>>107 やあ。
そうだよね。
カッコいい奴の生き方は、参考にしよう。
イエスだって、ブッダだって、クリシュナだって。
神の言葉と新福音書
第一章
第一節
「羊飼いは、羊を屠殺場に連れて行く。
漁師は、網にかかった魚を市場に運ぶ。
だから迷える子羊よ、たとえ狼に食い殺されようとも、
羊飼いには捕まるな」
なんてね。
新しく聖書を書き直すのは、
どんな罪悪よりもスリリングだなあ。
109 :
名無しさん@1周年:02/03/29 21:22
>>108 新しく聖書を書き直すことなんて、
そこらの牧師が毎週日曜にやってるよ。
歴史上、聖書を書き直そうと試みた者はどれほどいただろうか・・・
マルキオン、モンタヌス、サベリウス、ペラギウス、アリウス、ユニテリアニスト
彼らは、生前多くの人々から絶大な支持を受けた。
だが今日、彼らの名を知る者はどれほど存在するのであろうか。
聖書、長い歴史の中で多くの人々に愛読されたが、
また同時に、多くの人々からも迫害されてきた書物でもある。
私が知る限り、歴史上これほど迫害された書は他には無い。
聖書を読むことすら禁じられ、また聖書は焼かれた。だがそれにもかかわらず、
聖書は今日多くの人々に支持され愛読され続けている。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、
わたしの証人となります。 使徒の働き1:8
こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常
にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。 使徒の働き6:7
この聖書の言葉の成就は科学技術が発展した今日、世界中の至るところで見る事ができる。
果たして、私たちは聖書を二千年前の古代に属する書として退けて良いのだろうか・・・
「私は聖書を、これまでに神が与えた最上の賜物と信じる。世の救い主から発する一切の良きものは、 この書を通してわれわれに伝えている。」 リンカーン
「人間のための書物としての聖書の存在は、人類がかつて経験した中で最大の恵みである。
その価値を減らそうといかなる企ても人類の罪悪となる。」 イマヌエル・カント
「いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中には確かな真理が存在する。」
アイザック・ニュートン
「人類の知的文化が進歩しようと、自然科学が進んでその広さと深さとを加えようと、
人類の心がその望むままに広くなかろうと、福音書から輝き出るキリストの高さと
道徳的修練を超えて行くことはできないであろう。」 ゲーテ
111 :
名無しさん@1周年:02/03/29 23:57
>>110 なんだか、権威のある人たちばっかりだね。
でも、僕のほんとうに好きな人が一人もいなかったんで、安心したよ。
で、僕がほんとうに好きな人の言葉を紹介します。
上に書かれたテレビショッピングの宣伝文句みたいな言葉なんか、
一発でぶっ飛ばしてくれると思うよ。
僕が大好きなボリス・ヴィアンっていう伊達男が書いた
「北京の秋」というファンタジー小説のなかの一節だけど、
ちょっといかついけど心優しきバスの運転手が、こう言うんだ。
「めくらの国へ行きゃ、片目の男は王様だぜ」ってね。
いかしたセリフだろう?
僕は、こういう、ボリス・ヴィアンみたいな男と、
イエスを並べて、楽しみたいんだ。
宗教なんて、どうでもいいんだ。
そんなものは、終わらせようなんてしなくても、もう、とっくに、
終わってるよ。
そんなのよりも、ダンディズムさ。
十字架上のイエスの姿を
「史上最高のダンディズム」として捉えた、
稲垣足穂みたいなものの見方ができないもんかね、
これからの二千年中にでもさ。
113 :
名無しさん@1周年:02/04/05 17:22
そうかな?
俺は「自分を捨て、自分の十字架を負え」と言ったイエスに
史上最高のダンディズムを感じるなぁ。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、
日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、
それを救うであろう。」 ルカの福音書9:23-24
最も、俺たちにはいわゆる宗教なんて必要ない。もし真のただひとつの宗教とは何か
と問われれば、それは「イエスの十字架」と答えるだろう。
イエスは言葉だけでなく業をもって十字架のダンディズムを証明された。
それは罪という人類最大の敵から民を贖い救出するために。
漏れもイエスが大好きだ。
ジョン・アンダーソンの声もいいが、
やはりスティーブ・ハウとリック・ウェイクマンだな。
でもクリス・スクワイアが居なければ
イエスはイエス足りえないだろうな。
>>113 うん。
反論されたような気がしないほど、いい話だと思う。
でも、ほんとうに、俺には、罪というのが、正直、ぜんぜんわかんないんだよ。
罪悪感がないというのか。
麻痺してしまってるんだろうか?
だから、以前、エリヤさんからいわれたときも、
十字架の話は、ぜんぜんわかんなかった。
福音書でも、イエスかが言ってること、話してることは、よくわかるんだけど、
地の文はあまりぴんとこなくて、
とくに、イエスが死んだあとの「使徒言行録」なんかは、もう、ぜんぜん、
オルゴールがちゃらちゃらいってるだけのような気がして、
どうしようもないんだな、これが。
116 :
名無しさん@1周年:02/04/07 13:36
アメリカで最も人々から愛されているゴスペル「アメイジング・グレイス」
を知っているかい? 出会いはいつも不思議なもの、そうさイエスとの
出会いも同じことさ。俺は人生という孤独な旅のなかで一度は自分を失ったが、
イエスとの数奇な出会いは俺に驚くほどの恵みをもたらした。
罪のうちに生き罪に溺れた俺にイエスは自由と勝利とを与えられた。
それはイエスとの数奇な出会いを経験した多くの人々も同じであろう。
この歌の作者のJohn Newton もその一人だった。
Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me,
I once was lost, but now am found,
Was blind, but now I see.
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved.
How precious did that grace appear
The hour I first believed.
Through many dangers, toils and snares,
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
117 :
名無しさん@1周年:02/04/07 14:18
>>116 >>117 うん。
そのゴスペルは、知らない。
というか、僕にとっては、ゴスペルは、ゴスペルというジャンルがひとつの曲であるような。
つまり、何も知らない。
でも、ありがとう。
ゴスペルは、じっさいアメリカの教会で聞いたら、いいだろうな。
ところで、僕は2チャンネルは、一日に一回訪れるかどうかなんだけど、
ひとつ、知りたいことがあるんだ。
キリスト教としての罪じゃなくて、
イエス自身が罪と考えたものを、
かなり純度高く抽出できないものだろうか。
僕はイエスのことは好きだが、ブッダの完璧さには驚嘆している。
イエスは、どちらかというと、欠点があるところが好きなんだ。
で、そういう僕の日々の生活感というのは、
じつは、まったく、神道的だ。
僕の住んでる、ここ、京都北山には、とくに、そういう雰囲気が漂っている。
僕は貴船神社や鞍馬寺を散策し、薄暗い杉林の中に
なんともいえない畏れ多いものを感じている。
そういう生活感のなかでは、キリスト教や仏教のいう罪悪感というのは、
なんだか、どうしても、押し付けがましいもののように感じられてならないんだ。
僕はいろいろ書くけど、普段は、まったく、平凡な男だ。
昔は、メチャクチャやった。
付き合ってた女に売春をさせたり、俺自身、ホモに体を売ってた時期もある。
もちろん金のためにやったのだが、金だけが目的じゃない。
そういう体験一つ一つが、俺にとっては、財産だった。
俺にとっての、黄金だった。
そして俺はそれらの経験を、ちっとも後悔していないし、忘れたいとも思わない。
だが、もう一度くりかえすことは、しないな。
もう飽きた。
今では俺は、浮気もしない。
しようとも思わない。
どうしてしたくないかというと、それは女房を悲しませるから、
息子と面と向かって目を合わせられなくなるから、
それから俺の感覚が鈍るから。
