@質問箱から派生した議論

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565髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/04 16:45
>>564
レスを読んでいて、ヘレン・ケラーを思い出しました。
あの方は、光と音の世界が無いですね。「我」というのをどこで認識したんでしょうか?
サリバンが「水」を手に流し続けますね。その時の気付いた「歓喜」とは?
「水」には名前があるんだ。という以外に「自分」という認識に気付いた一瞬なのかな?なんて想像してしまいます。
あれは「覚り」なんでしょね。

>よく明け方を山中で迎えて感動していたんですよ。
近くに小高い山があって、大晦日になりますと深夜に登山するんですね。
この頃、子供も冬休みですから小学生なんかも30分くらいかけて登ります。
見晴らしの良い場所で、日の出を待つのですが・・・
あれはなかなか感動しますね。別に理屈の問題じゃないんですけど。

>明け方を縁に、あの頃の記憶がドバーッと湧いてきた。
大体こういう記憶というのは「女」が絡みますね。
ついつい遊びすぎて、朝まで・・・。よくある傾向です。分かりますyo



566髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/05 13:06
8月6日(ヒロシマ)
8月9日(ナガサキ)

この他に忘れてならない日があります。
8月12日。日航123便墜落。
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm
奇跡的に助かった落合由美さん(スッチー)の記録。

http://st.jpn.org/~maecato/katsudo/nikko_S.htm#目次
群馬県警察医(歯科)の記録。

被害者に黙祷。

567しぃ:02/08/05 13:10
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568草レーサー:02/08/06 19:25
>>565 髑髏さん
>レスを読んでいてヘレンケラーを思い出しました。
ヘレンのことは詳しくは知りませんが、彼女にとって世界は無秩序で混沌としている
ものだったのでしょう。悪い意味での無分別の世界ですね。そこでず−っと暮らして
きた彼女が、初めて出会った世界の秩序が「water…水」だったんだと思います。秩序
には、質的に大きいも小さいもありませんから、それはやはり「覚り」なのだと私も思
います。
我々普通人から見ると、ヘレンは特別で偉人のように思えますが、仏教の教えを実践し
ている人にとっては、自分も同じように不自由だと思うでしょうね。ヘレンの場合は遥
かに過酷な運命を背負ったのでしょうが…。
無分別は無秩序ではないのでしょう。人工的な社会的秩序とは違うものでしょうが…。
彼女の場合「水」から「水」を考えず、「水」を「水」と思って考えず「水」に触れた
んだと思います…。
しかし、我々健康人とて、見て見ず、聞いて聞かずの状態でほとんど過ごしているので
しょうね…。私はそうですね。生活に乱雑さが浮かび出ているし。(w
まあ、だからこそ、自分が向かうべき方向も浮かび出てくるのですが…。
569髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/06 19:58
>>568
>世界は無秩序で混沌としているものだったのでしょう。
改めて考えれば、そうゆう事ですね。

>悪い意味での無分別の世界ですね
確かにそうゆう事ですね。

>初めて出会った世界の秩序が「water…水」だったんだと思います。
その「歓喜」なんでしょうね。

>我々健康人とて、見て見ず、聞いて聞かずの状態でほとんど過ごしているのでしょうね…。
そうなんですよね。
自分とは何ぞや?→自分に疑問を向ける。というのが大事なんでしょうね。

貴方のレスを読んでいて、改めてヘレンケラーについて考える事ができました。
彼女は、そうとう健常者に伝えたい事があったんでしょうね。
しかしながら、彼女の深い部分まではなかなか・・・。計り知れません。
が・・・その一端は垣間見えた気がします。


570草レーサー:02/08/06 20:00
>>565 髑髏さん
「我」というのをどこで認識したんでしょうか?
う〜ん、五感の全てを認識せずとも、部分的にしろ感覚がある以上、認識せず
とも痛みや苦しみ、快や歓び等を感じてしまう自分がありますよね。
逆に五感の全てに感受がなければ、生きていることができませんよね。呼吸も
ままならないでしょうから。

>近くに小高い山があって…。
いいですね、髑髏さんの住んでいる環境…。多くの人と、歓びや感動を分かち
合えるのも、素晴らしい事だと思いますよ。
私も、レースをやっていて良かったなぁと思う事の一つに、みんなで称えられ
る「勝利」というのがありますね。表彰台に立てようが立てまいが、あるドラ
イバーの勝利をシャンパンを開けて子供の様にはしゃいで称えるんですよ。
この一時だけは、自分の勝利も他人の勝利もない。負けた者も「勝利」を称え
られるんですね。この時だけは、次ぎは自分も…とはあまり思わない。
こういう「勝利」の捉え方はレースがなかったら、私には理屈としては理解で
きても、自分の感覚として味わうことはできなかったと思いますね。
571髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/06 20:15
572髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/06 20:35
>>570
>認識せずとも痛みや苦しみ、快や歓び等を感じてしまう自分がありますよね。

ああ、そうでしたね。
触覚、嗅覚、味覚がありましたね(w
その事にすっかり忘れておりましたよ・・・・。
植物人間ではありませんからね。ヘレンは。

>自分の勝利も他人の勝利もない
これは、一つの事を成し遂げた歓びなんでしょうね。
相当な脳内アドレナリンが分泌されるらしいから、これは当事者しか分からんのでしょうね。
私には推測の範疇にてある程度理解できます。
573草レーサー:02/08/06 22:21
レースから学んだ事、その二。
面白いもので、クローズドサーキットの環境では全て自己責任。可愛い愛車を
誰かにぶつけられても、自分で直す。勿論自分のミスでぶつけても自分で直す。
直すには当然お金がかかる。だから、できるだけ壊すまいとするのだけどレース
にクラッシュもトラブルも避けられない。誰かにぶつかって来られても自分で
修理代を払うのが常識になっているクルマ社会はレースの世界だけでしょうね。
これも二律背反の問題がある。ぶっ壊れて修理代がかかるのは、誰でも嫌なも
のだし、丹精込めて仕上げたマシンでもある。じゃあレースなどやらなきゃい
いという竹を割ったような答えもあるが、自己責任を承諾してもみんな出場し
てくる。何故か?答えは気持ちの中にある「走りたい」がレーサーの命だから。
二律背反の問題というのは、大体思考の中から生まれて来る。現実の行動の中
では、それなりの生きざまは出るものの、そこで止まってしまう事はない。
愛情もお金も込めてあるマシンでも、走っている時は、走るしかありませんか
らね。レース前後は色々と思考を巡らして苦しい状態になる事も多いけど、時
間が来れば走り出すしかない。まあ、逃げる事もできるが、大抵は走る。(w
走り出してしまえば、後はもう現実と格闘している自分がいるだけ。走ってい
る事でわかってくることもあるのですね…。これがレーサーの宝。
人生の現実にはどんな事でも、初めと終りがある。初めが来なければ、何時ま
でも二律背反の前で葛藤しているだろうし、終りが来なければ努力になど意味
もなくなると思うのですよ。
574草レーサー:02/08/06 22:43
>>571 髑髏さん
これは何なのでしょう?私のパソコンのモニターには、黒一色に塗りつぶされた
画面しか出ませんよ。何かの間違いでしょうかね…。これが心境だとすると私の
理解の及ぶものではなさそうです。(w
575名無しさん@1周年:02/08/06 22:46
理解を超越する男・髑髏仮面

576名無しさん@1周年:02/08/07 02:40
>黒一色に塗りつぶされた画面しか出ませんよ。

たぶんマイクロメディアのフラッシュがインストールされていないんでせう。
577髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 06:46
>>574
>私のパソコンのモニターには、黒一色に塗りつぶされた画面しか出ませんよ。

あらあら、これはスマソ
私のパソコンは反応ます。ということは・・・・・
他の方は情報が入ってないんですかね?アボーンされているんでしょうかね?
詳細は分かりません。
win98は文字化けするらしいけど・・・。そんなんじゃないでしょうし。
どーも分かりません。
パソコン初心者なもんで。

ちなみにフラッシュの内容は、ルパン三世バージョンで私のメッセージが入力されてます。
578草レーサー:02/08/07 07:23
>>576
そういうことかもしれませんね。早速やってみま。御親切にどうもッス!

>>577
私も髑髏仮面さんの心境を楽しみに拝見させてもらおうと思っていた
ので、ビックリしましたよ。(w
多分何かの間違いだろうと思うものの、私の理解の及ばない禅や茶道
の何かを表してしているのかも知れないなあ等と、黒一色の画面から
何かを掴み取ろうと虚しい努力をしていたんですよ。(w
いや、決して責めているとかじゃなく、ホントに笑っちゃっているん
ですよ。「これが私の心境です」と言われたら、どーレスを打とうか
なあと…。笑えるでしょ?
579髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 08:00
>>578
私のPCは、立ち上がりが遅いですね。
これは回線の関係かな?という事を考えていたんですが・・・
何やら業者に聞いたら、PCに情報が多く入りすぎてると「重く」なるそうです。
そういう訳で、最近は極力ゴミ箱に情報を捨ててます。

ちなみに・・・
ブラクラチェッカーのページを見つけました。
http://www.jah.ne.jp/~fild/cgi-bin/LBCC/lbcc.cgi?
これは結構便利です。
580髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 18:21
>>573
>可愛い愛車を誰かにぶつけられても、自分で直す。

そうですか。結構お金がかかるもんですね。
私の知り合いにもこういったレースが好きな人がいますよ。
なんでも、アフリカのラリーに出るそうですが、あそこは非常にヤバイらしいですね。
とにかく草原みたいなところだから、途中で故障でもするという事を想定するとヤバイらしいですね。
当人は単車が好きな人だから、おそらくは二輪車かと思いますよね。
アフリカまで二輪車を運ぶんですかね?詳しくは聞きませんでしたけど・・・。
それだけ魅力があるんでしょうね。こう逝った世界というのは。

>これも二律背反の問題がある。
茶道もいわば二律背反みたいなもんですよね。陰陽思想が入ってますからね。
でも一番大事なのは・・・・
前レスにありました、弓道の「暗闇で射る」。あの世界かとおもいます。
ああいった世界に魅了されるんかと思いますね。
こういった世界の話になりますと、なかなか言語では伝えきれない・・・。
茶道においても、弓道においても、レースの世界においても同じなんでしょうけど。
レースの世界は奥が深いですね。
私が知らないだけで、なんの世界においても言えるんでしょうけど。



581草レーサー:02/08/07 21:18
>>580 髑髏さん
>弓道の「暗闇で射る」あの世界かと思います。
これは究極ですよね…。
この究極に限りなく近付いた男の言葉として、再びセナの言葉を抜粋しましょう。
セナが鬼神のような走りをしている時の状態に、第三者が質問して答えていたものです。

「その時僕の精神力は肉体やマシンの力を超えている。僕と言う人間を構成している
要素の全てが、肉体も精神も含めて何もかもが100%自動的に動く。95%でも99
%でもない。100%なんだ」…と、言うことです。
私もレース中には、心が真っ白になって自動運転している感覚はわかるのですが、それ
にしても100%というのは俄かに信じ難い思いがしますね。う〜ん、確かに奥が深い。
>私が知らないだけで、なんの世界においても言えるんでしょうけど。
私はかつて、自分がレーシングドライバーだと言う事を自慢していた時期があるのです
が、色々な人と出会ったり、人生経験を積んでいく内に、恥ずかしくなって来ましたね。
何か、特別にカテゴライズされた世界で優越感を意識していると、どうしても劣等意識
が触発されやすくなる仕組みがあるようです。(w
ただ、私がクルマが好きで走る事が好きで、レースが好き。これが自然で気に入ってい
ますよ。考えてみると「好き」という感情も面白いですね。あるものに特別なものを感
じてしまうセンス。「好きこそものの上手なり」と言いますからね。
釈尊も、人生が好きだったのだと思います。一度は人生を厭い離れ、捨てた男でしょう
が、どこかで人生が好きだったことに気付いたんだと思います。
582髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/07 22:12
>>581
セナも釈尊も、つまりはトップの粋に達した人ですよね。
こうゆう方というのは、同じ土俵でコミュニケーションを取るというのは難しいですよね。
自分で言いたい事があるんでしょうけど・・・
だけどナカナカ分かってもらえないというのは実際あったかと思います。
俗な言いかたですと、こういうのは一種孤独なところがあるかとおもいます。

>肉体も精神も含めて何もかもが100%自動的に動く
人間というのは、意識では覚醒しているとおもっていても、使う能力というのは僅かなんでしょうからね、
こういうところでこう言い切れるのは、人間の概念を遥か越えた世界なんでしょう。
禅は、つまりはこういった概念の破壊ですからね。通じるところがあるかと思います。
茶道でも、つまりは目指すところはこれかと思います。
弓道でも「暗闇で射る」必要性はないとしても・・・そこで「得るもの」。是かと思います。
それが魅力なんでしょうね。



583草レーサー:02/08/08 07:37
>>582 髑髏さん
>「的を射る」必要性はないとしても…そこで「得るもの」。是かと思います。
 それが魅力なんでしょう。
私もそうだと思う。その必要性…の問題を徹底的に追及すると、ホントに必要なものが
見えなくなってしまう。レースでも、勝つ事以上に「走ること」が何よりの原点ですか
らね。人生の何事も、まず「生きること」が原点でしょうね。
しかし、スポーツなどの場合、動いているから色々な事が分かり易いけど「生きること」
を原点として日常生活を営むのは難しいと思いますよ。
私などはレースを窓口として、その大切さに気付いたに過ぎないですね。レースを通し
て、「ホントに生きる道」に入ったのだから、これも法門なのかもね。
>こう言う方というのは、同じ土俵でコミュニケーションを取るというのは難しいですよね。

う〜ん、同じ土俵で…というのは難しいと思う。セナの場合だと、色々な世界の専門家
達との交流は刺激的だということですが。
ここはやはり、交流、コミュニケーションなんだと思う。たとえセナのような人間でも
一人きりの世界に篭り切ってしまったら、色々な意味で不発になってしまうと思う。
専門家とまではいかなくても、一心に生きてきた人の言葉には耳を傾けるものがあるよ
うに感じています。
584髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/08 15:58
>>583
>私などはレースを窓口として、その大切さに気付いたに過ぎないですね。

レースというのはクラッシュが付きもんでしょうから、当然「死」とうのも身近に感じられますね。
そういう時に「生」というのが、ググッグと鎌首をもたげてくるんじゃないでしょうか?
つまりは「死」がボヤケテいたんでは「生」も又ボヤケテしまいますからね。

レースというのは、一つの極限状態をもたらすんでしょうから、そういうところで「気付き」みたいのはあるんでしょう。
これは何の「道」でも同じですね。一生に一度あるか?ないか?なんでしょうけど・・・
レースは、この頻度が非常に高い。

仏教というのは、苦行というのを否定してますが・・・
一つの極限みたいな状況というのはやはり必要かとおもいます。
そうでないと「観えてこない」という部分がるような気がします。
「四諦」の苦も、こういう事も含まれているよーな気もします。
文言でけでしたら単なる「苦」なんでしょうけど。

585草レーサー:02/08/08 19:52
>>584 髑髏さん
>仏教というのは、苦行というものを否定してますが…
私もここには意見を持っています。詳しい事実は知りませんが、そもそも苦行をする
のは、肉体の束縛を脱するため、肉体の苦しみに負けない強靭な精神力を養うためな
のだろうと思うのですが、やはりそこは人間のすること、執着が生じるんだと思いま
すね。そうなると、苦行のための苦行になってしまう。人生の苦しみから脱する為の
修行が、苦しみに無感覚になることを目指してしまうような気がします。印度の苦行
というのは、肉体を痛めつける意味で想像を絶するほど過酷なものらしいですからね。

釈尊苦行を放棄した時の、六人の修行者達の反応から察すれば、修行者にとってどれ
だけの苦行に耐えたかが、一つのステイタスになっていたのかも知れませんね。男の
意地の世界には、いつでもそういうものがありますから。(w

髑髏さんがよくいわれる「自分とはなんぞや?」ここの処の洞察には、やはり厳しい
ものが必要でしょうね。生物の性として、苦しくなければ必死になれないというのが
ありますし、釈尊も生存か死かのギリギリの苦行時代にかなりのヒントが掴めたのだ
と思います。だからやはり、六年の苦行生活がなければ、釈尊も大悟には至らなかった
のじゃないかとも私は思うのです。否定したのは先に書いたような苦行への態度や
執着なのでしょうね。やはり人生全ての事に、中道と言う尺度を用いる。私としては、
そこが釈尊仏教のいのちだと思っています。自分自身の内的な感覚として中道のセンス
が掴めなければ、中道など絵に書いた餅だろうと…。
それを目覚めさせ養うためには、時には極端なこともやってみて、自分で納得するの
も道でしょう。実は人間は気付かずとも、極端な事をしていると思う。それに気付く
ためにわざと極端なこともしてみるのでしょうか…。
サーキットなどでも、とにかく全開で…という走法から、失敗に失敗を積んで徐々に
走りが成熟していくものです。スピンやコースアウトから失敗を失敗と学んでいくも
のですよ。この辺は人生がそういうものなのだと思います。
586髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/08 20:32
>>585
>執着が生じるんだと思いますね
なるほど、たしかに執着が生じる。

>苦行のための苦行になってしまう。
そうそう、目標達成みたいな方向性ができますね。

>苦しみに無感覚になることを目指してしまうような気がします
順応してきますね。一種快楽的感覚に陥る場合もある。自虐的というんでしょうか?

釈尊は、苦行の後「琴弾き」に出会って「中道」を気付いた。
いわゆるそこにはプロセスがありますからね。
トータルで考えてしまうと、少々捉えずらくなりますよね。
>六年の苦行生活がなければ、釈尊も大悟には至らなかった
そうでしょうね。

>それに気付くためにわざと極端なこともしてみるのでしょうか…。
人類の長い歴史において、ある程度は学習しているかと思います。
発動の度合いが人によりマチマチでしょうけど・・・。
無意識的にせよ、こういった嗜好というのはあるかと思います。


587草レーサー:02/08/10 07:58
>>586 髑髏さん
遅くなりましたが、571のフラッシュは拝見してみましたよ。(w
ヘレンもそうですが、一見宗教と関わりがないような人達でも、宗教的なセンスが
磨かれているような人達もいますよね。
反対に宗教の専門家が、そういう部分があまり発動していないような人もいるよう
です。
仏教的ないいかたをすると、何を因、何を縁としてそういう結果が出てくると髑髏
さんはお考えですか?
私は宗教の何が嫌いって、閉鎖性が堪らなくイヤですね。(w
宗教の分裂はいくらでも見られるけど、融合は殆ど御目にかかることがありません
しね。異なる宗教観でのコミュニケーションというのは難しいにしても、ここには
宗教の未来があるように私にはおもえる。
キリスト教なり、仏教なりにしても、その世界観だけでどこまでも追求していくよ
り、雑教的な教えの中で、何か根本的な秩序を求めることも私は価値があると思う。

暫く少しレスが遅くなるかもしれません。
588髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/10 18:15
>>587
>仏教的ないいかたをすると、何を因、何を縁としてそういう結果が出てくると

つまり宗教が「飯の種」になる人間ですね。
文献学者はその世界のスペシャリストなんでしょうし、極自然にその世界が視野になるでしょうし・・・
僧侶は如何に葬儀、法事を手際よくする事に専念せにゃ〜ならんし。
それがいわゆる「道」になっちまうんでしょうね。
これが「因」となれば・・・これを証券取引に例えると・・・
文献学者は、株価チャートを見ながら今後の対策を練るよーになるでしょうし・・・
僧侶は、株売買約定日と決済日が気になるよーになるでしょうし・・・
同じ「株」でも考えている事は違うんでしょうね。

>雑教的な教えの中で、何か根本的な秩序を求めることも私は価値があると思う。
セクトに凝り固まってしまうと、やはり閉鎖的になるかと思います。
今後「脱セクト」というのも、一つの価値観としてコンセンサスが得られるようになるかと思います。
「ニヒリズム」が、一つの生き方として定着したよーに・・・




589草レーサー:02/08/12 06:48
>>588 髑髏さん
う〜ん、確かにそういう側面が強く現れていると思うんですが、世俗の価値とは正反対
に進んで「これ以外には認められない」という風になってしまう向きもありますよね。
純粋さ、の禍なのかも知れませんが。一般的には、純粋なことは善い事だと思われてい
るようですが、やはりこれも過ぎたるは及ばざるが如し。なんでしょね。

>今後「脱セクト」というものも、一つの価値観としてコンセンサスが得られるように
なるかと思います。
「ニヒリズム」の場合は、世間の価値観が執拗に金品等を得ることに走った事で起こって
来たと思うのですが「脱セクト」の場合は環境問題等が、やっぱり入り口になるのかな?
宗教と言うのは、そこでも世俗に一歩遅れるのかもね。異教徒間でも、エコ情報の遣り取
りくらいなら、恙無くできそうですね。
590髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/12 20:36
>>589
>「これ以外には認められない」という風になってしまう向きもありますよね。

特に日蓮系に前衛的なのが多い気がします。
そういう意味でも私は、経典(法華経)一本に絞り込んでしまう教義というのはドーモ肌に合わないんですね。

かつて活路を見出せないまま自然淘汰の憂き目にあっていた反代々木系は、その中でも前衛的色彩の強い京浜安保と赤軍がドッキング。
その連合赤軍の末裔は承知の如し。
つまりは、誰も予想もしなかったセクト崩壊というのは、全くアッケないものである。
仏教的に言うならば、まさに諸行無常。
いうかはこういった自体というのも伝統宗派にもおとずれるんだろうとは思う。
理由としては「少子化」が継続すれば、家督を相続するという伝統も至難になるだろうし・・・
こういう崩壊というのは、いたってアッケなく成されてしまうのが世の常だろう。
現在のサヨク運動を見ても分かるとおり、非常にソフト路線でる。
かつてのルネッサンスのように・・・
新しい秩序が生まれる気がします。
その原動力というのが、いわゆる民衆のコンセンサスとネットの情報網かと思う。
591髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/21 11:25
144さん
柏崎の茶道美術館はどうでしたか?
来年になったら、また逝ってみようかと思います。
今度は5日くらい休暇をとって、金沢の方へ行こうと思ってます。
本当は、冬の日本海が好きなんですが・・・
4日市の「雪まつり」を今度予定してます。
あれは一回しか見たことがない。
結構寒いですよ(w
近くに栃尾又があります。ここがまたイイ(w
592草レーサー:02/08/21 19:47
>>590 髑髏さん
レスが大変遅れてしまいました。済みません。
そうですね、宗教で飯を食っていかなきゃならんのが、所謂、その専門家ですよね。
生身の人間がやることだから、綺麗ごとばかり言っているわけにはいかない事情も
多々ある事でしょう。
仏教史に付いてはあまり知識がありませんが、比叡山に入るも幻滅して下りてきて
しまった僧侶も多いそうですね。人間のやることは何処へ行っても同じようなこと
だと言う事かもしれませんね。虚栄と知って虚栄を求めてしまうことが結構あるん
だと思うのですよ。これは時代や地域の違いを超えて「人間」がいつの時代でも何処
にいても、ついつい求めてしまうもので、時には必要なものとも私は思います。
これもあるところで止めれば別にそれほどの禍もないものだろうし、人間として生活
するのなら、これも一つの楽しみでもあると思うのです。
ただ、この「あるところで止める」というのも非常に難しいことですよね。よく言う
「わかっちゃいるけどやめられない」というやつです。(w
これは、知能指数や社会的地位の高低に関わりなく、みんなが悩まされる問題なんで
しょうね。
ここは、実にみんなが難儀するところでもあると思います。髑髏さんは、この事に付
いて、どんな見解をお持ちでしょうか?
593髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/22 20:19
>>592
プロゴルファーの青木だった記憶しておるんですが、こんな事を逝ってました・・・
「仕事を離れて今度あそびでゴルフをしてみたい」。
とても印象に残っています。
私も、茶道で授業料を貰っている内はどことなく窮屈さみたいのはありますから・・。
坊主も同じなんでしょうね。袈裟掛けで「坊主の顔になる」。
アドルフ・ヒトラーが「我が闘争」の中で逝ってましたね。「軍人は軍服によって作られる」。

>人間として生活するのなら、これも一つの楽しみでもあると思うのです。
そうですね、私も自身の好きなジャンルには金をかけますね。
着物ですと、丹精込めて織り上げた商品ですから、それだけに愛着とゆうのはあります。
こういった「作り手の心」みたいのが通じる商品は魅力があります。
商品というのは大体がそうなんでしょうけど、ここは私自身の独断という事で・・・
気にいったのが一つあれば充分です。
どんなもんでも使わなければ意味がありませんから、充分に使いきります。
これが収集癖まで発展すると、本末転倒なんでしょうね。

>ただ、この「あるところで止める」
これが境界線なんでしょうね。
本当に必要なんか?そうじゃないのか?
使い切るのが大事なんでしょうね。
自分が死んだ後は何も残したくはないです。→これが基準になっています。


594文ちゃんボロボロ:02/08/22 20:23
副島さん襲撃事件
以下、元統一教会員カインの末裔氏の投稿より (1部編集あり)

 八四年六月二日に、世界日報の編集局長だった777双の副島さん
世田谷代田駅から帰宅途中だった午後八時四十分頃に「韓国の空手を使った」男から
左側頭部、左上腕部、左首筋、背中と次々にメッタ刺しに合いました。
「背中から左胸部に達した刺し傷は、深さ十五センチ心臓を2センチ外れていたが
肺が破れ血が溜まっていたため、一時は、重態に陥ったほどだった。
左上腕筋は、四十センチに渡って切り裂かれた。
三度の手術が、成功し、二日後に意識が戻った。」(警察発表を報じた記事より)
 この事件は、翌日の朝日新聞が、3段56行、毎日が、1段26行
読売新聞が、1段15行という扱いでした。
それで、当時の統一教会員は、もとより、その後に入教した教会員は、この事件のことを知らないのです。
 副島さんが、刺されてから一週間後の六月十日
文藝春秋七月号が発売され、刺された副島さんが書いた
「これが、統一教会の秘部だ」というレポート形式の論文が、大きく載っていたのです。
霊感商法のこと、天皇陛下との関係、統一教会が、韓国語で、世界統一を目指していることなど
 これまで、共産党の批判、報道しかなかった中で、副島論文は、重要な意味を持つ内容だった。
統一教会サイドが、副島さんの論文が、文藝春秋に載ると知ったのは
遅くとも事件が、起きる前の八四年五月二十六日、大手広告代理店の営業マンからであった。
そして、この掲載を阻止しようと、当時の国際勝共連合と統一教会の責任者が
様々な方面から圧力をかけたが、掲載を止めることが、できなかった。
そして、六月二日の夜、副島さんは、何物かによる襲撃を受けたのでした。
 この事件前までは、文藝春秋社は、朝日批判、反共とい
595求む!ハナシアイテ:02/08/24 01:57
2ちゃんねる心と宗教板・変態住人・レーティング(8/20)
@あずみ(あほのあだ花)
A髑髏仮面
Bキリスト教の神父は大馬鹿 (DQNただそれだけ)
C渡海難
以下、省略
596名無しさん@1周年:02/08/24 21:55
こっちだよ。。。
597名無しさん@1周年:02/08/26 00:51
誰か
598草レーサー:02/08/27 22:40
>>593 髑髏さん
ここのところ、亀レス続きで済みません。
う〜ん、私としては心を扱う宗教の専門家にはやはりクリーンでいて欲しいですね。
現実としては宗教などほど余計に人間の暗部が浮き彫りになってしまうようですが。
まあ、私にしたところで立派な袈裟を纏っている僧侶らしき人物の方に内面的なも
の以上に、まず目がいってしまいますが…。
仏教の僧侶達にも、立派な袈裟を纏って教学を学び日夜修行に勤しんでいても仏教
界内部の問題を、仏教の僧侶でいるためにどうすることもできずに悩んでいる人も
いるのでしょうね。檀家の人や一般人に法を説けても、現実自分達の問題には手も
足も出ないのかも知れないのですね…。
「あるところで止める」というのは、自分に甘く、他人に厳しくなってしまうのが
人間ですから、なかなか難しい事だと思います。
私の場合などは、まるでモグラ叩きの様にこっちを整えれば、あっちが。あっちを
整えれば、こっちが。と、どうもグッドバランスという具合にはいきませんですね。
現在奮闘中というところでしょうか…。

>これが境界線なんでしょうね。
>本当に必要なんか?そうじゃないのか?
ただこれだけを突き詰めるのも、相当の精神力がいると思うのですよ。
599髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/28 09:59
>>598
>仏教の僧侶でいるためにどうすることもできずに悩んでいる人もいるのでしょうね。

日本の現状でしたら、妙好人的生き方とゆうのが私にはイイかと思う。
妙好人の中の妙好人といわれる浅原才市。この方は宗派には拘らなかったそうです。
阿弥陀様に帰依はしているんですけど、自力・他力には拘らず。
つまりは在家なんで、そのところは自由な捉え方とゆうのが出来たんでしょうし・・・
一説には「大哲学者」とゆう評価もあります。
これからの仏教とゆうのは、才市的人物に関心が向くんじゃないでしょうか?

真宗は、だいたい私は才市に考えが近い。
在家が仏教を学ぶんでしたら、やはり妙好人の逝きかたとゆうのは参考になります。

>ただこれだけを突き詰めるのも、相当の精神力がいると思うのですよ。
玩具類のコレクターが居まして・・・・
彼のコレクションは、天上を壊して収集品を積み上げておりました。
やはりそうなると「死んだ後」の事が気になるみたいです。
そして彼が死んだ後、奥さんはどっかの民族資料館に寄付したそうです。
コレクターとゆうのは、死ぬ時未練が残るらしいですね。
600草レーサー:02/08/30 07:43
>599 髑髏さん
>在家が仏教を学ぶんでしたら、やはり妙好人の逝きかたというのは参考になります。

確か唯摩経というのは、在家仏教徒を題材にしたお経だったと思うのですが、あの居士
の自由無碍な境地というのには、インパクトを受けましたよ。あれは不二の教えを説い
たお経なんですよね。
あのお経も仏教の上座部と大衆部の葛藤から生まれてきたものなのだろうと読んでいて
思ったのですが、私も大乗や小乗、自力や他力などの思想に片寄り過ぎてしまう主張に
は納得できないものがあるような気がします。最も、徹底的にある宗派の思想を吟味し
た訳ではなく、感覚的なものに過ぎませんが。ただ、中道というのは思想的な素晴らし
さ以上に納得できるものがあるのですよ。実践となると非常に困難もあるのですが「こ
こに向かっていく」という機軸は他にはないと思う。ここは、仏教と言う枠も超えてい
る人間の道標にもなっているのじゃないかとも思うんですよ。

>コレクターというのは、死ぬ時未練が残るらしいですね。

そうなんですか?その「物」自体に執着してしまうからでしょうか?私もクルマ好きな
ので、できればコレクションしたいのですが、金がないからなあ(w
乗用車とボロのレースカー、この2台、これが限界ですね(w
勿論、これらは大切に扱いますが、私はどちらかと言うと「物」にはあまり執着しない
方だと思います。その代わり、精神的な意味での頑固さを持ち合わせていますが(w
若い頃は、レーシングドライバー以外の人生には、全く価値を見出せなかったのですよ。
今では、色々と人生経験を一応積んできたので、柔らかくなってきましたが…。
私は精神的な頑固さも死ぬ時未練を残すと思う。私の場合ですと「レーサーとしてもっと
完成させたいよ〜!」などかなあ(w
601髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/08/31 18:17
>>600
仏教の「悟り」とは、捕まえようとすると逃げちゃう「青い鳥」みたいなもんなんでしょうね。
あのお話を良く思い出します。
捕まえるんじゃんくて、「仲良く」すれば良いんじゃないかと・・・
そんなふうに考えています。
仏教の原点とゆうのは「人間とは何ぞや?」とゆうことなんでしょうから、
非常にシンプルですね。勿論、奥が深いんでしょうけど。

>仏教と言う枠も超えている人間の道標にもなっているのじゃないかとも思うんですよ。
そですよね、私も「仏教」とゆう枠に拘らなくて良いんじゃないかと思います。
人間の「生き方」なんでしょうね。仏教とゆうのは。
こうゆうところからの「意識改革」とゆうもんから考えていかなければならんでしょうね。
禅はいわゆる「思い違い」のハケーンですよね、非常にシンプルなところが原点かと思います。




60271:02/09/02 09:00
>>601 髑髏さん
>仏教の「悟り」とは、捕えようとすると逃げちゃう「青い鳥」みたいなもんなんで
しょうね。
そうかもしれませんね。スポーツ選手なども似たような経験がある人が多いですよね。
高度なパフォーマンスを自然に行っていても、イザその状態を求めてみようとすると
逆にわからなくなってスランプにハマッテしまうんですよね。天才的な人ほど、その
傾向が強く現れてくるみたいですね。ひどくなると、そのまま再起不能ということも
あり得るくらいの。
レーサーの場合は、大きなクラッシュをした後などに再びレースに復帰する時、どう
してもビビリが出て、前の様に走れなくなる時期があります。
十分に練習して確実に習得したハズのテクニックも精神状態如何に依って輝いたりも
くすんだりもするから、面白い。だから、今時のスポーツ選手等は、メンタルトレー
ニングも常識になっていますよね。ただ、スポーツなどの場合は、優劣を競う訳だか
ら、メンタルトレーニングが少し歪になっている部分もあるような気がするけど。

603髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/09/02 20:06
>>602
私のpcがウイルスにやられちゃいまして、今デスクトップで打ち込んでいます。
キーボードが慣れないんで打ちづらいです(w
ああやしいメールは見ないで削除するんですが、それでもやられますね。
やっぱりソフトをインストールせんと駄目みたいですね。
そーユー訳で、今修理にだしてます。

>イザその状態を求めてみようとすると逆にわからなくなってスランプにハマッテしまうんですよね
禅でも、八図で「全部捨てる」んですね。
ここで捨てきれないと、その後が精神的に不安定になるらしいですよ。
で、これがどうゆう意味なのか?とゆうのは、やはりその時は分からないんかと思います。
そこを少しずつ分かってくるのが大事なんかと思います。

>メンタルトレーニングも常識になっていますよね。
これは、イメージトレーニングみたいなもんなんでしょうかね?

おっと、8時に約束があるんで失礼します。




604名無しさん@1周年:02/09/09 22:27
オンラインウィルススキャン(無料)をお試しあれ


http://housecall.antivirus.com/housecall/start_jp.asp
605名無しさん@1周年:02/09/10 00:05
こんばんは 初めてです。よろしくお願いします。
606ぷろふぃ〜る:02/09/10 00:10
136 :髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/06/22 18:13
>>129
私の家(旧家)には天上が無くて、ブットイ梁(はり)が剥き出しになってる。
そこへ麻紐をくぐらせて〇〇をぶら下げたら、これは自分の女でなくても実に美しい。
それ以上に〇〇は恍惚状態間違いなし。
そこで茶会をするのです。
607髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/09/10 07:06
>>604
どうもありがとうございます。
とりあえず、PCを掃除して「ウイルスバスター」をインストールしました。
>>606
私のレスを保存しているのか?
はたまた過去ログを探したのか?
いずれにせよ私のファンと見た。ありがたや・・・。
>>605
よろしくお願いします。
私は全共闘世代後期です。ちなみに男子です。
608605:02/09/10 23:09
息子がいうには、2ちゃんねるは 10〜20代のたまり場とのこと。
でも宗教はある、というのでおそるおそる来てみました。
昨日はお誘いいただいて、ありがとうございます。
私は団塊の世代後期です。ちなみに女子です。上記のようなわけで
私はそうとうな年寄り扱いされるかな〜と思っておりました が
どくろさんがいてくださって、安心してしばらくはロムさせていただきます。
609605:02/09/10 23:12
どくろさんが、大変な女好きということは
すぐ理解しました。まだ全文は読んでないのですが。
610髑髏仮面 ◆1PfzdK1. :02/09/10 23:36
>>608
>私はそうとうな年寄り扱いされるかな〜と思っておりました 

そうでもないですよ。
私よりグッと年配の60歳代はマダマダ若いですからね。
70歳代で「歳とったかな?」とゆう感じです。
80歳代でようやく「熟年の世代」とゆう感じですからね。

ところで・・・
子供のころは「缶けり」とか「めんこ」とかやりましたね。
振り返ったら「良い時代」だったんですね。
人生とはそんなもんかとおもいます。
つまりは「今ここ」を大切に・・・・とゆう事なんですね。
611拓・ヒショ:02/09/10 23:37
>>607
某変態カンジチョーさまは、ずーーーーっと、あなたさまのフア〜ンで
いらっしゃいますです。
612名無しさん@1周年:02/09/11 21:59
そうそう しました。缶蹴り メンコ かくれんぼ インド人の○ロ○ボ
等々。
三世”過古世 現世 来世”人の一生の中にこれだけのもの有り。
そして現世は無し。この瞬間を大切に。。。あなたはいい人ですね。
613草レーサー:02/09/14 08:02
>>603 髑髏さん
最近、亀レス続きで済みません。しかも、ハンドルまで間違えてしまいましたし。
滅茶苦茶忙しい日々が続いていまして、もう、目がまわっちゃう毎日なモノで…。
意識が現実の出来事に引っ張りまわされている状態なので、ろくなレスも打てない。

それにしても、こういう状態での生活が続くのは疲れます。一段落したら、またレス
させてください。
614髑髏仮面 ◆1PfzdK1.
>>612
今日あたりは、さすがには半そでのシャツでは寒いですね。
段々、冬の気配を感じます。
諸行無常。この無常観とゆうのが、日本の四季に良く馴染みますね。
>>613
お忙しいのは結構なことですね。
私のところは、ミョウガがこの時期大量に芽を出すんですよ。
あの植物は日陰でも良く育つ、手入れのいらない便利なヤシです。
そうゆうのでも、有り難がる人もいるもんで結構人気がある。
まあ、そんな生活をしとります(w