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名無しさん@1周年:
開祖さまは交成会会長を辞し、新たに教団を興する決心だったそうです。
今では完全に崇拝の対象になっている開祖さま。当時は妙佼先生のほうが崇拝対象になっていて、
一部の幹部からは開祖さまはうっとうしい存在だったのです。
妙佼先生を教祖としたい幹部が、開祖さまに対して、全教団幹部および支部長の血判状を作成したのです。
当時は今ほど情報網が発達していませんでしたから、地方では何にも影響ありませんでしたが、
本部周辺ではそれこそ大変だったみたいです。不思議なものでその直後、妙佼先生が病に倒れ、
結局有耶無耶になってしまいましたが、もし妙佼先生が元気であられたならば、今の佼成会は絶対にありえなかったでしょう。