あと、最大の理由は、これは、さっきも書いたように、
神道的な感覚なんだ。
神道では、罪というのが、明確に規定されていない。
というか、罪がない。
ただ、感覚だけがある。
流れの感覚、神の流れとでもいうような感覚。
その流れに乗っていくと、どういうわけか、
まったくモラルがない状態でも、いわゆる罪というものを犯さなくなる。
ほんのちょっと手前で、それが退屈なものに思えてくる。
だから、俺の生きてる感覚からいうと、罪というのは存在してない。
ただ、ミスは、存在している。
そしてミスを犯すか犯さないかは、モラルの問題ではなくて、
生きることに対する才能の問題、注意深さの問題、
大胆さと繊細さの問題だと思っている。
まあ、こういうことを書くのも、俺がキリスト教というものに、
どうしてもなじめない性格からくるのだろうが、
この俺の違和感は、原日本人全体の違和感と、
かなり近いものなんじゃないだろうか。
よかったら、だれか、語っておくれ。
121 :
ジョン・小野・レノン:02/04/09 00:56
神とは、我々の苦しみを計る尺度だ。
122 :
名無しさん@1周年:02/04/09 01:01
神とは「愛」である。ヨハネ第一の手紙(4;8)
ジョンは神を憎んでたって、よく誤解されてたんだけど私は、彼ほど神に
すがりたいって思ってた人はいないと言いたいぐらいなのよ。実は。
124 :
名無しさん@1周年:02/04/09 13:37
120
付き合ってた女=今の女房?
125 :
名無しさん@1周年:02/04/12 16:37
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126 :
名無しさん@1周年:02/04/12 16:38
127 :
Mr.名無しさん:02/04/12 16:53
>>1 外見は、チビのブ男だったと言われている。
このコンプレックスを持った男が、
大きな川の小さな源流なんだね。
今ある宗教のほとんどの教祖は、コンプレックスから始まっている。
だから、愛や助け合いを説く教祖か、逆に自分を崇めさせる教祖
になる。
>127
>外見は、チビのブ男だったと言われている。
という根拠をキボンヌ。
なぜなら、イエスは「ラビ」または「ラボニ(ラブニ)=大先生の意」と呼ばれ
て、尊敬されていた。ユダヤ(ヘブライ)の伝統では、預言者は体つきが堂々として
身体障害や刃物創などはなく、背も高くてリッパでなくてはならないという通念が
当時はあった。
したがって、背が高くて、ある程度立派な体格をもって、顔立ちも十人並以上でない
と、「ラビ」とは呼ばれないはずなのだ。また、チビでブ男だったら、ユダヤの通念上、
群衆がついていって支持はしなかっただろう。
イエス時代の民俗や宗教のしきたりを調べると、そういうことになる。
チビでブ男だったという根拠を、提示してもらえるとうれしい。
129 :
ジェノヴァ:02/04/13 08:38
イエスがチビだったというのはアレキサンドリアのオリゲネス、ブ男というのはユスティノスや
テルトゥリアヌスなどの言い伝えによっている。ただこのような初代教会の伝承は、
メシア・イエスの到来を預言していると当時解釈されていたイザヤ53章2節などに基づく初代教会の
神学の表明に過ぎないと一般には考えられていて、史実としての信憑性はみとめられていないよ。
最古のイエスに関する情報を伝える共観福音書伝承にはまったくイエスの外貌などについての記録が
残されていないということは、結局イエスに接した人々にはイエスがとりたてて自分たちとは
異なる身体的特徴を持っているものとは映らなかったということを示していると思う。
>>130 確かにもしイエスに宗教画によく描かれているような天使の輪があったとしたら、
ユダヤ人たちがイエスを神の子と認めることは、容易だったのかもしれない。
吉沢さんしばらくお休みみたいだけど、私は毎日このスレを見ている。
キリスト・イエスでなく、人間イエスに注目したことに共感を覚える。
132 :
バプテスト喝:02/04/15 03:20
平和を愛するキリストにある友よ、エルサレムの平和のために祈れ。
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。
おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、
繁栄があるように。」
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。
「おまえのうちに平和があるように。」
私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。
詩篇122;6-9
133 :
名無しさん@1周年:02/04/15 03:35
134 :
バプテスト喝:02/04/15 12:39
↑
??? 誤爆か?
135 :
名無しさん@1周年:02/04/18 21:10
age
age
age
age
age
age
age
136 :
名無しさん@1周年:02/04/20 15:59
age age age age age age age age age age age
137 :
名無しさん@1周年:02/04/20 23:16
138 :
名無しさん@1周年:02/04/21 09:04
ところで、吉沢さんはいずこに・・・?
139 :
名無しさん@1周年:02/04/27 17:43
age
140 :
ペルシャ☆:02/04/27 22:18
わーの☆ わーの☆ ペルシャですの☆
ペルシャ、イエスさま大好きですのよ。みなさん、もっと語ってくださいの。
141 :
名無しさん@1周年:02/05/02 21:58
age
142 :
名無しさん@1周年:02/05/05 17:59
age
143 :
Sherra ◆rWqKQ/1. :02/05/05 18:06
いつも一緒にいた弟子が神様だと信じて
処刑されたんだからすごい人なんちゃう?
>>119 >>キリスト教としての罪じゃなくて、
>>イエス自身が罪と考えたものを、
>>かなり純度高く抽出できないものだろうか。
罪とは、
『殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
父と母を敬え。
あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
この戒めに反することを行うことではないですか?
145 :
Sherra ◆rWqKQ/1. :02/05/06 10:25
>>144 イエス様の考えていた罪はもっと幅が広かったみたいです。。。
146 :
名無しさん@1周年:02/05/06 10:51
>>143 馬鹿まるだしだね。弟子どころかパウロだってイエスを神だとは
思ってなかった可能性が高いつーのに。原理主義者はこれだから(pu
『書物としての新約聖書』でも読んで新約成立史について勉強しろ。
>>145 >>イエス様の考えていた罪はもっと幅が広かったみたいです。。。
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神である主を愛せよ。』これが
たいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』という
第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つ
の戒めにかかっているのです。》
この二つを行わないことかな?
『律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっている』と言っているくらいだから。
148 :
名無しさん@1周年:02/05/11 21:54
age
149 :
名無しさん@1周年:02/05/13 17:16
AGE
150 :
久々にマジレス:02/05/13 17:23
>>147 むもん氏
聖書が語る罪を理解するためには、
旧約聖書の創世記から読み進めながら、
創造論→堕落論→和解論・キリスト論→終末論と進まなくては、
聖書が語る人間の罪についての正しい認識はできません。
もしあなたが、本当に聖書の罪を知りたいと願うなら、
手順を踏んで学ばれることをお勧めします。
あるいは、正統的な教会の牧師にご相談されては如何ですか?
きゃい、きゃい!☆
あたしインドが大好き。
イエス様はペルシャにもインドにもいらしたのですわ!☆
152 :
アストラルボディ:02/05/13 17:49
153 :
名無しさん@1周年:02/05/14 02:15
152 はユニテリアンです。
はっきり言ってしまえば近代合理主義に溺れた異端です。
154 :
名無しさん@1周年:02/05/14 02:27
>>150 旧約の神の怒りっていうのはマジですごいんですけど、
そこに人の罪の深さやバラエティが示されている、
そういう風に思って読んでいいですか?
自分はむもん氏ではないし、いきなりの質問ですみません。
旧約聖書は新約の時代にいる私達にとって、新約聖書を通して読むべき
です。但し、信者限定。
旧約の神の怒りは、人の罪の深さというよりも
イスラエルとカナンの相克からとらえたほうがいいと思うけど。
157 :
名無しさん@1周年: