レイキって本当に使えるのでしょうか? Part 4

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上のレスじゃ、少しわかりずらいと思いますので、追加いたします。

私が今までこだわって迷ってきたのは、我が家の家庭崩壊の理由(現象)が、教団のある幹部が出した「意識しない念」によって起こったと思われるからです。
また、周囲の波動も一斉に集まった結果だと感じています。
「男女間のことに関する愛憎や嫉妬」…とでも、言うのでしょうか。
この時、ある程度修行した人の念は、魔道にも通じるし、破壊力も持っていると感じました。
(すみません。これ以上は書けません。)

私はその体験で、普段はたとえ良い念を出していたとしても、それは一瞬のうちに「魔道」に通じるものだと感じたのです。
だからこそ、得体の知れないエネルギー(念)を持つことは、とても怖いことだと思うのです。

特に、その念を扱うのが、完璧ではない・心や念を制御できない「感情を持つ人間だから」です。
人間の心ほど、変わりやすいものはないのです・・・。
変わりやすい心を持つ普通の人間が、「何かしらの力」を持って、いじるなど、目に見えないだけに無謀なこと。
見えない世界を操り・やがて操られてしまう。
始めは「良いことに使うつもり」であっても、人の心は弱いものです。
後ろ盾や力を持った人間は、ほとんどが傲慢になっていくものです。それは過去の歴史を振り返ってもわかると思います。

見えなくてもいい人には、最初から見えないように出来ているはず。いらぬ力はわざわざ持たなくてもいいはず。
だけど中には、見えないものをわざわざ見ようとする。本来持てないものを持とうとする。
そういう無理を念じるから、魔力を引き寄せてしまうのではないでしょうか。
それはとても不自然なこと。不自然だから不自然な人生になる(狂う)のだと感じます。

あくまで私的ではありますが、レイキにしても、念についても、何かしらのパワーにしても
結局は見えない世界の話です。やはり、わからないものには安易に触れるべきではないと感じます。