724 :
名無しさん@1周年:02/08/16 04:13
725 :
名無しさん@1周年:02/08/16 04:16
726 :
名無しさん@1周年:02/08/16 04:19
創造・法則、この絶対的な意思と言えるものこそが神だろ。
727 :
名無しさん@1周年:02/08/16 04:30
誰がああいう「白髪で白いネグリジェみたいなの着たおじいさん」
的な神様を創り出したんだろう??
728 :
名無しさん@1周年:02/08/16 04:53
恐らく宗教画家のイメージだろ。
最近では、神は地球外知的生命体であったという説もある。
だとすると、神話の飛んでもない物語も納得できる。
昔、南米のインディオはスペイン人の持ってきた鉄砲を「火を吹く杖」と呼んだ。
神話もこんな表現をしたものだろう。
729 :
名無しさん@1周年:02/08/16 05:10
730 :
名無しさん@1周年:02/08/16 05:12
>>727 キリスト教徒にはそういうイメージないけどね。
でもやっぱ絵本とかにはあるよね、そういうの。
>「白髪で白いネグリジェみたいなの着たおじいさん」
731 :
名無しさん@1周年:02/08/16 05:12
本当は違うかも、、、忘れました。
732 :
名無しさん@1周年:02/08/16 05:14
神もかめもいる!
733 :
名無しさん@1周年:02/08/16 05:31
かめ??
734 :
名無しさん@1周年:02/08/16 23:43
無神論者の「神」観、是非聞いてみたい。
735 :
名無しさん@1周年:02/08/17 00:07
神が君の親だ!
神なければ、君の命はない。
進化論は出鱈目だ。
736 :
名無しさん@1周年:02/08/17 00:18
>734
ないものはない。
>735
酸素が君の親だ!
酸素なければ、君の命はない。
神は出鱈目だ。
737 :
いつも毛だらけ:02/08/17 11:10
>>734 無神論者の「神」観は「無い」以外無いんじゃないんでしょうか?
無宗教主義者の「神」観はありえます。
無宗教主義だからといって、無神論者とは限りませんから。
無宗教主義者にしてみても、宗教そのものを否定しているとは限りません。
論理性と理性を重んじるがために、既成の宗教を否定せざるを得ない、
という立場の人が多いと思います。
論理性と理性を重んじていても、「神」を肯定できます。
その場合は、結局、定義の問題となります。
実のところ、論理性や理性の発揮と「神」の存在否定とは、直接には関係ないと思います。
自分たちが生きていることと、この世界を見渡せば、これが、すべて偶然に創られたとは
とうてい考えられない。
創った存在が、いると考えるのが、自然な思いだろう。
人間、動物、植物、海、山、川、空、宇宙・・・・・どれをとっても、神を感じる。
現在の文明も、科学技術も、神がこの世界を創ったときから、用意されていたのであって、
人が、創造したのではない。すべて、発見して、利用してきたのだ。
また聖書には神は、愛なのです。と書かれています。
人は、愛されていると感じるとき、心が、幸せになります。
愛されていないと感じると、人は、不幸です。
聖書は、私はあなたを愛する。と言ってくれます。
神は、この全世界のすべてを創り、私たちも創られ、私たちを愛して下さる存在だと言えます。
>>738 なぜ、「とうてい考えられない」のか教えてください。
とうてい考えられないような事件がいくらでもありますが?
740 :
名無しさん@1周年:02/08/21 22:50
>738
新井白石に全て完全に論破されてます。
無知蒙昧にも程があります。
消滅なさい!
聖書がいう救われたという事は、神を信じる心が、その人にあるといううこと。
それは、神が信じるようにしてくれたので、自分の力で信じることはできない。
神は憐れもうと思う者を憐れみ、かたくなにしようと思う者をかたくなにする。
実に神を信じている人は、神に愛されているのだ。
神を信じることは、人間の理性では、不可能。
現在、神を信じている人でさえ、神などいるものかと、思っていた時がある。
神を信じる者は、救われている。
救われたとは、魂が、永遠に生き続けることが保証されたということ。
全ての人は、肉体が死ぬが、ある時期まで、霊として存在し続ける。
その霊が、永遠に生き続けるか、死んでしまうか。
神の子のみが永遠に生き続ける。
でも、誰が救われるかは、人にはわからない。
神を信じ、イエスを神の子として受け入れるのに、頭でいくら考えても不可能。
神は憐れもうと思う者を憐れみ、かたくなにしようと思う者をかたくなにするからだ。
でも、誰が救われるかは、人にはわからない。
742 :
名無しさん@1周年:02/08/22 11:25
>>741 なるほど…
じゃあ神は俺を憐れもうと思っていないわけだ。
ま、いいが...
743 :
名無しさん@1周年:02/08/22 11:26
>>1 観念論を肯定するか否定するかで決まるのでは?
肯定するなら、おのずと「ある」となる。
神は自分に似せて人を創った。と聖書にある。
人が人を見て、憐れみたくなる人とはどんな人だろう。
神が憐れもうとされるのはそんな人が、多いのではないかと思う。
>>739 事件じゃないよ。
普通に考えれば、神が創ったとしか考えられないだろうという事。
あんたには、そういう感性はないの?
>>738 >神は、この全世界のすべてを創り、私たちも創られ、私たちを愛して下さる存在だと言えます。
ならどうした最初から人間が神を信じるように作らなかったの?例えば男が女を見ればやりたくなる様に
age
748 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:16
人間の心には、神でしか埋められない空洞がある。
とパスカルは言った。
>748
例えば何スかねぇ?
>>749 本当は人間は神によって作られたものではないから
752 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:20
「助けてください」と言ってるうちは、まだ疑っている。
完全に信じきっているのなら「ありがとうございます」だな。
753 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:22
>>752 そこまでいったら信仰を超えてバカだろ?
754 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:24
755 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:29
756 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:30
<主を待ち望め>
わたしは主を待ち望みます。 詩篇130・5
自分たちが助けてもらいたいときに、神にむかってその目標を示し、時と方
法を指定し、どのように助けてもらいたいかをほのめかす人があります。そし
て物事が思いどおりに運ばないと、失望するか、できればほかで助けを得よう
とします。彼らは神を待ち望むことをいたしません。むしろ神が彼らを待って
いて、彼らの計画どおりにすぐ助ける準備ができていなければならないと考え
るのです。しかし、まことに神に恵みを待ち望む人は、神が助けてくださる手
段と、場所と、方法を、みこころのままにゆだねます。彼らは助けを得られな
いといって、失望することはありません。しかもその時や場所について指定し
ないのです。彼らはどんなにおくれても、神にその手段、方法、時、場所をゆ
だねるのです。しかし、助けを指定する人はそれが得られません。彼は待ち望
んで、神の計画と、みこころと、時のみちるのに信頼してしんぼうすることが
できないからです。
四つの慰めにみちた詩篇の講解
今日も主のお守りがあります様に。
757 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:32
ヘンリ・ナーウェンは、クリスチャンとして生きるということは
「全く力なき者として、弱く傷つきやすい自分以外に
何も差し出すものがないように召されている」ことだと言っていました。
何事も頭で捉えようとしてしまう私には難しい事でもありますが、
「こんなもんしかありませんが…」ってそっと神の御前に自分を差し出して
あとは御心にすべて委ねる、というのが本当に出来れば、クリスチャンにとって
これ以上の幸せはないんじゃないでしょうかね。
>>757 >「こんなもんしかありませんが…」ってそっと神の御前に自分を差し出して
>あとは御心にすべて委ねる、というのが本当に出来れば、クリスチャンにとって
>これ以上の幸せはないんじゃないでしょうかね。
どうしてこれがクリスチャンにとっては幸せなの?
759 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:39
不幸でも幸せだと思い込まなければやってられないほど
信仰生活というのは虚しいものであることを露呈しているんじゃない?>758
>759
なるほど、説得力ありますね。
761 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:49
モチロン全く逆ですね。つまりもう本当に完全に、
神に甘えてしまうということなんでしょうね。
全部神にお任せしちゃおう、と。自分にとってつらい事も悲しい事も全部
神の御前に差し出して、大声あげて泣いちゃおう、と。
作家の誰かがクリスチャンになったときには、
「あぁ、これで死ぬ時には『イタイイタイ!!』って泣き喚いても
良いんだ」って言ったそうです。だからそういう自分の弱さや
傷つきやすさを、全部神に受け止めていただいて、全部を御心に
委ねて甘える事で、安心感を得られる。それが幸せなんじゃないですか。
762 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:49
神は差別をしません。
貴方の明確で強烈な思いは具現化します。
それが「恨み」という思いでもです。
763 :
名無しさん@1周年:02/08/22 12:53
不幸なことでも幸せだと思うことが出来れば、確かに楽だな。
出来るか出来ないかは別にして。
764 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:01
不幸を幸せだと捉えることは本当に難しい事だと思います。
でも神はそういうときに泣き喚く自分を、受け止めてくれますからね。
やっぱり、それはすごく幸せなんじゃないですかね。
自分以上に苦しんだ方が自分を慰めてくださるからこそ、
思いっきり甘えられる。
といっても、クリスチャンにとってもなかなか
難しいことなんですけどね・・・。
765 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:07
>>764 難しいこと、と言うより、不可能ですよ。
信仰も万能ではない、ということを認められたほうが楽だと思いますけど。
不信仰になるんですかね?それは。
766 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:20
不幸は不幸でいいだろ。
不幸を避けようとし、幸福を求めようとするから、動きが生ずる。
幸福だけなら停滞してしまう。
幸、不幸は停滞させないがために存在するような気がするが。
768 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:26
いや、別に何も求めているわけじゃないから「万能ではない」とも
なんとも思わないです。不幸自体を「これは幸せなんだ!!」と
思える事はまずないんじゃないでしょうか。そうじゃなくて不幸は不幸、
悲しい事はモチロン悲しい事なんだけど、やっぱり神はそこの部分を大事に
してくださる、ということをいつも忘れないようにすることが、
クリスチャンにとっても難しいことなんじゃないか、と。
「自分だけがこんな目にあって…」とか自暴自棄に陥ってしまったり
することも多々ありますから、そのときに神はいつでも受け止める用意をして
待っていてくださっているということを忘れちゃイカンな、と。
769 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:30
不幸を幸せだと思うなんてとんでもない。
不幸を求めてはいけない。
不幸な出来事から何かを学ばなければならない。
何かに気付かなければならない。
「汝の敵を愛しなさい。」とは、
「貴方を苦しめる問題を解決したければ、その問題をよく理解しなさい。」
という意味だ。
770 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:35
>>768 これ以上レスつけても恐らく平行線だと思いますので、もうこの辺で止めますが...
神は受け止めてくれませんよ。待ってもいません。
他人の信仰を挫くようなレスばかりつけて申し訳ないです。スマソ
771 :
名無しさん@1周年:02/08/22 13:45
>>770 そうですね、おそらく平行線でしょうね。
でも私に謝らなくても全然良いですよ、私の信仰は
全く挫かれてませんから。
主に感謝。
772 :
名無しさん@1周年:02/08/26 11:17
773 :
名無しさん@1周年: