●●●宗教とは、切なく、優しい嘘?●●●

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79名無しさん@1周年:02/08/15 13:49
家族や故人を捨ててまでキリスト教に逝く必要なし。
801 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:51
>>77
そうですね、ありがとうございます。
もっともっと知らなければならないコトがありますね。
でも、教会に行ってみる等、色々行動して見たいと思います。
8173:02/08/15 13:52

821 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:56
>>79
ああ、そういう考え方はしたこと無かったですね。。。フム
8373:02/08/15 14:01
キリスト教の欠点に関しては他のスレッドに沢山書かれたあります。
よくお読みになって。私は一度はキリスト教信仰告白したものですが
結果、かえって自分自身の向上の妨げになりました。幼稚な面が目に余り
過ぎました。それで仏教に帰りました。両親には言ってなかったので
もとの仏教でおさまり結婚式も迷いなく両家の仏式でしました。

しかし貴方って大変臆病な人ですね。まだ若い人と見受けられますが。
早いうちお薦め本を読むといいでしょう。
84名無しさん@1周年:02/08/15 14:07
自分が、宗教を受け入れるにあたり、祭儀は重要な意味を持った・
頭で理解することに、諸々の理由で困難がある、あるいは困難を覚える場合、1から10まで
決められた「かたち」をなぞっていくことが、受け入れのおおきな助けとなっている。
行動が心をうなずかせるとき、宗教の胡散臭さがあまり気にならなくなった。
宗教のうそっぽさが我慢できないが、信仰は持ちたいという人向きの宗教もある。
851 ◆XOGe3jPA :02/08/15 14:08
>>83
そうなんですか。他のスレッドに今から目を通してみます。ありがd。

>しかし貴方って大変臆病な人ですね

良く言われます。(w
でも臆病な方が良かったりする時もありますよ(w
86名無しさん@1周年:02/08/15 14:23
83は、自分より、思慮深い人間と出会うと、臆病者呼ばわりするんじゃないか?
87名無しさん@1周年:02/08/15 15:26
あなたがたは、この世では悩みがある。
しかし、勇気をだしなさい。私はすでに世に勝っている。
88名無しさん@1周年:02/08/15 15:30
そもそも>>1はどうしたいの?
89名無しさん@1周年:02/08/15 15:31
あ、あああああああ、あほか。
90名無しさん@1周年:02/08/15 18:24
90ゲト
91名無しさん@1周年:02/08/15 18:36
>>67
>なにせ、死んでから半世紀もたってから、宗教家たちが
>カトリックの布教に都合のいいように書いたのが「聖書」。

その当時、まだカトリックはありませんでした・・・。
カトリックができたのは、それから300年以上あとのことです。
92名無しさん@1周年:02/08/15 18:48
>>67

