α〓〓〓失われたキリスト教の本質〓〓〓ω

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現在の教会が聖書からかけ離れている事は、一目瞭然である。カトリックやリベラルの事を言っている

のではない。そのようなものは論外である。福音派の事を言っている。
ローマカトリック程迷信的ではないが、迷信的要素が全く無いわけではない。
ローマカトリックから受け継いだ迷信も、プロテスタントが独自に作り出した悪習慣も、他宗教の影響

も、その他の異端的要素も排除するべきである。

クリスマスツリーは聖書に書かれていない。主イエスが生まれたのは、野宿の可能な温暖な季節であり

(ルカ2:8)紀元元年12月25日でないことは確かである。
しかも、その迷信に合わせて、真冬に氷の張った池で洗礼を行うという気違い沙汰が行われている。滅

茶苦茶な事をやって面白がっている以外の何ものでもない。
主イエスは「私の誕生日を祝え」と言っていないし、弟子も祝っていない。クリスマスは異教の風習が

キリスト教の中に入り込んだものであり、廃止すべきものである。

クリスマスのようなパン種が伝道になるだろうか。なる場合もなくはないが、むしろ逆効果ではないだ

ろうか。パン種でパンを膨らませても質量が増えるわけではないのだ。
ある掲示板で、クリスマスは迷信だと述べたところ、まともな評価をしてくれたのは、意外なことに、

異端のエホバの証人だった。
彼らは、三位一体や信仰義認を認めない異端者である。しかし、クリスマスの行事を迷信と見なす点に

おいては、福音派よりも正しいのだ。エホバの証人をやめた者、やめようとしている者にとって、クリ

スマスの行事は大きな障害物である。
クリスマスのような迷信的行事があったら、ユダヤ人にとっても、教会は近寄り難いものとなる。
続く>>1-10