WMコピペ専用スレ(第4幕)

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95名無しさん@1周年
 私が、右翼の大先輩児玉を、また、中村武彦を国賊と言う訳は、私の行動の中から、断じる言葉なのです。

 全有連の歩みを十数年遅らせたという悲しむべき事実は、中村の名利を欲する邪心からなのです。
 右翼とは、伝統の中に堅実に温故知新すべきもので、現実、現代に生きるものだと考えます。実状としては右翼の中には、中村武彦のようにマルクスから転向した者が結構居りました。
 彼らの心の中では、思想を左から右に転向するというのは、ただ単に、崇拝する指導者がマルクスから天皇に代わっただけというのが大多数でした。
彼らに共通して言えるのは、心に伝統がない事です。私が知り得る転向者の中で本物は、愛国党の赤尾敏先生だけでした。ぶつかっても、ぶつかっても胸を貸して下さり、受け止めて下さいました。
 
 また、全有連の初代会長で結成にあたり全国行脚をし、理解者を求め約三年間尽力を注がれた片岡先生を、結成の当日憤死させたのも中村武彦氏その人です。
 去る4年前、第15回全有連福島大会の前日、小森会長、志賀先輩方々の居る席で中村が、拙著に国賊野郎と書いた(武士の情で、当時、名前は載せなかったのですが)事で、私に喧嘩を売ってきました。
 私は、即反撃しました。私に非があれば腹を切る、即ち、私の死で償う闘いでした。中村は、片岡先生憤死のこと、国賊と言われる理由も認め、その後、全有連を追放されました 。

 口舌の徒です。亜流が居ます。遊びです。聞き齧りの受け売りで、己の言葉はありません。

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