そのような仕組みが出来上がった法であるわけです。
それであなたは信心が得られたのでしょうか?
<No463は、名前欄で文字化けがおきたようです。渡海 難のカキコです>
>> 460
<煩悩が許されるとか許されないってどういうこと?。>
真宗では煩悩を断つような修行はしません。
これは宗教ですので、真宗ではそう考えると言うだけのことです。
>地獄行きの種であることには違いありません <どうして?。>
これも真宗という宗教の考える事です。
何かの証拠があるとか、事実がある、根拠があると言うことでは
ありません。
因果の道理に従うと想定しているだけです。
>この「後生暗い心」が解決された境地を不断煩悩得涅槃と言っております。 <信じられん(笑)>
親鸞さんの言葉です。信じるかまたは信じないか、無視するか
笑うか、それは各人の自由です。
>念仏はこの境地に出して頂いた事の御恩報謝です。
<何か自分が尊い御境地でも得たようなお気持ちですか?。気の迷いだろうに(笑)。>
蓮如さんの言葉です。信じるかまたは信じないか、無視するか
笑うか、それは各人の自由です。
浄土系も日蓮系に負けず劣らず内部抗争がお好きなようですね。
468 :
名無しさん@1周年:02/08/18 20:26
そのうち日本の寺の住職はみんなロボットになるんじゃねーか?
ロボットには煩悩はないからその方がいいかも知れない。
471 :
名無しさん@1周年:02/08/18 20:46
>>470 頭の中は、究極の「無」だしな。<ロボット
472 :
名無しさん@1周年:02/08/18 20:46
>467
分派がある時点で間違いだろ
ロボット宗旗揚げしようか?(ワラ)
煩悩もないけど「無明」だ。
もっとも生身の坊主は煩悩があってなおかつ無明だからロボットの勝ち!
475 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 21:11
>>466 >真宗では煩悩を断つような修行はしません。 <ウム。なるほど>
>真宗ではそう考えると言うだけのことです。
許されるとか許されないという考えをとるということでしょうか?。貴方の真宗と僕の真宗と、世の中には二つの真宗があるようだな。
>真宗という宗教の考える事です。 因が違ってもみな同一の果を得る?。因果否定の邪教だな(笑)
>因果の道理に従うと想定しているだけです。
因果否定の因果に従うと想定しているんだな。理屈の合わない因果の道理だな(笑)
>親鸞さんの言葉です。
不断煩悩得涅槃は親鸞の言葉だ。「『後生暗い心』が解決された境地を言う」というのは偽親鸞のこじつけだな(笑)。
>笑うか、それは各人の自由です。 うんうん。大いに笑うよ。
>蓮如さんの言葉です。信じるかまたは信じないか、無視するか笑うか、それは各人の自由です。
御恩報謝という四字熟語が覚えて貰えて蓮如さんも口を歪めてさぞお喜びじゃろう。
ところでこの境地とはどの境地?。「後生暗い心」が解決された?。「後生暗い心」がどのように解決されましたかな?。解決される前と解決された後と、あなたの場合は何がどのように変わりましたかな?。
>>469 >そのうち日本の寺の住職はみんなロボットになるんじゃねーか?
<はて?。日本中の住職などは、とっくの昔から心を忘れた念仏ロボットじゃなかったかな?。>
ははは、生身のロボットか。
477 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/18 21:17
>>461 >信をとれ、信をとれの大合唱、そのような境地はあるものと思っています。
<信を取れと言ってるその相手の心読み違えがあるんだろう。>
どうでもいいのですが、最後に(笑)をわざわざつけて
下さるのは、心の底から私をあざけたいという現れでしょうか?
>真宗ではそう考えると言うだけのことです。
許されるとか許されないという考えをとるということでしょうか?。貴方の真宗と僕の真宗と、世の中には二つの真宗があるようだな。
もっと多くの解釈があるでしょう。
>真宗という宗教の考える事です。 因が違ってもみな同一の果を得る?。因果否定の邪教だな(笑)
一体いつどこでそのように私が書きましたか?因が違っても
同一の結果を得ると言う事ですよね?どこかで私が
そのように主張しましたか?
>因果の道理に従うと想定しているだけです。
因果否定の因果に従うと想定しているんだな。理屈の合わない因果の道理だな(笑)
意味不明
>親鸞さんの言葉です。
不断煩悩得涅槃は親鸞の言葉だ。「『後生暗い心』が解決された境地を言う」というのは偽親鸞のこじつけだな(笑)。
それは一つの解釈でしょう。ではこれ以外に無いと言う
明確に証明できる解釈はあるのでしょうか?
笑うくらいだからそれくらい用意してあるのでしょう。
> 御恩報謝という四字熟語が覚えて貰えて蓮如さんも口を歪めてさぞお喜びじゃろう。
あなたは一体何様か知りませんが、異様なまでに傲慢さを感じます。
結論。
仏教は仏教徒じゃない人どころか仏教徒も救えない。悲しきかな愚禿鸞。
482 :
名無しさん@1周年:02/08/18 22:26
信徒以外も救われる宗教って薄気味悪い。信徒以外地獄行きの
方が分り易くてしっくりくる。
>>482 宗教というものが相対的なものならそうでしょう。
でも私が仮に唯一の絶対者だったらすべての衆生を救う原理で宇宙を構成するね。
日本の浄土信仰はそれに一番近いんだよ。
484 :
名無しさん@1周年:02/08/18 23:29
あげ
486 :
名無しさん@1周年:02/08/18 23:38
>>483 私はマンションに住んでいるんだけど、毎朝たくさんの
丸虫が迷いこんでいる。迷って迷ってコンクリートの廊下を一日中
歩いて二日目くらいに死ぬんだ。
「すべての衆生を救う原理で宇宙は構成」されていないと思うよ。
みんな野垂れ死にするんだよ。「唯一の絶対者」なんていないという事だね。
また、「唯一の絶対者」なんて仏教では認めてないよ。
>> 486
輪廻転生を考えるので、今生は空しく死んだとしても生前の
因によって来世が決まります。転生を繰り返し、人間として
うまれ、そして仏法に出会い、流転輪廻から解脱し仏となる。
このように考えることにより、全ての衆生の救済は成立します。
>>486 もし私が全知全能の神だったらという仮定の話で仏教とは直接関係ありません。
490 :
名無しさん@1周年:02/08/19 00:09
>> 490
浄土信仰に限らず、大乗仏教の基本的な考え方では
ないでしょうか。
492 :
名無しさん@1周年:02/08/19 00:14
>>491 前世の因縁によって、永遠に三悪趣(地獄、餓鬼、畜生界)から
抜け出せないと言う事は無いのですか?
>> 492
流転からなかなか抜け出れないということはあっても
決して抜け出れないと言う考え方ではないですからね。
494 :
名無しさん@1周年:02/08/19 00:24
>>493 法華経では人間界に生まれる事でさえ稀な事だから、
心して善行を積んで修行せよと書いているのではありませんか?
確か、亀が大海でふと首を上げたところ、なにかの木が流れていて
その穴にすっぽり首が入る確率とか?
人間界さえそんなに稀なのに、一体何回輪廻を繰り返せば、
涅槃界へ行けるのでしょうか?
天界でさへ有頂天で(天界だから天)
ぼんやり時を過ごしてしまって、次は三悪趣だといわれているのに。
>> 494
真宗も大体おなじではないでしょうか。人間に生まれでることは
非常に難しく、そのうえ仏法を聞くということは更に困難であると。
だから、一日も、片時も急いで信を取れと言われています。
493のように書くと、なんだかのんびりして暮らしていれば
そのうち仏になるような書き方になっちゃいましたね。
496 :
名無しさん@1周年:02/08/19 01:21
>>495 「信を取る」=仏陀に帰依する
ということでしたら、普通は、仏、法、僧への帰依は、仏門への
入門に過ぎないとされていますが。
(書きっぱなしですみません。寝ますね)。 c u tomorrow.
仏教というと、「ムトゥー踊るマハラジャ」のイメージしかありません。
498 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/19 02:45
>>420 うん。それもありだよ。たぶん、知ってて言ってると思うんだけど。
ただ、何したってやっぱ信楽がすわりだから、やっぱ一心は他力の
お念仏と。どうよ?(w
>>429 おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号(名号)をもつておのれが
善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了らず。
@『教行信証』
まあ、いやな言い方でスマソなんですけど、「原始仏教」で「死」が
払いのけられてないから念仏がでてくるんじゃないでしょうか。
禅的にいえば「不落因果」の呪文みたいな感じで念仏をとらえてらっしゃる。
で、一方「原始仏教」は「不昧因果」で見ようとなさる。たぶん、そんな
ふうにお考えじゃないですか。
もし、ぼくの予想が正しいならば、あなたが「不昧因果」の無上の方便
と疑わない「原始仏教」とやらも、もしかしたら「不落因果」の呪文の
ように、心のどっかで捉えてらっしゃるのかもしれないですね。
違ったら、スマソです。でも、どうでしょうか?
お念仏こそは、凡夫の「不昧因果」無上最勝の善巧方便だと思いますよ。
まああ、しかし、381さんがいらっしゃるんで、
疲れがふっとぶ思いしますねえ。
なんと、うれしい。なんまんだ。
信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。この願を心得るというは、
南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり。
南無阿弥陀仏のすがた。381さん。一体どんなお姿だと思われます?
「三心即一心」がどうとか…。とかそんなんじゃなくって(w
いえ、あの、8割が正しいとか、どうとか「信心」にゃ関係ないと思う
んですよ。と、言いたいだけなんですけど…。
またよろしく、お願い申し上げます。いろいろお聞かせください。
499 :
名無しさん@1周年:02/08/19 03:01
ねはん界はすぐそこ。いつでも行けるよ。
正確にはもう既にいる。認識するだけ。
でもあれを認識するのってどう説明したらいいんだろ?
まぁ、自分で考えて。
500 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/19 03:06
法敬坊、蓮如上人へ申され候ふ。(書き)あそばされ候ふ(六字の)御名号
(火事で)焼けまうし候ふが、六体の仏になりまうし候ふ、不思議なること
と申され候へば、
前々住上人(蓮如)そのとき仰せられ候ふ。それは不思議にてもなきなり。
仏の仏に御成り候ふは不思議にてもなく候ふ。悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて
仏に成るこそ不思議よと仰せられ候ふなり。
大乗仏典も、こんなふうに読みたいですね。(カッコ内はNB註)
>>498 >、「原始仏教」で「死」が
払いのけられてないから念仏がでてくるんじゃないでしょうか。
なるほどそうかも知れません。
ところで「不落因果」「不昧因果」というのはどういう意味でしょう?基本的な質問ですみません。
502 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/19 03:10
おお、起きてらっしゃいましたか。
「不落因果」→仏教は因果に落ちない方法を説く。
「不昧因果」→仏教は因果をくらまさない方法を説く。
まあ、そんな感じでしょうか。
因果に落ちる、くらますというのは?
504 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/19 03:16
はあ、たぶん、検索かけたら出てくると思いますよ。
いわゆる野狐禅。
なんか、投げやりに見えたらすいません。決してそんなつもりじゃない
ことだけはわかってくださいな。
ふうむ。じゃあ、今日は寝ます。おやすみなさい。
サーチエンジンで「不落因果」を検索したところ心理学者の恩田彰氏が面白
い文章を書かれていたので長くなりますが紹介します。
以下引用
ジェフ・シヨワさんの「禅における自己のあり方:ユングと久松との問答を
解く」の発表では、1958年に久松真一がユングと対談されたことが取り上げ
られたが、今度の会議ではこれが最後まで問題になった。すなわち久松真一
の解く禅とユングの分析心理学とでは、苦からの解脱の方法は全くちがうと
いうことだ。久松は、苦というものはない。従って苦から解放されることも
ない。これをはっきり悟る(気づく)事が大切だと言っている。苦がないと
気づけば、苦しみが消失するか、少なくとも軽減するということだ。その点
「一切皆空」を悟ることだ。これに対してユングは「集合的無意識」から生
ずる苦からの解放を含めて、分析によって苦の生起の因果律を解明すること
で苦からの解放を意図している。このユングのやり方は、禅のような大乗仏
教の知恵と行法よりも、釈尊の解かれた初期仏教、現在では上座仏教のヴイ
パサナー(Vipassana)瞑想法に近い。ヴイパサナー瞑想法は、瞬間瞬間に生
じている現象に注意を集中して、それに気づき、それをコトバなどで確認し
ていくやり方である。すなわち現象が発生し、消滅していく事実をあるがま
まに気づくことを如実知見というが、これによって一切のものが種々の因
(原因)と縁(条件)によって生ずるという関係である縁起をつかむことで、
苦から解脱できるということに対応していると思う。無門関の「達磨安心」
では、後の二祖慧可大師といわれた神光が達磨大師に「私はまだどうにも安
心できません。どうか安心できるようにご指導ください」と。達磨いわく
「それならその不安の心を持って来い。そうすれば安心させてやろう」。神
光は一生けん命に不安の心を探したが、見つからなかったので、不安の心と
いうものは、どこにも無かった事に気づいたのだ。そこで神光は「不安の心
はどこにもありませんでした」と。達磨いわく「そうか、それがわかったら、
安心ではないか」と。これは不安とか苦しみとかは、本来ないものだと悟っ
たということだ。そうすればおのずと不安や苦しみは消失する、少なくとも
軽減するといういうことだ。
つづき
これに対して初期仏教や上座仏教の立場から、十二因縁について、その一部
ではあるが、その重要な点について、いかに苦から解脱するかを考察してみ
る。
ここに識すなわち「痛い」という知覚が生じたとする。しかしこの段階まで
はまだ苦は生じていない。次の段階での受(感受)で、これを楽と受け取る
か、苦と受けとるか、苦でもなく楽でもないと受けとるかである。ここで苦
と受けとらなければ、苦から解放されることになる。次に愛(渇愛)の段階
では、苦しみを嫌い、楽を好むという選択であり、これを嫌うことを選択し
なければ、苦から解放される。ところが取(執着)の段階で、嫌いなものを
あくまでも避けようと思ったり、また好きな物をあくまでも持ち続けようと
思ったりして、その執着のために苦しむ。この執着に気づき、執着しなけれ
ば苦から解放される。ところが一般に識・受・愛・取とそれぞれ切断されて
関係ないのに、これを関係づけて苦しみを自らつくっているのである。この
因果関係を悟ることこそ苦から解脱できる方法であることを釈尊は説いてい
る。これは西欧の心理療法のやり方に符合するものがあると思う。
また無門関に「百丈野狐」の公案があるが、ある禅の指導者がある修行者か
ら「大悟徹底した人は、因果の法則に支配されますか、それとも支配されま
せんか」と聞かれ「不落因果」すなわち因果の法則に支配されないと答えた。
そのため五百回も野狐に生まれかわり、野狐になっているという。その後野
狐になっている老人が百丈に同じ質問をした。すると百丈は「不昧因果」す
なわち因果の法則は、これを昧ますことはできないと答えた。するとこの老
人が大悟して野狐を脱することができたという話だ。この場合、不落因果と
不昧因果は、真如という真の事実の二面性を示しているが、本来一つのもの
だ。この両面が一つであるという事実をつかむことが悟りである。この場合
不落因果は空を示し、不昧因果は縁起を示している。
つづき
この点からすると、久松は空を悟れば「不落因果」すなわち苦から解脱でき
ると説き、ユングは縁起(因果律)をはっきりつかめば、「不昧因果」すな
わち苦から解脱できると説いているように見える。しかし久松は空を説きな
がら、その裏に縁起が働いていることをはっきりつかんでいると推察する。
またユングは空をまた空と縁起との関係をどの程度までつかんでいるか私に
はわからない。
しかしながら縁起の気づきによる苦からの解脱を釈尊は説いており、ユング
はこの縁起の法則をより具体的に明確に示していると思う。その点久松とユ
ングとの問答は、この二人の偉人が苦の解脱の方法について、また空と縁起
の関係について、大事な接点について論じられ、今日の私たちの集いの重要
な契機となり、今回の討議に発展したものと思われる。もう一度整理すると、
苦から解脱する方法に大別して二つの方法がある。一つは、苦はどこにもな
いと「一切皆空」という空の事実をはっきりと気づけば、苦は消失するか軽
減するということだ。このやり方は私たち日本人が護持し発展させてきた大
乗仏教といわれる北伝の仏教であり、禅がそれである。これに対して「一切
皆苦」と知り、苦はどのような因縁によって生ずるか、したがってどのよう
に消滅するかという縁起をはっきりつかむことで苦から解放されることを釈
尊が説き、初期仏教今日では上座仏教が説いている。西欧で発達した精神分
析、分析心理学その他の心理療法の多くは、禅よりもヴイパサナーのやり方
に近い。このさい禅の場合、数息観や公案の拈提のようなサマタ(Samatha,
一つの対象に注意を集中する方法)の方法をとるので、只管打坐は除かれ
る。というのは只管打坐は、ヴイパサナーのやり方に近いからである。
渡海にマジレス、カコワルイ
511 :
名無しさん@1周年:02/08/19 06:15
>>506 あなたに文句を言っても仕方が無いのだが、私は禅の方法論が初期仏教のそれと
矛盾していないように思うのだが。
このヒトの文言をまとめてしまえば、禅は空を悟り、初期仏教は縁起を悟る
ことによって苦を滅するということになる。
しかし空は縁起を発展させた考え方なのだから、空を捉えることはすでに縁起を
捉えていることに他ならない。
禅で初期仏教でも苦の原因はダイナミックなものだし、苦からの開放はそのダイナミックさ
を悟ることだ。
苦の根源を見つめることはこの作業の中に当然含まれるが、それだけを理解したから
といって苦から開放されるわけではない。(と思う)
また、禅は止観の両要素を含んでいる。
禅の瞑想法を上座部と対比するのは、だからちょっと変だな。
512 :
名無しさん@1周年:02/08/19 13:06
ま、仏教を正しく理解しないと神秘主義になってしまう。
仏教は宗教よりも哲学だからな。
513 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/19 13:10
うううむ。もっとシンプルに捉えてくださりゃいいと思ったんですけど。。。
>「不落因果」すなわち因果の法則に支配されないと答えた。
>そのため五百回も野狐に生まれかわり
が、なぜそうなるはめになったかについては49さんはどうお考えで?
>>511 同意。
まあ、魔物の本当の名前を知れば、その魔物を退散させることができる。
なんて、そんな信仰は洋の東西を問わず、あるようで。
はたしてそれは仏教だろうか。
あるいは、無自覚にそのような信仰のパラダイムで仏教を解釈
しているようなことはないだろうか。
と、言ってみるテスト。
まあ、49さん。
「不落因果」→外道。
「不昧因果」→仏教。
って、ことにしといてください。ここの文脈では。
514 :
名無しさん@1周年:02/08/19 16:11
49さん。なるほど、勉強になりました。私の感想では初期仏教の仏陀が苦の
滅する方法について原因を上記のように徹底追求し、その原因となるものを
最初から切り捨てるように思えました。それは精神的にもかなりのものを
要求されると思います。日本の仏教は原因を追求して自覚するだけで救済に
まで至るかどうかの疑問があって対処方法が違ってくるんでしょうね。
やはり日本仏教となりますと大衆もまた救済されなければならないからです。
禅の場合は「苦」になりきることで「苦」から解放される方法でしょう。
要するに抵抗しないことでしょうね。こういう方法を見てますと一見自力を
説くようで他力ですね。でも自力も他力も同じなのではないかと段々思う
ようになってきました。
515 :
名無しさん@1周年:02/08/19 16:56
>514
自力で他力に近づける唯一のこととは、「自己」を滅することだけなのでは。
真っ赤に焼いた鉄棒を握って「熱い、苦しい」とうなっている人が、手を離すこと
で「苦」は去る。手にも、鉄棒にも「苦」は存在しない。「苦」を作り出し、それ
に苦しむのは「自己」です。「自己」を捨てれば他力にはなるが、捨てるときは
百パーセント自由意志でなければならない。「自己」かわいさに念仏しても、賽の
河原に石を積むように、ますます地獄必定が明らかになるだけ。
自力なくして他力はなく、他力のない自力では救われない。
ぼくもユングの心理学による苦の開放の考えと座禅による苦の開放とは同一
ではないか、と考えています。
ユングはいわゆるトランス状態に自分を持っていくことでの苦への開放を考えたと
、僕は思っているのですが、座禅もトランス状態に持っていくことだと僕は思っています。
しかし、禅宗は座禅だけではなく、料理や掃除も修行なのですから、その点
においてはユングのそれとは、ちがうのではないか?と思ってます。
でも、そこが禅宗の大乗仏教的なとこだとも、思っているのですが。
いかがでしょうか?
517 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 18:08
>>479 >心の底から私をあざけたいという現れでしょうか?
<貴方の僻(ひが)みでしょう。こちらは楽しんでます。>
>もっと多くの解釈があるでしょう。
「許されるとか許されないという考えをとる」真宗と、「『許される・許されない』という考えは取らない」真宗の二つでしょう。取るか取らないか、2つにひとつ。中間は多分ないでしょう。
518 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 18:10
>どこかで私がそのように主張しましたか?
>>430「真宗では、煩悩を断ち切る力も無い凡夫は生前の酬いによって、因果応報によって地獄におちるしかないと考えます」。貴方のここを捉えました。
死は生の結果としてあると私は考えます。生の無い死はなく、死の無い生はない。死は、それぞれの人の生き方を映し出してくれる鏡だ。自らの死を通じて、先人は自らの生き様を示し、それぞれがそれぞれ多様に語りかけてきてくれる。
死者は僕らに多くのことを教えてくれる。我々は過去のこうした先人から多くのことを学ぶ。
現代でもすばらしい生き方をしようとご苦労されているかたは数多い。みんな真剣に生きておられる。努力の結果、陰に日向に素晴らしい生き方を実現しているかたは多い。ご本人の期待に反して恵まれなくても、努力の姿には学ぶべき事が多い。
「すべて因果応報によって地獄におちるしかない」などということはない。「地獄におちるしかない」などと、一律の果を考えるなど、貴方はオツムの神経が動脈硬化を起こしているとしか思えない。笑止の限りだ。
多くの方々がしばしば素晴らしい生き様を見せ、亡き後も今なお我々に多くの教訓を示してくれている。
多くの企業は存亡の危機に遭うと、亡き創業者の原点にもどる。亡き創業者は、しばしば多くの教訓を後継者に教える。創業者といえども煩悩を断ち切ることはできなかったろう。
それでも因果応報によって地獄におちたなどと言う阿呆はあんたくらいじゃろ(笑)。
>意味不明
「多様な人生を歩んだ方が、一律に地獄におちる」などと、理屈に合わない理屈を貴方が因果の道理と思っているということはおかしいことだと申し上げているんです。
>明確に証明できる解釈はあるのでしょうか?
不断煩悩得涅槃とは、『心』が解決されなくても念仏すれば往生するということでしょう。そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。
519 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 18:12
>>480 >異様なまでに傲慢さを感じます。
解決される前と解決された後の違いを応えられず言葉に窮した僻みでしょう。
>>481 :49
>仏教は仏教徒じゃない人どころか仏教徒も救えない。悲しきかな愚禿鸞。
釈迦は自分(釈迦)を先生と呼ばせた。自分を「先生」と言ってくる人に、全力で真実を伝えようとしていたでしょう。自分(釈迦)をアホタレ・バカタレ扱いする人まで、余計なお世話を焼こうとされていたかどうかは疑わしい。
先生という存在のあることを知らない人には、先生という存在があることを教え(助走段階)、先生という存在を認識した者に全力を傾けたでしょう。
ものごとには時期というものもある。受け入れ準備は整っても、先生という存在のあることが分かりきれない者には、さじを投げることもあったでしょう。
外道の教祖のイメージで釈迦・親鸞の名をよぶ奴は、仏教徒でも救えない。
>>487 >輪廻転生を考えるので、今生は空しく死んだとしても生前の因によって来世が決まります。転生を繰り返し、人間としてうまれ、そして仏法に出会い、流転輪廻から解脱し仏となる。
立証不能、立証不用のお伽噺なら何でも言える。まともに取り合う大人はいない(笑)。
520 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 18:13
>>510 >渡海にマジレス、カコワルイ
僕のようなモノ知らずにも質問してくるというのは、心底から仏法に対して真剣なんですよ。
あんたのようなチャランポランには想像もつかないことでしょう。
521 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 18:28
>>514 >自力も他力も同じなのではないかと段々思うようになってきました。
思うのは自由だけなんどけどーぅ。親鸞はくしゃみするだろうね〜ぇ。
戯論に興じることより、1時間でも2時間でも、座禅して念仏となえてみなさいよ。(苦笑)
522 :
名無しさん@1周年:02/08/19 18:36
自分を救うのは、あくまで自分だろ。
宗教は教室だろ。
言葉が足りなかったかな?
宗教は人の道を説く教室だろ。
524 :
名無しさん@1周年:02/08/19 18:40
仏教の第一命題
「人生は苦である」
では、どうぞ。
>>521 渡海さん、ガリラヤ地方の住民の勘違いに
ついてはどうなってるんですか?
526 :
名無しさん@1周年:02/08/19 18:41
>>514 どのくらい念仏に心をこめるかで違ってきますが(w
527 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 19:16
528 :
名無しさん@1周年:02/08/19 19:24
>>521 親鸞はくしゃみはしないだろうと思います。念仏を唱えるとどんな
答えがでてくるんでしょうね。評価は必要ありません。
529 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/19 19:40
>>522 >自分を救うのは、あくまで自分だろ。宗教は教室だろ。
救うという言葉の概念が問題になるな。
蓮如は「助け」という言葉を使っている。仏教の基本概念に照らせばこの方が多分適切だろう。
>>528 >親鸞はくしゃみはしないだろうと思います。 <ウンウン。>
>念仏を唱えるとどんな答えがでてくるんでしょうね。
<あっそうか。ポンと膝を叩きたくなったらお慰み。>
>評価は必要ありません。 <はいはい(苦笑)。>
渡海氏へ
<貴方の僻(ひが)みでしょう。こちらは楽しんでます。>
なんでしょうね、一応不愉快と書いておきます。
> 「許されるとか許されないという考えをとる」真宗と、「『許される>・許されない』という考えは取らない」真宗の二つでしょう。取るか取>らないか、2つにひとつ。中間は多分ないでしょう。
「煩悩は決して許されない。がしかし、本願力を考慮すれば
許されているわけであるので、許される、許されない
を考える事自体、その結果としてあまり意味が無いだろう」
と考えるのは?
>「真宗では、煩悩を断ち切る力も無い凡夫は生前の酬いによって、
>因果応報によって地獄におちるしかないと考えます」。貴方のここを捉>えました。
> 現代でもすばらしい生き方をしようとご苦労されているかたは数多い>。みんな真剣に生きておられる。努力の結果、陰に日向に素晴らしい生>き方を実現しているかたは多い。ご本人の期待に反して恵まれなくても>、努力の姿には学ぶべき事が多い。
とくに反論はありません。
> 「すべて因果応報によって地獄におちるしかない」などということは>ない。「地獄におちるしかない」などと、一律の果を考えるなど、貴方>はオツムの神経が動脈硬化を起こしているとしか思えない。笑止の限り>だ。
これがまさか、異なる因から1つの結果になるという
ことですか?
> 「すべて因果応報によって地獄におちるしかない」などということは>ない。「地獄におちるしかない」などと、一律の果を考えるなど、貴方>はオツムの神経が動脈硬化を起こしているとしか思えない。笑止の限り>だ。
これがまさか、異なる因から1つの結果になるという
ことですか?
> それでも因果応報によって地獄におちたなどと言う阿呆はあんたくら> いじゃろ(笑)。
先人の死を学ぶことができることが、なぜに、宗教的に地獄に落ちた
と考えることを不能にするのか全くわかりません。
ま、話をもどしまして、地獄行きということが複数の原因が
一つの果に至ると私が主張したということだったので、これを
反論します。地獄といっても、同じ世界で同じように
苦しむわけではありません。苦しみの世界と言うことで
地獄と表現しますが、ただそれだけのことです。一つの果
ではありません。以上。
> 「多様な人生を歩んだ方が、一律に地獄におちる」などと、理屈に合>わない理屈を貴方が因果の道理と思っているということはおかしいこと>だと申し上げているんです。
因果応報の考え方の一つととらえて下さい。
考え方の一つとも捉えられないようでしたら、理屈に合わない理屈というのでしたら、厳密に反論してください。決定的に
あやまっているという根拠、万人が何の疑い用も無く、
地球は丸いという認識と同レベルに説明
してください。
>明確に証明できる解釈はあるのでしょうか?
不断煩悩得涅槃とは、『心』が解決されなくても念仏すれば往生するということでしょう。そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。
「ことでしょう」?なんでしょうかそれは?
あなたは「偽親鸞のこじつけ」と表現したのですよ。
偽というからには真を知っているわけですよね。
つまり、
『心』が解決されなくても念仏すれば往生する
が真ですね?これが真親鸞。さて、その根拠は?
532 :
名無しさん@1周年:02/08/19 21:30
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
>> 498
仏様のお姿ですか、うーん、仏像をどうしてもイメージして
しまいますが、お名号の形だったりして??
いえ、私の知識なんて低レベルですので、もう売り切れ
状態でっす。m(..)m
南無阿弥陀仏のお姿ですよ。
阿弥陀仏のお姿じゃない(w
間違いの可能性を、それと自覚しつつも、それを恐れぬ心はすでに信心のなせる業だと
思うんです。ぼくだって、十分低レベルな知識しか持ち合わせておりませんけど、
愚か者になりて往生すとこそ承っていればこそ、こうして恥ずかしいカキコを連ねてます。
「人に負けて信をとるなり」なんて仰せもありますよね。
「正しい」信心を、我が心に作り上げようとする知識であるなら、そんなのクソッ喰らえ。
です。好きなものは、誰にも恐れず好きという。それに対してケチをつける人がいたとして、
それでも、好きな人にはケチのつけようがないもんです。いやあ、なんつうか。よーわからん
カキコですけど。こうして、お話しできてうれしくありがたく思うのも、弥陀のご恩でしょうね。
で、たぶん。あのひねくれ者の確信犯のお下品極まりない愚か者も、
そのへんはおんなじなんだと思うんですよ。 まあ、あくまでもたぶん。ですけど。。
>> 535
S会辞めてから2度と宗教には染まるまいと思っていましたが、
やはり諸行無常の辛さをかすかにでも感じますと、
宗教世界の力強さと言うのは、特に無常に向き合って生きようと
する場合には必要なんだろうなと思っています。
で、南無阿弥陀仏のお姿ですね(^^;。
これは阿弥陀様が私に向かって合掌してくださる姿だと
とある本で読みました。
罪悪、無常といいつつ、それを屁とも思わない、これこそが
無量寿経に描かれた泥凡夫であるかと、たまに読みますと
愕然としてしまいます。
538 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/19 22:33
なんまんだぶ。
無量寿経。あのお経は迫力ありますねえ。ほんと。
利剣即是弥陀号。です。
まあ、「阿弥陀様が私に向かって合掌してくださる姿」
だと一子地なんて表現もありますよね。
よくよく案ずるに、ひとえに親鸞一人がためなりけり。
>>527 読みました。
で、渡海さんは、仏教は菩薩となってこの世で
救済活動を目指すものと考えているのですか?
渡海さんの考える「救う」という概念がはっきり
わからないのですが。。。
540 :
名無しさん@1周年:02/08/20 00:35
真宗スレと化しています。
真宗スレ淋しいよ。
541 :
名無しさん@1周年:02/08/20 01:18
すいません。質問です。
念仏を心を込めて唱えると、どうして良いのですか?
救われた人が、有難さのあまり心を込めて念仏を唱えるのは
解りますが・・・。ちなみに浄土真宗の場合です。
544 :
名無しさん@1周年:02/08/20 01:32
南無阿弥陀仏
>542 543
変な質問でした?
でもなぜですか。もっと解りやすく教えてください。
546 :
名無しさん@1周年:02/08/20 03:37
547 :
名無しさん@1周年:02/08/20 04:30
>>541,545
>念仏を心を込めて唱えると、どうして良いのですか?
念仏に限らず、心を込めて行えば、良い結果が現れる、ということは、ふつう想像が付く筈ですが。
あなたは努力をしたことが無いのですか?
スポーツ選手が何故練習しますか?
こんなのは常識の範囲です。
質問をもっと工夫してください。
548 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/20 05:53
↑知りもしないで知ったかぶり。困ったもんだね。
>>541 他力のお念仏は「心をこめて」称える。なんてことはしません。
念仏自体が既に、心のこもった阿弥陀仏よりいただくものですから。
心のこもった贈り物をいただいたときに、「ありがとう」というだけじゃあ
全然追いつかないのは分かっていても、それでもとりあえずお礼だけは
言わずにおれないのと一緒で、
お礼の言葉に心がこもるのは相手に心がこもっておればこそ、こっちの心
が善いからじゃない。だから「称える」なんです。「唱える」じゃない。
暑い日に、「暑い、暑い」と言わずにはおれないのも、気温が暑ければこそ。
「暑い、暑い」と言ったからといって、気温が上昇するわけじゃないのと
まったく同じ。
心をこめてお念仏唱えよ。なんていうのが浄土真宗じゃありません。
お念仏にこめられた心を聞き分け、聞き開いてゆくのが浄土真宗。
>>548 「心が(自然と)こもるのです」
と言やいいのに、長々と仰る。
引いている例もイマイチ分りにくい。
ついでに「開く」という言葉の説明も足りない。
分らないと思うよ、一般人には。
550 :
名無しさん@1周年:02/08/20 13:24
誰でも救います。
>>548 言うことが込み入ってややこしいね。結局、阿弥陀様や極楽が
架空の作り話だから、訳の分からん事をああだこうだといわざるを得ない。
結婚詐欺と一緒。ああだこうだ。イエスでもない、ノーでもない、
イエスとノーでもない。イエスのノーで、ノーノイエスでもない。あーだ
こーだ。心こめろ、心こめるな、悪人でもいい、悪人じゃだめ、、、あーだ、
こーだ。 結局、極楽なんでどこにもない。
552 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/20 19:00
>>530 >一応不愉快と書いておきます。
<なるほど。なるほど。貴方の不愉快は外に幾つもあるでしょう(笑)。>
>その結果としてあまり意味が無いだろう」と考えるのは? <貴方の御自由ではないでしょうか?。>
>異なる因から1つの結果になるということですか?
そういう意味と解釈しました。
「しかない」という限定的な言葉は、そう言う意味で解されても仕方ないでしょう。
>なぜに、宗教的に地獄に落ちたと考えることを不能にするのか全くわかりません。
感性の違いでしょう(苦笑)。
大事な様々なことを教えてくださってる立派な先人はたくさんいる。偉大な先人を指さして「それでもあの人は地獄に堕ちた」などと、僕には口が曲がっても言えませんねぇ。死後地獄に落ちても、生前に立派なことをなさった方なら、立派な方だ。
あなたとは感性が違うんでしょう(笑)。
>話をもどしまして、 〜 一つの果ではありません。以上。
みな「地獄」という言葉でくくれるのでしょう。あなたの考えなら、親鸞さんは、極楽と呼ばれる地獄に行ったと思えばいいんでしょうか。親鸞さんも宗教的には地獄に落ちたと考えることは不能ではないんでしょう。
親鸞さんはどんな地獄に堕ちたのか。七百年も焼かれ続ければ、火炎地獄で今頃真っ黒こげになっているんでしょうか。個人的には余り想像したくない(アッハッハ)。
>因果応報の考え方の一つととらえて下さい。
なるほど。なるほど。よく分からんが。なるほど。なるほど。チンプンカンプンです(笑)。
553 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/20 19:03
>考え方の一つとも捉えられないようでしたら、理屈に合わない理屈というのでしたら、厳密に反論してください。
論議ごっこ遊びは趣味じゃないんだ。貴方は自分が正しいと思っているんでしょ。それならそれでいいんじゃないですか。議論が御趣味なら、親鸞会にお戻りなるといい。高森さんが喜んで迎えてくれる。僕はあなたの家庭教師じゃないんだ。
一重に論義問答旨とせんと構えられ候にや。
如来の御心に良しと覚しめす程に知り徹したらばこそ、良きを知りたるにてもあらめ。
如来の悪しと覚しめす程に知り徹したらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、万ずの事、皆もって、空事戯言、真ある事なきに、ただ念仏のみぞ真にて在しますとこそ仰せは候いしか。
>決定的にあやまっているという根拠、万人が何の疑い用も無く、地球は丸いという認識と同レベルに説明してください。
火宅無常の世界は、万ずの事、皆もって、空事戯言、真ある事なきに、ただ念仏のみぞ真にて在しますとこそ仰せは候いしか。
何が正しいか、何が誤っているか。そんなこたぁ、僕は知りません(笑)。貴方は僕の試験官役でも買って出たのでしょうか?。
>つまり 〜 真ですね?これが真親鸞。さて、その根拠は?
「つまり」なんていらないんですよ。真じゃないと貴方が思うなら、真じゃないんでしょう。意固地な方だ(笑)。
554 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/20 19:04
>546
>なんで真宗なん? <親鸞ファンなんだよ>
>>539 >渡海さんは、仏教は菩薩となってこの世で救済活動を目指すものと考えているのですか?
僕が菩薩に見えるの?。(笑)
ひねくれ者の確信犯のお下品極まりない愚か者になったり、菩薩になったり。2茶は面白い。ネーNBさん。
>渡海さんの考える「救う」という概念がはっきりわからないのですが。。。
念仏を称えるということ。称えられるということ。念仏称える人の仲間に加えて貰ったということ。仏道修行者の一人に加えられたということ。これが救いの本質さ。
555 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/20 19:06
>>548 >他力のお念仏は「心をこめて」称える。なんてことはしません。念仏自体が既に、心のこもった阿弥陀仏よりいただくものですから。
前々住上人、仰せられ候う。神にも、馴れては、手ですべきことを足でするぞと、仰せられける。如来・聖人・善知識にも、なれ申すほど、御心安く思うなり。馴れ申すほど、弥、渇仰の心を深く運ぶべき事なる由、仰せられ候う。
「心をこめて」称えるなんかしない。とりあえず心のこもらないお礼はする。NBさんも、手ですべきことを足でするのかな。薄情な上辺だけのつき合いかも知れないな(笑)。
ま、心は籠められないらしいから、座禅して念仏してみなさいよ。
>>549 >引いている例もイマイチ分りにくい。
−笑− NBさんには、心を込めた念仏というのがどういうものか分からんのじゃろう。言葉で分かることじゃないしな。
>>551 >訳の分からん事をああだこうだといわざるを得ない。
そうなんだよね。本当は、ああでもない、こうでもないと言わないですぐに分かって貰えるように象徴的に作られた概念だと思うんだけど、現代ではその象徴的概念に足を引きずられている。邪魔になっている。困ったことだ(苦笑)。
556 :
日蓮正宗のものですが・・・:02/08/20 20:55
>>1 興味があるスレなのでカキコさせてもらいます。
詳しく書くと回りくどくなるので答えだけ書くと”仏教は最終的に全ての人を救います”です。
でも、これはずーっと長いスパンでの話(何度も生まれ変わってからの)ですのであしからず。
現世(今現在の話)だけでいうと仏教徒で無いと救ってはくれません。
それどころか、仏教徒でも信仰をキチンとしていないと救ってはくれません。
まぁ、「救ってもらう」という表現はあんまり当てはまらないのですが。
仏教では当然、自分の行い(因果の道理)と信仰することによって(徳を積むことによって)、
結果が決まります。
ですから、信仰でけしていれば良い、というものでもありませんし、自分の努力だけで何とか
なるものでもありません。
両方兼ね備えてはじめて「普通の仏教徒」になるわけです。
と、色々くどくなってしまいました。
長くなったので切り上げます。
それではまた。
557 :
名無しさん@1周年:02/08/20 20:58
>>556 それは、日蓮召集独特の価値観じゃないですか?。さらに言えば法華経信仰者
でなければ問題があるんでしょ。
>>NBさん
たびたびご教示ありがとうございます。
>まあ、49さん。
>「不落因果」→外道。
>「不昧因果」→仏教。
>って、ことにしといてください。ここの文脈では。
不昧因果ということが極めて大事だと言うことはわかりました。
ところで、釈尊が解脱して六道輪廻のサイクルからはずれたことは「不落因果」のようにも思えますがどう考えたらよいでしょう?
559 :
日蓮正宗のものですが・・・:02/08/20 21:07
>>557 この価値観は確かに日蓮正宗独特の価値観でしょうね。
でも2ちゃんねるでこっちが正しいって言ってもしょうがないので”信仰”
って言葉にしておきました。
560 :
日蓮正宗のものですが・・・:02/08/20 21:12
>>558 横レスすいません。
法華経では六道輪廻の上に更に四つあってその最上位の仏になったと言われてます。
失礼しました。
561 :
名無しさん@1周年:02/08/20 21:46
つまらん。
もっと、まともな宗旨宗派の主張を聞きたい。
562 :
名無しさん@1周年:02/08/20 21:50
>>1 仏教徒になったら、もう悪人じゃない。
だから、誰でも極楽に行けるというのが正しい解釈。
渡海氏へ
> 大事な様々なことを教えてくださってる立派な先人はたくさんいる。>偉大な先人を指さして「それでもあの人は地獄に堕ちた」などと、僕に>は口が曲がっても言えませんねぇ。死後地獄に落ちても、生前に立派な>ことをなさった方なら、立派な方だ。
> あなたとは感性が違うんでしょう(笑)。
私が解釈をする因果の道理においては、私が、凡夫が
苦しみの世界に落ちてしまいます。それを先人様にあてはめれば
同様になるというだけで、そこで先人様を地獄にわざわざ
突き落とすような心が働いたとしたら、それこそあさましい
我が身であると、あくまで自分の浅ましさを聞かせて頂くと言う
ことです。もし先人様が地獄に落ちたのではと思われたなら、
悲しさ辛さを感じるべきでしょうけれど、そのような心も
生じない、とんでもない自分だと、この自分こそ地獄行き
だと、そういう教えだと私は思っています。
少なくとも、あの人が地獄に落ちた、この人も落ちたなどという
ことをわざわざ口に出すような、そのような間抜けな
教えではありません。
あなたとは感性が違うのでしょう。
> みな「地獄」という言葉でくくれるのでしょう。あなたの考えなら、
生前の酬いを受けるという、そのように考えるだけです。
言葉で人を殺してしまうようなことをすれば、その酬いを
必ず受けると考えるわけです。
> 論議ごっこ遊びは趣味じゃないんだ。
なんだ、反論はなしということでしたか。
> 火宅無常の世界は、万ずの事、皆もって、空事戯言、真ある事なきに>、ただ念仏のみぞ真にて在しますとこそ仰せは候いしか。
念仏のみぞ真はわかりました。
貴方は「心」(信心とイコール?)を問題にしないわけですよね?
