【尾行】破壊的カルトによるストーキング【監視】

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8名無しさん@1周年:02/04/20 22:28
14 名前:名無しさん 投稿日:2000/10/23(月) 02:34:56
広宣部は創価班に所属する人材グループです。
広宣部の活動で
多くの気の弱い、純粋な会員の方々が
脱会者からちょっかいを出されずに済んだことは
大変素晴らしいことだと思います。
まさに「会員厳護」の使命ですね。

15 名前:アルフ 投稿日:2000/10/23(月) 11:07:20
>14さん

「会員厳護」はよろしいが、違法行為ですよ。
今なら、ストーカーですよ。
進路に立ちふさがったり、苦情を言った近隣住民に対して
暴行を働いたりしたんですから。

(※事実確認は千葉県警市川署へどうぞ)
http://freebbs.fargaia.com/res.cgi?id=piza&key=000006
9名無しさん@1周年:02/04/20 22:43
(・へ・)ヨクナイ!
10通りすがり:02/04/20 23:04
マスメディアがある団体や国家などへの批判的な記事を報道したりすると
それに対する抗議の電話やファックスが一斉にかかってきて、
例えばそれが2日続くと年間の売上が1%も低下する、などという書き込みがありましたね。
でも最近のブロードバンドの拡大でこういった傾向も徐々に改善していくのだろうか。
11名無しさん@1周年:02/04/20 23:25
売上落ちてもいいから事実なら報道してもらわんと。
12名無しさん@1周年:02/04/20 23:59
あっ、書き込めた。
13名無しさん@1周年:02/04/21 21:53
脱会しようとした信者を殺害した田口修二さん事件でのオウム幹部新實智光の供述

「そういうすべての人たちを絶対自由、絶対幸福、絶対歓喜の世界に入れる目的
が、田口さんが尊師を殺したり、下向して真島さんの事件を言うことで、中断さ
れることに対して、私たちがそういうことをさせない方が、田口さんのためにも
なります。最大多数の幸福のためにやむなし、一死多生の考えがありました。」

「んー……。たぶん今から思ってみると……思い出せません。田口さんが悪業を
積んで、徳を減らして低い世界に落ちるより、ポアしてもらった方がいいし、そう
いう尊師の思し召しは、正しい選択で、迷いっていうか、疑いはなかったんじゃな
いでしょうか。」

「コンテナに向かいました。途中で、私が大内さんに見張りを頼みました。
――あなたの判断か。
 自己判断。私から見て、大内さんは非常に愛情深い人、別な言葉で言えば、愛着
の大きい人。自分を利し、他人を利する、というのが大内さんの生き方です。残り
の人たちは、自己犠牲のタイプ。大内さんは、自分自身が地獄に至ったり、自分が
殺生されるカルマが返ってくることになっても、それに耐える心の持ち主ではない
と思いました。(実行犯に加われば)大内さんは後で苦しむんじゃないかと、私は
大内さんを憐れんで、見張りを頼みました。尊師も、大内さんが見張りをしていた
ことは、知らなかったと思います。越権行為かもしれませんが、尊師の意思に逆らっ
ているとは思いません」

「――田口さんが亡くなった時の気持ちを説明してもらえますか。
 亡くなった時の気持ち?
 ……たぶん、1つには、やっぱし田口君の転生のことを考えたと思います。尊師に
ポアされて、高い転生をして欲しいと。2番目は、私事ながら、殺生のカルマで自分
が殺生されたり、地獄に堕ちるのかと……」
http://www.egawashoko.com/menu3/htdocs/5/
14名無しさん@1周年:02/04/21 22:05
「慈悲の心に満ちているからこそ、やったんです。自分が死刑になったり、ここまで
自分が犠牲になってやるなんて、慈悲の心がなければできません!」

そんな新實を相手に、検察官は彼の中に人間らしい感情が残っていないかと、問いを重ねた。
                     ・
                     ・
                     ・
 彼は、そういった人間らしい心を、次元の低いものと考え、恥と心得ているらしい。
「普通の人の心から苦しみが生起する。それを乗り越えるには仏教しかない。(自分は)
普通の人の生き方を歩みたいとは全く考えていない」

新實は、オウムの事件は「最大多数の最大幸福」を求めた結果であると主張している。
http://www.egawashoko.com/menu3/htdocs/16/
15名無しさん@1周年:02/04/24 00:32
C外敵回避とカルトのアイデンティティ 被告には情報に対する選択的な接触が生じていたと思われる。
被告によれば、教団外部の人々の批判は、事実を知らないだけだと考えていた。一方、教祖や教団幹部は
優秀であり誠実であり、正義であると見なしていた。また自らのオウム真理教のメンバーであることは、
一般よりも霊的に高い水準にあり、優越と誇りを抱いていた。こうした心理状態は、職業的成功や結婚と
いった一般的な社会生活を永久放棄したり、また全財産を教団に投入したり、さらには親子の情愛の粋も
含めたそれまでの対人関係を絶つなどの後戻りの極めて困難な出家としての行為をとった上で教団での生
活を営んだならば、自然に形成されることが認知的不協和の理論から導くことができる。その結果、被告
はたとえ教団の行為が誤りであるといった情報から回避したり、もしそうした情報を獲得しても無視した
り、極端に過小評価する傾向になる。そして一方、教団からの指示や情報は好意的に解釈したり無批判的
に受け入れる傾向になるのである。

http://nursing.u-shizuoka-ken.ac.jp/~nishidak/Orai.htm
16名無しさん@1周年:02/04/24 01:11
これらのセクト的集団は・・・彼らのイデオロギーの根底には、いかなる疑いも挟むことを許さ
ないような確信、あるいは思い込みと言うようなものが存在しています。
このようなセクト的集団に対して、私たちはもう一つのタイプの集団をあげることができます。
絶対的な真摯な態度を貫くという姿勢に支えられています。この「真摯な態度」ということが何
を意味しているのかと申しますと、すなわち、自分たちが確信している考えなり、仮定といった
ものは、その都度その都度常に問い直さなければならない、ということです。
これからお話しする第一番目の論理がセクト的集団に特有のものなのです

第一の理論

 まず、このような論理は「類似性の追求」ということに基づいているのですが、それは、私た
ちに現れてくる様々な直接的な現実に対して、ただ部分的に理解できることだけをあてはめ
て満足してしまう、そういった類似性の追求だけで満足してしまう、という特徴をもっています。

客観的な視点というものを持たないので、・・・このような論理においては「差異」、つまり
「違い」ということに対して意味を与えることができません。つまり、世界には自分と同類の
者か、よそ者しか存在シないと言うわけです。

同類として同じ集団に属さない者はよそ者でしかあり得ず、従って理解不可能なものであり・・・
ここでは「他者」、つまり違ってはいるけれども、全くよそ者ではない、というような存在はあり
得ないということになってくるのです。
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-4.htm
17名無しさん@1周年:02/04/24 01:12
第二の論理

直接的な「今ここ」という私たち自身の存在を超えたところにその関心を向けているわけです。

ですからこの第二の論理は先ほど第一の論理のように「類似性」というものを追求しているので
はなく、様々な「違い」に対して意味を与え、理念的で抽象的な概念枠に常に照らし合わせている、
そういった思考方法のうえに成り立っているのです。

この現実世界の外側にある基準、そして超越的な「私」(Je)という要素は、第二の論理におい
て欠かせないものです。

このような形の論理においてのみ、いわゆる「他者」という存在、つまり自分とは異なった考え方
や世界観を持っているけれども対等の立場にある存在、が可能になるのです。
なぜならそこでは自己と他者は、個々人のレベルを越えた共通の源から発せられる友愛精神ともい
うべき絆によって結ばれるからです。

第1の論理の閉塞性

つまりその人が持っている、自分を超えたものとの「つながり」の意識であるとか、その人の目指
す理想の意識といったものが、いつのまにか単なる表象、もしくはイメージといったものにすり替
えられてしまう
このようにしてメンバーになった者は先ほど述べた第1の論理に引きずり込まれ、閉じ込められて
しまうのです。
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-4.htm
18名無しさん@1周年:02/04/24 22:39
>例えば家族とのつながり、あるいは政治のレベルでのつながり、また国
>家、社会、文化、言語共同体、また宗教的なレベルでのつながり、・・・
>時に、ある人がそれらとのつながりを失ってしまう、というような事態が起きるこ
>とがあります。その理由として、例えばそれらと満足のいくつながりを持て
>なかったとか、あるいは、思うようにうまくいかない困難な状況に直面した
>とか、様々な理由が考えられます。

>そしてそのような困難な状況に直面した人々は多かれ少なかれ、絶望して
>自分の持っていた理想というものが打ち砕かれてしまうわけです。

>つまり、このような人たちは自分自身の直接的なあり方を越えて、自分を外に開いていく
>ということに自信を失ってしまう、という事態に陥ってしまうのです。
>全体主義的セクト的集団が標的にするのは、こういった何らかの「つなが
>り」において困難な状況に陥っている人々なのです。

>あらゆるセクト的集団は、共通して先ほどの第1の論理のプロセスの中に信者を閉じこ
>め、心理的に後退させようとする
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-4.htm

自分なりにまとめると、
全体主義セクトは、心に傷を負っている人に近づいてなにをするのかといえば、
その人が自分らしさを失わずに自信を取り戻してそととの「つながり」を取り戻
すための助けをするわけではない。教団がもつ「類似性」の中に引きこんでしま
い、教団の持つ目標と、その人がもっていた理想とをいつの間にかすげ替えてし
まって、「第一の理論」のプロセスの中に信者を閉じこめ、心理的に後退させて
自らに都合のいいように利用しようとする・・・というとこだろうか。
19名無しさん@1周年:02/04/27 10:51
age
20名無しさん@1周年:02/04/28 00:18
>>18
脱会しようとする人を引き留めようとする以下のような場合の行動が、「第一の理論」の中で
書かれている特徴で説明できそうなのでやってみます。
http://communities.jp.msn.com/m7o6n2qg03mp24ek5q8d51o0f6/general.msnw?act
ion=get_message&mview=0&ID_Message=262&LastModified=4675357123163292886

>「あなたは幸せになりたくないのか?」
「その人の目指す理想の意識といったものが、いつのまにか単なる表象、もしくはイメージと
いったものにすり替えられてしまう」
「現実の多様性を部分的なイメージの単純性にすり替えること」
悩みの「差異」には目が向かずに、似たような部分だけに単純化されたものとして
扱われてます。あらゆる悩みに対して自分たちの教えを実践させようとするとこ。

>結局最後には1:10の取り巻きで、「信心します」と言うまで帰さない状態
「あらゆる反論及び不都合なことを消すために現実否認を用いる。」というのがここでは
当てはまると思います。否認しているのはもちろん「相手から断られる」という可能性です。

>なにが理由であっても、一度入信したら最後絶対に脱会させるわけがない。
>「あなたは人間として約束して入信したのだから、約束は守るべきだ」
「同類として同じ集団に属さない者はよそ者でしかあり得ず、従って理解不可能」つまり敵に
なって欲しくないからとどめる。外にいるものは潜在的に危険なものであって、「自分とは異
なった考え方や世界観を持っているけれども対等の立場にある存在」は考えられないという点。
21名無しさん@1周年:02/04/30 00:31
ネタage

市議転落死事件の経過
http://www05.u-page.so-net.ne.jp/zc4/jfk/19950901.html
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1013357010/
「 控訴審でも敗訴した『東村山市民新聞』」
http://www.usio.co.jp/magagine/usio0203/u020105.html
「裁判打ち切りの暴挙」
http://www.sokamondai.to/jiken5.htm

坂本弁護士事件の怪
http://www.asyura.com/sora/bd11/msg/749.html
22名無しさん@1周年:02/05/01 23:50
>01/07/02 暴行:入信断った男性殴る 宗教法人会員3人逮捕
http://www.amicom.com/~kmen/tokuhou/tokuhou102.htm

統一教会の違法な勧誘が違法性ありと判断。
http://homepage1.nifty.com/kito/uc.jouhou.htm#010630-2
23名無しさん@1周年:02/05/03 20:31
* エホバの証人「せっかん死」事件の報道
http://www.jwic.com/abuse.htm
>おしりを打つためのムチ棒は、長老夫妻から渡されました。ムチ棒のかわりに
>ビニールホースを使ってもよいことや、食事を制限したり、閉じ込めたり、
>しみめ出したりするのも同じ。すべて「少しの間家族から仲間はずれにするのは、
>おしりをたたくよりも効果的」(前掲書)などという教理にもとづく助言でした。

北海道広島会衆の大量排斥事件
http://www.stopover.org/lib/Kanazawa/index.html
>これはつまり、組織にとっては真理か真実かなどということより、従うか従わないか、
>従順か不従順かの方がはるかに重要な問題であるということを意味している。
>いやしくも協会の代表者たちに疑問を差しはさみ、真実に従って扱って欲しいと
>要求するなどとは、彼らの目には「きわめて不敬な態度」に映るのであろう。
http://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Jikenbo/chapter4.html

http://www.jwic.com/forum99/082297a.htm
> 日本では、大学受験予備校で勤務していましたが、就職先にものみ
>の塔の信者が頻繁に訪れて私を背教者だとか危険人物だとか誹謗中傷す
>るので、何度も転職しなければなりませんでした。
24名無しさん@1周年:02/05/05 22:05
法の華の手口―「足裏診断商法」とその被害状況
http://homepage1.nifty.com/kito/hounohana.teguchi.htm
>そこでいきなり怒号・罵声を浴びせ被害者を著しく動揺させた上で、その後別室に
>移し、密室で多人数のスタッフによる長時間の詐欺的、脅迫的言辞を用いての面談
>等により、被害者を心理的・精神的に追い込んだ上で、短時間での決断を迫ると言
>う手法が用いられており・・・

> また研修参加者は、頭がとれたと回答しないと、何時までも研修を続けさせら
>れることとなる。そこでやむなく頭が取れたと意に反して回答することを余儀なく
>された者も存在する。
25名無しさん@1周年:02/05/07 23:17
学会員よる尾行・見張り 最近は郵便物の盗難事件も
http://www.toride.org/81/crime.htm
>批判を行なったジャーナリストや学者に対しては、尾行・張り込みがつき・・・

>最近、家の前に見慣れない車が停車しており、こちらが移動すると尾行してくる

>急に振り返り、そばによると物陰に隠れたり、ビルに入ったりするが、とにかく
>しつこい≠ニいうことです。これについても、車両ナンバーや逆追尾で、
>いずれも創価学会員信者ということが判明しています。
26名無しさん@1周年:02/05/10 00:26
http://www.toride.org/vic/masuda.htm
> 私は、学会を脱会してから、ずっとアンチ創価学会で通してきましたので、
>私自身も、今、体験発表された神田さんのように、車を壊されたり、ポストに
>犬の糞を入れられたり、あげくの果ては、「いいかげんに学会に戻ってこないか。
>今日も、おまえの子供は、コアラの絵の書いたトレーナーで学校行ってるみたい
>だけど」などと、暗に脅迫もされました。

>「たしかに、今まで、無言電話とかもやってきた」と、向こうは平然と認めてく
>るんですね。
27名無しさん@1周年:02/05/10 00:33
ワールドメイトの会員から執拗な嫌がらせを受けています。
私が精神異常者のように扱われていますが、全て身に覚えのない事ばかりです。
どうしたらいいのでしょうか。
28:02/05/10 00:45

 もっと詳しく聞かせて。WMつぶすチャンス!
29名無しさん@1周年:02/05/11 23:10
ヤマギシ会による批判団体への圧力行動
http://www.dcn.ne.jp/~takeda/third/index.html

http://www.dcn.ne.jp/~takeda/third/page090.html
>ヤマギシのD1オールメンバー(ヤマギシズム達成のためには何でも行う
>「革命即戦中核部」として養成されたヤマギシのエリート集団)を先頭に
>被告らは狙いすました圧カ行動を原告ら「ヤマギシを考える全国ネットワーク」
>事務局メンバーに対して開始した。

>マスメディアがヤマギシの問題を取上げるようになり、被告らは圧力行動を
>中止せざるを得なくなった。

http://www.dcn.ne.jp/~takeda/third/page029.html
>ネットワークの事務局として名前を公表している人、文章を発表して氏名の判明
>している人は、この数カ月、活動をやめろという脅迫電話、抗議電話、無言電話、
>中傷ファックス、エンドレスファックス、突然の押しかけなどに見舞われています。
30名無しさん@1周年:02/05/13 18:13
age
31名無しさん@1周年:02/05/13 18:38
根性ならまけへんでー。
32名無しさん@1周年:02/05/14 01:20
急降下阻止age(;´Д`)

> ある教会では礼拝の時に、牧師が一人の信者を名指しで批判しました。「自分の言
>うことを聞かなかったので、大変な罪を犯したことになる」と言い、他の信者に向かっ
>て、「今から彼と話をすることを禁止します。彼の行動はすべて私に報告しなさい」と
>命じました。名指しをした信者に対しては、「あなたが悔い改めるまで、これを続けま
>す」と言いました。またある教会では、牧師と長老たちが信者の家を一軒一軒訪ねてま
>わり、「○○さんと交わりを持つのは神様から見て良くないので、交際をやめなさい」
>と言いました。
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/side10.htm
33名無しさん@1周年:02/05/15 00:42
( ´,_ゝ`).。oO(ホシュ
34名無しさん@1周年:02/05/15 21:58
カルトに関わったことのある者の立場からオウム真理教のサリン裁判を傍聴して、被告の
うち16歳という若い時期に入信した幹部の公判、判決までの経緯を綴っている人のページ
を見つけました。

このなかで、http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-4.htmで書かれている第一の
理論のプロセスの中に、この被告が閉じこめられているようなケースではないかと感じさせ
る記述があったので抜き出してみます。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1847/index34.html
>これをカルト問題の専門家の間では「カルト的思考」と呼ぶのですが、問題が、信じる
>内容にではなく、思考の枠組みが歪められること自体にあることを指し示しています。

ここでいう歪められた枠組みというのが、第一の論理の中の「現実世界で出会う直接的
なもの」に捕らわれていて、第二の理論の「現実世界で出会う直接的なもの以外にも、
照らし合わせればならない基準」を持っていない状態のことではないかと思います。
35名無しさん@1周年:02/05/15 21:59
例えで言えば、小説を読んでいるといつの間にか自分自身が小説の世界の中に身を置いて
いるような、小説=現実のような状態、つまり世界そのものが自分自身でもあるという
状態です。このような中では世界(自分)に従わないものは存在しないものなので、当然
自分以外の「他者」というのは考えられないです。
これに対して第二の論理では、「現実世界の外側にある基準」に立っているので、小説は
その作者が作ったその人独自の世界であり、自分とは異なる「他者」であるという事が
認識できるわけです。

「カルト的思考」に寄っているために、「麻原教からは脱したものの、それが仏教にすり
かわった」だけにすぎず、これは今だ小説=現実のような状態だと思います。
こうして「第1の論理に引きずり込まれ、閉じ込められて」いるため、「現実を直視」す
るための視座に立てないのだと思います。

こうして考えると、このスレの破壊的カルト批判者や脱会者に対する攻撃性も、同一でない
ものは排除しない限り「世界=自分自身」が脅かされるので様々な方法で正当化されてしま
うのだと思います。
36名無しさん@1周年:02/05/16 00:36
>>34-35
ル・グィンの短篇「九つのいのち」を思い出した。
Googleで探してみますた。

http://plaza5.mbn.or.jp/~SF/K9703B.HTM
>  時間を作って「九つのいのち」読み返してみたが、その価値はあった。傑作である。
>ただし、今、問題にしている事柄そのものと直接の関係はない。10人のクローン人間た
>ちは、全体でひとつの拡大された自我を持ち、美しく、くったくがない。その状態でずっ
>と生きてきた。突然、たった1人にされた時、生き残りのクローンはどうなるのか?
37名無しさん@1周年:02/05/17 20:23
>>36
http://www.shobunsha.co.jp/html/rakan/03.html
「生まれて間もない赤ん坊は、ママと自分の区別がつかないらしい。この、母子
が一体化した満ち足りたひとときが、人間の心の大もとになる、原始のスープみ
たいなもの。でも、まだここには「人間」はいない。」

第一の理論のように他者と自我が混じり合ったような状態におかれた人は、他人の領域の
侵害なんていう概念がそもそも無いので、たとえば破壊的カルトの教団内では次のような
こともよく聞く。
夜中であろうとかまわず押し掛けたり、入院してる人の病室に長々と居座って話し込んだり、
プライベートの問題にも口を挟んできたりなど。

38名無しさん@1周年:02/05/18 22:17
現代社会で自己の安定を得るために、自分の理想とする「仮面」を演じることはやむを
得ないことですが、自己と他者との線引きが曖昧になっていると、自分の「仮面」を保
持するために、他者の自分に対する印象という外部の問題についても、過度に操作的に
なったりします。カルトの過激な勧誘、脱会者、批判者へのストーキングなんかもこれ
の一種だと思います。

http://www.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~nabeyama/works/ronkyu.htm
>また、そこでは他者を仮面のリアリティを作り出すための手段とみなしてい
>るような、つまり、仮面を本物にするという目的のために、自分も他者もそ
>の「手段」として使い果たしてしまうかのような、空虚な人間像が浮かんで
>くるだけである。

>この自己中心的なコントロール幻想は、また臨床家のいうところの「自我境
>界の曖昧さ」という自己現象によって説明される。つまり、そのような人び
>とは自己の始まりと終わり、他者の始まりと終わりがどこまでか、という自
>己と他者の境について、全くわからない状態になっており、自己と他者が異
>なった別々の独立した存在であるということを認識できていない。
39号外:02/05/18 22:21

 ワールドメイトが、2チャンネラー某氏を名誉毀損で告訴!!
 http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1021551267/l50
40名無しさん@1周年:02/05/21 22:12
破壊的カルトの勧誘活動では信者は「この人を救ってあげたいから」という理由付けをよく
します。しかし「第一の理論」に依っているために、しばしば相手に「押しつける」という
イメージを持たれがちです。

http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/kaeyoo.html
「あなたの価値観だけが正しくて、他の人もすべてあなたの価値観に従うべきだというメッ
セージであり、他人の価値観に対する帝国主義的な侵略行為」

http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/rescue.html
「鏡に映し出された自分自身を救い出そうとしますので、これが他人にとっては余計なお世話
となるのです。
 このような自分と他人の混乱がさらにひどくなるとどうなるかと言いますと、他人の意向
を無視してでも、強引に自分勝手な救済劇を演じようとするのです。」

http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/kiretatoki.html
「自分を大切にして、自分の限界や境界を守るということは、相手の人の限界や境界に対し
ても理解を示して尊重するようになって行くのです。」
41>40のつづき:02/05/21 22:13
救済する対象に自分自身を投影しているのに気付かない点、そこではもはや相手の救済と
いう目的は名目になってしまい、自分のために他者を利用しているに過ぎないという点など
が、破壊的カルトの勧誘の特徴だと思います。
42名無しさん@1周年:02/05/23 23:11
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-4.htm
>つまりは滅ぼすべき敵対者として現れるわけです。ここでは「他者」、つまり違ってはいる
>けれども、全くよそ者ではない、というような存在はあり得ない

http://homepage1.nifty.com/eggs/sikou/tanjo.html
>自分は母親とは別の独立した存在であることを発見します。自我が母親から分離し、自分が
>一個の独立した存在であることを理解します。

>>34-35
「他者」が存在しないというのは精神的な自立や分離を遂げていないことであり、そういった
人にとっては、自分側に与するものを多く持つことは「自分=世界」を安定させるために重要
なことだと思います。
カルト信者の場合は、この与するものとして宗教が利用されているような気がします。この場
合宗教はもっぱら分離不安から目を背けるために利用されます。その宗教を通した目で世界を
二分したりして単純化することで、未知の「他者」に対する不安を回避して「自分=世界」を
安定させるのです。
こうした人にとってはカルトだと批判されることは、自分の存在にも関わるほどのことにな
るわけです。
43ホシュage:02/05/25 20:18
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/459.html
「知られざる『強制改宗』めぐる攻防」記事が名誉毀損に当たるとして訴える。

http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/460.html
>【投稿】「『強制改宗』めぐる攻防」執筆の意図

http://homepage1.nifty.com/kito/uc.jouhou.htm#011217
>いわゆる「拉致監禁訴訟」に勝訴!

http://www.web-arita.com/touitu5.html
統一教会とジャーナリストとの関係
44名無しさん@1周年:02/05/27 22:56
ttp://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/iyanakeiken.htm
>衆議院議員の選挙があって、所属区から、公明党の新人候補が出ていました。
>学生部で、何か選挙活動をしようということになって、やったのがなんと選挙
>妨害でした。一つは対抗陣営の選挙事務所に押しかけて、場所を占領して、事
>務所機能を麻痺させようという作戦、これは人数の関係で失敗しました。次は
>電話作戦、対抗陣営事務所に電話して、政策を長々と聞き、電話を封鎖する作戦。
>さらに悪質なのが、事務所に出入りして、電話番号をチェックして、そこに公衆
>電話から無言電話を入れる作戦。これは断続的に実施しました。心理的な妨害効
>果はかなりあったと思います。それに、十円で確実に三分間は電話機を機能停止
>させることが出来ます。
45名無しさん@1周年:02/05/29 23:43
http://homepage1.nifty.com/kito/uc.ihoudendou.htm
>更に私は統一協会の責任者に「世界平和女性連合が統一協会とわかってしま
うと問題となるので、統一協会の実情をよく知っている日本大使館には近づか
ないように。」と言われていました。

>朦朧とした意識の中で、繰り返し襲ってくる腹痛にころげまわっていました。

>医療事情の悪い国で病気になったら当然頼るはずの日本大使館に私は行くこ
とが許されず、

>それは赤痢に違いないと言われ、急いで薬と治療方法を教えてもらい、私は
一命をとりとめることができました。
46名無しさん@1周年:02/06/01 00:33
http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/jim_jones.htm
「このころから精神分裂病の兆候が現れる。ジョーンズは自分の教団が敵の見えない脅威に
さらされているという妄想に取りつかれ始めた。敵と見なしたのは連邦政府と脱会信者で、
身辺警護を強化し、元信者の自宅を見張らせた。警察に相談して無視されたこともある。」

http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/uganda.htm
「また、教団の本部から50キロほど離れた別の礼拝施設では、小屋の床下に、153人の刺殺・
絞殺体が埋められていた。教祖の預言が当たらなかったため、教団内では1月以降、教祖を
批判する信者が増えており、その対立の中で殺された人々とみられている。」
47名無しさん@1周年:02/06/03 22:50
http://web.archive.org/web/20010804213722/www2.odn.ne.jp/~cab70510/Column_b/Column_03_02.html
「○○してくれるから好き、相手は△△がうまいから好き…というのでは、○○をしなくなっ
たら嫌いになる、△△できなくなったら嫌い、ということです。無条件の愛ではありません。
無私の愛からほど遠い世界です。
 親(または先生)が子どもとの間にこういう関係を作ると、子どもは、いつも強迫的に勉強
を強いられます。成績が下がったら、もう子どもではなくなるのです。人間として認められな
くなってしまうのです。
 そうなったら子どもは行き場所を失ってしまいます。こんな恐怖はありません。子どもは、
必死になって、「見捨てられ恐怖」からのがれようとがんばります。
 こんな恐怖の中で育った子どもは、自分は何が好きか、何が気持ちいいのか、なんて悠長な
ことは言ってられません。」
48名無しさん@1周年:02/06/03 22:51
http://web.archive.org/web/20010804213722/www2.odn.ne.jp/~cab70510/Column_b/Column_03_02.html
「こうした発想の根底には、「誰かに悦ばれる自分でいなければ、自分のこの世における存在
価値はない」という自分観があります。たとえていえば、自分をゴキブリだと思っているので
す。ただ生きているだけの自分では人に嫌われて抹消されてしまうと思っているのです。だか
ら人間の役に立つゴキブリにならなくてはいけないのです。人目や自分の評判が気になる理由
もここにあります。
 誰からも嫌われたくない、という発想は、自己卑下に由来します。つまり、自分で自分を見
下しているのです。
 自分はただ生きているだけでは存在価値はないと思っているのです。だから人を見下しては
自分はコイツよりはマシ、マシだから自分は生きる価値がある、と思いたいのです。そう思え
ないとつらいのです。苦しくて生きておれないのです。」
49名無しさん@1周年:02/06/03 22:54
>>47-48
>>16
「このような論理においては「差異」、つまり「違い」ということに対して意味を与え
ることができません。」

反対意見(個性)を排除(見下し)するようなカルト宗教にいて、
信者は自分の個性を大切にし、そして他者の個性も尊重していく気持ちになれるだろうか。
他の宗教を批判してるのを見て居心地悪くなったり、
自己否定をちらつかされていることに気付いたりしないのだろうか。
カルトの追求する「平和」というのは、自己否定の不安から一時的に遠ざかるためだけの、

「幻の快感は、現実の変化をもたらしません。だから、一年中誰かと俗世の価値観
(お金、学歴、名誉)で比較しては、勝った負けたと一喜一憂して一生を終えるのです。」
http://web.archive.org/web/20010804214218/www2.odn.ne.jp/~cab70510/Column_b/Column_03_03.html

というもののように思える。
こうなると、世界中の人を我が信者とすることを「平和」だと錯覚してしているような宗教
などは、そうまでしないと安心が得られないのかなどと思ってしまう。
50名無しさん@1周年:02/06/06 22:02
age
51名無しさん@1周年:02/06/06 23:42
>>47-49
親に無条件の愛を与えられなかった人は「自分はただ生きているだけでは存在価値はない」
と考えてしまう。
こうした人がカルトに入っても、カルトは他宗教を批判することで暗黙に自由な
個性を否定して、教団にとっての「良い信者」となることを強いるのだから
本来の自分はますます疎外されてしまう。
自分の価値の決定を外に求めないで、自らを自己肯定的に受け入れていくことが重要で、
それが自己と他者との線引きにつながるのではないかと思う。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/2569/kokufuku.html
 「以前は自分は人と違うということは自分は人より劣っていて価値のない人間という
意味でとらえていた。
 だが、今は人と違うということは自分は人と違ってるから価値があるのだという意味
に変容しつつある。」

http://www.iii.ne.jp/usami/counsel43.html
 「そもそもあなたの価値は、他人が決めるものではないんです。あなたの存在は、最初
からすごく尊くて希少価値で、自分の判断で増えたり減ったりするものではありません。
あなたの存在は、そんな些細なことに左右されるほど、軽くもなければ小さくもないとい
うことを自覚してください。」
52ほしゅAGE:02/06/08 23:50
53hoshu_age:02/06/12 23:26
54ほすあげ:02/06/18 00:15
アメリカNBC放送はエホバの証人の児童性的虐待者の問題を放映
http://www.jwic.com/n052802.htm

「そして番組の最後で、司会者が、この番組の取材に協力したエホバの証人たちは皆、
排斥の危険にさらされていると付け加えたことは、ものみの塔協会がこの問題で素直
に反省の姿勢をとることなく、内部の矛盾を告発するものをあくまで力で制圧しよう
とする姿勢を持っていることを視聴者に暗示しているようでした。」
55名無しさん@1周年:02/06/24 22:11
age
56brown:02/06/24 23:38
すばらしいスレッドですね。どうも他のスレより宗教的な趣があります。
カルトは社会にとっては迷惑この上ない存在ですが,彼らも社会の一員なんですよね。
受け入れることもできないが,単に排斥するだけではすまない。
既に上で述べられてますが,カルトを社会からの差異として全く受け入れられない
姿勢そのものが,カルトの問題ある姿勢との間のある種の共通性を呈している。
彼らも本当にかわいそうです。反社会的行動をすることが,そのときには全面的な
善になってしまっているのですから。どこまでいっても脱会者を引き戻そうという
欲求から逃れることはできないロック状態にある。
お互いのためにただ立ち去るだけですね。話し合うことに実りはないから。
このような考え方はまだあまいのかもしれませんが。
57名無しさん@1周年
ageageage