1 :
名無しさん@1周年:
聖書の中に、無数にちりばめられたたとえ。
それらを、解き明かしていこうというスレです。
普通の御言葉も、いろんな解釈がありますが、皆さんのいけんを聞きたいと
思います。
わからない御言葉なんかも、あげていってみて下さい。
2 :
名無しさん@1周年:02/06/05 18:12
3 :
名無しさん@1周年:02/06/05 18:17
んー、そうですねぇ
では「主を恐れることは、知識の初めである」
箴言からですが、「主を恐れる」
これについてはどう思われますか
「主を恐れることは、罪から離れること」
と書いてありますけど・・
4 :
名無しさん@1周年:02/06/05 18:33
それよりも、やはり黙示録をなんとかしたいですね
最初に出てくる、七つの教会。
エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ
ラオデキヤ、それぞれに対応する
手紙(書簡)があると思われますが、どうでしょうか??
5 :
名無しさん@1周年:02/06/05 18:55
>>3 うーん、罪って何かっていうと、逆に「神をも畏れぬ」心から
来るものだと思うんだよね。
実際神様って恐ろしいよ。神が作られた自然界を見渡しても、
旧約のストレートな怒りを見ても。聖なる故に、事実恐ろしい。
それから目をそらすな。ということではないかと思う。
主を恐れる=事実に目を向ける かな。
事実を知ると自分を小さいと感じる、へりくだる。とか。
6 :
名無しさん@1周年:02/06/05 18:58
>>4 黙示録はねえ、若い頃興味もっていろんな本読んだけど、
一貫して、「神のことばから離れるな」「あなたが受けた聖霊を
うらぎるな」というメッセージなんだよね。
まず、その視点から入るのが良いと思われ。
「エレミヤの部屋」ってサイトがちょっとお奨め。
もちろん全部が正しいとは思わないけど。
7 :
名無しさん@1周年:02/06/05 19:04
>>5 そですねぇ、たしかにそうだと思います。
だけど、キリストは旧約で一貫して言われていた
「畏れなさい」から、「愛しなさい」に変えましたよね。
そこから、「畏れる」=「愛する」という図式が成り立つと思います。
やはり、神を愛する人は、自然と罪からは離れるでしょうから
私的解釈ですいません。。
8 :
名無しさん@1周年:02/06/05 19:07
>>6 そうですか、今度のぞいてみますね(*^ ^*)
私が読んでいったところ、全ての箇所が
新約の、あらゆる箇所にリンクというか、つながってると思われたんですが
その辺はどうでしょうか
9 :
名無しさん@1周年:02/06/05 19:13
エレミヤ。。
いいですねぇ。涙の預言者エレミヤ。
彼は、臆することなく神の言葉を伝えたため
最後には、穴に落とされてます。。
生涯を、神に従ったゆえに悲しむべき人生を送ってますね。
エレミヤ哀歌にも、それは現れていると思います。
その中でも、神に対して何回も反論してますよね。
でもこれこそが、本当の姿だと思います。神は、人間がどういうものか
知っておられます。
10 :
名無しさん@1周年 :02/06/05 19:26
キリスト教の神って、サドマゾですか。
11 :
名無しさん@1周年:02/06/05 19:33
たしかにそういう印象はうけますよね。
12 :
名無しさん@1周年:02/06/05 19:40
>>10 神だけでなく、キリスト教は教祖パウロも典型的なマゾだよね。
パウロは、支配者に支配される「服従」が大好き。
13 :
名無しさん@1周年:02/06/05 19:45
んー
たしかにそうかも知れません。。
しかし、そういったならば、今の世の中の全てのサラリーマンはマゾでしょう
14 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:03
しかし、完全な服従は誰にでも出来ることではないですよね
15 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:08
>>14 なんでも言いなりになるような完全な服従ってのも、怖いけどね。
神に命じられれば自分の子供まで殺そうとしたアブラハムのようには
なりたくないなあ。
16 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:12
>>12 結果論になるけど、パウロの「政治権力迎合主義」のお陰でキリスト教は
ローマ帝国でお株を上げ、とうとう国教にまで祭り上げられた。権力者
にとっては、従順すぎて随喜の涙ウルウルもんだったんだヨ。
17 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:14
>>15 「山上の羊」がイエスの喩えであるという読みもあって、
自分はこれに納得するけどな。
=神を第一としたときに、イエスの救いは心に訪れる。
目の前の楽しいことや理想に夢中だった
10代の頃の自分にはちょっと無理だったけど、人生のいろんな局面で、
「ナンニモナイ」状態になったときには、それができた。
18 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:16
>>7 畏れる=愛する
は一見正反対なんだけど、別スレでこういうこと言う人がいて。
「後ろめたいことがあるとき、相手を好きになれないよね」
っつうの。
これで、なるほどなあ。と思った。
19 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:19
>>8 もちろん、そのサイトでも、「たとえ」の解釈は
新約の色々なところからあてていましたよ。
家=教会 とか、基本的なものも、新約のほかの書がなければ
解読不可能でしょうね。
20 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:20
でも、アブラハムはどうだったんでしょう
まちに待ちわびた、一人息子ですよね。。
そして、イサクの、従順さにも驚くばかりです
だれか、祭壇の上に乗せられ縛られ、黙っていますか??
イサクはこのことから、アブラハムにより神を本当に
唯一神として認め、信じていたことがわかります
21 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:25
>>20 縛られたイサクの気持ちか・・・・考えたことなかったなあ・・・。
22 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:29
>>19 やはり、解釈は個々で違いますよね。
ただ、私的な意見ですが
エペソ=エペソへの手紙
スミルナ=テサロニケへの手紙
ペルガモ=ローマへの手紙
テアテラ=コリントへの手紙
サルデス=ピリピへの手紙
フィラデルフィア=ガラテヤの手紙
ラオデキヤ=コロサイの手紙
と。続くのではないかと思うんですが・・
私的解釈かもしれませんが。
23 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:32
イサクを殺して神に捧げようとしたアブラハムは、自らの信仰の
ために自分の子供を道具として、神への服従を示すという目的の
ために「処分」できる自分の「所有物」にしてしまったんだよね。
アブラハムは、イサクを愛する「かけがえのない一人子」ではな
く「自らの目的のためなら、何かと交換・処分する自分の所有物」
として扱ってしまった(他者に捧げることができるのは、自分の
「所有物」だけ)。
イサクは、最後まで自分が殺されるとは思っていなかったようだし
(イサクは途中でアブラハムに焼き尽くす献げ物はどこか、聞いて
いる。それに対してアブラハムははぐらかして答えなかったけど、
まさか自分を愛していると思っていた父親に殺されようとしている
とは思わなかっただろうね)。
時々この話を実話のような感覚で語った後、アブラハムの示した
服従を神への進行の理想的な姿のように言う人もいるけど、私は
違うと思うな。
24 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:36
イサクの従順さには驚くばかりだと思います
彼は、その時今で言う高校生に近かったでしょう
そんな彼が、祭壇に縛られるのを受け入れました。。
反抗も出来たと思います。現に、捧げものは何処ですか?
と聞いています。。
25 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:36
>>22 コロサイ、エペソはパウロの死後に書かれた「偽書」ですよね...。
26 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:40
>>23 それはないと思いますよ
実際、あなたがいつも行われている祭壇の上に縛られたらどうですか?
それでも、私は殺されないと思いますか?
27 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:44
>>25 それは、知りませんでした。
パウロの死後に書かれたものなのですか??
今現在では、パウロの著書とされてますが。
28 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:47
そもそもイサクが反抗しなかった、また仮にそうだとしてそれは
「従順」だったからだ、ってのはどこでわかるわけ? 聖書には
そんなこと書いてないけど。
まあ、神への信仰というよりは絶対的な父親との親子関係で「反抗
できない」状態だったのかもしれんが。聖書の世界では子供は親の
所有物という感覚があったみたいだし。
29 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:52
子供が従順だからといって、神のために殺そうとしちゃいけないよな....。
また、仮にそんなことが是とされるのだとしたら、それはまさに悪魔
の宗教だ。
30 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:53
そうですね
そこは難しいところだと思います(*^ ^*)
もしかしたら、ものすごい反抗があったかもしれませんよね。
でも、その後の物語を読んでいくと
やはり、イサクは従順の人だったのではと思わされます
31 :
名無しさん@1周年:02/06/05 20:57
>>29 確かに私もそう思います。
しかし、ヨブ記には「神は与え、また取られたもう。神の御名はほむべきかな」
という一節がありますね。
かみが与えたもの・・
イサクはその典型だったかもしれません。
アブラハムは。そこを試されたのかもしれませんね
32 :
名無しさん@1周年:02/06/05 21:08
age
33 :
名無しさん@1周年:02/06/05 21:27
やはり、こういうスレは
難しかったんでしょうか(^-^*ゞ
34 :
名無しさん@1周年:02/06/05 21:37
age
35 :
名無しさん@1周年:02/06/05 21:45
黙示録の話はどこに・・・
36 :
名無しさん@1周年:02/06/05 22:05
あはは!
