298 :
ろんぎぬす:
★この度(たび)は、ようこそ、わが教会に来られました。
皆さんで神の御前に祈り讃美し赦しに預かりましょう。
【 礼拝順序 】
@招来の言葉。
A山上の垂訓を唱和しましょう。
B聖書の読み、謹んで聞きましょう。
C讃美歌を歌いましょう。
D主の祈りを唱和しましょう。
E我等かの信条を、主なる羊飼いの門に告白します。
F食事の時には、こう祈りなさい。
G主の十字架による赦しを記念して聖餐に預かりましょう。
H懺悔・告白しましょう。
I説教を聞きましょう。
J日頃の生活の心構えを唱和しましょう。
K終わりに。
299 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:06
300 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:07
301 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:09
302 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:10
303 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:11
304 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:14
305 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:41
交読文41 マタイ伝5章(新教では山上の垂訓、正教では真福九端)
司会者: 幸いなるかな心の貧しき者、
参集者: 天国は その人のものなり。
司会者: 幸いなるかな悲しむ者、
参集者: その人は慰められん。
司会者: 幸いなるかな柔和なる者、
参集者: その人は地を嗣(つ)がん。
司会者: 幸いなるかな義に飢え渇く者、
参集者: その人は飽(あ)くことを得ん。
司会者: 幸いなるかな憐(あわれ)みある者、
参集者: その人は憐みを得ん。
司会者: 幸いなるかな心の清き者、
参集者: その人は神を見ん。
司会者: 幸いなるかな平和ならしむる者、
参集者: その人は神の子と となえられん。
司会者: 幸いなるかな義のために責めたてられる者、
参集者: 天国は その人のものなり。
司会者: わがために人なんじらをののしり、また責め、
____偽りて さまざまの悪しきことを言う時は、
参集者: 汝ら幸いなり、
司会者: 喜び喜べ、天にて汝らの報いは大いなり、
参集者: 汝らより さきにありし預言者たちをも斯(か)く責めたりき。
306 :
ろんぎぬす:02/06/15 13:46
307 :
ろんぎぬす:02/06/15 15:41
308 :
ろんぎぬす:02/06/15 15:43
【 シェマァの祈り その2 】
●ろんぎぬすの専用スレッド■
166 :ろんぎぬす :02/02/24 19:36
【 ヘブライ語の聖句 】
ヘブライ語聖書対訳シリーズ9申命記T(ミルトス・ヘブライ文化研究所編)参考。
旧約・申命記 8:3
れマアン ホディアはー
〜ために あなたに知らせる
キー ろー アる ハれヘム れヴァドー イひイェ ハアダム
〜ことを 〜でない によって パン それだけで 生きる 人は
キー アる コる モツァー フィー アドナイ イひイェ ハアダム
むしろ によって すべての 出るもの 口から 主の 生きる 人は
旧約・申命記 6:4〜5 【 シェマーの祈り 】
シェマァ、イスラエる。 アドナイ エろヘ-ヌ アドナイ エはっド。
聞け イスラエルよ 主は 私達の神 主 唯一の
ヴェアはヴッタ エット アドナイ エろヘーは。
それであなたは愛せ を 主 あなたの神
ベほる れヴァヴェはー、 ウヴゥほる ナフシェはー、 ウヴゥほる メオデはー。
すべてで あなたの心の またすべてで あなたの魂の またすべてで あなたの力で
309 :
ろんぎぬす:02/06/15 15:44
【 主の祈り 】
●ろんぎぬすの専用スレッド2■
339 :ろんぎぬす :02/05/05 22:14
★新約聖書における「主の祈り」の旧約やユダヤ口伝などからの引用箇所の想定。
http://ime.nu/www2.justnet.ne.jp/~akibba/IOSARCHV/pentagrm/pentagrm.html#1 第1章 主の祈り
キリスト教徒が最も日常的に祈りとして用いるのは、
『マタイ伝』6章9〜13節または、『ルカ伝』11章1〜4節に書かれた「主の祈り」である。
聖イグナチオも『霊操』において、これを取り上げている。
この短い祈りは、イエス自身が薦めた祈祷の文句である。
その祈りを構成する言葉自体は、多くは『聖書』に起因し、
ユダヤ教の祈り「カディシュ」や後に『タルムード』に収録されたものである。
いわば、当時のユダヤ人が用いた一般的な祈りの文句を凝縮したものである。
その引用典拠は、次のようになる。
「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」(『エゼキエル書』に由来する祈祷文)
「天になされるごとく、地にも行われんことを」(『トセフタ・ベラコース』3章7節)
「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」(『箴言』30章8節)
「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」(『メギラ』)
「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」(朝の祈祷文)
310 :
ろんぎぬす:02/06/15 15:45
【 食事の感謝の祈り 】
‡ また〜り東方正教会 3 ‡
375 :シスターみみっく :02/04/15 10:35
>>374 そうですねー「天主経(主の祈り)」の時もありますが。
以下に食前、食後のお祈りをうpします。
食前『主や、衆人の目はなんじを望む、なんじは時に従いて彼らに糧を賜う、
なんじの豊かなる手を開きて、もろもろの生けるものをなんじの恵みに飽かしむ』
食後『ハリストスわが神よ、爾が地上の福を我らに飽かしめ賜いしを
なんじに感謝す。求む、なんじの天国をも我らに得しめ賜え』
あたくし、実は食後のお祈りってあまりやっておりません(大汗)。
‡ また〜り東方正教会 3 ‡
377 :Nanacy :02/04/15 18:14
食前の祈り「主や衆人の目は・・・」は、第144聖詠(詩編145編)の一節でございます。
この一節により、144聖詠の感謝と讃美の祈りを食前にいたします。
様々な祈りの中に、聖書がちりばめられております。
●−− 参照聖句(新改訳) −−●
詩篇 145:17 主はご自分のすべての道において正しく、
またすべてのみわざにおいて恵み深い。
145:15 すべての目は、あなたを待ち望んでいます。
あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。
145:16 あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。
311 :
ろんぎぬす:02/06/15 15:46
【 入堂作法 その1 】
またーり東方正教会4
41 :ステ猫 :02/05/22 10:35
聖堂に入る時には
「我爾の家に入り、爾を畏れて爾が聖堂に伏拝せん」と祈りながら三度叩拝します。
この句は第五聖詠(詩篇)からとられています。
またーり東方正教会4
50 :Nanacy :02/05/24 07:45
>18さま
41の補足です。聖堂に入る時の所動です。
聖堂にはいるとき、十字を画き、ステ猫さんの書かれた如く、
聖詠の祈りを唱えます。「我爾の家に入り・・・」
この祈りは、神父様やパンフレットによっては、多少文句が
違う場合もあります。
聖堂に入り、叩拝・「神や我罪人を憐み給え」を三回繰り返します。
(教会の状況によって、上記とは違う場合もあります)
●−− 参照聖句(新改訳) −−●
詩篇 5:7 しかし、私は、豊かな恵みによって、
あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、
あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。
312 :
ろんぎぬす:02/06/15 15:47
【 入堂作法 その2 】
またーり東方正教会4
18 :名無しさん@1周年 :02/05/19 23:10
恥ずかしい質問。2
聖堂の入り口で、十字を切って床を触りますよね?
その時3回行うのにはなにか意味があるのですか?
またーり東方正教会4
40 :ステ猫 :02/05/22 10:27
>18
床に触るように見えるのは、叩拝(こうはい)と言って、床を叩くほど深く頭を下げるわけです。
三度というのは、しっかりした意思をもってその行為を行う、ということ。
三度やったら、うっかりぢゃなくて確信犯ってわけですな。
三度叩拝することによって自らの信仰を確かに表明するわけです。
今日は奇蹟者聖ニコライ祭です。さっき聖体礼儀終わったとこ。