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58ろんぎぬす
【 「俺」サンへの反駁 その1 】
@マリヤ崇敬は、神に背く偶像礼拝です。出エジプト記20章4節
★カトリック要理(サンパウロ)p134−135 
聖人、天使は神のみ旨にかない、すぐれた恩恵と栄光を受けていますから、
・・・正しいことであって、・・・神ご自身に賛美と感謝とをささげることになります。
十字架や聖人の聖像や聖画を大切にするのは、信心を助け、キリストまたは聖人を尊ぶためです。
★正教要理(日本ハリストス正教会教団)p166 
イコンとはギリシャ語で像の意味で、・・・聖書中の出来事からとられ描かれています。
・・・教会では聖像に描かれている原像を敬拝することにあると教え、
その意味を誤らないよう指示しています。
・・・この世で人となったハリストスは父なる神の像であり、神がハリストスを通し、
・・・神を見ることが出来ます。また神が肉体をとってこの世にくだられた事実は、
見えるものが見えないものを認識する手がかりになったことを示しているからです。
p167 聖像は敬虔な画家−多くの場合修道士−が斎と祈りの中に描かれるものです。
p168 ・・・魚・小羊・牧者・鳩・ぶどうの枝などで象徴的にあらわされていました。

A偶像礼拝をすると悪霊と交わる事になります。第1コリント10章20節
そうです。
キリストや聖人や天使(キリストの為に召使になる異教徒)から授かる知恵や巡り合わせより、
悪霊の力を信じる多神教の信仰は。
59ろんぎぬす:02/07/13 16:24
【 「俺」サンへの反駁 その2 】
B人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われるのであり、マリヤ崇敬によって救われるものではありません。ガラテヤ2章16節
★正教要理(日本ハリストス正教会教団)p3 
「行いが伴わなければ、それだけでは死んだ者なのです」(ヤコブ書3・17)
p65 教会が一つである・・・地上の教会には生きている信者がおり、
天上の教会には神に召されこの世を去った聖人たちと信者がおり、
この二つの教会は唯一で分かれないものと見なしています。
「天にあるエルサレム・・・天に登録されている長子たちの教会」(エウレイ書12:22−24)
★カトリック要理(サンパウロ)p96 
ヤコブ5:16「互いのために祈りなさい・・・義人の祈りは働く」、
コロサイ1:24「キリストの苦しみの欠けたところを満たしている」、
Uマカバイ12:45「つぐないのいけにえ」

C神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエスであり、マリヤは仲介者では有り得ません。第1テモテ2章5節
★カトリック要理(サンパウロ)p97 
黙示録8:4「聖人たちの祈りとともに」、マタイ18:10「天使は・・・父の顔を見ている」

E聖書のどこにも(外典にさえ)「マリヤ崇敬をせよ」とは書かれていません。黙示録22章18節
★カトリック要理(サンパウロ)p100 
ヨハネ19:27「あなたの母がいます」、使徒行伝1:14「イエスの母マリヤ・・・みな心を合わせ」
★正教要理(日本ハリストス正教会教団)p8 
聖書と聖伝・・・を「真理の柱、真理の基礎」(テモフェイ前書3・15)と呼び・・・み言葉の遺産。
p45 マリヤは・・・「神を生んだ女」と呼ばれ・・・
救い主を生むという光栄を得た女性という意味で、「永貞童女」と賛美します。
エフェソ公会議(341)「神の母」
西方カルタゴ会議(397)東方コンスタンチノープルのトゥルルス会議(692)「新約27巻の決定」
ニカイア公会議(787)「聖像の尊敬」