α〓〓〓マリヤ崇敬を拒否せよ〓〓〓ω

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990名無しさん@1周年
>>940 :ろんぎぬす :02/09/15 16:24
>【 なんか説明がヘン その1 】

天の女王を信仰し、預言者エレミヤと討論する人びとのことを、
エレミヤ 44:15 すると、自分たちの妻が異教の神々に香をたいているのを知っている男たち、そこに多く集まって居合わせていた女たち、更にはエジプトの上エジプトに住む人々がこぞってエレミヤに反論して言った。
のように書いてますが。ここでいう「天の女王」とは、イスラエル人、またはわれわれ教会にとっては異教の神々なのです。
信仰とは立場によって異なるのは当然です。われわれにとって異教の神々でも、信奉者にとっては正しい信仰対象であると主張するのは当然です。
歴代の王が、間違って異教の神々を敬ったから、神の怒りによってバビロニア捕囚の時代を迎えることになったのです。
991名無しさん@1周年:02/09/17 21:14
>>941 :ろんぎぬす :02/09/15 16:27
>【 なんか説明がヘン その2 】
>お香は死んだ人に焚くものであって、
>皇帝は生きているから香を焚くのが律法違反ですか。
そうです。
>モーセ五書の申命記は、死人の霊を敬い頼る行為を禁止していますが。
霊媒のどを通して、死者を呼び寄せるのは禁じていますが、敬うことに関しては時に何も言われていません。
>十戒の彫像の禁止は、ヘブライ語直訳が、私のほかに顔があってはならない。
>つまり顔のあるものへの礼拝行為(お香焚きもひれ伏すのも)
>基本的に禁止ですがね。以下略
他に顔があってはならないのであって、正しい顔に対しては構わないはずです。
間違った顔を造ると、アロンの子牛の偶像のように怒られますね。本来知らないはずの顔を空想で造ったからです。
当時彼らが知っていることといえば、エジプトから導きだされたことぐらいですね。
しかし、イスラエルの民は神の顔について少しずつしることになります。我々の復活のことについても知るようになります。
そして、今日神の顔は三位一体であることを知るわけですね。この知っている神の顔は過不足なく語り伝えられなければなりません。
正教会では、至聖三者の顔をどのように描きますか。第一位格は御爺さん(ダニエル 7:9)、第二位格はイイスス様、第三位格は鳩ですよね。
しかし厄介なことに、教派によっても神さまの顔が異なるのです。
正教では聖霊は御父のみから発しますよね。西方教会では御父と御子から発する。
この違いで聖画像の造りかた異なるわけでもないのに、この微妙な顔の違いで分裂しなければなりません。
それは、私達があなたが言うところの「私のほかに顔があってはならない。」を忠実に守る故ではないのでしょうか。
992名無しさん@1周年:02/09/17 21:36
>>989
防護メガネで悪霊をふせげるつもりなのか?
993名無しさん@1周年:02/09/17 21:40
>>943 :ろんぎぬす :02/09/15 16:29
>【 なんか説明がヘン その3 】

>原像とか実在したかどうかに関係なく、
>主は神のみ、主は唯一だったはずです。
>それに主はモーセに、あなたは燃える柴で私の顔を見なかった、といって、
>火や炎であって、死霊とか実在人物ではありません。
そのとおりです。
>また皇帝は神ではなく、初代皇帝のアウグストゥスも、
>皇帝の魂の精霊崇拝を否定し、神(デウス)ではなく、
>ローマ市民の第一人者(プリンケプス)であると自ら言っています。
>むしろ、神(テオス)ではなく、
>主(キュリオス)と像の前で告白しなさい。といって、
>キリスト教徒は、告白を拒んで殉教したのです。
これは、ヨハネ黙示録のバルバロ訳の本文の一節と注解です。
黙示録 13:1 私はまた、海から一つの獣が上るのを見た。それは十の角と七つの頭をもっていて、
角には十の冠、頭には冒涜の名があった。
注解:この幻はダニエル7章による。「獣」は教会に反抗するローマ帝国。「七つの頭」は七代の皇帝。
「十の角」は十の衛星国。「頭に冒涜の名」とは、ローマ皇帝の神聖を叫ぶ歓呼のことである。
皇帝自身が神なのか、何か別の神によって皇帝が神聖とされたのかはわかりませんが、
いずれにせよ、我々と別の神の存在を認めることになりますね。
またこのような推測をしなくても、私達のかみを冒涜するような皇帝を敬うわけにはいきません。
994名無しさん@1周年:02/09/17 21:40
>>943 :ろんぎぬす :02/09/15 16:29
>【 なんか説明がヘン その3 】

>帝国内では皇帝の家来や監視は隅々にいましたし、
>第一、皇帝像の前に警吏がいて、香を焚かれたことを皇帝は感知できるわけです。
>>941
>香道をする人は、みな生きていますから迷信行為ですよね。
では香道と同じく、その彫像の鼻に香炉を近づければ、原像の皇帝はお香の種類をかぎ分けることができるのでしょうか。
彫像の耳元で、キュウリオスと告白して、その原像に聞こえるのでしょうか。
家来や監視が伝えるのなら、その監視の前で香を焚き、皇帝は私達の主であると告白すれば、
彫像なんて不要ですよね。監視が居なくても、自分の彫像に香を焚きキュウリオスと告白してもらえることを、皇帝は期待しそうされることに満足していたはずです。

>神のものは神に、カエサルのものはカイサルに、
>というイエスの言葉がありました。
それは仕えるとうより、服従するという意味ではないのでしょうか。1ペテロ 2:14
私達が、世俗法に従うからといって、立法や司法機関に仕えるわけではありません。