谷口雅春は聖書にキリストの名をかたって多くの人を惑わすと預言されている偽預言
者の一人にすぎない。生長の家に従うものは地獄に落ちる。
44 :
名無しさん@1周年:02/07/07 15:53
>>43 私もあなたも既に生きながらにして地獄に落ちているじゃありませんか。
人に対して「地獄に落ちるぞ」などと、神でもないあなたがどうして断言
出来るんでしょうか?生長の家の方々の平和を祈ることだけがあなたに
出来る唯一の事なのではありませんか?
あなたがそのような発言をしたところで、生長の家の人が生長の家をやめて
イエス=キリストを信仰するとはとても思えません。むしろあなたを軽蔑
されることでしょう。本当に人々にイエス=キリストの福音をお述べになり
たければ、もっと違う言い方があってもよろしいのではないでしょうか?
43さんが神と共にありますように
45 :
名無しさん@1周年:02/07/07 16:51
46 :
名無しさん@1周年:02/07/07 17:05
>>45 uzeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!!!
47 :
名無しさん@1周年:02/07/07 17:24
『大宅壮一全集 第四巻』(蒼洋社)
また彼の片腕として、総編集長として、「生長の家」の宣伝広告を一手でやってのけ
ている佐藤彬も文学青年で、プロ文化運動華やかなりしころ『戦旗』にも関係のあった
男である。彼の父佐藤勝身は、先年疑獄を起こして破産した盛岡の金田一財閥にいた人
で、現に「生長の家」の常務取締役である。(昭和十年)
それから「生長の家」自体の内部でも、しばしば紛争を繰り返し、近くは、佐藤彬と
いって、ここの芸術、宣伝のほうを一手に引きうけていた有力幹部が、谷口に反旗をひ
るがえして独立、伊藤証信の「無我の愛」一派と提携して、別に一派を開くことになっ
たという。
いくら「神想観」によっても「われの置き換え」によっても、この種の内紛はどうに
もならぬらしい。(昭和十二年九月)
48 :
名無しさん@1周年:02/07/11 14:30
北朝鮮はスローガンの洪水だが生長の家の日めくりカレンダーを見ていると
同じスローガンの洪水という感じがする。中身の伴わない。
49 :
名無しさん@1周年:02/07/11 14:47
50 :
名無しさん@1周年:02/07/16 17:07
成長するぞ
51 :
名無しさん@1周年:02/07/16 21:29
生長の家信者が教義の誤りを理解するまで時間がかかる。
52 :
名無しさん@1周年:02/07/16 21:34
生長の家には是非左翼に転校してもらって神道系で初の世界宗教を目指して欲しい。
天皇なんかどうでもいいよ。
コスモポリタンな世界宗教を目指すなら左翼的な思想でなければならない。
さあ、みんなも左翼になった生長の家を応援しよう。
53 :
名無しさん@1周年:02/07/16 21:45
>>52 俺は左翼も右翼もどっちも嫌い。
俺が求めているのは宗教であって天皇ではない。
天皇なんかどうだっていい。ここだけ同意。
54 :
名無しさん@1周年:02/07/19 00:01
哲学的な概念としての実相を天皇に求めて、短絡的に宗教に結びつけて
信仰の対象に持ってきたところに誤謬がある。
>>1 パラノイア誇大妄想狂患者の書いたものなどに影響をうけたとか生きる原動力になっている
とかいってる段階でDQS
アクエリアン地獄行き
57 :
名無しさん@1周年:02/07/19 05:38
58 :
ma-tan:02/07/21 19:19
生長の家を論じるとき、信者ではなく本部側の人材がどういう人物が
集まっているのかを見れば、その組織の本質が見えて来る。
その意味で現在の生長の家の教団の幹部がどういう人物がいて、どういう
生き方をしているかを列記すると結論は述べなくても自明となる気がします。
この意味で、現教団の幹部の人物について色々聞かせてくださいませんか?
例えば、「生長の家の教えに触れると家族が幸せになる」という
有名な言葉があるけど、それじゃー、現在の総裁の家族がみんな幸せか?
といえば、実に悲惨な状況です。こういう事実そのものを見れば
「・・・みんな幸せになる」なんてのが実にいいかげんで本家そのものが
見せ掛けだけで偽者ということが露呈していると思うんですが。
例をあげれば・・・・
教祖の雅春の妻である輝子さんが離婚経験者、そして雅春負債の一人娘の
恵美子さんもまた離婚経験者、さらには現総裁の清超夫婦の長女もまた
離婚経験者。どうして3代にわたって皆さん離婚をするのでしょう?
このこと一つとっても「幸福に。。。」にはほど遠い。
それだけではない、現総裁の末っ子なんかは青年会の会長をやってるけど
若い頃、暴走運転をして大事故を起こし、同乗していた女性を死亡
させていたりする。その事故を現総裁が金を積んで示談にしもみ消したなんて
のは有名な話だし、その後刑務所に入ったのだが、こんなことも
「生長の家の教えに触れると家族がみんな幸せに・・・」とどう考えても
乖離してるしなー。現総裁の法的な意味での子供に2人も刑務所務めを
した人物が居るけど、まったくこういったことも屁理屈をそのまま信じて
疑うことさえしない信者のバカさ加減は半端じゃ無いきがしますが
いかがでしょう??
59 :
名無しさん@1周年:02/07/22 23:46
谷口雅春は広大な私邸に十人位の乙女たちをはべらせ
かしずかれて生活してました。
終戦直後、幹部の石川貞子さん(生命の実相に出てくる)が谷口の
私行を糾弾したり引退を要求したりしていたそうです。
60 :
名無しさん@1周年:02/07/23 01:04
61 :
名無しさん@1周年:02/07/23 20:28
>>58 >教祖の雅春の妻である輝子さんが離婚経験者、そして雅春負債の一人娘の
>恵美子さんもまた離婚経験者、さらには現総裁の清超夫婦の長女もまた
>離婚経験者。どうして3代にわたって皆さん離婚をするのでしょう?
>このこと一つとっても「幸福に。。。」にはほど遠い。
自他一体の神示
「離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。」
「一人の男子が縁あつて一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、
それを円く結んでやるのが道である。」(昭和七年二月四日神示)
62 :
ma-tan:02/07/28 23:08
>自他一体の神示
>「離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。」
>「一人の男子が縁あつて一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、
>それを円く結んでやるのが道である。」(昭和七年二月四日神示)
そうです。そう述べてます。ところが谷口家に関わりのある人物が離婚という
ことになると、「特例」とばかりに屁理屈で言い繕う。
言い繕うことをしなければ良いものをその場しのぎを繰り返すから
「本物ではない」ということがバレてしまう。
まぁ、離婚や刑務所努めをしたことはひとまず置くとして・・・
今年の春まで講師部長をしていた総裁の養子になった人物なんかは特に面白い。
なぜかといえば、信者に家庭不和の話をするとき、「縁あって一人の女性と結ばれたのならば
再び離れるのは道ではない・・・」などと受け売り専門家らしく、同じ事をさも
得意そうに言うのであるが、自分自身が妻に逃げられていたりする。
そして周りには「妻が勝手に出て行った」などと自己防衛に必死なのには
笑ってしまう。
しかし、何よりも不思議なのは、逃げられた相手というのが「総裁の長女」
だったりすることだし、さらに不思議なのは、生長の家の教えと実際の生き方が
こんなに差があることがバレてしまっているのに、相変わらず「理事」で居られる
という不思議さ。
さらにさらに不思議なのは、そういった問題人物を数年前に総裁自身が
「立派な人物なので次期理事長に推薦する」と実際に推薦されて理事長に
なりかけたということだわな。
つまり・・・・生長の家を論じるとき、今までの書籍、演説などの内容を吟味
することよりも、「谷口家」そのものの構成員がどういう生き方、どういう
事件を起こしているか、行動しているか??を列記した上で
その内容と生長の家の教えとが合致しているか、あるいは乖離しているか?を
見てゆけば、生長の家がいかに本物とはかけ離れた「ぱくり宗教」であると
分かると思うんだけど??
谷口家というのは雅春氏がパクリ専門家であったことから、健康法などについても
いろんな情報を収集しまたそれを実際に実践していた。一人娘の恵美子は、
自分の両親が真っ当と信じて疑わなかったという単細胞人間なので、そういった
生活の知恵も受け売りをそのまま実行していた。谷口家では食事も玄米食とか
肉食を避けるなんてことをしていたので、清超、恵美子夫妻の子供たちの
幼少の頃はみんなガリガリ。中でも一番ガリガリで貧弱だったのが現在の
総裁代行の雅宣くんなんですね。人間関係を築くのも下手くそなものだから
雅宣くんなどはほとんど毎日姉の「寿美ちゃん」とママゴト遊びをしていた
んですね。そのせいかどうも人格が大きく歪んでいる。だけど、裸の王様の
ようにあほな取り巻きに囲まれて育ち生活をしているせいか、自分の
人格が大きく歪んでいることすら気が付いていないのは哀れでなりません。
「あんたは裸なんだよ!」・・と誰か教えてあげてよ。
ところで、誰かがどこかで「清超氏はすばらしい」などと褒めちぎっているけれど
「何がどのように素晴らしい」のか教えていただけないでしょうか?
こき下ろすのが趣味というわけではないですが、どこをどう眺めたら
「清超氏がすばらしい」となるのかまったく合点が行きません。
「どんなにあほか!」ということなら合点はすぐにでもするんだけど。
65 :
名無しさん@1周年:02/07/31 17:41
しかしここはひねくれ者の巣窟だな。
>教祖の雅春の妻である輝子さんが離婚経験者、そして雅春負債の一人娘の
>恵美子さんもまた離婚経験者、さらには現総裁の清超夫婦の長女もまた
>離婚経験者。どうして3代にわたって皆さん離婚をするのでしょう?
