イエスという一人の男。

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1吉沢逸彦
歴史上最もミステリアスな男、イエスについて語り合えたらと思います。
僕自身としては、イエスが好きです。
たいへん魅力的な男だと思います。
皆さんの、忌憚なきご意見を伺いたいと思います。
よろしくお願いいたします。
2エリヤ:02/03/21 00:42
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3:16
3エリヤ:02/03/21 00:44
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、
あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。
あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16:33

4吉沢逸彦:02/03/21 00:49
>>2
「ひとりとして滅びることなく」
という言葉に、とても凄まじいものを感じました。
僕たち21世紀に生きる人間にとって、
旧約や新約の世界は、もう手のとどかないところにあるのでしょうか。
5吉沢逸彦:02/03/21 01:25
実は、僕は、以前、幻覚のなかでイエスに似た人物に会ったことがあります。
それは十年程前のことです。
僕が横浜に住んでいた時のことです。
その時、僕は、大麻を吸っていました。
大麻を吸って呆然としていると、六畳の端に、白く輝く衣を着た男の人が立っていました。
恐れた僕が、
「あなたはキリストですね」
と言うと、
その白い衣を着た人物は、
「そう。キリストはあなただ」
と言うので、僕はさらに怖れて、
「僕はキリストではありません。キリストはあなただ」
と言うと、その男の人は悲しそうな顔をして、
「そう。キリストはあなただ。私ではない」
と言いました。
僕は愚かにも、その問答を二、三度、繰り返しました。
そうして、その白衣の男は消えました。
幻覚から覚めた僕は、慌てて本棚に行き、そのころ一冊だけあった聖書、岩波文庫の「福音書」を手にとり、ページを開けました。
開いたページに、こういう言葉がありました。
「人に迷わされないように気をつけよ。いまに多くの人が現れて、『キリストは私だ』と言って私の名を騙り、多くの人を迷わすに違いないから。」と。
また、こうも書いてありました。
「人の子わたしの来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるように、はっきりわかるのであるから」と。
僕は、その聖書の言葉を読み、本当に稲妻に打たれたようなショックを受けました。
「キリストは私ではない。キリストはあなたなのだ」
と思ったのです。
その日から、僕は、他者とは何か、この僕と、世界とは何かということを、真剣に考えるようになりました。
このイエスの幻覚のことは、親しい友達にも語っていません。
どう喋っていいのかもわからなかったので。
ですが、僕としては、大麻に酔った幻覚にしても、世界と他者と、とりもなおさず、イエスを愛するきっかけになったので、とても大切な夢幻です。
皆さんは、どう思われますか。
「キリストは私ではない。キリストはあなただ」
と言う言葉は?
ヽ(´ー`)ノ東不可止ワショーイ!!
7吉沢逸彦:02/03/21 01:40
>>6
まったく、そうですね。
僕も、僕の全ての幻覚をシカトしようと思います。
僕の過去を。
すべての歴史を。
8吉沢逸彦:02/03/21 01:55
僕はこう思うのです。
「イエスはブッダを尊敬していただろう」と。
また、こうも思うのです。
「イエスの称える父はアラーであり、彼の実の父であるヨセフであり、あなた自身の父でもあっただろう」と。
僕はこうも思うのです。
「イエスは羞恥心をすべてかなぐり捨てた、あなた自身であるだろう」と。
9名無しさん@1周年:02/03/21 01:56
>>5その答えは福音やカッバーラに隠されてるかも・・・。
10吉沢逸彦:02/03/21 02:02
>>5
というのは、どういうことでしょうか?
おしえてください。
どんなに厳しい言葉でもうかがいたいと思います。
ヒントだけでも、お願いします。
11エリヤ:02/03/21 02:23
あなたは、確かに招かれています。主は、求める全ての者に近づいて下さいます。
能力によらず、権力によらず、ただ、主の恵みによって・・・
 ↓
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11:28-30
12名無しさん@1周年:02/03/21 02:25
お釜巫女マリアが喜びそうなネタだね。
格好のかもかも・・・。
13名無しさん@1周年:02/03/21 02:36
イエホシュアは、40日にわたる断食行で
飢餓幻覚を見ていたという精神科医の分析あり。
14brown:02/03/21 02:42
>吉沢逸彦さん
まあ,すごい体験をなさっているのですね。
大麻というのは吸うとどんなような気分になるのですか?イエスの幻覚というもの
はどのように見えるのでしょうか。くっきりと?夢のよう?ぼんやりと?
15吉沢逸彦:02/03/21 02:51
僕は、数分前に、このスレッドは、つまらないと思って、
新しいスレッドを立てようと思ったのですが、
「スレッドの立てすぎです」という表示が出て、あきらめました。
その時立てようと思ったスレッドは、
「神の言葉と新福音書」というものです。
もちろん、すでにある福音書を新しく書き足すということが
どれだけの罪であるかはわかっています。
ですが、イエスがモーゼの律法にそむいて、
自身の胸の中にある愛の国だけに集中して
二千年前に新たな福音を命懸けで説いた事実には感銘を受けます。
もちろん、僕たちは命懸けで一つの言葉を語ることはできませんが、
それでも、日々の生活の中で、大切にしている言葉を、
ここで放つことはできるのではないでしょうか。
ちなみに、僕の思う「神の言葉」は、
前にも書いたとおり、
「救世主はあなただ」
ということと、
あと、これは、ちょっと小声になるのですが、
「労働は諸悪の根源である」
ということです。
皆さんのふるっての書き込み、お待ちしています。
16名無しさん@1周年:02/03/21 02:55
そういうネタならマリアスレッドにでも行きなさい。
そういう関係の連中がうじゃうじゃいるから。誰かが相手してくれるよ。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1012275465/l50
17エリヤ:02/03/21 03:04
吉沢さん、実はあなたに是非考えていただきたい事があるのです。
なぜ、キリスト教や教会では「十字架」があるのでしょうか?
なせ、クリスチャンは「十字架」を誇りとしているのでしょうか?
十字架とはローマ帝国の死刑の道具です。最も残酷な死刑の道具でした。 

イエスは、その「十字架」の上で死なれました。 
いったい何のために? いったい誰のために?
その「十字架」のどこに「救い」の意味があるのでしょうか?

吉沢さん、これはあなたの人生にとって本当に大切なことです。
是非、その答えを探し求めてください!
あなたは、けっしてイエスから遠く離れてはいません。
18エリヤ:02/03/21 03:04
その鍵となる聖書のことばを、あなたに贈らせて頂きます。
 ↓

あなたがたが召されたのは、実にそのためです。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、
あなたがたは、いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、
今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
ペテロの手紙第一2:21-25

19吉沢逸彦:02/03/21 03:21
>>14
brownさんへ
これは、もちろん、僕の幻覚としてだけ語りたいと思います。
その人がイエスかどうかはわかりませんが、その白衣を着た男の人は、
僕がそのころ住んでいた横浜の藤が丘にある
谷本荘というぼろアパートの102号室にあらわれました。
大麻を吸うと、これはとてもうまくいった場合ですが、
時間と空間の感覚が完全になくなってしまいます。
つまり、自分と世界の境い目がすっかり消え去ってしまうのです。
もちろん、こういうことは、めったにありません。
ほとんどの場合は、僕たちが日ごろ見る夢とおなじように、
自身の欲望や欲求不満を幻想としてあらわすに過ぎません。
僕がその時見たイエスのすがたも、そういうネガティブな心象の反映かもしれません。
ですが、僕はここ十数年、夢日記をつけているのですが、どうしても自分の心理とはかけ離れた夢というのも、時折、見ます。
そういう夢を見たときの気分は、ただ、ただ、恐怖です。
僕がイエスの幻影を見たときも、そうでした。
それは、いわゆる現実といわれるものより遥かにリアルで、
くっきりとしており、
目の前に確かに立っているのですが、
そのまま心にじかに語りかけてきて、
目を背けられないものでした。
たとえその人がイエスでなかったとしても、
誰かと、真剣に、面と向かって、
正直に語り合うのは、恐ろしいことではありませんか?
ですが、彼自身は、少しも恐ろしく振舞うことはありませんでした。
どちらかというと、僕のことを、憐れんでいるように見えました。
「どうしてこのくらいのことがわからないのだろう」と。
彼は、悲しんでいるように見えました。
20エリヤ:02/03/21 03:29
吉沢さん、あなたは、この聖書のことばを読んで、どう思われますか?