ここで「心は解決されなくとも」と書いてありますか?
この点が非常に重要でしょ?心、つまり信心はどうでもいい!
この断言があれば、貴方の解釈で正しいのでしょう。
> 何が正しいか、何が誤っているか。そんなこたぁ、僕は知りません(>笑)。貴方は僕の試験官役でも買って出たのでしょうか?。
あなたは人の考えを徹底的に小馬鹿にしたのですよ?
だったら、「その様に考えるより、こちらが合理的だ。あるいは
魅力がある」のような書き方ができなかったのですか?
あなた、自分の書き込みを読む事はありますか?
>「つまり」なんていらないんですよ。真じゃないと貴方が思うなら、真>じゃないんでしょう。意固地な方だ(笑)。
私は、貴方が根拠を示して証明すれば真だと考えるでしょうよ。
それがなんでしょう。私が真じゃないと思うなら、真じゃない。。。。
もうあなたとのお遊びはやめたいです。時間の無駄ですから。
これはかなり怪しい真宗の解釈ですと初めに断っておきます。
聞其名号 信心歓喜 乃至一念
これが18願の成就文です。聞く、そう聞くのです。
信心をいただこうとか、他力に変わろうとか、そうではなくて、
聞くわけです。その聞くという行為に信心がくっついてくる。
信心に歓喜がくっついてくる。聞くという一瞬の、一念の行為を
通して、信心に歓喜が生まれるのです。
聞く、何を聞くのか?名号を聞く。南無阿弥陀仏を
聞くのです。阿弥陀仏とは何か。それは立派な仏様が
ふと凡夫を見て哀れんでくださっているのではない。
凡夫を救わんがために阿弥陀仏になられたわけでしょう。
そのお名号南無阿弥陀仏を聞くとは、その阿弥陀様の
心を聞かせて頂く事です。法座だけで無い。人間関係
の中で浅ましい自分を見せつけられたら、それを
「聞く」のです。枯れた花を寂しく思えば、それを
「聞く」のです。この世の生活の中で、あぁ南無阿弥陀仏、
浅ましき我が身でしたと聞かせて頂くのです。
どこかの会は、乃至一念が決勝点とみるようですが、
私は、他力に転化したのちは、聞くことが信心になり、
歓喜になる。それが一念なんだと解釈しております
566 :
名無しさん@1周年:02/08/20 22:43
567 :
名無しさん@1周年:02/08/20 22:44
そして難しいと思うとさらに難しくなります。
>> 566
難しいですね。聞く。聞かせて頂く。鏡にうつる自分ではなく、
生活のなかで映る自分を聞かせて頂く。
まさに難中の難。極難信の法です。
やはり「地獄」というもののリアリティ、これが浄土信仰の必須の条件なんですね。
浄土を信ずる前に地獄を信じなくてはいけない。
これは鎌倉時代においてはまだ容易なことだったと思いますが、
科学に的思考の中で生きている現代人においては極めて難しいことではないでしょうか。
禅とか原始仏教の方が入りやすいのかも知れない。
>> 569
ええ、地獄の前に因果の道理を考えます。
浅ましい、腐った心を持ったものは、死後ろくでもない
世界に落ちると考えるわけです。
さて、例えばどこかの大震災。家が崩れ生き埋めになった
方々が多くいるということを知りつつ、家を焼きつくす
炎が消えると、なんだ、もう消えちまったかと思う心。
2つのビルがテロ攻撃にあい、片方が大きな音を立てて
崩れ落ちると、残りの一つはどうなるんだと目を
輝かせているこの腐った自分。
わずか10円100円単位のお金で、多くの苦しんでいる
人を救えるはずという知識はあっても、たいした
施しができない。慈悲心が無い。
そして、己だけは正しい、間違い無いとこれだけは
一日中念じ続けている、この自分を因果の道理に照らして
どうとらえるかですね。
でも死語の世界(地獄極楽)を信じていない現代人にはそんなことは屁でもないですよね。
572 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/20 23:35
はああ〜〜。今日は酔ってます。いま帰りました。
まあ、でも、一言だけ。
>>569 >浄土を信ずる前に地獄を信じなくてはいけない。
なこたぁーないです。さらに言えば、浄土を信ずる必要すらない。
浄土は、他力の信心の上にたち現れる世界です。
凡夫の浅はかな思い込みによって認識できた世界を、本当と信ぜよなんて。
んなバカな話は浄土真宗じゃないです。
あくまでも、どこまでも、どこをとっても信心正因。信心は他力。すなわち
如来のまかせよ救うのお喚び声。喚ぶ。とはすなわち、よび覚ます。
ああ、一言になってないね。たはは。
>> 571
ええ。普通に生きている時には死後などはどうでもよく、死んだら終わりだ
程度にしか考えませんね。
そこで、死と言うものを自分の事ととらえて、次に日本で死ぬのは
俺かも。俺だったらどうする。可能性がないわけではないと、
多少なりとも死に対して向き合う必要はあると思います。
そこで、どうにもならない自分にぶつかるか、やっぱり死後なんて
無い、またはどうでもいいとなるか、各人様々でしょう。
574 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/20 23:40
ちなみにね。死後の世界が極楽じゃない。
極楽は生死を共に離れて赴く世界。
生だけを離れて赴く世界にゃ、どんな仏様のお浄土もないでしょうね。
私としては生き地獄(煩悩)の方が問題だ。
>ちなみにね。死後の世界が極楽じゃない。
そんなこと「歎異抄」に書いてあります?
577 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/20 23:47
>>576 たとえよき人の仰せをかむりて、念仏して地獄におちたりとも、
さらに後悔すべからず候う。
っすね。
>>576 いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
と続く。やはり「地獄」と「往生」は背中あわせになってますよ。
579 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/20 23:54
念仏して赴く世界がすなわち浄土でしょうね。
地獄はそれぞれの煩悩の人生の上に自覚されてゆく世界でしょうし。
まあ、答えになってないおそれもちょっと、感じますけど、とりあえず。
いわば因果の道理によって死刑判決を受けた被告が阿弥陀の本願の力によって「恩赦」されるのだと私は理解していますが。
地獄の恐怖なしに念仏は意味を持つのか?
582 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/20 23:59
うーーーーーん。ちゃいますね。
罪障、功徳の体となる。
氷多きに水多し。
障り多きに徳多し。
ええと、、、、、四句目が出てこない。。。。。なんだっけ。調べてみます。
どこがどう違うのか具体的に行って欲しいです。難しい引用は分かりません。
584 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/21 00:03
じゃあ、まあ。転識得智とおんなじようなもんでしょうね。
つか、酔っ払ってるんで…。これ以上、今日はしんどい。また今度。
あ、わしが唯識に関心持っていることなんで知ってるの?
586 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/21 00:07
いいや。知りませんよ。確信犯的ボケぶりならなんとなくわかりますけど(w
なんだ偶然か。超能力かと思った。(爆)
588 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/21 00:14
はああああああああ。
まあ、、、、、
欣求浄土があって、初めて厭離穢土があると。こう見ますね。単純に言えば。
厭離穢土の後に欣求浄土があるんじゃない。
しかし確信犯的ボケぶりはそちら様にはかないませぬ。(泣)
厭離穢土がなければ欣求浄土という気持ちは起こってこないと思いますが。
591 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/21 00:23
泣かんでください。すいません。
ボケてるつもりは全然ないんだけど。
ある人が言いましたけど、お念仏の他力は、騙し絵みたいなもんで。
陰の形と光の形は同じものを顕してるはずなのに、全然違う絵に見えちゃう。
みたいな。たぶん。そんなんだろうとは思いますね。
おお、ゲシュタルト心理学!
593 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/21 00:24
>>590 本物に出会って初めて、偽者がわかる。なんてこともありますよ。
って、今日は落ちます。もう、、、、、、限界。スマソ。
またあした。
595 :
名無しさん@1周年:02/08/21 01:02
あー、ちょっと横レスですが。
>>582、
たぶん、二句目が抜けてますね。
「氷と水のごとくにて」じゃなかったかしら。
真宗では地獄が先にあるのじゃないというのが正しいと、私も思います。
地獄も極楽も、実体的な死後の「世界」として想定されているのではない
というのも、その通りなのではないでしょうか。
596 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/21 06:39
>>595 それそれ!!ありがとうございます。
で、横レスなんてことはどうぞ、お気になさらず、っだああああい歓迎でございます。
まああ、しかし。真宗は厭離穢土・欣求浄土で、念仏して現世はあきらめて死後の
浄土往生をのみ願う。信じる。とかって、、
けっこう頑固に誤解されてるんですよねえ。。つくづく。
けっきょく酒飲んで、たばこ吸って、不眠症でうだうだ言っているだけ
じゃない。それだと、カラオケのほうがましでは。演歌だと説教も入って
いるしね。
598 :
名無しさん@1周年:02/08/21 14:38
>>592,
>まああ、しかし。真宗は厭離穢土・欣求浄土で、
>とかって、、
>
>けっこう頑固に誤解されてるんですよねえ。。つくづく。
ええ、一般的な「理解」としては、たしかにそういう通念は強いですね。
ですが、49さんの書き込みを拝見していると、それとは違うと思います。
まあ、私も49さんがはまっていた場所と関わりがあったことがあるので
分かるんですけど(藁。むしろ一種の地獄秘事の後遺症に苦しんでおられる
のではないでしょうか。
そのあたりを中心にお話ししてあげてほしいなあ、なんて。余計なお節介で
すけど。
600 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/21 18:54
>>563 >私が解釈をする因果の道理においては、 〜 あなたとは感性が違うのでしょう。
<仰りたいことがよくわかりませんねーぇ。>
>先人様を地獄にわざわざ突き落とすような心が働いたとしたら、
こんな心が働く余地があるんですか?。自分は先人様を地獄に突き落としかねないなどと。まるで閻魔様のようですね(笑)
>自分こそ地獄行きだと、そういう教えだと私は思っています。
<地獄がお好きなら、地獄に行ったらいかがですか?。仰る意味がわかりませんね。>
>わざわざ口に出すような、そのような間抜けな教えではありません。
<腹では思うがわざわざ口にはしないということでしょうか?>
>あなたとは感性が違うのでしょう。 <僕と何とが感性で違うのでしょうか?>
>言葉で人を殺してしまうようなことをすれば、その酬いを必ず受けると考えるわけです。
<どこかでそのようなことがありましたか?。>
<600ゲット>
601 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/21 18:55
>反論はなしということでしたか。 <貴方がご自由にお考え遊ばされればよとしいでしょう>
>信心はどうでもいい!この断言があれば、貴方の解釈で正しいのでしょう。
信心などは、仏さんが果遂の誓いでテケトーに見繕って届けてくれるでしょう。ジェンジェン心配してないんですよ。
>小馬鹿にしたのですよ? <腫れ物にでも触りましたか?。>
>私は、貴方が根拠を示して証明すれば真だと考えるでしょうよ。
<僕の証明などは気にしないで、自分を信じて生きたらどうですか?>
>もうあなたとのお遊びはやめたいです。時間の無駄ですから。
<貴方の信心は結局お遊びだったみたいですね。>
602 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/21 18:59
>>565 >怪しい真宗の解釈ですと初めに断っておきます。 <こう言っておけば、後で訂正できるな(笑)。>
>その聞くという行為に信心がくっついてくる。
<聞いて貴方は信心がついてきましたか?。能書きだけなら何でも言える。>
>信心に歓喜が生まれるのです。 <歓喜を生んだ貴方をみせてくださいな。>
>名号を聞く。南無阿弥陀仏を聞くのです。
<他人に聞かす前に、貴方が聞くことが先でしょう。あなたはどのように聞きましたか?。>
>凡夫を救わんがために阿弥陀仏になられたわけでしょう。
<子供だましのお伽噺は、大人に聞かす話じゃないよ。>
>お名号南無阿弥陀仏を聞くとは、その阿弥陀様の心を聞かせて頂く事です。
<言葉は便利な道具だな(笑)。>
>人間関係の中で浅ましい自分を見せつけられたら、それを「聞く」のです。
どっかで聞いたような話だな。よその話の焼き直しを他人様に説教する前に、貴方が実践することが先でしょう。貴方が聞いた話は、貴方が実践すれば済むことだ。
>どこかの会は、乃至一念が決勝点とみるようです <聞いたことがない(笑)>
>他力に転化したのちは、聞くことが信心になり、歓喜になる。それが一念なんだと解釈しております
<他力に転化?。ハテ?。まあ、我流の勝手な解釈だろう。解釈するのは誰でも自由だ。>
603 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/21 19:01
>>568 >映る自分を聞かせて頂く。まさに難中の難。極難信の法です。 <言ってる意味が分かってるのかな?>
>>570 >腐った心を持ったものは、死後ろくでもない世界に落ちると考えるわけです。
〜 昔、鹿を殺し鳥を殺せる者、この中(屎泥処地獄)に堕つ。 〜 昔、 物を貪りて殺生せる者、この(刀輪処地獄)中に堕つ。 〜 因果を撥無し、大乗を誹謗し、四重を犯し、虚しく信施を食へる者、この中(無間地獄)に堕つ 〜 <往生要集>。
輪廻転生の行き先は生前の行為による。「腐った心を持ったもの 〜 ろくでもない世界に落ちる」というのは、現代カルトの妄想教義だ。偽キリスト教のパクリだな。
「すべて色情を懐いて女を見る者は、既に心の内姦淫したるなり」(マタイ5-27)。イエス・キリストの言葉は救いになるが、カルトの教義は不幸を作る。清い心を持ちなさいと教えるキリスト教の教義を逆手に取った、偽善者の教えだ(笑)。
この考えは、共産主義国家、全体主義国家で思想弾圧の思想に取り入れられた。心に懐いただけで罰するという恐怖国家の正統性の根拠になった。世界に多くの不幸を作った。
聖書には聖書の文脈がある。聖書の文脈を離れたところでこんな古くさい考えを持っているのは、全体主義がお好きななんとかさんだけでしょう。
法然の下で信不退か行不退かという議論が行われ、法然・親鸞は信不退に回る。多くのお弟子さんは行不退に回る。
多くのお弟子さんが行不退に回ったのは自然なことだ。物事は行為の結果で生じる。これが社会の自然な考えだ。その意味で、異議を唱えた信不退は画期的な思想だ。
信不退は、行不退の思想と思想の次元が違う。法然仏教独自の認識だろう。極楽浄土が信心正因というのは深い教えだ。だからといって地獄も心で落ちるというのは、恐怖カルトの教えだよ。
六道輪廻と極楽往生との違いが分からんカルトの教えだ。
「もう消えちまったかと思う心」。「 〜 輝かせているこの腐った自分」。「 〜 輝かせているこの腐った自分」。「 〜 慈悲心が無い。」
誰もが持っている良心の咎を逆手にとり、インターネットを通じて脅迫するとは、慈悲心が無い。不浄説法する奴は地獄に堕ちる(観無量寿経)。こんなところで脅迫すれば、地獄の釜が口を開いて待っている(アハハ)。
>>554 >仏道修行者の一人に加えられたということ。これが救いの本質さ。
それですと、キリスト教徒、イスラム教徒、バハイ教徒などは、
仏道修行に加わらない限り救われないことになりませんか?
ということは、渡海さんは、仏教は仏教徒のみ救うと考えている
わけですな?
605 :
名無しさん@1周年:02/08/21 19:20
初めまして 忍と申します
アメリカの精神の支柱である基督教の神であるヤーベ(八百重)は、
日本にいる事をアメリカの人達に伝えて欲しいのです。
以下の文書を真剣に考えて読んで下さい。そして、国際都市である
ニューヨーク市にある国際連合の地下に核爆弾情報が流れているの
です。爆発する前に友人や知り合いに伝え、引っ越すか警察に真剣に
調査する様に伝えて実行させて欲しいです。
私はLRの編集責任者です。
渡海氏へ
ちゃんと私の書き込みは読んで下さっているのでしょうか?
貴方の書き込みを読むと、とてもそうは思えません。
いや、私の書き込み内容を理解し、そしてそれに従えなどと
申しておりませんよ。それ以前のことを言っているのです。
論旨をずらされて書き込みされた瞬間に、相手するの
やめようと思っていました。今回が貴方と関わる最後です。
表現は穏やかでも、実のある、深遠な思想を提示して下さる
方は多くいますが、貴方は言葉は過激でも、なかなか実を
見る事ができません。
貴方とやりとりを始めて、それでも真宗に対して
深い洞察と理解を持ち、凡人には及びもつかない域に到達しているからこそ
言える誹謗中傷及び暴言であると想像し、あれこれつついてみましたが、
どうやら私が完全に間違っていたようです。全くの正反対の事実を
突き付けられたわけです。つまり、私はあなたの言う通り、阿呆な
考えを持っていたわけです。
貴方は強固な確信をいだいて断言口調で書き込みをし、それに伴う相手への
誹謗をかならず添えますが、それに関して、
「なぜそこまで誹謗するのか?その理由」「なぜそこまで断言できるのか?その理由」
の2面を伺ったつもりです。果たして、その結果の貴方の書き込みはどうだった
でしょうか?答えは出ていますね。同じ事を繰り返す程
私時間を余しておりません。それでは失礼致します。
>>598 >私も49さんがはまっていた場所と関わりがあったことがあるので
私は浄土真宗関係のいかなる組織とも関わったことはありません。私の仏教は独学です。
ところで「地獄秘事」って何ですか?
あー、それは失礼しました。
別の方と勘違いしていたようです。すみません、忘れてください。
609 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/22 05:14
>>596の書き込みは49さんのことを指していたわけじゃなかったんですけど、
確かにそう読めちゃいましたね。ご指摘ありがとうございます。
それから49さんに対しては、49さんのレスの内容から拝察されること以外に、
一般的な紋切り型でもって49さんを理解しようとする意図はまったくないこと
を、お伝えしておきたいと思います。そのことで49さんが不快に思われて
いらっしゃったらごめんなさい。
で、まあ、○鸞会のことなんですけど、心に傷を受け退会なさった方が、本当に傷
をいやすことができるのは、(逆説的な表現としてのみですが)○鸞会を許すこと
ができたときしかないんじゃないかと、思いますね。
弥陀の救いとは、自分の人生に対して、ツユチリばかりも(笑)無駄な瞬間は無かった
ことを知らされる救いでありますから。善悪を嫌わぬお救いです。
まあ、また、夜にでもこれたらいいなと思ってます。とりあえず、取り急ぎ。
610 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/22 08:53
>>606 >私はあなたの言う通り、阿呆な考えを持っていたわけです。
>同じ事を繰り返す程私時間を余しておりません。それでは失礼致します。
死んだら地獄に堕ちるんじゃないかと心配してたけど、その心配も少し遠のいて安心されたのでしょう。多少は救いがあったのかしら?。達者で生きて行きなさい。よかった。よかった。
611 :
いきなりごめん:02/08/22 10:49
>1
「生きとし生けるものすべてを救いとるまでは、あえて自分はさとりを得ないつもりである」
という誓いを立てて菩薩は修行をする。
誓いが達成できなければ、菩薩は菩薩のままで、仏(如来)にはなれない。
例えば、法蔵菩薩は、誓いを達成し、すべてのものを救いとることができたから
さとりを得て阿弥陀如来になることができたんじゃないのか。
ならば、我々はすでに、救われているか、これから救われることが確定しているんじゃないのか。
612 :
いきなりごめん:02/08/22 10:51
で、 「生きとし生けるものすべてを救いとる」という時に、
特定の条件があったらすべてにはならんやろう。
浄土宗しかだめとか、キリスト教はダメとか・・・。
613 :
名無しさん@1周年:02/08/22 10:56
渡海 難 を見ていると、「念仏ってだめなんだな」ってよく分かる。
614 :
名無しさん@1周年:02/08/22 11:12
>>611 だから、そうだと話が合わんから、けっきょく嘘やったということやね。
そもそも人間って救われなきゅならん存在なのか? 救うなど余計なお世話じゃという気がしないでもない。
>>609、
いやいや、すべては私のおっちょこちょいな勘違いのせいです。NBさんが
謝られる必要は全然ないのに、、、なんだか申し訳ないことをしてしまいました。
>で、まあ、○鸞会のことなんですけど、心に傷を受け退会なさった方が、本当に傷
>をいやすことができるのは、(逆説的な表現としてのみですが)○鸞会を許すこと
>ができたときしかないんじゃないかと、思いますね。
これは本当に、おっしゃる通りだと思います。
でも、それがなかなか、簡単ではないんでしょうね・・・。
617 :
名無しさん@1周年:02/08/22 17:13
>615
とりあえず、そうやって突っ張ってみるといいさ。
そこで見えてくるものがあるんじゃないかな?
618 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/22 19:49
>>609 >弥陀の救いとは、自分の人生に対して、ツユチリばかりも(笑)無駄な瞬間は無かったことを知らされる救いでありますから。
ありがたい。ありがたい。人生の困難に遭遇したとき糞の役にも立たないような能書き、お伽噺、愚痴、悪口、駄法螺、はったり、開き直り、無駄話、謎掛け、つっぱり、呪文を、
説法と称し、聞き手の時間を浪費して、生涯、先祖代々十年一日、百年一日、垂れ流し続けても、アホタレ坊主にはツユチリばかりも無駄な瞬間が無い。ありがたい。ありがたい。
>>613 >渡海 難 を見ていると、「念仏ってだめなんだな」ってよく分かる。
難信の法。極難信。あんたの器量で信じれると思ったら大間違い。信じる衆生もあり、謗る衆生もおる。
座禅して念仏申してみなさいよ(行の巻)。心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うは心得たなり。
>>614 >だから、そうだと話が合わんから、けっきょく嘘やったということやね。
ウンウン。そういうことも言える。611のような能書き坊主は、自分の説で自分から転けるということだ。
>>615 >救うなど余計なお世話じゃという気がしないでもない。 ウンウン。念仏は、困ったときの助け船。
>>617 >とりあえず、そうやって突っ張ってみるといいさ。そこで見えてくるものがあるんじゃないかな?
何かご不快でもあるんでしょうか?。
619 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/22 20:13
>>616 いえいえ。ぼくもちょうど、49さんに対して「死を払いのけられていない」
とか、皮肉たっぷりで嫌味な言い方だったなあ。と、ほんとにそんな言い方
する必要あったかなあ。なんて、反省したりしてましたもんで。
ナイスなタイミングでした。ありがとうございます。
620 :
名無しさん@1周年:02/08/22 20:50
>618
>
>>617 > >とりあえず、そうやって突っ張ってみるといいさ。そこで見えてくるものがあるんじゃないかな?
>
> 何かご不快でもあるんでしょうか?。
いや、ぜんぜん。
逆にいい感覚だと思ったんだが、伝わらんかったか。
坊んさんじゃないいやけど
622 :
名無しさん@1周年:02/08/22 22:36
仏教は仏教徒じゃない人もすくってくれるの?
仏教徒じゃない人ばかりか、渡海まで救ってくれる。
623 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/23 07:14
624 :
名無しさん@1周年:02/08/23 07:30
だれか、渡海 難の相手をしてやれよ。
荒らしは無視しれ!
まともな議論も出来ないんだから。
626 :
名無しさん@1周年:02/08/23 12:44
結論;
御伽噺の阿弥陀様や極楽浄土は、誰をも救いはしない。
架空説話が誰かを救うわけも無い。
救われたと思うのはその人の勝手だから、救うつもりなどこれっぽっちもなくても
救われたとかいいだす人はでてきそうだね。
628 :
名無しさん@1周年:02/08/23 15:25
大結論;
無知の輩が御伽噺と決め付けようとも、
蒙昧の輩が架空説話と言おうとも、
西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来は遍く衆生を救う。
それ故に阿弥陀如来であらせられる。
629 :
ただの通りすがり:02/08/23 16:12
神だ仏だをいくら賢しげに論じても、人間として、海渡は醜い。
630 :
名無しさん@1周年:02/08/23 16:59
大無量寿経も観無量寿経も阿弥陀経も、どっかの無名の坊主がこちょこちょ書いたものにすぎん。そんなものが信用できるか。
631 :
名無しさん@1周年:02/08/23 17:12
いい加減な話でも信じられるのが人間だ。
632 :
名無しさん@1周年:02/08/23 18:25
自分に理解ができないから、いいかげんというのは違うよ。
633 :
名無しさん@1周年:02/08/23 19:24
大結論;2
無知の輩が御伽噺と決め付けようとも、
蒙昧の輩が架空説話と言おうとも、
御伽噺界の聖者、桃太郎様は遍く衆生を救う。
それ故に桃太郎であらせられる。
みんな念仏を捨てて「も〜もたろさん♪」を歌え。
同じ事だよ。
634 :
名無しさん@1周年:02/08/23 19:26
>633
それでも救ってくれるのは阿弥陀如来かも。
って、誰でも良いから救ってくれっていうことなんだよなあ。
635 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/23 20:12
>>620 >逆にいい感覚だと思ったんだが、伝わらんかったか。
<貴方になどはとても意外で、身に持たない感覚なんでしょうかね。>
>>621 失礼申し上げたかも知れません。
>>622 >仏教徒じゃない人ばかりか、渡海まで救ってくれる。
仏教は安請け合いの便利屋ではないよ。渡海を救おうとしてくれてるかどうかは自分では知らんが、仏教を何でも安請け合いの便利屋と思っているあんたまで救おうとしているかどうか、定かではないね。
ところで、あんたが言う救いってな〜ニ?。どうせ救いの意味も知らんで言っているんだろう。
>>626 >御伽噺の阿弥陀様や極楽浄土は、誰をも救いはしない。架空説話が誰かを救うわけも無い。
阿弥陀様や極楽浄土が救うんじゃない。阿弥陀という人格者が存在するんじゃない。極楽浄土という場所があるんじゃない。
阿弥陀という登場人物や極楽浄土という世界観で、先人は無形の真実を有形的に表現してきてくれている。象徴的に語られている象徴の背後の先人の知恵に焦点を絞る必要がある。その知恵は我々の人生の先々で大いに役立つ。
人生の先々で役立ちそうなその知恵だけ頂戴し、大事にすればいい。
636 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/23 20:14
>>627 >救われたとかいいだす人はでてきそうだね。
<うんうん。救いという言葉の意味が分からない人がそうなるだろう。>
>>628 >西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来は遍く衆生を救う。それ故に阿弥陀如来であらせられる。
<好きにすればいい。>
>>630 >どっかの無名の坊主がこちょこちょ書いたものにすぎん。そんなものが信用できるか。
信用する必要は全くない。作者が誰もいい。眉に唾をつけながらでいいんだ。書かれている知恵の実体に焦点を絞って客観的に読んでみるといいだろう。
637 :
名無しさん@1周年:02/08/23 21:25
おおっ!まともじゃん!って思うこともあるけど、
すぐ壊れてしまうんやな。
638 :
名無しさん@1周年:02/08/23 22:38
>>611,よくそんな話を信じるね。やはり、滝に打たれるのが一番。脳みそクール。
639 :
名無しさん@1周年:02/08/23 23:52
法蔵のしゅぎょうの場はどこにある みんな私のむねのうち
浅原才市
なんだかこのスレもつまらなくなってきたね。1はどうしているのかな?
641 :
名無しさん@1周年:02/08/24 04:36
舎利子「どまいら!今日は釈迦の説法を聴きますが何か?」
富楼那「詳細きぼーん」
舎利子「摩訶迦葉降臨期待age」
摩訶迦葉「クレクレ厨uzeeeeee!!おまいらが先ず何かうpしろや」
富楼那「金波羅華うpしますた」
摩訶迦葉「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!」
富楼那「詳細キボンヌ」
摩訶迦葉「一本で足りるかヴォケ!もっとうpしる」
富楼那「氏ねDQN」
摩訶迦葉「煽り厨逝ってよし」
舎利子「オマエモナー」
摩訶迦葉「うるせー馬鹿」
須菩提「摩訶迦葉必死だな(w」
摩訶迦葉「↑=厨房
今からこのスレは「摩訶迦葉様のために金波羅華をうpするスレ」になりますた」
須菩提「2get」
迦旃延「ハァ?」
阿那律「盲目スレsage」
摩訶迦葉「名スレの予感」
阿難陀「↑(・∀・)ジサクジエンハケーン!!」
富楼那「ほれ、再うpしたぞ」
摩訶迦葉「微笑降臨!!!」
(実は優曇華の花)
摩訶迦葉「ブラクラ貼るなドキュソが」
富楼那「拈ってないのに気付かないお前が厨房( ´,_ゝ`)プッ」
舎利子「激しくワラタ」
優婆離「アヒャ笑いする摩訶迦葉がいるスレはここですか?」
舎利子「もう飽きたので
-------------糸冬 了-------------」
摩訶迦葉「-------------再 開-------------」
迦旃延「↑(・∀・)ジサクジエンデシタ」
642 :
名無しさん@1周年:02/08/24 05:25
救わずに 巣食ってくれる こともある
依頼心 強い人ほど 騙される
643 :
名無しさん@1周年:02/08/24 05:41
騙された 恨み 根深い 特に10万 かえせ
かえすまで 糞スレたてつづける
644 :
名無しさん@1周年:02/08/24 11:32
ある新興宗教が、自分たちの信仰を根拠付けるためにお経を自作したら、そんなものを信じることができるか。
大乗経典は、すべて大乗仏教徒が、自分たちの信仰を裏付けるために自作したものである。
したがって、信じるに足りない。いもしない仏に祈っても効果は無い。
まずは、滝に打たれよ。脳みそクール。
645 :
名無しさん@1周年:02/08/24 13:37
>644
お経がにせ物であるか本物であるかは、説かれている教えの内容いかんだと思う。
覚ったものが、その覚りの内容を説いたもので、
その経によって覚りをひらくものがあらわれることができれば、
それは経典としての価値があると思う。
もし、カルト宗教が経典を制作して、
その教団外のものがその経典をより所として覚りをひらくことができたら、
それは経典としての価値を認められるべきだろう。
しかし、教団内でしか通用しないようなものなら、
それはにせ物だと思う。
646 :
名無しさん@1周年:02/08/24 15:14
>644
経典も全て筏。
その筏により彼岸に渡れるなら渡らしていただくのみ。
647 :
名無しさん@1周年:02/08/24 16:01
このスレ今ざっと読んだとこなんですが・・・
そもそも>1さんは仏教なりキリスト教なりいわゆる宗教というものの
なんたるかの根本を端的に問うているような気がする。
「真理」はそんなにいくつも存在するの?
大体各宗派の開祖の人達って「あなたは○○教を認めないから救われない」みたいな
了見の狭い、器量の狭い人物なん??
そんな人間の話なんざハナから聞く耳もたん。
私のものすごく個人的且つ直感的(根拠なしという意味で)解釈では
開祖から弟子、そのまた弟子と代を重ねるごとに捻じ曲げられているように
しか思えませんが。
あんましこの分野詳しくないのでどの宗教がどうとか言うつもりは無いですが
人がより良く生きる、生きていく上での苦しみや悲しみをどう捉え乗り越えるか
を示すものじゃないのか。それが本当の意味での「教え」と思うのですが。
従って少なくとも所謂「聖人」の方々の教えは宗派なんて関係ないのではないかと。
長文スマソ。
648 :
名無しさん@1周年:02/08/24 20:26
で、どうなの?
649 :
名無しさん@1周年:02/08/24 20:30
_ . , _ ,
, - '`r‐'´ ` ‐r'`''‐、
r'ヽ./ \,- 'ヽ
i' / l i
l, -‐l $$$$$$$$$$$ /` ‐、,l
| ヽ $$$$$$$$$$$$$$$ /\ |
ヽ / `-$$$$$$$$$$$$$$,rく 、/
丶 $./ ̄ ̄| ̄ ̄\$$$\\ /
ヽ/$|. 、Y |$$$$ヽ, r'´
`$| r'`‐、_,、,-─_,' .|$$$$$$$ 宗教は消えろ!!
$|  ̄|./|_|` ̄| |$$$$$$
$| .| 、__,_ | |$$$$$
$\| `ー─‐"| /$$$$
$$\ r‐ /$$$$
$$$$$$$$
650 :
名無しさん@1周年:02/08/24 20:32
ウォーズマンみたい(w
651 :
名無しさん@1周年:02/08/24 20:54
>>645,
実際、悟ったものがものが、悟った内容を書いたような経典があるだろうか。
もし、そうなら、堂々と自分の名前で書けばよい。
世親や無着のように。
中には、注目すべき思想もあるかもしれないが、全体として作り話であることは確実だ。
特に、無量寿経など。四十八願などつまらないものが、多い。
法華経や無量寿経にキリスト教の影響が見られるそうだが、ほんとうだろうか。
とにかく、修行するにかぎる。
滝にうたれよ。脳クール。
652 :
名無しさん@1周年:02/08/24 21:05
>651
仮託という方法である。
自らの言葉を、あの方ならばこう説いたとして記したのみ。
般若心経も然り。
キリスト教の影響などと曰われるが。
キリスト教以前に仏教は成立しておる。
キリスト教が仏教の影響を受けた可能性も否定できない。
なにしろ、エジプトのアレキサンドリアに仏教僧院があったそうじゃ。
それが事実とすればアレキサンダー大王は本当に偉大であったのよのう。
653 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/24 21:13
>>651 そこまで、粘着で論を展開するなら、ハンドル取ってほしいね。
それともいつでも逃げ打てるように名無しのままなのかね。しょうもな。
654 :
名無しさん@1周年:02/08/24 21:48
>651
> 実際、悟ったものがものが、悟った内容を書いたような経典があるだろうか。
> もし、そうなら、堂々と自分の名前で書けばよい。
仏説○○経と名乗っているでしょう?
名無し説○○経ってのはありません。
> とにかく、修行するにかぎる。
これは、同意する。
仏教は実践の宗教であり、
心の持ちようで世界が変わるという精神主義の宗教でもないし、
ただ単に信じればいいという宗教でもない。
655 :
名無しさん@1周年:02/08/24 22:46
以上のような次第で、原始経典に帰ってみたところが、仏説を探しだすことは至難であり、
不可能なことがわかり、大乗非仏説というなら、原始仏教もまた非仏説となりかねず、
ひいては仏教全体がシャカの教えではないという一種の絶望感におちいるにもいたった。
しかし近年は、仏説の意味を解釈しなおすことによって、あらためて仏教にたいする信念を
再確認しようとする傾向が見えだした。
仏説をシャカの直説と解する必要はなく、シャカの真意と考えればよいということである。
つまり、ことばや表現は時代や社会の推移にともなって変化するものであり、
要はその器にもられた内容、すなわち思想を問題にすればよいということである。
***********************************************************************************
ともあれ、諸仏教・諸経典は、すべて発展的産物であることが自明の理となった以上、
それをありのままに受けいれつつ、発展のあとを客観的にたどり、その上で、
それぞれの思想の特色を浮きぼりにし、選びとることが残された唯一の道である。
またその結果、共通したものを見いだす場合も出てこよう。
「田村芳朗『法華経』(中公新書196)、中央公論社、1969年」より
>>653 そりは個人の自由。
あなたとて、方々で破綻しているのに
良くぞコテハンを継続していらっしゃる。
尊敬に値うものですね。
>>636 では、渡海さんは、オームの出家修行者が
救われた救われたと言っているけど、
彼らについてどう考えるのですか?
658 :
名無しさん@1周年:02/08/25 21:38
1はどこへ行った?
659 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/25 22:55
>>656 はああ、他スレでも同じようなレスつけてるんで、鬱なんだけど。
「方々で破綻」って、一体何?しょうもない言いがかりはやめて
もらいたい。ね。
NBさん発見!つまらん言いがかりは気にしない気にしない。なまんだぶ、なまんだぶ。
661 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/25 23:08
おお、ありがとうございます。
49さん。引き続きよろしくお願いします。
まあ、力不足なんで、うまいレスがつけられないっすけど…。
はぁ。。
662 :
四苦八苦 ◆od7XM/js :02/08/25 23:28
49です。
このスレで49と89を偶然取ったので四苦八苦をコテハンにしてみました。
ははは、よっぽど因縁が深いと見えられる(w
いや、(・∀・)イイ!! っす。
664 :
四苦八苦 ◆od7XM/js :02/08/25 23:43
>因縁が深いと
(笑)
>>636 渡海さんへ質問の追加です。
渡海さんのいう救済は、精神の救済でしょうか?
魂の救済でしょうか?現世の生活の救済でしょうか?
現世の社会保障制度は、救済に含まれるのでしょうか?
年金、健康保険(葬儀費扶助もある)、生活保護などは
救済でしょうか?
667 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/26 22:15
>>657 >彼らについてどう考えるのですか? <パス。彼らが言う救いには関心がありません。>
>>666 >渡海さんのいう救済は、精神の救済でしょうか?
物質ではないものは精神という2元論で捉えれば、物質ではないから精神的なものでしょう。しかし、物質なくして精神はなく、精神なくして物質はないなら、どうでしょうかね。なお、他人にものを聞く場合には、名前を間違えないように。
>魂の救済でしょうか?現世の生活の救済でしょうか?
魂の救済と現世生活の救済とは二律背反とは思いません。魂の救済が豊かにしてくれる現世生活の救済もあり、現世生活の喜びを学べる魂の救済というものもあると思います。
>現世の社会保障制度は、救済に含まれるのでしょうか?
>年金、健康保険(葬儀費扶助もある)、生活保護などは救済でしょうか?
パス。行政政策については論評するような認識をもっていません。否定的な見解を持ってるわけではありません。
668 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/08/26 22:24
>>667 >なお、他人にものを 聞く場合には、名前を間違えないように。
失礼しました。「なお、 〜 ないように。」は無視してください。
別のことと混同していました。
669 :
名無しさん@1周年:02/08/26 23:36
1はどうしたのか?
渡海は韜晦と改名すべきだろう。うんうん(w
671 :
四苦八苦 ◆od7XM/js :02/08/28 00:57
このスレすっかりさびれたな。
>>667 社会保障や公的扶助を利用する場合、
一応、内心の倫理は問われないから、
南無阿弥陀仏と唱えれば救済される
という点に近いのかなと思っただけですよ。
黙っているだけでは、救済されないという
点も似ているように思える。
673 :
NB ◆Zut9KezY :02/08/28 08:02
>>671 うん。キリスト教の人にも戻ってきてほしいね。
675 :
名無しさん@1周年:02/08/29 02:03
381さんは何処へ?
676 :
名無しさん@1周年:02/08/30 01:36
仏教は「仏教徒」も「非仏教徒」も救ってはくれません。
自己が自己を救う道を示すのみです。
677 :
名無しさん@1周年:02/08/30 07:58
それを言うなら、仏教は端から救われていた事に気付くのが教えだよ。
信仰するから救われる訳ではない。
678 :
名無しさん@1周年:02/08/30 14:57
畢竟「救う者」も「救われる者」もないということに気がつくこと。
679 :
名無しさん@1周年:02/08/30 16:44
そりゃただの虚無主義だ。仏教じゃない。
680 :
名無しさん@1周年:02/09/02 21:05
>>678 そのとおりだと思います。
前にも出ていますが、救われるということはどういうことかをはっきりさせることが、
大切だと思います。
681 :
名無しさん@1周年:02/09/02 23:33
誰も救われたことがない以上、
それぞれ救いの意味が違っていて当然。
極楽へ行くことが救いである人もいれば、
この世で安心を得ることが救いだと言う人もいる。
それで一向構わないし、それが仏縁ということだろう。
682 :
名無しさん@1周年:02/09/03 00:32
仏陀の教えを実行する事を常に意識しなさい 最後に己を救うのは己の心なのだ
経典を読みこなしただけで悟りは得られない
仏陀の教えの光は常に太陽の光の如く何人にも遍く注がれている事を
忘れてはならない
この世の苦しみや迷いを乗り越えるために、まず煩悩を捨てなさい
煩悩が全ての苦しみや迷いを生みだすのだ
683 :
名無しさん@1周年:02/09/03 23:19
煩悩を捨てたらそのまま解脱。
まずは呼吸欲から捨ててみよう。
>>683 呼吸は、欲ではないでしょう。
呼吸中枢は延髄にあるのですから。
685 :
名無しさん@1周年:02/09/03 23:49
>>684 1分も息止めてごらん。呼吸が欲であることがわかるから。
686 :
名無しさん@1周年:02/09/04 02:23
何時から仏教が禁欲主義になったんだ?
つまらぬ執着いたすな。
687 :
名無しさん@1周年:02/09/04 03:58
仏教は元々禁欲主義だよ。戒律忘れた日本仏教はドキュソ。
688 :
名無しさん@1周年:02/09/04 07:09
>687
はあ?
あの程度で禁欲主義か。
執着多いんだな。
戒律守っているはずの人間の口からそんな言葉が出ようとは。
>>685 単に、「息を長く止めたいという欲」を止めればいいだけと
いうべきでしょう。
オームが、長時間の無呼吸修行をしていましたが、あれも
長く息を止めることで教義の正当性を広めたいという欲の
現れというべきでしょう。
呼吸欲は肉体が正常に機能をつづけさせるための警報のひとつ。
呼吸せずに苦しみ感じなかったらあっさり死んじゃうからね。だから死を避けるべく「苦しみ」を発する
機能が肉体にはある。まぁそれをなんと呼ぶかの話だけど。欲と呼ぶなら欲でいいんでないの?
691 :
名無しさん@1周年:02/09/05 00:18
煩悩の中に呼吸欲なんてあったかなあ?
692 :
名無しさん@1周年:02/09/05 00:33
108数えてみればいいんだろうけど知らないからな。
693 :
名無しさん@1周年:02/09/05 01:01
他人のタバコの煙が苦痛であれば、それは煩悩。
呼吸欲自体は煩悩ではない。
694 :
名無しさん@1周年:02/09/05 15:41
煩悩を捨てたいという思いも、それができなければ煩悩になりそうだ。
695 :
名無しさん@1周年:02/09/06 01:03
煩悩とはあくまでも悟りを開く事を邪魔して心を煩い悩ませる欲の事では?
釈迦は「中道を行け」と説いているでしょう。釈迦は出家してから
6年間の苦行の末、肉体を徒に苦しめる事では悟りを
開く事ができないと知った訳ですから。
696 :
名無しさん@1周年:02/09/08 00:11
釈迦の悟りは苦行の結果だと言う人もいる。
苦行して初めて苦行の無意味を悟れるとしたら、
苦行もあながち無駄ではなかったということか。
697 :
名無しさん@1周年:02/09/10 10:15
この世の全ての事柄には意味があるとするのが仏教だからな。
苦しみもまた何かを知る手がかりになるんだろう。
698 :
名無しさん@1周年:02/09/10 22:08
毎日毎日満員電車を乗り継ぎやりたくない仕事も「家族の為、自分の為」と
我慢して働く事も苦行か・・・苦しいと思っているうちは永遠に悟りには到達
できない。苦行によって煩悩を取り除けばそれが「苦」ではなくなるはず。
699 :
名無しさん@1周年:02/09/10 22:25
すみません。
仏教は救済を目的とはしておりません。
700 :
名無しさん@1周年:02/09/10 22:27
大乗は利他、すなわち救済でしょ
701 :
名無しさん@1周年:02/09/11 11:28
まず自分が悟ること、その次に仏法を人々に広める事。
それが大場仏教の教えだな。
でも仏法を実践するのは一人一人であり,自分が他の者を救済できるわけではない。
最後に努力するのは本人自身。
あくまで仏法は道標にすぎない。
真宗かぶれの工房ですが。
悪人正機は割といろいろな解釈ができる考え方ですよ。
それと「最終的にすがった者から救われる」と言う教義なので、
現世で何教か、と言うのはさほど関係がないような…
703 :
名無しさん@1周年:02/09/11 19:42
他力本願の宗教は信用できないな。
704 :
名無しさん@1周年:02/09/12 01:27
一週間肉食を絶っています。食わないと何か肉が気持ち悪く
見えてきます。
705 :
名無しさん@1周年:02/09/12 23:53
もう日本の坊主は信用できねえな・・・
706 :
名無しさん@1周年:02/09/13 04:35
>705
いえ、どこの坊主も、どの宗教家も信ずるに値しません。
自らを崇めるしかないでしょう。
>>702 基本から勉強してきなさいな。
応用は利くが根幹をはずしては意味がないぞ。
飽くまでも悪人正機は一面的な切り口であり、それを主とするべきものではない。
歴史の教科書は鵜呑みにするべからず。
708 :
名無しさん@1周年:02/09/16 01:46
>>706 どれが信用に値するかは、自分が修行して探し求めるものだよ!!
何もせんで何も信用できんのはあたり前。
709 :
名無しさん@1周年:02/09/16 02:03
>708
ふっ、嘴黄尻青だな。
何年生きて何修行したかは知らんが。
よく読んで味わってからもう一度言うが良い。
710 :
名無しさん@1周年:02/09/16 12:26
>>709 意味不明。
>707なら、悪人正機を金言としてとらえすぎ。
出世の経緯知ってます?
自らの宗義も(疑ってかかるくらい)深く洞察すべき。
711 :
名無しさん@1周年:02/09/16 14:58
>710
意味不明ではなく、理解出来ないと正直に申せ。
貴殿の如き浅薄の輩では不可能じゃ。
喰らって、はこして、寝とけ。
分からないのであれば不明を恥ずるがよい。
712 :
名無しさん@1周年:02/09/16 16:50
713 :
名無しさん@1周年:02/09/16 20:21
>712
ま、それが貴殿の限界じゃろう。
口は喰らうためだけにしなさい。
指は箸を持つだけにしなさい。
それだけが貴殿が社会に奉仕する道じゃ。
712は別人ですよ(w
715 :
名無しさん@1周年:02/09/16 21:18
>714
左様か。
見渡す限り愚か者なんてことがあるとは思わなかったよ。
で、本題はどうなったんだ?
全ての衆生を救う方向で良いのか?
716 :
名無しさん@1周年:02/09/22 22:09
佐波川ダムはマジでやばいかも
あのトンネル夜歩いたんだけど
行きと帰りの長さが明らかに違った
717 :
名無しさん@1周年:02/09/22 22:25
>716
別のトンネルだったっていう落ちはないのね?
718 :
渡海 難 ◆0AE5SZ4. :02/09/23 09:51
>>715 >全ての衆生を救う方向で良いのか?
他は救えるかも知れないが、坊主だけは取り残されるということなんじゃない
のか。
719 :
名無しさん@1周年:02/10/01 14:29
杉沢村って本当にあるの?
720 :
名無しさん@1周年:02/10/01 21:09
ここ読んで思ったことなんだが
日本のクリスチャンって、仏教徒的な人が多いね。
やっぱり日本の風土が仏教に根ざしてるからだろうか。
同じ宗教でも、国によって解釈の仕方が違うと思う。
キリスト教原理主義の人が多い国もあることだし。
721 :
名無しさん@1周年:02/10/01 23:04
>720
というか日本風仏教になってるだけだって。
本来の仏教からすればこれが仏教か? と言われそうだね。
まあ、仏教の解釈は個々人に任せられてるからね。
隣の人と解釈が全然違ったりするしね。
カソリックみたいに教皇にのみ解釈権があるっていうのも困りものだけど。
722 :
名無しさん@1周年:02/10/02 06:01
坊主が公然と肉食妻帯している仏教国は日本ぐらいのものだろう。
723 :
名無しさん@1周年:02/10/02 10:03
>722
明治政府が、どうしよもなく愚かで、宗教オンチだったせいである。
廃仏毀釈の大混乱も、その例かと。
終戦時に報復が行われなかったのは、
仏教がまともだったのか、
そんな余裕がなかったのか。
>>723 >廃仏毀釈
そうかな?
オンチではなく、計画的な神社復活策だったと思うが。
>終戦時
おそらく後者。
主だった人は投獄もしくは死亡してたからね。
尻尾振った香具師には言う資格ないし(藁
725 :
名無しさん@1周年:02/10/06 03:23
>724
無知蒙昧がばれるから話さないほうが良いよ。
和尚 わしょう、わなおとは何ですか。
727 :
名無しさん@1周年:02/10/06 09:42
>>681 「誰も救われたことがない以上」
ずいぶんとはっきり断定されていますが、どうしてあなたにそのことが分かるのですか。
「それぞれ救いの意味が違っていて当然。
極楽へ行くことが救いである人もいれば、
この世で安心を得ることが救いだと言う人もいる。
それで一向構わないし、それが仏縁ということだろう」
これでは、話が続きません。ようするに、どうでもいいということですか。
そういう話なら、「仏縁」なんていうものに価値があるとは思えません。
728 :
名無しさん@1周年:02/10/06 14:37
逆に何故誤りと申されるか開陳なさるが良かろう。
価値がないなら捨てるが良かろう。
729 :
トニオ ◆IrR9JKUWxY :02/10/06 14:42
聖霊はすべての人にはたらきかけるにょ〜ん。
殺人者も殺人で徳をつむにょ〜ん。
730 :
名無しさん@1周年:02/10/06 21:39
>>728 普通に話せないの?
どっかのご隠居のキャラかな。
731 :
名無しさん@1周年:02/10/06 23:40
>727
この世には、浄土門をくぐる人もいれば、聖道門を訪れる人もいます。
私は、たまたま浄土門を仏縁といたしました。
その立場から、他力であれ自力であれ、同じ仏道と考えています。
ただ、「救い」の意味が異なるようです。
「誰も救われたことがない」とは、
この世で救われている人を知らないという意味です。
世間が狭い奴という意味に受け取っていただいても構いません。
732 :
名無しさん@1周年:02/10/07 00:07
>730
理解出来るならば問題なかろう。
枝葉末節に囚われても仕方なかろうに。
733 :
名無しさん@1周年:02/10/09 22:03
坊主は肉食をしないというのは嘘です。
その坊さんの為に殺された生きもの(植物含む)は口にしませんが、
供養として頂いたものは、ありがたくいただきます。
それが仏教の精神です。
734 :
名無しさん@1周年:02/10/11 04:57
>731
この世で救われている人を知らないという意味です・・・
-----------------------------------------------------
どういうのを、「救われている人」と考えられるのでしょうか。
あの世なら、「救われている人」がいるとお考えですか。
道元、日蓮、空海などなどの有名な人たちも、救われていないのですか。
735 :
名無しさん@1周年:02/10/11 10:52
>734
「道元、日蓮、空海などなどの有名な人たちも」
在世中は救われていなかったと考えています。
おそらくは、あの世なら「救われている人」がいるんでしょうね。
勿論、私もいまだ「あの世」を知りませんが。
736 :
名無しさん@1周年:02/10/11 14:28
>733
はい、その通りでございます。
かような解釈したのは中国と、その影響を受けた国だけですね。
布施されたものを食しないのは布施した方の功徳にならないそうですから。
空海・道元・日蓮は生きながらに成道したと思うが。
737 :
名無しさん@1周年:02/10/11 16:29
>736
空海・道元・日蓮は、「証」を得られない時代を生きた出家です。
それ故、この世では救われていないと考えています。
738 :
名無しさん@1周年:02/10/11 22:15
>737
あ、それが間違いなんだって。
前提が間違ってるから結論が間違ってるんだよ。
739 :
名無しさん@1周年:02/10/12 08:26
>737
空海・道元・日蓮などの宗祖も救われないとなると、
仏教徒でないものは当然救われるわけがありませんね。
740 :
名無しさん@1周年:02/10/12 10:36
>739
人を救うどころか自身さえ救えない、そうした時代に
何故救いとしての仏教が伝えられているのか?
法然や親鸞の出発点はそこにあると考えています。
そして、仏教徒でないものはおろか、路傍の小石にいたるまで救われている、
それが彼らの到達した結論だったろうと思います。
741 :
名無しさん@1周年:02/10/12 11:44
残念ながら、仏教を信じても誰も救われません。
だから、仏教は、仏教徒じゃない人も当然救い得ません。
皆さんには申し訳ないが、これが事実だとわたしは思います。
しかし、イエス・キリストにこそ、真の救いがあります。
新約聖書:使徒言行録4:12「ほかのだれによっても、救いは得られません。
わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、
人間には与えられていないのです。」
一度、そのことを真剣に調べてみる価値はあるんじゃないですか?
益にこそなれ、無駄にはならないと思います。
皆さん、イエス・キリストこの人を信じてみませんか。
わたしはそのことを本気でお勧めします。
742 :
名無しさん@1周年:02/10/12 12:17
>741
残念ながら、キリスト教を信じていて、
地獄に落ちようという者も阿弥陀如来が救って下さいます。
最後の審判に漏れた者すら、弥勒如来が救って下さいます。
当然に他の如何なる宗教の救済から漏れた者も、あらゆる如来が救って下さいます。
イエスの救いも否定するものではありません。
新約聖書に従って救われるのも方法の一つです。
広大無辺の救済である仏法こそ最後にして最大の救いでございます。
743 :
名無しさん@1周年:02/10/14 07:22
>740
[そして、仏教徒でないものはおろか、路傍の小石にいたるまで救われている、
それが彼らの到達した結論だったろうと思います。]
仏教特有の言葉遊びだと思います。実際にはどうなのだと、思います。小石なんか
が救われているということに意味があるとは思えません。そういうわけのわからない
ことをいうのが仏教徒の悪いところです。
744 :
名無しさん@1周年:02/10/14 09:01
>743
どのようなことでも、わかる人がいれば、わからない人がいます。
仏教徒もいれば、それ以外の人もおります。
同じ念仏をしていても、他力と自力の違いがあります。
それはそれで仕方のないことです。
745 :
名無しさん@1周年:02/10/14 11:39
日本における一乗論の極致の一つでございます。
山川草木悉有仏性。
全てが仏のお姿でございます。
あなたも私も
山も川も
草も木も
仏であることに気づかないのみです。
746 :
名無しさん@1周年:02/10/14 13:06
>745
しつこくて申し訳ないが、やはりことばの遊びとしか思えません。
だからどうだというのでしょう。「みんな神の子」という宗教もあります。
何とでもいえます。しかし、現実は、現実です。
日本の仏教はそんなことを言っているから、葬式仏教になったのです。
ほとんどの僧侶が修行してないではないですか。
言葉におぼれてはいけないと思います。
>>745 転じて殺生するな、食べ物を粗末にするな、むさぼるな、周りの
恵みを感じて生かされていることを認識しろってことでない?
いい加減な解釈なのでさげ
749 :
名無しさん@1周年:02/10/14 15:49
>746
言葉に溺れてるのは貴殿にござそうろう。
言葉を弄んでるも貴殿にござそろう。
現実を見てないのも貴殿にござそうろう。
葬式仏教しか求めてないのも貴殿にござろうそう。
修行を僧侶のみに求めているのも貴殿にござそうろう。
750 :
パリサイな仏教徒:02/10/14 16:02
〉1どんな宗教でもそうだが、悔い改めないと駄目。念仏さえ唱えりゃいいってもんじゃねー(既出だと思うがゆーてみる。)
751 :
名無しさん@1周年:02/10/14 16:51
全て救う。
決定済。
752 :
名無しさん@1周年:02/10/14 18:03
>746
突き詰めて言えば、すべての宗教や哲学は言葉の遊びです。
その遊びの底に、言葉にならない各人各様の現実があるわけです。
その現実の実相は伝えようがありませんが、葬式仏教の僧であれ、
自分自身という現実を生かされていることに変わりはありません。
他人が修行しているかどうかはどうでもよいことだと思います。
753 :
石川 孝子:02/10/14 18:10
あんたらバカですねぇ〜
754 :
名無しさん@1周年:02/10/14 21:03
>753
いや、貴殿には遥かに負けるな。
我々が世界一の賢者と誤解する位に。
755 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:16
>>681 >誰も救われたことがない以上、
そんなこたぁ、無い。貴方が信じるかどうかどうかは知らないが、僕は
救われているんだ。
僕は仏道修行者の一人なんだよ。僕の前には同じような人がたくさんいる
んだ。僕はそういうイスに座っている。末席の末席だけど、紛れもない仏道
修行者のイスに座っている。このイスは僕の後には誰もいない。ま、自慢に
はならない「どん尻」だけどね(苦笑)。
僕の住む仏道修行者の世界には、伝教大師がいる。弘法大師がいる。道元
禅師がいる。そうそうたる高僧達が無数にいるんだ。僕はその同じいすにす
わっているそんな世界の一人なんだ。立派なものだ。「どん尻」というのは
自慢にならんな(苦笑)。
念仏を称えているだけで仏道修行者の一人だなどと言えばおこがましいと
言われそうだが、少なくとも唐の時代の歴史的高僧、末法の世の最高位の高
僧である善導大師が、僕のことを仏道修行者として認めてくれておる。立派
なものだ(微笑)。
756 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:17
僕は、好人、妙好人、上上人、希有人、最勝人さ。681は認めてくれな
くてもいいんだよ。681なんかには救われてるなどと言って貰う必要はな
い。認めてくれなどと僕は誰にも言わない。善導大師一人が認めてくれてる
からそれで十分さ。
人生で困ったとき、僕は座禅して念仏称える。観音・勢至は常に僕に随い
て影護してくれる。影護してくれると言っても、ま、限度はあるかも知れな
い。でも、かなりの厳しい状況まである程度凌げるだろうと思っている。
畏れ多いことだが、現代において念仏を称える僕を、弥勒菩薩に等しいと
言ってくれてる人までいる。僕が弥勒菩薩に等しいなどと言えば、オーバー
な冗談の感じもするが、先方は真面目らしい。
僕は、自分じゃ弥勒菩薩に等しいなどと思ってない。まして、他の人にも
そう認めて欲しいなどと思ったこともない。でも、弥勒菩薩に等しいと言う
表現を使ってまで、僕には念仏を勧めてくれてる人がいる。これは事実だ。
僕は仏道修行者の一人。だから仏さんの仲間なんだ。死んだら地獄に堕ち
るかも知れんが、少なくとも生きているうちは僕は念仏を称える。だから僕
は、少なくとも生きている間だけは仏さんの仲間だ。死んだら知らないが、
生きている内は、救われているのさ。
757 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:18
>それぞれ救いの意味が違っていて当然。
仏道修行者の仲間に入らないで、自分は救われてるという人がいれば、僕
は相手にしないね。
>極楽へ行くことが救いである人もいれば、この世で安心を得ることが救い
だと言う人もいる。
この世で安心を得るなんてことは不可能だろう。この世で安心を得ること
が救いだと言う人は、救いがないということだな(笑)。
>それで一向構わないし、それが仏縁ということだろう。
「それが仏縁ということ」は、みな救いという同じ意味になると言うこと
か?。救いの意味は違うのか、違わないのか?。 <<論理の自爆か?。>>
>>722 >坊主が公然と肉食妻帯している仏教国は日本ぐらいのものだろう。
<価値観が違うんだからいいんじゃないのか。>
758 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:19
>>723 >明治政府が、どうしよもなく愚かで、宗教オンチだったせいである。
幕末に勤王を助けた浄土真宗の坊主が維新政府の要職に入ったからだろう。
この辺は、近代仏教史、近代浄土真宗史、日本政治史の専門家に聞く必要が
ある。
浄土真宗は唯一、無戒を標榜する宗派なんだ。無戒を標榜する唯一の宗派
が、自分たちの教義の物差しで仏教界をまとめようとした。こんなことした
らだめだよな(笑)。
>廃仏毀釈の大混乱も、その例かと。
廃仏毀釈の本質は神仏分離と神道国教化という面がある。神仏分離は、真
宗の教義そのものだ。廃仏毀釈では、真宗寺院はどこも困らなかった。困っ
たのは、幕府と関係が深く、幕末には佐幕に回った諸宗派だ。
長い間虐げられてきたという恨み辛みを懐いていた真宗の、他宗派に対す
るしっぺ返しという面があったのか。
>終戦時に報復が行われなかったのは、仏教がまともだったのか、そんな余
裕がなかったのか。
一億総懺悔と言われた時代だ。仏教諸宗派は、自分の火の粉を払うので精
一杯。その間隙で勢力を伸ばしたのが創価学会だ。
>>727 >そういう話なら、「仏縁」なんていうものに価値があるとは思えません。
<うん、うん。>
759 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:21
>>728 >逆に何故誤りと申されるか開陳なさるが良かろう。
<貴方とは感性が違うようだ。>
>価値がないなら捨てるが良かろう。 <何を?>
>>735 >「道元、日蓮、空海などなどの有名な人たちも」在世中は救われていなかっ
たと考えています。
価値観の相違だな。彼らはみんな優れた教育者だった。彼らによって多く
の賢人哲人が育てられた。彼らによって育てられ、生きる力を与えられた多
くの賢人哲人達は、彼らを先生と呼んだろう。
釈迦の教えに従って多くの賢人哲人達を育て、自らの認識を多くの人と共
通の財産として共感的に享受しあい、生きる勇気を与えることに成功した人
々を、「救われていなかった」と言うなら、僕は735と価値観が違う。
>おそらくは、あの世なら「救われている人」がいるんでしょうね。
夢物語だな(笑)
>勿論、私もいまだ「あの世」を知りませんが。
<自分の知らない世界のことを言うとは、どういう神経だろうか(笑)。>
760 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:22
>>736 >空海・道元・日蓮は生きながらに成道したと思うが。
成道とはどういう意味か知らないが、人間にとして素晴らしい歩みをしたと
思う。多くの賢人哲人達を育て、自らの認識を多くの人と共通の財産として共
感的に享受しあうことに成功するということは、素晴らしいことだ。
人間にとっての幸せは、真理を明らかに出来ること。相手がそれを真理とし
て受け止めて認識してくれること。彼らはそれができた人々だろう。
>>737 >空海・道元・日蓮は、「証」を得られない時代を生きた出家です。それ故、
この世では救われていないと考えています。
杓子定規の教条主義だな(笑)。
彼らは証に向かって生きようしていた人だろう。何時の時代でも、どのよう
な形であれ、一歩でも二歩でも証に向かって生きようすることは素晴らしいこ
とだ。
証に向かって生きようされた方々の生き様の素晴らしさが感じられない人に
は、救われているとか救われてないとかいう資格はないだろう。
>>739 > 空海・道元・日蓮などの宗祖も救われないとなると、仏教徒でないものは当
然救われるわけがありませんね。
仏教徒でも救われないことになるんだよ。
761 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:24
>>740 >それが彼らの到達した結論だったろうと思います。
他人の結論はどうでもいいよ。貴方の結論はどうなの?。
>>741 >残念ながら、仏教を信じても誰も救われません。
<貴方には残念ながら、ぼくは仏教で救われているから仏教で十分なのさ。>
>>743 >そういうわけのわからないことをいうのが仏教徒の悪いところです。
<そう、そう。>
>>744 <??>
>>745 >山も川も草も木も仏であることに気づかないのみです。
<だったらそれが何なのさ?>
>>746 >言葉におぼれてはいけないと思います。 <そう、そう。>
762 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:25
>>749 >言葉に溺れてるのは貴殿にござそうろう。
「貴殿<746>は言葉に溺れてる」、と思ってるのは、貴殿<749>で御座候。
「貴殿<746>は言葉を弄んでる」、と思ってるのも、貴殿<749>で御座候。
「貴殿<746>は現実を見てない」と、思ってるのも、貴殿<749>で御座候。
「貴殿<746>は葬式仏教しか求めてない」、と思ってるのも、貴殿<749>
で御座候。
「貴殿<746>は修行を僧侶のみに求めている」、と思ってるのも、貴殿
<749>で御座候。
ナニガイイタイノヤラ??(笑)
>>750 >どんな宗教でもそうだが、悔い改めないと駄目
<現実の生活に変化が生じないよね。念仏とは懺悔道の具体化なんだよ。>
>>751 >全て救う。決定済。 <迷信だな>
>>752 >自分自身という現実を生かされていることに変わりはありません。
生かされていても現実には多くの不幸がある。現実によこたわる多くの不幸
を一つ一つ解決していかないと、真の幸せはない。生かされていながら多くの
不幸が存在する。この現実にどう貴方(752)は立ち向かっていくのか。それ
を貴方に教えてくれるのが仏教だ。
>他人が修行しているかどうかはどうでもよいことだと思います。
<そうそう。それで、貴方は自分の人生の舵取りをどうしますか?。>
763 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 12:27
>>754 >いや、貴殿には遥かに負けるな。我々が世界一の賢者と誤解する位に。
いや。貴殿<754>には遥かに負けるな。
「『我々<754ら>が世界一の賢者』と(他人に)誤解されている」と誤解す
る位に(笑)。
ホントハ、ダレモ、ナントモ、オモッテナインジャナイカ。
764 :
名無しさん@1周年:02/10/15 13:50
凄まじい妨害電波が入りましたが
2chブラウザ等で除去してください。
あれでも救済決定済なので、
安心して生きてください。
ああ、なんという広大無辺の慈悲。
765 :
名無しさん@1周年:02/10/15 18:16
渡海何で関係ない人にレスしてるの?
766 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/15 19:23
>>764 >2chブラウザ等で除去してください。
<まぁ、えらくケツの穴の小さい御仁だ(笑)。>
>あれでも救済決定済なので、安心して生きてください。
あんたにそんなこと言われたくないね。そんなことあんたに言われると、僕は
救われてないのかと思いたくなるよ(笑)。救済も決定も、アンタのケツの穴か
ら見えるそんな世界の話じゃないだろう。
>ああ、なんという広大無辺の慈悲。
<小さいケツの穴から覗いて、広大無辺もないもんだ(爆笑)。>
>>765 >渡海何で関係ない人にレスしてるの?
<何かまずいレスでもありましたか?。>
767 :
名無しさん@1周年:02/10/15 19:51
ちいさな子供が、大人の話に割り込んでくるようなもの。
放置が一番なんでしょうね。
768 :
名無しさん@1周年:02/10/16 17:49
「ケツの穴の小さい御仁だ」
「アンタのケツの穴から見える」
「小さいケツの穴から覗いて」
なるほど、肛門期を脱し切れてない。
769 :
名無しさん@内診台:02/10/16 18:05
ブッダは西方極楽浄土なんか説いていません。
いわゆる『浄土経典』は、紀元1世紀頃に創作されたものです。
770 :
名無しさん@1周年:02/10/16 19:04
ブッダは存在しません。
いわゆる仏教は、紀元0年頃に創作されたものです。
771 :
名無しさん@1周年:02/10/16 19:42
キリストは架空の存在ですが、ブッダの史実性は否定できません。
772 :
名無しさん@1周年:02/10/16 19:59
あなたは架空の存在ですが、以下略。
>>768 顔にひっかけられて、雨だ雨だと喜んでいる坊主蛙だな(笑)。
774 :
名無しさん@1周年:02/10/16 22:52
小便もいつかは難渡海に注ぐ。
775 :
名無しさん@1周年:02/10/16 22:56
山川草木悉有仏性。
広大無辺の慈悲により全て救われます。
>>771 仏陀もキリストも、存在したとしても
「神」でないことは間違いないでしょう。
777 :
名無しさん@1周年:02/10/16 23:00
>>774 あなたも誰かの小便を飲んでいるんだよ。
よほど上流に住んでいなければ。
778 :
名無しさん@1周年:02/10/16 23:03
おしっこを飲む健康法ってありましたけど
実行している人いる?
779 :
名無しさん@1周年:02/10/16 23:09
>777 フィーバー
輪廻転水。小便は問題ではない。
「小便を飲んでいるんだよ。」と言う人の心のほうが問題だな。
780 :
名無しさん@1周年:02/10/16 23:11
「ウンコ食べているんだよ」のほうが問題だ
きたない!
>>778 蛙はひっかけられっぱなしだけど、ひっかけられると坊主はそれを飲むそうだ。
面の皮の厚さじゃ、坊主には勝てないよな。
782 :
名無しさん@1周年:02/10/16 23:24
難渡海というのは教行信証からの引用です。
どこかのコテハンのことではありません。
783 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/17 07:09
>>782 誤解があるようです。
コテハン 渡海 難 → 「渡」
教行信証 難渡海 → 「度」
784 :
名無しさん@1周年:02/10/17 19:58
救われている割には細かい人ですね。
785 :
名無しさん@1周年:02/10/17 21:26
それでも救われるので御安心を。
786 :
名無しさん@1周年:02/10/18 11:07
救いというのは、人に与えてもらうものではないと思います。
ある事象が存在するというばあいに、通常原因になる何かがあります。
その原因となるものがなければ、その事象は存在しません。
これを踏まえた上で、自ら納得して行ったことであれば、後悔というのは
少なくなるでしょう。
後悔というのは、何かするべきことをその必要な時に行わなかったとき
「ああすればよかった」「もっと、こうするべきだった」と思うもので
出来るだけのことをしたのであれば、後悔はありません。
後悔することなく 進む状態を救われた状態
悩みのない状態といえるのではないでしょうか?
そういう意味であれば、仏教徒、である必要はないのではないでしょうか?
スッタニパータなど、初期の仏教教典には超能力者のような仏は
描かれていません。
ただ、そこには現在は、過去にあったことの結果であること、
結果に満足しないのであれば努力が必要であること。
努力した上の結果であれば、後悔することはないということ
ひたすら、努力し続けるということ、サイの角のように、
というようなことがしるされています。
仏教は、本質的には努力主義ですし、日本の仏教の表現に
誤解を招くようなところがあるのも事実だと思います。
787 :
名無しさん@1周年:02/10/18 13:31
先の方が長々と書かれたが、
一言で言えば今この瞬間を生きよである。
788 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/18 20:14
>>784 >細かい人ですね。 <はい。心が繊細なんです(微笑)。>
>>785 >それでも救われるので御安心を。
気休めだな(笑)。
自分に言い聞かせ、自分を慰めるために呪文を発しているんだろう。胸の内は、
自信もなく、不安で一杯なんだろうに。
もっと自分に素直になれよ。おーい、785ーォ。
>>786 貴方の言うことは難し過ぎてよう分からん。要するに貴方は、救われているの
か、救われていないのか。
今後、貴方は自分をどうしようと言うんだい?。このまま開き直るのか、何かに
向かって精進するのか。他人のことなど、僕にはどっちでもいいんだけど、ついつ
い気になるんだよね(苦笑)。
>>787 >一言で言えば今この瞬間を生きよである。
あなたが今この瞬間を生きれば十分なんじゃありませんか?。他人が今この瞬間
を生きているかどうかなどは、どうせ知ったこっちゃないでしょう。
789 :
名無しさん@1周年:
閑話休題。
>1さんにとって、「救い」とはなんですか?