α〓〓〓失われたキリスト教の本質〓〓〓ω

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聖書を引用しつつ、カトリック教徒にマリヤ崇敬や聖餐のパンを礼拝する罪を指摘すると、彼らは意地になって猛反発する場合が多い。
迷信的要素が少ない点においては、プロテスタントは彼等より正しいのだが、愚かさの面では彼等と違いが有るとは思えない。
新旧、双方に行き、良く考えて、どちらか片方を選んだ者を除けば、たまたまプロテスタントと出会った者がプロテスタントとなり、カトリックと出会った者がカトリックとなったに過ぎないのだ。
クリスマスやイースターエッグ等を指摘すると、カトリック教徒以上に反発するか、又は、間違いと認めつつ、間違いにしがみつくのである。
間違いと知りながら、間違った事を続けるという点においては、プロテスタントもカトリック教徒と同じくらい愚かである。

母子家庭で、家計を支える為にアルバイトをしている高校生に献金をさせるなど、迷信的なカトリックでさえしていない。むしろ、教会から金を支給するべきだ。

伝道のしかたが無神経だから逆に異端を増やしてしまう。

教会組織の方針を持って神の代用とするべきではない。キリスト教は神と人との契約であり、教会組織と人との契約ではない。

郵便番号355−8691 私書箱19号 キリスト教の本質を取り戻す会は
これらのことを問題だと感じている人たちの会です。

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