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6:23

私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2:20
21吉沢逸彦:02/03/21 04:01
エリアさんへ
ありがとうございます。
僕は、あなたの言葉を読み、衝撃を受けました。
ですが、答えは見つかりません。
ただ、あなたのような方がおられることに、感謝しました。
僕はずっと孤独でした。
もちろん、僕には妻もおり、11ヶ月になる息子もいます。
僕は妻と息子のことを愛していますが、愛は無限に広がっていきます。
孤独なはずはないのですが、どうしても世間的には孤独でした。
でも、今日、何かが変わったのです。
僕は、もう、罪を犯すのが嫌になりました。
僕自身はすでに罪を犯さなくなっていたのですが、妻が罪を犯すことをずっと容認していたのです。
今日、つまらないことで妻と喧嘩をしました。
そのあと、とにかく、一切罪を犯すのをやめようということで、
どうにか生活を続けていくことになりました。
僕は、今日の午前中、(正確にいうと昨日ですが)、E・ルナン著の「イエスの生涯」を読み終えました。
昨日までは「蜜蜂も蜂蜜によって作られる」という小説を書いていたのですが、
この小説は、イエスが十字架を降りるところまで書きました。
ですが、ここで、終わりです。
明日から、第一章から書き直そうと思っています。
もはや、新人賞に応募しようとも思っていません。
新人賞に応募しても、賞をとることはないでしょう。
僕としては、ただ、ただ、イエスが見たかもしれない愛の王国をこの物語のなかで表現できたら、それでいいと思っています。
僕は、どうにかして、自分自身を越えていきたい。
そう思っています。
また、なにかあったら、おしえてください。
今日のご質問は、明日からじっくり、小説を書きながら、考えたいと思います。
また、よろしくお願いします。
きょうのところは、このへんで。
おやすみなさい。
「すべての生きとし生けるものに平安がありますように」
22brown:02/03/21 22:58
>誰かと、真剣に、面と向かって、
>正直に語り合うのは、恐ろしいことではありませんか?
そうか,あなたは孤独と会ったんだな。その人は孤独と呼ばれている。
だから彼は言う。それはあなただと。そこにはあなたしかいないよと。
人は死ぬとき一人で死んでいく。人は神に会うとき一人で会う。人は舞台に立つ
とき一人で立つ。人は真剣に何かをなすとき一人で捜し求め,成し遂げる。
神ではなく人間が造ったものに囲まれているとき,孤独と出会うことはない。
神が創りたもうたものと触れるとき,直に接触するとき,人は孤独に出会う。
孤独に出会ったとき,人は自分が何もので,何をしなければならないのか,
自分で神に問わなければならない。人間が造ったものが介在することなく,
神が創ったものに問わなければならない。この孤独の問いは恐れを引き起こす。
23マリア:02/03/21 23:01
良き語り合いが続いているわね。良い事だわ。
24名無しさん@1周年:02/03/21 23:12
>17
そこがキリスト教がパラドックスの宗教であるという由縁です。
ご一緒にキリスト教のお勉強をしませんか?
25マリア:02/03/22 02:05
>>21
十字架を降りたのは吉沢さん自身です。救いのための十字架を担ったのがキリスト・イエス
です。「キリストはあなただ」という「幻覚」は、罪の重荷に耐え切れないあなたが「小さ
なキリスト」として、あなたに相応しい十字架をイエスと共に担ってゆくこと、すなわちキ
リストに従って生きるようにとの励ましと私は考えますが、いかがでしょう。それとも、私
はわずかな言葉であなたをキリスト者にしようとしているだけでしょうか。^_^
26マリア:02/03/22 02:08
>>25この方は別のマリアさんね。おまちがえなく。
27父なる神:02/03/22 02:16
こんな所にこんなスレがたっておったか。

イエスは働き者だな。色んな所に出没しとる。
ちなみに余の方は怠け者だ。筋金入りの(w
が、このゴロゴロも何時まで続く事やら・・・。

が、余もちょこっと眠くなった。眠気と食い気には勝てんのだな。
しかし、色気には人並みよりも強いぞ。なんせ、神だから。
が、やはり、眠い。
であるから、ネンネする。

||寝室||Ю o(▽` o) =3 =3 =3 オヤスミー♪
28エリヤ:02/03/22 05:04
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、
その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、
『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
ルカの福音書15:4-7

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
マタイの福音書7:7-8
29エリシャ:02/03/22 16:11
ただし、その1匹の羊が、飛び切りの上物であった場合の話だからな。
30名無しさん@1周年:02/03/22 17:57
>>29
そんな戯言を、言うおまえが哀れだ。情けない・・・
31吉沢逸彦:02/03/24 19:23
「いいところだね」
 と男は言った。
「ありがとう」
 と三姉妹は答えた。
「きみたちは?」
 と男は訊ねた。
「あなたよ」
 と、三姉妹は同時に答えた。
32名無しさん@1周年:02/03/24 19:27
イエスと宗教は全く関係ないと思う。
この男は研究する価値ありだが 宗教は研究対象になりえない。
33吉沢逸彦:02/03/24 19:30
>>32
同感だな。
34エリヤ:02/03/24 22:07
私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
35エリヤ:02/03/24 22:08
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
旧約聖書・イザヤ書53:1-12
36名無しさん@1周年:02/03/24 22:22
聖書ってなんでこんなにわけわかんないのでしょう。
日本語にしろっての。
37エリヤ:02/03/24 22:39
>>36
これは、メシア(救い主イエス・キリスト)到来に関する、イザヤの
預言のことばです。
あなたも、この機会に聖書を学ばれてはいかがですか。
38名無しさん@1周年:02/03/24 22:42
きっと飛び切りのハンサムだったと思われ。
39名無しさん@1周年:02/03/24 22:45
つーか、預言で未来は開けているとでも言われないと、とてもやってられなかったんだろ。
世の中には右から左まで、未来を予言した言葉が満ちているけど、その中の一つが
当たったからといって何の不思議もない。
40名無しさん@1周年:02/03/24 22:48
弟子達が旧約聖書を参考にして新約聖書でイエス伝をねつ造した可能性も否定できないしね。
41エリヤ:02/03/24 23:20
さあ。 それは、どうかな?(笑)
42吉沢逸彦:02/03/25 15:42
>>22のbrownさん
>>25のマリアさん
それから、たくさん書き込んでいただいたエリアさんに、
返事を書こうと思ったのですが、どうしても真正面から書くことができません。
というのは、どなたの意見もじつに真摯な情熱から来る洞察力に満ちていて、
僕としてはドキドキさせられたのですが、
そのドキドキする気持ちを真正面から書こうとすると、
すぐに、とても色あせた世界に巻き込まれてしまいそうで、
ためらったのです。
きのうの夜、そんなことを考えながら本棚の坂口安吾を手にとり、
「不良少年とキリスト」という、おもに太宰治との交友のことを書いた文章を
ぱらぱらとめくっていると、
「やはり僕たちにとっては、モラルがないということがモラルなんだ」
というような坂口安吾の言葉を思い出し、
自分にとっての罪というのは、何なのか、ということを漠然と考えました。
そこで思い出したのが、イエスの、
「淫らな思いで他人の妻を見るものは誰でも、
すでに心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるのなら、
えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、
全身が地獄に投げ込まれないほうがましである」
という有名な山上の垂訓の「姦淫」に関するくだりですが、
この一節は、時代の限界というか、イエス自身の心の置き所が
あまり良くないな、と改めて思ったのです。
43吉沢逸彦:02/03/25 15:47
僕たちは、浮世絵という非常に大らかで同時に美しくもある
性に関する芸術を生み出した江戸人たちの末裔なので、
ポルノグラフィを眺めることぐらい、どうってことない。
それどころか、ポルノグラフィに見惚れながら神を賛美することもできるだろう。
宇宙の果実を探求し、味わうことができるだろう。
そう思ったのです。
そこで、いまの自分にとって、最も切実なモラル、
罪悪といわれるようなものをあげるとすると、
それは、先ほども書いたとおり、
ドラマチックな世界に巻き込まれること。
既存の宗教にしても、政治にしても、それらにすべて共通なのは、
ある種のドラマチックさが存在しているということではないか?
ドラマチックなものに真正面から対応してしまうと、
過去の歴史に引きずり込まれてしまう。
2,000年前のイエスという一人の男がしようとしたこと、
そしてなしえたことの重要な鍵が、
彼が生きた時代にとっての過去の歴史、
ユダヤ教の歴史に引きずり込まれることなく、
ユダヤ教の用いた用語やモラルを駆使して、
「神の国」という「岸のない海」のイメージを、
人々の身体に燃え立たせようとしたことのなかにあるような気がするのです。
もちろん、その彼のとった卓抜な方法論は、彼の死後、すぐに、
彼の敵であった聖書学者たちによって、ふたたび、
「王の国」、「岸に囲まれた海」をさらに堅固なものにするために、
再利用されます。
そうしてできたのがキリスト教だと僕には感じられてならないのです。
ですから、僕は、イエスには興味がありますが、
キリスト教にはまったく無関心です。
すべての宗教や、教義、儀式、敬虔さといったものに、なんの重要性も見出せません。
44吉沢逸彦:02/03/25 15:50
ところで、話は変わって、というか、螺旋形に進行するのですが、
世界中にマリア信仰は盛大に普及しているのに、
どうして、イエスの父、ヨセフに対する信仰がまったく皆無といってよいくらい
見当たらないのでしょうか。
僕は以前にも書いたとおり、イエスが「天にある私たちの父」という概念を
発見したきっかけは、イエスの父ヨセフの死にあるような気がしてなりません。
ヨセフは大工、その後イエスが説くようになる「地の塩」のような
寡黙な、義の人だったのではないか。
イエスが布教をはじめてからのヨセフの記述は見当たりません。
おそらくヨセフは、その前に、死んでいる。
イエスの思想は、教義から生まれたのではありません。
彼の思想は、生き生きとした感情、
音のない音楽の洪水のようなものの奔流から生まれ、
思わず口をついてでてきたものです。
彼は宗教家である前に、ランボーや、モーツァルトのような、
人類が得たなかでも最大級の即興詩人であったことを
思い起こすべきではないでしょうか。

僕がイエスの言葉のなかで、いま、最も好きで、未来を感じさせるものは、
次の二つです。

「空の鳥を見てごらん。蒔かず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのです」

「野の花の育つのを、よく見てごらん。苦労をせず、紡ぐこともしない。しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン王でさえも、この花の一つほどに着飾っていなかった」
45油食む:02/03/25 16:01
 ヨセフがなぜ、マリアほどに有名にならなかったか?
 そりゃ、あたりまえじゃん。「新約」の記述からはじまる「マリアの処女懐妊」
がクローズあっぷされて、ヨセフは「イエスにとっての養父」にすぎない、という
暗黙の了解が流布されたからさ。
 別に悩むほどのことじゃない。

 それから「大麻」で酔ってイエスらしき人間とであったというが、イエスも使徒
たちも大麻なんてやってなかっただろうが。前提条件がちがうのに「イエスだ」と
いうのは「まどわしの霊」だと思う。気をつけた方がいいよ。
46油食む:02/03/25 16:57
 イエスは、当時「ラビ」とも呼ばれた。つまり、「旧約バイブル」をものすごく
熱心に学んだ人物。パリサイ派と舌戦をくりひろげたが、当時のパリサイ派(律法
学者)は、「旧約聖書」をぜんぶ暗記している人々だった。イエスももちろん、旧約
はぜんぶ暗記していた。

 そういう背景を考慮せずに、新約の記述だけで雰囲気的にイエス解釈をするという
「情緒的解釈という名の誤謬」にも注意されたし。
47名無しさん@1周年:02/03/25 23:05
>>44

雅歌なんてめちゃえっちぃけどね


4:1 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう/ベールの奥にひそんでいる。髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れ。
4:2 歯は雌羊の群れ。毛を刈られ/洗い場から上って来る雌羊の群れ。
対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
4:3 唇は紅の糸。言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい。
ベールの陰のこめかみはざくろの花。
4:4 首はみごとに積み上げられたダビデの塔。
千の盾、勇士の小盾が掛けられている。
4:5 乳房は二匹の小鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。
4:6 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に/
ミルラの山に登ろう、乳香の丘にわたしは登ろう。
4:7 恋人よ、あなたはなにもかも美しく/傷はひとつもない。
4:8 花嫁よ、レバノンからおいで/おいで、レバノンから出ておいで。
アマナの頂から、セニル、ヘルモンの頂から/
獅子の隠れが、豹の住む山から下りておいで。
4:9 わたしの妹、花嫁よ/あなたはわたしの心をときめかす。
あなたのひと目も、首飾りのひとつの玉も/それだけで、わたしの心をときめかす。
4:10 わたしの妹、花嫁よ、あなたの愛は美しく/
ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。
あなたの香油は/どんな香り草よりもかぐわしい。
4:11 花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ/舌には蜂蜜と乳がひそむ。
あなたの衣はレバノンの香り。
4:12 わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉。
4:13 ほとりには、みごとな実を結ぶざくろの森/ナルドやコフェルの花房
4:14 ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン/乳香の木、ミルラやアロエ/
さまざまな、すばらしい香り草。
4:15 園の泉は命の水を汲むところ/レバノンの山から流れて来る水を。

15節なんてもうすごすぎー
48musterd seed:02/03/26 00:24
イエスと会ったのは本物だと思うよ。彼は今も活動している。
私たちは慈悲深く見守られている。私はこれに何の疑いもない

金大中が日本で拉致された時に、イエスに会ったのだそうだ。
そのとき金大中氏はもう終わりかと思ったそうだ。
49衛星第2:02/03/26 23:22
映画「ベン・ハー」   はりつけシーン放映中
50イリヤ:02/03/26 23:38
なんてこと、するんだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
51Mocc ◆NvOWunKc :02/03/26 23:59
あ、クリスチャンさんは
‘聖書の世界の2ちゃんねる‘にも顔を出してくださいね。
‘ネットのクリスチャンリスト‘後継すれとして
みんなでおしゃべりしたいので♪よろしく☆☆☆☆☆
52:02/03/27 00:06
両どなりの1人は、ののしり、1人は信じた。    そちらにも行こうっと。
53名無しさん@1周年:02/03/27 00:45
日本にはイエスがたくさんいる。
54名無しさん@1周年:02/03/27 00:45
日本に沢山いるのは、ユダだろ。
55名無しさん@1周年:02/03/27 00:46
日本に沢山いるのは、偽キリスト。
56名無しさん@1周年:02/03/27 00:46
YES man
57うんにゃ:02/03/27 00:50
鈴木さんだ。
58説明求む:02/03/27 12:40
>44

 ギレアド、ミルラ、アマナ、セニル、ヘルモン、ナルド、等の固有名詞についての
解説をよろしく。なにがなんだかわからん。
59知ってるつもり:02/03/27 13:28
本人は消極的なようだったけど、
やはり「奇跡」あっての「神の子」だったと思うのですが、
イエスの奇跡についての記述はいつ(イエスがいくつの)ごろからあったのでしょう?

また死後の奇跡(死後3日目の復活)以降、
一番最初に起きた奇跡はなんですか?
60名無しさん@1周年:02/03/27 13:40

奇跡なんて信じているやつはアホ。脳みそあるのか?
あんなのは宗教上のつくり話にきまってるだろう。

イエスが単なる人間で、奇跡なんかはまったく起こさなくても
彼が偉大であることに変わりはないよ。そこんとこに気付かないようでは
キリスト教を理解したとはいえないな。
61名無しさん@1周年:02/03/27 13:44
>>60
たぶんキリスト教が何たるかを知らない人と見た
奇跡が第一ではないがキリストに関しては奇跡を否定すると
教理そのものが否定されることになる
62知ってるつもり:02/03/27 13:58
>>60
アホで悪かったな(w
というか、このあいだの「知ってるつもり」
最終回を見た程度の情報しかシラネーヨ。
63名無しさん@1周年:02/03/27 14:01
まさに「知ってるつもり?」
64ジェノヴァの商人:02/03/27 14:28
>>58
だいたい、このような意味です。

ギレアド…ヨルダン河東の町(士師10;17、ホセア6;7)、またはヨルダン河東のある地域
ミルラ …没薬の一種
アマナ …アンティ・レバノン山脈の峰の一つ。
セニル …アモリ人の間でのヘルモン山の名。(申命記3;9)、ヘルモン山脈の一部の名称。
ヘルモン…「聖なる山」を意味する、パレスチナ北部の秀峰。
     現在はジュベル・エシュ・シェーク(白髪の山)と呼ばれている。
ナルド …ヒマラヤ山脈の高地に産する甘松香。 その根から採取した「ナルドの香油」
     は高価な香料であった。(マルコ14;3)
     この名称はサンスクリットのナラダー(かぐわしい)に由来し、
     古代からインド人により薬用とし、香料として使用されていた。
     また、パレスチナにまで運ばれてたが、
     その遠さがこれを非常に高価なものとしていた。
     ソロモン王(雅歌の著者)はその植物を取り寄せて庭園に植えたといわれている。
65オナン:02/03/27 15:08
>>54
聖書辞典って本があってね、特に名詞ならほとんど載ってるんよ。
だから、その道の人でなくても調べられるのさ。
66ジェノヴァの商人:02/03/27 15:16
その通り。今は本当にいい本が出ているね。
67名無しさん@1周年:02/03/27 15:17
イエスは、史上最高の男です。
彼に勝るものは、いません。
68スポイト:02/03/27 15:17
処女ニンシンは、現代の試験管ベイビーだったのであーるぅ。
69名無しさん@1周年:02/03/27 15:19
イエスは、史上最高の神です。
彼に勝るものは、いません。
70知ってるつもり:02/03/27 15:41
>>69
キリスト教徒はキリストを通じて、ユダヤ教の神(ヤーウェ?)
を崇拝していることになるの?
71オナン:02/03/27 15:42
>>68
そうじゃないかと思ってたんだ〜(笑)。
72説明求む:02/03/27 16:19
>64
ありがとう。でも、やっぱりよくわからん。

Q1 ギレアドって、位置的にはヨルダン川の東っていうけど、ヨルダン川ってどんな
川? それからギレアドって、どんな土地よ。風土や気候はどんなよ。植生は?
どんな動物がいて、主要な人口や産業はなんなのよ。

Q2 没薬ってなんなの?

Q3 アモリ人ってなんなの?

Q4 ヘルモンてどんな山さ。標高は?位置は。アンティレバノン山脈もどんな山脈よ。

Q5 ナルドの香油って、どんな香りさ。高価というが現代だと単価どれぐらいよ。

 上記のようなことがわからんでは、雅歌が素晴らしいっていわれたって、単なる情緒的
雰囲気的解釈でおわっちまうだろーに。
73名無しさん@1周年:02/03/27 16:25
オナ、オナ…ニー
74名無しさん@1周年:02/03/27 16:25
>1
現実を教えてしまうのは気が引けるが、
実はキリストはただの害基地で、
後のクズ共が勝手に話をでっち上げたのだよ
ガッカリしただろうが、気を落とさずに生きていけよ
75名無しさん@1周年:02/03/27 16:29
というわけで、終了しよう。
76名無しさん@1周年:02/03/27 17:06
>72
山形孝夫「レバノンの白い山」(未来社)を読んでみ。
この本は雅歌とレバノンの関係を扱ったもの。
宗教人類学の視点で雅歌の解釈を取上げてて、おもろい。
あなたの疑問解消に少しは役立つかも。

おれも昔レバノンにいったことがあるが、
その頃は、まるで中近東の中の西欧みたいな感じだった。
今はグチャグチャだろうが。
77ジェノヴァの商人:02/03/27 19:17
>>72
ギレアド(ギルアデ または ギレアデ)
  聖書の記録によると、牧草が豊富で、牧畜が盛んに行われ(ミカ7;14、歴代誌上5;16、
  雅歌6;5)乳香も産していた。(エレミヤ8;12、46;11) 乳香とは、アラビヤなどに産する
  数種の乳香樹の分泌物を乾燥させた香料。
ヨルダン川
  現在のイスラエルとヨルダンの国境、ガリラヤ湖から死海に流れる川。
没薬(もつやく)
  今でいう「胃薬(健胃剤)」です。
  アフリカ北東部などに生える「ミルラ」という木の脂(ヤニ)から製したもの。
アモリ人(アモリびと)
  パレスチナ一帯に住んでいた住民。彼らの土地「アムルー」はパレスチナから
  メソポタミヤに及んでいた。BC3000年期に、バビロニヤ人はシリヤ・パレスチナ
  を「アモリ人の地」と呼んでいた。BC1830年、アモリ人はバビロニヤ第一王朝を
  建てた。この王朝でハムラビ王は最も重要な王であるが、ヘテ人が起って、
  BC1530年頃、この王朝は終った。ヘブル人の征服以前にアモリ人はカナンに
  住んでいた。
アンティレバノン山脈
  パレスチナ北部にそびえるレバノン山脈のうちのひとつ。
  山脈はレバノンとアンティレバノンの二つの連峰からなる。
ヘルモン山
  海抜2814mで、頂上は三つの峰からなり、四季を通して雪をいただき、
  ヨルダン川の主な水源となっている。アンティレバノン山脈の最高峰。
78ジェノヴァの商人:02/03/27 19:17
>>72
ナルドの香油
  マルコの福音書によると、イエスの頭に注がれた「香油」は当時で300デナリ以上
  の価値があったとされていた。 300デナリとは、当時の労働者の約1年分の賃金。
  ナルドの香油は、聖書時代「油注ぎ」の儀式などに用いられた、油は神の霊の象徴で
  あるので、油注ぎは祭司の任職の際、聖別のしるしであり、早期の王は油注ぎによって
  即位し、王は「主が油注がれた者」としての神聖な身分が保障された。
  尚、「キリスト」という名は「油注がれた者」という意味の名である。
ヨルダン川、アンティレバノン山脈、ヘルモン山の位置
  具体的な位置は、地図を見てください。「聖書」をお持ちであれば、聖書地図が付録に
  ついていると思いますので、調べみると良いでしょう。