聖書を読んでもないのにレスしてるのが
ばればれですねぇ
37 :
名無しさん@1周年:02/06/05 22:22
もっと。マターリ行きましょう。
38 :
名無しさん@1周年:02/06/05 22:31
>>29 このお話の続き、しってる?そのままイサクは焼き殺されちゃったわけじゃないよ。
神は正にそういう性質を持たれた方なんだ。
神を第一とし、神に信頼する人に、神は必ず答えられる。
アブラハムが何故イサクをささげようとしたのか。
「神への信頼」があったから。それをみて神はよしとされた。
39 :
名無しさん@1周年:02/06/05 23:32
>>38さん
その通りですね。
不公平に見えることはたくさんあります。
しかし、神の公平によって、私たちは今ここにいるんですね(*^ ^*)
38さんの言うとおり、神は必ず答えてくださいます。
40 :
名無しさん@1周年:02/06/05 23:56
そうですね。
神は最後に・・・
と創世記にも書かれてます
42 :
名無しさん@1周年:02/06/05 23:59
あ!
アブラハムへの試練のとこです
43 :
名無しさん@1周年:02/06/06 00:01
44 :
名無しさん@1周年:02/06/06 00:11
なんとなくage
45 :
名無しさん@1周年:02/06/06 06:47
>>38 アブラハムは、最初からイサクを殺す気はなかった(神が止めると思って
いた)、あの話自体が神が殺すのを止める(イサクは死なない)ことを前提
にした茶番だったってこと?
それにしても、人を試すために子供を殺すよう命じるってのは人の心を
踏みにじる悪魔的発想だな。
46 :
名無しさん@1周年:02/06/06 07:10
愚か者達よ、神を語るなかれ。神を信じるなかれ。ただ、神を受け入れよ。
愚か者達よ、お前達は一体誰で、何を語っているのか分かっていない。
47 :
名無しさん@1周年:02/06/06 08:40
>>45 >アブラハムは、最初からイサクを殺す気はなかった
いや、主の命令どおりに理解してたでしょ。そりゃ。
結果がどうなるかわからないが、神は常に、「神にしたがうものには」
正しく最善を備えておられる。・・・ただ、それに対する信頼。
「山上に備えあり」ってことわざがありますが、その語源がここです。
48 :
名無しさん@1周年:02/06/06 10:53
結局のところ、神はひとり子(キリスト)を
十字架につけ賜れた。
私たちの身代わりとして。それが悪魔的と思うか
はかりしれぬ愛だと思うかは人それぞれ。。
ここで素朴な疑問を。
創世記なんですが、三節において「光」を造られてます
そして、第四日十四節では「二つの光る物」すなわち
太陽と月を造られています。
ここでなんですが、初めの第一日目に造られた
光とはなんだと思いますか??
50 :
名無しさん@1周年:02/06/06 11:27
>>49 闇は光に打ち勝たなかった・・・。だっけ。その後。
51 :
名無しさん@1周年:02/06/06 11:29
>>49 経験的に日が昇る前に充分明るくなりますから、太陽が光源だと
思ってなかったんです。
52 :
名無しさん@1周年:02/06/06 11:30
いえ、そこは違う箇所ですね。ヨハネの福音書の1−5です。
ここでは単に、光と闇を区別されたとあります。
53 :
名無しさん@1周年:02/06/06 12:42
>>27 コロサイ・ケサロニケ第二・牧会書簡(テトス・テモテ)などが
偽パウロ書簡、だというのは現代の新約学のほぼ共有されている
知見ですが、いつの時代のことをおっしゃっておられるのでしょうか?
