230 :
名無しさん@1周年:02/08/14 21:42
>>229 法然上人問答集
村瀬秀雄訳
常念寺発行
に全文載ってるYO
これ、私の愛読書。
とくにすきなのは
「酒飲むは、罪にてそうろうか。
まことはのむべくもなけれども(本当は飲まない方がよいが)、
この世のならひ。」
で、私もビール飲んでます。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
>>229 『真宗聖教全書』の拾遺部上にもあるよ。
で、ほくもビール飲みまふ。
なんまんだぶなんまんだぶ。 って、スレ違うじゃあん。
232 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/15 00:16
中央公論の日本の思想シリーズの「法然」の巻に全文出ています。
「念仏者が神社に参るのはどうでしょうか?」
「問題ありません。」
というのは今の真宗教団とはスタンスが違うなあと思いました。
五エデンの熊野詣での話は?
234 :
ベロ ◆od7XM/js :02/08/16 01:33
↑日本の思想シリーズではなく日本の名著シリーズでした。
235 :
名無しさん@1周年:02/08/19 18:40
一。われも人も、さゑ文書く、罪にて候か。
答「過ごさざらんには、なにか罪にて候べき。」
と、こういうのがありました。
これはさながら、
一。われも人も、2ちゃんに文書く、罪にて候か。
答「過ごさざらんには、なにか罪にて候べき。」
こういうかんじでしょうか。
盆休みで留守してたので、レス遅くなりました。
>>230-232の皆さん、ありがとうございます♪
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
237 :
名無しさん@1周年:02/08/19 19:30
二河白道の比喩は分裂ぎみで確かに怖い。
238 :
名無しさん@1周年:02/08/22 00:48
ぎりぎり
過ごさざらんには、なにか罪にて候べき。2ちゃんのカキコage
そういや、もうすぐお彼岸ですね。二河白道。
240 :
名無しさん@1周年:02/08/22 23:29
>239
> そういや、もうすぐお彼岸ですね。
ええっ?新盆・旧盆ってあるけど、新彼岸・旧彼岸って聞いたことないぞ。
>>240 まあ、あと1ヶ月あるともいいますけど…。
242 :
名無しさん@1周年:02/08/25 08:41
オレっち、田舎やから彼岸なんて習慣ない。
243 :
名無しさん@1周年:02/08/25 17:22
田舎のほうがお彼岸好きだと思うけど
244 :
名無しさん@1周年:02/08/25 19:41
>243
いや、テレビで都会の墓参り風景がニュースで流されるようになってから
すこし墓へお花を立てに行く人がいるようだけど、お盆ほどじゃないよね。
お彼岸が賑やかなのは都会の墓地でしょう?
都会の人は、お盆には里帰りして墓参りをするから、
彼岸に自分の家の墓を・・・って話しも聞いたことがあるんやけど。
245 :
名無しさん@1周年:02/08/25 19:48
倶会一処age
広島だけど、お盆は当然としてお彼岸でも会社で普通に「お前墓参り言った?」
なんて話をするよ
247 :
名無しさん@1周年:02/09/02 21:42
もうだめぽ。
いい響きだな。
||
Λ||Λ
( / ⌒ヽ
| | | ←渡海
∪ / ノ
| ||
∪∪
┌─────────
∧_∧ < さよなら渡海
( ,,) └─────────
( ○ ) ∧ ∧ ┌─────────
| | |_ ( ,,) <あ〜せいせいした
(__(__) / | └─────────
(___/
/
異端です
251 :
名無しさん@1周年:02/10/04 21:01
>250
仏教に異端なんてある訳ないでしょうな。
あぼーん
254 :
名無しさん@1周年:02/10/16 16:38
age
255 :
tosimaen:02/10/24 00:57
>>1 そんなこと、この3人の中で誰が言ってる?そのことを語ってるテクスト名(『西方指南抄』『十六門記』など)は?原文を出してくれるとありがたい。
256 :
名無しさん@1周年:02/10/24 10:38
もしも往還二回向が連続したものであるのだとしたら、
往還二回向は阿弥陀さん方面からの他力回向なのだから、
阿弥陀さんから俺方向が往相、俺から阿弥陀さん方向が還相。
つまり他力回向はUターンするってことなのだろうか?
信後成仏以前の姿を ショウジョウジュ と表現するのが他利の往相。
信後成仏以前の姿を イッショウフショ と表現するのが利他の還相。
同じ信後成仏以前の期間に「他利の往相」と「利他の還相」が
二つあることになる。もし往還二回向が連続しているのなら、
利他と他利が信後成仏以前の期間に切り替わることになる。
他利は凡夫の特権であるし、利他は凡夫じゃ無理なのだから、
ならば往還の切り替わりは凡夫が凡夫でなくなる時点、つまり
臨終時点ということになる。
しかし死後に利他還相の他力回向に導かれるのならば、即得
往生は正しくても、即成仏とは矛盾するように思える。
では前提の「往還二回向は連続したもの」というのをやめて、
往還二回向はパラレルである、としたらどうなるか。
阿弥陀さんは凡夫を往生成仏せしめる他力を回向なさるのだが、
ときには成仏の直前に穢土へ還らせ、利他菩薩行を施させる
場合もある、といった風な解釈になるのだろうか?
御本典の中での還相釈が、往相回向のひとつとされる「証」
と抱き合わせのように書かれているところから、パラレル説
の方がしっくりくるように思うのだけど、ここらへんが真宗で
いちばん理解しずらいところ。
257 :
名無しさん@1周年:02/10/25 00:04
回向という一つのものに見える二つの相だそうだ。
凡夫に還相が現れないと考えるのは仏智不可思議を信頼してないからだろう。
258 :
名無しさん@1周年:02/10/25 21:39
還相とは利他なのだそうだ。凡夫に利他行ができる、とは
どこに記されているのか説明してくれ。
還相するときは菩薩になるんだろ。
還相を、お浄土から還ってくる姿、だとするのは危険だと思う。
祖霊崇拝と中身は変わらない。
還相はあくまでも、お浄土に往く途中の姿、でしょうね。
南無阿弥陀仏の他力回向が南無阿弥陀仏へ還る姿。
>>258 「国土の名字仏事をなす」証巻 浄土論のところ
親鸞にとっての法然は還相の菩薩であり、その法然の念仏とわれわれの念仏は
同じ物でしょ?
>>261 こちらの読み間違えか?
凡夫の眼前に還相の菩薩が現れるのか否か、なら現れると思う。
凡夫が凡夫のままの機で菩薩の相を顕わにできるか否か、なら無理。
といった意味でした。
法然上人のお念仏と我々のお念仏が同じだと言う意味は分かります。
ただ我々と法然上人が同じか、と言えば、そうとは言えない。
263 :
名無しさん@1周年:02/10/26 22:20
>>262 念仏により仏事を受けた凡夫に菩薩の相が出てもおかしくはないんでは?
阿闍世でさえ菩薩でしょう、念仏を称えることは仏法を広めることであり
それは菩薩の行為でしょう。
ただそれはすべてが念仏のする仕事で凡夫の力ではないけど。
どうやらお浄土からいらした菩薩を自称される方がおられるようですね。
265 :
名無しさん@1周年:02/10/27 01:12
凡夫を介して阿弥陀の仏事がこの世に働くといいたいんだが。だめ?
266 :
名無しさん@1周年:02/10/27 01:13
「御臨末の御書」について解説してある
本かサイトを教えてくれませんか。
267 :
名無しさん@1周年:02/10/27 04:22
>>263 弥勒と同じ云々も、成仏直前の位であるということを時系列的に
お示し下さった、一種のパラドックスだと思います。
菩薩行に入らなくてもお浄土で成仏が叶う、というったあたりが
真宗義の醍醐味なのでは。
お念仏を広めて下さるお同行を「まるで菩薩のようだ」等と尊敬
することに罪はないとは思う。ただ、この場合で言う狭義の意の
菩薩を忘れてしまうと、聖道門あたりを過小評価してしまう失敗
に陥りそう。これはかえって浄土門の過小評価にも直結しちゃう。
>>260 お葬式の表白によくある「還相の菩薩となって・・・」。
意地悪く考えれば、それって成仏してねぇじゃん、ってことか(w
269 :
名無しさん@1周年:02/10/27 05:06
>>267浄土門の過小評価
というよりも浄土真宗の自惚れを増長させる罠。
菩薩にでもなったつもりで社会運動されちゃぁかなわん。
270 :
名無しさん@1周年:02/10/27 11:18
仏と成って独り救われるより、菩薩と化して衆生を済度したい。
そのあたりが大乗の真骨頂なんだろうね。
271 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/27 14:05
>>256 アアデモナイ。コウデモナイ(笑)。
他力真実の旨を明かせる諸々の聖教は、本願を信じ、念仏を申さば仏になる。
その外、何の学問かは往生の要なるべきや。 〜 誤って、学問して、名聞利養
の思いに住する人、順次の往生、いかがあらんずらんという証文も候ぞかし。
理屈をこねずにただ念仏(歎異抄2抄)してみなさいよ。
>>258 >還相とは利他なのだそうだ。凡夫に利他行ができる、とは
誤って、学問して、名聞利養の思いに住する人、順次の往生、いかがあらんず
らんという証文も候ぞかし。
>>259 >還相するときは菩薩になるんだろ。
誤って、学問して、名聞利養の思いに住する人、順次の往生、いかがあらんず
らんという証文も候ぞかし。
>>260 >お浄土から還ってくる姿、だとするのは危険だと思う。 <うん。ウン>
>祖霊崇拝と中身は変わらない。 <うん。ウン>
>還相はあくまでも、お浄土に往く途中の姿、でしょうね。
<自見の覚悟をもって、他力之宗旨を乱すことの無いようにね。>
>南無阿弥陀仏の他力回向が南無阿弥陀仏へ還る姿。
<チンプンカンプンだな(笑)>
272 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/27 14:07
>>261 >法然の念仏とわれわれの念仏は同じ物でしょ?
同じ念仏を称えていると、自分も法然様におなり遊ばした御気分におなり
遊ばしていっらしゃるのかな?。
本願寺の代表を代々に渡って上人と呼ばせ、法然様と同じようになった気
分ではしゃいでいるオホタレ構造と根は同じかな(笑)。
>>262 >凡夫の眼前に還相の菩薩が現れるのか否か、なら現れると思う。
幽霊を捉えてみれば枯れ尾花
どこぞの幽霊スポットの話でしょうか?。
>>263 >念仏により仏事を受けた凡夫に菩薩の相が出てもおかしくはないんでは?
<念仏称えると後光でもさしてきますかな(爆)>
>阿闍世でさえ菩薩でしょう、 <権化の仁の意味が分かってないだろう。>
>念仏を称えることは仏法を広めることでありそれは菩薩の行為でしょう。た
だそれはすべてが念仏のする仕事で凡夫の力ではないけど。
<無茶苦茶な議論だな。>
273 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/10/27 14:09
>>265 >凡夫を介して阿弥陀の仏事がこの世に働くといいたいんだが。だめ?
<もう少し知恵のあるましな議論したらどうなの?。>
>>270 >菩薩と化して衆生を済度したい。そのあたりが大乗の真骨頂なんだろうね。
菩薩なんかにならんでいい。凡夫のままで血みどろになって衆生を済度した
らどうなのよ?。
血みどろになって衆生を済度しても、死んだら地獄に行くかも知れん。それ
でも、生きている間だけは充実した意味のある毎日が過ぎていくだろう。それが
恩に報いること。布施に報いることだろう。違うのか?。
274 :
名無しさん@1周年:02/10/27 18:39
>>渡海氏
おひさしぶりですWマッチの火ぐらいの光(知恵)でいいんで分けてください。
275 :
名無しさん@1周年:02/10/27 19:43
276 :
名無しさん@1周年:02/10/27 21:33
>血みどろになって衆生を済度したらどうなのよ?。
どなたか済度したことがおありですか?
277 :
金魚のうんこ:02/10/27 22:28
>どなたか済度したことがおありですか?
他人のお尻について行こう。