大まかですが、以上のような意味です。 わかりましたか〜???
79名無しさん@1周年:02/03/27 20:29
高岡英夫コレ最強
80解説求む:02/03/27 21:44
>ジェノバの商人
 
 解説ありがとう。前よりはよくわかった。

 それでは、あらためて詳細質問。

Q1.ヨルダン川って、幅はどれくらいなの? 日本の川でいうと、どんな川が近い?

Q2.ヘテ人って何?

Q3.ナルドの香油のにおいは、何のにおいに似ていますか?

Q4.1デナリって、現代日本のレートで換算すると、どれくらい?
81名無しさん@1周年:02/03/27 21:48
>>80
とりあえずイスラエル行って来い。
82解説求む:02/03/27 21:51
 すまんな>81

 イスラエルいっても、ナルド香油の香りも、デナリのレートもわからない
と思うから聞いているのだ。おまえが知ってるなら、教えてたもーれ。
83名無しさん@1周年:02/03/27 21:53
Q4
1デナリは約1万円と聞いたことがアル。
だいたい日雇いの1日分の賃金ぐらい、とも。
84油食む:02/03/27 22:22
>83
 なるほど、疑問ひとつ解けた。ありがと。するとナルドの香油って300万円した
わけだ。でも、分量はどれぐらいだったのかな。香水瓶ひとつぐらいかな。

 とすると「雅歌」をかいた人は、そういう高価なものを知っていた貴族や王族
階級や上流階級の人だね。貧乏な大半の庶民は、そんな高価な香料なんて、一生
無縁だっただろうからね。

 でも、そんなバカ高い香料のにおいっって、どんななんだろう。どこか、その
「ナルド」のにおいを、現代でもかげる場所って、この日本にないかね?だれか、
教えてたもーれ。
85名無しさん@1周年:02/03/27 22:54
油を注がれたもの・・・火に油か?
自戒せねばよく燃える。火は業火とでもしとこう。

漏れは今仕事の息抜きに油売ってるところだがな。
86ジェノヴァの商人:02/03/28 01:01
>>80
あとは図書館などで、ご自分で調べて下さい(笑)
因みに、私は全て自分で調べて学びました。
87名無しさん@1周年:02/03/28 01:05
>>86
そんなケチなこと言わずに
教えてやってくれ。
88名無しさん@1周年:02/03/28 01:21
ヘテ=ヒッタイト
89エリヤ:02/03/29 01:03
それから、イエスは弟子たちに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、
それを見いだすのです。
マタイの福音書16:24-25

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2:20

しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが
決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、
私も世界に対して十字架につけられたのです。
ガラテヤ人への手紙6:14
90Mocc ◆NvOWunKc :02/03/29 01:16
ふむふむ・・・
91少年A・17歳:02/03/29 01:18
ユダヤ人は、なんて事をしちまったんだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
92名無しさん@1周年:02/03/29 01:39
>>84

>でも、そんなバカ高い香料のにおいっって、どんななんだろう。どこか、その
>「ナルド」のにおいを、現代でもかげる場所って、この日本にないかね?だれか、
>教えてたもーれ。

イスラエルで嗅いできましたが、お花のあまーい香りでした。
お土産店で売っている。 デパートの香水売り場で4〜5種類の
香水を一度に吹きかければそんなにおいと思われ。

93Mocc ◆NvOWunKc :02/03/29 01:49
>>92
当時は香料を分離するのが大変だったんでしょうね。
94解説求む:02/03/29 02:09
>>92

ありがとう。大変に参考になりました。お花の甘い香りですか。かいでみたい。
95解説求む:02/03/29 02:15
 下記で買うことにしました。割高かもしれないが、仕方ない。

http://www.myrtos.co.jp/index.html?url=http://www.myrtos.co.jp/online_shop/oil.html
96名無しさん@1周年:02/03/29 02:25
>>95
7mlで3.000円ですか・・・・高いですね。輸入品だから仕方ないかも。
イスラエルのみやげ物店では1.000円くらいだった。
このサイト、死海化粧品のアハバも出てましたが、この化粧品は良いですよ。
特にお勧めなのはフットクリーム。
踵つるつるになる。 しかし高い。
97エリヤ:02/03/29 13:01
そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
こう言われた。「次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、
エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人です。
ルカの福音書24:45-48

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今から、約1970年前、ユダヤ暦ニサンの月の14日(すなわち、約1970年前の、
現在の暦のまさに今日この時!)エルサレムのカルバリーの丘で、その出来事は起りました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
98エリヤ:02/03/29 13:01
大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。
しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。
「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、
自分の子どもたちのことのために泣きなさい。
なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』
と言う日が来るのですから。
そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、
丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます。
彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」

ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。
犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、
何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。
「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言った。
「これはユダヤ人の王。」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
99エリヤ:02/03/29 13:02
十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、
「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。
「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。
だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには
、私を思い出してください。」
イエスは、彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」
こう言って、息を引き取られた。
この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、
「ほんとうに、この人は正しい方であった。」と言った。
また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、
胸をたたいて悲しみながら帰った。
しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、
遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。
ルカの福音書23:27-23:49
100100:02/03/29 13:03
100!
101Mocc ◆NvOWunKc :02/03/29 13:21
>>96
インド原産ってことは当時からすると
何ヶ月も海を渡ってきた代物だったので
もっと値がはったんでしょうね。。。
102エリヤ:02/03/29 13:38
「救い主」という言葉に、人はどんな姿を目に浮かべるだろうか、救うという以上、
当然その人は、衆に優れて強くなければならない。映画やテレビを見ていても、悪人の手から
善人を救い出しに駆けつける人は、何十人もの人間を相手に颯爽と闘っている。
しかし、キリスト教の救い主の姿はこの絵にあるとおり、十字架に釘づけられた姿である。
 十字架にかかるような、こんなしょぼくれた救い主は、かつての私のイメージにはなかった。
が、今の私には、強盗や人殺しと同じように、十字架にかかったキリストの姿以外に、本当の
救い主の姿を見ることができない。
悪人の手から善人を救い出す剣豪は人の生命を救うだけだ。
決してその人の魂まで救うことができない。
 だが、キリストの前には、悪人も善人もない。すべてのものが等しく罪びとなのだ。
そのすべての人の罪を救うためには、神の子が十字架にかかる以外に方法はない。
剣豪ならば、善人の生命を救っても、悪人の生命はことごとくこれを奪ってしまう。
それは本当の意味でどれほどの救い主にもなっていない。
神の子が十字架にかかったこの姿を見る度に、私は人類の大きな深い罪を思い、
真の救いを思うのである。

三浦綾子「イエス・キリストの生涯」(講談社)より
(c)Ayako Miura 1987
103吉沢逸彦:02/03/29 20:43
僕は家を出ていった。
2002年3月29日PM2時56分。
桃の花が咲いていた。
空は曇ってる。
住宅地や畑のいたるところで雀が興奮して騒いでる。
小さな雨が降りだした。
モクレンが黄ばんだ。
鳩が鳴いてる。
アジサイの若葉が萌えだした。
明日、3月30日は、息子の満一歳の誕生日である。

山に囲まれた小さな町に、花の香りをふくんだ冷たい風が吹いている。
鞍馬川のほとりに枝を伸ばした桜は、まだ、五分咲きである。
Aコープの前を通り過ぎ、右に折れる。
路傍にタンポポが咲いている。
タンポポは神ではないのだろうか?
言葉から遠くはなれて、シモクレンが開きはじめた。
小学校の角のフェンスに「京都府知事選挙」のポスターが掲示されていた。
叡山電鉄の踏み切りの遮断機が下りた。
桃は桃色、山は利休色、鈍色の空が覆い被さる。
今日は、宇宙開闢以来、最も美しい一日である。
現在生きている人間が、二千年前のある古代人を超えていこうとすることが、どうして罪になるのだろうか。
崖に生えた色褪せた羊歯はイエスを知っているのだろうか。
もし知らなかったとしても、その羊歯は、神である。
104吉沢逸彦:02/03/29 20:46
杉林の暗がりにゴルフボールを叩く音が繰り返し響く。
町のざわめきが遠ざかっていく。
枯葉を踏み、枝を踏み、細い山道を登っていく。
顔に蜘蛛の巣がかかる。
雨が少し強くなりだす。
ヤマツツジの小さな花が赤紫の淡い光を放っている。
山の中はさまざまな樹木の花粉の匂いでむせ返っている。
採石場でサイレンが鳴る。
そしてしばらく経ってから、ダイナマイトが斜面を穿つ。
鈍い爆発音が山々の面に木霊する。
それからとうぶんは、鳥獣は、なりをひそめる。
どうして人間が近づくと、鳥たちは逃げていくのだろうか。
「発砲注意」と印刷された看板が痩せた杉の木の幹にくくられている。

この山で、僕は、熊と出会った。
この山で、僕は、真夜中、イノシシの親子と沢のほとりを散歩した。
雪が一面に降り積もっていた。
昼間よりも明るく見えた。
杉がときどき身震いをし、枝に積もった雪を「どさっ」と落とした。
フクロウが「ほお」と話しかけるので、僕が「ほお」とそれに答えると、フクロウはずっと枝から枝に飛びうつり、森の出入口までついてきた。
105吉沢逸彦:02/03/29 20:50
僕は、この森で、真夜中、妖精たちが乱舞するのに出会ったことがある、と思っている。
森の入口までやってくると、真っ暗な林の中を、数人の女たちが笑い声をあげながら駆け回っていた。
最初、ドライブにやってきた若者たちのグループなのだろうか、と思ったのだが、ちがっていた。
女たちの笑い声は、とてつもないスピードで、森の中を駆け巡っていた。
何度も頭を振り、気持ちを落ち着かせようと深呼吸してみたが、おなじことだった。
女たちの声ははなやかに、ときには嬌声とも思えるような明るい声で、まばらな闇の詰め込まれた林の中を往復していた。
そこで、僕は、うれしくなった。
欲情した。
女たちは全裸で林の中を駆け巡っているように思われた。
たとえ彼女らが人間でなくても、かまわなかった。
いや、人間でないほうがなおさらよかった。
僕は、森の若い妖精たちのバラ色の肌を見たいと思った。
美しく汗ばんだ乳房や尻を見たいと思った。
僕は、山道にかけられた鎖を跨いで、夜の山に入っていった。
すると、突然、声が消え去った。
沢の流れだけが足元であどけない音をたてていた。
106吉沢逸彦:02/03/29 20:52
3時46分。
いま、僕は、山頂付近の岩に腰かけて、京都市内を見下ろしている。
比叡山の山頂は灰色の雲に隠されている。
京都盆地が、遥か彼方の霞のなかに溶け込んでいる。
天と大地が交わっている。
山のなかのそこここで、新しい風が巻き起こり、すぐに消え去ったり、または、おおきく山全体をなびかせたりする。
107 :02/03/29 20:54
俺もイエス好きだぜ
奴の生き方を参考にしているぜ
108吉沢逸彦:02/03/29 21:05
>>107
やあ。
そうだよね。
カッコいい奴の生き方は、参考にしよう。
イエスだって、ブッダだって、クリシュナだって。

神の言葉と新福音書
 第一章
 第一節
「羊飼いは、羊を屠殺場に連れて行く。
 漁師は、網にかかった魚を市場に運ぶ。
 だから迷える子羊よ、たとえ狼に食い殺されようとも、
 羊飼いには捕まるな」

なんてね。
新しく聖書を書き直すのは、
どんな罪悪よりもスリリングだなあ。
109名無しさん@1周年:02/03/29 21:22
>>108
新しく聖書を書き直すことなんて、
そこらの牧師が毎週日曜にやってるよ。
110エリヤ:02/03/29 23:53
歴史上、聖書を書き直そうと試みた者はどれほどいただろうか・・・
マルキオン、モンタヌス、サベリウス、ペラギウス、アリウス、ユニテリアニスト
彼らは、生前多くの人々から絶大な支持を受けた。
だが今日、彼らの名を知る者はどれほど存在するのであろうか。

聖書、長い歴史の中で多くの人々に愛読されたが、
また同時に、多くの人々からも迫害されてきた書物でもある。

私が知る限り、歴史上これほど迫害された書は他には無い。
聖書を読むことすら禁じられ、また聖書は焼かれた。だがそれにもかかわらず、
聖書は今日多くの人々に支持され愛読され続けている。

  しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
  そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、
  わたしの証人となります。  使徒の働き1:8

  こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常
  にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。 使徒の働き6:7

この聖書の言葉の成就は科学技術が発展した今日、世界中の至るところで見る事ができる。
果たして、私たちは聖書を二千年前の古代に属する書として退けて良いのだろうか・・・

  「私は聖書を、これまでに神が与えた最上の賜物と信じる。世の救い主から発する一切の良きものは、  この書を通してわれわれに伝えている。」 リンカーン

  「人間のための書物としての聖書の存在は、人類がかつて経験した中で最大の恵みである。
  その価値を減らそうといかなる企ても人類の罪悪となる。」 イマヌエル・カント

  「いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中には確かな真理が存在する。」
   アイザック・ニュートン

  「人類の知的文化が進歩しようと、自然科学が進んでその広さと深さとを加えようと、
  人類の心がその望むままに広くなかろうと、福音書から輝き出るキリストの高さと
  道徳的修練を超えて行くことはできないであろう。」 ゲーテ

111名無しさん@1周年:02/03/29 23:57
>>110

おお!!
112吉沢逸彦:02/04/04 12:40
>>110
なんだか、権威のある人たちばっかりだね。
でも、僕のほんとうに好きな人が一人もいなかったんで、安心したよ。
で、僕がほんとうに好きな人の言葉を紹介します。
上に書かれたテレビショッピングの宣伝文句みたいな言葉なんか、
一発でぶっ飛ばしてくれると思うよ。
僕が大好きなボリス・ヴィアンっていう伊達男が書いた
「北京の秋」というファンタジー小説のなかの一節だけど、
ちょっといかついけど心優しきバスの運転手が、こう言うんだ。
「めくらの国へ行きゃ、片目の男は王様だぜ」ってね。
いかしたセリフだろう?
僕は、こういう、ボリス・ヴィアンみたいな男と、
イエスを並べて、楽しみたいんだ。
宗教なんて、どうでもいいんだ。
そんなものは、終わらせようなんてしなくても、もう、とっくに、
終わってるよ。
そんなのよりも、ダンディズムさ。
十字架上のイエスの姿を
「史上最高のダンディズム」として捉えた、
稲垣足穂みたいなものの見方ができないもんかね、
これからの二千年中にでもさ。
113名無しさん@1周年:02/04/05 17:22
そうかな?
俺は「自分を捨て、自分の十字架を負え」と言ったイエスに
史上最高のダンディズムを感じるなぁ。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、
日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、
それを救うであろう。」 ルカの福音書9:23-24
最も、俺たちにはいわゆる宗教なんて必要ない。もし真のただひとつの宗教とは何か
と問われれば、それは「イエスの十字架」と答えるだろう。
イエスは言葉だけでなく業をもって十字架のダンディズムを証明された。
それは罪という人類最大の敵から民を贖い救出するために。
114名無しさん@1周年:02/04/05 17:27
漏れもイエスが大好きだ。

ジョン・アンダーソンの声もいいが、
やはりスティーブ・ハウとリック・ウェイクマンだな。
でもクリス・スクワイアが居なければ
イエスはイエス足りえないだろうな。
115吉沢逸彦:02/04/06 21:59
>>113
うん。
反論されたような気がしないほど、いい話だと思う。
でも、ほんとうに、俺には、罪というのが、正直、ぜんぜんわかんないんだよ。
罪悪感がないというのか。
麻痺してしまってるんだろうか?
だから、以前、エリヤさんからいわれたときも、
十字架の話は、ぜんぜんわかんなかった。
福音書でも、イエスかが言ってること、話してることは、よくわかるんだけど、
地の文はあまりぴんとこなくて、
とくに、イエスが死んだあとの「使徒言行録」なんかは、もう、ぜんぜん、
オルゴールがちゃらちゃらいってるだけのような気がして、
どうしようもないんだな、これが。
116名無しさん@1周年:02/04/07 13:36
アメリカで最も人々から愛されているゴスペル「アメイジング・グレイス」
を知っているかい? 出会いはいつも不思議なもの、そうさイエスとの
出会いも同じことさ。俺は人生という孤独な旅のなかで一度は自分を失ったが、
イエスとの数奇な出会いは俺に驚くほどの恵みをもたらした。
罪のうちに生き罪に溺れた俺にイエスは自由と勝利とを与えられた。
それはイエスとの数奇な出会いを経験した多くの人々も同じであろう。
この歌の作者のJohn Newton もその一人だった。

Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me,
I once was lost, but now am found,
Was blind, but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved.
How precious did that grace appear
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares,
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
117名無しさん@1周年:02/04/07 14:18
>>116
イエスと出会った人々のなかで、こういう人々もいます。
出会いはいつも数奇ですね。
 ↓
http://www.netpal.co.jp/barabbas/
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/2357/index.html
118吉沢逸彦:02/04/08 00:45
>>116
>>117
うん。
そのゴスペルは、知らない。
というか、僕にとっては、ゴスペルは、ゴスペルというジャンルがひとつの曲であるような。
つまり、何も知らない。
でも、ありがとう。
ゴスペルは、じっさいアメリカの教会で聞いたら、いいだろうな。
119吉沢逸彦:02/04/08 00:47
ところで、僕は2チャンネルは、一日に一回訪れるかどうかなんだけど、
ひとつ、知りたいことがあるんだ。
キリスト教としての罪じゃなくて、
イエス自身が罪と考えたものを、
かなり純度高く抽出できないものだろうか。
僕はイエスのことは好きだが、ブッダの完璧さには驚嘆している。
イエスは、どちらかというと、欠点があるところが好きなんだ。
で、そういう僕の日々の生活感というのは、
じつは、まったく、神道的だ。
僕の住んでる、ここ、京都北山には、とくに、そういう雰囲気が漂っている。
僕は貴船神社や鞍馬寺を散策し、薄暗い杉林の中に
なんともいえない畏れ多いものを感じている。
そういう生活感のなかでは、キリスト教や仏教のいう罪悪感というのは、
なんだか、どうしても、押し付けがましいもののように感じられてならないんだ。
120吉沢逸彦:02/04/08 00:48
僕はいろいろ書くけど、普段は、まったく、平凡な男だ。
昔は、メチャクチャやった。
付き合ってた女に売春をさせたり、俺自身、ホモに体を売ってた時期もある。
もちろん金のためにやったのだが、金だけが目的じゃない。
そういう体験一つ一つが、俺にとっては、財産だった。
俺にとっての、黄金だった。
そして俺はそれらの経験を、ちっとも後悔していないし、忘れたいとも思わない。
だが、もう一度くりかえすことは、しないな。
もう飽きた。
今では俺は、浮気もしない。
しようとも思わない。
どうしてしたくないかというと、それは女房を悲しませるから、
息子と面と向かって目を合わせられなくなるから、
それから俺の感覚が鈍るから。
あと、最大の理由は、これは、さっきも書いたように、
神道的な感覚なんだ。
神道では、罪というのが、明確に規定されていない。
というか、罪がない。
ただ、感覚だけがある。
流れの感覚、神の流れとでもいうような感覚。
その流れに乗っていくと、どういうわけか、
まったくモラルがない状態でも、いわゆる罪というものを犯さなくなる。
ほんのちょっと手前で、それが退屈なものに思えてくる。
だから、俺の生きてる感覚からいうと、罪というのは存在してない。
ただ、ミスは、存在している。
そしてミスを犯すか犯さないかは、モラルの問題ではなくて、
生きることに対する才能の問題、注意深さの問題、
大胆さと繊細さの問題だと思っている。
まあ、こういうことを書くのも、俺がキリスト教というものに、
どうしてもなじめない性格からくるのだろうが、
この俺の違和感は、原日本人全体の違和感と、
かなり近いものなんじゃないだろうか。
よかったら、だれか、語っておくれ。
121ジョン・小野・レノン:02/04/09 00:56
神とは、我々の苦しみを計る尺度だ。
122名無しさん@1周年:02/04/09 01:01
神とは「愛」である。ヨハネ第一の手紙(4;8)
123小野洋子:02/04/09 01:06
ジョンは神を憎んでたって、よく誤解されてたんだけど私は、彼ほど神に
すがりたいって思ってた人はいないと言いたいぐらいなのよ。実は。
124名無しさん@1周年:02/04/09 13:37
120
付き合ってた女=今の女房?
125名無しさん@1周年:02/04/12 16:37
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126名無しさん@1周年:02/04/12 16:38
127Mr.名無しさん:02/04/12 16:53
>>1
外見は、チビのブ男だったと言われている。
このコンプレックスを持った男が、
大きな川の小さな源流なんだね。
今ある宗教のほとんどの教祖は、コンプレックスから始まっている。
だから、愛や助け合いを説く教祖か、逆に自分を崇めさせる教祖
になる。
128油食む:02/04/12 22:05
>127

>外見は、チビのブ男だったと言われている。

 という根拠をキボンヌ。

 なぜなら、イエスは「ラビ」または「ラボニ(ラブニ)=大先生の意」と呼ばれ
て、尊敬されていた。ユダヤ(ヘブライ)の伝統では、預言者は体つきが堂々として
身体障害や刃物創などはなく、背も高くてリッパでなくてはならないという通念が
当時はあった。

 したがって、背が高くて、ある程度立派な体格をもって、顔立ちも十人並以上でない
と、「ラビ」とは呼ばれないはずなのだ。また、チビでブ男だったら、ユダヤの通念上、
群衆がついていって支持はしなかっただろう。

 イエス時代の民俗や宗教のしきたりを調べると、そういうことになる。
 チビでブ男だったという根拠を、提示してもらえるとうれしい。
129ジェノヴァ:02/04/13 08:38
>>128
油食むさんの、ご意見を支持します。
130名無しさん@1周年:02/04/13 12:32
イエスがチビだったというのはアレキサンドリアのオリゲネス、ブ男というのはユスティノスや
テルトゥリアヌスなどの言い伝えによっている。ただこのような初代教会の伝承は、
メシア・イエスの到来を預言していると当時解釈されていたイザヤ53章2節などに基づく初代教会の
神学の表明に過ぎないと一般には考えられていて、史実としての信憑性はみとめられていないよ。

最古のイエスに関する情報を伝える共観福音書伝承にはまったくイエスの外貌などについての記録が
残されていないということは、結局イエスに接した人々にはイエスがとりたてて自分たちとは
異なる身体的特徴を持っているものとは映らなかったということを示していると思う。

131春一番:02/04/14 07:02
>>130
確かにもしイエスに宗教画によく描かれているような天使の輪があったとしたら、
ユダヤ人たちがイエスを神の子と認めることは、容易だったのかもしれない。
吉沢さんしばらくお休みみたいだけど、私は毎日このスレを見ている。
キリスト・イエスでなく、人間イエスに注目したことに共感を覚える。
132バプテスト喝:02/04/15 03:20
平和を愛するキリストにある友よ、エルサレムの平和のために祈れ。


エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。
おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、
繁栄があるように。」
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。
「おまえのうちに平和があるように。」
私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。
詩篇122;6-9
133名無しさん@1周年:02/04/15 03:35
おおもりよしはる=ロリペドオタ、アニオタ、モツオタ、ベトオタ、ブルオタ、セガ信者
ひまわりと幼女のすじまんこに異様な執着心を燃やしているロリペド絵描き
2浪して九州大学歯学科に進むがプロのイラストレーターになるために大学を中退、
同人活動とUOに専念する日々を送るが、その生活は苦しいらしい(藁
自らを画家と呼び、ともすれば不真面目なものと見られかねないアニメ絵を「芸術」
の域にまで高めようとしている(らしい)。  もう、死ねよ…と。
UOではKanaeというテイマーと、SASAWOという斧戦士(赤キャラ)を持っている。@Izumo
【すじ】 おおもりよしはる
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1016348976/
オリジナルキャラ七瀬香奈恵抱き枕(すじ丸出し抱き枕)
http://www.p80.co.jp/p/k_sinki/yoshiharu/kanae2002.html
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/otaku/1016198191/

どっかのスレに上がってた写真(藁
tp://blake.prohosting.com/ccsakura/img-box/ccsakura20020405055756.jpg
tp://blake.prohosting.com/ccsakura/img-box/ccsakura20020405055901.jpg
134バプテスト喝:02/04/15 12:39

??? 誤爆か?
135名無しさん@1周年:02/04/18 21:10
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136名無しさん@1周年:02/04/20 15:59
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137名無しさん@1周年:02/04/20 23:16
138名無しさん@1周年:02/04/21 09:04
ところで、吉沢さんはいずこに・・・?
139名無しさん@1周年:02/04/27 17:43
age
140ペルシャ☆:02/04/27 22:18

わーの☆ わーの☆ ペルシャですの☆
ペルシャ、イエスさま大好きですのよ。みなさん、もっと語ってくださいの。
141名無しさん@1周年:02/05/02 21:58
age
142名無しさん@1周年:02/05/05 17:59
age
143Sherra ◆rWqKQ/1. :02/05/05 18:06
いつも一緒にいた弟子が神様だと信じて
処刑されたんだからすごい人なんちゃう?
144むもん:02/05/05 21:01
>>119
>>キリスト教としての罪じゃなくて、
>>イエス自身が罪と考えたものを、
>>かなり純度高く抽出できないものだろうか。

罪とは、

『殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
父と母を敬え。
あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』

この戒めに反することを行うことではないですか?
145Sherra ◆rWqKQ/1. :02/05/06 10:25
>>144
イエス様の考えていた罪はもっと幅が広かったみたいです。。。
146名無しさん@1周年:02/05/06 10:51
>>143
馬鹿まるだしだね。弟子どころかパウロだってイエスを神だとは
思ってなかった可能性が高いつーのに。原理主義者はこれだから(pu

『書物としての新約聖書』でも読んで新約成立史について勉強しろ。
147むもん:02/05/06 12:22
>>145
>>イエス様の考えていた罪はもっと幅が広かったみたいです。。。

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神である主を愛せよ。』これが
たいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』という
第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つ
の戒めにかかっているのです。》

この二つを行わないことかな?
『律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっている』と言っているくらいだから。
148名無しさん@1周年:02/05/11 21:54
age
149名無しさん@1周年:02/05/13 17:16
AGE
150久々にマジレス:02/05/13 17:23
>>147 むもん氏
聖書が語る罪を理解するためには、
旧約聖書の創世記から読み進めながら、
創造論→堕落論→和解論・キリスト論→終末論と進まなくては、
聖書が語る人間の罪についての正しい認識はできません。
もしあなたが、本当に聖書の罪を知りたいと願うなら、
手順を踏んで学ばれることをお勧めします。
あるいは、正統的な教会の牧師にご相談されては如何ですか?
151魔法の仔猫インド:02/05/13 17:27
きゃい、きゃい!☆
あたしインドが大好き。
イエス様はペルシャにもインドにもいらしたのですわ!☆
152アストラルボディ:02/05/13 17:49
イエスについては以下の記述をどうぞ。

http://www2.wbs.ne.jp/~spirit/shohousen.htm
153名無しさん@1周年:02/05/14 02:15
152 はユニテリアンです。
はっきり言ってしまえば近代合理主義に溺れた異端です。
154名無しさん@1周年:02/05/14 02:27
>>150
旧約の神の怒りっていうのはマジですごいんですけど、
そこに人の罪の深さやバラエティが示されている、
そういう風に思って読んでいいですか?

自分はむもん氏ではないし、いきなりの質問ですみません。
155Kirklad ◆rs2OUULQ :02/05/14 03:57
旧約聖書は新約の時代にいる私達にとって、新約聖書を通して読むべき
です。但し、信者限定。
156名無しさん@1周年:02/05/15 04:08
旧約の神の怒りは、人の罪の深さというよりも
イスラエルとカナンの相克からとらえたほうがいいと思うけど。
157名無しさん@1周年