>>317 生まれたての赤ちゃんは、誰に教えられるまでもなく母親の乳首に吸い付きます。
一端、母親の母乳の味を記憶しますと、母親と他人の分別は付くそうです。
つまり、人間は「無垢」であってもそれなりの「智慧というのは元々身に付いている」。
というのが私の考えですね。
ですから「無に帰す」というのも非常に単純なことです。考えとしては・・・。
>言葉に走ると見失いまくるのが難しい、言葉は表現方法の一つに過ぎません
そうですね。ここのところは同意です。
つまり「無明」とは「明るくない」。→「明るくなれば良い」。こういう事で非常に単純です。
そこのところをいろいろ言語で説明しようとするところが貴殿の論法かと思います。
ここのところは非常に微妙かとおもいます。例えば・・・
「梵我一如」。これは仏教では否定となっていますが、感覚的にはまさにこの状態でしょう。
合理的、論理的説明と、実際の体験ではまた違いますでしょうから。
そこのところは私としては「寛容」の幅は広げております。