聖書の原文が書かれた当時というのは、
使徒たちの伝道の働きがあって、教会が方々に散らばって、
それぞれに運営されていた時代。

新約の多くを占める「手紙」は、パウロなどが、
それぞれの教会に信仰指導のために書き送ったものでした。

レオ1世がそれら教会をひとつにまとめ、「カトリック」を
名乗ったのは4世紀ごろのことです。
93名無しさん@1周年:02/08/15 18:53
美輪明広さんが宗教と信仰は違うとかいてた。輪廻を信じるほうだが団体には入ってない。
94名無しさん@1周年:02/08/15 18:55
うちの牧師もキリスト教がなくなっても別にかまわない、って言ってたよ。
イエス・キリストさえいてくだされば良いって。
牧師なんだから、仕事なくなっちゃうけどね。
951 ◆XOGe3jPA :02/08/15 22:08
>>88
みなさんの宗教に対してのスタンスや自分の中での位置付けを
聞いてみたいのもありますし、その中でより良いと思える考え方を
みつけれればいいなとも思います。
>>93>>94
宗教と信仰の違いですか。なるほど。
ああ、そういう捉え方が出来ると素晴らしいと思います。
いわば宗派にこだわらずに根元をつきとめることによって
自分独自の考え方を生み出すことが出来ますね。
でもそれすらもつきつめると、神という存在を自分の心の中に感じることが出来るし、
誰だって神様なんだ、なんていう考え方にも辿り着くかもしれませんね。
96名無しさん@1周年:02/08/16 03:08
>>1
94だけど、うちの牧師が言ってたんだけど、牧師というのは
「召命」というのが必要なんだって。神様から「あんたは牧師を
やんなさい」って言われて、もうイヤなんだけど、神様がどうしても
やれって言うから…って。信徒も、ある意味ではそういうところもあるんじゃないかな。
モチロン、神の声が聞こえるワケじゃないけど(w
嫌なときもある、神を思う事が。イエス・キリストという人は、ほんとに信徒ひとりひとりに
自分のほんとの姿を見せる、鏡みたいな方で。神に祈ろうとすると、「うわっ、こんな自分が
神に祈る資格なんてあるんかな?」とか「何一つ教えを守れてないんじゃないか」とか
とにかくイエスに対して恥ずかしいことだらけで、泣きたくなるほど思いたくない時もあるんだな。
こんなに恥ずかしい思いをするくらいなら、いっそ捨てちゃった方が良いなぁ、なんて
思うんだけど、でもやっぱりダメなんですわ。棄てられないし、神も自分を棄てない、決して。
やっぱりどこかで恵みや愛を感じてしまう。(←盲信!って言われるんだろうけどw)
だから>>1は考え方とか勉強とか「信仰によって楽になるかも」というような
ことも言ってたように思うけど、実際のクリスチャンはほとんど主に対して
恥ずかしい思いとかを日々経験してるんじゃないかな。丸裸にされるわけですよ。
「罪の告白だけで1000目指すスレ」でもみんなそういうことばっか書いてる。
あなたが信仰に対して「良い考え方」とか「勉強」というのはよく解るけど、
いくら勉強しててももし本当に信仰を持つようになれば、こういうことを嫌でも経験する。
でも同時にこれを通して、神の恵みとか愛を感じる事もまたできると思う。
逆に言うとあなたは今の時点では、決して神を感じることはできないと思う。
自分の意志に重きを置きすぎてるとおもうし、前にも出てたけどやっぱりこんなところで
何かを考えたりしてるよりも、まず飛び込んでみるべきだと。
というか、無理やりにでも自分を飛び込ませる、そういう自分の意思を超えて働くものこそが、
召命や恵み、神の愛なんだと思う。
まぁ、あくまでこっちから見た意見しか言えないけど、
言わせてもらったら、後はあなたがそれに気付くか気付かないかだけだと思うよ。
97名無しさん@1周年:02/08/16 12:57
>>1
何よりも自分自身に出会うことじゃないのかな。
98名無しさん@1周年:02/08/16 17:59
優しいかどうか知らないが、嘘なのはたしかだとおもふ
99名無しさん@1周年:02/08/16 22:32
>>1よ来い〜age
100名無しさん@1周年:02/08/16 22:36
100getしてみるテスト
101名無しさん@1周年:02/08/16 22:36
>>93 美輪明広ってのは何者だ?
102100:02/08/16 22:37
世人の言う「現実」はロクでもない嘘だ。同じ嘘なら、よりマシな嘘を付け。
103名無しさん@1周年:02/08/16 22:40
>>102
と、いうと?
104100:02/08/16 22:42
お風呂入ってこなくちゃ
105名無しさん@1周年:02/08/16 23:39
あ、逃げた!(w
にしても、>>1来ないな〜
106名無しさん@1周年:02/08/24 01:42
立て逃げされちっち…みんなで真剣に考えてたのになぁ〜
107名無しさん@1周年:02/09/02 14:54
人間はいつ死ぬかわからないじゃないですか。
身近な人間が死ぬと、あわてふためいて、宗教をかじったりして。(=漏れ)
108名無しさん@1周年:02/09/02 16:11


   救いどころか、気休めにもならなかったぞ、キリスト教!



109名無しさん@1周年:02/09/02 16:20
>>108
本物のキリスト教じゃダメダメ。
エホバとかモルモンとか統一とかがいいよ。
110もみの木BABY:02/09/03 15:15
>1
切なく優しい嘘かもねーでもさ、大自然の摂理ってものは、厳然と
存在するわけでしょう?
たとえば、明日死ぬ人が、神様のリストに載ってて、でも本人はそのことを
知らないっと・・・いうようなばやい。
そういう誰も逆らえないような、大自然の法則みたいなものを、神と
呼んではいけないのかなー?
と、私自身も少々疑問もあるけど、今のとこそう思っています・・・
111名無しさん@1周年:02/09/03 19:46
それを必要としている人には何よりかけがえの無いものの一つだと思う>切なく優しい嘘
死後も前世も無いたった一度切りの人生なら尚更…
112名無しさん@1周年:02/09/07 11:18
自然は、どこまでも自然であって、「神」という人工的な概念とは異なる。
113名無しさん@1周年:02/09/07 12:31
「人工的」という概念も
始めから自然に内包されている。
人が神(という概念)を生み出す行為自体自然である。
114通行人A ◆Bjq.7aAo :02/09/07 12:49
大昔の「神」と言う言葉は
不思議な事への理由付けの一つだったと思う
と言う意味では道具と同じで
上手く使えばとても有益なもの
結局は利用者次第で(略
115名無しさん@1周年:02/09/07 17:01
>>114
>結局は利用者次第で
そーなんでしょね。
人間と対峙する自然の法則としての神は、確かに人工的なもの
概念としての神というか、
(う、わからなくなってきたじょ・・・モゴ)
でも兎に角、神はいると信じる。
その神が、人間としての自分に何を要求するか(=何を具体的に信じるか)
は、やはり聖書あたりがいいのでしょうか?
だって、歴史的にも長いし、ポピュラーだし、人間にこなれてるっつーの?
116通行人A ◆Bjq.7aAo :02/09/07 19:21
キリスト教に関しては
何百年もかけて修正追加して
沢山の間違いをおかしながらも
覇権を守りつずけたのは
リッパな事だと思う
運営(経営)側の怪しさと
現場側の頑張りを見ると
今後も長く栄えるのかもしれませんね
117名無しさん@1周年:02/09/14 22:55
信じたいけど疑ってしまう。それを無理に信じた振りをすることは無いとおもう。
なぜ疑わしいのかその疑問点を掘り下げていけばいいと思う。
神話は言葉にしにくいことを何とか感じさせるための御伽噺でその言葉自体を
しんじることはばかげてる。
信じようとして疑っていること自体すでに信じているようなものだし、その神
に真実と救いの意思があるのなら疑いを除くのも神の力であって自分でしなくと
もよい。
神が真実の光であるのなら疑いの心が起きているのを照らすのも神だし、疑いの
原因を照らしてくれるのも神だと思う。
信じている振り、無理やりな信心は神の力を信じてないからだろう。

118名無しさん@1周年:02/09/15 02:22
キリストから直接教えを聞いた訳じゃないからなぁ・・・・
嘘かどうかはよー判らん。

釈迦は「神はいるのか」等の問いに答えていないとかどっかで見た。
それは人が考えても知り得ない物と言うに止めた。(違ってたらスマソ)
何となく私の感覚ではこっちのほうが信頼できるな。少なくとも嘘ではない。

誰かも似たような事カキコしてたけどお説教でも聖書でも経典でもいいけど
人生や生き方を考えていく為の「道具」でいいんじゃないかなぁ。
歴史でも哲学でもいいと思う。

「信仰」については個人的な見解だけど精神的には楽になっても日々迫り来る
現実に立ち向かって生きていくのは結局自分の意志に基づくものだと思うな。
神がいつも傍にいらっしゃり、慈愛をそそいで下さる。
それを信じるのは構わないが自分の弱さを見つめ、立ち向かうことを避けていては
ただの甘えに思える。神に甘えているのではないかと。
もちろん、皆がそうだと断言している訳じゃない。私の目にそういう方が多く映るという
だけです。(長文スマソ)
119名無しさん@1周年:02/09/15 02:37
現実に立ち向かうためにも神への甘えが必要なのでは。
神、真実、救い、にしっかり手を握られて初めておそるおそる目を薄目でもいい
から開けていく。甘えと信頼を排除して育てられた子供に健やかな成長はできない
とおもいます。
120118:02/09/15 03:09
>>119
いや、「いつまでも避ける」→「甘え」ということを意図したカキコなんですが・・・
立ち直るきっかけは人により、また状況によりそれぞれでしょう。

>甘えと信頼を排除して育てられた子供に健やかな成長はできない
とおもいます。
その意見には概ね同意なんですが、甘える対象が「神」である必要性があるのかどうか・・・
まぁこれは個人的な意見なので。

やはり「神への信仰」には抵抗あるなぁ(苦笑)
私はどちらかというと仏教寄りの思考の持ち主なので。
121名無しさん@1周年:02/09/15 08:41
無神論はともかく
単純に神仏に感心の無い立場から見れば
神様も仏様も同じに見えるんだけど?
122名無しさん@1周年:02/09/15 14:17
キリストの時代にはエジプトに仏教徒がいたらしい。仏教、ヴェーダ、の影響
があってもおかしくないらしい。
>>120
信頼できてなおかつ真実を見せてくれるなら何でも良いんでは?実はキリスト教
はかじっただけなんだけど(W,キリスト自体はみんなが神の子であり自分だけが
神の一人子であり続けると言ってないそうだ。

123120:02/09/15 23:14
>>122

>信頼できてなおかつ真実を見せてくれるなら何でも良いんでは?

道を選ぶ自由は当人にあるからね。私個人はそれがたまたま「信仰」ではない。

>実はキリスト教はかじっただけなんだけど(W,キリスト自体はみんなが神の子であり自分だけが
>神の一人子であり続けると言ってないそうだ。

フム。興味深いねぇ・・・
私の解釈(妄想に近いが)は「神は私(キリスト)を通じて真理をのたまう」といった
伝道師のようなスタンスにいたのではと思ってます。
釈迦もまさか自分が神様のような扱いされるとは思わなかったろうね。
124122:02/09/16 00:21
もしあなたが自分自身を知ったら、そのときには
あなたは知られよう、そして知ろう
自分がいける父の子であることを
しかしもしあなたが自分自身を知らなかったら、そのときには
あなたは貧困のうちにある、そして貧困そのものだ

僕にとってのキリストは戦う大乗の菩薩、ユダヤ人に分かる言葉を使う菩薩
です。
125123:02/09/16 01:54
>>124
うむぅ・・・ ここで「父の子」の議論を始めると無限ループにはまりそうなので
敢えて私の意見は書かないが・・・ 「信仰」が必要条件な考えでもあるし。
確かに大乗的ではあるけど黙示録のことを考えると・・・・
大乗仏教とは微妙に違うと思うなぁ。まぁ私の浅はかな知識では何とも言えませんが(^^;
ってかそんなつもりのカキコでは無いか(汗)

そういや仏教にも末法思想ってのがあったね。まぁ後世の人が作った方便だろうけど。

ただ、本来の仏教(というか釈迦の説いた理論?摂理?)というのは簡単に書くと
「苦」の発生するプロセスと「世界の摂理」で(なんか微妙に違う気がしますが)
およそ「優しい嘘」ではないという気がする。もし嘘だとしたら「厳しい嘘」かな?
ただ、極めて論理的だと思ったりする。
用語や詳細はよー知らんので他のスレなり専門書なり見て下さい。


つーか理解してないと自分の言葉で表現できないねやはり(^^;
ハクチ認定されそうだ(笑
126名無しさん@1周年:02/09/16 21:07
エー、実はその末法思想の方便である念仏に甘えた人間です、(W
しかしこの甘えが無いと全部投げてしまいそうできっとこれからも甘えていくでしょう
僕にとっては嘘というか仮設されたものです(特に極楽)
死んだらおしまい、と考えるより仮設されたものだと分かっていても極楽に逝って
力をつけたら同じような馬鹿の力になってやれる。
そう考えて生きていくほうが何となくだけどいいようにおもいます。
ただ僕自身は往相回向も、還相回向も今生きているうちにいっしょに起きている
事だと思ってます。
とゆうことで念仏をとうしてキリストを見てる僕はきっと異端です(´л
127名無しさん@1周年:02/09/16 21:17
>>126
浄土系はキリスト教と似ているという意見はたくさんある
128名無しさん@1周年
>>126
ははは(笑
貴方は正直な方ですね。自分の心持の分析が出来ているなら
そういった信仰も盲信ではなく、力になるでしょうね。

自分の足で強く生きていきたいものだが、なかなか・・・