>>49 岩波文庫の創世記が解説充実してるから、あれ買って読むよろし。
54 :
名無しさん@1周年:02/06/06 12:50
>コロサイ・ケサロニケ第二・牧会書簡(テトス・テモテ)などが
>偽パウロ書簡、だというのは現代の新約学のほぼ共有されている
>知見ですが、いつの時代のことをおっしゃっておられるのでしょうか?
そうなんですか??
どうしてそう思われますか??
>>46 >ただ、神を受け入れよ。
こういうのって、普通ただの邪神なんだよな。
56 :
名無しさん@1周年:02/06/06 12:53
>>54 あんたの教派、あれが真正パウロ書簡だっておしえてるの?
事情を説明すると長くなるから、本読んでよ。大きめの書店に
いったら、いろいろ出てるから。
文体も違うし、書かれている内容も細かくみてくと違うし、
きちんと読めばその結論に同意せざるをえないんだよね。まあ
「パウロらしく」書く努力はしてるんだけど。
コロサイは雄大な話で結構好きだ。(w
57 :
名無しさん@1周年:02/06/06 12:59
>>56 んーたしかに。
かなり長くなりますもんね
しかし、反論もたくさんありますよ。とくにコロサイ、テサロニケ
なんかはパウロ説の方が強くないですか?
テサロニケ第一は真正パウロ書簡だろう。だが第二はどうかな。
第二真正説の有力な論者って誰?ちなみにガラテアは態度留保
してます。
ああ、あと擬パウロ書簡としては重要なものとしてヘブル人ね。
あれそもそもパウロだと自分では主張してないので。
57さんの考える真正パウロ書簡リストきぼん。
59 :
名無しさん@1周年:02/06/06 13:20
わたしの資料が古いのかも知れませんが
ヘブル人はたしかに、曖昧ですよね。
そうですね、書簡は全てパウロのものかと
ロマ〜ピレモンまで
60 :
名無しさん@1周年:02/06/06 13:39
ヘブル人はもともとは公同書簡扱いされてた時期もあるしな……
>>58 コロサイと第二ケサロニケは 59のいうとおりでまだ定説といえる
ものはないんじゃないの?逆にガラティアは真正が定説だと思うが
どうよ。
>>59 59はエフェソも真正に入れるの?
61 :
名無しさん@1周年:02/06/06 13:45
エペソもパウロのものじゃないと言う説があるのですか??
62 :
名無しさん@1周年:02/06/06 13:52
エフェソはそもそもパウロが死んだ後の偽作、ってのが有力な説なんだけど……
というより、コロサイ使ってる以上、コロサイ偽作説取るならエフェソも
偽作だということになるです。はい。
ていうか、新約の著者問題語るなら、この辺は常識だと思うけど……
# 結論に同意しなくても、議論があることはおさえておく。これ重要。
もちろん教会のなかでは(めんどくさいから)全部「パウロ書簡」ってことで
いいと思うけど。そういう前提で教義作ってきたわけだし。
……ひょっとして、61さんは使徒ヨハネが福音書と黙示録と両方を
書いたとも思ってたりする?
63 :
名無しさん@1周年:02/06/06 14:08
んー、いつの間に著者問題になったんでしょう
獄中書簡のことですね。
エペソが違うとしたら、コロサイ、ピリピ、ピレモンも違うと言うことになってしまいますよね
ヨハネの福音書も、イエスが愛された弟子としかないですもんね
でも、ペテロ、ヨハネ、ヤコブから消していくと
ヨハネということになりますよね。
黙示録はどうでしょう。
フィレモンは真筆ってのは反対する人ほとんどいないんでないの?
先後関係がそれちょっと混乱してると思へり。
そもそも無理に使徒が書いたことにする必要ないんでない>福音書
私は伝承は伝承として尊重するけども、うちの神父「〜の福音書ってのは
かならずしも〜が書いたということではない。〜が書きそうなことを
別人が書いたという場合もある」って言いきってたし。他教派でも
そんなもんちゃう?
……スレタイトルからするとスレ違いだね。sage。
65 :
棄教者 ◆witdLTi2 :02/06/06 16:45
雅歌7:3 秘められたところは丸い杯/かぐわしい酒に満ちている。腹はゆりに囲まれた小麦の山。
これって葡萄酒とパン、聖体拝領/聖餐の象徴って理解していいわけ?
じゃあ他の箇所はそれぞれ何の譬えなの?
全くもって分からないので誰か漏れに雅歌の神秘をことごとく解明して下さい。
66 :
名無しさん@1周年:02/06/06 16:50
雅歌はいろいろな解釈がありますよね
訳がちがうんですが、新改訳だと
「あなたの二つの乳房は、ふたごのかもしか、二頭の小鹿」
となっています。
新郎が、花嫁の美しさを歌っている所ですね。
67 :
名無しさん@1周年:02/06/06 16:54
あと、雅歌の代表的な解釈をあげると
1、ユダヤ人の比喩的解釈
2、キリスト教会の霊的解釈
3、劇詩説
等ですかね。
68 :
名無しさん@1周年:02/06/06 18:26
雅歌は詩歌ですからね
69 :
名無しさん@1周年:02/06/06 18:51
ここで疑問
あなたがもし、神であったら
神のようなことが出来ましたか??
ゆうこと聞かない人間のために、自分のひとり子を
十字架につけられますか??
70 :
名無しさん@1周年:02/06/06 19:37
>>55 邪神を自ずから見た事があるのか?そもそも「これこれの理由」があって神を信じる
なんてのは信仰ではなく、信仰「もどき」である。しかし、入門者は「もどき」から
始めるべきではあるな。神を信じる「理由」がある以上、実の信仰は難しい。「理由」
には反対のものがあり、相対的であり、対を絶った「絶対」の神の世界にはないもの
だからだ。神を受け入れるのに、心を開いて邪神が見えてくるようでは、まだまだ理
由は手放さない方がいいかもしれない。だが、心配するな。人間の心なんてみんな五
十歩百歩だ。神を求めるが善い、素晴らしい答えが待っているだろう。
71 :
名無しさん@1周年:02/06/06 19:40
いや、理由が無きゃ求められんぞ
理由も無く信じてるやつのほうが危ないと思われる
盲目的宗教ほど、怖いもんはない
72 :
名無しさん@1周年:02/06/06 23:37
>>69 いや、ひとり子は神の子だけど、子なる神でもあるから、
「つける」というのはある意味そのとおりで、ある意味はずしてるzoと。
73 :
名無しさん@1周年:02/06/07 02:08
>>72 そうですね、つまり神は
父が子を十字架に送り出す悲しみ。
そして、十字架にかかって死ぬ子の苦しみの
二重の苦しみを、人々ために受けたことになります。。
想像を絶する苦しみですね
74 :
あずみ ◆V.9uSetc :02/06/07 03:53
雅歌はアラブの恋愛歌そのもの。
いまでも、同工異曲のいろんな歌がベドウィンによって歌われています。
75 :
名無しさん@1周年:02/06/07 03:59
76 :
名無しさん@1周年:02/06/07 04:07
あずみって、実はシャイ?
77 :
名無しさん@1周年:02/06/07 04:42
ソロモンの著書だとされていますが
どうでしょう?
78 :
棄教者 ◆witdLTi2 :02/06/07 10:16
79 :
名無しさん@1周年:02/06/13 11:05
>>69 そしてアブラハムはそれに匹敵する行動が出来たのですね
80 :
あずま◇V.9uSetc:02/06/13 11:09
いると思ったスレのはヤパーリいる。
81 :
名無しさん@1周年:02/06/13 12:40
>>79 アブラハムの場合、人であるイサクを捧げればイサクは死ぬけど、神の
場合は自らひとり子となって十字架に架かっても「死ぬ」わけじゃない
からね。匹敵というのとは違う気がする。
もし神と独り子が同質のものであれば、それは自らを自ら十字架に架ける
だけで、しかも死ぬことはない。「自分の愛する人」を「殺して」捧げよう
としたアブラハムの場合とはかなり違うと思うよ。
82 :
名無しさん@1周年:02/06/13 13:29
ヘブライ人への手紙11:18-19
この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。
アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。
>イサクは死ぬけど
けど生き返る
83 :
名無しさん@1周年:02/06/13 13:41
>>82 何だ、それじゃアブラハムは神にイサクを捧げる気なんてなかったんだ....。
生きて自分のところに戻ってくると信じていたわけだから。
アブラハムが神の「イサクを殺して捧げよ」という命令に従ったのは、アブラハム
が神に命じられればひとり子を殺して捧げるほど従順だったからではなくイサク
が死なない(生き返る)ことを前提にしていたからなんだね。
まあ、人としてはその方が正しい気もするけど。もし本当にイサクを殺す気だった
としたら、アブラハムの信仰は神のために人としての道を踏み外す「狂信」「盲従」
になってしまうし。
85 :
名無しさん@1周年:02/06/13 21:40
アブラハム自身でなくイサクの命というところ
が大きい。
86 :
名無しさん@1周年:02/06/13 21:55
こういうスレに現れる
87 :
ふぁんだ君 ◆rWqKQ/1. :02/06/13 22:05
>>83 もし、神様に捧げても神様はイサクをよみがえらしてくださるって
信じたんだね・・・あれ。。話がもどる〜〜(@@)
それはそうとエフタの時はまだ話の尽きない話題かもね・・・
あ、えふたは
ししき11章にかいてあります☆
88 :
名無しさん@1周年:02/06/13 22:14
>>87 自分に置き換えて考えてみると、「神は必ずよみがえらしてくださる」て
頭で分かっていても、実際に実行に移せるかどうか・・・。
信じるって、そういうことなんだよね・・・。あらためて、
アブラハムの神への信頼というのは、すごいと思う。
89 :
名無しさん@1周年:02/06/13 22:21
>>88 すごいというより怖い気も....。
神の命令で人を殺そうとしちゃうんだもんね....。
神を信頼するというのは、神のためなら人も殺します、ってことなのか?
90 :
名無しさん@1周年:02/06/13 22:25
>>89 最初わたしもそう思ったけど、実はそういうことじゃなかったみたい。
神は命令と約束を常にセットにされる方なんだよね。考えてみたら。
それ両方を受け入れてはじめて、アブラハムのようになれるんじゃないの?
約束は信じないけど、命令だけ聞く、って人がいたら、それが一番怖い(笑)
と思うよ。
91 :
ふぁんだ君 ◆rWqKQ/1. :02/06/13 22:41
えふたさんは結局娘を捧げたけど、これに関して
みなさんはどう思われますか??
92 :
名無しさん@1周年:02/06/21 17:18
94 :
アム・ハーアーレツ:02/06/29 08:24
>>91 「娘」自身がほとんど即答で賛成しています。
我々が反対する理由はないでしょう。
95 :
名無しさん@1周年:02/06/29 08:29
人身御供て野蛮だね。
ヤハウェはテスカポリトカの親戚か?
96 :
名無しさん@1周年:02/06/29 09:12
>>95 そんなこと言ったってミサの時には私の肉と新しい契約の血を飲み食いするじゃないか。
97 :
名無しさん@1周年:02/06/29 09:27
>96
ミサも黒ミサも一緒♪
イエスをダシに酒池肉林♪
というのがクリスチャンの一面です。
98 :
名無しさん@1周年:02/07/01 19:16
で、えふたの行動はどんなたとえになってるの?
99 :
名無しさん@1周年:02/07/05 22:50
99
>>87 生き返るから殺していい ってさ、自分の子供をたまごっちの様に扱うなよ。
普通死ぬときはそれなりに苦痛があるものだし。
101 :
名無しさん@1周年:02/07/12 01:15
不正な管財人
102 :
名無しさん@1周年:02/07/12 13:05
>>100 > 死ぬときはそれなりに苦痛がある
それを黙って見ていなきゃいけない親の方だって精神的な苦痛はもっと大きいぞ。
103 :
名無しさん@1周年:02/07/16 17:02
浮上
104 :
名無しさん@1周年:02/07/22 18:19
age!!!
105 :
名無しさん@1周年:02/07/29 08:31
>>97 剥げワラ
ミサそのものが酒池肉林かどうかは異論もあるけど
教会幹部はきっとキミの言うとおりだ。
106 :
名無しさん@1周年:02/07/29 08:53
おい!スレと関係ない下らん書き込みばかりするな!
譬話だろ。
善いサマリア人が泊まった宿屋でサマリア人が渡した銀貨二枚は
父なる神と子なるイエスキリストだと聞いたが、聖霊様はどうなっているんだ?
三枚で一つじゃないのか?
107 :
名無しさん@1周年:02/07/29 09:17
108 :
名無しさん@1周年:
>>89 神の判断よりも自分のほうが優っている 問い痛げですね