586 :
名無しさん@3周年:03/06/06 18:42
正統異端なんてもうあまり意味ないと思うけどな。
カルトか非カルトかで線引きすればいいんじゃないの?
587 :
名無しさん@3周年:03/06/06 18:43
カトリックのみが正統。
588 :
名無しさん@3周年:03/06/06 18:45
>>587 ばかだなあアホ君 何が正統なんだね
正統というのは、神第一の聖書信仰だよ
分かりるうかなあアホ君
589 :
名無しさん@3周年:03/06/06 18:47
>>588 そうだねさすが福音派、福音信仰者はまっとうなことだけのことはあるよ
みなさん 福音派の教会へようこそお越しください
直接的にであれ、間接的にであれ、実践面に関わるのではない教義という
のは思弁に過ぎない、として。キリスト教の教義における問題の根本は、
キリスト・イエスの具体的な教えは古代イスラエルの社会背景の元で広め
られ、それを、イスラエルの民族的信仰の枠の外に持ち出すと、実践面に
おいてそのまま通用しなくなる場合が出て来るという点にある。だから特
に割礼のような特殊な律法規定は、これを内面的に精神化することによっ
て、矛盾を回避する必要に迫られることもあるが、これは「律法を廃する
ためではなく、成就するために来た」というキリスト・イエスの精神を継
承することだと言えなくもない。言葉は意味を持つが、意味そのものを語
ることは出来ない。書かれたものとしての文章の意味は、常に読みとる人
の解釈であり、ある程度の制約を与えることは可能であっても、一義的な
意味を規定することは出来ないだろう。使徒信条は客観的な立場から書か
れたキリスト・イエスの伝記について、それに対する信仰を定めるという
より、既に信仰において書かれた福音諸書の要約であると言うべきではな
いだろうか?
・・・なんちゃって(汗
592 :
名無しさん@3周年:03/06/06 18:59
593 :
名無しさん@3周年:03/06/06 19:01
>>588 聖書信仰だってさ。文字に仕えるのは偶像礼拝だよ。
2コリント 3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
594 :
名無しさん@3周年:03/06/06 19:19
カトリックは異端にはなり得ません
仮にカトリックの教えに欠陥があったとしてもです
異端というのは
主流との比較の中で生まれるものであって
教えが的を得ているかどうかとは無関係です
百歩譲って
モルモンの立場が的を得たものであり
カトリックの立場が的を得ていないものであったとしましょう
その場合でも
モルモンは異端であり
カトリックは正統になります
595 :
名無しさん@3周年:03/06/06 19:22
仮に聖書信仰の方が
まともな立場であるとしても
それが少数派なら異端となるわけですな
596 :
名無しさん@3周年:03/06/06 19:36
「異端」というのは日本語ではあまり良い響きがないですが
長い間ヨーロッパでは教会間の、「挨拶」ですた
597 :
名無しさん@3周年:03/06/06 20:21
ヤクザかよ!
598 :
名無しさん@3周年:03/06/06 20:44
599 :
名無しさん@3周年:03/06/06 20:53
「聖書信仰」っていうけど、「聖書」を正典として決めたのも
教会が決めたんでしょ?(カルタゴ会議)
で、その「聖書」の中に、最近は「続編」と言われているもの
を含めるかどうかで議論があるでしょ?この続編は、旧約聖書の
部分だけど、キリストが生まれるよりも前にヒブル語からギリシ
ア語に訳された「70人訳聖書」というのには、入ってるんだよ
ね。ヒブル語原典にはないけど。理由は、それまで「続編」の部分
は、みんなが口伝で暗唱してきたからだとされているようですが。
それから、
>>590 「使徒信条は客観的な立場から書かれたキリスト・イエスの
伝記について、それに対する信仰を定めるというより、既に
信仰において書かれた福音諸書の要約であると言うべきでは
ないだろうか?」
↑っていうか、「使徒信条」と呼ばれているものは、かな
り早い時代に、ローマの教会が洗礼式の時に、洗礼を受ける
人が告白するものとして使うためにまとめられた信仰個条だ
と言われているのですが。
だから、主語が「わたしは・・・」になってる。ニケア・
コンスタンチノポリス信条は「わたしたちは」だけど。
まぁ、今の時代、正統と異端を議論し始めても、お互いに
裁き合うことにしかならないと思うよ。
600 :
名無しさん@3周年:03/06/06 22:06
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
福音派・聖霊派を甘くみてるお馬鹿くんたち。
煽り・荒らしに日頃からごくろ〜さま。
あなた方を主がよくよく吟味されますようにお祈りいたします。
表面的に行いを正したところで意味はない。
主はあなた方の髪の毛一本をもたがわず数えておられ、
主のまえにはあなた方の心のうちもすべてあきらかなり、
そのはかりごとを御心によりてお裁きになられますように。
お祈りいたします、アーメン。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
>>599 旧新約聖書66巻は誤り無い神のことばである。
ローマ教会が決めたから正典として認められたのではなく、
聖書自身の内的証明によるのである。
602 :
名無しさん@3周年:03/06/06 22:51
603 :
名無しさん@3周年:03/06/06 23:08
>>601 内的証明?
聖書の各書物自身に、「これは正典です」なんて書いてないでしょ。
もしくは、正典以外にも使徒や他の弟子たちの名前の付いた書物が沢山あるし。
信仰書物として偽書や異端書物にはならない、バルナバの手紙やポリュカルポスの手紙のような、
使徒教父書とかどうなるの?正典と区別する理由は?
604 :
名無しさん@3周年:03/06/06 23:50
>603 アロンの杖から芽が出たみたいに
聖霊の働きで自動的、天恵的に聖典と定まったといいたいらしい。
つまり端的に言えば「黙れゴルア 御意見無用!」ということでしょう。
605 :
名無しさん@3周年:03/06/07 14:05
606 :
焼身自殺に関するレポート:03/06/07 19:41
5、日本におけるリトル・ペプルの弟子山本恭子とミミ萩原
おそらく、読者の皆さんの中にはミミ萩原という元女子プロ選手の
名前を知っている方も多いことだと思う。つい最近、カトリック新聞
でも広島司教の三末師がこのミミ萩原とリトル・ペブルとの関係を
公に指摘し、その危険性を懸命に訴えておられたが、私などは
三末司教の記事を食い入るように見ていたひとりであった。
とにかく、テレビのワイドショー番組でも取り上げられたくらいなので、
一般のお茶の間にも全国ネットで報道されている。テレビの伝える
ところによれば、ミミ萩原は広島の自宅をチャペルに改築し、ときお
り神父(※筆者注解この司祭は現在、精神病院に入院中である)
を招いては教会のミサの真似事をしているという。そして私たちが一
番驚くべきことは、ミミ萩原自身も聖母マリアや天使の幻視をしてい
るというのだ。しかも、萩原自身が教祖様になりきっている
(※筆者注解幾人かの信者がいるらしい)。
607 :
焼身自殺に関するレポート:03/06/07 19:41
この点ではリトル・ペブルと同様であろう。ところで、三末司教の記事
によれば、ミミ萩原は東京でカトリック要理を途中までしか正式に勉
強しておらず、洗礼もリトル・ペブル関係者からオーストラリアで受け
ているという。」したがって、カトリック教会の正式な信者とは疑わしい。
ミミ萩原はショービジネス〔芸能関係〕界に長らく関わってきた人物である。
メディアによる影響力を考えて、少しは自粛してもらいたいものだ。
次に山本恭子なる人物であるが、別名、彼女の信者たちから"小さき花
のテレジアさん"と呼ばれている。この別名の由来はどうやらリトル・ベブル
にあるらしい。長崎県佐世保市の信者で、ある種のカリスマ性をもった女性である。
私は何度かこの女性に直接電話で取材をしたことがあるが、その受けた
印象としては、かなり気性の激しい女性だな、と、いうものだった。
ただ、司教様を始め長崎の多くの神父さんたちは、この女性を敬遠して
おり、説得をしてリトル・ペブル運動をやめさせようと試みる人はもういない。
完全にあきらめきっている。私も何度か大司教秘書の神父さんと電話で
話しをしたが、ムダであった。しかし、私たちカトリック者はあきらめてはいけ
ないと思う。なぜなら、山本恭子はほっといてかまわないと思うが、彼女に
影響されている多くの若い青年男女がいるからである。彼らには未来がある。
その輝く未来を山本恭子とリトル・ペブル運動のために犠牲にさせて良いのだろうか。
できるだけ多くの人に呼びかけて彼らを救いたいと私は願っている。
焼身自殺、ホームレス、学校中退、精神異常者、無一文(金品をすべ
てリトル・ペブル運動のために巻き上げられる)、プー太郎(失業者)、いろいろある。
608 :
焼身自殺に関するレポート:03/06/07 19:42
この運動に関わったために人生を棒にふった人達が大勢いる。私たちカトリック者は
指をくわえて見ているだけでいいのだろうか。疑問である。とにかく、山本恭子は長
崎大司教の指示にさえまったく従わないのである。ところで、私が取材の過程で
入手した衝撃的な実話をひとつ紹介しよう。1988年の2月21日、当時19才だった
田中緑さん(仮名)は、山本恭子のコミュニティーに関わったおかげで、その数日前
から突如「悪魔が見える!悪魔が見える!」と叫びはじめ、同日(21日)午後、奄美
大島の自宅の風呂場でついに自殺したのである。これについては複数名の証言
を得、裏付けも取った。そのほかにも沖縄の18才の少女が海岸で焼身自殺をし
たりしており、そのほかにも変死、病死などたくさんある。この件は山本恭子自身
もはっきりと認めている。
さらに脱会者の訴えによれば、山本恭子はその奄美大島の自殺した女の子に
「犠牲の霊魂だから耐えろ」と、言い、しかも、「13日の日には地獄の門が閉まるから、
13日に死ねば誰でも天国に行ける」などと放言していたという。とにかく、このようなリト
ル・ベブル運動のようなカルト集団はほっとくわけにはいかない。これ以上、犠牲者が
続発する前に何らかの手を打つべきである。カトリック教会はこのための調査委員会
を早急に設置すべきであろう。
江原 錠治 著
リトル・ペブルの運動への警告 P23-26
609 :
カルト宗教リトル・ペブルにご注意下さい:03/06/07 19:53
610 :
カルト宗教リトル・ペブルにご注意下さい:03/06/07 19:53
611 :
カルト宗教リトル・ペブルにご注意下さい:03/06/07 19:54
612 :
名無しさん@3周年:03/06/07 19:55
613 :
カルト宗教リトル・ペブルにご注意下さい:03/06/07 19:55
614 :
カルト宗教リトル・ペブルにご注意下さい:03/06/07 19:56
615 :
カルト宗教リトル・ペブルにご注意下さい: