1 :
名無しさん@1周年:
科学の発展、社会構造の肥大化によって無神論者が大量発生している。
悲しきかな、俺もそれに漏れず神の存在を信じる事は出来ないでいる。
しかし、倫理、道徳とは無神論では存在を肯定出来ない。
人の心は、少しずつ、蝕まれて行く。。。
・・・・・・ん?ちょっと待てよ?俺ぐらいの人間ですらこれぐらいの
事は容易に考えつく。宗教とは、人間が、人間に、もたらした物だ。
ということは・・・・・・・・・・・・・
みなさんの考えを聞かせて欲しい。
2 :
名無しさん@1周年:02/08/13 17:28
宗教とは2ゲト
3 :
名無しさん@1周年:02/08/13 17:42
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4 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/13 17:43
そう考えるとイエス=キリストは、私利私欲ばかりを求める人々を嘆き、
神という存在を立てることにより倫理を生み出し、
人を、人で差別せずにおしなべて愛し、
そして、全ての人類に対する博愛精神から全ての人類の業を独りで背負った。
と考えられる。
このような人は、『嘘つき』という言葉一つで片付けられない。
それでも俺は彼を偉人だと称えるのだが。
5 :
ふぁんだ君 ◆dp.jHAHM :02/08/13 17:50
前提がないと全てのものに対して私達は
答えを持っていない。。
と考えられる。。。うんうん。。
確かに・・・
6 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/13 17:58
>>5 そうなんです。
理屈ばかりを追い求めていても、ゼロに帰結してしまうのです。
でも、だからと言って根拠の無い前提に素直に賛成する事は、
容易ではないのです。
7 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/13 18:04
神の存在をもたらした人間は、
その苦しさ、虚無感を当然把握してるわけですから、
神を信じない人を罰すると思うのです。
8 :
名無しさん@1周年:02/08/13 18:07
今だ!4576ゲッ〜〜〜ト!
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧∧__
/\(゚ー゚*) \ (´´
\/| ̄∪ ̄ ̄|\ (´⌒(´
\|____|≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
9 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/13 18:25
今、俺の倫理観は、『常識』『世間』という、なんとも脆く、
危なっかしい存在にのみ、支えられているのです。
10 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/13 19:03
みなさん自分の宗教の教えの事で頭がいっぱいなんですね。。。
立てる板間違えたかな。。。(ウチュ
嘘ということでいえば、たしか永井均が、
ニーチェを引用しながら、聖なる嘘と邪悪なる真実ということを語っていたなあ。
12 :
俺様 ◆ugTrYQRI :02/08/13 20:11
(;´Д`)ハァハァ 誰かロリくらはい!
“宗教とは切なく優しい嘘”か... 上手いこと言うじゃないか。そうかもしれない。
その嘘に騙されてみるのも一興かもしれんぞ。嘘に救われている連中もいるしな。
真実か嘘かは、それほど大きな問題ではないと思うよ。
嘘を信じて生きるか、絶望のままに死ぬかだ。
15 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 08:39
>>11 是非読んでみたいと思います。ありがd
>>13>>14 そう考えることもあります。
実際、教会に行ってみたこともあるんです。礼拝というよりも、観察に近かったのですが。
そして一つ感じたことがありました。それは、”みんな彼に罪を押しつけているだけではないか”
ということです。俺は、彼をただ崇拝しているだけではいつまでたっても
彼を十字架から下ろすことは出来ないのではないか、と思うのです。
彼の嘘を許し、彼の荷物を分け持つべきではないのでしょうか。
16 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 09:02
>>13 嘘に救われている人間も大勢いると思います。
けど宗教によっては嘘に身包み剥がされているような人もいると思います。
信心を利用する悪人もいるので、なおさら信じるのは難しいのです。
17 :
名無しさん@1周年:02/08/14 09:10
>>5 >彼の荷物を分け持つべきではないのでしょうか。
君、おもろいなあ・・・。いろんな考え方する人がいるんだなあ、と
思った。
荷物を分け持つというのは、具体的に、「自分の罪は自分で」っちゅうこと
ですか?
あと、君は「彼」が今も十字架の上にいることを前提にしているが、
礼拝は、「彼」がとっくに十字架から降りてることが前提になってるよ。
>>14 >嘘を信じて生きるか、絶望のままに死ぬかだ。
嘘を信じなかったら、必ず絶望のままに死ぬということはない。
宗教は信仰したい人だけがすればいいわけで、信仰しないと
絶望のまま死んだりするということはない。
19 :
名無しさん@1周年:02/08/14 09:42
>>15 >”みんな彼に罪を押しつけているだけではないか”
イエスに自分の罪を言い表すことで、自分も一緒に「十字架につく」
「そして古い自分に死ぬ」んだよ。
そして、イエスは十字架の死から復活されたわけだから。
自分もイエスと一緒に、新しく生まれる。
イエスの十字架とはそーゆう意味だす。
>>19 >自分もイエスと一緒に、新しく生まれる。
一緒には無理。
21 :
名無しさん@1周年:02/08/14 09:53
22 :
名無しさん@1周年:02/08/14 10:01
俺の中学の時の実話。
入学当初は荒れに荒れてめちゃくちゃだった。
刑事事件、ひきこもり多数。授業は成立しないし、部活もやる気無し。
俺自身も、希望も何もなくただいじめと万引きでストレス解消するだけの毎日。
そんな中、先生の1人が自分のクラスの生徒に対して、
毎日少しずつ神について話しはじめた。
3カ月もしないうちにクラスほぼ全生徒が信心した。
その結果、喧嘩やトラブルもおさまり、登校拒否児も復活し、
スポーツ・学業の成績も目を見張るほど向上した。
何より、生徒一人一人が笑顔で生き生きして目標を持って
毎日を過ごしている姿が強烈に印象的だった。
俺も変わった。本当に毎日が心底楽しく生きられるようになった。
卒業するまでにはその現象は学年全体に広まった。
同じ理念を持って、助け合い、励まし会いながら、共に生活するあの
感動、一体感は忘れられない。
10年以上経った今も、こうして日々喜びの中で生きていられるのも、
あの頃の経験が非常に大きいと感じる。
23 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 10:08
>>17 >荷物を分け持つというのは、具体的に、「自分の罪は自分で」っちゅうことですか?
それもありますが、彼と同じ場所に立つという意味でもあります。
全ての人達に愛をそそぎ、全ての人達の業をわかち合うとでもいいましょうか、
うまく言えないのですけど、一人一人が心の中に前提無き慈愛を作り上げる、
うーん、やっぱりうまく言えない。。。
あと、君は「彼」が今も十字架の上にいることを前提にしているが、
礼拝は、「彼」がとっくに十字架から降りてることが前提になってるよ。
そうだったんですか。でも何故降りれたんだろう???
24 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 10:15
>>19 その教えも「彼」の優しさから来るものとは考えられないでしょうか?
しかし自分はつくづく勉強不足だと実感させられています。。。(w
いろんな宗教についての知識をもっと増やさねば。。。
25 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 10:20
>>22 それはどの宗教なんですか?
俺は信じる人を馬鹿げてると思うと同時に、
馬鹿げてるくらいに心の綺麗な人だと思います。
26 :
名無しさん@1周年:02/08/14 10:32
>>23 >>あと、君は「彼」が今も十字架の上にいることを前提にしているが、
>>礼拝は、「彼」がとっくに十字架から降りてることが前提になってるよ。
>そうだったんですか。
え?おいおい。クリスチャンというのは、イエスが「十字架に掛かったこと」
を信じるんじゃなくて(それは事実として前提になってるけど)、その後、
「イエスが十字架の死から復活されたこと」
を信じている人たちなんですよ。イエスが死に勝利されたということを
信じている。「私」の罪をその身に負われ、滅ぶいのちから、滅びない
いのちへと、私たちを移してくださったということ。
>でも何故降りれたんだろう???
結論からいってしまえば、神様だから、なんだけど・・・。
>全ての人達に愛をそそぎ、全ての人達の業をわかち合うとでもいいましょうか、
>うまく言えないのですけど、一人一人が心の中に前提無き慈愛を作り上げる
だから、業というのは神様の力であり、人の業ではないんです。
その力をたたえて、感謝して、賛美するのが礼拝で、同時に、
自分たちの罪がもはやイエス様の十字架とともに葬られたことを
告白することなんす。
善行を行うためではなく、自分の心と向き合って古い自分に死ぬこと、
新しいいのちを生きること、が中心ですよ。
27 :
名無しさん@1周年:02/08/14 10:38
>>24 優しい嘘、というのはしっくりこないな。まあ、「嘘」か「本当」かは
ひとりひとりの心次第で、あなたにとっては「嘘」である、というのが
今のところだと思うんだけど。
なぜ信じるのか? ということを一度考えてみたら、面白いかも。
かつて「嘘だろー」と思っていた人が、今信じる人になってる、
そーゆうのはどうしてなんだろうね?
28 :
名無しさん@1周年:02/08/14 10:39
>かつて「嘘だろー」と思っていた人が、今信じる人になってる、
>そーゆうのはどうしてなんだろうね?
ここで事実が逆転してしまうわけなのさ。確かに面白いよね。
29 :
名無しさん@1周年:02/08/14 10:40
>>1はひょっとして、イエスキリストが聖書書いたとか思ってる?
30 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 10:47
>>29 いや、ルカだとかマタイだとかいう人達ですかね???
どっちにしろキリスト教についての知識がほとんどありません。
自分の頭の中でいろいろ考えてみたわけです。失礼しますた。
31 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 10:55
>>24 はい、その通りです。
なぜ信じるのか・・・そうですね、俺は今までは短絡的に
「信じると幸せになれそーな気がするから」って理由だと
勝手に推測していましたが、
信仰するようになった理由を実際体験した人に聞いてみたいです。
34 :
名無しさん@1周年:02/08/14 11:04
>>31 「嘘だろー」と思ってたり、「キリスト教大嫌い」といってたり、「オイラにゃ
関係ねいや」と言ってた人がキリストの復活を信じるようになることを
回心、っていうのだが、これはクリスチャンにとっても不思議な感じです。
(自分自身そうだったしな)
聖書を書いた中のパウロって人も、キリスト教徒を先頭にたって迫害していた
人で、劇的な回心をした人あんだけど。
八木重吉という作家がいますけど、その人がこんな詩を書いてます。
回心の瞬間のことをうまく描いているなー。と思ったんだけど、
八木重吉
『イエスというひとは時々非常に無理な
到底人間にできぬようなことを
人に要求しているようにみえます。
それについてわたしは長い間疑いがはれなかった。
然しだんだんわかってくるようだ。
つまりイエスは右の手に光を持ち
左の手に救いを持っていられたのだと思います
右の手の光でわたしをすっかり照らして
わたしらに自分の底をよくみさせ
自分とはこんなものだということを知らせ
それから
左の手で救いとって下さるのだと思います。
そしてつまりは「汝の信仰汝を救えり」ということばが
味わえるのです。』
幸せになりたくて信じる・・・っていうんではなくて、
自分という人間がどのようなものかを知って、信じざるを得なくなると
いうか。。。そんな感じ、でしょうかね。私の知る限りの、
回心の瞬間です。長々ごめんなさい。じゃね。
36 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/14 11:11
>>35 ようするに、聖書を深く読むにつれ、
大いなる愛を感じ、感激し、
それに身を任せる事を決意した、という感じでしょうか。
37 :
名無しさん@1周年:02/08/14 11:29
>>36 聖書を読んで感激してクリスチャンになる人って、
少ないんじゃないかな?というのは、分厚いし、初めて読むときは
わかりにくいし・・。家族とか友人通じて、ちょっとずつ
教会に言ったりして、教会の説教とか、三浦綾子みたいな本とか、
そーゆうの通して、十字架の意味を知るんじゃないかな?
「自分と向き合う、キリストにひざまずく」というのは、その上で、
あくまで自分の生活とか人生の中で、起こるできごとだと思う。
信仰はさ、理屈じゃなくて、生活なのよ。うん。
いろんな人の話を聞いてると、そーゆう人が多いですね。
38 :
名無しさん@1周年:02/08/14 14:16
>>1 私の場合はキリストとは関係ないけど、宗教が人間が創りだしたかどうかも
知らない。というのは物理的事実だけではじきだしたら絶対出てこないもの
ばかりだから。預言なども人間でないものからくると信じられてるからこそ
人間が飛びついたものだし。何よりも人間を標準にしていれば経験以上のも
のは与えられません。だからそういう意味で宗教が人間が創り出したという
ことは言えないだろうと思います。
私の場合は宗教を信仰している人間と縁があったので信仰する人間をまざま
ざと見る機会がありました。タイプは様々。宗教を信仰したからといって
人間がすばらしくなるわけでもありません。宗教に限らなくてもその人自身
の吸収度の問題もあります。でもやはりこちらがびっくりするほどの美しさ
と自然なまでの自信を持った人に出会うこともありました。人を見ることで
宗教を否定できなくなりました。
39 :
CIAは同時テロの主犯:02/08/14 14:41
今までの宗教が影でどんなことをしてきたのか知らないのかな?
カトリックはカトリックで、遠征と偽り人殺しをしてきたし、
現代カルトな統一や創価学会は麻薬密売してるし・・
下っ端はがんばってるけど上層部は何やってるかわかんないよ〜〜
40 :
名無しさん@1周年:02/08/14 15:16
私にとって、宗教とは、ひとつの文化を選び取って受け入れることだ。
ひとりで、世界観を考え、人生を過ごすのは、あまりに私には荷が重くできること
ではなく、苦しく、悲しみも乗り越えらなかった。何千年もかけて人類が練り上げてきた
宗教という壮大な理屈(うそかもね)には、生き抜いていくための、力が盛り込まれて
いるのは、理解できた。わきおこる、疑問やばかばかしさを無視しなくてはやって
いけないが、それは簡単だ。とんでもないヤツだと私を裁く人間は多いだろうが、今の自分に
それがいっぱいいっぱいならそれでよしと、許されている気もしている。
41 :
名無しさん@1周年:02/08/14 18:09
>>39 だから、それは人によると思います。自分がどうありたいか、自分に問う
以外ありません。
42 :
名無しさん@1周年:02/08/14 18:29
>>1 > 科学の発展、社会構造の肥大化によって無神論者が大量発生している。
そうかね?誰が調べたんだ?
43 :
名無しさん@1周年:02/08/14 21:48
44 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 10:40
>>37 >信仰は、理屈じゃなくて生活
なるほど。わかる気がします。
自分をみつめる視点に宗教的視点が加わることによって
人によっては、または教えによっては
全てが頭の中で判明したというか、解決したというか、
そのような気持ちになるのですね。
宗教を疑問に思って理屈で掘り下げて行くのでは無く、
宗教的視点を自分の新たなる視点として加え、その上で判断する。
・・・うん、違ったモノを感じれるかもしれません。
45 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 10:58
>>38 >物理的事実だけではじきだしたら絶対出てこないもの
確かに”事実”からは出てこないと思いますが、
”事実”をふまえた上での人間の想像力からは出てきてもおかしくないと思います。
>宗教を信仰したからといって人間がすばらしくなるわけでもありません。
そうですね、ただ事実だからといって神の存在を押し付けるだけの、
倫理的な部分があまりに歪んでいる、もしくは完全に欠如している宗教もありますし。
>>40 そう、そうです。俺もそう思っていた時期がありました。
「信仰できれば、どんなに楽になるだろう」って。
でも、俺はどうしても出来なかったんです。どうしても信じる事が出来なかった。
景色はモノクロに変わり、人を信じる事すら困難になっていました。
それでも俺がこうして生きていられるのは、父のこの一言があったからです。
「『Aとは何か』を考える事は、始まりに過ぎない。
『Aとはどうあるべきか』を考えれる人間になれ」
全ての物を受け入れよう、そう思いました。
そして、全ての物を自分の見据える世界に向けて形作っていこう、と。
途中がキツイので人にはオススメしない生き方ではありますが。。。(汗
46 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 11:02
>>42 別に世論調査したわけではありません(汗
でも周りの人達とふれあって、また、いろんなニュースを見て、
感覚的に感じ取ったことです。
47 :
名無しさん@1周年:02/08/15 11:16
>>45 >「『Aとは何か』を考える事は、始まりに過ぎない。
>『Aとはどうあるべきか』を考えれる人間になれ」
すばらしいおとうちゃんだね。立派な人になって欲しいという、
みなぎる愛情感じます。
「Aとは何か」は始まりなんですよね。うん。でも、
「Aとはどうあるべきか」知るためには、事実が前提にならんと、
いけないもんね。「Aとはどのようなものであるか」というさ。
自分はクリなので、こーいいます。「優しい嘘」なんて結論出しちゃう前に、
是非教会にも、もう一回、行ってみてください。
宗教は、暇潰しだよ。切なく、優しい嘘・・・そんな概念は、ちがうね。
49 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 12:11
>>47 はい、短絡的に結論を出さずに、いろんなモノに触れていこうと思います。
>>48 では、あなたが宗教=暇潰しと位置付ける理由をお聞きしたいです。
50 :
名無しさん@1周年:02/08/15 12:15
51 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 12:18
>>50 以前というか、数回行った程度です。
何も知らずにただ否定するのは間違っているという考えからです。
あ、小学生のときは良く土曜教室に行ってお祈りをしていたのは覚えています。
52 :
名無しさん@1周年:02/08/15 12:21
宗教とは、“心のオナニー”である。
53 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 12:25
>>52 うーん、確かにそういう側面もあると思いますがそれだけでは無いと思います。
54 :
名無しさん@1周年:02/08/15 12:29
>>1 >何も知らずにただ否定するのは間違っているという考えからです。
というのは素晴らしい考え方と思う、自分も見習わなければ。
でも
>>1さんは、ちょっと頭で考えすぎちゃってるようにも思う。
宗教って決して頭で捉えるものじゃないと思うし。「信じる」っていうことは
まずそういう自己の思いをすべて捨てることだと。まず知ってから
信じる、知ってから批判する、そういう自己さえも捨て去って祈る事でしか、
本当に「知る」ことはできないと思う。もし、まだ信じたいと思ってるなら、の話だけど。
55 :
名無しさん@1周年:02/08/15 12:31
>>53 そうか、じゃあもっと深く掘り下げてみよう...
宗教とは、“心の「独りフェラチオ」”である。
如何かな?
56 :
名無しさん@1周年:02/08/15 12:32
故人に敬意を表すのに宗教抜きにどうして表すのか教えてください。
57 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 12:44
>>54 ああ、そうかもしれませんね。
ドコかで客観的になってしまうと思いますし。
ただ、祈る。この行為は確かに自己を捨て去らないと出来ない行為ですね。
でもその瞬間だけ自己を捨て去るということはできるかもしれません。
>>56 そうなんですよね、宗教抜きに語れない物事はたくさんあると思います。
58 :
名無しさん@1周年:02/08/15 12:57
>>1 瞬間だけ自己を捨て去るというのは全然違う話だと思います。
「信じる」こと、「信仰」っていうものは、もう自分には弱くって
傷つきやすくって頭も硬い自分だけしかないんだけど、それでもそれを
そっと神の御前に差し出す。こういうことだと思う。つまりもうすべてを
主にゆだねて、任せて、それであとは主に感謝と賛美を捧げる。
その場合、瞬間だけ自己を捧げるなんてことは出来ないと思います。
59 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:00
>>55 全然意味わかんない。オナニーと一人フェラチオとなんか違うんか?
後者は単に体が柔らかいだけだと思われ。
60 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:05
>>58 それは恐ろしく勇気がいることですね。
やはり、ゆだねる前にもっと宗教のことを勉強してからじゃないと
自分には出来そうもありません。。。
まったく別の人間に生まれ変わるような行為を58さんは経験されたのですか?
61 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:08
>>60 58じゃないけど、横レスごめん。イエスは、「幼子のように神の国を
受け入れなければ」といわれたが、幼子だったら、そんな「勇気」とか
考えずに飛び込んで、信頼していけるんだと思う。
62 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:11
聖餐式のワインが飲みたいからって洗礼を受ける人もいるんだ。
キリスト教に入信する理由はどうでもいいんだよ。
きっかけなんかどうでもいいんじゃないか?
>>1 >>61さんの言うとおり、勇気とか特別な体験とかは問題じゃ
無いと思う。信仰によって神の愛や恵みを感じる事ができれば、
そこで私達は新たな生を受けるんです。つまりキリストにある前は
自分の肉にしたがって生きてるわけなんだけど、そういう古い自分が
日々死んで、日々キリストに従う新しい自分が生まれてくるわけです。
すべては頭では捉えられない、「感じる事」でしか得られないものです。
64 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:14
でも意地悪な信者もいるんだけど。
そんな人もキリストに従って新しく生まれた人とは思えません。
65 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:18
>>61 そうですね、具体的な事実を知り疑うことも大事だとしった大人が
すんなりと飛び込むのはとても難しいことです。
>>62 俺は入信するからには、覚悟が無いと盲信してしまう可能性を恐れているのです。
66 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:20
1さんはもともとはどこの宗教の人ですか。
どうして他宗教に入信しようかと考えあがねいているのですか。
その気持ちの揺らぎは何でしょうか。
>>61 それを、言ったかどうかも定かではない。
なにせ、死んでから半世紀もたってから、宗教家たちが
カトリックの布教に都合のいいように書いたのが「聖書」。
68 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:23
>>63 ようするに今まで得てきた知識や価値観や視点などを
結局はすべて消し去り、宗教的視点を土台に1から構築していかないと
いけないのでしょうか。
宗教的視点をあくまでも視点の一つとして
自分の価値観に合わせ入れるということは不可能なのでしょうか。
69 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:29
>>63は盲目になっているだけ。こういうタイプは危ない。
1さん、自分が信じる自分の価値観で生きていいんです。
自分を見失ってはいけません。あなたのいうとおり宗教的視点をあくまでも
視点の1つとして、(例えば聖書を人生の参考書とするとか)冷静に
なって考えてください。
70 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:30
1さんはもともとの宗教は何ですか。
71 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:30
>>66 自分の家は仏教(浄土宗)なのですが、
仏の教えは、まるで転生のために今を生きるという、
根源的な人間成長が欠如しているところに疑問を覚えるのです。
>>67 でも教えを紐解いて行くという前向きな姿勢も感じられますよね。
72 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:33
>>68 >ようするに今まで得てきた知識や価値観や視点などを
>結局はすべて消し去り、宗教的視点を土台に1から構築していかないと
>いけないのでしょうか。
それが、自力ではできないというのが、キリスト教の大前提なんです。
古い自分を消し去っていくのは、信仰の中でちょっとずつ、してくことです。
ある日突然、古い価値観全部捨てることができたら、そらすごいけど、
世の中的にはちょっと恐い人かも知れない。
でもどの宗教も欠点は付き物です。あなたはキリスト教について
わからないだけで入信すればその欠点がもっと大きいものに気がつきます。
改宗するのだけは止めたほうがいいですよ。
根源的な人間の成長とは自分が信じることに邁進し沢山の経験によって
自然と身につくものです。あなたが30歳ぐらいの大台になれば気が付きます。
74 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:39
>>69>>72 やはり、自分を見失う、第三者に全てを委ねるというのは
危険だと感じます。
聖書を読み、その上で少しずつ既存の視点が変化していくのは
逆に良い事であると考えますが。
聖書を読む前に岩波書店「後世への最大遺物」300円を読むといいですよ。
76 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:43
>>74 >やはり、自分を見失う、第三者に全てを委ねるというのは
>危険だと感じます。
それが普通の感覚だよ。っていうのが、
>>72の言ってることだと思われ。
すみません。著者は内村鑑三という人です。
薄い本で読みやすく良書です。時間があれば読んでみてください。
それと、人間の心は移ろいやすいものです。長い年月を経ればなおさら。
肝心なことは急いで決めるべきではありません。
仏教のお経とは違い聖書が書いてあることは読みやすいので分かりやすいの
かも知れません。でもどの宗教も肝心なことは同じです。
世の中には仏教、キリスト教だけではなくて、本当に沢山の宗教があります。
なぜこんなに沢山あるのか考えたことがありますか?
みんなが「平和」を求めているからです。
物事は落ち着いて考えた方がよろしいですよ。
78 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:48
>>73 では、あなたはキリスト教の欠点というものを把握されてるのですか?
>根源的な人間の成長とは自分が信じることに邁進し沢山の経験によって
自然と身につくものです。あなたが30歳ぐらいの大台になれば気が付きます。
経験は非常に大事なモノだと考えますが、経験という突きつけられる刃に対して、
どう受け止め、どういなすか等、どう思考錯誤するかによって身につくのだと思います。
けど、30代になってみなければわからないこともあるかもしれませんね。
>>75 オススメありがd。本屋に行った時に探して見ます。
79 :
名無しさん@1周年:02/08/15 13:49
家族や故人を捨ててまでキリスト教に逝く必要なし。
80 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:51
>>77 そうですね、ありがとうございます。
もっともっと知らなければならないコトがありますね。
でも、教会に行ってみる等、色々行動して見たいと思います。
82 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 13:56
>>79 ああ、そういう考え方はしたこと無かったですね。。。フム
キリスト教の欠点に関しては他のスレッドに沢山書かれたあります。
よくお読みになって。私は一度はキリスト教信仰告白したものですが
結果、かえって自分自身の向上の妨げになりました。幼稚な面が目に余り
過ぎました。それで仏教に帰りました。両親には言ってなかったので
もとの仏教でおさまり結婚式も迷いなく両家の仏式でしました。
しかし貴方って大変臆病な人ですね。まだ若い人と見受けられますが。
早いうちお薦め本を読むといいでしょう。
84 :
名無しさん@1周年:02/08/15 14:07
自分が、宗教を受け入れるにあたり、祭儀は重要な意味を持った・
頭で理解することに、諸々の理由で困難がある、あるいは困難を覚える場合、1から10まで
決められた「かたち」をなぞっていくことが、受け入れのおおきな助けとなっている。
行動が心をうなずかせるとき、宗教の胡散臭さがあまり気にならなくなった。
宗教のうそっぽさが我慢できないが、信仰は持ちたいという人向きの宗教もある。
85 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 14:08
>>83 そうなんですか。他のスレッドに今から目を通してみます。ありがd。
>しかし貴方って大変臆病な人ですね
良く言われます。(w
でも臆病な方が良かったりする時もありますよ(w
86 :
名無しさん@1周年:02/08/15 14:23
83は、自分より、思慮深い人間と出会うと、臆病者呼ばわりするんじゃないか?
87 :
名無しさん@1周年:02/08/15 15:26
あなたがたは、この世では悩みがある。
しかし、勇気をだしなさい。私はすでに世に勝っている。
88 :
名無しさん@1周年:02/08/15 15:30
89 :
名無しさん@1周年:02/08/15 15:31
あ、あああああああ、あほか。
90 :
名無しさん@1周年:02/08/15 18:24
90ゲト
91 :
名無しさん@1周年:02/08/15 18:36
>>67 >なにせ、死んでから半世紀もたってから、宗教家たちが
>カトリックの布教に都合のいいように書いたのが「聖書」。
その当時、まだカトリックはありませんでした・・・。
カトリックができたのは、それから300年以上あとのことです。
92 :
名無しさん@1周年:02/08/15 18:48
>>67 聖書の原文が書かれた当時というのは、
使徒たちの伝道の働きがあって、教会が方々に散らばって、
それぞれに運営されていた時代。
新約の多くを占める「手紙」は、パウロなどが、
それぞれの教会に信仰指導のために書き送ったものでした。
レオ1世がそれら教会をひとつにまとめ、「カトリック」を
名乗ったのは4世紀ごろのことです。
93 :
名無しさん@1周年:02/08/15 18:53
美輪明広さんが宗教と信仰は違うとかいてた。輪廻を信じるほうだが団体には入ってない。
94 :
名無しさん@1周年:02/08/15 18:55
うちの牧師もキリスト教がなくなっても別にかまわない、って言ってたよ。
イエス・キリストさえいてくだされば良いって。
牧師なんだから、仕事なくなっちゃうけどね。
95 :
1 ◆XOGe3jPA :02/08/15 22:08
>>88 みなさんの宗教に対してのスタンスや自分の中での位置付けを
聞いてみたいのもありますし、その中でより良いと思える考え方を
みつけれればいいなとも思います。
>>93>>94 宗教と信仰の違いですか。なるほど。
ああ、そういう捉え方が出来ると素晴らしいと思います。
いわば宗派にこだわらずに根元をつきとめることによって
自分独自の考え方を生み出すことが出来ますね。
でもそれすらもつきつめると、神という存在を自分の心の中に感じることが出来るし、
誰だって神様なんだ、なんていう考え方にも辿り着くかもしれませんね。
96 :
名無しさん@1周年:02/08/16 03:08
>>1 94だけど、うちの牧師が言ってたんだけど、牧師というのは
「召命」というのが必要なんだって。神様から「あんたは牧師を
やんなさい」って言われて、もうイヤなんだけど、神様がどうしても
やれって言うから…って。信徒も、ある意味ではそういうところもあるんじゃないかな。
モチロン、神の声が聞こえるワケじゃないけど(w
嫌なときもある、神を思う事が。イエス・キリストという人は、ほんとに信徒ひとりひとりに
自分のほんとの姿を見せる、鏡みたいな方で。神に祈ろうとすると、「うわっ、こんな自分が
神に祈る資格なんてあるんかな?」とか「何一つ教えを守れてないんじゃないか」とか
とにかくイエスに対して恥ずかしいことだらけで、泣きたくなるほど思いたくない時もあるんだな。
こんなに恥ずかしい思いをするくらいなら、いっそ捨てちゃった方が良いなぁ、なんて
思うんだけど、でもやっぱりダメなんですわ。棄てられないし、神も自分を棄てない、決して。
やっぱりどこかで恵みや愛を感じてしまう。(←盲信!って言われるんだろうけどw)
だから
>>1は考え方とか勉強とか「信仰によって楽になるかも」というような
ことも言ってたように思うけど、実際のクリスチャンはほとんど主に対して
恥ずかしい思いとかを日々経験してるんじゃないかな。丸裸にされるわけですよ。
「罪の告白だけで1000目指すスレ」でもみんなそういうことばっか書いてる。
あなたが信仰に対して「良い考え方」とか「勉強」というのはよく解るけど、
いくら勉強しててももし本当に信仰を持つようになれば、こういうことを嫌でも経験する。
でも同時にこれを通して、神の恵みとか愛を感じる事もまたできると思う。
逆に言うとあなたは今の時点では、決して神を感じることはできないと思う。
自分の意志に重きを置きすぎてるとおもうし、前にも出てたけどやっぱりこんなところで
何かを考えたりしてるよりも、まず飛び込んでみるべきだと。
というか、無理やりにでも自分を飛び込ませる、そういう自分の意思を超えて働くものこそが、
召命や恵み、神の愛なんだと思う。
まぁ、あくまでこっちから見た意見しか言えないけど、
言わせてもらったら、後はあなたがそれに気付くか気付かないかだけだと思うよ。
97 :
名無しさん@1周年:02/08/16 12:57
>>1 何よりも自分自身に出会うことじゃないのかな。
98 :
名無しさん@1周年:02/08/16 17:59
優しいかどうか知らないが、嘘なのはたしかだとおもふ
99 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:32
100getしてみるテスト
101 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:36
世人の言う「現実」はロクでもない嘘だ。同じ嘘なら、よりマシな嘘を付け。
103 :
名無しさん@1周年:02/08/16 22:40
お風呂入ってこなくちゃ
105 :
名無しさん@1周年:02/08/16 23:39
106 :
名無しさん@1周年:02/08/24 01:42
立て逃げされちっち…みんなで真剣に考えてたのになぁ〜
107 :
名無しさん@1周年:02/09/02 14:54
人間はいつ死ぬかわからないじゃないですか。
身近な人間が死ぬと、あわてふためいて、宗教をかじったりして。(=漏れ)
108 :
名無しさん@1周年:02/09/02 16:11
救いどころか、気休めにもならなかったぞ、キリスト教!
109 :
名無しさん@1周年:02/09/02 16:20
>>108 本物のキリスト教じゃダメダメ。
エホバとかモルモンとか統一とかがいいよ。
110 :
もみの木BABY:02/09/03 15:15
>1
切なく優しい嘘かもねーでもさ、大自然の摂理ってものは、厳然と
存在するわけでしょう?
たとえば、明日死ぬ人が、神様のリストに載ってて、でも本人はそのことを
知らないっと・・・いうようなばやい。
そういう誰も逆らえないような、大自然の法則みたいなものを、神と
呼んではいけないのかなー?
と、私自身も少々疑問もあるけど、今のとこそう思っています・・・
それを必要としている人には何よりかけがえの無いものの一つだと思う>切なく優しい嘘
死後も前世も無いたった一度切りの人生なら尚更…
112 :
名無しさん@1周年:02/09/07 11:18
自然は、どこまでも自然であって、「神」という人工的な概念とは異なる。
「人工的」という概念も
始めから自然に内包されている。
人が神(という概念)を生み出す行為自体自然である。
114 :
通行人A ◆Bjq.7aAo :02/09/07 12:49
大昔の「神」と言う言葉は
不思議な事への理由付けの一つだったと思う
と言う意味では道具と同じで
上手く使えばとても有益なもの
結局は利用者次第で(略
>>114 >結局は利用者次第で
そーなんでしょね。
人間と対峙する自然の法則としての神は、確かに人工的なもの
概念としての神というか、
(う、わからなくなってきたじょ・・・モゴ)
でも兎に角、神はいると信じる。
その神が、人間としての自分に何を要求するか(=何を具体的に信じるか)
は、やはり聖書あたりがいいのでしょうか?
だって、歴史的にも長いし、ポピュラーだし、人間にこなれてるっつーの?
116 :
通行人A ◆Bjq.7aAo :02/09/07 19:21
キリスト教に関しては
何百年もかけて修正追加して
沢山の間違いをおかしながらも
覇権を守りつずけたのは
リッパな事だと思う
運営(経営)側の怪しさと
現場側の頑張りを見ると
今後も長く栄えるのかもしれませんね
117 :
名無しさん@1周年:02/09/14 22:55
信じたいけど疑ってしまう。それを無理に信じた振りをすることは無いとおもう。
なぜ疑わしいのかその疑問点を掘り下げていけばいいと思う。
神話は言葉にしにくいことを何とか感じさせるための御伽噺でその言葉自体を
しんじることはばかげてる。
信じようとして疑っていること自体すでに信じているようなものだし、その神
に真実と救いの意思があるのなら疑いを除くのも神の力であって自分でしなくと
もよい。
神が真実の光であるのなら疑いの心が起きているのを照らすのも神だし、疑いの
原因を照らしてくれるのも神だと思う。
信じている振り、無理やりな信心は神の力を信じてないからだろう。
118 :
名無しさん@1周年:02/09/15 02:22
キリストから直接教えを聞いた訳じゃないからなぁ・・・・
嘘かどうかはよー判らん。
釈迦は「神はいるのか」等の問いに答えていないとかどっかで見た。
それは人が考えても知り得ない物と言うに止めた。(違ってたらスマソ)
何となく私の感覚ではこっちのほうが信頼できるな。少なくとも嘘ではない。
誰かも似たような事カキコしてたけどお説教でも聖書でも経典でもいいけど
人生や生き方を考えていく為の「道具」でいいんじゃないかなぁ。
歴史でも哲学でもいいと思う。
「信仰」については個人的な見解だけど精神的には楽になっても日々迫り来る
現実に立ち向かって生きていくのは結局自分の意志に基づくものだと思うな。
神がいつも傍にいらっしゃり、慈愛をそそいで下さる。
それを信じるのは構わないが自分の弱さを見つめ、立ち向かうことを避けていては
ただの甘えに思える。神に甘えているのではないかと。
もちろん、皆がそうだと断言している訳じゃない。私の目にそういう方が多く映るという
だけです。(長文スマソ)
119 :
名無しさん@1周年:02/09/15 02:37
現実に立ち向かうためにも神への甘えが必要なのでは。
神、真実、救い、にしっかり手を握られて初めておそるおそる目を薄目でもいい
から開けていく。甘えと信頼を排除して育てられた子供に健やかな成長はできない
とおもいます。
>>119 いや、「いつまでも避ける」→「甘え」ということを意図したカキコなんですが・・・
立ち直るきっかけは人により、また状況によりそれぞれでしょう。
>甘えと信頼を排除して育てられた子供に健やかな成長はできない
とおもいます。
その意見には概ね同意なんですが、甘える対象が「神」である必要性があるのかどうか・・・
まぁこれは個人的な意見なので。
やはり「神への信仰」には抵抗あるなぁ(苦笑)
私はどちらかというと仏教寄りの思考の持ち主なので。
無神論はともかく
単純に神仏に感心の無い立場から見れば
神様も仏様も同じに見えるんだけど?
122 :
名無しさん@1周年:02/09/15 14:17
キリストの時代にはエジプトに仏教徒がいたらしい。仏教、ヴェーダ、の影響
があってもおかしくないらしい。
>>120 信頼できてなおかつ真実を見せてくれるなら何でも良いんでは?実はキリスト教
はかじっただけなんだけど(W,キリスト自体はみんなが神の子であり自分だけが
神の一人子であり続けると言ってないそうだ。
>>122 >信頼できてなおかつ真実を見せてくれるなら何でも良いんでは?
道を選ぶ自由は当人にあるからね。私個人はそれがたまたま「信仰」ではない。
>実はキリスト教はかじっただけなんだけど(W,キリスト自体はみんなが神の子であり自分だけが
>神の一人子であり続けると言ってないそうだ。
フム。興味深いねぇ・・・
私の解釈(妄想に近いが)は「神は私(キリスト)を通じて真理をのたまう」といった
伝道師のようなスタンスにいたのではと思ってます。
釈迦もまさか自分が神様のような扱いされるとは思わなかったろうね。
もしあなたが自分自身を知ったら、そのときには
あなたは知られよう、そして知ろう
自分がいける父の子であることを
しかしもしあなたが自分自身を知らなかったら、そのときには
あなたは貧困のうちにある、そして貧困そのものだ
僕にとってのキリストは戦う大乗の菩薩、ユダヤ人に分かる言葉を使う菩薩
です。
>>124 うむぅ・・・ ここで「父の子」の議論を始めると無限ループにはまりそうなので
敢えて私の意見は書かないが・・・ 「信仰」が必要条件な考えでもあるし。
確かに大乗的ではあるけど黙示録のことを考えると・・・・
大乗仏教とは微妙に違うと思うなぁ。まぁ私の浅はかな知識では何とも言えませんが(^^;
ってかそんなつもりのカキコでは無いか(汗)
そういや仏教にも末法思想ってのがあったね。まぁ後世の人が作った方便だろうけど。
ただ、本来の仏教(というか釈迦の説いた理論?摂理?)というのは簡単に書くと
「苦」の発生するプロセスと「世界の摂理」で(なんか微妙に違う気がしますが)
およそ「優しい嘘」ではないという気がする。もし嘘だとしたら「厳しい嘘」かな?
ただ、極めて論理的だと思ったりする。
用語や詳細はよー知らんので他のスレなり専門書なり見て下さい。
つーか理解してないと自分の言葉で表現できないねやはり(^^;
ハクチ認定されそうだ(笑
126 :
名無しさん@1周年:02/09/16 21:07
エー、実はその末法思想の方便である念仏に甘えた人間です、(W
しかしこの甘えが無いと全部投げてしまいそうできっとこれからも甘えていくでしょう
僕にとっては嘘というか仮設されたものです(特に極楽)
死んだらおしまい、と考えるより仮設されたものだと分かっていても極楽に逝って
力をつけたら同じような馬鹿の力になってやれる。
そう考えて生きていくほうが何となくだけどいいようにおもいます。
ただ僕自身は往相回向も、還相回向も今生きているうちにいっしょに起きている
事だと思ってます。
とゆうことで念仏をとうしてキリストを見てる僕はきっと異端です(´л
127 :
名無しさん@1周年:02/09/16 21:17
>>126 浄土系はキリスト教と似ているという意見はたくさんある
128 :
名無しさん@1周年:
>>126 ははは(笑
貴方は正直な方ですね。自分の心持の分析が出来ているなら
そういった信仰も盲信ではなく、力になるでしょうね。
自分の足で強く生きていきたいものだが、なかなか・・・