>このこと一つとっても「幸福に。。。」にはほど遠い。
輝子さんの離婚は酒乱の夫が家に帰らなくなったのが原因、傷心を癒す
ために大本に入信。そこでも癒されず雅春氏と出会い幸せになった。
恵美子さんも清超氏と出会い幸せになり現在に至る。
佳世子さんの場合は、離婚をしたが6人の子供たちはみんな幸せだ。
それから貴康さんは事故で苦労したが見事に立ち直ったからこそ
今の仕事をしているわけだ。それから同乗の女性は死んでいるどころ
か北海道で4人の子供に囲まれて幸せに暮らしているそうだ。
誰にでも失敗はある。立ち直って成長していくことに目を向けるべき。
人の家庭の事情を勝手気ままに詮索・想像して批判するのは
「おまえのかぁーちゃんでべそー」と言っているガキと同じだ。
おまえの家庭は完璧なのかよ。
66 :
名無しさん@1周年:02/07/31 17:44
それからついでに
雅春氏の家には女中さんが2人いるだけだ。
だれだ、デタラメを言っているやつは。
>>66 職業左翼か創価学会の連中じゃないの?
漏れは生長の家とは無関係の人間だけど、
WC板で職業左翼や創価学会の連中が
生長の家は宗教右翼で嫌韓を煽って日本を
混乱させようとしているって言って生長の家を
叩いてるのを見てこの板に来たけど、なんか
左翼や創価学会の連中ってキショイと思った。
68 :
名無しさん@1周年:02/07/31 22:22
67さん。
了解なるほど。そんな気はしていましたよ。人様の家庭の事情を
ネタにして、攻撃してくるやつはまともな信仰の持ち主でもないし
目的のためなら手段を選ばない共産党の奴らかと思っていましたよ。
ただ一瞬ですが、統一協会の奴らかとも思いましたが・・・
69 :
名無しさん@1周年:02/08/02 00:17
雅春が芸者と同棲して性病感染されたって本当ですか?
70 :
名無しさん@1周年:02/08/02 01:01
以前、戦争犯罪人雅春の本を読んだよ。
数ページ読んだだけでこいつはただの電波だとわかったよ。
「東南アジアでは仏像を極彩色に塗りたくってありがたやありがたやとするだけと聴きます、それに引き換え日本こそが真の釈迦の教えを伝えているのであります。」
確かこんな主旨のことほざいてた。
そもそも東南アジアの信仰について自分の目で確かめもせずにどうしてそう言い切れるんだ?
真の釈迦の教えってあんたわかってる?まさか誰かが日本語訳した教典と研究書読んだだけじゃないだろうな?最低でも原典を原語で読解したんじゃなきゃ「真の釈迦の教え」てのを知ったとは言えないはずだ。
実践のない谷口の言葉なぞクソほどの価値もナシ!
正直、こんなに生長が荒んでいるとは思わなかった。
信者のレベルも低い。教義はツギハギだらけで借用品ばかりの人工的作品
それを「神示」と自称しているとは・・・。
しかも、実践されない空理空論に成り下がっている。看板だけになっている。
生長の家 神の国寮における児童虐待。
もう完全に普通ではない、カルト化している。
一般信者の釈明を待つ。
73 :
名無しさん@1周年:02/08/04 14:08
生長カルトの目には自分を叩くものは左翼か創価に見えるらしいw
そういえばマス痛では創価攻撃も盛んだな・・・w
まったく笑える人達だねぇ・・・・・
生長の家の教えに触れると、その家族までもが皆幸せになる・・・
なんてことを言って布教しているが、その本家の家庭がそんな
状況とはかけ離れていて、火の粉を消すのに奔走している。。。
という、またくお笑いの状況をどう考えるのか??という意味で
本家の家庭の中のことを例にして出しただけなのに・・・
こういうのを全部「誹謗、中傷、攻撃」と受け取るんだから
もう救いようがない人達だねーーー。
キンマンコ教に改宗しなさい!!!
なんか貴康君が刑務所に入ったことを勘違いしてるようだけど
実際は2度大きな事故を起こしていて、そのうちの一回が
「過失致死」だから同乗の女性を死亡させている。その人がどうして
「北海道で4人の子供に囲まれて・・・」ってなるんだい?
北海道は黄泉の国かね?
そもそも、なぜ貴康君が事故を起こした当時、暴走族に加わって
いたなど、生活が荒れていたかご存知ないのかい?
愛情溢れる幸せな家庭に育っていれば、暴走なんてことを繰り返して
親に反発なんかしないでしょ?その反発されたのが現総裁夫婦の
清超、恵美子でしょ?子育てもまともにできない親のサンプルが。
だから「言ってることと中身が違う!」って言うんだよ。
離婚のことも「その後幸せならいいじゃないか!」だって?
あんたよっぽどおめでたい人だねー
そもそも、「一つの魂が半身となってこの世に生まれてくる、それが
元の一つになろうとして出会い結婚する」というようなことが
結婚の意味なんでしょ? だったら離婚してもその後幸せなら・・・
なんてあほなことを口にするご都合主義をおかしいと思わないのかね?
その後幸せ・・なんて関係ないの。
勿論、私のように、成長の家のようなアホな洗脳を受けていない人間は
離婚もまたよし、再婚もまたよし・・とは思っているけどね。
突っ込まれるのは「そもそも結婚とは・・・こうである!」なんて
借り物の言葉で言い切るから、あとで困るんでしょ!
でも、おかしいのは「その後幸せならいいんじゃないの!」なんてことを
言っても羞恥心で顔が赤くならないというその神経だよなー
誹謗中傷・・・と受け取る成長の家の信者達には呆れてものが言えないが、
それもカルトだからし方がないだろうな。私は成長の家を攻撃しようなんて
気持ちは全く無い。ただ呆れてはいるけどね。私が生長の家に触れたのは、
私の大事な人が洗脳されていてそこから救う必要があったからなんだけど。
こんなに程度の低い「教え」にも人間は騙されちゃうんだと思い知りました。
まぁ、騙される人はそういう要因の持ち主だから付け込まれて仕方が無いと
いう一面はある。だけど、「自分たちは善人」と錯覚をして信者を洗脳し
つづけるという「教団関係者」は許すわけには行きません。どこまでも糾弾を
続けなければと思っています。
それにしても、こういう「教団関係者」はあの世で業火に焼かれるのだと
知らないのはなんともお気の毒というかお目出度いというか・・・
78 :
名無しさん@1周年:02/08/04 23:20
この世で業火に焼かなきゃ気が済まん。
一被害者より。
「神霊界」復刻版1986年発行 出版者大日本修斎会
「神霊界」1919年(大正八年)二月一五日号
入信の経路参綾の動機 谷口正治
私はメエテルリンクの静穏閑雅な愛に充ちたような思索が好きであったと同時に
オスカーワイルドのような華爛な美装に充ちた生活も厭わしいものとは思いません
でした。唯厭わしいのは善でも美でもない平板単調劣悪な生活でした。『俺は美し
ゅう生きている』という感じか、あるいは『俺は聖者のように生きている』という
高い満足かどちらかがなければ生きたとは思われないのでもがいていましたしかし
ながら、どうかすると貴族的な芸術的な美的生活というものは善なる生活と背反す
るものであります。『色彩の感覚すら善悪を超越する』とワイルドはいっています
通りです。他人は筆で物語を紙に描くであろうが、私は私の肉と血とで人生に戯曲
を描こうと思った時、私はある前科ある女と物語を作っていました。初犯は朋輩と
協力して姉芸者の情夫を殺そうとした未遂で、第二犯は『お七吉三』が見たいため
の窃盗犯でした。全く理性のないような、情熱ばかりのような、その点がひどく私
を魅惑しました。私は心に既に脚色をもっていて人生の上に戯曲を描く快感を貪り
ながら、ある暑中休暇の数日を故郷で暮したまま、急いでその女と再び東京へ旅立
ちました。私の人生の戯曲は第五幕が脚色通りに来て愁嘆な別離の場は悲しげに幕
がとじました。しかし戯曲は終っても人生は続いていました。彼女は私に別れとも
ながっていたし、私はすべての善の感情の源泉である憐憫の感情の纒縛の中にいて
いましたもが真とに美しい生活とは想像的同情に充ちた生活ではないか。憐れな者を
虐げてその者の苦しさを『よう酌みとらぬような』似而非芸術的生活が何になる?
愚劣な実に醜い生活である!オスカーワイルドのような美のために美を求めた快楽
主義者も獄中にあって始めて『他のために苦しむのがどんなに楽しいか』を知った
のである。彼は基督の『敵を愛せよ』という聖訓を『愛は憎みよりも美しいから』
と注釈している。然り善であると同時に美しい生活は愛の生活より他にはない。
私は彼女の愛護者となろうではないか。愛がどんなに美しいかということを人生に
示そうではないか。愛は他を聖化するに相違ない。たとえ相手が前科者であろうと
も。誰も相手にしない憐れな罪人を愛するのは甚麼に楽しいか。改心したい罪人
でありながら、社会が偏強で許しのないために罪を重ねる人々がこの世に甚麼に多
いだろう。私が彼女を愛し続けるのは彼女一人の救済のためではなくその様な不合理
な社会に対する第一戦を挑むのである。『万人を許し得る事によってのみ人は神に
近付き得る』私はそう考えていました。
私は早稲田の文科でその頃特待生でしたから、授業料免除なのを幸い一人の学資で
二人で暮していました。その中に故郷にその事が知れたので、一人分の学資さえも
来なくなりました。私は故郷へ書を送りました。
『私は人を愛すな許すなという事には断じて従う事は出来ません彼女は罪人である
から私は彼女を憐まずにはいられません。私だけが彼女を愛し得る唯一人です。
もし私が彼女を愛し許さなかったら彼女は再び堕落するでしょう』
舞妓上りの前科者に関係した堕落した一個の青年=が私でしたしかし私は考えて
自ら慰めていました。小間使に関係した華族の若様から一口にいってしまえば何の
価値もないけれどもトルストイの『復活』の主人公を誰れが敬意を払わずにいられ
ようと。大本の霊統の問題が正しく理解されていたなら他に正しい善美な生活が見
出せていたでしょうに、ともかくもその時は真面目にそう考えて社会の偏強な道徳
観に戦を挑んでいました。
生活は日に日に窮迫して来ます。社会から非常な迫害を受けて、飲まず食わずで
震えながら路宿した事も数日ありました。カタストロフィーはいよいよ来ました。
彼女は彼女の親の財産を持出して私に貢いだしたために、その親は彼女を私に秘密
で台湾へ売ってしまいました。
私はその後ある紡績工場の工場管理者の一員となった側ら、小さい文芸雑誌を大阪
で発行してこう書いていました。『天上の火は終に地上に移すべからざるものである
か。真の憐愍は遂に現実し能わざる空想的の産物か。自分は官能と技巧との生活より
憐愍の生活に移り行った。しかしてその生活は遂に破れた。そうだ霊魂の享楽に疲れ
たものには官能の享楽の他はない。肉は霊を癒す…………』と。如何に私がその頃
霊肉の間に、美と善との間に迷っていたか。そして現代の地上の生活を白眼視してい
たかはこの抜粋を見ても解るでしょう。
憐愍の現実化に失敗して現代社会に呪詛の第一声を上げた私は、人生を戯曲化する
事ばかり考える耽美主義者になろうとしていました。この新らしい人生の戯曲に恋愛
の三角システムをなしたのは、私と、私の仮宿する上役の妹とそうして殊更に私がそ
う考えることを望んでいた所のあたかも鳩を救うと同時に秀鷹をも禿せんがために全
身を犠牲の秤にかけた仏陀にも等しく、他の幸福のために自分の幸福を売った娼婦と
でした。
初心な少女が恋人に捨てられて自殺する戯曲がホフマンスタールだかシユニツツラー
だかのものにあってその頃読みましたが、少女を象徴として表わされたる人間に内在
する美が悲劇のプロツトを通して濃厚に蒸留されているように感じました。美酒のよ
うな人間内在の美は平俗な場合においてよりも悲劇の場面において高調して表われま
す。人は美的鑑賞の生活が過度に増長して来る場合には、実人生に悲劇を作為して
残虐から滲み出る人間の内部的美味をさえ貪ろうと致します。しかし翻って自己の内
なるものの教にひざまずく時、私は私の恋愛の欺瞞的脚色が贖罪の道も絶れたる陋劣
な事だと思われる日がありました。
娼婦は私に病気を感染していたし、私はその病気が上役の妹に感染しなかった僥倖を
望んでいました。私は彼女の様子や言葉の端々まで観察しました。私は彼女が病気を
はずかしがって隠しているんだろうと想像しました。私は彼女に尋ねて見ました。
彼女は答えませんでした。生ながら腐れ行く肉体の潰爛の恐ろしさ。それは実に言葉
で頒つことも慰められることも出来ない、純粋な孤独をもって忍ばねばならぬ恐怖だ
と考えました。相手が治療されている事を知らずに治る神術もがなと考えていました。
催眠術を研究したり医学書を漁ったりしました。
よい明案もないので私は黴菌の伝染という思想を否定し出しました。伝染病といえ
ども各自に特発するのであって決して伝染するのではない。その病気の発生するに適
する状態即ち適度の温度と湿気と場所とそしてその人の道徳的状態に従って発生した
り発生しなかったりするのである。医学も最初の病原菌発生は何に依るかを答えられ
ない。こう私は一種の哲学の蔭に隠れて自己の内なる霊の呵責を出来るだけ軽減しよ
うとしていました。
到底私は道徳家でした。耽美生活で少し行くと直ぐに行き詰って内なる霊の呵責に
後もどりばかりさせられるのです。しかしいわばそうさせられていたので、耽美生活
も人生の戯曲化もなかったら病気もなかったし、従って神変不可思議な神術を求める
必要もなかったし大本に近付くことが出来なかったかもしれません。
その後その上役の妹は家事の都合でその家にいなくなりましたが、私の病気が重く
なって困っていると、以前の娼婦が自花を付けて見舞に来てくれたりなどしましたの
で仮構的な愛が真実の情愛に変化して、私はその女を本当に恋いるようになりました。
前科ある女を愛していた時の、貧しきもの憫れなものに対する熱愛が私の心に再び
戻って来ました。私はこの社会的地位からいえば気の毒な軽蔑されている者の上に、
敬虔な愛情を心から捧げる事を喜びとしていました。が私は病気の快復すると同時に
明石へ転任を命ぜられました。
私は明石から時々彼女に会いに行ったし、給料の大部分は彼女のために使って彼女
が一日も早く苦界から釈放されることを望んでいました。
彼女は約束の年期よりも早く借金を払ってしまいました。しかし彼女はもう私に叛
いていました。私は苦しかった。しかし私はこう彼女に書いていました。
『愛が叛いた心で受けられたという事は、それが一層敬虔な愛情で報いられたに
較べれば悲しい事に違いありません。しかし私が冷たく愛したために当然貴女に冷た
く報いられたと考えるよりは幸福です。何故なら私は自責せられないからです』
何者かを常に愛せずにはいられないような私は、女の愛から労働者に対する愛に遷
って往きました。定められた忍従の時間を、それがあたかも替え難い運命であるべき
かのように、懶惰な監督者や資本主の頤使の下に、謙遜に立働いている彼等を見ると
暴君に対する反抗と弱者に対する哀憐の感情に驅られずにはいられませんでした。
彼等は彼等の労働が貧しき人を裕にすることのない代りに、益々富の分配を不公平に
するのを知らないもののように働いていました。理は最低賃金を以って最良品を最も
多く生産する事のために職工を管督する役目なのです。私は彼等を監督するよりも労働
の負担を軽減したい欲望にかられて、時々油と垢に混れながら労働します。しかし
それは彼等の労働の負担を減じなかった代りに彼等に煙たい思いをさせました。私は
自分の役目から幾度も逃出したくなりました。富豪の手先となって労働者を虐め、
富の分配を一層不公平ならしめつつ給料を貰う生活―、ああ何という醜い生活でしょう。
私はある織物新聞に資本家と監督者に対する辛辣な風刺に充ちた創作を載せました。
工場の実際が暴露されると会社の人達は周章てたり私を罵ったり憎んだりしました。
私は私が会社にいる事が誰の幸福でもないのに、その役目に噛り付いているのは、
唯私がその日その日の食事を得るためであるのは卑怯な虚偽であると考えて会社を止め
ました。もうどんな資本家に使われる事も嫌でした。私は汚れた社会組織から全然自由
になりました。しかし如何に汚れた社会組織であるにせよ、生きている以上は何か職
を求めて食べねばなりませんでした。
私は前に研究した催眠術を思出しました。何か霊的に人と社会とを救済するような
職業―、太霊道、健全哲学や、渡辺式心霊療法やそして木原氏の耳根円通法や、いろ
いろの精神霊法を研究していると、ある日松江から『彗星』という雑誌を送ってくれ
ました。それによって永い間不満足に思っていた社会組織が根底から立替えられる皇道
大本なるものを初めて知ったのです。私はその雑誌の御礼に彗星社へ『心霊療法の
骨子』と題する原稿を送りました。それは私がほとんどすべての心霊療法を研究して
見た粽結でした。神という観念も宇宙の大霊という所まで進んでいたし、従来神界が
未完成であったという大本の思想にも少く接近して『人間は不幸があるのは神に不幸
があるのである』とそれには書いていました。所が彗星社の岡田射雁氏からの返事に
『時節到来の節には早速掲載致すべく候えどもその時節なるものの何日到来するかは
明言致し難く』と大本式の面白い文句でした。ところがその原稿は直ぐ翌月即ち九月
号の『彗星』誌に皇道大本の記事と相対する頁に載せられていました。それが動機で
参綾の時節が来たのでした。そして私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥
じない生活を見出しましたそれは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でし
た。過去を振返って見ますとすべてが大本へ入る前の予備試練のように考えられます。
「神霊界」1919年(大正八年)三月一五日号
○智慧と運命 谷口正治
皇道大本の信仰は私を運命の前に勇敢にしてくれた。笑って苦痛を耐え忍ぶことが
出来るのはこの信仰のおかげである。苦痛は恐ろしくない。それは身魂の借銭済し
であるからである。苦痛を受ける度毎に借銭を支払った後の愉快を私は感ずる。
どんなに多くの借銭があるにしても、少しづつでも負債が減りつつあると考える
度毎に勇気が加わる。何者も私を苦しめる事が出来ない程私は運命に対して不死身
になった。苦痛すら私を苦しめる事が出来ないから私はもう恐れる者は一つもない。
「神霊界」1919年(大正八年)一月一五日号
対話 光なき国 谷口正治
佛霊の三。
大日如来様が佛界(このよ)を主宰された昔がどんなに恋しいだろう大日如来様は
毎朝あの夫婦岩の間から御神体をお顕し下さった。そして恵深い光を私達の身体の
上に降そそぐ雨のように甘露のように注いで下さった。そうして私達は生気を得た
のだ。もう私達には生気の源はない。私達には太陽はない。私達には光はない。
教祖 佐木秋夫 青木書店 1955年12月25日発行
美しい生活か、聖者のような生活か、どちらにしても「自分の血と肉で人生に戯曲
を書く」のでなければたえられない(谷口正治「入信の経路」大本発行『神霊界』
一九一九・二・一五号所収)。だがそれはどこまでも「戯曲」なので、自分の基本的
な生活まで棒にふる決心をしたわけではない。そんな気分で夏休に帰省したとき、
近所に住む房江という一七歳の貧しい女につけ文をした――「美しい恋愛感情」を
わき立たせて、人生に美の一片を寄与するために(「自伝」)。そしてその結果を
待たずに――自分の自尊心を拒絶されるという危険をさらすことなしに――東京に
たつつもりだった。ところが意外にも、房江は彼の汽車に乗りこみ、東京の下宿まで
ついてきてしまった。「やむをえず」、一週間だけ同棲して別れる話にしたが、運命
は、というよりも現実は、そんな「自由」を許さなかった。房江は沖仲仕の娘で、
「おしゃく」にやられている間に、ちょっとしたことで「前科者」になって、家に
帰っていたのだった。たわむれの恋の夢だけ見てそのまま身を引くような女ではなか
った。
「人生の上に戯曲を書く快感を貪る」(「入信の経路」)彼の心には、あわれな少女
を「社会の偏強な道徳感」から守ってやるという満足と、その底には、傷つきやすい
自尊心をおびやかされることなく何の負担も感ぜずに自分の理想を実演できるという
喜びがあった。トルストイの『復活』を思い出しながら、自分は房江を「許す」こと
で神に近づいていると信じた。房江への感情が恋愛でなくて憐憫であることを確かめ
るために、近所の一〇歳の少女を「ほんとうの恋人」にしたてて登場させた。しかし
一方ではこのひめごとが養家に知れることを恐れて、いつもびくびくしているのだった。
養母は、やがてこのことを知ると、はたして、家名を汚すと激怒して、仕送りを止
めてしまった。それまでは学校の特待生で学費が浮くので、それで二人が暮らしてい
た。いまや房江だけが頼りだった。学校は中退の形になり(一九一四)、しばらく神戸
の房江の家に厄介になったりしながら、むなしく職探しに歩き、ついに何度か死を思う
までに追いつめられた。
房江は全身で生活にとりくみ、両親の前をつくろって、何とか才覚を働かせていた。
しかし、ついに手がつまって、彼にみつぐために親のものを盗んだりしはじめた。
両親も怒って、房江を台湾に売るといいだした。
房江としては、もはやかけおちを迫るほかはなかった。だがこのときすでに、生活
の現実にうちのめされた正治のほうでは、手を切ることを望んでいた。ただ、自分から
それを言い出すことをしないだけだった。いまかけおちを迫る房江に対して、彼の答え
は「人生は実力だからもういちど学校に帰りたい」ということだった。そのコトバを聞
くや、房江は「では出世なさいませ、さようなら」と痛烈なコトバを残して(「自伝」)
地獄の方へ走りさった。
「自伝」の筆者は、こうしてうまく厄介ばらいをした自分が卑怯だったことは認める
が、ふしぎにも、反省はそこで止まり、「憐憫愛というようなものは地上の人間を生か
すものではない」という人生訓の発見で、問題を打ち切っている。
房江と切れたことをみやげに、養母からまた学費をもらって大学に帰ろうと望んだが、
やはり拒絶されてしまった。やむをえず、友人の紹介で大阪の紡績会社の労働者になっ
た。日給五〇銭で一〇時間勤務。つらい生活だったが、ここで堅実な生活を築こうと
努力をはじめた。自分も今ではほとんどプロレタリアなのだが、努力の方向は労働者
の立場からでなく、個人的な昇進に向けられた。せっせと商工学校の夜学に通い、翻訳
の内職をみつけたので、その金で大阪高工に入ろうと試みた。だが、これは成功しなか
った。
ふたたび彼は「官能の世界」に落ちこんでいった。内職で得る金で高尾と呼ぶ遊女の
もとに通い、そのかたわら、お紋(仮名)という上役の姪と関係した。社会を呪いな
がら(「入信の経路」)、こういう不健康な三角関係にこそ特別の「美」がある、と
いうのだった。この場合にも、自分は高尾を憐んでいるのだと思いこむことを忘れな
かった。
ところが、こんな生活のなかから、まことに彼らしいやり方で、神秘的な病気なおし
への道が開けることになり、これが彼の将来を決定してしまった。
「娼婦は私に病気を感染していたし」、それが上役の姪にうつりはしなかったかと、
心配でたまらなくなった(「入信の経路」)。これは道義上の問題であるとともに、
クビの問題でもあった。医学書をあさったが、かえって病気への恐怖がつのるばかり
