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ろんぎぬす:
京都に原爆を落とさなかったのは、
当時、京都第16師団の師団長の
満州事変の参謀の石原莞爾中将(当時は中佐)が居たからとかで、
将軍を原爆で戦死させれば、
アメリカとしては、東京裁判で満州事変を、裁けなかったからという。
戦後で裁判の頃は、持病の悪化で故郷の鶴岡?だか、病院の酒田?に戻っていた。
そのためアメリカ側は、東京裁判に将軍を出席させられず、
療養の地元で事情聴取をし、珍言や詭弁にあっけにとられて、将軍は不問に付され、
結果的に無罪になった。
山形県庄内地方鶴岡市出身の石原中将は、
30歳から始めた、法華経や日蓮の信者だった。
信仰に入る30歳になる前には、
日本では会津若松の連隊長時代には、
城下で芸者や売りの女達に金払いが良いので評判で、
満州(関東軍)での生活でロシア人娼婦と、
ドイツ駐在武官時代はドイツ人娼婦とも関係を持ち、
特に将軍を好きになった寵愛の娼婦(娼婦仲間ではブスで有名だったそうだ)が、
軍や私生活を問わず、献身的に情報の聞き出しに回っていたそうだ。
相手方のロシア軍やドイツ軍の諜報やユダヤ金融には詳しかったらしい。
クラウゼビッツ?の戦争論やナポレオンの戦術にも詳しく、
話が面白いために外国女にはもてる方だったそうだ。
将軍は庄内藩の士族の出で、お爺さん?だか親類は、
明治維新の戊辰の役や西郷隆盛の西南の役で、
出陣した経験があったそうである。