で、とうとうひどい神経衰弱になり、眠られぬ夜がつづいた。まぶしくて太陽を見る
こともできなくなった――「これは心の眼を閉じて実相の光を見ないでいる自分の心
の象徴であるということには気がつかなかった」と、彼は「自伝」で注釈している。
大阪の名高い催眠術家の三好霊峰の治療を受けたが、催眠術にはかからなかった。
ついにびっこを引くまでになって、けっきょく、医者に「手術」をしてもらった。
自分の病気はなおったようだが、お紋のほうはどうしようもない。そこで、相手に
気づかれないうちに癒してしまうような「神術もがな」というので、心霊療法などを
熱心にあさりはじめた。もちろん、いくら心霊療法を試みても、安心は得られない。
ついに、またもや彼一流の気やすめがはじまる――「よい妙案もないので、私はばい
菌の伝染という思想を否定しだしました」。「こうして一種の哲学の陰にかくれて、
自己の内なる霊の呵責をできるだけ軽減しようとしました」(「入信の経路」)。
不安がこうじて、いよいよたえがたくなったとき、その不安を打ち消す適当な口実
を見つけ出して、自分自身をなっとくさせる。そのためには、伝染の明白な事実を
無視して、伝染というのは思想(考えかた)にすぎないと断定する。自分でそう思い
こむ。ここまで行ければ、奇蹟の宗教をつくることもできるだろう。彼はいま、追い
つめられて神経衰弱になり、これまで何回か見てきたような自己防衛のはたらきがさ
らに一歩を進めて、そういう段階にまで近づいてきたらしい。
だが、そこへ行くまでに、彼はもういちど労働者の立場に近づく。彼は「女の愛か
ら労働者に対する愛に還って」いった。
例の病気が一段落したとき、急に明石の工場に転勤になったことが、生活を建てな
おす機会を与えた。高尾は彼の病気のときまごころを見せてくれたので、「憐憫」は
心からの愛に変ったが、そのうちにだんだん離れがちになっていった。そういうとき
に、彼の職場は機械の保全係から現場監督にかわって、一二時間、一週間交代の徹夜
業という殺人的な労働の中に身をおいていた。第一次大戦の初期のことで(一九一
五)、こういう労働強化の上に紡績資本は莫大な利潤をあげていた。中堅幹部たちも、
生産は二の次で個人の利益と保身とに専念していた。ところが、過重労働にあえぐ
少女たちを見かねて、彼が手伝おうとすると、かえって烟たがられた。
監督という自分の地位を彼はつくづく反省させられるのだった。「富豪の手先になっ
て労働者を虐め、富の分配をいっそう不公平ならしめつつ、給料をもらう生活!ああ、
何という醜い生活でしょう」(「入信の経路」)。彼は仕事を意識的にサボリ
(「自伝」)、現場の暴露小説を書いて業界紙に投書した。そしてついに、些細なこ
とから工場長と激論して、工場をやめてしまった。
「搾取する監視役」のほかに仕事がないのなら「もう生活しないでもいいのだ」
(「自伝」)。いまや彼は「汚れた社会組織から自由になった」。だが、労働者の
苦しみは彼の行動によって少しでも減りはしない。たたかいは工場のなかでつづいて
いる。
このとき、つごうよく、高尾は彼から去っていった。お紋は、親にあてて正式に
結婚を申しこんでくれと頼んできた。そのとおりにすると、はたして断られた。
三角関係の相手は、こうして、二人とも自発的に――彼の責任でなく――去っていっ
てくれた。
房江の場合といい、今度のことといい、「美を味わって」その後始末になると、い
つもこうして自己を保全した。婦人に対する彼のこのような根本的な態度には、表面
上の近代的な飾りつけにもかかわらず、封建的な考えかたが強く現われている。
91 :
名無しさん@1周年:02/08/08 01:38
生長の家=中曽根教上げ
92 :
名無しさん@1周年:
生命の実相19巻自叙伝編より
その胎児は、その夜から三日目にとうとう、手当の甲斐もなく完全に流産してしまった。
私(谷口雅春)が学校から帰って来ると、胎児はもう小さな茶色の素焼の土器の中に
はいっていた。『これが貴方(谷口雅春)の子供です。可哀相にもうこんな姿になりましたの。』
と房江は疲れた顔に淋しい表情を湛えながら言った。
三
朝の太陽と共に、私の描いた美しい夢は覚めた。妓楼の部屋の中には何も美しいものはなかったし、
生気のない頽廃した現実の女部屋には興味索然たるものがあった。私は逃げ出すように妓楼を出て、
素知らぬ顔で工場へ出勤した。しかし夕方になると私の心はまたしても夢の世界へ憧れ出した。
火を見ると飛び込みたくなる夏の蟲のように私はまたフラフラと昨日の妓楼へ引き付けられた。
現実世界の無興味を逃避するために夢の世界へ逃れて行くのであった。翌朝、気がついて見ると
私の身体に意外にも変な感じがするのであった。私は彼女に病気を感染されたのだと思った。私は
一寸幻滅を感じた。彼女は処女であるといったが、やっぱり処女ではなかったのだ。
四
一方、私の感染されたと思う病気は治らないで益々悪くなっていくようであった。初めは姑息な治療法
を行っていたが、仕舞いには専門医にかかった。もう治ったと思っては治療をやめると、一週間もすると
また悪性の症状が復活してきた。